手首を探せ
2020/12/28
よりによってその日だったというのが胸糞悪い。
ガラス窓を突き破ってビルの外に叩きだされる。砕け散ったガラスも、アスファルトも、更に言うならアスファルトの上に停車している車のボンネットだって、クッションには程遠い。雪が積もっていたとしても、結果は同じだ。なんなんだ今日は。今朝方愛人に殴られたことを思い出して、天を仰ぐ。厄日だ厄日。
舌打ちをしてぶん、と手にしていた刃を投擲すると、信じ難いことにこちらを見下ろしていた相手に命中した。うっそだろマジかよ、と投げた自分が目を見開いてしまう。当たるのかよ。てゆか見下ろしてんじゃねえよバカか。
けれど結果的にはそれが悪かった。
「あ」
呟いた瞬間、自分が投げたそれがばしゃん、と溶けて血に戻る。油断したわけでもなんでもない。ただ単に、自分の意識が一瞬途切れただけだ。投擲した血だろうがなんだろうが、それが俺の血液であることは間違いなかったが、流石に液体に戻った自分の血液を操るのは難しかった。血液が目に入って思わず「いって!」と言いながら眼を瞑った。
めのまえがまっかになった!
正確に言えば「まっくら」だ。何しろ俺は目を瞑っていたのだから。
るせーな、と思ったのが最初だった。呻きながら眼を開けようとしたが、眼が開かない。あー、そーいや目に血が入ったんだっけ。初歩的なミス、どころか初心者でも犯さないような失敗をやらかした。師匠がいたら細切れにされていたかもしれない。
「…っから、マジで、ほんとに、やばいんですって。救急車呼んでくださいよ。違いますって!ほんとに、ほんとだってば!」
隣でぎゃあぎゃあ喚いている声がする。
「…………。」
腕はめちゃくちゃ重かったが、仕方なくその腕で眼を擦った。血が固まっていて開きにくい。
うっすら開いた眼で自分の手を見ると、トマトをぶち割ったみたいに真っ赤になっている。それどころか、インナーもジャケットもパンツも俺の周りも真っ赤だった。
「……うわ…おいマジかよ……血だらけじゃねーか…」
「だから、……っあ!!ザップさん!?」
隣から突然大統領演説が始まったかと思った(ちなみに俺は今の大統領の名前を知らない)。すごい勢い過ぎて、それが自分の名前だというのを理解するにも時間がかかる。
「……うるせえ……上映中はお静かにって言うじゃねえかお前…」
悪態を吐いた俺のそれにツッコミすら入れず、「意識戻りましたけど、マジでやばいからおねがいしますって」と後輩は誰かに何かを訴えている。何がやばくて何がお願いするんだか、いまいちわからん。つうか、今、何時でここはどこだ?俺今夜サマンサと会う約束してんだけど。
「お願いしますってば!じゃなかったらほんとに車回してください!誰でもいいから!」
「………おいレオ…」
「だ……、…はい!!」
途端にレオが凄い勢いでこっちを向いた。あ、なんだ俺今こいつの膝に頭乗せてんのか。身体全体が冷たい割に頭だけはそうでもない、と思っていたのはどうやらそのせいらしい。そういえば、昨日の夜からずっと雪が降っていて、ヘルサレムズ・ロットは今朝から雪だるまを作るガキどもで溢れていた。
