good thing

2017/05/27

―――――いちいちそんなこと、


「…考えてセックスするバカがいんのか?」
「………………、…そーいうことばっか言ってるから」
フラれるんすよ、と言ったレオナルド・ウォッチの上にいる先輩は顰め面になった。「…おっまえマジで」泣かしてやる、と言われた後にがり、という音がする。いたっと悲鳴を上げたレオを無視して先輩はこちらに伸ばしていた手を動かした。髪がかき上げられてからまた声を上げると、にやりと笑ったザップ・レンフロの顔がレオの目に映った。


フラれてねえよ、と言った男の声は苦々しそうだった。
「…なにが?」
そう言って頭をごしごしとタオルで拭いているレオを見上げながら、だからとザップは続けて言った。「フラれてねえって。ただあっちに別の男ができただけなんだよ」「………ああ…」今日俺にした理由ですか、と言ってベッドに座ると、ザップはそーだよと顔を顰めたまま言った。カチャカチャというゲームのハードにあるボタンを押す音を耳にしながら、レオはもう一回髪の水滴を拭う。別の男ができたって、それってやっぱりフラれたって言うんじゃないんだろうか。そう思ったけれど言ったらまたケンカになるのは目に見えているから、レオは何も言わなかった。
床に座ったままベッドに寄りかかっているザップは、レオがベッドに座ったのを見計らったように立ち上がると、レオの横に座って来た。
ゲームのBGMの音は聞き慣れているそれだった。俺のパーティを全滅させないでほしい、と思いながら、ぐしゃぐしゃとタオルで自分の頭を掻き回す。その間また、聞き慣れた音がした。「………あ」「…ゲームオーバー」あーあ、と言ってぽいとゲーム機を投げ捨てたザップがベッドに仰向けに倒れ込む。それを見ながら、俺のゲームなのに、とレオは眉を下げた。
「投げないで下さいよ」
「いーだろベッドの上なんだから」
「よくないっす。あと俺のパーティを殺すの何度目っすか」
そう言ってひょいとゲーム機を手に取って、レオはきちんと電源を切った。「…知らねえ。五回目?」「俺も知りませんけど」俺の家来る度にそーいうことして、と言ったレオにザップは珍しく何も言わなかった。レオはゲーム機をデスクに置いて、それから何となく窓を開ける。少しだけ空気が籠っているような、そんな気になった。
本当に籠ってるのは空気なのかどうなのかなんてことは。
考えたって詮方ないし益体もない。たとえばそれが何かなんてはっきりしたところでどうするということもない。―――ずっと。
ずっとこのままだ。
「…んじゃ十二回くれーだ」
「へ」
何が、と言いながら窓の外から視線を外して部屋に戻す。「おめーのパーティを殺した回」「なんで?」十二回、と繰り返したレオに、だって俺がお前の家来るのこれで、とザップはふざけたように右手の指を折りながら笑って言った。「十三回目くれーじゃね。だいたい」そう言った先輩のそれを聞いてから、レオは変な顔になる。無言で先輩のことを見つめたあと、溜息を吐いてもう一回外に目を向けた。
「…覚えてねーよ」
「おいレオてめーなんだその口の利き方は」
大先輩だぞ、というザップの声を耳にしながら、レオはヘルサレムズ・ロットの夜景を見つめた。


