矢も楯もたまらず

2015/10/04

2016/01/08(改稿)

一月になってから三週間、成人の日という行事は僕ら高校生にとっては連休の一部という認識しかない。そんな連休明けの試験期間もとっくに終わり、そろそろセンター試験が始まりそうな頃合いだった。
ぼーっとガードレールに寄りかかって先輩を待っていると、ふと冷たいものが顔に当たることに気が付いた。「…あ」雪が降ってきたのだ。
ばん、と大きな音にはっと目を向ける。目の前の店から、僕の一つ上の先輩がドアを乱暴に開けて戻ってくるところだった。
「もーぜってーテメーの店で買わねーよバーカ!死ね!」
うわあ、と思わず顔を顰めたが、店の中からも同じような罵倒が聞こえてくる。「んじゃー早く金返せこのクズ!」「お客様だろーがこのデカブツ!」そう言ったかと思えば先輩はばん、と更に大きな音を立てて店のドアを閉めた。今時自動ドアじゃないのって結構珍しいよな、と思いながらお帰りなさいとげんなりしながら声をかける。
「よー。ご苦労」
そう憎らしいことを言いながら、一つ上の先輩であるザップさんは手を上げた。ほんとだよ、と思いながら僕は自分のマフラーを巻き直した。寒い。
「…あのー、何でいっつも俺を中に入れてくれないんですか?」
「何でだろーな」
この答えは誤魔化す時の常套句だ。いつも答えてくれないんだよな、と思いながらも僕は背後の店をちらりと見つめる。何屋なのかすらも分からないが、一回だけ見たことがある店主は大柄で長髪、それからサングラスをしていた。パトリック、とザップさんは呼んでいるがそれが本名かどうか、僕は知らない。

今までだって冬まっただ中だった筈なのに、更に寒さを感じる今の時期には閉口する。僕はロンTの上にワイシャツ、更にその上にはカーディガンを着ていた。更に制服の上にはコートにマフラー、それから手袋をしている。しかも雪が降ってくるのだからこれは寒い。傘を持って来ておいてよかった、と安心した。
隣に突っ立っている先輩はさみー、と一言言うと煙草を咥えだした。幾ら学外だといっても往来で堂々と喫うのはいかがなものなのだろう。僕らどっちも制服だし。こんなとこ見られたら四月に入学予定の大学に合格を取り消されるのではないのだろうか、と僕が危ぶんでいるのを知ってか知らずか、先輩は更にポケットからライターを取り出す。喫う気満々だ。
「ちゅーか雪か。どーりでさみーと思った」
そう言ってザップさんはにしてもお前ソレ着込み過ぎだよ、と呆れたように言った。この人はと言えばコートは着ているがマフラーは巻いていない。僕のように手袋もしてないし、しかもワイシャツとカーディガンは着ているけれどブレザーを着ていないのだから寒そうだった。
「だって寒いでしょ」
「脱がすの面倒じゃん」
どうでもよさそうにどうでもよくない事を言った彼は、ふうと煙を吐き出した。触れるのは嫌だったので、僕はそれをスルーすることにした。色即是空色即是空。雑念を散らしたい。
「えーと。あの。…傘持ってます?」
何とかそう聞いた僕に対して、ザップさんは当然のように首を振った。よくよく考えたらこの人が傘を使っているところを見たことあっただろうか?流石にそれは大袈裟だとしても、梅雨時も台風時も自分で自分のらしき傘を持っているのを見たことがない。大体隣に並ぶ女子が持っていたのであろう傘を差していた。なぜ分かるかと言えばチェックとかドットとか、ともかく柄物が多かったからだ。
「レオは持ってんだろ。んじゃいーじゃん」
つかまだ差さなくても平気だろ、と言いながら上を向いたザップさんの頬に、雪が落ちる。熱ですぐ溶けたそれを見つめながら、そーですけど、と僕は肯定する。天気予報では降る確率は半々ですとのことだったが、僕はこの可能性を考えて折り畳みではなく普通の傘を持ってきた。無論コンビニで買ったビニール傘である。柄物を使うのは、大人か女の子だけなのだ。偏見。