レオはスマートフォンをぽいとその辺に放り投げると(しかし通話はそのままらしい。スマートフォンの向こう側で誰かが何かを言っているのが聞こえた)、「何ですか!?」と凄い勢いで俺にそう怒鳴った。多分コイツ的には怒鳴るつもりはないのだろうが、俺としては怒鳴っているようにしか聞こえない。耳がキーンとして思わず「うえ」と呻いてしまった。
「あっ、だ、大丈夫ですか!?ザップさん!し、死ぬ!?死ぬの!?死なないでください!!」
「おま、…お、…おちつけバカうるせえ……やめろ……」
再びの耳鳴りに呻いてしまう。なんなんだコイツはさっきから。いつもうっせーけど、今はそれに必死さが加わっている。つまりいつもよりもっと煩い。
「今、今スティーブンさんに、きゅっ、きゅう、きゅうしゃ、よん、……よんで……、よん、よんで、るから…」
そう絞り出すような声で言ったが否や、冷たいし寒いしどこもかしこも感覚がないしで最悪な気分の俺の上で、後輩は火が点いたかのように泣き出した。
「………あ?」
茫然としてそう呟いた俺の頬の上に、ぱたぱたと大粒の涙が落ちてくる。男の涙なんてもの誰が好き好んで浴びなくちゃならねえんだ、と普段は思うだろう。でもその時はたまたま普段じゃなかったので、俺はぼーっとすることしかできなかった。多分今ここに画家がいたら、俺たちの絵を描きながらタイトルをこうつけるに決まってる。『突然泣き出した煩く生意気な陰毛頭と呆気にとられる美しい青年』とかなんとか。
「お……おねが、おねがいしますザップさん、し、しな、しなないでくださいっ…!!し、しぬ、しなれたら、しんじゃう……!!」
「はあ?お前何バカ言ってんだよつかなんだよさっきからうるせーな。男の癖に泣くなっつーのバカアホ陰毛頭」
一応その場で思いつく限りの罵倒をしてみたつもりだったが、レオには一ミリも効果がなかった。「しんじゃやだ」とか「こまる」とか「しなないで」とかいう単語を繰り返し呟いている。大丈夫かコイツ。よく聞く壊れた人形、とかいうのには見えなかったが、壊れたレオには見えたので俺は普通に怯えた。確かにこいつは一般人だが、ある程度の事態には耐性ができているからだ。ライブラに入って大して時間は経っていないとはいえ、一応ヘルサレムズ・ロットに住んで半年以上は経っているのだ。
――――けれどそこでふと、気が付いた。別に俺もコイツのことを大して知っているわけじゃない。
他人に質問されたとしても、性別と名前くらいしか答えられないだろう。それはまあ、こいつもそうだろうが。
「おいお前大丈夫か…?薬は二十歳になってからにしろよ…」
「ば、バカじゃないすか薬は幾つになってもダメでしょーが!!そう、そ、そそ、そういうこというから、僕の家のっ、冷蔵庫、うう、うううううう」
「あーあーあーあー」
冷蔵庫がなんだっつーんだ、と聞くより先にレオは俯いてぐずぐずと泣き出した。いやだからなんなんだコイツは。
「…ん?おい。救急車ってお前言ってたけど来るのかソレ。パンピー呼べねえだろ」
「す、スティーブンさんも、そういってよんでくれ、ないからっ、だからいま車だし、出して、」
「あーあーあーあー分かった分かった。落ち着け落ち着け」
よしよしと重い左手を動かして頭を撫でると、レオはのろのろと顔を上げて、俺の顔を見て益々泣いた。
「…………。」
なんで俺の顔を見て泣くんだコイツ。失礼過ぎねえか。つか普通にさみいんだけど、とそこで思い出した。今一体何時なんだ?
