ナチュラル
2016/06/28
もごもごという意味のないことを呟こうとする。「…、」だからと言いながら先輩は苛々したように口を引き離した。「暴れんなっつーの」「…、…だ、」だってと言いながら口を拭ったが、ザップはぐいとレオの手を引っ張った。
「あ、」
やばいと思う前にまた腰が引き寄せられた。「っ、」噛み付くどころか、ひどく柔らかくやってきた衝撃に身体が引き攣るような感覚を味わう。ジェットコースターで思いっきり降りてるみたい、と益体のないことを考えている暇もない。大抵そういうことを思うのは全部が終わった後なのだ。
息を吐きながら口を離される。直後また、いつもみたいに唇が舐められた。「っひやっ」口を押さえようにも手が押さえられているのだからどうしようもなかった。ザップはいつものように、そんなレオの声を聞いておかしそうに笑った。
どうも自分、レオナルド・ウォッチの先輩はキスよりもその後の方が好きらしい。というのもレオは大抵キスされた後に唇を舐められるからだ。予想しているのにリアクション不可避のそれを毎度やられているが、慣れる気配がない。多分この一連のそれに慣れる気がしない、とレオはぐったりしながら電車から降りた。「…ヤベ」ぎりぎりだ、と言いながら車掌から遅延届を貰う。嫌味だったと気が付いたが車掌はそんなことは慣れっことでも言わんばかりの無表情で遅延証を配っていた。
「あ」
あ、というそれに顔を上げる。改札を潜ったそこになぜかレオの先輩が突っ立っていた。「え?なんで。ザップさんだってもうすぐ授業じゃないですか」そう言って近寄ると、丁度いいやお前来いよ、と言いながら先輩のザップ・レンフロがレオの腕を掴んだ。嫌な予感がすぐさまレオを襲ってくる。
「どうして。嫌ですよこれから授業なんですから。離して下さい」
「まだ何も言ってねえじゃねーか。いいから来いよ」
「やですよ。どうせまた面倒事でしょ」
「こないだまで面倒事をどうにかしてやってたのは俺じゃねーか。鶴だって恩を返しに来るのにおめーはよー」
「つる?」
鶴の恩返しのことだと気が付いたのは大体五秒後で、既にレオは先輩から腕を引き摺られて駅の構内から出るところだった。「……。」授業、と悲しく思いながら大学の方に目を向ける。あとで友人にでもノートを借りるしかなかった。
ついこの間まで、なぜかレオは物凄い頻度で告白されていた。別段、それが女性からだったならば何の問題もなく、むしろ万歳三唱とでもいきたい限りだったのに、どういうわけか告白してきた相手は全員男だった。年上か同い歳、いずれかの男性に図書館や食堂や講堂や廊下などで次々に告白されて、レオはいい加減毎日憂鬱だったのだ。そこに、いわば手を差し伸べて”下さった”のがこのレオの先輩であるザップだった。
―――こいつ俺と付き合ってるから。
そう言って告白してきた男をいなしくてくれた先輩と、なぜか今、レオは恐らく本当に付き合っている。確かめたことはないけれど、少なくとも付き合っていると見做していいようなことを、するようになった。何でなのかよく分からない。レオもレオで拒否していないのだから、受け入れているのだから、結果としては同じだ。
「あのうザップさん。どこに行くんですか?雀荘ですか?パチンコですか?競馬場ですか?」
「おまえ俺を何だと思ってんだ」
そう顔を顰めて振り返ったザップの横に並ぶと、掴まれていた腕が離される。もう諦めたと判断されたのだろう。そしてそれはその通りだったから、大人しくレオはザップの横に並んで歩き始めた。「だってまさかザップさんがこれから遊園地に行こう、とか言うわけないでしょ」「行きてーのかよ」「全然」そう真顔で言ったレオの額が小突かれた。いて、と小さく呻いたレオの横で、ちげーよとザップは顔を顰めて煙草を咥えている。二人で遊園地とはとレオも自分の冗談に溜息を吐きたくなる。座布団を取られる。
「あそこ」
そう先輩が言って指を向ける。どこだ、と思いながら指の先を見つめてレオは足を止めた。「おいなんだよ。来いって」そう言って先輩が怪訝な顔でレオの方を振り向いた。来いってどういうことだ、と思いながらレオは顔を引き攣らせ、咥えて顔の色を白くした。
指先にあるのはどう見てもラブホテルだったのだ。
「じょ、じょじょじょ冗談じゃねーっすよ。俺はこれから学校に」
「ふざけんな来いよ。いいから」
「や、やですよ!な、ななな何すか毎度毎度そーいうことしか考えてないんですか!?」
「はあ?」
何言ってんだおめえはと言いながらザップが首を傾げる。「な、何ってだって」「だってって何だよ。…あ、いや別におまえが財布だけ寄越してくれればお前本体は来なくていいけど」「は?」本体、とまるでゲームのハードのような言い方をされたとレオは考えているのも束の間、ザップは頭を掻きながら、金返さねえといけねんだよと面倒臭そうに言った。
「こないだ行ったんだけどそん時ちょっと金足んなくて、受付が馴染みだったからツケにしてもらってんだ。今日が期限なんだよ」
「はあ?」
つまり借金返済をしに行くらしい。しかもその返済金をレオの財布から出す気なのだ。冗談じゃねえ、とこの先輩と出会ってから何度も思ったことをレオは思うと、嫌ですと顔を顰めてそう言った。
「何だよ嫌って。お前俺が困ってたら助けるだろ」
「常識の範囲内ならしますけど、ソレはどう考えても常識の範囲外です」