んじゃ帰ろーぜ、と言ったザップさんにはい、と頷く。自然に手を握られてうわ、と思わず動きを停止してしまう。なんだよ、と変な顔をした先輩は僕を見下ろして、思わずといった風におかしそうに笑った。こ、この野郎。僕は反対に少しむっとした。ここで照れられる程、僕は可愛くない。

付き合ってから大体どれくらいになるだろうか。確か夏の終わりくらいから付き合いだしたのだから、大体半年くらいになる。何がどーなってこうなったのか非常に説明し難いけど、僕とこの先輩は付き合っていた。若気の至りと言っていいかも知れない意味で、付き合っている。…べつに若さのせいにするつもりは毛頭ないのですが。
「あのー…ここは結構往来ですけど」
「そーだな。知らん」
「ええー…」
そうは言いつつも僕だって手を振りほどこうとはしないのだから、満更でもないのだ。人に見られる可能性はなきにしもあらずというか、あり過ぎるくらいあるのだが、つい。ついついこういう事を簡単にしてしまう。

そこであ、と気が付いた。

「…あのーザップさん」
「ん?なんだよ」
一回手を離してください、と僕が言うとザップさんは怪訝な顔になったあと、露骨に不機嫌ですとでも言いたげな顔になった。何という分かり易い人だ、と僕は呆れて笑ってしまった。何だよ、と隣の先輩は怒った様子でそう言う。
「いや、ちょ、…そ、そんっな……分かり易い…」
「………よし決めた泣かす」
そう低い声が聞こえたかと思いきや、ぱちんという灰皿の閉まる音がして直後、ヘッドロックをかけられた。ぎゃあ、と僕は騒いでやめてくださいって、と言いながら彼の腕を押さえる。喚いた割にまだ爆笑が収まらないから、ザップさんは益々むっとしたらしい。このヤローなんだよ、という声が耳元で聞こえて僕は反対に益々笑ってしまった。ちなみにここは駅前の大通りである。但しこの程度だったら高校生がふざけてんな、と思われる程度で別段不審ではない。煩いけど。
「ちが、ちがいますってちょっとモー、放してくださいよ!」
「何がちげーんだコラ。どこにそれはかかってんだよ」
「だから、…ちょ、マジで苦しい苦しい。やめてくださいって」
「何でも言うこと聞くから許して下さいと言えば離してやる」
「そんな終わりの言葉誰が言うか!ちょ、マジでやめ、やめてって」
ぎゃんぎゃん喚きながらアーケードに差し掛かる。屋根があるから今度こそ傘は必要なくなる。少しだけ外より暖かい気もしないでもない。
ザップさんはアーケードに入るとやっと僕から腕を外すと、拗ねたように舌打ちして今度は自分のポケットに両手を突っ込んでしまった。一回って言ったじゃん、と僕は思いながらも自分の喉を押さえてごほごほと咳をした。全く手加減してくれない。いつもながら一体どーいう人なんだ。
「…あの、あのですね?俺は一回って言ったでしょ」
「一回も百回もねえ」
「意味がわかりません」
そう言いながら手を繋いでいた方の手袋を外して鞄に突っ込んだ。一歩だけ前を歩いていたザップさんに追いついて、はい、と言いながらさっきまで手袋に包まれていた手を差し出す。怪訝な顔をした先輩はなにが、と全く訳が分からないと言った様子で僕に首を傾げた。
「…いや、あの。す、素手の方がいいなーって」
言いながら自分に辟易した。こんなはずではなかった。そもそもが自然な流れで手袋を外して手を差し出すはずだったのに、この人がめんどくさい反応をするからわざわざ説明する流れになってしまったのだ。顔が赤くなった気もしたが、僕は素数を数えることによってそれを回避した(筈だ)。
ザップさんはきょとんとしていたが、ああそう、と非常に淡白なことを言うと僕の手をひょいと自然な様子で掴んで、僕を引き摺る様に歩き始めた。ええ。いや、別にいいですけど何なんだその反応は。僕がアホみたいじゃねーか。そう思いながら慌てて足を速めて彼の隣を歩き出す。そりゃアンタにとってはどーでもいいことでしょーけど、と思いながらちらりと先輩の方を向いたが、そっぽを向いていて顔はよく見えなかった。


