辛さ1/1

2016/03/22

はいどうぞ、と言って渡したのに先輩は変な顔をした。


「なんだこりゃ」
そう言いながらもレオの先輩はばりばりと折角綺麗に包んであるラッピングを破きながら箱を取り出した。「?…俺今日誕生日だっけ」「………そういうこと言うなら」返して下さいよ、と言って手を伸ばすと、一回貰ったんだからもう俺のだ、と非常にらしいことを言って、先輩のザップ・レンフロが笑った。
「中身なんだ?…んー、…菓子だなこれ」
「菓子ですよ」
いやに畏まってんなと言いつつ早速ザップはレオナルド・ウォッチが折角渡した箱をぱかっと開けた。箱と言っても正方形でもない。平べったい、薄い長方形の形をしている。中にはクッキーが何枚か詰められていた。市販品だ。
「…俺甘いモンそんな好きくねーんだけど」
「ひ、人が折角…んじゃ返して下さいよ」
俺が食います、と流石にそう眉を吊り上げて言ったレオを抑えるようにして、ヤだよとザップはまた同じことを言った。クッキーの真ん中には赤いジャムのようなチョコのような、レオもよく見るけど何なのか未だに分からないものが詰めてある。ジャムクッキーとか何とか言うらしいが、別段そこはどうでもいいのだ。ともかく要らないなら返して下さい、とレオはもう一度言った。
「要らねえとは言ってねーだろ。ただ好きじゃねえって言ったんだよ」
「同じじゃないですか。返して下さい」
「違う。嫌だ」
そう言いながらザップはひょいと一枚クッキーを口に入れた。「あ」返せって言ったのに、とレオは恨めしげに言ったがザップはそれを無視してむぐむぐとクッキーを食べている。レオのザップも、丁度屋上で昼飯を食べ終わったところだったから、おやつのようなものだ。
「…甘い」
そう言ってうげえとザップが顔を顰めた。「だから!もーいいです返せ!」「だから嫌だつってんだろ!何だよさっきからうるせーな!」「こっちの台詞だ!」ぎゃあぎゃあ喚いてそれから大抵はどっちかが拗ねてどっちかがへらへら笑って有耶無耶になるのが常だったが、今日は違った。俺戻ります、と言いながらレオは鞄を掴んで立ち上がる。ザップがクッキーを齧りつつきょとんとした顔でレオを見上げた。
「…俺教室戻りますから。んじゃ」
そう言ってくるりと踵を返して屋上の入口に走る。「あ。オイレオ、」そうザップが呼び止めてきた声が聞こえたが、レオはそれを無視した。というか返事をしたくもなかったのだ。何だあの態度。そう思いながら、屋上のドアを後ろ手で閉める。ばたん、という大きな音で鉄の扉は閉じられた。

「……どーせひと月も前のことなんか忘れてるんだ。あの人」

そう自分に言い聞かせるように呟いたが、声は明らかに沈んでいたので自分に呆れた。「…戻ろ」再度小さく呟くと、鞄を肩にかけてのろのろと階段を降りた。五時間目って何だっけ。…現国だ。眠ろう。そう酷いことを考えながら、廊下を歩いた。