大体俺の金を使うんなら俺に対しての借金がまた増えるでしょ、と言ったレオに、そりゃあとザップは言って腕を組んだ。「いつかは返す」「………。」どう考えても信頼できなかった。というか今まで彼に貸した金が返ってきたことは皆無である。いつかなんて日は永遠に来ない。
「ともかく嫌です。それじゃ」
そう言って踵を返してレオは大学に向かい始めた。「あ。待てよレオ」そうザップが声をかけてきたが、返事はしなかった。腕時計を見たが、明らかに遅刻だ。遅延証はあるけど途中で教室に入るのって気まずいんだよな、と思いながらとっくにレオは頭の中を切り替えていた。一々あんな人に付き合っていたら身が持たない、と今更のように思って溜息を吐いた。
付き合うと見做していいこと、といってもまだレオはザップとキスしかしたことがない。それ以上は何もしていない。というか、その先について想像もつかないし、今後するのかどうかもレオにはよく分かっていない。大体キスだって自分からしたことは一切ないし、たまにザップがしたいときだけしてくるようなものだった。だから確かに本当に付き合っているのか、と言われれば微妙なところだ。何しろお互い好きだと言ってはいない。付き合っていると確かめたことも、無いに等しい。
「…………。」
ぼーっとしながらシャーペンを動かして板書を書き取ったが、果たしてそれが何を意味するのか説明せよと言われたら出来る自信は無かった。「……。」そっと隣にいる友人を見ると、すやすやとどう見てもぐっすり寝ている。これじゃあとで俺の方がノートを頼まれるな、とレオは苦笑した。
ザップはレオの他に付き合っている相手がいる。というか、レオとは付き合っているか付き合っていないのか微妙な関係なのだから、他と言っていいのか今一分からない。さっきザップも言っていたことから分かるけれど、つまり彼はレオの他にいちゃつくような相手が幾人もいる。たまにその彼女たちの愚痴をレオに普通に言ってくるのだから、レオだって何て言えばいいのか分からない。困る。結局前と同じように、ザップさんが全部悪いじゃないですか、と言う結果になる。そしてその後ザップが何だとこの野郎、と詰ってくるのも前と同じなのだ。
はあ、と溜息を吐いた後にそれじゃレオナルドさん、と名まえを呼ばれて一瞬何が起きたのか分からなくなる。「レオナルドさん?」出席簿には出席に丸がついているようなんですが、という老教授の不思議そうな声に慌てて立ち上がった。「あ、は、はい!」「わあ!?」隣で寝ていたウィリアム・マクベスがレオの声によって眼を覚まし、慌てた様子で立ち上がる。一瞬教室には間が起きたが、二秒後には笑い声に包まれた。
「………っわ、あ、す、すいません!」
そう言って顔を隠しながらウィリアムが座る。「…元気があってよいことです」そう教授のギルベルト・F・アルトシュタインは本音なのか何なのか、穏やかにそう言ってそれではとにこやかにレオの方を向いた。
「先ほど説明した一連の流れについて、どう思われますかな。レオナルドさん」
「…………………ええと」
とても難しいと思います、と気まずく思いながらレオは返事をして、やっぱりその後教室の中は笑い声でいっぱいになった。
「ウィルが寝てるからだよ!僕は起きてたのに!」
「寝てたんだから関係ないってば!元々レオの番だったんだよ!」
ギルベルトさんは順番通りにささないじゃん、と顔を顰めたレオの横で、ウィルも顔を顰める。「じゃあやっぱり僕のせいじゃないよ。たまたまレオが選ばれたんだ」「………………。」屁理屈だとは思ったが、ぐうの音が出なくなった。寝ていることについて、友人に罪の意識は余りないらしい。
―――たまたまレオが選ばれたんだよ。
何だかその言葉に、さっきの授業のこととは別に黙りこくることになった。どしたの、と隣にいるウィルが途端に怪訝な顔をする。
レオと同学年のウィリアム・マクベスと仲良くなったのは大学に入学してからだった。同じクラスで専攻も、それから取っている語学も同じだったので、必然的に被る授業も多くなる。レオには妹がいるが、彼にも妹がいるということが理由なのか、何となくお互いに気も話も合うのだ。よって彼もレオが最近酷い目にあっていることをよく知っていた。
「?どうしたの。また告白されの?」
「されてない。やめてよ」
ぞっとしたようにレオが言うのを見て、ウィルは一瞬きょとんとしたがおかしそうに笑い始めた。人の気も知らないでと溜息を吐く。「…僕よりウィルの方がよっぽど顔綺麗なのにね。今度告白されたらウィルを紹介する」そう言うとやめてよとウィルはそれでも笑いながら言った。「………。」益々むっとしながら廊下を歩いた。他人事だと思って、と言いたくなる。
「…いいじゃんでも。最近守ってくれてるんでしょ?高校の先輩が」
それこそ顔が綺麗な人じゃないか、と言われてレオは一瞬誰のことだか分からなくなった。すぐにザップのことだ、と気が付いてええ、と声を上げてしまう。「顔が綺麗?本気で言ってる?」「?綺麗でしょ。顔」「………。」そうかなあと思いながら首を傾げいているレオに、そうだってばと言ってわざわざウィルはポケットからスマートフォンを取り出す。「ほら」そう言いながら保存されているらしき写真の一枚をレオに突きつけるようにして向けてきた。どうやらサークルか何かで撮った写真らしい。場所は居酒屋だった。何人か男子学生が映っていたが、確かにその中で贔屓目に見なくてもザップの顔は綺麗な方に入るだろう。断言できた。怠そうな顔で煙草を咥えていたが、間違いない。人生不公平だとレオは画像を見て顔を顰めてしまった。
