お試し大サービス

2015/06/25


「もう別れる」
「なんでだっつーの!」


僕は枕を掴む。ぐったりとした身体を横たえているベッドは固い。他人の家のそれに寝そべるのは初めてではなかったし、慣れてはいるけど疲労感は半端ない。アー、とガラガラになった声を出しながらぐるんと毛布に包まった。これもあんまりふわふわでもない。
「…もーヤダもーマジ無理っすあんたに付き合ってたら死ぬ」
疲労しきってそう言ったけど、隣に座っているその人は僕を完全に無視した。「なーお前なんか食う?俺ピザ食いてーんだけど」ザップ・レンフロと言うその人は僕の職場の先輩だった。褐色の肌に真っ白の髪、顔は物凄く端正なつくりをしている。しかもこれで武術は天才とくれば非の打ちどころもない―――とこないのが現実だ。人格に物凄く問題がある。人格っていうか、何?人となり?生き方?まあともかくそんな感じ。
「ドギモでいーよな。あ、つかお前割引持ってね?財布貸して財布」
「……ええと…色々と言いたいことがあるんですけど…」
え?ときょとんとしたザップさんにあのですね、と僕はよろよろと身体をうつ伏せにしたまま、口を開く。いつもながら怠さがヤバイ。何でこの人こんなに元気なんだろう。おかしい。や、僕の方が突っ込まれる側だからといってこんなに差が出るのは―――つまり体力の差だ。悲しい。
「…俺のことちゃんと好きですかザップさん…」
「あ?」
何だよ今更、とやたらザップさんはにやにやしながら僕の頭をぐっしゃぐしゃにかき回した。痛い。痛いんですけど僕は今限界っつーか体力がもう塵芥も残ってないんですけど。あと何でそんな嬉しそうなんだ。僕は今かなりムカついているのに。
そう思ってる間にもザップさんが僕の方に倒れ込んできて僕はぐえ、と悲鳴を上げる。
「なんだよおまえそれ〜〜〜馬鹿じゃねーのはははは」
そう言いながら後ろから引っ張られてぎゅうと抱きしめられた。正面から抱き締められるよりはマシだけど、僕はその実、この体勢が物凄く苦手だった。理由はひとつ、恋人同士の見本みたいで照れるからだ。いや実際そうなんだけど。それを受け入れるかどうかかはまた別だ。
ていうか一体何がこのひとのツボだったんだろう。謎だ。
「ちゅーかお前身体あったけーな。子供か」
「…や、いーですあのそこはどーでもいいんですけど…ちょっといま俺しにそうなんで、はなしてください…」
「え?もう一回抱いて下さい?わかったわかった好きだなーお前も」
「待って誰がそんなことを言ってない言ってないやだやだやだちょっと待って待ってやめろ無理無理むりだってさっきピザ頼むって言っ、あ、」

暗転。


冒頭に戻る。
「待て。何でそーなんだオマエ気持ちよかったろーに」
「きもちいいと、それとこれは、べつです」
なんかお前死にそうじゃね?とそこでやっとザップさんは僕の状態に気が付いたらしい。「え?何で?風邪?」「この状況でよくそんなこといえますねまじで」ぐったりとしたまま僕は仰向けになり、呻き声を上げる。
久々にひどい。喉痛いし腰は痛いしそりゃまあ気持ち良かったけど、幾ら気持ち良かったとはいえ何回も何回もすれば僕だって疲れる。この人は体力がありあまるどころか絶倫ヤローだからいいかも知れないが、僕はただの一般人でセックスをしたのだってついこないだが初めてで、しかも最初はこの人でってアーもうハードルたっけーよ何なんだ。既に飛び越えちゃってるけど。
「……あんた俺のことほんとーに好きなんですか…?」
「はあ?なんなんだオマエ今日はそればっかだな」
好きだって好き好き、と矢鱈軽くザップさんは言うと笑いながら今度は僕の頬をぺたぺたと触った。だから一体何があんたのツボなんだ。よく分からん。ともかくフツーに僕は疲れている。風呂もシャワーも何もしたくない。気持ち悪いしその辺どろどろだし使い終わったゴムはベッドの下に落ちてるしで、本当はすぐ片付けたいけど、そんな体力も無い。大体殆ど生でされたからゴムも一回くらいしか使ってない。
「…もうやだわかれる…」
「だ、か、ら!なんでだっつの。お前俺のこと好きなくせに何言ってんだよ」
「…………………………。」
黙った僕に、ザップさんはああ?といつもの如く剣呑な目を僕に向けた。「何だその顔は。好きだろ好き。オラさっさと好きって言え」ぐいぐいと頬を突かれてる、これってどう考えても好きな相手にすることじゃねーだろ。僕はもごもごと口を動かしてすきですすきです、とそれでも一応、伝えた。なぜ好きを強制されなきゃいけないんだ。
「…なんかお前感情こもってねーなー。もっとちゃんと言えよ」
「ちょ、まじで…あの、そんなことより水がほしいです」
「は?何で俺がお前に水注がなきゃなんねーの」
「もうやだ別れるわかれます別れて下さい」
だからなんでだよ、もうやだもうやだ、と僕が半泣きで繰り返してその日は終わりを迎えた。休みの日だからって家の中に閉じこもってセックスばっかしてるってどうなんだ。まさか将来こんな大人になるなんて小さな頃の僕は思っていませんでした。哀しい。

