ドーナツ尋問
2015/05/11
※ミシェーラちゃんが普通に歩けてる
※レオくんに彼女がいたけどフラれたよ
※全員高校生
「別れたそうですよ?」
だから、どうしてそれを毎回俺に言うんだ。
閑散としている。この時間にこんなんじゃ、来年もこの店がここにあるかどうかはわかんねえな。そう思いながら飲んだジンジャーエールの味は薄い。氷を入れ過ぎなのだ、と俺はたん、と音を立ててトレイに紙カップを置いた。
目の前にいるのは、女の子だった。
両手でドーナツを掴みながら頬張っている姿は、客観的に見ても見なくてもまあ、可愛い。計算でなく天然でこれをやっているんだからすげえな、と素直にそう思う。その割に芯は強い。正直に言えばこういう女は、苦手だ。
「チャンスじゃないですか」
「何が。話振ったらまた泣きつかれるって。俺が疲れるよ」
「そこです」
何が、と俺は目を向ける。いつもだったら女の子が目の前に座っていてこんな態度は取らない。取る訳がない。姿勢を良くして、大きな目を見つめて、そうなんだそうなんだ、とそれだけ言う。否定は絶対にしない。分かるよ、と薄っぺらい言葉を何度も使う。笑顔を向けられれば笑顔を返す。
が、今日は違った。俺は足を組んでストローを咥えながらその辺を見ていて、目の前に座っている女の子の方を殆ど見ていない。目を合わせたくないのだ。ワイシャツの前は全開で、中に着ているどーでもいい柄のTシャツが見えているだろう。鞄は隣の席にゴミみたいに置かれていて、携帯が乱暴に外ポケットに突っ込まれている。だらしない。一言で言えばこうなるだろう。
つまり目の前にいる女の子は攻略対象じゃないのだ。恋愛対象外。だから俺は常に気が抜けた態度で彼女に接している。一応それでもそれなりに格好を付ける時は付けるのだから、多分この子は俺からすれば妹みたいな感じなんだろう。そんな接し方だ。
「俺にはそこもどこもわかんないけど」
「お兄ちゃんに泣き付かれるって言ったじゃないですか。今度泣き付かれたら、そこに付け込めばいいんですよ」
「つ、」
付け込むっておい、と俺は思わず顔を顰める。「どこでそういうの覚えてくんの?」「あら。このくらいは一般常識でしょう」そうか?いや、そうかも知れないが、この子がそういうことを言うのが俺はなんか嫌だったのだ。俺の中のイメージを崩さないでほしい。
顔を顰めている俺に、やだなあ、とミシェーラ・ウォッチはにっこりと笑みを向けた。
「お兄ちゃんにも同じこと言われちゃいました」
だよな、と俺はここにいない、彼女の兄に同意を求める。
兄の名前は、レオナルド・ウォッチといった。
夏になりそうだ。
俺が朝起きて最初に思ったことはそれだった。日差しが部屋の中に燦々と溢れていて、深夜カーテンを引き忘れたことを非常に後悔しながら俺は着替えを済まし、朝飯を食って、遅刻ギリギリになりながらスクーターで学校へ向かった。いつもと同じローテーション。チャイムと同時に教室に入ると、同じく担任の旦那(あだ名)も教壇に立つところだった。ザップよく頑張ったな間に合ったぞ、と時計を見ながらにこやかに笑う担任に返事をし、テキトーに昼飯まで授業を受けて(ほとんど寝ていた)、昼になったら購買へ行く。廊下ですれ違う女の子たちに挨拶とか挨拶とか挨拶をしまくってその後、屋上か校庭の端へ飯を食いに行く。どっちにしろ、決まってことがある。
後輩のレオを呼ぶことだ。
別にパシリとかそういうことをさせる訳ではない。ただ一緒に飯を食うだけだ。何で一緒に食うようになったのかはあんまり覚えていない。ただあいつが入学してからなのだから、もう一年半くらい経つのだろう。
