異文化交流体験授業

2017/10/14

「チョコ寄越せ」
「い、や、で、す」
書類を抱えて歩いていた僕の横で、ソファに寝そべっていた先輩がこちらに手を伸ばしている。ブーイングを無視して、僕は書類を棚にしまうことにした。何がチョコだ。その辺で買えばいいじゃないか。
「オマエ今日何の日なのか分かってんだろ。寄越せよ」
「何の日か分かってるからあげたくありません。今日以外だったらいいです」
何だよソレ、という声を耳にしながら仏頂面で仕事を続ける。今日は二月十四日バレンタイン、花やお菓子を(基本は)男性が女性に渡すという二月半ばの一大イベントだ。僕も一応去年まではミシェーラに花とかチョコとかキャンディとかあげたりしていた。
しかし今の問題は一つ、ザップさんが僕にチョコレートを寄越せと一週間前から催促し始めたことだった。いやいや何を馬鹿な。そんなことするくらいだったら自分で食べますけど、と言った僕と彼はこの件で数回は揉めている。そもそもこの先輩は女性ではないのだが、その辺は僕もつっこまなかった。フィーリングは大切だ。
「欲しいならキャバクラででも頼んでください。有料で貰えるでしょ」
「そー言って俺が行ったらオマエ怒るじゃん」
「そりゃ浮気は怒りますよ」
そう僕が真顔で言うと、何だよソレめんどくせえ、とザップさんは言って溜息を吐いた。めんどくさい?それは僕じゃなくてアンタだろーが。そう言いたかったが、また無為な揉め事に発展しかねないので言うのはやめた。

新たな書類を手に持ってソファに座った僕の横で、いーから買ってこいよとかぐだぐだザップさんは僕に絡んでいたが、僕は彼を無視していたのでもー何だよバカ、と拗ねるようにそう言ってだらんとソファに寄りかかった。そうしているなら仕事を手伝って欲しい。
「…麦チョコでいーって」
「そこのスーパーで売ってますよ」
「………んじゃ板チョコ」
「それもそこのスーパーで売ってました。通りの方が種類多かったです」
「…………わーった。じゃあチョコドーナツでいい」
「角のドーナツ屋でバレンタインスペシャルと言う名のドーナツが沢山販売してました。そこでどーぞ」
「………………。」
もー何だよバカ、とまた同じことを言いながらザップさんが僕の頭の横をぐりぐりと小突きだした。いてえよ、と僕は顔を顰めつつも書類の綴じ紐をくるくると解いて新しい紐に替えていく。地味だが非常に面倒臭い仕事だった。
そうやって単調な仕事をしている間、大抵は考え事をしている。眠くなっちゃうよなあ、とぼーっと考えている時に、はっと気が付いた。
「…そもそも何で俺があげなきゃなんないんですか?よく考えてみたらザップさんが俺にチョコでも花でもクッキーでもくれたらいいじゃないですか」
「は?」
そう僕が言うときょとんとザップさんは目を瞠った。「俺じゃなくてザップさんがチョコでも何でもくれたらいいでしょ。ザップさんが言う通り、バレンタインなんすから」そう言うとザップさんは、きょとんとしたまま手をひっこめた。このバカは僕の頭をずっと小突いていたのである。
「え。じゃあオマエ俺がチョコとかクッキーとかやったら何かくれんの?」
「…そりゃまあ……一応考えるとは思いますけど…」
そうは言ったもののこの人が僕に何かくれたりするとは思えなかった。例えば去年から数えて一体この人僕に幾らの借金があるのだろう。借用書ないけど踏み倒されたりしないだろうか。いやなんかもー踏み倒されてるも同然かもしれない。
ていうかさっきの言い方からして全然バレンタインぽい響きはない。只の物々交換じゃねーか。
ザップさんはそーか分かった、と頷いて突然立ち上がると、ポケットに手を突っ込んで事務所をすたすたと出て行ってしまった。嘘だろ、と僕がぽかんとしている間にもぱたんと事務所ドアが閉じられて僕は脱力する。あのう今一応待機時間と言う名の仕事中なんですが。いくら皆が出払ってていないとはいえ、そんなんでいいんですか先輩。
「…まさか本当に買ってくるのかな…」
小さく呟いたが誰も返事をする人はいない。いやでもそんなわけがない。大体朝食だって僕に金貸してとか言ってきたんだから、何かを買う金がある訳もないのである。まさかそんなことあるわけないとか思っていたのがいけなかった。