日付が変わった頃合いだったと思う。僕はやはり死んだように眠っていたのだが、唐突に身体を揺さぶられて目を覚ました。ていうか、覚まされた。起こされた。疲労困憊といった状態ではあったが、幾ら何でもそこまでされたら起きますよ、そのくらいの激しい起こされ方だった。目をごしごし擦りながら何ですか何ですか、と起き上がろうとして、激痛に呻いてベッドに倒れた。久々にというか、初めてした時と同じくらいの腰の痛みだ。マジであの人全然加減を知らないんだけど何なの。そう思いながら何です、と死にそうな声で僕は僕を起こした人に、問いかける。起こした人とは言え、無論たった一人しかいない。
「ハヨ」
ザップさんである。ていうかこの人じゃなかったら僕はこの状況を何て取り繕えばいいんだ。余計なことを考えながら、どーしたんですか、と僕はぐったりしながら聞いた。ザップさんは着替えていてベッドの横、つまり僕の顔と同じ位置に顔がくるくらいの位置にしゃがみ込んでいた。なんかそうやってると可愛いですね、と僕がぼんやりとした頭でそう言うと、何じゃそりゃと変な顔をされた。はあ、と僕はぼーっとしながら頷く。まだ眠かった。
「帰るわ。明日っつーかもう今日仕事だし」
「あー、そっすか…俺もですけど…ん?」
泊まってかないんすか、と僕はぼーっとしたままの頭でそう聞いた。大抵ザップさんはこういう日のあとは泊まって行き、その足で僕と一緒に次の日出社するからだ。同じ場所に顔を出すのだから、考えてみればガソリン代が無駄だ。僕が前にそう言うとザップさんは無言で僕の頭を叩いたので、何だか僕はあまりよくない事を言ったらしい。未だに理由がよく分からない。ただその時ソニックですら僕を呆れた様な目で見ていたから、どうもそれなりに結構なことを僕は言ってしまった、らしかった。
それはともかくとして、そういう訳だから僕は首を傾げたくても傾げられない頭のまま、じゃあ会社で、と素直に手を挙げた。眠かったし、怠かったし、疲れていたからだ。ていうか起きられないし。
「で、俺は試験しようと思う」
「…………はい…?」
しけん?しけんって言った今この人。しけん…って試験、かな。それだよな。何だろう。あ、もしかして免停でも受けたんだろうか。アーそしたら毎朝僕がこの人迎えに行って送ってとかやんなきゃなんないんだろうなあ。面倒だなー。何か奢って貰わねーと割に合わねーぞ。
僕はぼーっとそんな事を考えていたが、おいレオ聞いてんのかよ、とザップさんに言われてはい聞いてます聞いてます、と返事をした。頭がまだうまく働かない。
「…、えっと…、朝何時迎えに行きます?…ていうかいつ免停受けたんですか?あ、だったらむしろ泊まってくれた方が俺としては楽なんすけど…」
「は?何言ってんだオマエは」
「え?免停受けたんじゃないんですか?」
アホかちげーよ、とザップさんは僕の額を軽く小突くと、試験するのはお前だってと僕をそのまま指差した。試験。最後に受けたのいつだろう。グラマーってフィーリングじゃわかんないから嫌いだったなー、と僕は学生時代を思い出した。試験って嫌な思い出しかない。

ん?
試験?
僕が??

「…俺が何をどうなって試験を受けるんですか?」
「試験っつーかお試しだ。試食的なアレだ」
よく分からない。はあ、と僕が生返事をするといーかオマエさっき俺と別れたい別れたいって言ってたろ、とザップさんは続けて言った。言ってたっけ?言ってた?なんかいつも常にそういうこと考えてるから言ったかどうかもあんまり覚えて…あー、言ってた言ってた。そうだ。眠る前にそんなこと言って、眠る前にしたセックスの前もそういうこと言ってたような気がする。いや言ってた。そうだった。
「…はあ。言いましたけど。それがなんすか」
「それがなんすか、じゃねーよアホ。俺は傷ついた。で、結果」
「きずついた?」
結果よりそこに僕は耳を疑わざるを得なかった。傷ついた?いやいや、嘘でしょ何言ってんだこの人。ていうか傷ついてるのは僕だっつーの。あんたと付き合うようになってから何度浮気されたと思ってんだ。最近やっと治まったかと思えば超絶倫だから夜はマジ死にそうになるし、割に全然優しくないし、そりゃたまにはいいところもあるなって思うけどけどそれってマジで偶にだよ?DV激しいし割に僕のこと全然好きだとかそういうの無いしたまに優しいかと思えばなんか後ろめたいことあるからとか言う理由の時だけだし?しかも何度文句言っても改善の兆しが見えず、僕は常に深く傷ついているんですが?
僕は視線でその辺の恨みを訴えてみたがザップさんには一ミリも伝わっていないらしい。そりゃそうだ。この人口で言っても伝わらないんだから(もしくは伝わっているのに無視されているかだ)、視線なんぞで察しろっていうのも無理がある。僕は溜息を吐くのを我慢して、それでどーしたんすか、と先を促した。
「三日」
ザップさんはいつもより神妙な顔つきでもって、三本だけ指を立てた手を僕に向けた。三日。三日?アケチミツヒデ?こないだツェッドさんと一緒に見た映画に出てきた、ジャパニーズサムライの名前が浮かんだ。
「三日でいーだろ。つか俺が三日以上は嫌だ。三日、俺とお前はフツーの職場の先輩後輩に戻る」
「はあ」
「キスとかセックスとか抱き締めんのとかまあともかく恋人同士がやってる色んな類はナシ。ぜってーしねーこと」
「はあ」
「そんでお前がこっちのがいーなーってなったら、いーよ。別れてやる」
「はあ………………は?」
そんじゃな、とザップさんは飄々と言うと立ち上がった。え、いやちょっと待って下さい、と僕は慌てて起き上がったが、瞬間またしても激痛が走った。「い、」ってえ、と小さく呻いて腰を押さえて再度ベッドに倒れ込む。マジで痛かった。死ぬ。
「…大丈夫かよ」
「だ、…だめ、ですしにます。まじで。痛い」
「死なれちゃ寝覚めがわりーなあ。…レオ」
名前を呼ばれて、僕は顔を上げる。実のところ、僕はこの人に名前を呼ばれるのは嫌いではなかった。嫌いではない、っていうか、好きだった。呼び方だけはなんだか優しいからだ。変なところは意地を張って素直じゃないくせに、呼び方だけは、物凄く素直だ。嫌いな人に対しても、好きな人に対しても。だから、僕はレオ、とこの人が呼ぶその言い方だけは、本当に好きなのだ。
この人って本当に僕が好きなんだな、とそこでいつも思う。