わざわざ教室じゃなくて屋上とか校庭とか行ってまで一緒に食べるんだから、よっぽど気が合うんだね。
よくそう言われる。果たしてそうなのだろうか、と俺はいつも言われる度に思っては、いる。だってしょっちゅう喧嘩はするし、たぶん俺とあいつで色んなことに対して、趣味が合ったことは、無い。なのにどうしてか昼飯を一緒に食うのはやめようという話をあいつとしたことはなかった。俺に彼女がいようがいまいが、それは変わらず一貫としていた。
だから今日も変わらずレオと一緒に校庭の端、プールの前にあるボロいベンチで飯を食った。校舎からかなり離れたそこは、木陰になっていて涼しい。今日明日小テストでヤなんすよ、とかスターフェイズ先生のテストって受けたことあります、とかいつもの如くの雑談と一緒に昼食は終わった。予鈴が鳴って俺たちは立ち上がり、ほんじゃ戻るかと背筋を伸ばしたところでレオが、ああ、と思い出したように、俺に言った。
―――――放課後、ミシェーラがチャリ置き場で待ってますって。
げ、と俺は露骨に顔を顰める。何すかその顔、とレオも同じように顔を顰めた。俺の妹とデートですよ俺が羨ましいですよ、と続けてそう言われて俺は言葉を濁した。そりゃ、マジでデートだったらこんなに喜ばしいことはない。何しろこいつの妹はさらさらのロングヘアー、薄い透きとおるような栗色の髪、肌なんか真っ白だし、極めつけに大きい目で顔が小さい。レオと血が本当に繋がっているのかと俺は毎回疑っているくらいなのだ。
が、それは恋愛対象だったらの話だ。俺にとってあの子はそういう対象ではない。ないのだ。しかも、チャリ置き場で待ってるパターンと言えば、一つしかない。
――――お前さ、もしかして彼女と別れたの?
俺がそう言った途端、レオは目に見えて狼狽えた。ああそうなんだ。またかよ。お前どうして人はいいのにいつもそうなんだよ。そう俺はがっくりと肩を落としてそう言うと、そんなの俺が聞きたいですよとレオも物凄く気を落として、そう言った。恐らく金曜の夜にそれは起こり、こいつは土日の間に何とか立ち直ったところだったのだろう。今日は月曜だ。俺はベンチに座り直して、溜息を吐く。どうしてザップさんが落ち込むんですか、とレオは怒り半分、泣き半分といった様子でそう言うと、俯いて黙ってしまった。あ、これはと思った時にはもうレオは泣いていて、つまり俺のせいで感情が蒸し返されてしまったんだということを察するには十分だった。溜息を吐いて背中を撫でてやると、レオは益々泣いた。それを耳にしながら、俺はポケットから煙草を引っ張り出して喫った。これでもう、午後の授業はフケると決めた。
遠くで本鈴の音がしたが俺はそのままレオとベンチでぼーっと午後を過ごした。レオは暫く泣いていたが、結局疲れたのかそれとも暖かいからか寝てしまい、俺は人間一人分の重みと一緒にぼんやりと誰もいない校庭を見つめていた。こいつはいつも泣いたあと俺に寄りかかって寝てしまう。毎度のことだった。
六限がそろそろ終わるころ、俺はレオを起こそうとして気が付いた。足音、と思って後ろを向くとそこには俺の弟がいた。弟といっても義弟だ。
――――ここにいたんですか。あなたのことは先生が探してましたよ。
――――何でお前が来たんだよ。
――――僕はあなたじゃなくてレオくんを探しに来たんです。
今日は委員会なんですよ、とそいつ―――ツェッド・オブライエンという―――は顔を顰めてそう言った。レオくんまでサボらせないで下さいよと言われた言葉は非常に心外だったが、面倒だったから否定せずにそうかよ、と俺は返事じゃない返事をした。煙を吐き出す。そこで少し、魚類(義弟のことだ)は黙った。
――――何ですか。レオくんと喧嘩しました?