「おいレオ今何時だ?俺今晩サマンサと会う約束があるんだよ」
「………は…?え、夜の七時ですけど…、…」
レオはぽかんとした様子でそう言うと、ごしごしと目を擦った。もしかしてこういうフツーの会話してた方がコイツの情緒にもいいのかもしれねーな。ここに旦那がいたらよかった。面接質問程、ライブラに似つかわしくないものはない。
「あ〜〜〜マジかよ〜〜〜…遅刻すると機嫌取るのめんどくせーんだよな…」
額を押さえてそう言った俺をまじまじと見つめて、レオは「あの」と困惑したように呟いた。
「…あの、えっと。多分今日は無理です。サマンサさんには『行けない』って連絡した方がいいと思います」そう言われて怪訝に思う。
「あ?なんでだよバカ。行くぞ俺は」
「いや、無理っすだから。だって」
ほら、と言いながらレオはそっと何かを手に取った。布にぐるぐると何かが包まれている。ティーポットくらいの大きさに見えたし、かといってティーポットよりは細長い。でかい胡瓜とか茄子とか人参とかが入ってんのか?けどそうじゃないはすぐ見て分かった。その布が真っ赤だったから。
レオはその白い包みを大事そうに抱えながら「だって今ザップさん、」と半分くらい泣きそうな声で言った。
「右手がないし」
「は?………………、…………は!?」
右の手首より先がないということに、その時やっと気が付いた。
「うおおおおお!?なんで!?手!!俺の手は!?」
俺の手首はどうやらいつも着ているジャケットの袖で止血されている。通りで真っ赤な筈だ。
「ザップさんの手はここです」
レオはそう言って、ぐるぐるに包んである何かを大事そうに抱えた。よくよく見れば、その布はレオがいつも着ているあのツートンカラーのトレーナーだった。少しくすんだマスタードが真っ赤に染まっている。おいケチャップじゃねえのかそれ、と言いたくなったがやめた。流石に俺もこの状況でふざけてはいられない。
「おいそれ俺の手かよ!?なんで!?」
「覚えてないんですか…?ざ、ザップさん、僕を庇って思っきし手ぇ切られてそのまま八階からここまで落下したんですよ…も、もう、もう俺、し、しし、死んだかと、死んだかと……!!あああああ〜〜〜」
「だああうるせえなバカ泣くなこんなことで!!!俺が死んだあと泣け!!」
「死なないでください〜〜〜〜!!!」
生温い涙がぱたぱたと頬に落ちてきて顔を顰める。だーもうやめろマジで男の涙なんぞ頼まれたって触りたくねえし触られたくもねえ。
しかしこれで合点がいった。なるほど。だから俺は雪が積もりまくっているアスファルトの上で血塗れで寝転がっているんだし、レオはさっきからずっと混乱して号泣しているのだ。まー半年経とうが何だろうが、身近な人間が手首紛失してたらそりゃーまあこうなるか。特にこいつは一般人だし。
「ざ、ザップさん…黙っていられると死んじゃったみたいで怖いので何かしゃべってください…!今車まわし、まわ、まわしたって、れんらくが、あったから…!!」
「お前が死にそうじゃねえか…」
呆れてそう言ってしまった。レオがめちゃくちゃ混乱しているせいか、俺はむしろ冷静になってきた。まあ手首切れてるとはいえ止血はしてあるし、意識はあるから今んところすぐには死なねえだろ。そこでふと気が付いた。
コイツの服が巻いてあるということは、止血をしたのはコイツなんだろうか。硬い膝はめちゃくちゃ居心地が悪かったが、めそめそ泣いているコイツの顔は、けっこう中々それなりに面白かった。原因が俺だと思うと、なぜだか余計に笑いたくなってくる。つうかさっきから何泣き喚いてんだこいつは。
「あんなーお前さっきから何泣いてんだよ。お前がいてーならともかく手首一本やられて全身出血多量で死にそうなのは俺だろーが。オメーには関係ねえだろ」