返事をした途端に僕の唇にザップさんのそれが、乗った。つまりキスされた。え、と余り働かない頭で状況を考える。ん、と小さく声を上げるとザップさんは僕の頬にそのまま手を添えた。あ、なんだ。優しいぞ。どうしたんだ。さっきまでされていたキスは噛みつくみたいな、なんか猛獣みたいなやり方なのだ。僕は比較対象がいないので何とも言い難いけれど、幾ら何でもこれっておかしいですよね、そう思えるくらいの乱暴なやり方が多い。まるで食べられそうな、やり方だ。
ちゅっと小さな音がして唇が離れた。たまにこうやって優しくされると、僕はどういう訳か照れてしまう。いつもぞんざいに扱われているからかもしれないが、だから僕はやっぱりこの人が好きなのだろう。そのせいで、こんな風に扱われると少し戸惑うのだ。
「…どしたんすか。散々したのに」
「……なー。散々したのになー」
なぜかザップさんはまるで猫みたいに笑った。顔がいい人が普通に笑うとマジで綺麗だなあ。僕はそう思ってそう言った。なんだそりゃ、とザップさんは笑って、そんじゃそーいう訳だから、と言って立ち上がった。そーいうわけ。そーいうわけ?
「え。ちょ、ちょま、待って待って待って。なにそれマジで?」
「マジで。お前の意志を汲んでやる」
「え?待ってちょっと俺の意志って、」
「おやすみ。また明日…つか今日なー」
その声を最後にザップさんはひらひらと手を振り、そのまますたすたと僕の家を出て行った。外からがちゃり、と鍵をかける音がする。合鍵だ。僕の状態からして鍵を自らかけられないと踏んだのだろう。
でも今はそこじゃない。そこは、どうでもよかった。

「…え?」

つまり僕とザップさんは、三日間だけ友達に戻ることになった、らしい。


友達っていうか先輩後輩か。いや、同僚?ぼんやりしながらバイクから降りて鍵をかける。そういえば僕の家の合鍵はザップさんが持ったままだ。それはまあ、別れた訳じゃないのだから問題はない。
「……………。」
なんかどうも僕としては複雑だった。過去本気で別れようと思ったことも、実は無い訳ではない。無い訳では、ないのだ。だってあの人マジで何度も何度も浮気するんだもん。割にこう…そう変なタイミングで謝ったりしてくるから僕も絆されるっていうか、つまりあれか。僕がクズを好きになったのが運の尽きなのか。
「………………………………。」
ドアを開いた後、壁に頭をぶつけて思考を止めた。なんで?なんであんなこと言ってきたんだ?あ、僕が別れたいって言ったから?あ、そうですか。そーですか。そんな簡単に受け入れちゃうんですか。いやそんな簡単に受け入れてはなかった。なんでだよとか何とか言ってた気がする。でも僕は多分どこかで勝手に思っていた。別れるわけないと。別れられるわけないと勝手に思っていたのだ。
「………はあ…」
人生は厳しい。そんなことはとっくに分かっていて、つまりあの人僕が思ってたほど僕のことを好きじゃなかったんだろうなー、とか思ってしまう。ぶっちゃけこの思考はめちゃくちゃ面倒臭いなと思うんだけど、思いはするけれども、僕は結構落ち込んだ。どうしてこうなった。自分が引き金だとは分かってはいるけど。
そんなことをうだうだ思っていたら僕が入ってきたドアの反対側のドアが開いた。そこで気が付く。僕はまだ事務所へ繋がるドアを開けてなかったのだ。一体何をしているんだ、そう思いながら顔を上げて口を開く。相手が誰であろうと朝の挨拶は同じだからだ。

「おは、」

しかし僕はそこまで言いかけたところで固まった。
「…よお。ハヨ」
今日の午前零時過ぎくらいに同じ言葉を聞いた気がする。ザップさんがそこに立っていた。「…おはよう、ございます」僕が手を挙げると、ザップさんもいつも通り手を挙げた。いつもと何の寸分の狂いもない、動作に見えた。
「……………。」
「……………。」
「……………。」
「……………。」
「……………。」
「……………。」
恐ろしい程の沈黙が起きる。どういう訳か僕もザップさんも事務所へのドアを開けようとしなかった。お互いの顔を――いや、顔ではなく顔の真横あたりを見ながら無言になってしまった。おかしい。今朝っていうか今日の零時過ぎくらいまでは普通に喋って普通にいちゃいちゃしていたじゃないか。何を緊張することがあるんだ。
別れたならまだしも別に僕ら別れてないんだけど。
「…なあレオ」
やっとと言うべきか、ザップさんが普通に、僕に声をかけた。いつもと変わらない。果たしてこの態度が恋人に対するそれなのか友人に対するそれなのか、それともただの同僚に対するそれなのか、僕には判別が付かなかった。
はい、という自分の声はどこから出ているのか分からなかった。
「金貸して」
しかし次の瞬間がくりと僕は肩を落とした。前ともいつもとも、全然変わんないじゃん!
それが果たしていいことか悪い事か、判断は付かなかったけど。