「…ってことがあったって今日猿から聞いた」
「ぎゃああああああ!!!死にたい!!!!」
ばたん、とそのまま倒れたい衝動に駆られたがそういう訳にもいかない。何を今更、と淡々と言いながら飲むヨーグルトを飲んでいるのはやっぱり一つ年上の先輩で、名前をチェイン・皇さんと言った。黒い髪に黒い瞳、加えて身体の一部が非常に豊かであるとか言うと蹴られるから言わないけど、ともかく美人だ。ちょっと冷たい感じもあるかも知れないけど凄い可愛い。綺麗な人だった。部活がたまたま一緒だった為僕は知り合ったのだが、ザップさんとは中学校から高校である今に至るまで全く同じクラスだということだった。お互い仲はいいかと言えばそんなことは全然ない。寧ろ仲が悪い。会う度にザップさんが一度は蹴られているのだから、たまに僕ですら同情する。
「…ああ、それ僕も聞きましたよ。昨日の夕飯の時」
隣に座っていたクラスメイトのツェッド・オブライエンさんがそう言って僕は益々頭を抱えた。彼はザップさんの義弟で、つまり家族だ。
それより。そう、それよりだ。
そーいうのって人に言うもんじゃねーだろ!ていうか何?嬉しかったの?じゃあ何でその場でそう言ってくんねーの?全然俺たち以心伝心したこと一回もないんだから言ってくれないと俺だって分かんないからね?そう思いながらばたんと机に突っ伏した。
「にやにやしながら可愛かったとそう仰せでした」
「………やめてください死にたい」
「いーからソレちゃっちゃと書いて。今日先生に提出するんだから」
どうでもよさそうに、そして実際どうでもいいのだろう。チェインさんはそう言いながら原稿用紙を僕の前に置いた。うう、と呻きながら顔を上げると、彼女が机に置いたカメラレンズに机に突っ伏した僕が映っている。
「…チェインさんいいんですかこんなとこ来てて。受験生じゃないですか」
「もう私終わったって言ったでしょ。次は二人の番だからね」
無駄な反撃をした僕の一撃は本当に無為だった。ほんとにそうだ、と溜息を吐いて顔を上げる。チェインさんは僕が書いた広報誌の原稿チェックをしてくれていた。今日が締め切りのそれは今日、帰りがけに先生に提出することになっている。
僕と彼女は写真部に所属している。僕はこれと映像部に入っているが、彼女はこの写真部だけだった。たまに助っ人で別の部活に顔を出しているのを見ることもある。

彼女の言葉を聞いて、ああとツェッドさんがぱっと顔を上げた。
「合格おめでとうございます。えーと、確かうちの愚兄と、」
「言わないで」
ツェッドさんが口にしたお祝いの言葉は彼女のぐったりした声で遮られた。「やめて考えたくない。またあの猿と四年間一緒だなんて」
信じられないというか、いやむしろ信じられる話かもしれないが、チェインさんとザップさんはまたしても同じ学校に進級することが決まっていた。というより僕らが通っている学園は大学部と高等部があるので、殆ど内部生はすぐ上の系列大学に進級するのだ。同じ大学というだけなら会う確率も少なくて済むだろうが、二人はどうも全く同じ学部で同じ学科らしい。ザップさんはどーでもよさそうにそう言っていたが、それを僕に知らせてきたチェインさんの顔といったらなかった。怒りと悲しみが混在した表情をしていたのが未だにありありと思い出せる。このままだと就職先まで一緒なんじゃないですか、とふざけて言った僕のことを珍しくチェインさんは小突いてきたので、マジで嫌らしい。顔が引き攣っていた。

