ゼロひゃく

2017/03/14


「知らない」
そう言った自分に妹が本を取り落とした。


嘘でしょう、と言いながらずいと顔を近づけてきたミシェーラ・ウォッチに少し仰け反りながら、知らないって、とレオナルド・ウォッチは同じことを繰り返した。「だってそんな話したことないし」「知り合って何年経つのよ」そう聞かれて、レオはえーとと言いながら回想する。
「…出会ってからは二年目かな。入学式で初めて出会ったん、」
「その間一回もそういう話してないの?」
「ミシェーラ。人の話を最後まで、」
「それじゃもうザップさん」
誕生日過ぎてるかもしれないじゃない、と再度自分の言葉を遮って言われたので、レオは閉口した。昔からそうではあったが、妹であるミシェーラはたまにこうやって人の話を遮って話を続行することがある。人の話というか、レオ限定なのだが―――ともかく、とレオは言いながら持っていた雑誌を閉じて、妹の方に向き直った。
「何でお前がザップさんの誕生日を気にするんだよ。パーティーするの?」
「なんであたしがするのよ。しないわよ」
「それじゃーなんで」
これ、と言いながらぐいと突き付けられた本を見る。妹が今さっきまで読んでいた雑誌の中の一ページらしい。「…なに…?」そう言いながら横に座る妹の方にちょっと顔を寄せた。風呂上りだから、彼女の濡れた髪からは自分と同じ香りのシャンプーの匂いがした。雑誌よりも早く頭を乾かさないと風邪引くっちゅーに、とレオはそっちが気になってしまった。
「…えーと……ドライヤーは?」
「もー!それはあとでいーから!ほら」
そう妹は言いながら、またぐいと雑誌をレオの顔に近づかせてきたので、わかったわかった、と慌ててレオは少し顔を引く。近ければいいというものでもない。特にレオは眼がよかった。
彼女が開いた雑誌の見開き一ページには、大きな文字でこう書いてあった。

”相性占い☆★彼との相性★☆を占ってみよう♪”


誕生日、と復唱した先輩がストローから口を離した。「?11月25日だけどよ。なんだ。なんかくれんのか」「十一月?」それじゃもう来月じゃないすか、と言ったレオに、そーだよとザップ・レンフロはどうでもよさそうに言った。
屋上というのは基本的に侵入してはいけないことになっている。事故でもあったら堪ったものではないからだ―――が、今現在レオはこの先輩と屋上で昼飯を食べていた。レオは母親手製の弁当で、ザップもやっぱり義弟手製の弁当だった。俺は要らねえって言ってるのにあいつが毎日作るんだとザップは辟易したように言っていることが多かったが、その実結構それが好きなんだということはレオにも見て取れた。嘘を吐くのが下手というより、素直じゃないだけなのだ。大体文句を言う割に早弁したりしているのだから、全然説得力がない。ザップは食材の無駄を防ぐためだともっともらしいことを言っていたが、ツェッドですらはいはいと受け流していた。義弟の方が大人だった。
ともかく誕生日を聞いてレオは眉を下げた。来月か。去年の今頃何してたっけ?たぶんこの人と一緒にいたんだろうけど、誕生日を祝った記憶なんか全然ないし、そーいえば俺の誕生日にザップさんが煙草くれたことはあったけど、俺がこの人の誕生日を祝ったことってないような気がする。てゆか知らねーし。そう思ってそーですか、とレオは繰り返してちょっと考えた。
「…来月かぁ……」
そんじゃバイト増やさないとな、と思いながら箸で西京焼きを掴んだレオを見て、レオお前な、とザップが呆れたように言ってフェンスに寄りかかった。「バイト増やすとかそーいうのはやめろよ。そーいう系で欲しいもん別にねーから」「ぐっ」なんでわかったんだ、と慌てて顔を上げると、先輩は声と同様呆れた顔をしてレオを見ていた。
「…わっかり易いやっちゃのーお前………いーよそーいうんは。どーしてもっちゅーんならキスでもしてくれや」
「………キス?」
俺から?と真顔で言ってしまったレオを見て、おかしそうにザップは笑った。「あたりめーだろバカ。…お、ついでに」唐揚げくれよ、と言われたあと、ぼーっとしていたレオの弁当から唐揚げが消えた。あ、と思う間もなくレオの唐揚げがザップの口の中に消えていき、更には胃の中へといなくなってしまった。何がついでなんだ。全然ついでじゃない、とレオは思ったのだが文句を言うのはやめた。それよりも本当に誕生日にそんなんでいいのかなぁということが気になってしまったからだ。