「…で、何その写真は」
「先週コンパがあったんだよ。その時撮ったんだ。妹に頼まれて」
ホワイトに、と言ったレオにそうそうとウィルは頷いた。「レオはいないけどって言ったんだけど、レオはもう写真あるからいいって言ってた」それは、と思いながらレオは腕を組む。「…合コンのセッティングか何か?」そう言うとぎょっとしたようにウィルがレオの方を振り返る。眼鏡の奥の眼が剥かれていた。
「え!?そ、そうなの!?」
「いや知らないけど。こないだ会った時、背が高くて格好良くてスポーツやってて明るくて、誠実で女の子に優しい、頭もよ過ぎない程度にいい、清潔感があって出来れば車を持っている人を紹介してくれって言われたんだよ」
「そんな奴存在しないじゃないか」
そう言った、とレオは肩を竦める。「え?それじゃ何?僕は妹に恋人が出来る手伝いをしてるってこと?」「だからわかんないよ。ホワイトに聞いてよ」聞けたら苦労しないよと言いながらスマホを操作し始めたウィルを尻目に、レオは溜息を吐いた。今正に聞いてるじゃないか。彼の妹は近隣の女子大に通っている。
結局その後レオはウィルと一緒に食堂に向かった。「早くしないと混むしね」「ウィルは五限目なに?」「現代経済考B」どう聞いても眠りそうだね、と言いながら定食を頼んだ。いつもの如く、カウンターの奥では武骨な主が無言で料理を作っている。ビビアンの父親だ。
「よーレオ。いらっしゃい」
ひょいとカウンターからいつものようにビビアンが顔を出した。僕もいます、と先に行ったウィルから声が飛んで、ビビアンは悪い悪い、と苦笑してはいと言いながらレオに定食を渡す。今日は焼き魚定食だった。どもっすと言いながら小鉢を乗せているレオに、ねえねえ、とビビアンがそう話しかけてきた。何すか、とサラダを選んでいるレオは返事をする。
「ザップと付き合ってるって本当?」
「だ、」
誰がそれを、と引き攣った顔で言ったレオに、嘘だろと言ったのはビビアンではない。先にテーブルに行っていた筈のウィルだった。盆を持ったままぱたぱたと戻ってくるウィルに顔を顰めた。何もわざわざ戻ってくることないじゃないか。
「な、何で僕に言ってくれなかったの?酷いよ」
「な、何でっていうか……や、ま、待って下さいよ。ビビアンさん、それを一体どこから誰に」
「?ザップが言ってた」
「な、」
嘘、とレオは言うと思わず盆を手放した。「あっ」何してんのと言いながらウィルが慌てて近くにやってくる。レオが気が付いた時には彼が野球の滑り込みセーフのような格好で片手でレオの盆を見事に受け止めていた。
「あ、あああ、危ないよレオ!」
「……、…あ、」
ごめんと言いながらしゃがみ込んで盆を受け取る。盆の上では少しだけ皿の上からおかずが零れていたが、それでも盆が床に落ちたことを思えば微々たる惨事である。ほっとしながらレオは有難うとウィルに礼を言った。
「……そんなに動揺するようなこと言った?」
そう言ってビビアンが首を傾げる。「…あ、いや」何でもありません、と質問の答えになっていないことをレオは呟くと、よろよろと盆を持ったまま空いている席に座る。なにそれ、とビビアンの怪訝な声がしたがレオは返事をしなかった。というか聞いてすらいなかった。
――――ザップさんがそう言ってた?
その疑問が顔に出ていたのかも知れない。「…やっぱり悪いこと言った?」そう首を傾げながらビビアンが前の席に座って来たので、レオは魚を口に入れながら首を振った。「…そんなことないっすよ」言ったレオの横にウィルが座る。そう言えば彼を放置して来てしまった、とレオは今更気が付いた。
「そんなことあるよ。何で僕に言ってくれなかったのさ」
「そこじゃないだろ」
ビビアンが苦笑すると、そうですけどねとウィルはそれを認めた上で、でもひどいよと言いながらスプーンを握りしめた。彼は定食ではなくオムライスを頼んでいる。なぜかケチャップで500円と価格が書いてあった。
「…付き合ってないし」
「?付き合ってるんでしょ」
「付き合ってるんだろ」
ビビアンとウィルに同時にそう言われたが、付き合ってないよとレオは同じことを言った。「…だってなんか、…いや、待って下さいよ。何でわざわざそんなことあの人がビビアンさんに言うんですか」そこからおかしいぞ、とレオは思うに至ってビビアンに向かって首を傾げる。ビビアンはきょとんとしたが、椅子に腰かけたまま足を組んで不思議そうに言った。
「言われてないよ。ここで昨日言ってるのを私が聞いただけ」
「?言ってる?」
誰に、と言ったレオに知らないけどさとビビアンは答えて、手持無沙汰だったのか立ち上がり、茶を入れて戻ってきた。学食はまだ混む時間帯ではない。
「知らない奴。なんか分かんないけど、昨日あいつここで飯食べてたんだ。最初は黙ってもぐもぐ食べてたんだけど、突然立ち上がって後ろ振り向いて、後ろにいた生徒にオイコラって突然絡み始めてさあ」
混んでる時間帯だったからあんまり目立ってなかったけど、と言われてレオは意外に思った。大抵ザップは混んでいる学食には行きたがらないからだ。まあでも、絶対に嫌だという程ではないのかも知れない、とそこは流してそれで、とレオは首を傾げた。「それであんたのことを話し始めた」「僕のことを?」「そう。レオって名前の友達があんた以外にいたら話は別だけど」「………。」多分僕しかいないですね、とレオが言うと、だろ、とビビアンは言って話を続ける。