――――何でだよ。してねえよ。俺はこいつを優しく二時間も慰めてやったんだよ。
――――そうですか。にしてはあなた、
機嫌が悪いですね、とそいつは何でもないことのように言うと、レオくんレオくん、と俺に対する態度と真逆の態度でレオを起こし始めた。
機嫌が悪い。
そうなのか、と俺は煙草を携帯灰皿に突っ込むと、立ち上がる。ああそれから、と魚類が思い出したように口を開いた。さっきのレオと全く同じ様子に俺は危惧する。ちなみにレオはごしごしと目を擦りながら目を覚まそうとしていた。
――――ミシェーラさんが、自転車置き場で待ってましたよ。
顔を顰めた俺に、何ですかその顔は、と魚類が呆れたように言った。
それで今だ。
放課後デート、そんな言葉に憧れていたのはいつの頃だったのだろう。今俺がしているのはデートではない。放課後尋問のようなものだった。大体、六限が終わる終わらない頃にチャリ置き場にいるって、この子は授業をどうしたのだろう。そう俺が思っているのを察したのか、ミシェーラちゃんはにっこりと笑ったまま口を開いた。
「六時間目は自習だったんです」
ああそう、と思いながらずるずると啜ったジンジャーエールはもう水の味しかしなかった。ドーナツを齧るとやっぱりそりゃ、ドーナツだから甘い。はあ、と溜息を吐いてそれでと俺は話を促した。
「レオが彼女にふられた度に妹ちゃんが俺とドーナツを食いに来るのは何でなんだ」
「あら、まだ今回ふられたかどうかって分からないですよ。別れたのは確実ですけど」
「ふられたんだろ、どーせ」
だって今まで全部そうじゃん、と俺が言うとそうですけどね、とミシェーラちゃんは困った様に笑った。「今までって言っても、今回で三人目ですけど」高校時代に三人も付き合えたら充分だ。俺がそう言うとザップさんが言うと説得力がありますね、とミシェーラちゃんは呑気に笑った。
笑うと少し、レオに似ている。
たまにそう思う。
今言った通りだ。今、一体何度目の尋問なのだろう?レオがふられる度、それから俺が彼女と別れる度にこの尋問は行われる。今回はシスタードーナツ、前回はドンキンドーナツ、前々回はKINGKINGKING、その前はえーっと、ばらドーナツだったか何だったか。何にせよ俺はそんなにドーナツが好きというわけでもない。にも関わらず、やたらドーナツ屋に来るようになったからドーナツに無意味に詳しくなった。ドーナツ屋に来て俺たちは適当にドーナツを注文して、席に座って、それからミシェーラちゃんは同じことを言う。曰く、レオと付き合え。
どう考えてもおかしい。
レオは俺の後輩で、俺はレオの先輩だ。それはいい。俺もあいつも男である。そこが問題だ。普通、男は女と付き合うもので、男同士で恋愛はしない。例外もあるかもしれないが、俺は例外ではないしレオも例外ではない。その証拠にあいつも俺もお互い彼女がいるし(今はお互いいないが)、お互い恋愛感情を抱いてない。ていうか、抱いてたらあんな風に毎日会って飯を食ったりできないと思う。俺は毎度この尋問の度にそう主張する。主張するけどミシェーラちゃんは納得しない。納得とか、そういう段階にすら行きついた事が無い。
「だってザップさん、本気で女の子好きになったことないでしょう」
「あるよ。ていうか、俺は毎回本気だって」
「本気の割に、すぐに別れちゃうじゃないですか」
痛いところを突かれて、俺は思わず眉間にしわを寄せる。確かにそれはその通りで、俺も多分その通りだな、とは思っていたのだ。俺はたぶん、可愛くて性格が合う女の子だったら誰でもいい。身体の相性が合えばもっといい。流石にそこまでは口にしなかったけれど、この子には殆ど見抜かれているのだろう、そうでしょうと二回目に言われた時、俺は否定しなかった。
