それは私のです。いいえ、違います。いいえ、私のです。
2019/07/15
くすぐったいって、という声にむっとする。そしてすぐに視線を逸らす。けれどやっぱりむっとした。
「わっ!?」
「うるさい」
そう言いながら耳を齧ったせいだろう、にゃあとさっきよりも高い悲鳴が腕の中から上がった。「ちょ、ちょちょちょ何ですか何ですか何ですか!?いきなり!」「うるせーバカ。どーせこの後その気だったじゃねーか」「はあ!?」俺はそんなつもりないから、と言いながら顔を赤くした後輩が押してくる。邪魔くせーな、とザップはその腕を退けながら、暴れんなと顔を顰めた。
「あ、あああ、暴れる!こら!だめだってば俺今ゲーム、」
「お前なー」
俺とマリカーどっちが大事なんだよ、と言いながら肩越しにレオが持っているコントr−ラーを掴むと、あ、とレオは慌てた様子で画面に目をやった。「あっやっべ。逆走してる」「わはは。間抜けなやっちゃのー」「ザップさんのせいでしょーが!」もう、と言いながらレオはコントローラーを引っ手繰ると、再び画面を注視し始めた。まあこーしてるんならよし、とザップは思うと、そのまま壁に寄りかかる。レオは前のめりになりながらマリカーを続けていた。
この後輩と色々な意味で付き合うようになってからどれくらい経つのか。数えてないからわからない、とザップは言うだろうし、レオはレオで覚えてないと言うだろう。毎日いちいち意識しながら生きていたら、この街ではやっていけない。
―――世界は何でも起こるとはいうものの。
コイツとこうなるとは思わんかった、と漠然としたことを考えながらレオの背中をぼーっと見つめている。がちゃがちゃというコントローラーを弄る音と一緒にレオの背中や腕が動いているのを見てちょっと笑えた。ゲームをするとき身体が動いてしまうタイプなのだ。
「よっ…と、あ、」
やべ、と言いながらレオがぎゅっとコントローラーを握り直した時だった。ぴょんと小さな影がベッドの上に浮かんだことにザップは気が付く。
「あ」
おい、とザップが言う前にその影の持ち主は、レオの頭に着地した。「わっ!?」重い、と言いながらレオは思わずといった様子でコントローラーから手を離した。すぐに頭の上にのぼっていたその小さな存在は、するするとレオの肩に下りてくる。
「ちょ、…こら!ソニック!」
くすぐったいってば、と笑いながらレオは言うと、結局コントローラーから手を完全に放した。どうやら半周遅れは諦めたどころか、ゲームステージそのものを諦めたらしい。画面の中ではマシンに乗ったまま止まっているルイージが映っていた。
「おい。ルイージの身にもなれよ」
そう言いながらぐいとレオの肩を引っ張って彼の肩に顎を置いたせいか、ソニックがぴょんと跳び上がって、今度はザップの頭上に着地した。「うお」おい、と抗議をしたザップを見上げながら、だって、とレオはおかしそうに笑って言った。
「おかしーんすよそいつ。今日は矢鱈甘えてくるんです」
「…なんかお前変なもんでも食ったんじゃねーの。バナナとか」
バナナは別におかしくないでしょ、とレオは笑って言うと、ほら、と言いながらそのままソニックに手を伸ばした。彼の小さな友人がキュッと目を瞑ったのは、恐らく嬉しいという意味だろう。異界との交配種であるこの動物は、動きが速いということ以外は殆ど普通の猿と変わらない(らしい)。恐らくこの街で、彼の仲間はもっと生息しているのだろうが、ザップはソニックしか見たことがなかった。
ソニックはザップの上から退くと、再びレオの肩口に着地して、ぐいぐいとレオの頬に頬擦りした。確かに普段、彼はこんなことしない。たまにするはするらしいが、なんというか―――こう、甘えるようなやり方を余りしないのだ。その辺はザップも見ていて何となくわかる程度には傍にいる。というかレオと一緒にいるので、必然的にザップもソニックの生態をよく見ることが多いのである。