「…来年写真部は…するとレオくんとミシェーラさん、だけになりませんか?」
そうツェッドさんがおもむろに言って首を傾げる。僕が苦虫を噛み潰したような顔になるのを見て、ああやっぱりと何でもないことのように彼は言った。いや、やっぱりじゃないっすよ。ほんとやべーっすよ。今でもギリギリ3人なのに、チェインさんが卒業したら僕と妹であるミシェーラ・ウォッチの2人になってしまう。ちなみに今日僕の妹はHRが長引いているか何かでまだ来ていなかった。
部が認められるのは3人からだから、つまり来年から僕ら写真部は写真同好会になるわけで、僕からすれば冗談ではない。部費がかなり減る。
「そー思うならツェッドさん!入って下さいよ写真部!お願いします!」
「…でも僕もう部活入ってますし…」
「文芸部と映画部と剣道部と地学部と天文部ですよね!?だいじょーぶですそのうち一個を辞めれば入れます!」
「いや、辞めたくないですから」
部活の掛け持ちが認められているのは五つまでだった。その為ツェッドさんは写真部に所属することが出来ない。しかも彼は名前だけでなくきちんとその五つの部活すべてに顔を出し、全てで活動をしているのだから驚異と言っていいだろう。幽霊部員ならともかく、真面目に活動をしている人を辞めさせるわけにはいかない。僕はまた呻いて頭を抱えた。
「だから呻いてないで。ここ間違ってるよ」
「…チェインさんも少しあぐねて下さいよ。部長として」
「部長って言ってもさー…私がただ単に一番年長ってだけだし…来年はレオが部長になるんだから、四月になったら勧誘ガンバレ」
投げやりにそう言われて僕は再度がっくりと肩を落とした。それが嫌なのだ。嫌も何もやるしかないのだが、ともかくとしてそういう行為はちょっと苦手だ。最近の子供は怖い。そんな僕を見ておかしそうにツェッドさんが笑った。他人事だと思って、と僕が睨むとすみませんと言いながら益々ツェッドさんは口を押さえて笑った。だから笑っている場合じゃあないんだってば。

その後僕は誤字脱字を全て訂正してチェインさんに最終チェックをして貰った。これでいーでしょ、と言ってチェインさんが原稿を揃えた、正にその時だった。とんとん、というノックの音が聞こえて、僕はドアに目を向けた。