「それからレオは俺と付き合ってるから、ってそいつらに言ったんだよ」
「……………。」
「うわあ」
凄いねとレオの隣で、なぜかウィルがきらきらした顔をしてそう言った。「凄いっていうか、やばいね?」「わざわざ慣れない言葉を使わなくていいから」そうレオは言って溜息を吐く。ずるずると味噌汁を啜ると、それは方便なんですよとビビアンに言った。
「?どゆこと」
「…僕が最近ほら、恐ろしい目に会うじゃないですか」
天災みたいな、とこの間彼女に言われたそれを引用したレオに、そうだねとビビアンは苦笑する。てんさい?と隣でウィルが首を捻ったようだったが、レオはそれをスルーした。「で、それを見かねたあの人がそういう風に便宜を図ってくれてるんです。嘘も方便的な」「え。そうなの?」そうなんだよと隣にいるウィルに言う。一方目の前に座っているビビアンは、マジでと言いながら怪訝な顔で首を傾げていた。
「でもキスはしてるじゃん」
「げほっ」
味噌汁が気管に入ってしまった。「な、ななっ、」げほげほと咳き込みながらそう言ったが、隣からウィルがお茶を突き出すように渡してきたので慌てて受け取る。咳き込みつつも茶を一気に飲むと、息を吐いた。
「…っ、な、なん…なんでそれを」
「この間校舎裏でしてるのを見た」
「う、嘘でしょ?そんなベタな場所でした覚え、」
はたと言葉を止めた。「………なんだ」やっぱりそうなんじゃん、と呆れたように言ったビビアンにレオは顔をしかめて見せた。「か、鎌を?酷いじゃないすか」「まさかそんなにあっさりかかるとは思わなかったんだよ」てゆか見てたら何となくわかるよと言われてレオは固まってしまった。嘘だろ。そうなの?恐る恐る隣にいるウィルを見つめたが、ウィルは慌てたように顔を少し赤くして首を振るだけだった。女性の勘は怖い、とレオは今更のように思うと、のろのろと焼き魚定食に向き直る。
「…それはなんか、あの人が気まぐれにしてくるだけです。ていうか」
僕だってもう何だかわかんないんすよ、とレオは疲れたように言って溜息を吐いた。「ザップさんには彼女いっぱいいるし、金はいままでみたいに全然返してくれないし、授業はサボるしでも庇ってはくれるしで意味分かんねーんすよ!僕だって!」「お、落ち着いてレオ」ケチャップを口の横につけながら、どうどうと動物を諌めるようにウィルがこちらに両手を突き出してくる。それを見ながら、ほらとレオはそのままのテンションで言った。何、とウィルが怪訝な顔をする。
「こーいう感じだから言わなかったんだよ!付き合ってるのか付き合ってねーのか何なのか僕にもわかんないんだよ!」
「だ、だから落ち着いて。プリン一口あげるから」
ほら、と言われてスプーンの上にのったプリンを差し出されたのでそのまま無言で口に入れた。「………分かった?」「わ、分かった分かった。とりあえず落ち着いて」そうウィルは言ってふうと息を吐き、それじゃあさとスプーンをくるりと回してそう言った。スプーンは普通にオムライスの上に落下した。
「格好付けるから」
ビビアンが呆れたようにそう言ったが、それはどうでもいいですからとウィルは顔を少し赤くして反論し、聞いてみようと何だか分からないことをいい出した。
「何を?」
「ビビアンさんに客観的な意見を」
「私?」
そこで何で私なんだよと怪訝な顔をした彼女に向かって、女性はそういうの強いでしょとウィルは決めつけるように、言った。その通りだとレオは思ってはいるが、別に全女性がそういうわけでもないだろう。ただし恐らくウィルの周りにいる女性はそういうタイプが多いのだ。彼の母親しかり、妹しかり。
「どう思います?二人は付き合ってるように見えますか?」
ウィルはそう言ってスプーンを手に、矢鱈テンション高くそう言った。何でそんな楽しそうなんだ、とレオは思いながら箸を動かす。ビビアンはお茶を飲みながら、ウィルと会話を始める。「…レオとザップが?」「そうです」「………。」最早どうでもいい、と思いながらレオはほうれん草のお浸しを口に放り込んだ。醤油をかけ忘れたことにそこで気が付く。
「うーん。まあ、仲はいいと思う」
「付き合ってるようには?」
「微妙。そう言われたらそうかあ、とも思うし」
「そ、」
そうなの?とレオは思わず顔を上げてしまった。視線に気が付いたのか、ビビアンがちょっとおかしそうに笑う。「…でも二人に否定されたらああそうなんだ、そんなに仲良いのに、って思うけど納得する」「………よし」分かったよとウィルはなるほどと言うかのように腕を組み、レオの方に向き直った。
「なにが」
「つまり分からないってことが分かった」
何も変わってないよ、とレオは言って顔を顰めた。「当人に分からないのに他人に分かる訳がなかったんだよ」ウィルはそう言ってもぐもぐとオムライスを食べ始め、ビビアンはそろそろ仕事に戻るからと言って立ち上がる。
「…………え?僕が公開処刑されただけなんだけど」
「天災だからね」
仕方ないよ、とウィルが訳知り顔で言ってきたので、レオは再度顔を顰めてウィルの残りのプリンを全部奪う事にした。「あっ!僕の!僕のプリンだよ!?」「知らないよ!」僕のプリンなのに、という友人の悲痛な声を聞きながら、午後の授業はザップさんと一緒だった、とぼーっとしながらレオは思い出した。