「…まあそれがそうだとして、そんで俺が何でレオと付き合うことになる?」
「お兄ちゃんもザップさんもお互い好きだからですよ」
「好きじゃねーよ」
俺が声を低くしてそう言うと、そうかなあとミシェーラちゃんは首を傾げる。そうだよ、と俺は苦々しげに続けてドーナツを齧る。「俺もそうだし、レオもそうだって。大体、あいつにも彼女がいたじゃねーか」
それは、とミシェーラちゃんは口を開いた。ドーナツの食べかすが口元に残っていたが、それは何だか微笑ましかった。
「それは、ザップさんに彼女がいたからです。だいたい、全部お兄ちゃんじゃなくて彼女さんから告白してきて結果、お兄ちゃんがふられてるんですから」
お兄ちゃんの魅力が分からない人々だったんですよ、とミシェーラちゃんは続けると肩を竦めた。思うに、この子も結構兄バカだ。
「…俺に彼女がいるからって何で別の子と付き合うのよ。そんで、それが何で俺を好きってことになるの」
「だってザップさんに彼女がいるならザップさんとは付き合えないでしょう。だから誰かに告白されたらお兄ちゃんは拒まないんです。ザップさんへの思いを忘れたいんですって」
「………………………絶対無ぇって。ソレ」
大体レオはいいとして、と俺は顔を顰めたまま続ける。顔を顰めている割に、吐き気を催したりとか嫌悪感が湧かないのは変な感じだった。多分俺はこの件の実感が湧いてないのだろう。
「俺はどーすんの。俺は全然レオのことなんざ、これっぽっちも恋愛的な意味で好きじゃねーんだけど」
「あら」
それは勘違いですよとミシェーラちゃんは身もふたもないことを、言う。「お兄ちゃんのこと好きでしょう?」いやだから、と俺はドーナツを飲み込んで、口を開いた。
「いやそりゃまあ好き、かも知れねーけど、そういう好きじゃない」
ここは中々頷きませんねえ、とミシェーラちゃんは苦笑いした。
苦笑いはあんまり、と俺は思う。
あんまりレオに似ていない。
ミシェーラちゃんを送って行くとそりゃ当然のように、レオが家にいる。一緒に住んでいるのだから当たり前なのだが、レオは昼休みのようによろよろと玄関までやって来て、ああどうもザップさん、とぐったりした様子で手を挙げた。ミシェーラちゃんは意味ありげに俺たちのことを見たあと、にっこりと笑ってぺこりと俺に会釈をして、部屋へ向かった。何なんだあの笑顔は。女は怖い。
「…ミシェーラのこといつもすんません。あんまり遅くなるとやっぱ俺も心配なんで」
「いーよ別に。ほんじゃ俺帰るぞ」
毎回のことだが、いつもこの”尋問”のあと、俺はレオの顔がまともに見られない。気恥ずかしいからなのかも知れないし、何だか後ろめたいからかも知れない。何にせよ、意味もなく緊張していることが多い。それも暫くすれば忘れる。俺が彼女を作るか、レオが彼女を作るか。大体前者の方が多い。
「…ザップさん」
名前を呼ばれたせいで、俺は自然にレオのことを見下ろした。ああ、とレオがほっとした顔になる。少しだけ元気が出たようにも、見えた。
「よかった。俺が昼泣いたせいで怒ったのかと思いましたよ」
「…いや、それは怒ってるっつーの。オマエ毎回毎回何であーなんだよ」
「………………それはだから、俺が知りたいっす…」
途端にレオは項垂れて、げ、と俺は慌てる。何なんだ。元気になったんじゃなかったのか。おいレオ、と俺が慌てて名前を呼んだところで奥からミシェーラちゃんがやってきた。「あ、お兄ちゃん。ママがザップさん上がって貰えばって」「え」俺は思わず引き攣った声を上げるが、レオは気が付かなかったらしい。「あー…あーそうだな。…ザップさんヤじゃなかったら、どーぞ。夕飯まだでしょ」「え」二度目のそれは引き攣らなかったが、俺は少したたらを踏んだ。ぶっちゃけこういうのは初めてじゃない。何度目か分からないくらい沢山、俺はレオの家で夕飯を食っている。慣れていると言っていいくらいの頻度で食っている。けど何となく、俺はさっき一瞬顔を出した時のミシェーラちゃんの顔が忘れられなかった。可愛いけれど何か企んでるっつーか。あのカオをするときの女は、苦手なのだ。