お使い、と首を傾げた僕の隣に座るザップさんはちらりとこちらに目を向けたが、何も言わなかった。「ですか」僕がそう聞くと、だなあ、とスティーブン・A・スターフェイズさんはにこやかに言うとここ、と言いながら地図を出した。珍しくアナログだ。「ここの事務所一階。ここまで行ってこの書類を渡してきてほしい。受付に目が大きなロングヘアーの子が座ってるから」分かりました、と僕は頷いて立ち上がる。
「で、少年。ついでに角のここで人数分のスコーンを買ってきてほしい」
「へ。それもお使いですか?」
「いや、これは僕の個人的なお願いだ」
この間K.K.が美味しいって言ってたからさ、と笑って言うスターフェイズさんははいとお札を一枚僕に渡した。「お釣りはいいよ。気を付けて行ってきてくれ」「…はあ。分かりました」完全に子供扱いである。スターフェイズさんからすれば、僕はハイスクールにでも通っている少年にしか見えないのだろうが、僕は一応既に社会人なのだ。とは言えそこは別段拘るところでもなかったから、僕はそこには言及せずに書類とお札を受け取った。
「ザップは?行くかい?」
「「え」」
僕らの言葉が異口同音に聞こえたからか、スターエイズさんがきょとんとした顔になった。「…どうした。いつもならこういう時暇だったら一緒に行くじゃないか」
そう言うスターフェイズさんは、恐らくだが僕らのことを”知っている”。僕らは付き合っていることを別段誰にも言ってはいなかったが、何となくバレてるだろうなーと思う人はそれなりにいるのだ。スターフェイズさんはその一人だった。
ザップさんは微妙に顔を顰めたあと、いっすよ別にと言って頭を掻いた。「…留守番してます」そっぽを向いてそう言うと、いーだろと僕の方を向いて雑に言った。
「…そりゃ、いーですけど」
「…こいつもこう言ってますし」
そうかい、とスターフェイズさんは言うと少しばかり不思議そうな顔になった。「…喧嘩でもしたのかな?」その質問に僕らは口を揃えてしていない、と答えた。これは異口同音とはならず、フーガのようになった。
スターフェイズさんはそうかい、と一応は納得したように頷いた。しかしそれじゃ、と僕が足を動かした瞬間だった。「ああ、ちょっと待ってくれ少年」そう呼びとめられて僕は慌てて振り向いた。スターフェイズさんはやっぱりスコーンはいいよ、と笑顔で言った。「え」いいんですか、と言うとうん、と頷いた上司は、僕が返したお札を受け取ると、そのままそれじゃあザップ、とソファでぼんやりしている僕の先輩に、声をかけた。ザップさんが怪訝な顔をする。
「君は僕の個人的な頼まれごとをしてきてくれ。スコーンを人数分。種類はプレーンで…ああ、別に自分の分は好きなもの頼んできてもいいよ。釣りは返せ」
「は?」
ザップさんがぎょっとしたように声を上げる。「はい。それじゃ行ってらっしゃい。定時までには帰ってこいよ」そう言うとすたすたとスターフェイズさんはクラウスさんがいる執務室の方に歩いて行ってしまった。
「……………。」
「………………。」
無言で僕はその場に突っ立っていて、ザップさんも無言でお札を握ったままソファに座っていた。しかしいつまでもそうしている訳にもいかない。ザップさんが立ち上がった。
「………性格わっりィ…」
ザップさんは溜息を吐いてこちらにすたすたと歩いてくると、ぼーっとしている僕の頭を軽く小突いた。「イテ」僕は慌てて書類を持ちつつ頭を押さえる。ザップさんはこちらに特に視線を寄越さず、歩いて行く。
「…オラなにぼーっとしてんだ。行くぞ」
「え、あ、ハイ」
普段だったらここで手を引っ張って連れて行かれるところだ。
普段だったら、と考えてしまった僕の脳内に顰め面をしながら、僕は先輩の後を追った。


あのさあ、と言いながらザップさんが信号待ちで止まる僕の背中に問いかけた。ザップさんのスクーターは今日も修理中だったし、後から経費でガソリン代を請求するのも面倒だったから徒歩で行く事にした。徒歩で行けない距離でもない。
「なんすか」
いつもだったら別段気にしないのだが、どういうわけか少し緊張した。大抵こういう時にいるソニックも今日はいない。事務所で留守番していた。
「…俺らフツーどういう会話してたっけ」
「はい?」
思わず振り向くと、だからさ、とザップさんは言った。少し困ったようにも見える。「…付き合う前ってどんなんだっけ」
言っちゃうのか、それ。
僕は驚いて思わずそのまま隣に並んできた先輩の顔を見上げる。なんだよ、と嫌そうにザップさんは言うと煙草を口から離した。煙が空に上って行く。
「…思い出せねー。お前とそーいう感じになる前ってどーだっけ。俺」
「…別に大して変わってねーすよ。理不尽だし勝手だし言うこと破綻してますし」
「オイてめーコラ泣かされてーのか」
いつも泣かされてます、と僕が言うと、少しザップさんは黙った。黙った後、それは今ナシだろ、と何だかよく分からないことを言った。「…別に別れたってわけじゃないんだから、いいでしょ。付き合ってる体でも」「でも付き合ってねーんだぞ一応。今日から三日」「…そーですけど」ごちゃごちゃ言っている間にも信号が青になったので、僕らはのろのろと横断歩道を歩き出した。
「…でもそれザップさんが言い出したことじゃないですか」
「ああ?そーだけど最初はてめーだろ。別れたいって言ったじゃねーか」
「…言いましたけど」
「俺からは言ってねーだろ。それは」
「…三日経過して俺がこっちのがいーっつったら別れるって言ったでしょ」
「…それは言ったけどよ」
「……………。」
「……………。」
なんだこれ。
なんだこれ!
普通にカップルの喧嘩だった。なんだこの気まずい感じは、と僕が頭を抱えたくなった時だった。あのさあ、という声に僕らはびくっと背筋を引き攣らせて慌てて辺りをきょろきょろと見渡した。声の出所が、全く分からなかったせいだ。