ザップ・レンフロはレオの友達で一つ年上の先輩だ。出会いは最悪で、出会った後も散々レオは最悪な目に巻き込まれている。銀髪の髪に褐色の肌、それから少し垂れ目だけど灰色の瞳は正直、綺麗だ。見た目だけなら百点満点とレオは思っている。本人どころか誰にも言ったことはない。一度それとなく褒めるような発言をしたところ、その場がしん、と静まり返ってしまったのでレオはもう金輪際彼を褒めるのを止めようと思った。――つまり見た目に負けず劣らず、悪い意味で性格と人格その他が最低最悪の男なのだ。二股どころか何股しているか分からない女性関係、浮気は当たり前、他人にすぐ集るし金は借りるし、けれど返したことはないし、授業はサボるわ妨害はするわで本当に酷い。ゲーセンに行けば行ったで絶対トラブルが起きるし飲酒喫煙は普通のこと、一度レオは彼がパチンコ屋からすたすたと何でもない顔をして出てきたところを目撃したことがある。ちなみに自分もザップに金は貸していた。返ってくる兆しは今のところない。たぶん、一生涯、無い。
しかしレオは何故なのか自分でもさっぱり分からないのだが、彼と付き合っていた。友達としてではない。ざっくり言えば恋人のような関係で付き合っている。未だにレオは思うことがある。多分俺は人生の分岐点をミスったんだ。このままきっと崖の上から転落コースだ。大抵そう思うのはセックスした後で、先輩がすやすやと自分を抱き締めながら眠っている時に思うことが多い。だから甘い雰囲気なんかは絶対に残らない。なぜかセックスが終わってもケンカの後みたいな、ぐったりした疲労感しかレオは抱えたことがない。ザップはどうだか分からない。…ただし、事後は事後でいつもザップの機嫌はいい。
さっきみたいに喧嘩をすることもザラだった。一度だけレオは、もういい別れます、と売り言葉に買い言葉で言ったことがある。途端にザップは黙ってしまったのであれ、と不思議に思った。どうしたんだ、と恐る恐る彼に近寄ると、ザップは物凄く情けない顔をして、それは嫌だと一言だけレオに言った。まるで泣きそうな声だったので、レオは呆気に取られてしまった。何度も何度も他人の彼女を奪ったり浮気を繰り返したりしている彼も、反対にふられたり奪われたりということはある。けれどそれまでそういうことがあったとしても、そんな顔をしているザップをレオは見たことがなかった。大抵怒るか苛々するか、レオに八つ当たりしてくるかのいずれかだ。だから自分との時だってそうだと思っていたのに、なのにザップはそれは嫌だとまた同じことを繰り返してごめん、と続けてレオを抱き締めてきたので、思わずレオは絶句してしまった。そんなこと起きる訳ないと思っていた。
だからその時思ったのだ。…なんだこの人。
俺のこと好きなのか。
今更も今更だった。事実その時付き合ってから既に一か月は経過していたので、たぶんそれをザップに言ったらキレられるどころの話では済まない。俺が男と冗談ででも付き合うと思ってんのかよ、と言われて蹴飛ばされるのが目に見えていた。だからレオはそう思うだけにとどめて、仕方ないなあとばかりにザップに苦笑を向け、じゃあ今回だけですよと許したのだ。ケンカの原因は、ザップの浮気だった。事実、信じられないことだがそこから彼は浮気をするのをぱったりと止めた。余程効いたらしい、とレオは思って変な気分になった。
―――そんなに俺のこと、
大事にしてくれなくてもいいのに。たまにそう思う。たぶん、そう思うのは酷いことなのだ。ザップは別段大事にしているつもりなんか無いのかも知れないし、しているとしてもレオが望んでいるからしているわけではない。ただザップがそうしたいからしているだけだ。けれどもレオはそう思う。そんなに大事にされてたら、きっとどうすればいいのか分からなくなる時がくる。…つまり自分がただ臆病なだけだ、と気が付いてレオはがっかりした。いつもザップみたいに、堂々としていられたらどんなにいいか。ついこの間のバレンタインがいい例である。