先月から付き合いだしたとはいえ、ずっと友達だったお互いの関係に大きな変化があるわけじゃなかった。そもそもレオだってザップだって元々は女の子が好きで、しかもレオはつい三、四か月前に彼女にフラれたばかりなのだ。本来もう少し傷心に浸っていてもいいような気もする、と無常を感じながら日々を生きていたかったのに、なぜか先月辺りからこの男とこうなってしまった。既にキスどころかその先までガンガン進んでいるので、レオは今までなんで彼女の手の一つも握れなかったんだ、と自分自身を不思議に思った。幾ら”されている側”だとは、いえ。
本当にずっと友達だったし、それ以上のことをレオは望んでいなかった。
確かにザップの女癖は悪いし、未成年なのに飲酒喫煙は普通にするし、カツアゲにあっていたレオを助けがてら逆にカツアゲをするのは当たり前になりつつあったし、噂では学校の教員のブラック・リストに彼は入学式から名を連ねているらしい。
けれどやっぱりレオにとっては頼りになる先輩だったし、基本的にはいい人なんだよと友人たちに説明している通り、そう思っている。愚行と見えることばかりするけれどそれだけでもなかったからだ。ただ単に一言で言えば、レオはザップと一緒にいると楽しかった。
だから付き合うということになりはしたものの、何をすればいいのかよくわからない。今まで友達だったから、そこからいきなりいちゃいちゃするというのはハードルが高い(と、レオは思っているが先輩のチェイン・皇やミシェーラには微妙な顔をされた。理由はわからなかった)―――だからレオはたまに彼の後姿を見て思ってしまうことがある。
―――俺本当にこの人のこと好きなのかなぁ。
好きは好きで間違いではない。ただいつもザップの方からキスをしてきたりとか、手を繋いできたりとか抱き締めてきたりをするばかりだったから、レオの方から積極的にそうしたことはない。拒まないだけだと言われてしまえば頷けてしまう。レオから自発的に何かをする、ということが皆無だった。
―――だからもしかして。
やっぱりおめーとこーいうのはちげーわ、とある日ザップに言われたとしたらレオは自分がそーですかそれじゃ仕方ないですね、とすぐに納得してしまいそうな気がするのだ。想像してみても、大抵想像の中の自分はすぐに納得して次の日普通にザップと平気な顔で喋っていたりする。友達に戻ったってことなんだろう、と現実のレオはそう思って馬鹿馬鹿しくなるので、考えるのを大抵そこでやめてしまう。
実感がないのだ。きっとそうだ、とレオは結論付けている。好きは好きだけど。
いったいそれがどういう”好き”なのかレオはまだよくわかっていない。
一緒にいるのは嫌じゃないし、キスやそれ以外のことをすることも嫌じゃないってだけで。

―――本当にザップのことをそういう意味で好きなのかどうか、レオはよくわかっていない。

ごちそうさまでしたと言いながら手を合わせて弁当箱を片付ける。「そーいやレオ。結局なんだったんださっきの」「誕生日ですか?」そーだよ、と言いながらとっくに飯を食べ終わっていた先輩は煙草を咥えていた。レオはそれを見て顔を顰めると、だめですよと言いながらフェンス寄りかかっているザップの横まで移動した。
「バレたらやばいでしょ。学校ですよ」
「…お前の怒り方も微妙にずれてるよな。魚類はもーちょいちゃんと怒るぞ」
「ツェッドさんは優しいけど俺は優しくしませんからね」
そういってひょいと煙草を奪ったので、ザップがあ、と声を上げる。確かにレオもツェッドがザップにそうやって”ちゃんと怒っている”のを見たことがある。彼の義弟であるツェッド・オブライエンは未成年なのに何を考えてるんですか、とか健康によくないでしょうとか言いながら煙草をどこかに持って行ってしまう。てめえふざけんなよ俺の金だぞ、カツアゲでしょうが、と言い合いながら彼らが揉めに揉めている光景をザップとツェッドの自宅で見たのはつい先月のことだった。レオはザップから攻略を頼まれたゲームをしていたので別段不満はなかったのだが。
兄弟喧嘩が終わったあとにザップに謝られたが、なんでそこで謝られるのかレオはよくわからなかった。こんなんいつものことじゃないですか、と言いながら親指を動かしているレオに、ザップは呆気に取られたような顔をしたので、更にレオはよくわからなくなった。今までずっとこうだったのに、何で突然謝ったんだろう。だからレオはそう言ったのだが。
ザップはもしかしてそうじゃなかったのかもしれない。確かにその時、もうレオとザップは付き合ってはいたのだ。三日くらいしか経っていなかったけれど。
「てめコラなにすんだよ。返せ」
「だめです。これはスティーブンさんに預けます」
「ソレ卒業後も戻ってこねーパターンじゃねえか」
返せって、とザップは言うとレオの右手首を掴んだ。そうはいくかとレオもその手を振り払うべくぐい、と右手を自分の方に引き寄せる。しかしザップは思っていた以上にレオの手を強く掴んでいたので、手は振り払えなかった。
代わりに。
代わりにザップがレオの方に倒れ込むように身体を寄せてきたのでレオははっとした。「……あ、」「…お前の作戦勝ちだな」もう少し分かり易く誘えよ、という先輩の声は誰が聞いても弾んでいたので、レオはごくんと息を飲み込んでしまった。
思い切り目を瞑ると眼が痛い。
けれど本当は眼どころじゃない。眼以外にも痛い場所は沢山ある。「……、」口が離れた後に息を吐いてそう思った。「……舌噛むのやめてくださいよ」俺慣れてないんだから、と言ってそっぽを向いたレオを見て、ザップは馬鹿にしたように笑った。
そんな風に、馬鹿にしたような笑い方の癖に、そうやっている時のザップの眼を見るとレオはなんだかそれ以上は文句が言えなくなってしまう。
この人俺のことが好きなんだろうな、とそう言う時にレオは思うのだ。それから。
きっとこういう顔が本当なら。