よう、と言いながら手を上げた先輩の横に座ると、どうもとレオはいつものように挨拶した。「あれ?教科書は?」「売った」そういけしゃあしゃあとのたまってきたザップの隣で溜息を吐く。何だよ辛気臭えな、とザップは言うと煙草をポケットにしまった。構内はそもそも禁煙なのだ。
「…おまえ今日ゼミ出る?」
「出るっていうか、出ないとだめでしょ。今日総まとめじゃないすか」
「あー、そうだっけ」
怠い、と言いながらザップはゲーム機を取り出した。大人数が受講している授業だし、部屋は広いし、指名されることもない授業だから何をしていてもというのは言い過ぎにしろ、大抵はばれない。ただしこの授業は最終的に試験になるから、レオは毎度ノートを取ってはいる。ただ意味を分かっているかどうかと言われれば怪しいところだった。
「……あのー」
「ん。なんだよ」
昨日学食であった話を聞いたんですけど、とぼそぼそと言ったレオの横で、ザップがゲームを弄る手を止めた。「……あー、…ビビアンちゃんか」そう嫌そうに言ってきたザップを見て、はあとレオは言いながら恐る恐る横にいる先輩に目を向ける。気まずそうな顔をしている。
「…何があったんですか」
「………別に大したことじゃねーから」
つか聞いてもおまえ気分悪くなるだけだぞ、とザップは言ってゲームを続けようとした。しかしレオは先輩のパーカーの袖を軽く、ぐいと引っ張る。「おわ」なんだよ、とザップが驚いたような顔をする。
「…教えてください」
俺のことなんでしょ、と言ったレオに、ザップは一瞬やっぱり気まずそうな顔になった。「……そーだけど」しゃあねえな、とでも言いたげにザップはゲームの電源を切った。レオの見たところ、セーブはしていなかった。
「…なんかほら、またおまえが好きだとか何とか言ってる声がぐしゃぐしゃ聞こえたんだよ。んで今日の放課後呼び出すとか聞こえたから」
先手打ってやっただけ、とザップは一気に言って机に肘をついた。「…多分大丈夫だとは思うけどな。一応帰り気ィつけろ」「………。」そこまで聞いてはたとそれに思い至った。だからさっきゼミへの出欠有無を聞かれたのだ。いつもはそんなこと聞かないのに、一体なんだろうとレオは思っていた。謎は解けた。
心配されている。
それに幾ら何でもレオだって気が付くし、分かる。「………。」それで余計に何だかよくわからなくなった。さっき食堂でウィルに言ったことが全てなのだ。本当に何だか、よくわからない。付き合ってるとか付き合ってないとか、キスはしてるけどそれ以上はしてないし、それに。
ザップにはレオ以外にそういうことができる相手が散々いるのだ。
レオが黙っているのを受けてか、あのなとザップが言い訳するかのように口を開く。「別に俺もしたくてしたわけじゃねえからな。ただこないだの図書室みてーなことになったらおまえだってやだろ。俺もなんかこう、知ってんのに放置は気分わりーし」だからだぞ、となぜかザップは拗ねたように言った。そこで拗ねる意味がレオにはよく分からない。
「……どうも」
すみません、と言ってレオはザップのパーカーからのろのろと手を放す。「…なんか、面倒かけてて」そう言ったレオの様子が少しだけ暗かったせいか、なんだよとザップが怪訝な声を出した。
「?どーした今更。いーよ別に。今日の夜飯奢ってくれんなら」
そう笑って言ったザップにこくんと頷いた。「……おい」どうしたよ、とザップは益々怪訝そうに言ってレオの肩を掴んだ。「…なんだ。またなんかあったのかお前」「………。」首を振ると、ほんとかよとザップは訝しげに言った。
「…ま、いーだろ。最近モテなくなったじゃねーか。俺のお陰で」
「ああ、まあ、それは……」
そうですねと最近のことを回想する。告白の回数は減ったが、未だに告白されることだってあるにはある。ついこの間は駅前の本屋で本を選んでいる時に突然手を掴まれて好きだと言われたし(その時は手を振り払ってレオはダッシュで逃げた。本は買えなかった)、先生の研究棟に行ったら他校の院生にまで付き合ってほしい、と言われている。ちなみに後者はザップが一緒だったので二秒後その院生は廊下にザップによって転がされた。こいつと今付き合ってんの俺だから、という常套句を言った後、いつもみたいにキスされてレオは硬直してしまった。わざわざここまでしなくてもいいでしょ、と言いたかったが矢鱈と楽しそうに笑っているザップを見たら、何も言えなくなってしまった。
冷静になってみるとそこまでやっているのだから噂になっていてもおかしくない。別段昨日のやり取りを見ていなくても、ビビアンがレオとザップのそれを知るのは時間の問題とも言えた。
「…………。」
黙ってのろのろと教科書とノートを開き始めたレオに、だからどーしたとザップが話しかけてきたが、丁度その時教授がすたすたと姿勢よく教室にやってきた。それじゃ始めるよという声に、ザップは仕方なさそうに黙って前を向く。彼が折れ曲がったルーズリーフを鞄から取り出しているのが、レオの視界に映った。
ゼミは問題なく終わった。「…疲れた」そう言ってザップはレオのところにのろのろとやって来て、飯行くぞと普通に言ってきた。そういえば俺が奢る話になっていた、とレオは思い出す。「…はい」こくんと頷いて素直に立ち上がると、ザップはまた怪訝な顔をしてレオを見下ろしてきた。
「…だからなんだよ。何でおまえそんな落ちてんだめんどくせー。何かあんなら言えよ」