お帰りなさいという声にどうもと手を上げる。「…?疲れてますね?」また何かしましたか、と苦笑しながら友人のツェッド・オブライエンが首を傾げる。
「うちの兄弟子が」
「あー、…あーそうです。そうなんです。聞いて下さいツェッドさん」
げんなりした顔をしながら着席すると、珍しいですねとツェッドは苦笑したままレオの方を振り返った。ツェッドはザップの義弟で、家族だ。長じてから兄弟になったらしいから、お互い余り兄弟という意識は無いらしい。というか仲は余りよくない。割にツーカーなところもあるから、たまに、本当にたまにレオはツェッドを羨ましいなと思うことがある。そこは思わなくていいところだと思うのだが、こればかりは仕方ない。自分の意思ではどうにもできない。
「…先月バレンタインだったじゃないすか。ツェッドさんがカレーを作ってくれた、あの日」
「そうですね。…ああ、今日はホワイトデーですか」
バレンタインに比べて余りはしゃいだ空気にはなりませんね、と言われてそうすねとレオは頷く。バレンタイン・デーはお菓子会社各社がこれでもかという程デパ地下から百貨店、スーパーやコンビニ、ドラッグストアに至るまで推した商品を置いているが、ホワイトデーはそこまでではない。一応青と白が基調の商品は棚に並んでいるし、コンビニでもぼちぼち並ぶようになっているが、にしてもバレンタイン程ではない。男女間の意識の違いなのか、この国独自のイベントのせいなのか、レオには分からなかった。
「で、まあ先月、あの人がツェッドさんのカレーにチョコを入れろとか何とか言ってきたでしょ。で、俺もそのカレーを食ったので、」
そこではたと思い出してごそごそと鞄からレオは菓子を取り出した。ザップに渡したのとは違う。普通にコンビニやドラッグストアで買える普通の市販製品だ。小分けにされた袋が雑多に入っているその大袋を開けて、どうぞと言いながらレオはツェッドにそれを五つ程渡した。
「え。どうして」
「ホワイトデーです。ツェッドさんが作ったカレー食いましたし俺」
「…えーと」
レオくんてたまに変なことしますよね、と聞き捨てならないことを言われて焦った。え?な、なに?俺がおかしいの?そう思ったのが顔に出たのか、いえそれはともかくどうも、と言いながらツェッドは一つ袋を開けてぽいと口にそれを放り込んだ。「…何と言いますか。普通男子はそういうこと気にしないでしょう。中々」「え。そ、…そう……んん…?…そ、そーすか?…あー…あーいやまー…まーそうなのかなあ?」だって僕も言われるまで今日がその日だって気が付いてませんでしたから、とツェッドは淡々と言った。マジか。レオはそう思ってちょっと困った。確かにイベント事って女子の方が敏感だし、…アレか。俺が抱かれてる方だからいつの間にかこんな思考になってしまったのか?思わずベッドの中でよく見る先輩の顔を思い出してしまった。
「…どうしました?顔が赤いですけれど」
「えっ。え、いや、な、ななな、何でもありませんありません」
手をぱたぱたと振って俯いた。要らないことまで思い出してしまった、とレオは汗をかきつつすぐ顔を上げる。きょとんとしたツェッドの顔を見て、えっとそれでと先ほどの話を再開する。はい、とツェッドは相槌を打った。
「ザップさんがあの日俺を帰りに送ってってくれた時、言ったんですよ。一か月後ホワイトデーだから何か寄越せって。いやいやバレンタインに渡して何でホワイトデーにも渡さなきゃなんないんすかってフツーは言うとこでした。でも俺は今年はあの人に何も渡してなかったんで、はあ分かりました、とそう言ったんです」
「………………。」
ツェッドが無言でこちらを見て来たので、何かまずいことを言ったかとレオはぎょっとする。「…今年”は”、ですか」そう言われてげ、とレオは顔を引き攣らせた。失言だったことに気が付いた時は大抵、遅い。それは政治家だけじゃない。
