そこから奇跡

2016/05/26

「どうして一々僕が迎えに来なくちゃいけないんですか!?終電逃してまで飲まないでくださいよ!」
「うるっせぇなもー、……、…あ、オイ魚類、あの店まだやってんぞ!行こーぜ!」
がし、と義弟の肩を掴んでそう言ったが、当の義弟は嫌ですとにべもなく断ってきた。
「大体それ以上飲んでどうするんですか。本当に置いて行きますよ」
冷たい言い方の割に、声はひどく疲弊していた。「…さっさと帰りますよ。次はもう来ません」「ああー?んだよお兄さまに向かってこの」きゃっきゃとはしゃいでいる自分を鬱陶しそうに見ながら、ツェッド・オブライエンがげんなりした顔で、またしても溜息を吐いた。


飲み会というよりも酒が好きなのだ。アルコールだ。サワーだろうがビールだろうが日本酒だろうがウイスキーだろうがカクテルだろうが、ともかくアルコールを摂取したい。だから今日も一体何の飲み会なのか名目は忘れてしまった。最初は隣にいた同級生と会話していたが、最終的にザップ・レンフロは別学部の女子学生数人とはしゃいで酒を飲んでいた。よしこのまま誰か持ち帰ろう、といつもだったらするところだったが、そこで悶着が起きた。二次会で入った居酒屋の店員の一人が現彼女の一人だったのだ。ちょっとどういうことよと大揉めに揉め、結果的にザップは友人にその場を任せて店を出た。さてどーしよう、と思う前にすぐ向かいの店にめちゃくちゃ好みのタイプである店員がいるのが見えたので、迷うことなくその店でザップは飲むことにした。ちなみに今こうなっているのだから、結果はお察しと言うところだ。終電が通り過ぎたころ会計を済まし、それじゃとばかりに義弟を呼び出して今になる。冗談じゃありませんと電話口で怒っていた義弟は、ザップが秘密の呪文を言った途端に素直にこうしてやってきた。

――――そう。
秘密の呪文がある。

そいじゃーレオを呼ぶ。

そう言った途端に義弟は押し黙り、どこなんですか一体、と苛立ったようにそう言ってきた。ザップは爆笑しながら最寄りの駅と店の名前を告げた。わかりましたと乱雑に言われたあと電話が切れ、ザップは一人でくすくすと道端で笑ってしまった。バカだなー。酷いことを思って、義弟を待った。

レオというのは義弟の同級生で自分の後輩で、つまり二人にとって友達だ。レオナルド・ウォッチという名前でザップの一つ下の学年にあたる。ザップは義弟とは仲がそんなにいいわけではない。けれどもレオと仲はいいと断言できた。絶対に本人の前では言わないけれど。
「…大体なんであなたいつもいつもレオくんを呼ぶんですか?」
肩にザップを引っ掛けるようにして歩きながら、ツェッドは溜息を吐いた。「彼未成年なんですよ」「そりゃオメーもだろ」「…そりゃあ僕は」言いたくありませんがあなたの身内ですからね、と苛立ったようにツェッドは言うと、信号で止まった。週末の歓楽街ははしゃいだ声と、救急車のサイレンと、ビル風と、呼び込みの声が反射して聞こえる。「そーかそーか。お兄さまが心配だったと」そう爆笑して言ったザップを義弟は無視した。