そこで気が付いた。
ザップさんが僕の手を引っ張る様にして、掴んでいた。

「…バイク使えばいいのに」
ふわっとしたその声と共に、突然ポストの上にスーツの美人が現れた。同僚の一人、チェイン・皇さん―――よくは知らないが人狼という種族らしい。人間ではない。ただし見た目は人間と全く同様の姿形をしているから、外見だけじゃ判断できない。最大の特徴は、いつも窓から来ると言うこととステルス機能が搭載されてるってことだ。こんな感じに言うと多分怒られるから言わないけど。
「おまっ……、突然来んなよいつもいつも…」
ザップさんがそう言って脱力した。僕よりも少しだけ前に出ているのは、恐らく僕を庇ったからだ。
―――付き合う前は。
そんなこと、なかったかと言うとそうでもない。何しろ僕の身体能力は一般人の平均値とほぼ変わらないのだから、死ぬ確率はライブラで一番高い。そのせいだ。
今は付き合ってないけど。
そこまで思って何だかもやもやし始めたので、僕は意識を切り替えた。
「ずっといたけど話しかけなかっただけだし」
チェインさんはそう澄ました顔で言うと、ポストの上にちょこんといつもの如く座っている。郵便局に見られたら怒られる。
「じゃあ同じだろ。つーかただのデバガメじゃねーか」
「…アンタをデバガメするくらいだったら死に際の蝉の観察してた方がマシ」
喧々諤々、いつもこの二人はこの調子だった。お疲れ様です、と僕が言うとうんお疲れ、とチェインさんは頷くとザップさんを通り越して、ねえレオ、と僕に話しかけた。大きな瞳がこちらをじっと見つめている。同僚とは言え女性にこうも見つめられるのは、結構緊張する。
―――そういえば、僕とザップさんの手は繋がれたままだった。
チェインさんはそれに気が付いているのかいないのか、気が付いていたとしてもどうでもいいのか――恐らくこの可能性が一番高い――僕にぱちんと手を合わせて拝むようにした。珍しくとても可愛らしい仕草だった。普段はどちらかと言うと、格好いい女性なのだ。K.K.さんとは違う意味で。
「…あのね、スコーン。私メイプルがいいからそれでお願い」
チェインさんは一言そう言って小首を傾げた。
はあ?とザップさんが呆れたように聞き返すのをものともしない、彼女はそれじゃよろしく、と言うとそのまま背景と同化―――というか、つまり、消えた。いなくなった。
「……………何だったんだあの犬女」
「…さ、さあ」
女の子は甘いものが好きって言うので、と僕が言うとそんなタマかよ、とザップさんは悪態を吐いた。直後彼の頭ががつんという音と一緒に思いきり傾いだ。「いっ、」げ、と僕が声を上げると同時に、美しい同僚の声だけが聞こえた。
「…死ねクソ猿」
てめーが死ねよこのボケ、というザップさんの声は無意味に雑踏に響いた。
手はいつの間にか離されていた。

スコーン屋に着いたのはそれから五分ほどした後だった。道の角をすぐ曲がったそこにある店舗の前には、人が地味に並んでいてザップさんは顔を顰めている。「…そんじゃ俺はこっちなんで、また」あとで、と言う前にこちらにザップさんがのこのこと歩いてくる。
「え?どうしたんですか」
「…帰りでいーわ。俺並ぶの好きじゃねーし」
何であんな混んでんだよ、とザップさんはげんなりして言うと、何かに気が付いたように少し目を瞠った。そしてすぐにぐい、と僕の肩を引くから僕もわ、と言いながら慌てて彼の方に寄る。寄らざるを得ない。何だ一体、と思った直後僕が今までいた位置を大型バイクが素通りしていった。
「びっ…くりした。あぶねー」
「あぶねーじゃねーよ。あぶねーのはオマエだっつの」
ザップさんはそう言って肩をぱっと離した。「あ、ど、ども。すんません」「…気ィつけろよ」一言そう言って、ザップさんはほら早く行こうぜとすたすたと先を歩き出した。僕の向かうべく目的地への方向だ。
一緒に行ってくれるのか。
―――くれる、っていうか。
何て言えばいいのかよく分からない。けれどともかく僕はその後を追った。