この街に来てどれくらい経つのだろう。たぶん一年と半年くらい、とレオはカレンダーを見た時そう思った。それが今朝のことだ。早番のバイトに精を出し、午後からライブラに顔を出し、大通りで暴れている馬鹿どもがいるという上司の声に、慌てて先輩や同僚と出動した。宙に舞う誰のものなのか知らないバイクをぼーっと見つめていた時、レオの視界は逆様で、つまり信号機の上に仰向けで乗っかっているところだった。少年がいないぞ、というスティーブンの声でやっとザップがあれそーいえば、と言い出して、それからレオは漸く救出された。お前何でそんなとこいんだよ、と爆笑してレオを血で引っ張り下ろしてくれた先輩は、二秒後チェインに頬を蹴られ、転がったところをスティーブンに蹴られていた。
何で俺ばっかり、と喚いているザップを転がったままぼーっと見つめていたレオのところにやって来たクラウスはレオを心配してくれたし、ツェッドも慌てた様子で持ち場から帰って来た。大丈夫ですかレオくん、と言われた時、漸くレオは息を吐いた。大丈夫です、と起き上がったレオをほっとしたように見つめたクラウスとツェッドに、そこでスティーブンが声をかける。そろそろ行こう、撤収だ。余りにもいつものことで余りにもありふれたそんな出来事は、最早レオの中で普遍的ともいえるそれになっている。
まるで年中行事の一部のような。
まるでローテーションの中の一つのような。
だから今のこの状態も、それの中の一つとなりつつあるのだろう。こうやってたまにレオの家にやって来る先輩のことを、レオが大して拒否しないのも、この街で起きる日々の事件や出来事や、その他色々なトラブルと同様で。
レオの中で当たり前になっていることなのだ。
年中行事とか、習慣と一緒で。
そこに余計な何かは入ってこない。
「…何がそんなおもしれーんだ」
「わっ」
びっくりして顔を上げようとしたが、ザップが上からのってきたのでそれは叶わなかった。「…何もおもしれーことねえじゃねえか」「…重いんですけどってゆか」煙草喫うなら俺が退いてからにしてください、と言ったレオの声は誰がどう聞いても辟易としていて、レオは自分自身で溜息を吐きたくなった。どうしていつもこうなんだ。別にこの男がレオの家に来るのが普通のことで、当たり前のことになりつつあるということを別として。
―――毎回レオがこの男にこういう態度を取らねばならない理由にはならない。
「…喫わねーよ。お前が寝る様子ねえからなんかおもしれーもんがあんのかと思ったんだよ」
ちょっとむっとしたのか、それとも不貞腐れたのか、子供っぽいそんな声でザップは言った。少しだけレオはそれを聞いて反省し、そうですか、と小さく返事をする。「……別になんもないっすよ。…夜だからエスカレーターも止まってるし」
「おめーさー、朝とかヤじゃねーのアレ。すぐ目の前じゃん」
窓からばんばんここ見えんぞ、と言いながらザップがレオの上からひょいと退くと、そのままレオの腕を引っ張った。「おわ」そのまま無言でザップはベッドにレオのことを連れてくると、ぽいと投げるようにレオをベッドの奥に押し付ける。また俺が壁際かよ、とレオが思ったのも束の間、部屋の灯りがぱちんという音をして、消えた。
「…ギリギリ見えない筈なんですよ。位置的に」
「いーやそんなことねーだろ。ぜってー見えるってアレ」
「だって外から見えてたら俺がこーやってザップさんと一緒に寝ると思います?」
エスカレーターから見えるであろう自分のあられもない姿を想像してレオはそう言った。ここでいうあられもない、とは普通に寝相が悪いという意味で、一人で寝ている時たまにレオは床に落下することがあるのだ。そういう時大抵、レオの腕は何か、どこかに手を伸ばした格好をしている。
ここじゃないどこかとか。
それとも。
―――誰かを探していたりとかするのかもしれない。
ザップは少しだけ複雑そうな顔になったあと、毛布をぐいと引き上げた。「…そら思わねえけど」「でしょ。男と男がひとつベッドの中で寝てるってどーいうことだっつー話になるわけっすよ。傍から見れば」そう言ってレオは眼を瞑る。おやすみなさい、とぶっきら棒に言った自分に先輩の返事は来なかった。