「別に何もないです。俺だって疲れてるんですよ」
毎日のせいで、と溜息を吐いたレオに、それはそーだなとザップはうんうんと頷いた。いかに彼でも一応レオのこの状況には同情しているらしい。「…飯どこ行くんです」「ミシュランの、」「行けるか!」そう話しながら教室を出たレオの腕が、突然がしりと掴まれてレオは当然ぎゃあと声を上げた。
「な、」
なに、と言いながら腕の持ち主を見る。知らない学生がいた。「………あ、あのう」このパターンがここ最近多過ぎる、とレオは泣きたくなりながらそうよろよろと口を開いた。その学生に何かを言われる前に、何が起きるかなんてわかり切っていた。
しかしその学生が口を開く前だった。ぐいとレオの肩が後ろに引っ張られる。「わっ」「………あのな昨日言っただろ」そうザップは面倒臭そうに言うと、こいつと今付き合ってんの俺だから、と怠く言って溜息を吐いた。その口調から察するに、どうやら昨日食堂で揉めた相手と言うのはこの学生らしい。黙ってレオは正面に顔を戻す。よくよく見ると、その生徒はどうやらレオより年下だった。この大学の系列の高校の制服を着ていたからだ。そういえば今オープンキャンパスの時期だ、とレオは思い出した。通常夏休みに行うそれを、今年は校舎の改修工事が原因で早めます、というのをホームページや掲示板に学生課が地味に告知していた。
「だから離せ」
そうザップは低い声で言うと、レオのことを更に引っ張った。しかしその、どうやら高校生はレオの手首を掴んだまま、お願いしますとそう言って頭を下げてくる。「………。」どうもこんな風に来られるのは苦手だ、と思いながらレオはそれでもいやその、と曖昧なことを言う。大体まだ何をお願いされるのか分からない。
付き合ってくれなくていいから、とその高校生は言った。キスさせて下さい、と言われてレオは流石にひっと息を飲み込んで、自分の手をぐいと引っ張った。しかし未だ右手は解放されない。「……あのな」そういうことをレオはともかく、とザップは呆れたように言って肩を竦めた。
「…俺が許すと思ってんのかよ。ガキは帰れ」
そう言ったザップの声はやっぱりいつもより低いし剣呑だった。誰がどう聞いても分かる。怒っている。けれどそれに加えて、とレオは気が付いた。苛立ちも混じっていた。怒りと苛立ちは微妙に違うのだ。このコンボの状態の先輩は基本的に手が付けられない。何を言っても大抵暴れる。だからレオは、ヤバイなとこの張り詰めた状況にぞっとした。下手なことを言ったら大変なことになる。
高校生らしきその生徒は泣きそうな顔になると、でも好きなんですとそう言ってレオの手を掴んだまま、お願いしますとそう必死に言った。「……いや、あの」一体どこでそんなに僕のことを、と言いかけてはっと気が付いた。今年の三月、大学受験が終わってから、レオがバイトしていた塾の生徒の一人だ。「あ」レオが気が付いたことにその生徒も気が付いたらしい。少し嬉しそうな顔をして、レオのことを見つめてきたので更に困った。レオからすれば生徒の一人と言うそれだけで、しかもそんなに長い期間、多い回数バイトをしていた訳ではない。酷い話かも知れないが、名前も覚えていなかった。ただしそれは無理もない。レオは講師ではなく事務方のバイトをしていたのだ。
「…知ってんのか」
微妙な態度に気がついたらしいザップにそう問われて、レオは悩んだが結局こくんと頷いた。高校生が益々嬉しそうな顔をして、お願いしますと言って頭を下げてくる。「…や、あ、あの」それはとレオが困惑しながら言うと、それじゃあと学生は食い下がるように、言った。手でいいから、と。
「……手?」
手って、とレオが首を傾げると、手です、と言われて掴まれている右手が少し引っ張られる。「………。」手かあ、とレオはそこで少しだけ、態度を軟化させた。なんか、手くらいなら別に良いような気もする。なんかよく、映画とかドラマとか絵本で見る、王子様がお姫様に対してしてる、あれでしょ?まあああいうのなら、とレオは思ってああそれなら、と言いながら頭を掻いた。
「…そのくらいなら、い――――」
途端にぐいと思いきり身体が引っ張られた。「わあ!?」右手が解放される、というよりは無理矢理解放された。ぽかんとした高校生がレオの手を掴んでいた体勢のまま固まっている。
「…帰んぞ」
ほら、と言いながら腕を引っ張られた。「わ、あ、ちょ、ちょま、転ぶ!転びます!」大抵そう言ってもザップはレオを無視するが、その日は違った。ザップが足を止める。「…え?」どうしたんだ、と思う前にぐるりと先輩はこちらを振り向いた。
怒っているかと思ったが怒っている顔ではなかった。
レオが知らない顔だった。
「………、…あの、…ザップさん」
どうしたんですか、と言おうとする前にザップはまた踵を返すと、行くぞと低い声で言ってレオを引き摺るようにして、歩き出した。「あ、ま、待って」転びます、と言ったが今度はザップは止まってくれなかった。
そっと後ろを振り向くと、高校生がぽかんとしたままこちらを見つめている。「………。」ごめん、と思うのも何だか違う気がしてレオは彼の視線を振り切るように、正面に向き直った。
スクーターを停めている場所まで来て、漸く手が離された。強く握り締められていた手が痛い。「……、」何かを言おうと思ったが何を言えばいいのかよく分からなかった。仕方なく、ザップさんと言おうとした時だ。