「…だ、だってあげないと怒るんですよ。あの人怒るとすっげーめんどくさいじゃないですか!」
「……じゃあ今年に至るまで、レオくんはあの人にチョコを渡していたんですか?出会ってから毎年?」
そう素直に聞かれて益々顔を引き攣らせた。ちなみにレオとザップはお互いが中学生の時に出会っているので、既にそこから数えて四年目になる。付き合い始めたのは高校に入ってからなので、まだ一年くらいだが。「…や、さ、流石に毎年はあ、あげてないですよ。…お、一昨年くらいからです」「…大体毎年ですよね、それは」「………。」要らぬ墓穴を掘ってしまった。どうして言ってしまったんだ、と思いながら顔を覆ったが、すぐに顔を上げてそれはどうでもいいんですとレオは強引に話題を戻した。自分の顔は真っ赤だったが、ツェッドは幸いそれに突っ込まなかったのでほっとする。
「…え、えーとともかくそれで俺は、ついさっきホワイトデーなのでクッキーを渡して来たんですよ。ホワイトデーなので買うのは楽でした。女子に貰ったから仕方ないよね、という顔をしてレジに並ぶのは結構楽しいです」
「………………。」
少し間が空いた後、ツェッドは一口お茶を飲んだ。「…はい。それで兄弟子は何か」「そ、そうですよソレ。それです問題は。あの人、俺がついさっきクッキー渡したら、礼も言わないわ甘いものは嫌いだのって」それしか言わないんですよとレオはやっと言いたい事が言えた、と腕を組む。
「何で素直にありがとうが言えないんですかね。嫌いだったとしても、その、…お、俺から貰ってそういう態度は酷いじゃないすか」
言いながらまたしても顔が赤くなってしまった。ツェッドはそんなレオを見ながら、そうですねえと呑気そうに相槌を打つ。正直他人の恋路というのは人生の中で最もどうでもいいことの一つだから、この態度は仕方ないだろう。
ツェッドはやれやれとでも言うかのように肩を竦めると、お茶が入っていたテトラパックのストローを抜いて、綺麗にパックを畳み始めた。「…まあ、素直でないというのは常日頃のことだとは思うんですけれどね。………彼に限ってではないですけど」最後に付け加えられた一言を呟きながら、ツェッドがレオを見つめてきたのでう、とレオは思わずたじろいでしまった。痛いところを突かれてしまった。
「…あ、あのー。なんか怒ってません?」
「いえ別に。ただなぜいつまで経っても同じようなやり取りを何度も何度もするのかと思っているだけです」
「お、怒ってる!絶対怒ってる!」
怒ってませんよ、とそこでやっとツェッドは苦笑した。苦笑いとは言え笑みだったので、レオは一応ほっとする。何しろツェッドは怒ると結構怖い。ザップに対して彼が怒る時と、レオに対しての怒りは微妙に違うのだ。結構真面目に、しかもまともなことで怒られるから、ぐうの音が出なくなる。
「…レオくん。今僕も君も言ったでしょう。彼は素直じゃないんですよ」
「?…え、えっと。はあ。そうすね」
「…しかも君の前では物凄く格好を付けるでしょう。後出しじゃんけんなんか絶対にしたがりません」
「え?そ、そーなんですか?じゃんけんの意味はよく分かりませんけど」
そう言って首を傾げると、格好付けてるじゃないですか、とツェッドは呆れたように言った。え、え?そうなの?ザップのことを回想してみたが、大抵酷い思い出しかない。たとえば先週末、呼び出しを受けて駅前に向かうと、なぜか彼は酔い潰れて改札付近に転がっていたので、レオは唖然として飲酒がバレないように彼の家まで引き摺るようにして送って行った。肩にのしかかるようにして爆笑していた先輩は、いつもの何千倍も面倒臭く、格好悪かった。他、思い当たる悲しい話はたくさんある。レオはげんなりしながらそれをツェッドに言うと、その辺は多分違うんですよとツェッドは意味不明なことを言った。