壁際で眠るのは、本当は好きじゃない。
夜中に起きた時、この男を飛び越えてベッドを下りないといけないし、そうじゃなくても動きにくい。狭いのだ。腕を伸ばせば壁にぶつかるし、しかもザップがぐいぐいと押し付けてくることもあるからとても狭く感じる。ザップはどうやら寝相がいいようだったが、癖なのか何なのか一緒に寝ている相手を抱き締めて眠るのが、彼にとっては当然のことらしい。腕が重いとか苦しいとか、最初に言っていた文句はもう言うのを諦めた。そうやって寝ていると。
起きたときにまるで閉じ込められているみたいだと思うことがある。
目の前には壁があって後ろには誰かがいる。その誰かとは勿論ザップのことなのだが、レオは絶対に壁の方を向いて寝ているからザップの顔を見ることがない。だから誰なのか分からない。そのせいで、そんな風に思うのだろう。
なにしろザップがレオのことをそんなふうに縛り付けるなんてことがあるわけがない。
そういうことをする男ではないとレオは知っているし、レオだってそんなのはごめんだった。守られるのも、腕を引っ張って貰えるのも、隣に並んでいられるのもレオはすごく好きだったけれど。
そういうのは嫌だ。
そういうのは狡い気がした。
「………、」
そしてその日もレオは深夜に目が覚めた。目の前には壁があって、それから自分のことを背後から抱き締めてくる腕が―――、
「……あれ?」
ない、と思いながらもそもそとレオは後ろを振り返る。ザップはちゃんとそこにいた。身体が上下しているのを見るとどうやらちゃんと眠ってはいるらしい。むにゃむにゃという意味を為さない言葉が聞こえた。「………なんだよ」それが不満だったのか、それともザップに対する文句だったのかはレオ以外誰にも分からなかっただろう。実際、レオにも分かったようでわからなかった。
思っていることは一貫している筈だったし、レオはもうずっとずっとこうなんだろうなと勝手に思っていた。―――ずっとこうやって。
傍にいてくれる男なんだろうとは思っていた。
自分を抱き締めている筈の腕がないくらいでここまでナーバスになるとは、と自分で自分を情けなく思いながらレオはそっと起き上がる。「……あー…」喉乾いた、と思いながら目を擦る。横に寝ている先輩はやっぱりぐっすり熟睡していた。「……まあこれがフツーか…」そう言ってゆっくりとレオはベッドからの脱出を試みることにした。ザップは意外にも眠りが浅く寝起きもいいので、ちょっとの衝撃で起きることがある。それがどうやら彼の過去のせいだということを、何となくレオは察していた。
修業時代のことを聞くとザップは大抵嫌そうな顔をするが、それはどうやら話をするのが嫌というわけではなく、苦い思い出ばかりだかららしい。最悪だったぞという言葉で締められることが最多だった。あとは最低だった、とか死ぬかと思ったわ、とかそういう言葉ばかりだ。けれどレオが聞くと、ザップはちゃんと話してくれるのだ。ねえザップさん教えてくださいよ、とレオが過去の話を強請ったりすると。
苦々しい思い出の筈なのに、ザップはいつもちょっとだけ嬉しそうな顔をした。
レオにはその理由が分からない。ただそういう顔をしているザップを見るのもレオは好きだった。
「………水…」
ベッドから下りた瞬間だった。手首を掴まれたのでレオはぎょっとして声を上げる「わっ!?」「……、…あ?」なんだお前か、とザップは言うとぱっとすぐに手を離した。「…なんだよ……もー朝か…?」「…、い、いや…」喉が渇いて、と言ったレオにそーかとザップは言うとごろんと仰向けに体勢を変えた。

――――お前かって。

「………俺の家じゃないですか」
そう言った理由はわからなかった。言ってしまった後、はっとしてそれを物凄く後悔したレオに、返事はない。「………。」聞いてませんように、と思いながらその場を離れて冷蔵庫へ向かう。ぱか、というドアが開いた音の後、自分の冷蔵庫の中を見る。
ザップが持ってきたビールとか、それからつまみのチーズとか半端な缶詰とか、レオ自身が買ってきたものは殆どない。「………。」チョコレートくらいかな、とぼーっとしながら大して美味くもない水を飲み終わると、冷蔵庫のドアをぱたんと閉めた。