お陰で俺の白いジャケットもパンツも何もかも血塗れだった。雪の上とはいえガラスが散らばっていたせいで、ガラスの破片であちこち引っ掻いているせいもあるのだろう。クリーニングじゃとても落ちないような夥しい出血量だ。一番被害を受けているのが俺じゃなくて俺の服ってーのは結構ウケた。
けれどレオはそんな俺の様子に微塵も気が付くこともなく、「は?」と茫然とした様子でそう呟いた。
「…じゃあザップさんは、無関係の俺を庇ってこんなに大怪我したんですか?」
それを聞いて「あ」と気が付いた。流石にそんなことはない。
そして更に俺にしては珍しくそれに気が付いた。多分、それは『言ってはまずい』ことだったのだ。なんというか、人間関係とか、そういう類のものにおいて。
「…………あ〜〜〜〜いやそれはな。あー、まあほら。なんだ。レオ」
言い訳はよくするが、よくするわりに全然得意にならなかった。しかも浮気の言い訳や遅刻の言い訳はお手の物だったが(でもすぐバレる)、この類の言い訳はしたことがない。なぜなら今までこんな奴は俺の傍にいなかったからだ。
「…無関係の?俺を?庇ったってこと?無関係の?」
「お〜〜〜わかったわかった。悪かった後輩よ。無関係は言い過ぎたな悪かった。な?なー」
そーいや俺の怪我した原因ってそんなんだったんだっけ。覚えてねえけど。慌てて手を動かしてレオを宥めようとしたが、レオが「やめてください。血が出てるんだから」と俺の動きを押しとどめた。なんかコイツ冷静になってきたな。多分俺に対する怒りでだろう。こうなるとまだ泣いてた方が扱いやすかったな、と思ってしまった。
「あー、いや。ちげーよ。あのな俺が関係ねえっつったのはな」
なんか変だな。言い訳を言いながらそれに気が付いた。なんで俺はこんなに必死に言い訳をしているんだ?
目の前にいる男はたかだか最近ライブラに入社して、ちょっと前まで護衛を頼まれていたので仕方なく護衛という名の子守りをしていて、それ以下でもそれ以上でもない。強いて言うなら後輩だ。
なのにどうして俺はこんなに必死に言い訳を考えてんだ?
「………………。」
俺が突然黙ったからだろう。レオははっとした様子で俺の左手をぎゅっと掴んだ。
「あっ、ごめんなさいごめんなさい。死なないでください!無関係でもいいから!」
「お―――おいなんだそれ。無関係でいいわけねえだろ。関係させろよ」
反射的にそう言ってしまった後、はっとする。それはレオも同様だったらしく、きょとんとした様子を見せた。
「…………………。」
「…………………。」
地味に気まずい沈黙が流れた後、ぶは、と最初にレオが噴き出した。顔を顰める。
「……笑ってんじゃねえよクソガキ…」
「だってなんすか今の。『関係させろよ』?」
「うるせーバカ。大体お前が――――」
その時だった。
ずしゃあ、という派手な音と共に車が凄い速度で裏路地に突っ込んでくる。ぎょっとした俺は、すぐさま起き上がってレオを後ろに放り投げようとした。が――――右手が空を掴んで思い出した。あっそうだ俺今右手ないんだった。人生で一回も起きないと思われることを経験してしまった。
仕方ないのでその0.1秒後に止血されている右手から無理矢理血を伸ばす。当然、手首から先はないから切断面から無理矢理血を伸ばすしかない。この状況で利き手じゃない左手を使うのはリスキーだ。
レオの服が真っ赤に染まっていくのを見て、思わず心配になった。これ俺にクリーニング代とか請求されねえよな?されたらされたで踏み倒すから問題はなかったが、経費精算とかでライブラを経由されると非常に面倒なことになる――――、と俺にしては珍しくごちゃごちゃ考えてしまった。だから遅れた。
「うおっ!?」