「え。違う?」
「はあ。たぶん彼の格好を付けるべきところと、そうでないところがレオくんと違っているんです。だからレオくんは気が付いてないだけですよ」
ひどいですよ、と何がどう酷いのかさっぱり分からないが、ツェッドはそう呆れたように言うと珍しく暗い様子で笑った。そこでどうして彼が暗くなるのか今一レオには分からなかったが、そうですかととりあえず相槌を打つ。イメージすら、湧かない。
「…?あのそれで。後出しじゃんけんって?」
「あ、そうでしたね。…説明しても?」
何が、と怪訝な顔をしたレオの後ろから声が聞こえた。「やめろ」その聞き覚えのある声にわっと声を上げて振り返る。廊下の窓からザップがレオではなく、ツェッドを睨むように顔を出していた。
「ザップさん」
びっくりした様子でそう言ったレオのことを一瞥した後、ザップは舌打ちをしてそのまま窓を飛び越えて教室に入ってきた。がしゃん、と音を立てて机が斜めになる。わざわざそんなことしなくても、と思いつつレオは危ないですよとだけ言った。しかしクラスメイトはもう既に慣れてしまっているせいで、別段何も言わなかった。四月は先生は呼ばれるわ悲鳴は上がるわの大混乱だったのに、慣れは恐ろしい。
「…オメーコラいい加減にしとけよ。マリアナ海峡に送り出すぞ」
「マリアナ海峡がどこにあるかご存知なんですか?それは驚きです」
「…………、……ん?」
なんだお前、とザップはなぜかそこで怒らずに腕を組んだ。事の成り行きをはらはらしながら見守っていたレオからすればほっとする展開である。何しろ二人ともケンカし始めると一歩も引かないので、大変なことになる。どのルートで先生を呼びに行くのが最短かな、などとレオは考える始末だった。
「機嫌わりーな。なんだオメーら。ケンカか?」
「はい?」
答えたのはツェッドではなく、レオだった。「俺らが?」そう言って自分を指差したレオを見て、ザップはこくんと素直に頷いた。先ほどの屋上でのレオとのやり取りなんか頭にないようだ。
一方ツェッドは、指摘された事に対してぽかんとしたようだった。「…機嫌、」悪かったですかね、と首を傾げてザップではなく、なぜかレオの方を向く。「え。…や、俺は別に」さっき怒っていると言ったが、怒りと機嫌の悪さはまた違うのだ。だからレオはツェッドが機嫌が悪いとは思えなかった。
怪訝な顔をしてザップを見上げたレオは、無言で疑問を先輩に訴えた。「……まあ」いーやと何がいいのか分からないが、そう言ってザップは頭を掻いた。どうもツェッドの態度で毒気が抜かれてしまったらしい。対照的に、ツェッドは変な顔をして悩む様に顎に手を当てていた。
「おいレオお前ちょっと来い。まだ時間あんだろ」
「え?なんで?」
さっき飯食ったでしょ、と言ったレオにアホかとザップが眉を吊り上げた。「オメーは俺を何だと思ってんだ」「え。あ、そ、」そうですねと言いながら何となく顔を赤くしてしまった。対照的にザップはきょとんとしたので、居た堪れなくなった。お互い、気は合うのに変なところでずれている。
「……、……ま、まーいいから。ほらちょおお前来いよ。あと魚類、」
「はい?」
ツェッドが顔を上げる。ザップがぽいと何かを投げて寄越したので、何だとレオは投げられたものを見つめる。ツェッドは反射的にきちんとそれを受け取ったらしいが、受け取った後になんですかこれ、と怒ったような声で言った。
「煙草」
「見ればわかりますよ。僕を停学にしたいんですか」
「やる」
はあ?という声を聞きながらレオはずるずると引きずられるように教室の外に引っ張られた。「………。」すたすたと歩いて行くザップの後姿を見たが、さっぱり何を考えているのか分からない。いつものこととは言え、今日は更にそれが酷かった。