ザップは壁際に寄っていると思っていたが、そんなことはなかった。彼はきちんといつもの定位置で眠っている。「…ザップさん奥詰めて下さいよ」眠っていると思いはしたものの、一応レオはそう言ってみる。案の定先輩は薄く目を開けてこちらを睨んだ。
「……なんでだよ」
「いや、ふつーにその方が動き易いですし」
「…いーよ別に」
踏んでもいいからお前そっち、とザップは眼を瞑って自分の後ろを指さした。レオはちょっと顔を顰めたものの、言ったところで言うことを聞いてはくれないだろうと察し、仕方なくザップの上を飛び越える。踏んでもいいとは言われたが、踏んだら絶対に怒られるとレオだってわかっている。
毛布に潜ったあとだった。
後から自然に抱き締められて思わずごくんと息を呑んだ。「……び、」びっくりした、と言いながら後ろを振り返ると、勿論そこにはザップがいた。眠そうな顔をしてレオを見ている。「…いつもしてんじゃねーか」「……だってさっ…、…………、…あ、いや」なんでもないです、と言いながら壁際を向こうとしたレオの身体の動きが止められた。おわ、という声を上げた後にぐるんと無理矢理ザップの方に身体を動かされる。思っていた以上にザップの顔が目の前にあったので、レオはびくっと身体を強張らせる。
「……なんだよ」
「いや……結構これって」
近いっすね、と引き攣った笑いでレオはそう言ってしまった。「…………なんだ今更」きょとんとした表情でザップはそう言うと、レオの頬をむにむにと軽く抓るようにして弄った。痛くはなかったがなんだか変な感じがする。粘土じゃないんだから、と幼いころ妹と遊んだ思い出を連鎖的にレオは思い出した。
「…今までもっとすげーことしてたじゃねーか。近いどころか合体してたんだぞ」
唐突にザップはそう言っておかしそうに笑ったので、レオはぎょっとする。瞬時に妹の顔はレオの脳内から消え失せてしまった。冗談ではない。
「そ…っそーいう言い方やめてくれませんか…?」
顔を赤くして言ったレオにザップは益々きょとんとした顔になった。「…なんでそこでそーいう顔になんだ。お前」「だ、そ、………べつに」良いでしょ、と言いながらもう一度壁の方を向こうとする。しかしまたザップがそれを止めた。おいお前な、というザップにレオは不満げな顔になる。しかしザップも同様不満そうな顔だった。
「いつもそーだけどよ、おめえ何でいつもそっち向いてんだ。こっち向けよ」
「……え…な、……なんで…?」
そう言った自分の顔はまた引き攣っていただろう。だってよ、とザップは不満げに言った。「つまんねーじゃん。お前の顔見れねえの」そう言われてレオは変な顔になると、黙って考えた。―――つまんない?
「…い…いつも見てるでしょ。俺の顔なんか」
「んじゃむしろいーじゃねえか。ちゅーかあれだぞ。今だってほらおめえが言ういつもの中の一つだろーが」
そして今度は頬をそっと撫でられた。こういう時のこの男の手付きは酷く柔らかいが、レオは余り感動した覚えがない。こういうところじゃなきゃきっと俺だって感動するんだろう、とふと朝起きて思うこともある。そうやって優しくされている理由が手癖だとレオだってちゃんとわかっているからだ。
だから駄目なんだと思うこともある。
日常の一部に埋没していると思わないといけないのに。
「…いつも……、……いや、そ、…それはそーですけど」
「ごちゃごちゃうるせーなもー」
そう苛立ったように言うと今度はいつもの通りに頬を抓られる。「いひゃい」「……まあ俺にとっちゃそーでもねえけど」おめえはそーだもんな、と言ったザップの手がぱっとレオの頬から離れた。
「…な、…え?」
言われている意味がよく分からない。そう意味を為さないことを言ったレオに、だからよとザップは面倒臭そうに言った。どうも説明をするという行為が面倒らしい。「…お前とセックスすることだよ。フツーじゃねえじゃん」ザップが言ったそれは確かにその通りだった。―――後ろから抱き締められることだって、壁に押し付けられることだって、キスするのだってセックスするのだって同じだ。
そういった行為はお互いの間で当たり前みたいになっているけれど。