がん、と言う音にきょとんとした。「………え」ザップがなぜか隣に停車されているスクーターを蹴飛ばしていた。「え!?ちょ、ざ、ザップさん!」何してんですかと言って慌てて彼の腕を掴む。思いの外ザップはすぐに足を止めたので、こちらが止めたのにも関わらずレオは驚いた。
「……、………。」
無言でザップがこっちを向いた。「…おまえ」何してんだよ、と言われてレオはきょとんとした。それはこっちの台詞だ。今正にこの先輩は他人のスクーターを蹴倒して、しかもその後スクーターとバイクのドミノ倒しを起こそうとしていた。だからそう反論しようとしたレオだったが、ザップがぎろりとさっきみたいに剣呑な目つきでこちらを睨んできたので、思わず黙る。な、何だ。どうしたんだろうとレオはわずかたじろいだ。
「…な、なに…」
「何キスされそうになってんだっつってんだよ!」
唐突にザップがそう言ったので、ぎょっとした。「…へ?」「お前マジでバカじゃねーのか!?あーいう手合いは一回いいって言ったら食い下がってくんだよ!最終的に犯されんぞ!」「お、」犯される?と思わず復唱してしまった。
「…で、でも相手は高校生ですよ。幾ら俺だって」
「大して歳変わんねーだろ。そーいうのがアホかっつってんだよ」
吐き捨てるようにザップは言うと、スクーターに座ってバカだろともう一回レオを罵った。「………。」言っていることはまあ分かったにしろ、なぜそこまで言われなきゃならないんだとレオは流石に眉間に皺を寄せた。普通にむっとした。
「…な、何でそこまでアンタに言われなきゃなんないんですか」
「ああ?」
じろ、とザップがまた睨んできたが今度はレオは黙らなかった。「……だ、だってそりゃ、俺だって別にそん…、ざ、ザップさんが言うような目に遭いたい訳じゃないし、てゆか遭いたくはないけど」「………。」ザップもレオに負けじと腹が立った顔をしている。けれどやっぱりレオは黙らなかった。
「……、…俺が」
そこでごくんとレオは唾を呑みこんだ。
――――だって。
――――――ザップさんは俺だけじゃ。
「…っ俺がそーいう目にあったとしてもザップさんには全然関係ないじゃないですか!!」
―――俺だけじゃない癖に。
そう言った途端だった。ザップが立ち上がった。「………おまえさ」本気でそーいうこと言ってんのか、というその声はレオじゃなくても分かっただろう。明らかにさっきより怒りが増している。「………当たり前でしょ」そう言った声が少し震えていた。何だか泣きたくなった。何でわざわざこんなことを、と言いたくなる。別に敢えてこんなこと言わなくてもよかったのに。八つ当たりだ。付き合っているのかいないのか曖昧だったけれど、そんなのはザップの自由だし。だいたい。
好きだと言われたことすらないのに。
ぐいと顔を上げられた途端だった。明らかに怒っていたザップの顔が、唐突に驚いたような、困ったような、つまり困惑した顔になった。「………、…。」なんだ、とレオが思う間もない。なんだよ、とザップの方が反対に口を開いた。
「…何でそんな顔してんだよ」
「…………そん、な、…かおって」
どんなかおです、と言おうとしたがその前にザップがぐいとレオの前髪をかき上げたので、にゃあと変な声を上げてしまった。単純に驚いたのだ。「…っな、」なんですか、と言いながらレオも困惑する。「………どーしたんだよ」だから、とザップは首を傾げる。明らかに混乱していた。そもそもこんな風に子供っぽい仕草をするような男ではないのだ。
「…やっぱレオ、お前。今日おかしいぞ」
「お、おか…っ、おかしくないっすよ!いいからちょっと、痛い、」
「………なんだよ」
怒鳴って悪かったよ、とザップはつい一分くらい前のことをいとも簡単に謝ってきた。まず謝るという行為についてもそうだったが、すぐさま前言撤回とでも言わんばかりの態度を見せてきた先輩にレオはぎょっとする。「……ど、どうしたんですか」思わずレオの方こそそう聞いてしまった。さっきからお互い鏡のように同じ事を言い合っている。
「…………。」
ザップは黙ってレオのことをじっと見ていたが、おもむろに顔を近付けて来たからレオは避ける暇がなかった。あ、と思った時には唇が塞がれている。唐突にやってきた展開に頭も手も、身体も何もかもついていかなかった。
「…っ、ん、…」
口が離れた後にはあ、と息を吐いた。「…な、…なん、…」なんですか、と言おうとしたら耳が思い切り舐められた。「ぎゃあ!?」上ずった声を上げて手でばしんとそこを押さえると、なんだとザップはほっとしたように息を吐いた。
「…耳でも開発されてんのかと思ったわ。あーよかった」
「な、ななっ、なに!?何言ってんですか!?」
「…いやお前、手はいいみてーなことさっきあのガキに言ってたから」
もう耳も誰かに触らせてんのかと思ったんだよ、とザップは言ってすとんとまたスクーターの座席に座る。「そ、そんなわけないでしょ!?手と耳は全然違いますよ!」「バカかおまえ。同じだよ」「お、」おなじ?とレオは耳を押さえたまま問いかける。
「同じだろ。おめーの身体じゃねーか」
「……、…そ、そうだけどなんか、こう、…レベルって言うか」
段階っていうか、とぼそぼそと言ったレオに、ふんとザップは鼻を鳴らした。「だからそれが駄目だっつってんだよ。手がいいなら次は頬にもいいですよね、とかいけしゃあしゃあと言ってくるぞ。おまえどーいうわけか年下には自棄にあめーかんな。ぼーっとしてる間にどっかで犯されるぞ」「………。」そういうものなのだろうか?そんなわけないと言いたかったが、何だか矢鱈説得力があったせいでレオはこくんと黙って頷いていた。