「………んじゃ逆だろ逆。コイツが何かわりーもん食ったんじゃねーのか」
そう言ってぐいとソニックを指で押し退ける。「あ。…そーなのかなぁ。なーソニック。調子わりーのか」そう言って両手を差し出したレオのその手の中に、すとんとソニックは収まった。既にルイージは放置されることに決まってしまったようだ、とザップは何となく不憫な気になって画面を見つめる。画面の中には一人ぽつんと取り残された、彼の世界一有名な配管工の弟が道路に一人で留まっていた。
「わっ…こら、ちょ、」
ぼんやりと画面を見ていたザップだったが、その後輩の驚いたような声にそのままのろのろと俯き、視線を向ける。「こらソニッ…あははは、だめだってば」くすぐったいって、とついさっきと似たようなことを言いながら、レオがじたばたと変な動きをしていた。
「……呪われた人形のモノマネ」
「違うわ!じゃなくてこら、ちょ…っソニック!」
くすぐったいんだってば、と言いながら身を捩っていたレオの服の中から、ぴょこんとソニックが顔を出した。ちょうど襟首のところだ。「…………。」それを見て何とも言えない気持ちになったザップだったが、そこは黙った。何も言えなかったのかもしれなかったが、ともかく黙った。
「…やっぱなんかおかしーなぁ。酔ってるみたい」
「そーなんじゃじゃねーの。そいつ酒好きだろ」
そう言ってぐいと肩を引き寄せて、そのままレオの肩の上に顎を乗せた。よくやるからなのか、レオはちょっと身体を揺らしただけで何も言わない。
「あれはザップさんが飲ませたんでしょーに」
口を尖らせてそう言うのみだった。「コイツが飲みたそうにしてたんだよ」「してないでしょ」もう、とレオは仕方なさそうに笑ったが、その間もソニックはレオの頬に頬擦りしていた。よくバナナにしているのは見るが、レオにすることはほぼない(ザップが知らないだけかもしれないが)に等しい。やっぱりおかしい。
「……猫みてーだな」
「あー、いますよね。足に擦り寄ってくる猫。餌の前とかだけっていう」
そう笑ってレオは言うと、ソニックにほら、と言うと自分の襟元から脱出させる。「あーくすぐったかった。なんだよ」口調の割におかしそうに言ったレオだったが、ソニックはまだレオの近くにいたいらしい。今度は指に掴まって掌でごろごろと転がっていた。
「…酔ってるのかなあ。酒なんか置いてないんだけど」
「外で飲んできたんだろ。フツーに」
「ですかねえ。……てゆかザップさん、重いですよ」
退いて、とレオが少し肩を揺らしたが、ザップはそれを無視すると、レオの左肩に手を置いて動きを無理矢理止めた。「わっ…あの、」重いんですって、と困惑したような声でレオが言う。重い重いとお前は、とザップは言いたくなった。それしか言うことねーんかい、とも言いたくなった。
どっちも言わなかったけど。
「―――――、……わっ」
どうも、口がぶつかった後に悲鳴とか呻き声とかを上げるのは、この後輩の癖らしい。慣れねーなぁと前は思っていたが、何度も何度も熟している割にこうなのだから、行為自体は慣れてたものの、声を上げるのは癖になってしまったのだろう。ザップはそう思っていた。のろのろと口を離すと、レオはぽかんとした顔でこっちを見ていた。首が痛くなりそうな体勢だ、と他人事の様に思ってしまう。
「わ……なんですか」
びっくりした、と言いながら仰け反り気味に口を押さえているレオの顔が赤い。不意打ちはいつもこうだな、とザップは思いながら、別にとどうでもよさそうにそう言って、もう一回後頭部を押さえた。
「別にってだって、」