屋上に向かう途中の階段でザップは立ち止まった。基本屋上は立ち入り禁止なので生徒どころか教師も来ない。なぜザップがここのドアを開けられるのか、レオは色々な意味で恐ろしいから聞いたことがない。
「…クッキーは美味かった」
「へ。あ、は、はい。そうですか」
甘かったけどな、とザップは性懲りもなくそう言うと、なぜか拗ねたように踊り場の壁に寄り掛かってレオを横目で見つめた。「?」拗ねたいのは俺なんだけど、と思いながらあのうとレオは恐る恐る口を開く。一応ケンカしていたのに普通に口を利けているのだから、これはまた常と同様、有耶無耶になっているのだろう。結局いつもこうだ。
「……何でアレ俺に寄越したんだ」
しかしそう言われて、再度レオは何だそりゃ、と地味に怒りが湧いてきたことに気が付く。何で?何でってアンタが言ったからじゃん。別に俺だってイベント事とかそんな楽しみにする方でもないし、特にホワイトデーとか妹以外に渡すってここずっとなかったんですけど?小学生の時代を除けば渡したのなんてアンタくらいなんですけど?そう思いながら眉を吊り上げて、何すかそれとレオはそう言った。
「きょ、今日ホワイトデーでしょ」
「知ってる」
そう言われてきょとんとした。しってる?え、嘘。知ってたの?バレンタインも前日まで全然気が付いてなかったのに?ホワイトデーなんて地味な、と言ってしまえばひどいかも知れないが、ともかく自分に損すらありそうなそのイベントを?
余りにぽかんとした顔をしていたからかも知れない、ザップが何だよと怪訝な顔をした。「…そうだろ。今日」そうですけど、とレオはそれにこくんと頷く。それをザップさんが知ってるとは想定外でした。…流石にそれは、言わない。
「…だってバレンタインの時言ってたじゃないですか。ホワイトデーになんか寄越せって。…俺、今年はザップさんに何もあげてないから」
だから今日、と頭を掻きながらのろのろとそう言ったレオのことを見て、ザップはなぜか溜息を吐いた。なぜ俺がそんな態度を取られなきゃいけないんだ?そう思って眉根を寄せる。「…おまえってさ」そういう変なとこ素直だよね、と言いながらザップはそのままずるずると壁に寄り掛かりつつ、踊り場にしゃがみ込んだ。「?」よく分からない、とレオは思う。いつも素直じゃねえ可愛くねえと何度も言ってくる口と同じそれとは思えなかった。
「……言ったけどおまえヤだって言ってたじゃん。ざけんなって」
「はあ。まあ、言いましたね」
一か月くらい前の記憶を思い出してそう言う。「…んじゃなんで今日くれたんだよ。アレ」「え?そ、それはだって」悪いと思ったから、と言おうとしてそうではないと言う事に気が付いた。別段、毎年していた習慣がなくなったからではない。しかもレオはそれに対して微塵も悪いとは思っていなかった。――あれ?じゃあ。
じゃあなんでだ?
少ない脳味噌をフル回転させて、レオは瞬時に答えを出そうとした。けれどそんな必要はなかった。脳も何も、そんなことは関係ない。ただ勝手に口が動いていた。
「……ザップさんがホワイトデーに何か欲しいって」
そう言ったから、と言いながら自分も彼の隣にしゃがみ込んだ。「……俺?」「…………だ、…ってなんか、…あ、あげたら」喜ぶかなって思ったから、と言いながら俯いた。理由はこれだ。言いながら気が付いた。別にあげようがあげまいが、その行為自体はどっちでもいい。ただ、あげたらザップさんは喜びそうだなと単純にレオは思ったのだ。
だから屋上であんな態度を取られて余計にムカついた。そりゃこっちが勝手に思ってただけですけど、とは思ったけれどもムカついたことに変わりはない。素直じゃないのは重々分かってはいるけれど、けどやっぱり甘いだとか嫌いだとか言われるよりは、普通に喜んでくれる方がレオは嬉しかった。
「……ふーん」
ザップはそうどうでも良さそうな相槌を打った。他人からすればどうでも良さそうに聞こえるが、レオには分かった。何かを隠している。何かを誤魔化そうとしている時の態度だ。何度も何度も何度も何度も見てきたせいで、最早すぐレオはそれを見破れるようになってしまった。
あの、と言いながらずいと顔を近付けると、うおとザップがびっくりしたように声を上げて少し仰け反った。「な、なんだよ」「…何隠してるんですか?」その質問に一瞬ザップの目が泳ぐ。すぐに泳ぎ終わって元の場所に漂着した目が、いつもの灰色の目がレオを見つめ返した。
「あ?何言ってんだ。レオに隠し事しても何の得にもなんねーだろ」
「…………また浮気ですか。まさか」
そう低い声で言ったレオのことをぎょっとしたように見て、ザップは慌てたように頭を壁から離した。「ば、バカかオメーはしてねーよ!!お前だけだって!」そう上擦った声で言うのを聞いて、言わせた方のレオが赤面した。まさかそんなこと言われるとは思って無かったせいだ。
「……わ、別れるとか言うなよ。だから」
「…あう、あ、は、ハイ……すいません何でもないっす…」
藪蛇とはちょっと違う気もしたが、ともかくとレオは顔を上げた。余程ザップは前に別れるとレオが言ったそれがトラウマになっているらしい。自分も別箇所からダメージを喰らうからこれを言うのはやめよう、とその時レオは決意した。
「あーもう分かったよ!ほら、」
やるよと言いながらぐいと何かが突きつけられた。ぽかんとしていたレオの前に、正方形の薄い箱が突きつけられた。「…え?」そう言いつつそれを受け取ると、ザップは頭をがしがしと掻きながらやる、と二度目のそれを言ってそっぽを向いた。顔が見えなくなる。
「……なんで?」
「だ、な、何でじゃねえよ。今日ホワイトデーだってさっきオメー言ったじゃねーか」
言ったけど。言ったけど?「……俺に?」そう言って首を傾げると、ザップは顔を顰めてのろのろとレオの事を見つめてきた。「…オメー以外に誰に渡すんだ。そんなの」レオ以外にやるわけねえだろ、と言ってまたザップはプイとそっぽを向いた。銀色の髪の間から見えている耳が赤いことに気が付いて、レオは箱に目を移す。普通の、コンビニとかスーパーで売っている市販のものだった。恐らく中はクッキーかマシュマロか。いずれにせよホワイトデー用のものだろう。
「………俺に?」