「別に無理強いする訳じゃないっすよ。かーちゃんザップさんいると目の保養とか何とか言って喜ぶんで…ああ、でも俺下まで送ってきます?」
「え?あ、いや」
どしたんです今日は、とレオはおかしそうに笑った。あ、と俺は思う。やっぱりまた元気ちょっと出てるじゃん。そういう笑い方だった。
0.5秒程俺は悩んだ結果、飯を貰うことにした。携帯で連絡した親(厳密に言うと親ではなく師匠だ)からはきちんと礼を言えとそれだけ返信が来た。また帰ったら魚類に文句を言われるのだろう。何しろ、今月の夕飯当番はあいつなのだ。
レオのお袋さんが飯を作ってくれてる間、俺は大抵レオの部屋でゲームをするか漫画を読むかどれかで時間を潰している(そもそもそんなに待たされたことはない)。その間レオは大体宿題をしているか俺と一緒にゲームをしているか、やっぱり漫画を読んでいるかのどれかだ。今日もそうだろう、と俺は思っていた。思っていたが。
「…ザップさんは別れるときってふられませんよねえ」
「あ?」
目を向けていた漫画雑誌から目を上げる。レオはベッドの上でうだうだと寝転んでいた。「…モテますもんねー…」はあ、と溜息を吐く姿は玄関先で見たそれとは違ってめちゃくちゃ元気がなかった。これは、と俺は思う。まだ引き摺ってるのだ。金曜日の夜のことを。
「そりゃー俺はな。お前と比べることが間違ってるっつの」
「うあーひでー。俺は今落ち込んでるんですよー。もうちょっと励ましてくれたっていいじゃないですか」
励ますねえ、と顔を上げる。ベッドのすぐ隣に座っていたせいで、すぐ近くにレオの顔は見える。確かにいつもよりも元気が無い。さっきまで元気だったじゃねーか、と俺は不審に思いつつも少し考えた。励ます。励ます?
――――付け込めばいいじゃないですか。
思わず今日のあの言葉が脳裏に蘇り、俺は慌てて頭を振った。レオがどしたんすか、と普通に聞いてくる。そりゃそうだ。何が付けこむ、だ。付け込んで一体俺は何をどうする気なのだろう。何もどうにもならないだろうに。だって俺は別にレオのことをそういう意味で好きな訳ではないのだ。
「…何でもねえよ。…あー、もうオマエな、そう辛気くせーカオしてんなよ。ほら」
立ち上がってベッドに座ると、レオの顔が上からよく見える。やっぱり辛気臭い顔をしていた。上になんか微妙に、涙が浮いていた。エ?嘘?マジで?そんな元気なかった?俺は少し、緊張した。昼休みも散々泣いていた癖に、俺はやっぱりこいつの泣き顔を見るのは苦手なのだ。どうしていいのか分からなくなる。
「ちょ、おま、あー……泣くなよも〜〜〜〜…」
「…………だって…」
もうこれよにんめですよ、とレオは舌足らずな口調で言った。「…知ってるっつの。エミリーちゃんにアメリアちゃん、今回はミディちゃん………ん?待て、四人目?」
そうですよ、とレオは泣いたまま訴えた。「高校入って三人、あと俺中学で一人付き合ってた子いるんで」
そうなのか、と思った。
俺とこいつは高校からの付き合いで、つまり俺はこいつの中学のことは何も知らない。こいつが、とそこで思った。
こいつが誰とどういう風に付き合いを重ねて来たのかなんて、
俺は全く知らない。