「……ごめんなさい」
そう言った後はっとする。何で俺が謝らなきゃなんないんだ?大体、とやっぱりさっきと同じことを思う。万が一俺がそういう目に遭ったとして、と思いながら顔を上げた。そう、やっぱり。
―――この人には全然関係ないじゃん。
そう思ったのは無論ザップの知るところではない。黙ってザップはレオを見下ろすと、いいよと何がいいのかよくわからないことを言って、ぽんとレオの頭を撫でた。「…………、……。」横顔は少しだけ、安心しているように見える。一体何に対してなのかレオにはさっぱり分からなかったけれど。
その後二人で中華料理屋に行って夕飯を食べた。炒飯とラーメンを頼んでいる先輩の前でレオは天津飯を頼み、ぼーっとしながら食事を終える。会計をする段階になって、ザップの分も出そうとしたレオの手がなぜか止められた。「え」「いい」そうザップは物凄く信じがたいことを言うと、自分の分は自分で支払った。毎度、という店員の声を受けながら店を出る。駐車場までやってきた後、あのうとレオは恐る恐るザップに話しかけた。
「なんだよ」
「…今日の会計って」
俺が払う予定だったんですけど、と自分でもアホなことを言っている、と思いながらそう口にする。どう考えても藪を突いている。ザップは少し考えるような顔をしたが、別に、と何だかよくわからないが若者がよく口にすることを呟いた。
「いーよ今日は。…ああ」
んじゃ代わりに、とザップは言って、なぜか少しだけ悪戯っぽく笑った。性格は子供みたいな男だったが、そんな顔をするのは物凄く珍しい。だからレオは一瞬呆気に取られた。そのせいかどうかは分からない。反応が遅れた。
ぐいと顔を上げさせられる。あ、と思った後に慌てて眼を瞑る。しかし予想していた感覚がこない。「……?」あれ?と思ってそろそろと目を開けた。すぐ目の前にザップの顔があって、レオは思わず息を呑んだ。先輩の薄い灰色の眼が、いつかみたいに穏やかな色をしてレオのことを見ている。
「……ほら」
「…っ、え、…え?」
ちゃんとさ、とザップはまるで歌うようにしてそう言った。
「………ちゃんと分かってろよ」
俺だけだろ、とレオにとって意味不明なことをザップは言うと、今度こそというようにレオの口にキスをした。「っ、」なにが、と言いたかったが言えない。口を塞がれていたせいもあるけれど、そうじゃなくても言えたかどうかは怪しかった。耳に指が這ったせいでびくりと身体が震えたのが分かる。呼吸が苦しい。心臓がまるで喚くみたいに煩く鳴り始める。
「……あ…、」
口が離れてからレオが言えたのはそれだけだった。真っ赤な顔をしている自分を見て、ザップはやっと、いつもみたいに嬉しそうな顔になる。いつも一番レオがよく見るザップの顔になった。
「…………、……。」
ぼーっとその顔を見ていたら唇が舐められた。「ぅやっ」ぎゃあ、とばかりに身を竦めるとおまえこれホント慣れねえなとザップは呆れたように言った。「な、なな、慣れません!…っ…て、てゆか」慣れるわけないでしょとレオはぼそぼそと言って目を逸らした。なんで、とザップの怪訝な声がする。だからそれはこっちの台詞だとレオはまた言いたくなった。質問の答えには答えたくないから答えなかった。ザップの服を掴みながら、俯きながらザップさんこそなんで、と震える声でそう訴える。
「…な、何でいっつもそ、そやって俺に、き、キスするんです」
「あ?そりゃーだっておまえ」
付き合ってるからだろ、といつものそれが耳に入る。―――だから、とレオは思う。目をぎゅうと瞑りながら、それはと泣きそうになりながら口を開いた。
―――それはだから、そうじゃないじゃん。
具体性の欠片もない。けれど結局レオはそれを言えなかった。「………。」無言で顔を上げる。またザップが何だよだから、と今度は苦笑気味に言ってレオの頭を撫でる。「…そーいう顔すんなって。……じゃねえと」今度は彼氏に犯されるぞ、と本気なのか嘘なのか分からないそれを聞いた後、何かを誤魔化したくなってレオは先輩に抱き着いた。一瞬呆気に取られたようにザップは動きを止めたが、結局おかしそうに笑った。その声はレオの耳に入ってきたけれど、何も言う気が起きない。何を言えばいいのか、分からなかったのかも知れない。
帰り際にそれじゃあと言ってスクーターから降りたレオを見て、おうとザップはいつもの如く手を上げる。「…おまえ明日」「…バイトです」「あー、マジか」わかったとザップは何がわかったのかさっぱり分からないことを言うと、そんじゃなとそのままスクーターを走らせて帰って行った。見えていないと分かってはいたが、レオはその後姿にひらひらと手を振る。のろのろと自分の部屋に帰るとぱたんとベッドに寝転がる。
「……………。」
何だか泣きたくなった。けれど、とレオは思いながら目を瞑る。一体何がその原因なのかレオにはまだ分からない。ちっとも分からなかった。でも、とシーツに皺を作りながらレオは思う。
―――たぶん分からないままのほうがいい。
そう思って、寝返りを打つ。掴まれた時の手の感覚より、キスされた時の口の感触より、弄られた耳より。
ちゃんと分かってろよ、というザップのあの言葉の意味が。
どういう意味なんだろうというそればかりが気になった。
終
これの続きはこちら。