本当はそんなこと絶対にない。何しろザップはレオの友人で、先輩で、同僚で、かつ男だ。別段人の性癖や嗜好に文句をつけるという考えはレオの中に微塵もなかったが、基本的にお互いに女性が好きなはずなのだ。なのにこうやって稀に、頻繁に、偶に、しばしばこうやっていることは。
「…普通じゃねえじゃん。どー考えても」
ぽつりとそう言ったザップにレオは何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。大体、それを肯定したところで別段この行為に何か理由を求めたりとか、意味を求めたりとか、そんなことはレオどころかザップも絶対にしない筈なのだ。レオはともかくとして、この男がこうやってレオのところにやって来る理由はたった一つしかない。少なくとも、レオがこうやって抵抗しなかったり拒否しない理由と一致はしない。
「…………寝ます」
小さくそう言ってレオは無理矢理壁の方を向こうとしたが、先輩はやれやれと言った様子でそれを押し留めた。「…だからなーお前。こっち向いとけって」「………なんで」「だから俺が、」お前の顔が見たいんだって、と言ったザップの声はいつもと同じで。
それになんだかレオは泣きたくなった。そういうことばっかりする。そういう、普通じゃないとか言いながら何だって、何もかも、当たり前みたいにそうやってこの男はレオに酷いことばかりするのだ。こっちの気も知らないで。
「……ついでに言うと」
「え?」
はっとして反射的に顔を上げる。ザップは眠そうに欠伸をすると、ちょっとだけおかしそうに笑った。「おめーもそうじゃん。おめーだって俺の顔が見えた方が嬉しーに決まってんだろ」そう言ったザップの顔はまるで子供みたいだった。
「…………さっき、最中にザップさん」
問いかけには返事をせず、ぽつりとそう言ったレオに、なんだよと言ったザップがまた欠伸をした。「…言ったじゃないすか。そんなこと一々考えねえって」「あ?」なんだそら、と言ったザップの声は本気で不思議そうだった。どうやら全然覚えていないらしい。「………。」やっぱりほら、とレオは思う。
「…だからフラれるんすよ」
「おいてめーいい加減にしろしつけーぞ。違うっつーに。あのな互いに別の道を模索しようねと円満な解決をだな」
「んじゃその人にとっての道は」
ザップさんには繋がってなかったんですね、とレオは言ったあとまた後悔した。わざわざこんな言い方しなくてもいいだろうに。傷を抉るようなことを、と思ったレオには意外なことに、ザップからは反論がこなかった。不思議に思ってそっと目を開けて彼の顔を見る。
先輩は考えるような顔をしていた。「……まあ、そーなんだろうな」「え」まさか肯定されるとは思ってもみなかった。呆気に取られた声を上げたレオに、そーだなと呆れたように言った。どうも自分自身に対してらしい。これは非常に珍しかった。
「縁が無いとか言うだろ。アレじゃね。たぶんそーいうことだろ」
「…………、………ええと…なんか、あの、…そーいうの好きじゃないと思ってました」
「あ?」
なにが、と不思議そうに言われたのでレオはええと、と考えながら返事をする。「そーいう…なんか縁とか?…迷信じゃないけど、ゲン担ぎとか気にしないでしょ。ザップさんは」「だって一々めんどくせーじゃんよ。そーいうのは」俺今まで鏡何枚も割ってるし、とザップは顔を顰めた。
「昨日も梯子潜った後鬱陶しくてブチ折ったぞ」
「それは迷信関係なく悪いことじゃないですか」
思わずそうツッコミを入れてしまったあと、ちょっと笑ってしまった。「……ほれ見ろ」「へ?」そうきょとんとして言ったレオにまた先輩は笑った。余り珍しくはない。こうやってベッドの中にいると、眠いせいなのか何なのか、いつもよりもよくザップは笑う。
「…鏡割ろうが梯子潜ろうがよ。どこに不幸がやってくんだよ」
「………………、…今なんか」
いいことありました?と言ったレオにまた先輩は笑った。「…あった」そう言った後にもう一回レオは引き寄せられたのでびくっと背筋を強張らせる。傷付くだろ、というザップの声は明らかにふざけていて、レオはもう抵抗するのをやめて目を瞑ることにした。