今更かよ、と言われそうなことだった。でもそうだ。俺は、今までこいつが付きあってきた相手は知っていても、こいつの付き合い方とかその時のこいつの口調とか、その彼女に対してレオがどういう風に接してきたのか、何も知らなかった。そもそも一人目の彼女については名前すら知らない。知らない。知らない。知らないこと、だらけだった。
それに気が付いたら何だか変な気分になった。
どう変だったのか、言いにくい。言葉にし難い。
「…俺もう……こっから先ずーっとこうなんですかね…」
「は?」
絶望しきっているレオは、そんな風に言った。思わず変な声が上がってしまう。
「……ずーっと…こんな風に、」
ふられるのかなあ、とレオは続けてはあ、と溜息を吐いた。ごろんとこちらに身体を向けて、つらいっすわー、としょぼくれた様子で、呟いた。まだその糸目の端には涙が光っていて痛々しい。目の渕は赤かった。
そんなわけがない。
そんなわけ、ないのだ。
客観的に、俺がこいつに対して思っていることを言おう。出来るだけ。出来るだけだけど。
レオは底抜けのお人好しでアホでドジで糸目で陰毛頭だが、愚かではない。馬鹿かも知れないけど、愚かではない。非人道的なことはしないし常識もあるし、何よりアホみたいに自分より他人を優先する。アホなのだ。そこは。その割に自分がどんだけ家族や友達から大事にされてるのかっちゅーのは理解しているから始末におけない。分かっているのに他人を優先させるんだから、まあ、そこはアホだ。
だからつまりこいつは女運が無い。全く無い。見る目がない。もし俺がそう言ったら、そこまで言うのは今までの彼女たちに対してとか何とかここで言っちゃうくらい、見る目が無い。勝手な理由で自分を振った女達の事を庇うくらいにはアホだ。
だけど、この先こいつが自分の目を養ってフツーに生きてけばこんなことが続くわけがない。こいつに生涯の伴侶が出来ないなんてことが、あるわけない。こいつはいい奴だ。だからそれくらいは俺にも分かる。
分かるけれど。
それを口にするかしないかはまた別だった。
「―――そーだな。そーかもな」
俺の口を衝いて出たのはそんな言葉だった。あ、と思った時にはもう遅い。そーっすよねえ、とレオは暗い声でそう言った。いつもだったら何すかそれひどいですよ、とでも言うところだろう。やっぱり、と俺はさっきから何度も思っていることを思った。元気が無い。落ち込んでいる。まだ、レオは立ち直ってなんぞなかったのだ。
レオの手は俺のワイシャツを無意味に掴んでいて、俺はそれが少しだけ引っ掛かっていた。掴まれたことがなかった訳じゃない。ザップさんザップさんと呼ばれる時に手を引っ張ったりだとか腕を掴まれたりだとか、こんな風に服を掴まれたりとかされることはたくさんある。あるけど。あるけれども。
レオの指が俺のワイシャツの裾を掴んでいる。
「……だから、」
レオが顔を上げる。なんですか、という声もいつもより沈んでいるし泣き声だしで、俺はどういうわけなのかごくり、と唾を飲み込んだ。
「…………付き合ってやろっか。俺が」
きょとんとしたレオの顔が前にある。ざっぷさん、というレオの声が俺の耳に入る。俺を呼んでいる、ということくらいは俺にだって分かる。分かるけど、余裕はなかった。あ、やばいなと思った時にはベッドの上に腕をついていた。ぎしりという音が聞こえる。レオの目じりにはまだ涙が浮かんでいて、やっぱり目の渕も赤い。「…ざ、」
俺の前髪がレオの前髪に触れるか触れないか、そのくらいまで顔が近づく。そこでやっとこの状況の異常さにこいつは気が付いたらしい。目に見えて焦り始めた。顔が、と思う。
レオの顔は赤くなっていた。
馬鹿か、と俺は思う。頭の隅にいる冷静な俺だ。そこは赤くなるとこじゃなくて俺を突き飛ばすか蹴り飛ばすかするところだろ。何でだよ。お前さ、
―――俺以外にも。
…俺以外にもそんな油断してんの?