事務所に着いてから、僕は入口から奥に続いている通路を歩いて受付へ向かうことになった。普通玄関ホールと受付は一緒になっていると思うのだが、元々事務所向けのつくりではなかったらしい。そんじゃちょっと奥行ってきます、と僕が言うとザップさんは少しばかり間を空けた。しかし結局オウと頷いて玄関ホールの喫煙所にのこのこと歩いて行った。僕はそのままくるりと彼に背を向ける。
よくよく考えてみれば、ここまでしてもらう謂れも無いのだ。非力であるとは言え、一応僕だってライブラの一員なのだし、大体がもういい大人なのだから、お使いについてきて貰うというのも何だか変な話だった。
受付には確かに目の大きなロングヘアの女性が座っていた。ただし、顔はカマキリそのものだった。他はフツーにスタイルのよい若い女性そのものだったが、そのせいで余計にアンバランスさが際立っていて僕は思わず足を一瞬止めてしまった。何とか平静を装って受付に行くと、カマキリの受付嬢は合点した様子で頷くと、何事かよくわからない言葉を呟いて白い手をこちらに差し出してくる。鎌はないようだ、と僕は引き攣った顔で書類を手渡した。受付嬢からは別の封筒が渡された。どうも、と僕はぺこりとお辞儀をしてその事務所のホールに早足で戻った。手は人間そのものだったが、いつ鎌に変わるか分からない。そのくらい、カマキリにそっくりだった。
玄関ホールにのこのこと戻ると、果たしてそこにはザップさんがいた。ただし、ザップさんだけではない。隣に、セミロングで目が大きい、こちらはどう見ても人間にしか見えない美女が立っていた。喫煙所のソファでやたら楽しそうに二人は話している。
「……あーワリ。連れがきたから」
そんじゃ、と誰なんだオマエはとでも言いたくなるくらい、綺麗な微笑みを女性に向けてザップさんは灰皿に煙草を押し付けてこちらに歩いてきた。よー、と言いながら手を上げるその姿はいつもと全く変わらなかった。
「…ども、お待たせしました」
待ってねえよ、とザップさんはどうでも良さそうに言った後、帰るべと言って伸びをした。「あ、はい」頷いた僕の視線が彼ではなく、喫煙所に向けられているのに気付いたのだろう。どーかしたか、とザップさんは怪訝な顔になった。目敏い。
喫煙所には悩ましげな美女が立っているままだった。煙草を持つ手も、スカートから伸びる足も、ワイシャツの袖から見える細い腕も、十人が十人美しいと言える容姿だ。真っ赤な口紅に青い瞳、そこまでは僕にも認識できる。果たしてここがヘルサレムズ・ロットという場所でなければ人間だと断言できるだろう。見ていて気が付いたが、耳の形が少しばかり人間とは異なっていた。にしたって美人だ。僕の視線に気が付いたのか、にっこりと笑みを浮かべて彼女はひらひらと手を振ってきた。慌てて僕は会釈で返す。ザップさんは更に怪訝な顔になった。
「…オマエあーいう女好きなの?」
「ち、ちがいますよべつにそーいうわけじゃありません」
ふーん、とやはりこれまたどーでもよさそうに言うと、帰るぞとザップさんは二度目のそれを言った。手を掴まれる。あ、と思ったが僕は結局何も言わずそのままついて行った。ちなみに僕らは付き合っていても、こういうことは殆どしない。わざわざするようなことでもない、というのがお互いの認識だからだ。
じゃあ、と僕は思う。
じゃあなんで今手を掴んでいるんだろう、この人は。
「……あのう」
「なんだよ」
「……俺ら、今友達ですよね?」
ザップさんから返事はなかった。なかったけれど、手は繋がれたままだった。それどころか苛立ったように手を引っ張られたから、僕は慌ててついて行く羽目になる。
僕も、手を離したりはしなかった。