人を好きになるってことなんだ、とそう思った。


妹にザップの誕生日を伝えたところ、彼女はきょとんとした顔になった。
「なんであたしにザップさんの誕生日?」
「いやなんでって…お前が昨日聞いてきたんじゃん…」
そう言ったレオを見ながらミシェーラはきょとんとした顔のまま五秒くらい固まっていた。五秒後、そういえば言った気がする、と言われてレオは脱力する。忘れてたのかよ。そらまあ確かに兄の恋愛相性とかどうでもいいかもしんないけど、とレオは思って溜息を吐いた。
そんなレオをじっと見つめて、ミシェーラがなんだ、と半ばおかしそうに言ったので不思議に思った。「なにがなんだなの?」「昨日はあんなどーでもよさそうだったのに、お兄ちゃんもそーいうの気になるんだなって思ったの」「そーいうの?」ぱらぱらと雑誌を捲りながら、ミシェーラはうん、と素直に頷いた。
「ザップさんとの相性」
「ち…っがうって。それはミシェーラが言ったから」
だからちょっと、と言い訳をしているレオを無視して妹はぱらぱらと雑誌を捲っている。しかし言い訳をしているレオの方も、言い訳しながら脳内で考え事をするという器用な真似をしていた。
――――気になるのかな。
自問自答する。相性という話になれば、今までの二年弱は一体何だったのか、と言われてしまいそうだ。しょっちゅう一緒にゲーセンに行ったり遊びに行ったり授業をサボったり、あまつさえレオが一年生の時の四月から一緒に昼飯は食べている。お互いの家に遊びに行ったりもするし、どう考えても相性云々の問題だ。今更そんなこと考える必要性もない気がした。
「……えーっと…おにーちゃんの誕生日が五月だから…」
そこまで言ったあと、ミシェーラがふと何かに気が付いたように顔を上げた。「そーいえばお兄ちゃんの誕生日、ザップさんは知ってたの?」「え」思いもかけないことを言われて、レオはぽかんとしてしまった。
「…聞いてないや。それは」
「なんだそーなんだ。ねえ今度聞いてみなよ。今年祝ってくれたんでしょ?」
「…覚えてないと思うけど。いちいち誕生日なんか覚えるような人じゃないし」
拗ねないでよ、と妹が苦笑する。拗ねてない、とレオは顔を顰めて言い返そうとしたが、その前に妹の方が先に口を開いてしまった。「あ、わかった。相性度143だって」「…ひゃく…、…いやソレMAXはいくつなの?」唐突に相性143です、と言われても手放しに喜ぶもないし、極端に落ち込むようなことも勿論なかった。半端な数字に戸惑いを覚える。
「えーと……、…んー、…よくわかんない」
「わかんないって」
「あ、でもあたしとおにーちゃんは528だったわよ。勝ったわ」
「ごひゃ…益々わかんないなぁ…」
そう言ったレオもレオでちょっと頬が緩んでしまったから始末におけない。そもそも兄妹で相性占いをすること自体、世間一般ではあんまりない。レオは友人に随所で妹離れしろよと散々言われているのだが、本人は原因がこういうところにあると全く気が付いていなかった。
それにしても528と143じゃ倍以上なんだけど、と考えているレオに、えーとねとミシェーラが雑誌を覗き込みながらそう言った。「…友達としては百点満点だって。でも恋愛関係になると0か100かのどっちかだって」その声を聞いてレオは途端に緩めた頬を元に戻した。
元に戻したといっても仏頂面とか拗ねた顔とか、そういう顔をしたわけじゃない。
その時のレオは鏡を見なかったので自分がどんな顔をしているのかはさっぱりわからなかったけれど。
「えっとでも……、……、お兄ちゃん」
どうしたの、というミシェーラの声を聞いて漸く我に返った。「え。…え?な―――なにが」「…あのね、当たるも八卦当たらぬも八卦って言うじゃない。しかも本格的なやつじゃなくて雑誌のなんだし。こんなことで気にしないでよ」「べ、別に俺は」気にしてないって、と言いながらソファに寄りかかって天井を仰いだ。お兄ちゃんってば、と隣で言う妹の声に返事をしなかったのは、別に占いの結果を聞いたからじゃない。
この結果聞いたらザップさんはどんな顔するだろう、とレオはその時ぼんやりと考えていた。


レオ、という声に顔を上げる。先輩が来てる、というクラスメイトの声に慌てて立ち上がった。教室の入り口に立っているクラスメイトに礼を言ったあと、廊下に出てドア前に立っている男をみつけた。「…ザップさん」どしたんですか、と言いながら頭を掻いたレオに、ようとザップは手を上げた。
「今日屋上じゃなくて北行かねーか。ベンチんとこ」
「へ。飯すか」
おう、と頷いた先輩にレオはちょっとだけ間を空けて、そら別にいいですけど、と一言言った。常に一緒に昼飯をとってはいるものの、場所は何となくでいつも決めていたから流動的だった。ここ最近はたまたま屋上が丁度よかったから屋上で食べていただけだ。
「んじゃ俺次移動だから」
そう言って教室に戻ろうとしたレオの肩が掴まれたので、怪訝に思って何すかと言いながら顔を上げた。「………お前」なんか元気ねえなと言われてレオはげっという顔をしてしまった。当然、ザップは不思議そうな顔をしたあとなんだよ、と言いながらレオの顔を覗き込むように腰を屈めた。
「…なんかあったのか。またカツアゲかよ」
「べ―――別になんもないっすよ。ぜんぜん」
この言い方は誰が聞いてもわざとらしかったが、ザップはちょっと眉を顰めたあとにならいーけどよ、と言いながらひょいと顔を元に戻した。こういう時、たとえ脅そうが何をおうがレオが引かないとわかっているのだ。これは付き合う前からそうだ。
「えーと…ともかく飯はベンチの方っすね。はい」
そう言ったレオに、ザップはおう、とそう言って仏頂面になると、レオをちょっと見下ろした。「…怒んないでくださいよ。何もないって言ってるじゃないすか」「るせーな。何も言ってねえだろ」そう言った割に、ザップはレオの腕を引っ張って歩き始めた。へ、とレオが思っている間に教室を通り過ぎ、廊下をずんずん進んでいく先輩の背中を見て、レオは漸く慌て始める。
「ちょ、ざ、ザップさん!俺次音楽室行かないといけなくて」
「あんだよ音楽か。んじゃこのままサボろーや」
「音楽バカにすんなよ!…ってゆかサボりませんって、携帯も置きっぱ……、…」
そこまで言って気が付いた。「…ザップさん次は移動なんですか?」「あ?いや政経だから教室。クッソつまんねー」そんな会話をしながら、廊下を通り過ぎて特別棟につながる通路の入り口までやってきてしまった。まだ秋の入りだとは言えちょっと寒い。
「…サボりませんよ。俺戻らないと移動の時間がなくなるから」
「五秒だから大丈夫だって」
「五秒じゃサボれないですよ」
何をバカな、と言ったレオの方をやっとザップが振り返った。そこでレオはついさっき気が付いたことを口にした。
口にしたというよりは、口を衝いて出たと言った方がいいかもしれない。
あまりレオはその時その言葉を意識していなかった。
「…移動のついでじゃないんならメールでもよかったのに」
小さな声だったがザップには聞こえたらしい。間を空けた後にあ?という半分くらいは怒ったような声がレオの耳に入る。”ような”というのが微妙なところで、けれどその時、少なくともレオには怒っているように聞こえたのだ。
「…なんでわざわざ」
いつの間にか俯いてしまっていた自分の眼には、お互いの上履きが映っている。レオの上履きはつい先日ザップが油性ペンで”陰毛頭”と酷いことを書いていたので、それを上から黒で塗り潰している。ザップの上履きは踵が潰されているし、なぜか物凄くくたびれていた。お互い買い替えた方がいい。
そんなことはその時どうでもよかったのだが。
「……やっぱさぼろーや」
ザップのそれに顔を上げる。途端に肩ごと引っ張られて抱き締められたので、レオはわあと声を上げた。「…や、で、…でも携帯が、」「お前携帯と俺とどっちが大事なんだよ」「…………。」思わず無言になってしまったレオに、オイこら、と言いながらザップがぺしんとレオの背中を叩いた。
「………ザップさんすよ」
そう言った自分の声は照れてはいなかったし恥ずかしがってもいなかった。可愛くねえ、と自分で思ったあと別段それでもいいのかと思ったりもする。どれと言われれば拗ねているような声だった。
けれどなぜかザップのそーだろ、と言った声はいたく機嫌がいいそれだった。のろのろと顔を上げたレオに、そーだよな、とザップはまた笑って言うと、そのままレオの手を掴んでまた歩き出した。「…………。」特別棟は音楽室もあるんだけど、とレオは思ったけれど、やっぱりいつものように口にはしなかった。