信じられない。そのせいでまた同じことを言ってしまった。だって。
だってそんなこと起きるわけない。
そんなこと。
この人が俺に、何か。
特別みたいなことするわけない。

ザップは二度目のそれを聞くと、苛立ったようにそうだよと乱暴に肯定して、けれどやっぱり照れた様子で顔を赤くしていた。
「…何度言わせんだ。脳が抜かれてんのかオメーは」
「…………………………あの」
あ?とそこでザップが顔を微妙に赤くしたままレオを見つめてきた。「…う、」嬉しいです、と言いながら箱を持って俯いたレオに、ザップは何も言わなかった。ただ少し息を呑んだ音だけがレオの耳に入る。
「………ありがとうございます…」
「…おいレオおまえまさか、」
泣いてねえよなとザップが焦った様に言った。流石に泣いてはなかったが、なぜかレオは泣きたくなってしまった。そんなことあるわけないと思っていた。まさか自分の為にこの人がこんなことするなんて。そんなことない。絶対ない。あるわけない。

顔を上げたレオを狼狽えたようにザップは見たが、泣いていないのを確認するとほっとしたように胸を撫で下ろした。「…そんなんでそんな喜ぶか。オメーは」やれやれとでも言いたげにザップは立ち上がると、ひょいとレオの腕を掴んで立たせる。こくこくとレオが凄い勢いで頷いたので、呆気に取られたような顔でザップはレオを見つめた。
「…そ、そんなにか?」
「…だって、…これ、俺の為なんですよね?」
「………、…ち、…ちげーよバカイベントにのってやっただけだよ」
「………………………はい」
にやけた顔でそう言うとレオは嬉しそうに笑った。「……、……。」それを見てまたしてもザップはたじろいだ顔になるが、あー、と疲れたように溜息を吐いて、ぐいとレオの腕を掴む。そのまま階段を上りだした。
「え。ど、どこ行くんですか」
「屋上。五限サボる」
「………、……はい」
普通だったら文句を言うところ、にやけたままレオはえへへと言いながらザップの腕にぎゅうと捉まった。びっくりしたようにザップはレオを見下ろすと、けれどまた照れたように頬を赤くした。そのまま仕方なさそうに、簡単過ぎんだろ、と小さく呟いて屋上のドアを開ける。「…いいっす簡単で。べつに」「……、………。」何も返事はなかったので、そっと先輩を見上げる。必死ににやけそうになる顔を堪えていたので、レオは爆笑してしまった。


後出しじゃんけんの意味は何となく分かった。言い得て妙だよな、と思いつつレオは六限目にのこのこと教室に戻った。ツェッドはお帰りなさい、と何でもなかったようにそうレオに言うと、さっきのノートですと言いながら普通にノートを見せてくれた。申し訳ないなと思いつつレオはそれを写して、あのうとツェッドに話しかけた。
「?なんですか?」
「……怒ってません?もう」
そう恐る恐る言ったレオに、ツェッドはきょとんとした顔になっておかしそうに笑った。「もともと怒ってないですよ。ですから」「…ほんとに?」そう、思わず子供っぽい口調で言ってしまったレオに、本当に怒ってませんよとツェッドは繰り返した。「……まあ、ほら言うなれば」
少し羨ましかっただけですかね、と言われてレオはきょとんとした。「…?なにがですか?」「いえ、こちらの話です」そう言ってツェッドは次は世界史ですねえと時間割を見ながら呟いた。突っ込んではいけないことかもな、と思いつつレオはそうすね、と言いながらシャーペンを必死で動かす。帰ったら、と鞄の中に入っている正方形の薄い箱のことを考えた。

――食べたいけど勿体ないな。

それから、ザップの赤い耳を思い出してレオはまた、笑った。