果たして昼時もおやつ時も過ぎた今ならば、と思って来てみたスコーン屋は(厳密に言うとスコーン屋ではなくベーカリーのようだ)、先ほど見た混雑よりはマシだった。が、結局並ぶ羽目にはなるくらい人はいた。二人でぞろぞろと列の後ろに並ぶ。
「…ザップさん何にするんですか。スコーン」
「何でもいーわ別に。なんか、あの、フツーのやつで」
「プレーンでしょう」
「ああうん、ソレ」
本気でどーでも良さそうに言うザップさんはお前は、とおもむろに僕にそう問いかけてきた。「俺もどれでもいーっすけどね。なんかあったときの為にチェインさんとおんなじメープルにしときます」「…サーモンってねーの?生サーモン」「あるわけないでしょ。あってもスモークサーモンですよ」「ちぇー」どう聞いても後輩への嫌がらせをしようとするザップさんと話しながらだらだらと列についていく。やっぱり思ったより進みは早いようだ。
突然、前の方ではしゃぎ声が聞こえて、僕らは自然に目を向けた。「…なんかやってるっぽいっすね?」小さくそう言ったがザップさんも首を傾げただけだ。見えない。人が多かった。
ザザーっという拡声器染みた声が聞こえたのはその時だ。ラジオのような、電波放送の音にも聞こえる。店内放送だった。そんなに大きな店内じゃないのに、と僕は思わず耳を塞いだ。音が大きいのだ。次いでばさっという音と共に店内に何かが張られた。ポスターに見える。何だ一体、と僕らも含めた客達がぽかんとしながらそのポスターを見つめる。
首を傾げた。
「――――カップルさま限定キャンペーン?」
合ってますか?と僕が傾げた首を元に戻しながら後ろにいるザップさんにそう聞くと、オマエの方が目いいだろ、と呆れたように言われた。確かにそうだ。
店内放送曰く、カップル感謝デーを毎月一日だけ設けている。一日がいつなのかは分からないが、ともかくその日のその時間に来店したカップルに対して適当な何かをしている、らしい。物凄くアバウトかつ適当だった。毎月その日その時間に適当に決めているらしいからしょうがないと言われればしょうがないのかも知れないが。それにしたって酷い。その方が店側にとって都合がいいのだろうか。すると感謝しているのかどうか微妙なところだ。
僕らの前には丁度カップルが並んでいて、きゃあきゃあと女性の方がはしゃいで男性にしなだれかかっている。一体何がそんなに楽しいのだろう。だって何があるかなんてわからないのに。ふと見ればその前もカップルだった。なんだこの偶然は。
「……何すんでしょうねー。半額とかですかね」
「…なんちゅーか、全国の独り身から苦情が来そうなキャンペーンだな」
ですね、と苦笑して頷きながらも僕は微妙な心境だった。果たして僕らが今までと全く同様、付き合っている時にこれが起きたら僕らはどうしていたか。へーふーんそーなんだ。この三言を言って終了だ。わーいやったねカップルだしねー、などと言ってはしゃいだり喜んだりする訳もない。そもそも男同士だし、傍目から見れば先輩後輩はたまたただの友人、または大穴で兄弟である。わざわざカップルなんですよと主張することはない。幾らここヘルサレムズ・ロットとは言え世間体もあるし。
けれど今は僕らの関係は紛れもなく先輩後輩同僚、かつ友人である。カップルキャンペーンをやられたところで何も言うことは更に無い。付き合っているならともかく。
今や僕らは付き合っていないのだ。
「…………、…んー…なんか、茶ー渡してね?」
ザップさんが指を指した。僕はぼんやりと思考の海に溺れていたのだが、慌ててその指の先を見つめる。目を凝らさずとも分かった。カップルに対してはドリンク一杯サービスをしている、らしい。思いの外普通だった。
「…あー、なんかお好きなドリンク一杯無料サービス、っぽいっす」
「…結構フツーだな」
「そっすね」
僕が肩を竦めてそう頷くと、目の前のカップルにレジの順番が巡ってきた。次だな、と言うザップさんの声に頷く。よく見れば前にいるカップルは僕と余り歳が変わらない年齢に見えた。青春している。二人ははしゃぎながらスコーンとロールブレッド、それからカップルなんですよと言わずとも分かる主張をして、ドリンクを選んでいた。てっきり店指定のものだけなのかと思っていたが、ここの店のメニューならサイズも種類も何でもいいらしい。なんだ思ったよりも太っ腹だ。
きゃっきゃとはしゃいで二人が店を出て行くのを横目に、僕らの順番が回ってくる。「えーっと、スコーン…幾つでしたっけ?」「あ?えーっと…旦那と番頭と犬女と、魚類と…ギルベルトさんだろ。あとお前と俺、それと……今日姐さん来るか?」「来ないらしいす。あ、エイブラムスさんは?」「ヤメロ。来ない来ない。絶対来ない。ていうか来たら帰る」「酷いですよ」僕は笑って、それじゃ七つお願いします、と言うと続いて種類を頼んだ。
「プレーン五つと、メープルふたっつで」
かしこまりマシター、と両目が異様に発達している店員はにっこりと笑って頷いた。帽子の隙間から鰓が見える。両生類系かな、と僕はぼーっとしながらスコーンがくるのを待った。
店員はすぐに戻ってくると、こちらですネー、と言って袋に入ったスコーンを見せる。数に間違いがないかどうか確認して、はい大丈夫です、と僕は笑って頷いた。ありがとうゴザイマスー、と店員が笑って会計をしようとした時だ。「あのさー」ザップさんがおもむろに店員に話しかけた。
「ドリンク頼みたいんだけど。二つ」
「え」
僕がびっくりした声を上げたのを無視して、ザップさんは首を傾げて頼んでいい?と重ねて言った。ハイ勿論デスヨー、と店員は笑うとメニューをひょいとこちらに向けた。
「オマエどーする。俺アイスコーヒーでいーわ」
「え。え?や、でもあの」
「どれにすんだよ」
何が何だかよくわからなかったが、僕はそんじゃアイスのカフェラテで、と慌てながら告げた。店員さんはにっこりと笑うと、かしこまりマシター、お会計変わりマシテー、とレジをぺこぺこ打ち始める。
それをザップさんが、ひょいと手をかざして止めた。
「あ、わりーストップ。俺とこいつ付き合ってんだわ」

――――え。

店員の手が止まる。ん?と首を傾げた店員の顔は、にこやかだったが停止していた。「付き合ってんの。俺とコイツ。カップル」面倒臭そうにそう言って、ザップさんはキャンペーンやってんだろと続けた。「ドリンク一杯それぞれにサービスしてん、」「ちょ、ちょちょちょな、何言ってんですか!」慌てて僕はザップさんの言葉を止めた。店員がぎょっとしたように僕の方を見つめる。
「…んだようるせーなー。付き合ってんだから言わなきゃ損だろ」
「だ、だってザップさん今朝言ったじゃないですか。別れるって」
え?と店員が僕の方を見つめる。別れたの?とでも言いたげな視線を僕は無視した。それどころでは無い。
「わ…っかれるとは言ってねーだろ。三日間だけ友達だって言っただけじゃねーか」
店員は今度はザップさんの方を見つめた。トモダチ?じゃあ付き合ってないの?とでも言いたげだ。ザップさんも僕もその視線を無視した。
「わ、別れるも同義じゃないすか。何すか大体、別れてやるって」
「はあ?てめーが別れたい別れたいっつーから言ったんだろバカ。てめーの発言棚上げすんなよ」
「…そりゃ俺も悪かったですけど…でも何でそこで簡単に引くんですか何すかその程度だったんですか」
「簡単って何だよ俺だってちゃんと考えて言ったんだっつーか何だよソレめんどくせーな!思ってもねーこと言うなよ!」
「思ったことだってありますよ!ちゃんと!つーか思ってないと言いませんよ!」
「んじゃやっぱお前じゃねーか!別れたがってんのは!」
「…っ俺が別れたいわけ、」
拳を握りしめる。別れたい?そう思ったことは過去何度も何度も何度もあったし何度も何度もそう言おうと、っていうか言った。言ったけど、何で僕があんたと別れたいと思ったと思ってんだ。あんたが何度も何度も何度も僕じゃない人のところに行くからじゃないですか。僕じゃない人ばっかり選ぶからじゃないですか。僕はあんたが好きなのに。
好きな人だから別れたいなんて変な言い方になるくらい。