「うっしんじゃヤるか。服脱げ」
「待ってください」
生物準備室という、一体誰が使うのかさっぱりわからない部屋に入った直後言われたのがそれだったから、レオの反応はやむなしと言える。がちゃんという施錠の音を聞いてから嫌な予感はしてはいたのだ―――ザップがカーテンを閉めながら言った一言に、レオは首を振ってしませんよ、と続けた。カーテンを閉めたせいで部屋は少し暗くなった。
「何でだよ。ヤろーや」
「しないってば!あのねあんたは慣れてるからいーかもしれませんけど、俺は学校じゃヤりません!」
そう言って首を振ったレオを睨みながらなんだよとザップは言うと、カーテンから手を離した。「んじゃこっち来いこっち。何もしねーから」「…………。」これほど信用できない発言もない。引き攣った顔でレオは一歩後ろに下がったが、その辺にある段ボールにぶつかったので、わっと声を上げた。準備室はどこもそうかもしれないが、とても狭い。準備室というよりも物置とか納戸に似ている。
「ほらせめーだろ。来いってば」
そう言ってザップは窓の下に積んである段ボールの前に座った。自然に煙草を咥え始めたので、慌ててレオは漸く先輩のところに駆け寄った。「だーもうだからダメだって言ってるじゃありませんか!煙草は家で、」喫ってくださいと言いながら手にしたそれを見て気が付いた。
シガレットチョコだった。
「…あっ」
「…今日は俺の勝ちだな」
そう言った先輩の顔がにやりという笑みを作った。「別に俺は勝負してなんか、」ない、と言う前に口が塞がれてレオは何も言えなくなった。舌が突っ込まれる感覚と、その間に背中だとか腹を弄られる感覚にはいまだに慣れない。けれど一番レオが慣れていないのはこの後だ。
口が離された後、大抵お互いの間には唾液が伝っている。
レオが口を拭う前に。

「………レオ」

そんな呼ばれ方今までされたことなかった。付き合う前も、そして最中である今だってザップはレオの名まえを頻繁に呼ぶが、今みたいな呼び方を、ザップは絶対にしてこなかったのだ。
付き合う前までは。
いや、正確に言えば付き合っているのかいないのか、よくわからない中途半端な時期にはよくそうやって呼ばれるようにはなっていた。丁度レオが最後に付き合っていた彼女と別れて少し経ってからだ。今までとどう違うんだと聞かれるととても困る。だってそれを説明したところで、きっとレオにしかわからないし。
加えて言えばそんなこと。
レオは他人になんかわかってほしくない。

だからはい、と返事をする前に大抵レオは俯いて黙ってしまう。頬に触れてくる先輩の手だって、自分を引き寄せてぎゅっとレオの手に絡んでくる指だって、知らないことなんか全然ないのに。
抱き寄せられているたびに自分の方が知らない自分みたいでレオはとても困っていた。