最近ザップは知ったのだ。秘密の呪文がある。
んじゃレオを呼ぶか、と最初はそうちらりと独り言を口にしただけだった。途端に義弟は二秒程黙ると、わかりましたとぽつりと言って電話を切った。なんだそりゃ、とザップがぽかんとしている間にもツェッドは息を切らして迎えに来て、もうこんなこと絶対しませんからね、と眼を怒らせてザップを引き摺るようにして、一緒に帰ってくれた。途中でザップは寝てしまったので、気が付いたら背負われていたのは覚えている。
そこからだ。
たぶんこれでもう十回目くらいだろう――――いい加減にして下さいよとツェッドは言いながらも、ザップを何度も何度も迎えに来ている。酷い時はそのままやって来た義弟に会計を押しつける。無論ザップはその金を返したことがない。へらへらと笑って義弟を見つめているザップを振り返って、何なんですか本当にもう、と毎度彼が怒るのがお約束になってきた。
「おまえさー、……あれだろ、」
レオのこと好きなんだろ、と爆笑しながら言うと、一瞬義弟が身体を強張らせたのが分かった。「…お」図星じゃん、とくすくすとザップが笑ったのが癇に障ったらしい、冗談はやめてくださいとツェッドは苛立ったように言った。
「…そういうんじゃないです。大体、彼今普通に付き合ってる方がいるじゃないですか」
そう言った義弟の声は微妙に動揺している。こりゃ黒だ、と思いながらザップは笑いながら返事をした。
「あー、知ってる知ってる。てか付き合ってねえぞ。アイツ」
「え」
嘘、と珍しくぽかんとしたように義弟が似合わない言葉遣いで、そう言った。「好きは好きだったっぽいけどな。まあでもいーんじゃねえの。俺になびくようじゃ」アイツには合わねえって、と言ったザップの横で義弟が足を止めた。おわ、とザップは少し足をよろけさせてなんだよと文句を言う。半ば以上義弟に体重を預けているから、彼が止まると自分にも影響が出るのだ。
「………ちょっと待って下さいよ。それはどういう意味なんです」
「?なにが」
「…俺になびくようじゃって」
「ああ」
ちょっと声かけたらソッコー落とせた、とザップは笑ってそう言った。「だからさあ、…レオには合わなかったって。どのみち」それを聞いてツェッドが絶句したように口を開いた。絶句しているのだが口くらいは開けるのだろう。下らないことを思った。
「………、あ、…あなたそれ、……レオくんがその、その子のこと好きだって分かってたんでしょう?」
「?オウ。いーだろ別に。付き合ってるわけでもねえし。……にしてもアイツ女の趣味わりーよなー」
てかアホなんだよな、と言ったザップは直後どん、と突き飛ばされた。「おわ!」なにすんだこら、と顔を上げると隣に立っていた義弟は明らかに怒った顔をしていた。憤怒と言っていい。
「………帰ります」
あとは一人で帰って下さい、と言いながらひょいとツェッドは屈みこむとザップの上着のポケットから何かを取り出した。「あ、」てめコラ、と言いながらザップも立ち上がる。ツェッドはザップの携帯を奪ったまま、すたすたと家の方向に歩いて行った。


「ちょ、おーい待て。まーてーよーおい。ぎょるいー」
俺足元ふらつくんだって、と言いながら信号で再度止まっている義弟の後ろから思い切り抱き付くと、ぎゃあと引き攣った声が上がった。「わははははは!ばっかでー!何だその声!」「…………、い、…いい加減に、」して下さい、と言いながらツェッドが振り向く。「…なー、なーおまえさー、マジでレオのこと好きなんだろ。そーだろ」そうザップは笑って話しかけた。アルコールのせいで何が起きても楽しい気分なのだ。笑い上戸の気はなかったはずだが、どういうわけか今日は笑うこと以外の感情が出てこない。
「……どうしてそう思うんです」
「あ?だっておまえレオの名前出すと迎え来んじゃねーか」
「そりゃそうですよ。レオくんに身内の恥をさらす訳にいきません」
「いーわけばっかしやがって」
バカだな、と言いながら彼の脇腹に軽く肘打ちをしたがツェッドは微動だにしなかった。腕組みをしながら信号を睨んでいる。
「………レオくんは多分」
あなたが好きだと思いますけどね、とツェッドは苦虫を噛み潰したような顔で言った。「……あ?俺?」「………そうですよ」一体あなたの何がいいのかさっぱり僕にはわかりませんけど、と言う義弟の声にとおりゃんせの電子音が重なった。ザップやツェッドと同様、信号待ちの人々もぞろぞろと動き始める。
「…彼があなたのことを話している時の顔は普段と全然違いますからね」
他の誰とも、と言ったツェッドのそれを聞いて、ふーんとザップはどうでもよさそうにそう言った。ほんとかソレ。そう思ってちらりと隣にいる義弟を見たが、ツェッドはそれを聞いたせいか益々顔を顰めていた。
「……もう少し何かないんですか?彼に嫌がらせをしている暇があったら」
「んー。そら別に付き合ってやってもいーけど」
そう笑いながら言うと、横断歩道を渡り終えたあとにツェッドはぴたりと足を止めた。
「………………もし」
顔を上げる。ツェッドはこっちを見向きもせず、正面を向いていた。だから彼がどんな顔をしているのかはザップには分からなかった。「…もし今のままあなたがレオくんに手を出したら」僕は許しませんからね、というそれを聞いてもザップは何とも思わなかった。二秒後くらいに、こりゃーまだまだ微妙なラインだとそう思う。
「………………。」
でもやっぱコイツ、とザップは義弟の背中を見ながら思った。―――レオが好きなんだろーな。そう思ってなぜかまた、おかしくなって笑い始める。どこがいーんだか。糸目でチビで別にすっげえ頭がいいとか可愛いとかそういうとこもねーし、そりゃまあ性格の良さは認めてやらんでもねーが、ぎゃあぎゃあうるせーし俺のことを一ミリも敬わねえし。
たぶんそういうことを雑にごちゃごちゃとザップは言ったのだろう。後から思い出そうとしたが思い出せなかった。それを聞いて、あなたねえ、と言いながらツェッドはまた苛立ったように振り返った。「彼みたいな友人がいてよくそんなことが言えますね。いわば奇跡みたいなものなんですよ」「は?」なにが、とザップはきょとんとした。奇跡?奇跡ってアレだよな。滅多に起きねえっつか、起きねえからこそ奇跡なんだとか言う。
そんな自分を見つめながら、ツェッドが口を開く。