だから。

――――ザップさんと別れたいわけが、

「……ないでしょ…!」

――――ないのだ。

ザップさんの目が、青味がかった灰色の目が、揺れた。
その瞬間カウンターの向こうからどん、という音がしてお互いにびくりと音の方向を見つめる。店員が店員の鑑ともいえる営業スマイルでもって、こちらご注文のドリンクデスー、と言った。おニーさんたちカップルですね分かりマシタ分かりマシタそれじゃハイどーぞシュガーは後ろにあるから勝手に持ってって下サイネーあとそれから、と店員さんは笑顔のまま矢継ぎ早に言った。
痴話げんかは他所でやってくだサイネー。
そう言われる前に、ザップさんが風のような速さで札をレジに向けて投げ入れて、僕はドリンクを二つ引っ掴み、大体同時にダッシュで店を出た。
気が付いた時には、もう手が掴まれていた。


ずるずるとコーヒーを啜る音が前から聞こえる。ぐす、と僕が鼻を啜る音が聞こえたのか、ザップさんはぎょっとして後ろを振り向いた。「……泣くなよ」少し慌てたような声がする。「…泣いてねーすよ…」既にその声も泣き声だったから説得力は無かった。ザップさんは少し黙ったあと、そのままぐいぐい僕の手を引っ張って歩いた。丁度河沿いに来た辺りで公園に入ると、ベンチに座らせられた。
直後頭をぐしゃぐしゃにかき回されたから堪らない。僕は痛いです、と小さく言ったが手は除けられなかった。
「…なんかこれだと俺が悪いみてーじゃん」
不貞腐れたようにそう言うザップさんに、少し笑ってしまった。「何笑ってんだよ」不満げにそう言われたが、僕は返事をしなかった。手に握られたカフェラテが冷たい。
「……俺やっぱ別れたくないです」
僕がぽつりとそう言うと、そか、とザップさんは頷いた。「…一日目でギブじゃん」おかしそうに付け加えられたそれに、うるせえよと僕は言って手で目を擦る。涙が零れていた。ザップさんの手が伸びてきて、僕の頬を触る。「…泣くなよ。レオ」

―――名前を呼ばれるときが。

「……、……。」

な、と何が何だか分からないがザップさんは笑って、首を少し傾げて言った。

―――いちばん、好きだった。

どういう訳か僕はもっと泣きたくなった。


事務所に帰るまでの間、珍しくザップさんは僕と手を繋いだまま、それでも僕を引き摺る様にして道を歩いた。果たしてここがヘルサレムズ・ロットだからなのか、それとも都会ってこんなもんなのか、大して気にかけるような暇人はいなかった。
いつもの如く意味不明な場所に現れるドアを開ける。今日はもうここなんだ、と僕がぼんやりしているのも束の間、唐突に繋がれていた手が引っ張られた。ドアの閉じる音が背後から聞こえる。「わっ」声を上げたあとにがぶ、と噛まれるようにキスされた。
「っ!ん、」
ドアに押し付けられるようにされた背が少し痛かった。後頭部を撫でるように動く手が少し擽ったい。唇は案外簡単に離されて息を吐き出した。途端、唇を舐められたから僕はびくりと背筋を伸ばす羽目になった。キスはいいけれどそれは結構、苦手だった。緊張する。
「…んー」
やっぱ駄目だわ、と意味不明なことをザップさんは言った。「は、はい?」僕が怪訝な顔をしているのも構わず先輩は、考え込むような仕草で笑った。
「キスもセックスもいーけどさー」
俺やっぱお前じゃねーとやだな、と僕からすれば爆弾発言をして、ザップさんはドアに手をかけた。頭の中が追い付かない。ぼーっとしている思考のまま引きずられるようにして事務所に足を向ける。何だそれ。何だそれ。何だそれは。

そんなこと言われても。
そんなこと言われたら。

「…やーおかえり少年、ザップ。ああそれが返事の……ん?どうした少年」
な、何がですかと言いながらそっと書類と引き換えに受け取った封筒をスターフェイズさんに渡す。それを受け取りながらスターフェイズさんはきょとんとした顔で首を傾げた。
「顔が真っ赤だよ」
「え?あ、えーっとあの、は、走ってき、きたので」
「そうかい?」
お疲れ様、とにこやかに笑ってスターフェイズさんはザップは、と次いでザップさんに目を向けた。「お使い」「その言い方止めて下さいよ」そう言ってスコーンが入った紙袋を渡すザップさんはいつもと変わらない。いつもと同じ、たれ目で煙草臭くて勝手なことばっかり言う只の理不尽な先輩だ。
――――だけど。

――――だから?

「ああ有り難う。じゃあ二人ともそれぞれ好きなの取りなさい」
「ご馳走様です。おーいレオ、お前何にすんだよ」
こちらを見る先輩の目もやっぱりいつも見ているそれと同じで、笑顔は今朝無理矢理起こされた時のそれと全く同じものだった。なのにどういう訳かレオ、と呼ぶその声も仕草も何もかもが懐かしく思える。
高々半日。
高々半日も、僕はトモダチできないらしい。

俺はメープルで、と言いながら足を向ける先にいる人の顔はやっぱりいつも見る笑顔だった。抱き付きたくなるのを我慢しながら、僕は笑って隣に並んだ。


「…ところでザップ。釣りは」
「あ゛」
「あっ」





街中でカップルと宣言する展開が大好きでそういう話です。
相手は誰でもいいので「こいつ俺のなんで」という彼氏面をする彼氏(?)展開も好きです。そういう話。