10分後、ばん、という音に目を向けるとザップさんがよーただいまと言いながら手をひらひらさせて戻ってくるところだった。いやに機嫌がいい。幾ら今ここに僕しかいないからって、普段ただいまとか言うような人ではない。
突然ぽいと紙袋がボールのように投げられたので慌てて受け取った。嫌な予感を覚えつつ恐る恐る投げられた袋を開けた。子供の頃よく食べたチョコレートが入っていた。小さな丸いチョコに一個一個色がついている、あれだ。最後に食べたのは何年前か覚えてもいない。
「やる」
ザップさんは猫のように笑ったあと、僕の隣に座って手をソファの背凭れに滑らせた。まさかとは思うが、と僕はごくんと唾を飲み込んだ。
「…あのう、まさか買ってきたんですか?」
「買ってこなきゃ犯罪だろ」
真顔でそう言う彼に脱力した。まさかその元手金は僕が今朝方結局貸した金じゃないだろうな。そう思ったのが顔に出た訳ではないだろうが、言っとくけど元手は俺の給料だぞと恩着せがましく(当然のことを)彼は言った。確かに今日は給料日だ。明日は祝日なので今月は一日早い。
「…ええと…つまり?」
僕が首を傾げてそう言うと、つまりもなにも、と先輩は子供のようにまた笑った。こういう顔の時は煙草が余り似合わない。
「つまりだ。お前は俺にチョコを渡さなくてはならない」
「…………バレンタインは強制だったんですか…?」
「いいから寄越せ。オマエさっき言ってただろ。俺にチョコレート貰えないならあげたくないって」
誰がそんなことを言ったんだ。都合よく僕の発言を改竄して捏造しないで欲しい。溜息を吐いて僕はチョコレートの包みを開けた。じゃらじゃらとチョコレートが音を立てる。
口に入れたら確かにチョコだった。別に疑っていたわけではないけど、とりあえずチョコだった。懐かしい味がする。何でこれを買って来たんだろう、とふと思ったので隣で煙草をふかしている、いやににこやかな先輩に顔を向ける。
「…何でこれ買って来たんですか?」
「チョコだろ?」
「いや、そうですけど。バレンタインだからなんかあるじゃないすか。リボンでラッピングされてるやつとか色々。何でこれなのかなあって」
別にそーいうのが良かった訳ではない。というか予想外過ぎて何とも言えないだけなのだが、ザップさんは怪訝な顔でオマエそーいうのがいいの?と案の定首を傾げてきた。僕は慌てて違いますよと首を振った。それだと本当に僕が強請っているみたいじゃないか。
「オマエそーいうの食ってる方が似合うじゃん。あーいう格式ばったやつより」
「はあ。そーですか?」
「ガキっぽいし」
「ああ。そうですか」
子供だと言われてるようなものだったので、少し拗ねて僕はチョコをぽいとまた口に入れた。「つうかそれ美味いの?」「え?食ったことないんですか?」「だって俺そんな甘いモン食わねーよ」なるほどそうか、と僕は合点して赤い色のチョコレートを一つ袋から抓み上げた。よくよく考えると彼のその発言はチョコレートを寄越せという発言と非常に矛盾していたが、その時の僕はそれに気が付かなかった。