その衝撃に思わず声を上げて倒れ込む。後ろからレオが思いきり俺に抱き着いてきた。抱き着くというよりは、タックルという方が正しい。当然俺はべしゃ、とそのままうつ伏せに雪の上に倒された。普段だったらこんな失態は犯さねえが、その時の俺はいかんせん血が足りない状態だったし、右手はないし、後から知ったが左足と右足は折れていた。全身にガラスは刺さっていたし、右目も左目も血まみれで世界は真っ赤だった。
「ば…っかお前、」
どけよ、と上に覆い被さるようにしているレオに向かって、そう言おうとした。言うっつーかキレようとした。テメーそれが先輩に向かって取る態度か?あと右手がいてえ。後々思うにちょっと俺もおかしかった。
「バカかアンタは!!!」
キーン、とその時もまた耳鳴りがした。甲高いような、いやよく聞こえばちゃんとした男の声だったのだが、その時の俺の耳は正常じゃなかった。怪我で全身の器官が色々とおかしくなっていたのだ。
「死なないでって言ったじゃないですか…!!」
ぱたん、とまた俺の頬に生温いその液体がぶつかった。俺の上にいる後輩は、もう誰がどう見てもまごうことなく泣きじゃくっていた。大粒の涙がぼたぼたと頬を流れ落ちているし、流れ落ちていないものは俺の頬にぽたぽたと零れ落ちている。
「…………………。」
ひっく、としゃくり上げている後輩はどうやら俺を庇ったらしい。黙ってぐるんと身体を反転させる。レオは自分の眼をごしごしと擦っていた。
関係ねえだろ、なんて言うんじゃなかったな、とその時やっとそう思った。
少なくとも関係ないってことはない。レオがさっきからずっと混乱して泣いて喚いているのは俺のせいなんだろうし。
それを見てうぜえとかアホかよとか思うより先にかわいーな、とか思う俺がいるんだから、やっぱり関係ないっつーことはないのだ。あーあ。
「…………泣くなよ」
はー、と溜息を吐きながら右手を差し出す。さっき俺が血法を使おうとした拍子でだろう。俺の右手にぐるぐると巻き付けられていた俺の白いジャケットは、とっくに血を吸いまくって雪の上にボロ雑巾のように転がっている。
手がないから仕方なく、途切れた手首でぺちぺちとレオの頬を叩いた。
「………………いてえ」
顔を顰めてそう言った俺を見て、レオはぐず、と鼻を啜り上げる。後輩の腕の中で、俺の手首は行儀よく布に包まっていた。
俺の手首の癖に本体より優遇されてんじゃねえよ。
そう思った俺の眼に、車から誰かが下りてくるのが見えた。
信じがたいことに、その数時間後手首はきっちりくっついた。某女医は「ゆーてすぐには動かせませんからね」ときっちり俺に念押しして部屋を優雅に去っていき、その足で別の手術に向かったらしい。貧乏暇なしとは言うが、医者も暇なしだ。特にこの街では。
俺の手術自体は大して時間がかからなかったらしく、レオはその間ずっと廊下やらロビーやら屋上やらでうろうろと無意味に動き回っていたらしい。ウォーリーですらもっと大人しいぞ。そう言うと、レオは「ザップさんもウォーリーを知ってるんですか?」とどうでもいいことにツッコミを入れてきた。
「ピングーも知ってるぞ。俺は」
「嘘でしょ。ピングーまで?」
どう聞いても馬鹿にしているようにしか聞こえない。むっとしてデコピンしようとしたが、レオはそれをひょいと避けた。クソガキめ。
「…あーあ。サマンサになんて言い訳すりゃいーんだよ。バカ。お前のせいだぞ」
「はいはいすいませんすいません。謝っておいてくださいよ」
後輩はさっきから俺のベッドの横で真剣な顔で林檎を剥いている。容態を見て大丈夫だと判断したらしい愛すべき俺たちの上司と同僚は、さっさと事務所に事後処理とかで戻っていった。薄情者め。そう言った俺に、「すまないザップ」と律義に謝ったのは旦那だけだった。旦那だけっつーのがまたずりーよなこの組織。長があれじゃあ文句のつけようがない。