むぐ、という呻き声を聞くのもなんだか慣れた。最初は色気がねー奴だとかいつもうるせーなとかそういうことばかり思っていたけれど。
もう今となってはこの声を聞かないと落ち着かない。
「………、…一々理由がいるか?キスすんのに」
「……そりゃあ…いらないかもしれませんけど……っわ、」
ちょっと、という声を聞きながら頬にキスすると、何ですかもう、という困惑気味のレオの声がした。「……だから」別にだって、と言ってそのままベッドに倒そうとしたが、待って待ってとレオは慌てたように言って抵抗した。むっとする。
「なんだよ。お前毎度思うけど空気読めよ」
「それはこっちの台詞ですよ!ダメだってば今ソニックが」
「ああ?」
いーだろ別に、という顔をしたせいなのか、レオは瞬時にザップの思考を読み取ったらしい。「嫌ですよ!ザップさんはいーかもしれないけど、俺は嫌だ!ザップさんが帰った後ソニックと二人っきりになる俺の身にもなってみてください!!」「………それはオメーあれか」「は?」一緒に暮らしませんかってやつ、と言いながら自分で笑ってしまった。一瞬間が起きたが、当然のようにレオは顔を顰めて、口を開く。
「ちげーよバカ」
「…言ったなテメー」
ギッシギシに泣かしてやる、というそのお決まりの台詞を言った後に、にゃあという悲鳴が上がって、それからザップは気が付いた。
レオの手元からは既にソニックがいない。いつの間にかベッドの端っこに転がっている彼の小さな友人は、すやすやと深い寝息を立てていた。
「……お前よりあいつの方が空気読めるかもな」
「なん、なに…あっ」
こら、という声があんまり嫌がっていない、ということは多分。
ザップじゃないとわからない。
これだ、という声に顔を上げた。「何が」「これですよこれ」ほら、と言いながら何かを手にしたレオがこちらに歩いてくる。頭に乗せたタオルがひらひらと揺れた。
「これ」
同じことを言いながら、寝転んでいるザップの横にレオが着地する。膝を曲げて、正座するような形で座ったせいか、ベッドはいつもよりぎしりと悲鳴を上げた。「だから何がだって。お前の口は何のためについてんだよ」そう自分で言った後、何となく思いついて、言い返そうとしているレオの腕を引っ張った。ぎゃあ、と悲鳴が上がる。
傾いだ身体にかかる重力と、それから体重を殺すのはとても難しい。特にその、体重の持ち主には。しかしザップは良くも悪くも普通の人間ではなかった。レオの身体にかかる色々なそれを殺すくらいだったら、簡単だった。
今日いったい何回キスをしたのかザップは覚えてない。一々そんなこと数えない。
たぶん目の前にいる後輩もそうだろう。絡め取った舌は慌てたようにザップから逃げた。
「……、ちょ、っと……」
もー、と言いながら顔を赤くした後輩は、しかし何かを諦めたらしくそのままベッドの上に転がった。隣に並ばれる。「…………。」黙って後ろから抱き締めたせいか、わあとまたレオは声を上げた。
「えっ、ちょ、ちょちょ、な、なんですか!?び、…びっくりするんですけど…」
あのう、というおずおずとした言い方とか、耳まで赤いその顔を見ていたら何だか笑えてきてしまった。「……ザップさん」笑うことないでしょ、と言いながらレオはまた膨れた。
「……だから言っただろ」
「なにが?て、てゆかその、今日はもう、」
「別にって」
それが一体、という声を聞く前にもう一回キスをしたので、結局レオからは何も文句を言われなかった。言えなくした、というのが正しいのかもしれないが。
翌朝レオの手の中にチョコレートボンボンの包み紙が二、三枚あることにやっと気が付いた。どうやら彼の音速猿は、これのせいで酔っていたらしい。まあ身体が小せーもんなあ、とザップは思いながら欠伸をした。
終