そこで気が付いたのは、というより改めて思ったのは、
確かに今日はバレンタインだということだった。

「…はい」
どーぞ、と言いながらタイミングよく煙草を灰皿に置いた先輩の口元付近にそれを持って行った。びっくりしたみたいにザップさんの灰色の目が見開かれている。なんだかそれこそこのチョコみたいだった。結構彼は目が大きい。
「…口開けて下さいよ。俺がアホみたいでしょ」
僕はそう言ったが先輩はまだぽかんとしている。そんなに驚くことを僕はしているのか、とちょっと、何と言えばいいのかよくわからない気持ちになる。申し訳ないとか後ろめたいとか、後悔なのかと言えばそうでもない。かと言ってむっとしている訳でもない。だから何だかよく分からないのだ。
「…ザップさん」
誰か戻って来ちゃいますよ、と焦れた僕がそう言うと、あ、うんと矢鱈素直に彼は頷いて口を開けた。そんな返事今まで聞いたことなかった。
ぽいと赤いチョコレートを彼の口の中に放り込んだ。もぐもぐとチョコレートを食べたあと、ザップさんは少し首を傾げた。「…なんかよくわかんねー。これ美味いのか?」「小さいすから。でも普通のチョコレートでしょ」「んー…」わからん、と言ってザップさんはまた僕の方を向いて口を開けた。僕は怪訝な顔になる。
「…何ですか?」
「だから、わかんねーって。味」
そう言ってチョコレートを指さしたので、幾ら何でも僕だってその意図くらいは分かったし、読めた。
「…ザップさんチョコそんな好きじゃないでしょーに…」
そう言ったけれど、結局僕はぽいともう一個緑色のチョコレートを彼の口に投げ入れた。喉詰まったらどーすんだよ、と言いながらもチョコレートを噛み砕く音が聞こえる。僕は自分でもぽいともう一個チョコレートを手にして口に入れた。甘い。別段不味くないし、幾ら何でも味が分からないということはない。
「…いや、やっぱわかんねーって」
「…………もー…」
そんなわけねーでしょ、と言いながら最終的に僕はそのあと三回くらい同じ事を繰り返した。僕はよくこの人に甘いとか優し過ぎるとか他人言われることがあるが、確かにそうなのかも知れない、とやっと僕は今日思った。そうか。多分こーいうとこがいけないんだろうな。分かっているのにやめられないっていうのは、煙草に似ている(僕は喫煙者ではないが)。
「…で」
僕が三度目にチョコレートを投げ入れたあと先輩は首を傾げた。「ハイ?なんですか?」僕も同様に首を傾げる。
「何ですか、じゃねーよ。俺はやったぞ」
「はい?あー、チョコですか」
そーですね、と言いながらもぐもぐと僕は次にオレンジ色のチョコレートを口にいれた。別段色で味が変わる訳ではないのだが、子供の頃はこれが楽しかった。オモチャみたいだからかも知れない。
「そーですねって何だ。テメーそーしたら俺にくれるって言ったじゃん」
「厳密に言うと言ってはないんですが…まあ、だから、」
さっき六回もあげたでしょ、と僕は言って次に黄色のチョコをぽいと口に入れた。もぐもぐと口を動かしている僕を、隣に座る先輩はきょとんとした様子で見つめている。今日はこういう顔が多いなあ。
「俺が貰った瞬間にこのチョコは俺のものになったんですから、そのあと俺がザップさんにあげればバレンタイン成立じゃないすか」
「………はあ〜〜〜?」
んだよそれ、とぎゃあぎゃあ喚きだした先輩を無視しながら、さて次は何色がいいかなとチョコレートを物色する。別段何色でも構いませんが、と思いつつ青を手に取った。
理屈としては僕が言っていることが正解だ、と思ってぼーっとしていたのがいけなかったのだ。唐突にチョコレートを掴んでいたその手ががし、と先輩の大きな手に掴まれた。はい?と僕が首を傾げる前に、僕の手に信じられないことが起きた。
ばくん、とそれこそ怪獣のように。
「ぎゃあ!?」
指ごと手を齧られたのは流石に初めてだったのでぎょっとした。ぱっと指が先輩の口の中から脱出した時には、僕の指が掴んでいた青いチョコレートは消失していた。代わりにザップさんの口がもぐもぐと動いている。
「……………………………あ、あのー…」
やばい、と何となく不穏な空気を察して僕は引き攣った笑みを浮かべる。待て。待てよ?今日僕結構譲歩したよね?なるべく希望に添ったことしたよね?ていうかいつもそーしてるよね?無理矢理されることも多いけど、でもそれって理不尽だから不条理だから僕が拒否してるだけであって、僕に非はない筈だ。
しかしながら確かに僕もいけなかった。この先輩に、理屈や論理的展開が通じると思っていたそれがいけなかったのだ。もう少し考えておくべきだった。
「……そーだな。そんじゃ、」

苛立ったような表情の割に先輩は笑顔だった。
対照的に僕の顔は恐らく引き攣っていただろう。

「……レオ。テメーは俺のなんだから、そのチョコだって俺のモンって解釈でいーな?」
「は、はい!?そ、そんなこと俺了承した覚えはありま、」
直後ソファに押し倒されて、チョコレートがぶつかりあう音が僕の耳に入った。
それが理性を保っていられた最後の記憶だったというのは、非常に悲しい。


僕はその日夜零時ギリギリに板チョコを投げるようにザップさんに渡したのだが、予想外に彼は喜んだので僕が戸惑った。子供か、と思ったけど一週間前から強請ってきたこの人のために、板チョコがいいか麦チョコがいいか、いっそのことドーナツがいいのかと悩んでいた僕も、なんか子供みたいだった。結局近くのスーパーで板チョコにしたのだが、甘いものが好きでないと言った割にザップさんはそれを一かけらもソニックには渡さなかった(甘いものだと無条件で渡したりするのに)。
その辺りを嬉しいと思ってしまう僕にも問題があるんだろーな、と思いつつ毛布を被ると、隣からぐいぐいと袖を引っ張られたので、何すかと嫌々返事をする。僕はもう眠りたかったのだ。
「…日本にはホワイトデーっつーのが」
「おやすみなさい」
オイコラふざけんな、ここはアメリカです、という無為な言い争いをして、それから一か月後、結局僕は日本文化を体験することになった。一年に一回くらいなんだからいいだろと言われても、その一年に一回という限界回数もいけないのだと思う。

異文化体験も大切だとは思うけど。


レオくんからのチョコもいいけどザップさんがチョコ渡してもよくない?と思って書いたんですが、ザップさんがレオくんに限らず口説く以外で他人にものを渡す…か……?
という感じでお蔵入りです まあ渡さないこともないとは思うんですが。