「オウ迎えに来てやったぞー。帰ろーぜレオ」

ノックをした意味は何なのか、僕らが返事をする前に勝手にドアががらりと開いてザップさんが突っ立っていた。既にコートを着て鞄を背負っているところを見ると、もう帰るとこらしい。ちなみに彼は名前だけ剣道部に所属している。
「来月コンクールがあるって言ったじゃないすか。まだ帰れませんよ」
「どーせ入賞しねーからだいじょーぶだって」
「いやなんか…よくもまあそう酷いことが言えますね…」
僕が引きながらそう言うと、何がだよとザップさんは当然のように言うと、つかつかと室内に入って僕の横にある木製の四角い椅子に座った。がたん、と椅子が音を立てる。
「あのさー部外者は入んないで。帰って。むしろ死んで」
「…オマエ俺の顔見る度それ言って飽きねえの?」
「飽きる前に何で死なないのかなって思ってるけど」
真顔でそう言うチェインさんに舌打ちすると、もー帰ろうってと言いながら椅子を鳴らしてザップさんが机に顔をぺたんとくっ付けた。面倒臭そうな顔だ。
「…と、言うか。あなた補習なのでは」
ツェッドさんが僕が撮った写真のアルバムを見ながら、つまり義兄の顔を全く見ずにそう言うと、何で知ってんだよとザップさんは訝しげに言いながら彼の義弟に眼を向けた。
「本当にそうなんですか。三年生が今この時期補習とは…」
「テメー鎌かけたな!?決まった今日の夕飯は刺身だ」
「また低俗な嫌がらせを」
ツェッドさんの苦手なメニューにしようとは、確かに低俗な嫌がらせである。そうか今月はザップさんが食事当番なのか、と思いながら僕はぺらぺらと妹が撮った写真が収まっているアルバムを捲っていた。なんか矢鱈僕の写真が多い気がする。手前味噌かなあ(ちょっと違う)。
チェインさんはいつもの如く冷徹な目でザップさんを見ていたが、結局溜息を吐いて原稿を再度揃えると、じゃあ帰り際に提出しに行こう、と僕に言った。そーですねと僕は頷く。外を見るとそれなりに暗かった。恐らく今日も雪が降るのだろう。昨日のそれは殆ど積もらず消えてしまったが、今日は積もりそうだと天気予報が言っていた。
「つーかマジでいつ終わんだよ。雪降る前に帰りたいんだけど俺は」
「先に帰れば?」
「テメーに言ってねえよ」
ていうかアンタ部外者でしょ、うるせえよという喧々諤々としたやり取りを横から聞きながら、いつものことだと僕とツェッドさんはまたアルバムをぱらぱらと眺めた。文化祭や体育祭、それから部活の壮行会なんかの写真が収められている。レオくんが撮った写真ミシェーラさんが多いですね、とかそんなことないですよとかそうやって会話しながら僕らは笑ってアルバムを捲った。
しかしページを捲っていた僕の手が止まった。
「…………………。」
突然僕が黙りこくったのを不審に思ったのか、どうしましたとツェッドさんが首を傾げた。「レオくん?」そう言われてはっとする。「あ、や、な、何でもないです」そう言ってごく自然、ごく自然にページを捲ろうとしたところでがしりと腕が掴まれた。げ、と僕は手の持ち主を見上げる。言わずもがな、左隣に座っているザップさんだった。
「…妹ちゃんすげーよく見てんな。マジで」
「げっ」
無駄な洞察力、と思いながら僕は反対側の手でアルバムを閉じようとした。が、その前にザップさんは僕の肩に顎を乗せると、アルバムに収まっている写真を楽しそうに見つめた。「すげーよく撮れてんじゃん」その声にツェッドさんがどれですか、と言いながら僕の手元にある写真を覗き込んでくる。やばい、と思いながら僕は今度こそアルバムをばしんと思いきり閉じた。チェインさんまで変な顔をした。
「…どーしたの?」
「?どーしたんですかレオくん。写真見たいんですけど」
そう言う二人に僕は引き攣った笑みを向けていやその、あの、と言いながらそろそろとアルバムを鞄に入れようと、試みた。これは最早家で処分しよう。そう思ったのだ。ネガは恐らくミシェーラが持っている。ネガを始末してそれから、などと考えていたのがいけなかったのかも知れない。アルバムがひょいとザップさんの手に、渡った。
「あー!?ざ、ザップさん!ちょ、かえ…返して下さいよ!」
「おおレオナルド、しんでしまうとはなさけない」
「誰が死ん、ぐふっ」
どす、と腹を普通に殴られた。そりゃ吐くとかそこまで痛いわけじゃないけど、通常の動きが鈍るくらいには邪魔が入った感じだった。何どーしたの、と言いながらチェインさんはザップさんの手元にあるアルバムを受け取ると、ツェッドさんと一緒に該当のぺージを探し始めた。二人とも基本僕に冷たいよね。酷いよね。
「ここここ。このへん」
嬉々としてザップさんが笑いながらページを捲った。いやだからじょーだんじゃねえ、と思いながらも僕はさっさとザップさんに押さえられていて動けなかった。「はーなーせー!ザップさん!」「へんじがない ただのしかばねのようだ」「ええ!?今はアンタが死んでんの!?」ぎゃあぎゃあと僕らがそうやって騒いでいる間、チェインさんはその写真に気が付いてしまったらしい。彼女は一瞬で目を氷のようにさせたかと思うと、下らないと言わんばかりにプイと視線を逸らしてカメラレンズの掃除を始めた。だから言ったじゃねーか!いや言ってはないけど!
一方ツェッドさんはどこが該当写真なのかまだよく分かっていないらしく、目を眇めるようにして写真を見つめている。よし!よしそのまま!そういえば彼はウォーリーを探せも苦手だった。よしきたと僕がガッツポーズをしたところでぱっと解放された。へ、と突然力が抜けたのでつんのめる。そんな僕を放置して、ザップさんがテメーマジ鈍いなーと言いながらすたすたとツェッドさんの隣に回っていた。オイ待て。待て!
「ここだってここ。こーこー」
「え?何が…」
「ちょちょちょちょま!!待った!ツェッドさんそこは知らなくていーところです!七不思議にしておきましょう!」
そう僕が言った途端、チェインさんがなぜか噴き出した。「きょ、今日日七不思議って…」そう言いながらくすくすと笑ってカメラレンズを机に置いて笑い始める。彼女のツボも何だかよく分からないが、ともかくそんなことを気にかけている場合ではなかった。…え?ていうか最近七不思議って言わないの?無いの?
ツェッドさんはじーっと写真を見つめていたが、遂にそれに気が付いてしまったらしい。脱力したように息を吐き出した。だから言ったのに!今度は言ったぞ。胸を張ってそう言えた。
ザップさんは超綺麗に写ってんじゃんとアホみたいににやにやしてそう言うと、な、と後ろに突っ立っている僕に同意を求めた。じょーだんではない。