――――こっちだと顔が見られないじゃないですか。
――――は?
――――いやだからこっち、…俺が、うつ伏せだと、

ザップさんの顔が見られない、と言ったのは本当に自分だったのかどうか疑わしい。
思ってもそんなこと言えるかどうか、疑わしいと言った方がいい。そんなこと言ったとしても、レオにとってこの男が横にいるのは普通のことで、当然のことで、当たり前のことなのだ。けれど勿論それとは反対に。
いつかいきなりこの男がレオの横からいなくなったとしても。
それだってきっと自分は思うのだろうとレオは思う。

それが普通のことだって。


眼が覚めたら横でザップは煙草を喫っていた。自分がザップの方を向いて寝ていたことに気が付いたが、レオはもうそれを考えないことにする。それよりも、ザップの手がレオの髪を軽く弄っていたからそれにちょっとだけ驚いた。
ザップは窓の外を見ている。
ザップさん、と言った理由はよくわからなかった。ただ少し光に照らされている先輩の顔は余り見たことがないものだった。機嫌がよさそうにも悪そうにも見えたし、考え込んでいるようにも眠そうにも見える。つまり何を考えているのかレオにはさっぱり予想もつかなかった。
「…おう。レオ」
呼ばれたこともあっただろうが、ザップはレオが目を覚ましたことに気が付いてそう言うと、怒られると踏んだのか、それとも喫い終わったのか煙草をぐしゃぐしゃと灰皿に押し付けた。「…はよっす……」「おー」はよー、とザップは軽く言うと眠そうに欠伸をした。どうやら夜明けごろらしい。外からうっすらと灯りが差し込んでくる。
「…もーちょっと俺寝ます…」
そう言ったレオに、俺も寝るとザップは言ってまたもそもそと毛布に潜り込んできた。「…どっか行くんじゃないんですか…?」「行かねえよ。何でおめーはそーいうこと言うかね」ねみーんだよとザップは言うと、夜中してきたみたいにまたレオのことを引っ張った。寒いわけじゃないだろうに、とレオは思ってまた睡魔が足元に忍び寄ってきたことに気が付く。それにしても、どうやら今夜は眠りが浅かったらしい。
おやすみ、と言った声が自分のだったのかザップのだったのかはわからなかった。半分以上眠っていた。だからレオは聞いていない。
「…わかってるつーに」
おめえだってことくらい、と小さく言ったザップの声はレオの耳に届いていない。ただしレオ自身はしっかりとザップの方にくっついていたし、壁じゃなくてちゃんと先輩の方を向いていた。健やかな寝息を立てている口が呼ぶ名前は恐らく目の前にいる男が最多だったし、笑顔を見る回数が一番多いのだって、それが誰の傍にいる時に一番多いのかなんてことくらい、レオはとっくに知ってすらいる。だから。
だからあと、レオがやるべきことはもうちょっとだけだ。

「…おめーじゃねえか。わかってねーのはよ」

不貞腐れたようにザップ・レンフロはそう言って、ぺしんとレオの額を軽く叩いた。勿論レオは眠ってしまったので寝言も言わない。「…ふん。だから一々そんなこと考えねえっつーんだよ俺は」毎度思ってんだから、とやれやれと自分に呆れたようにザップは言うと、また欠伸をして目を瞑った。朝日が差し込んでくるこの部屋に何度来てるかも、何度この後輩に触ったのかも、ザップは勿論覚えてなんかいない。パーティを殺した回数が果たしてレオを抱いた回数と近いのかなんてことも知るわけもない。そんなことはどうでもいい。
「……別にフツーでもいいけどよ」
お前の言ってるフツーは俺と同じじゃねーもんな、と最後に言ってザップは今度こそ眠りに落ちる。普通だとか、特別だとか、単語の意味はどうでもいい。意味を持たせるのは結局レオかザップのどっちかなのだから、辞書を引いても自分の気持ちが書いていないと同じことだ。

だからあと、レオがすべきことはもうちょっとだけ。
寝ぼけていても、眠っていても、眼が冴えていてももうちょっとだけ。
普通でも特別でもどっちでもいいからもうちょっとだけ。


ザップが笑って言っていた、いいことが何だったのか考えること。



すれ違いなのか何なのか よくわかんない話です