ちなみに番頭は「ザップお前…小さくなったな…」と俺の手首に真顔で話しかけていた。ぶっ殺したろかいと思った俺より先にレオが結構真剣にキレてしまったので、番頭は「すまん」と俺じゃなくてレオに謝っていた。俺に謝れよ俺に。
「あ〜〜〜〜〜マジよ〜〜〜〜〜ふざけんなよ何が聖なる夜だ。血まみれの夜だよバカ野郎」
「ああ…そーいや今日はクリスマスでしたか…」
はあ、とお互いに溜息を吐いて顔を見合わせ、そしてもう一度ずつ溜息を吐いた。やってらんねー。聖なる夜になんで俺は手首を切られてくっつけられて、そんで男の後輩と病室で二人っきりでいなきゃなんねえんだ?そりゃまー泣いてるとこは可愛げがあったかもしれねえが、既にそんな感情は宇宙の果てに飛んでいってしまった。しかも今泣いてねえし。いや泣かれてもめんどくせーから嫌だけど。
しょりしょりという林檎を剥く音と一緒に廊下からはストレッチャーとか点滴のスタンドとかが移動する音が聞こえてくる。病院は静かなようで意外にうるさい。まあ静かになったら全員患者は死んでるんだろうから、煩い病院の方がいいんだろう。早くナースステーションにでも行きてえな。
「……っと…できた!」
「おせーよ」
ボケ、と言った俺をレオは睨んだ。
「人がせっかく林檎を剥いたのに」
そういうこと言うとあげませんからね、と言いながらも、レオはちゃんと皿の上に切った林檎を並べてベッド脇のダッシュボードの上に置いた。歪とはいえ一応切り分けられた林檎に、レオがフォークをぐさりと突き刺す。
「はいどうぞ」
「…………………。」
差し出されたその林檎を見て唸ってしまう。いや、正確には林檎ではなく差し出された行為そのものだ。なんで俺がこんな奴から「あーん」されなきゃいけないんだ?そう思ったが、レオは「はいほらどーぞ」と何ら抵抗感ない仕草で俺にぐいぐいと林檎を突き出してくる。仕方ないのでがぶりと林檎を口にした。くっついたとはいえ、俺の右手は暫く安静中だ。
「………まずい。お前安モン買ってきたな」齧りながら思った。一回食っちまうと意外に平気なもんだ。林檎に罪はない。蛇に罪はあるが。
「はい!?せっかく顰蹙買いながらバイトを代わって貰ってわざわざ林檎を剥きに来た後輩に言うセリフがそれですか!?」
酷いっすよ、と口を尖らせたレオを見ながらもぐもぐと林檎を齧る。バイトってあれか。ピザ屋か。そーいや今日はクリスマス、一年で一番と言ってもいい稼ぎ時だろう。特に今日から年末年始まではピザ屋を道で見ない日はない。
「そーかそーか。バイトより俺を取ったのは褒めてやってもいい」
「俺を庇った人の手術を放置してバイトに行ける程人間終わってませんよ」
もう、と言いながらレオは自分でも林檎を齧った。大してでかくもない口の中に林檎が入っていくのを見ながら「はー。そーいうもんか」と呟いた。俺だったら『頼んでもないのに何してんだ』くらいに思うけどな。真面目な奴だ。
「あーあ。クリスマスなのにお前と二人っきりかよ〜。やってらんね〜〜」
「俺はザップさんがクリスマスに矢鱈こだわるのにびっくりしてますけど…そーいうの大事にする人だったんですか…?」
「どさくさでタダ酒飲めることがあるからな」
「……………………聞いた俺がバカでした」
はあ、とがっくりと肩を落としたレオが、林檎にもう一度フォークを差した。「はい」そう言って差し出された林檎を何となく睨んで、その後レオに視線を移す。
「?」
きょとんとした後輩は、「なんですか?」と言って不思議そうな顔をした。コイツ俺にこーいうことするの抵抗ねえのかなあ。そう思ったけど、多分そう言ったらもう二度としなくなるだろうから、言うのをやめた。
でも言ったら言ったで、きっと「そういうこと言うと関係しませんよ!」とか真っ赤な顔で言ってくるんだろう。
それはそれでちょっと見たい気もする。泣き顔以外もさせてみたいこともないことはない。
林檎をかじりながらそう思った。
終