ミシェーラが撮った写真は風景写真だった。中庭にある銀杏と特別棟の一部が綺麗に写っている。微妙に緑と黄色が混じっている銀杏が並んでいるのがメインだ。問題はそこではない。
銀杏の後ろの教室、それが僕が喚いている原因だった。
その教室の鍵は丁度その季節の頃消失し、ちょっとした騒ぎになっていた。つまり誰かがパクったか失くしたか、何にせよ鍵は消えた。半月程無法地帯と化したわけだ。らしいすよ、と職員室で先生が話しているのを耳にした僕がそう言った後、隣でそれを聞いていたザップさんはああなんだそうなのか、と当たり前のように言ってポケットからその教室の鍵を、やっぱり何でもないことみたいに引っ張り出した。ぽかんとした僕は思わずえ、と言いながら足を止めてしまった。
―――な、なんで?
―――落ちてた。
聞けば体育館と学校を繋ぐ通路に落ちていた鍵を彼が拾ったらしい。普通はそこで職員室に持って行くのがセオリーだと思うのだが、拾ったのが誰であろうこの人だったのがいけなかった。フツーにこの人はそのままそれをポケットにねじ込んだらしい。
―――よかったなー。
あの部屋内鍵あるし、とザップさんはにやりと凶悪そうな笑みを浮かべてそう言った。幾ら何でも僕だってその言葉の意味することくらい分かる。はははやめてくださいじょーだんは、とか何とか言ってその場は終わったのだが、案の定翌日僕は理科準備室で言葉にはし難い何とやらをすることになった。

―――だってオマエ保健室も屋上も校舎裏も体育倉庫もやだって言ったじゃん。

こんなとこで何でこんなことをしなきゃならないんだ、と五時間目が始まるチャイムを聞きながら文句を言った僕に、ザップさんはそう言い放った。
―――あ、あ、当たり前でしょーが!誰がいつ来るのかわかんないでしょ!
―――そんなこと言ってたら学校でヤれねーじゃん。
―――やんなくていーってことだと思います。
きっぱりとそう言ったが無駄だった。そもそももう本鈴が鳴っているのだから、今から授業に出たとしても遅刻だ。というわけで、半月くらい僕らはその場所を人には言えないような意味で使っていた。僕も僕で呼び出されたら行くんだから、満更でもないんだろと言われたら何も言えない。だって学生は基本的に金がないのだ。場所を常に求めている訳ではないけれど、まあそこはいいので割愛します。
無論、そんなに頻繁にそこを使っていた訳ではない(と思いたい)。半月後、業を煮やした先生たちは結局鍵を付け替えてしまったからだ。なのに、その写真にあるその教室の窓際には僕とザップさんが写っていた。よくよく見ないと分からない程度だったけれど、裏を返せばよくよく見れば分かる程度には写っているのだ。しかも問題は僕らが只突っ立っているだけということではない。カーテンを閉めようとしている僕に無理矢理ザップさんがキスをしているのが分かるように写っていた。