そう思ったら何だか腹が立ってくる。俺以外とか、油断とか、その辺が原因なのだろう。彼女なら、いい。彼女相手なら別にいい。彼女っつーのはそういうものだからだ。
けど、彼女でもない、俺でもない、誰かにもそういう態度なんだろうか。こいつは。
そう思ったらムカついた。手で頬を触るとなんですか、と上擦った声でレオは言った。声は震えていてやっぱり顔は真っ赤だ。頬も、熱があるみたいに熱い。
「…………レオ」
はい、と小さく返事をしたレオが目を瞑った。
ああ、とそこで俺は思う。
ぎゅうっと目を瞑ったレオの顔はなんだか子供みたいに見えたけれど、きっと。
今の俺も子供みたいな顔をしているんだろう。
とんとん、とノックの音が響いたのはその時だった。
びくっと俺たちは背筋を引き攣らせ、次いで俺はがば、と身体を起こした。心臓が発作を起こしたみたいにどきどきと音を立てていて、こんな感覚は去年の体育祭で無理矢理走らされた時以来なんじゃないか、とすら思う。思わず軽く万歳した手がまるでお手上げ状態みたいだった。
一方でレオはベッドからのろのろと起き上がると、はい、とドアの方に向かって返事をした。声はいつもと全く同じように聞こえた。
「お兄ちゃん、ザップさん?ごはんできましたよってママが」
「あ、う、うん。ありがと」
はーい、というミシェーラちゃんの声が聞こえ、ついで遠ざかって行く音がした。俺たちは少しだけ無言でドアを見ていたが、一緒にのろのろと立ち上がった。
「…………め、飯、っぽいな」
「…………あ、は、ハイ。い、行きましょ」
おう、と返事をして同時にドアに向かい、なぜか俺たちは接触事故を起こした。つまり手とか肩とかがぶつかった。思わず同時にびくっとして俺たちは一歩ずつ横に退ける。二人で顔を見合わせて何だか分からないテキトーな笑いで誤魔化し、ドアを開けた。
飯は美味かった。
ほんじゃ、と言って俺は手を振る。はい、と言いながらレオはエレベーターホールまで行きますよと言いながら玄関までのこのこと歩いて行く。マジかどうする、と俺が必死でこの後のことを考えていると、くいくいと袖が引っ張られる感覚がして俺は慌てて振り向いた。
「…お邪魔しちゃいました?」
案の定そこにはレオの可愛い妹ちゃんが突っ立っていて、俺は顔を顰めて邪魔じゃねーよ、とだけ言って手をひらひらさせる。「バイバイ。もー俺はドーナツ屋には行かねーからな」「あ、お兄ちゃんと上手くいったってことですか?」「ちげーよ!」ぷいっと顔を背けて玄関まで歩いてく俺の背中に、くすくすという楽しげなミシェーラちゃんの声が聞こえた。
エレベーターホールまで、と言っていた癖にレオは結局マンションの駐輪場までついて来た。エレベーターの中の気まずさといったらない。こいつと一緒にいてこんなに気まずいことなかったな、と俺は煙草を取り出しながらそう思った。そもそも気を遣わなくていい相手だからいつも一緒にいるのだ。気の置けない。そういう慣用句がぴったりな奴だった。
「…ここ禁煙ですよ」
「え?…そーだっけか」
仕方なく煙草をポケットにしまうと、そもそも未成年じゃないですか、と言われてうん、と俺は適当な返事をした。そうなんだけど。場がもたないから煙草を喫おうとしたっていうか。
「…んじゃ、帰るわ。ほんじゃな。ごっそーさん。かーちゃんに美味かったって言っといて」
エレベーターホールを抜けて駐輪場に着く。マンションの入口でカップルらしき二人とすれ違った時の気まずさといったらなかった。いろんな意味で今はカップルは鬼門だ。レオは俺の言葉に素直にはい、と頷いてからちょっとだけ間を空けて、口を開いた。