寒い、と言ってくしゃみをしたレオにカーディガンが投げつけられた。「あたっ」「うるせーなもー。着てろ」「え、いやでも」ザップさんは、と言ったレオの眼にはザップがパーカーを着ている図が映っている。どうやら彼はパーカーの下にカーディガンを着ていたらしい。対してレオは本日ワイシャツの上にカーディガンベストだったのでちょっとだけ寒かった。朝は暖かかったのに、午後になるにつれて徐々に寒くなってきている。もう十月も半ばを過ぎていた。
「…そんじゃ借ります」
あざます、と言いながらもそもそカーディガンを着ているレオの横でザップはぱたんと寝転がった。寒くねーのかこの人は、とレオは思ったが、ザップはそんなレオに頓着せずにまた煙草を咥え始めた。「あっ。だからザップさん、」煙草はだめですよ、と彼の手にある煙草に手を伸ばしながら気が付いた。―――ん?あれ?これはもしかして、
チョコレートだと気が付く前にがしりと首を押さえられる。同じ手っつーのもだせーけどな、と言ったわりにザップの声は勝ち誇っていたのでやっとレオは顔を顰めたくなった。どーせ同じ手に引っかかる俺が悪いし単純ですよ、と思いながら慌てて目を瞑った。
「……なあ」
口が離れたあと、ザップが意味もなくレオの背中を撫でながらそう言った。女の子じゃないんだから、とレオは大抵文句を言うが、無論その抗議が聞き届けられた例がない。
「…な、……なんすか……」
「……………今日もう帰んね?俺の家今誰もいねーから」
「だ、ば、バカじゃないすか!?今さんざんヤっといて何を」
そう顔を真っ赤にさせて顔を上げたレオを見て、なんだよとザップは言うとにやにやと顔を嬉しそうに綻ばせた。物凄くアホみたいな顔だったが、レオはそれを指摘することなくなんですか、と不貞腐れた声で言い返す。
「俺は別にヤりてーとは言ってねーだろ。今家に誰もいませんって言ったんだよ」
「だ、…ッそ、それはずるいっすよ!あの言い方されたら誰だって」
益々顔が赤くなったが、ともかく言い返したレオにザップが爆笑した。「……………。」クソ、と自分自身に悪態を吐きながらカーディガンのボタンをもたもたと留める。本当に期待していたわけじゃなく、反射的にそう言ってしまっただけなのにこうなってしまった。「………。」何かを誤魔化そうと思いながら壁にかかっている時計を見る。恐らく今や音楽の授業は半分ちょっとが終わったところだろう。四時間目なのでこれが終わったらもう昼だったのだ。
「…あのー。元々こうするつもりだったんですか」
そう言って首を傾げたレオに、そんなわけねーだろとザップは顔を顰めて否定した。何がそんなわけないんだ、とレオが思ったのが伝わったらしい。マジだっつーにとザップは続けて否定する。
「なんかおめーが元気ねーからよ。俺の愛で元気をだな」
「愛?」
愛って言いました今、と思わず言ってしまったレオに、ザップはなぜかそこで黙ってしまった。ありゃ、とレオは意外に思ってきょとんとする。一応今のはツッコミのつもりだったのだ。確かにひねりがなかったかな、などと見当違いのことを考えているレオに先輩はごろんと寝転がって背を向けてしまった。
「え。…あれ。あのー、……ザップさん」
何すかそれ、と言ったがザップからは返事がない。「……………。」背中で語るのはいいけどこーいうところでそんな風に語られてもわかんないし、と思ってレオはずるずると座ったままザップの方に近づいた。「………わりーか」ザップのすぐ後ろまでレオがやって来た時、ザップがそう言ったのがレオの耳に入った。
「え?」
「…俺がおめーのことそーいう風に慰めんのはわりーのかよ」
その声が明らかに拗ねていたので、レオは謝るよりも、罪悪感を覚えるよりも、呆気に取られるよりも、なんだかおかしくなって笑ってしまった。「………おい」てめえな、と言いながらザップが起き上がってきた気配がする。顔を上げると今度こそザップが不貞腐れた顔をしながらレオを睨んでいた。ぐいと引っ張られて頬が伸びている感覚がしたが、それでもレオは笑うのがやめられない。
「……って、…いてて、…ちょっと、」
やめてくださいよと言いながら自分の頬を引っ張っているザップの手に、自分の手を乗せた。
途端に頬を引っ張る力は緩む。「………すんません」そう、やっと謝ってレオは何となくそのままザップの手をぎゅっと握る。そこで遂にレオの頬を抓っていた力はゼロになった。
「………………。」
ザップが変な顔でレオを見ている。「…あのー」「……なんだよ」「……学校はサボれませんけど」「あ?」放課後ザップさんの家に行きたいです、と言ったレオを見て、ザップが一瞬目を見開いた。別にそんなことは今までだって何度も何度もあったことで、レオがこういう風に言うのだって今まで何度も何度もあったことだったのに。
けれどレオはその時思った。―――こういう言い方も。
きっと俺だって付き合う前にはできなかったな。


こういうのを好きって言ってもいいのかもしれない。
「………………。」
ぼーっとしながら下駄箱の前でザップを待っている。昼のことがあったにも関わらず、いまだレはそんなことを考えていた。まだ自分の気持ちがはっきりしない。流されているだけだ、と言われたら頷いてしまうかもしれない。そんなことを考えている時だった。
「レオ!」
その声にはたと顔を上げた。「ザップさん!遅いんすけど!もーとっくに授業終わっ…」「逃げろ!!」日常生活では殆ど聞くことがないそれに、呆気に取られている間、ザップがこっちにすごい形相で走って来た。なに、とレオが言う前に腕が掴まれて引き摺られるように走り出す羽目になる。
「わっ!?ちょ、ちょちょちょ何!?転ぶころ…てゆかザップさんソレ靴、」
上履きじゃ、と言いながら気が付いた。彼は既にスニーカーだった。校内からやって来たのに何で、とレオが突っ込む前にコラ、という声が後ろから聞こえてくる。
「ザップてめえ!追試だって言っただろ!!逃げるな!」
「明日受けるっつーに!てゆかどーせパスだって!」
多分そうだけどそーいう問題じゃない、と言いながら玄関から顔を出しているのは教員のブリゲイドだった。会話の内容から察するに、どうやら追試から逃げて来たらしい。俺はいいけどさ、と思いながらレオは顔を顰めて前を向く。
ザップの背中が見える。昼前に見た時と同じくパーカーを着ていたその背中を見るのがいったい何百回目なのか、はたまた何千回目になるのかレオにはわからなかった。
「…………。」手を引っ張られて走りながらそんなことを考えている時、ふと思い出した。