ぱたん、とツェッドさんはアルバムを閉じるとはいどーぞと何事もなかったように僕にそれを返してくれた。表情も別段いつもと全く変わらないので、僕は反対に怯える。クラスメイトにこんなことを知られて僕は一体これからどう彼と接していけばいいんだ。
「ツェ、ツェッドさんお願いします引かないでください。ちがうんです僕は嫌だってちゃんと言ったんですちがうんです」
それを聞いて隣でザップさんが喚き始めたが、そんなのに構っていたら僕は友情という名の何かを失ってしまう。違うんですよと必死でそう言いながら彼の手をがしりと両手で掴むと、ツェッドさんはええと、と困った様に言うとちょっと首を傾げた。

「……まあ、冬は寒いですからね」

直後一瞬沈黙が起き、最初に吹きだしたのはチェインさんだった。え?ときょとんとしてツェッドさんが慌てたようにそう言って、次いでザップさんも笑い始める。僕もぽかんとしていたが、なんというか、と思って苦笑いした。
「…でもそのフォロー、微妙でしょ」
そうチェインさんに笑いながら言われて、思わず頷いてはしまったのだけれど。
後々考えると女子の前でする話題ではなかった。こんなことだからモテないのだ。


そのあと数えて30分。それじゃ提出しがてら帰ろう、とチェインさんに言われて、途中でやって来たミシェーラも合わせて三人で職員室に出向いた。ツェッドさんは部活に戻り、ザップさんは職員室前で僕を待ってくれることになった。彼は基本職員室が嫌いなので傍に寄る事が滅多にないのだが、昇降口で待たれるのは僕が嫌だったのでそこで待って貰うことにしたのだ。露骨に嫌そうな顔をしたものの、ザップさんは分かったと不承不承頷いてくれた。
「昇降口で待ち合わせると付き合ってるみたいでいいのに。付き合ってるけど」
「…だからヤなんだよ」
妹は首を傾げてそう言ってきたが、僕がそう顔を顰めて言うとおかしそうに笑った。ふと気が付くと前を歩くチェインさんの肩も震えている。どうしてそこで笑うんだ。全然笑えない。
お願いしますと原稿を顧問のクラウスさんに渡した後廊下に戻ると、ザップさんが窓際にある手摺から身を起こした。「おせーよ」「じゃー死ねば」「だからテメーに言ってねーよ」顔を顰めてそう言ったザップさんの事をさり気ない動作で一回蹴ると、それじゃ帰ろうとチェインさんはミシェーラにだけ言った。はい、とミシェーラは笑って頷くとそれじゃあお兄ちゃんザップさん、と言いながら小走りにチェインさんの方に向かう。
「またね。ばいばい」
「またあした。レオ」
ひらひらと手を振ってミシェーラはチェインさんの隣に並んで昇降口に向かって行った。弁慶の泣き所を蹴られたらしいザップさんは、痛みのせいかしゃがんで呻いていたが、僕はひらひらと妹とチェインさんに手を振った。どうせ妹とはこの何時間後に会うことにはなるのだが。気を使ってくれなくてもいーのになあ、とちょっと照れ臭く思う。