「………あの」
―――きた。
俺はぎくっとしながら、何だといつもの如くを装ってヘルメットを被る。かちん、という音が嫌に大きく聞こえた。
「…明日も昼飯一緒に食いますよね?」
しかしレオはそんなことを言った。俺はきょとんとしながらレオの方を見て、うん、と頷く。別に食べるなんてことは考えたことがなかった。なぜか。俺に彼女が出来ても、俺は昼飯だけは絶対にレオと一緒に食っている。それこそ修学旅行の時とかこいつが休んだ時とか特殊例を除いて、毎日。
「…そっすか」
よかった、とレオはさっきまで泣いていたのが嘘みたいににっこりと笑った。
いつもとは少し違う。まるで安心したように、ほっとしたように、嬉しいって感情が物凄く全面的に前面に出ている、笑顔だった。
―――――俺の傍にいられてよかった、みたいな。
そこまで思ってえ?と俺は自分自身にぎょっとする。何、何考えてんだ。相手はだって、レオだ。レオナルド・ウォッチ。後輩で、男で、チビで、こんな。
こんなに傍にいて落ち着ける。
それじゃまた、と言う声にうん、とぼーっとしながら頷いて俺は手を振る。「…明日は屋上にしましょ」「…おー」一言返事をして、ひらひらと手を振るレオから目を外して、俺はスクーターを走らせる。ミラーを覗くとレオがまだこちらを見ているのが分かる。何なんだ。俺は振り返んねーぞ。そう思いながら愛車を走らせた。
…手は振ってしまった。
信号に来てポケットから煙草を引っ張り出し、火を点ける。かちんというライターの音、車がその辺を走ってる音、横断歩道のとおりゃんせ、何もかも遠くから聞こえてくる気がする。
「……あー…やべえどーしよ…」
まさか本当にそうなるとは。ていうか、マジで?何であいつ目ェ瞑ったの?何で俺もあそこであんなこと言っちゃったの?どうすんの?だってもう、俺さ、あいつが誰かと付き合いますとか言ってきたり誰かに告白されましたとか言って来たらもう絶対邪魔するよ?邪魔どころかもっとひでーことしちゃいそうだよ。やべーよ。どーすんだよ。ていうかこれ女だけじゃなくて男に対してあんなんだったら俺100パーその男ボコボコにしちゃうんだけどどーしよう。だって俺以外にあんな笑顔見せたらふざけんなよ何してんだよってなっちゃうよ俺。
信号待ちの間そんなことを考えて俺は煙草を手に持ち直し、ため息を吐く。煙が流れるように夜空と道路を舞っていく。バレたらやべーなと思いつつも煙草は止められない。
キラキラと光る夜空に煙草の煙は似つかわしくなかった。
俺とレオは次の日一緒に飯を食うには食ったのだが、何だかんだあって俺はもう一回程妹ちゃんから尋問を受け、結局レオと付き合うことになったのはこの時から三か月くらい過ぎたあとだった。付き合い出してから、俺がドーナツ屋にやたら詳しいことにレオはちょっと疑問を抱いたようだったが、ミシェーラも好きなんですよと嬉しそうに笑っただけだった。あの尋問のことは、別段突っ込まれたことはない。
「付け込みました?」
ある日そんな風に言われて俺はべえと舌を出した。「付け込んでねーよ。なるようにしてなったの」そう言うと、ミシェーラちゃんはちょっと目を瞠ったあと、嬉しそうに笑った。あ、とそこで俺は気が付いた。それ、そのカオだ。
「…やっぱレオに似てんな」
「ううん、そうじゃなくて」
私がお兄ちゃんに似てるの、と言って笑った笑顔は、なるほどレオにそっくりだった。
終