「…あんなに優しい彼みたいな人があなたの傍にいることが」

奇跡みたいなことなんですよ、とツェッドは言った。感情を殺した声だった。悲しいとか、嬉しいとか、淋しいとか。
そういう気持ちは一切読み取れなかったし、いつものようにクールな様子でもない。ただ単に事実を告げているようにしかザップには聞こえなかった。
―――そしてザップは知っている。昔から、義弟がこういう態度を取る時は自分の気持ちを隠そうと躍起になっている時なのだ。
義弟はぼーっとしているザップを見て、はあ、と小さく溜息を吐いた。酷く悲しそうな溜息だった。「………帰ります。さよなら」「さよならってなんだオイ。同じ家だろ」「ええ。…不幸なことに」不幸ってなんだよ、と言いながらツェッドの後を追う。奇跡。奇跡ねえ。どこがだよ。そりゃーレオに代えがいるとかそんなことを言うつもりは毛頭なかったが、けれどそりゃ幾ら何でも言い過ぎだ、とザップは思った。―――なんちゅーか。
「……おまえレオが好きだなー。マジで。どこがいーんだよ」
「………………………僕がレオくんに聞きたいですよ」
悲しげな声を聞いて、益々ザップは爆笑する。何をそんなに悲しんでんだか。まあ確かに?呼べばすぐ来る文句は言うなりに言うことは聞く、たまに褒めればアホみたいに喜ぶし、一緒にいる時は確実に楽しいし、ひと月にいっぺんくらいは可愛げを見せる。確かにその通りだとは思うけれど。
「……ん?待て。おめえがレオに聞きてえっつーのは意味がちげーだろ」
「はいはいただいま帰りました。お休みなさい。お風呂の栓はちゃんと抜いて下さい」
自宅のドアを解錠して弟より先にふらふらとザップは自宅に入る。玄関で寝転びそうになった自分を珍しく義弟は蹴飛ばして無理矢理中に入れた。「いってえ!オイコラ何すんだよ!」「お休みなさい」そう義弟は言うと自室にすぐに引っ込んでしまった。何拗ねてんだか、とザップはそう思ってまた笑った。やっぱりまだまだ子供なのだ。

そしてその子供だと思っていた義弟が、レオと付き合うことになったと言ってくるのは大体半年後くらいになる。流石に聞いたときは目を剥いてしまい、もうヤったのかと聞いて普通に殴られた。
「いてーな!?何で殴った!?」
「……………………というわけで」
真っ赤な顔をして怒った義弟はそう言って腕を組んだ。「…もう使えませんよ」「あ?なにが」「…………秘密の呪文です」馬鹿馬鹿しい、とでも言わんばかりに義弟はそう言ってプイとそっぽを向いた。―――なんだ、とザップは笑った。やっぱりコイツ、拗ねてたんだな。何が奇跡だっつーの。そう思ってるのはたぶん。

「………おまえもレオもなんだろーから」

奇跡でも何でもないね、と言ったザップに、顔を赤くした義弟がきょとんとした顔をした。






ツェッドさんは好きになった相手心底大事にするだろうという話 あとめちゃ紳士だと思います。