――――本当に。
―――――本当に俺、
この人のこと、

それを最後まで思う前にぱっとザップがレオの方を振り返った。「わっ!?」しかも彼の足がいきなり止まったのでレオの方はバランスを崩す。何でこんなに突然、と思う間もなく足が縺れて転びそうになった。が、当然のような顔でザップがそれを受け止めたので、レオは転ばずに済んだ。とっくに学校からは出奔していて、校門を通り越してすらいる。部活をしている時間だからか、通学路に在学生たちの姿は見えなかった。
既に夕暮れが始まっている。沈み始めた太陽が徐々に山の端に隠れていき、その光がザップの銀髪にきらきらと反射していた。
逆光なのにレオの眼にはザップの顔がよく見える。先輩の薄い曇った空のような色の眼が、レオのことを映していた。
ついしは、と言った自分の声がいったいザップにどう聞こえたのかはレオにはわからない。けれどレオ自身からすれば、まるで宙に浮いているように聞こえた。
「…どーでもいいって」
そんなの、と言いながらザップが笑った。途端にレオの心臓がびっくりするくらい音を立てて跳ねる。ごくん、と息を呑んだレオをザップは笑ったまま見つめてまた口を開いた。「……折角おめえがデレを寄越してきたのによ」「は」一瞬何を言われているのかよくわからずに変な声を出してしまった。二秒後気が付いた。昼前にレオが言った、あれだ。
―――放課後は。
そして今は放課後だった。「………、」何か言おうとする前にまたザップが顔をくしゃくしゃにしたのでレオはぎくりとする。「…もったいねーじゃん」な、と言いながらぽんと頭を撫でられた。更にレオの心臓がどきりと大きく音を立てて、自然にレオはばっと俯いた。ザップが不思議そうな顔をしたが、レオには勿論見えていない。なんだどーした、という先輩の声を聞きながら、慌てて目を瞑って素数を考える。なぜなのかわからない。一体どこで自分が今みたいになってしまったのかわからない。けれど。
「………おれ、」
そう言いながらよろよろと顔を上げたレオのことを、不思議そうな顔でザップは見つめていた。
「………ザップさんのこと好きっぽいです………」
そう、息も絶え絶えに言ったレオのことを見て、ザップは当然固まっていた。


どーいうこっちゃと言いながらポテチを先輩は齧っている。「おめえ俺が好きだから俺と付き合ってんじゃなかったのかよ」「…いや、それはそーなんすけど…ってゆか俺にもソレ下さいよ」そう言うとザップがポテトチップスの袋を寄越してきた。コンソメだ、と思いながら袋に手を突っ込んだが既に空に近い。というよりゴミだった。
「…あのー。中身ないんですけどこれ」
「オウ。ごみ箱はそっちだぞ」
「…………。」
俺も食いたかったのに、と思いながらポテチの袋をゴミ箱に入れる。リビングの空気が籠ってしまった気がしたので、レオはそのまますたすたとザップを通り越して窓を開けた。既に何度も来ているせいで、勝手知ったる人の家状態になっている。ただそれはザップにも言えることだった。彼もレオの家に何度も遊びに来ている。
しかし窓を開けて戻って来たレオを見て、ザップは何で窓開けんだよと不満げに言った。指についた塩を舐めているが、油はそれじゃ落ちないでしょーに、とレオはその時思っていた。「?だって臭い籠るからツェッドさんに悪いっすよ」「お前声うるせーんだから閉めてこいよ。俺があとで怒られんだよ」「煩いって程煩くしませんよ。てゆかそれ言うならザップさんだって、」そこまで言ってはたと気が付いた。
「ま、待って下さいよ。ザップさんの部屋でするんですよね?」
「あ?なにが」
「な……なにがって……」
そう言って顔を赤くしたレオを見て、ザップは何が何だかよく分かっていない顔をする。しかし五秒後合点した様子でなんだ、と言いながらまた昼前のように顔をにやけさせた。
「…そーかそーかもうお前は待てねえと。そいつは悪かっ」
「ちちち違う!そーじゃない!だってなんかもうそういう感じでなんかえーとえーと……、………ッ、」
帰る、と言いながら立ち上がろうとしたが、無論ザップに腕を掴まれたのでそれは叶わなかった。「は…っ離せ!帰る!出る!」「まだなんもしてねーんだから出るも何もねーだろ」「そーじゃねえ!!」最低っすよソレ、と言いながらばしばしとレオが腕を叩いて暴れている間も、ザップはおかしそうに爆笑していた。
暴れたせいでレオは寝転がるような体勢になってしまったので、なんだかザップに膝枕されているような形になった。「……………。」指をまだ舐めている先輩を見ながら、ザップさん、とレオは彼の名まえを呼んだ。
「なんだ」
「…俺ちゃんとあんたのこと好きみたいなんすけど」
「オイ。だからおめーよ、その今更感半端ねえ話はなんなんだよ。あと”みたい”ってなんだ”みたい”って。俺はおめえのことこんっな愛してるっつーに」
「……………………。」
黙ってしまったレオを見下ろしながら、ザップが微妙に眉間に皺を寄せた。「…オイ。これはボケだこれは」「…わかりにくいです」思わず笑ってしまった。それを見てザップは漸くほっとしたような顔になると、床に座ったままソファに寄りかかる。レオもレオでそのままカーペットの上に寝転がっていた。
外からは街のアナウンスと一緒に六時を告げる音楽が聞こえた。
「……ザップさんと俺の相性って143なんだそーです」
「は?」
あいしょう、と復唱されたそれがどう聞いても平仮名発音だったので、これは伝わってないとレオは思いながら、かくかくしかじかとつい先だってミシェーラと会話したことを伝えた。ザップは変な顔をしていたが、結局呆れた顔をするとレオの額をぴんと一発弾いてきた。
「お前占いなんぞ気にするんか。女子か。アホか」
「べ…っべつに気にしたわけじゃないっすよ。…でもなんか、…友達だったら相性いいけど、」
恋愛だったら0か100かとか聞いたから、と言った言葉の最後はもごもごとしていて上手くザップに伝えられたかどうかわからない。少し沈黙が起きた。
「……んじゃアレじゃね。100なんじゃね」
「え」
ぶっきら棒なその声にレオは変な声を上げる。「0か100なんだろ?んじゃ100でいいってもう。つか100だって100」基準が何だか知んねえけど、とザップはひどくどうでもよさそうに言った。「……俺からすれば100じゃ足んねーけど」そう言ったあと、ザップはどこからともなく煙草を取り出した。それをぼーっと見ながら、レオははあ、と曖昧な返事をする。
窓から風が入ってくる。かちんという音と一緒にライターで煙草に火が点いた。ふわふわと煙が室内に棚引いていったので、ザップはちらりと部屋の奥を見たが、結局レオを退かすことはなかったし、自身も動こうとはしなかった。室内で喫うとツェッドが色々な意味で怒るのにな、とレオは思ったが、それを言うより先に別のことを口にしていた。
「…やっぱりザップさん」
「ん?」
「………煙草喫ってるとこかっこいーっすね」
「…………………。」
ザップの眼が瞠られる。レオはそれに気が付かずに、頭をちょっと動かして窓の外を逆様に見つめた。群青色の空が星をちかちかと瞬かせる準備をしている。金星なのか何なのかわからなかったが、一番星らしきそれがレオの眼には見えた。
「…だからなんか俺、止められないんですよ。…一回見ちゃったら」
何度も見たいし、と言って頭を戻した。ザップはまだレオのことをぼーっとした顔で見つめている。煙がじわじわと窓の外に流れていく。
「………やっぱさ」
そう言ってザップが煙草を灰皿に置いた。この家で煙草を喫っていい年齢の者はザップとツェッドの義父だけであるはずで、かつ義父は喫煙者ではない。なのにこの家のリビングのテーブルの上には、常に百円均一店で買えそうな、安っぽい薄い銀色の灰皿が置いてあった。
とんとんと灰が払われる。
「…100じゃ足んねーな」
そう言った後に今日何度目なのかわからないキスをされた。苦い、と思わず眉間に皺を寄せてしまったが、結局レオはそのままザップに手を伸ばしたし、ザップはザップでその手をちゃんと握り返してくれた(たぶんそういう”くれた”とかいう言い方をすると先輩は怒るのだが)。「……なあ」「………はい…?」やっぱり苦かった、と思いながら唇を舐めているレオに、ザップがいたく真面目な顔でそう言った。
「…やっぱここでしねえ?たまに違う場所の方がテンション上がるっつーか、」
「するならするでさっさと移動しましょう」
顔を顰めてそう言ってしまったレオに、ザップはなんだよと文句を言った。
文句の割に、その顔は笑ってはいたのだが。