外に出たらやっぱり雪が降っていた。あーほらやっぱり、とがっかりした顔をしてザップさんがスニーカーを乱暴に投げた。「雪降ってんじゃん。だから帰ろーって言ったのによー」ぶつくさ言いながら下駄箱の横に置いてある傘置場から、ビニール傘を一本ザップさんは取り出した。何だ傘持ってるのか。確かに昨日の夜と今日の朝の天気予報では雪が降ると言っていたのだから、幾らザップさんでもそれに備えてきたのかも知れない。
「珍しいですね。傘」
「え?いやこれ俺のじゃねーよ?」
そう言われて脱力した。つまり彼は勝手に他人の傘を物色していたのだ。「…それじゃ駄目でしょ。もとあった場所に傘返して下さいよ」そう言ったがえー、とザップさんは眉を下げてそう言った。えーって。いや、だからね?そういうことするのは泥棒と言うのだ。誰だって分かることじゃないか。
「パクんねーって。ただ明日まで借りるだけだから」
「や、その人に許可を取ってるならともかくとして、許可なしにモノを持って行くのは泥棒と言うんです。知ってますか?」
「知らねー」
いーからほら帰るぞ、と言い始めたザップさんの手から無理矢理傘を奪い取ると、元あった場所に戻した。あーコラ、と顔を顰めたザップさんの手を取って外に出る。本当にパクリかねない。借りるだけとか言っていたけど、大抵ああいうことを言う輩は翌日さっぱり返さないのだ。
「俺折り畳み持ってますから。これで帰りましょ」
「だってちっせーじゃん。折り畳みだと」
口を尖らせてそう言ったザップさんは、やっぱパク、いや借りてきた方がなどと現行犯染みたことを言いだした。今パクるって言ったよね?このままだとやっぱりマジでパクリかねない、と思いながら僕は肩を竦めた。
「折り畳みありますから。ザップさん差して下さい」
「だからそれだと肩とかさみーじゃん」
それを聞いた後よし、と仕方なく僕は意を決して口を開いた。本当じゃないけど嘘でもないその一言を言うために。

「…でもほら、くっついで帰れるからいいじゃないすか」

何でもないことみたいに何でもないことみたいに、飽くまで自然にさり気なく、と頭の中でアホみたいに唱えつつ言ったものの、実際は物凄く緊張した。たかだかこんな一言を言うだけで緊張するのだから始末に負えない。案の定僕の顔には徐々に熱が集まってきたし、折り畳み傘を持つ手にも同様に熱が集まり始めた。どこが本当じゃないんだろう。それこそ嘘だった。嘘だったらこんなに緊張するはずもないのだ。
「…………………。」
ザップさんはきょとんとして僕のことを見つめていたが、えーとほらだから早く帰りましょう、と早口で僕が言うのを聞いて、うん、とそう言ったらしい。傘を差して昇降口から出ると、ひょいと僕の傘を彼が手に取って歩き始めた。慌てて隣に並ぶと雪が傘に落ちる音が聞こえてくる。ばす、ばす、という馴染みのない音だった。
「…レオ」
「え。はい?なんですか?」
校舎を出るまで少し距離がある。校舎前の石畳を歩きながら、隣にいるザップさんが僕の名前を呼んだから返事をした。僕ら以外に庭には生徒がいない。体育館からはバスケ部のボールがぶつかる音、武道館からは剣道部の打ち合いの音、それから遠く離れた音楽室からは吹奏楽部の練習の音が聞こえて来ていた。いつもは校庭で練習している運動部の姿は見えない。雪のせいだろう。
ばす、と音がする。
「明日も雪だっけ?」
「たぶん。今週は今日明日がピークって天気予報で言ってたので」
「ふうん」
そんじゃ俺明日も傘持ってこねーわ、とザップさんは何でもないみたいに、それこそさっきの僕が目標にしていたような言い方でそう言った。え、と僕は思わず隣に並ぶ先輩のことを見上げる。「…で、お前はこの傘を持ってこい」そう言ってザップさんはやたら嬉しそうに、笑った。
「…な」
そう首を傾げられたら何も言えなくなった。なんかこういうのばっかりな気がする、と思いながら素直にこくんと頷いてしまった。作戦勝ちどころか僕はいつも作戦負けなのだ。中々顔から熱が引かないのには、毎度困る。

それから、また僕の鞄の中には手袋が片方だけ入っている。
意味は推して図ってほしい。


ちなみにネガはきちんと奪い取ったが処分できなかった。この辺が駄目なのだ。