―――たぶん今別れようとか言われたら。
絶対やだって言っちゃうな俺、とこの間と打って変わったことを思いながらのろのろと起き上がった。「………ザップさん…」「あー…?」なんだよ、と眠そうな声で先輩が返事をする。ザップの部屋のベッドはレオのものよりちょっとだけ広い。大して変わらないとはいえ、だからたまにこうやって寝るのがレオは好きだった。
「…俺そろそろ帰る…夕飯の時間だし……」
「マジかよー…お前もー泊まってけよ…」
「…でもこないだもそー言って泊まったし…」
「だからもーいーじゃねーかほら…」
泊まってけって、と言いながらザップがレオのことを引っ張った。眠気もあったのですぐにぱたんとレオはベッドに転がる。「…いやでも夕飯とか悪いし」「…こないだ俺もおめえの家で夕飯貰ったし同じだって」いーじゃん、と言われながらぎゅうと抱き締められた。普通だったら真っ赤になるところだったが、今は寝起きなのでそうもならなかった。これはただ単にお互い眠いからぐだぐだしていたり、抱き枕を抱いている状態と変わらないからだ。
「……でも…」
「デモもストもねーって…なー……泊まってけよ…」
「んー……」
二人でそんな風にボケた会話をしている時だった。ただいま帰りました、というツェッドの声が玄関から聞こえてきたのでレオは悲鳴を上げて起き上がった。「わあああ!や、…やばやばやば服!俺の服どこ!?」「るっせーなオイ。お前何であいつが帰ってくるといつもそーなんだ」先輩の怪訝な声を聞きながら、レオは慌てて服に着替えた。着替え終わったところでこんこんというノックの音がしたので、ザップより先にレオの方が返事をしてしまった。何でお前が返事すんだよ、というザップのそれにかぶさるようにして、開けますよというツェッドの声が聞こえる。
「ど、どーもツェッドさん!お邪魔してます!もう帰りますけど!」
「?ああやっぱり、靴があったのでレオくんが………、…、あれ?」
もう寝てるんですか、と不思議そうに言ったツェッドの視線の先にはザップがいる。「げっ」レオは当然ぎょっとした声を上げてベッドの上に視線を向けた。毛布を被っているとは言え、鎖骨の辺りまでは外から見えるから、何となく服を着ていないんじゃないかというのは見て取れる。
「…………なんで脱いでるんですか?」
ツェッドがそういう疑問を抱くまで時間はそんなに要らなかっただろう。当然そう言ったツェッドに、いやあのこれは、とレオが慌てて言い訳を始める。ザップはどうでもよさそうな顔をしていたが、面倒臭そうな顔で上半身だけ起き上がった。そして床に座り込んでいるレオの襟首をぐいと掴んで無理矢理引っ張り上げたので、レオはごほごほと咽てしまう。「わっ。ちょっと何してるんですか」レオくんが、と言ったツェッドのことを見ながら、ザップが口を開いた。
「こいつと俺付き合うことになったからよ」
――――――え。
ぎょっとした顔でザップを見上げる。しかしザップは、どうでもよさそうな顔かと思いきや半分くらいは真剣な顔でそう言っていた。――残り半分は。
「…手ェ出すなよ。もうこいつ俺のことが好きで好きでしゃーねえから」
照れたような顔だった。
「………………………。」
ツェッドは黙っていたが、どう見ても硬直していた。「……………。」そのまま黙ってするすると廊下に引っ込んでしまい、上にぱたんとドアが閉められる。「あっ。う、嘘」ツェッドさん、と悲鳴のような声を上げたレオはついにまたベッドの上にぐいと引き上げられた。にゃあ、と声を上げたレオのことをザップが見下ろしている。
「だ、な、ななっ、なんで言っちゃったんですか!い、今この時言う必要が、」
「……否定しねーんだからよ」
「は?え?」
「…やっぱお前、俺のことが好きなんだって」
ほらな、と言ったザップのそれにはっとする。好きで好きでしゃーねえから、と言ったザップの言葉を瞬時に思い出した。

ついさっきまでキスしたりそれ以上したり、抱き合ったり抱き締められたり抱き着いたり、好きだとか言ったり言われたりしていた時はなんともなかった癖に。
突然レオの顔が真っ赤になった。

「……………あ?」
今かよ、と意外そうにザップに言われてレオは慌てる。「あ、い、いやその…あ、えーと…………、……あ〜〜〜〜」なんでもないです、と言いながら枕を顔に被せてしまったレオの耳に、またザップのおかしそうな声が聞こえてきた。「…………、」ザップさんのばか、と小さく言ったせいかそれは先輩の耳に幸い届かなかったらしい。
悪口が聞こえてなくて幸いという意味なのか。
それとも、それがどう聞いても好きですとしか言っていないように聞こえたせいか。
どっちの”幸い”なのかは考えるまでもなかった。


5月14日、と言われてレオは思わずスプーンを取り落としてしまった。「う、嘘。何で知ってるんですか?」俺の誕生日、と言ったレオを見ながら、ザップは呆れた顔でキャッチしたスプーンをレオに手渡す。「おめえふざけんなよ。今年祝ってやったじゃねーか」「祝ってはくれたけどなんで」覚えてるわけないと思ってたのに、と言ったわりに自分の頬が緩んできたので慌てた。ぺちぺちと頬を叩いているレオを不思議そうな顔でザップが見つめていたが、そこにお待たせ、と言いながらミシェーラが戻って来た。
「紅茶入れてきたわ。……おにーちゃん何してんの?」
「ミシェーラちゃんサンキュー。…いーよなおめえはミシェーラちゃんみてーな妹でよ」
家のバカにも見習わせてーよ、と言ったザップに、あらやだとミシェーラがにこにこと笑った。「私はザップさんがお兄ちゃんじゃなくてよかったわ」「結構傷付くからやめて」悲し気な顔でそう言ったザップに、冗談よとミシェーラは楽しそうに笑った。
「…あーでももうお兄ちゃんとザップさんが付き合ってるんだから、ザップさんもあたしのお兄ちゃんみたいなものなのかな。義理の」
「………ミシェーラ」
やめろという意図を含んで言ったそれはちゃんと妹に伝わったらしい。「……妬かないでよ」もう、と拗ねたように言った妹に言い返す気力がなかったので、レオは拗ねた顔をしてスプーンでプリンを掬った。
「…で、お兄ちゃんの誕生日ザップさんは覚えてたのね」
「……お前どこから聞いてたの?」
そう言ったレオを無視して、ミシェーラはぱらぱらとまた件の雑誌を捲っている。「あ、ソレかよ。こいつが落ち込んだ原因は」「…やっぱり落ち込んでたんだ。ごめんねお兄ちゃん」「ちょっと待って下さいよ。落ち込んでない。落ち込んでないからな!」そうやって喚いている間に、ミシェーラは目的のページに辿りついたようだ。えーと、と言いながら指で誌面を辿っている。
「?こないだやったばっかじゃん。誕生日で決まるんだったら、結果は一緒だろ?」
そう言ったレオに、そうなんだけどとミシェーラは上の空といった様子で返事をした。「…お兄ちゃん最後まで聞かないから…あ、あったあった」「?」最後まで?と怪訝に思ったレオを他所に、ザップはもぐもぐと用意されたプリンを食べていた。
「…えーっと…ほらこないだあたし言ったでしょ。友達としては百点満点だけど、恋愛は0か100かのどっちかって」
「………言ったけど」
「そのあと続きがあるの」
続き、と言ったレオにそうよとミシェーラは雑誌を見ながら肯定した。「……上限が0か100かは限らないので」「は?」ぽかんとした声を上げたレオに、ミシェーラが顔を上げた。いつもレオが見ている、安心する妹の笑顔だった。
「…友人でも恋人でも結局は二人次第でしょう、だって。よかったわね。もしかして0だったとしても上限が0かもしれないわよ」
「…………それさ」
丸投げじゃね、と言ったレオにザップが漸くとでもいうかのように、おかしそうに吹き出した。「…っほ、ほらバカ。言ったじゃねーかだから」「………なにが」そう言ってレオは微妙に仏頂面をして、ザップを見つめる。ちょうどザップはレオとミシェーラに挟まれるようにして座り込んでいた。
「…100じゃ足んねえってよ。…てゆか大体」
俺らのことなんでそんなんで決められなきゃなんねーんだ、とザップは言うと、またプリンをぱくんと口に入れた。それもそーよね、という妹の肯定を聞きながら、レオは顔をちょっと顰めてしまう。別に嫌な気持ちになったとか、ムカついたからというわけじゃない。
照れ隠しだということが二人にバレていなきゃいい、とレオは思って自分ものろのろとプリンを食べる作業に戻った。「………あまい」妹が作ったらしいプリンは甘かったけれど、また作って欲しいとレオは思う。それでまた、次食べる時もザップがいればいいとそう思った。


「あ、そーいえばツェッドさんとザップさんの相性は3210だったわ」
「桁が違う」
「やめろ!きもちわりーわ!」