隣同士の一方通行

2020/04/21

大学生パロ

「まだ言ってないの?」
たまたま一緒になった飲み会で、たまたま向かい席に座ることになってしまったチェイン・皇が、呆れた口調でそう言った。


「うるせーな。おめえに関係ねえだろ」
「それはそうだね」
肯定されたのにここまでムカつくのも珍しい。
俺の目の前で鬱陶しいくらいに頷いたチェインは「お代わり頼もう」と横に置いてあったメニューを手に取った。
まだ飲むのかコイツ。
飲み放題とは言え遠慮っつーもんを知らんのか。そう思いはしたけど、俺ももう少し飲みたい気分だったので、追加を頼んだ。遠慮なんてしたい奴だけがすればいい。自分が思ったことを棚に上げる。
ついでの注文だというのにチェインは嫌そうな顔をした。コイツほんと俺の頼み聞くの嫌がるよな、と思う。当然、口にはしない。何しろこいつの足技は、大の男一人を昏倒させるくらいには、強い。
「……だってアンタさ、一体何年好きなの?一年?二年?」
高校の頃からだから三年くらい?と言われたので俺は顔を顰めた。さっき関係ねえって言ったじゃねえか。そう言うと、チェインは澄ました顔で言った。
「この話題だとアンタが静かでいいなって思って」
「…………。」
マジで顔とスタイル以外いいところが見つからねえ。何度目なのかわからないそれを考えながら、ジョッキをテーブルに置いた。どん、という音が響いたが、チェインは何も言わなかった。
注文が運ばれて来るまで、互いに何も口を利かなかった。いつものことだ。

このクソ女とも付き合いは長く、中学時代からなのだから腐れ縁と言ってよかった。中一の時、たまたま席が隣になって、そのまま高校になっても同じクラスだったのだから、腐れ縁どころか腐り落ちている縁だ。大学に入ればいくら何でも、と思っていたのに、学生証を受け取る時に教室でばったり出会ってしまった。
俺と同じクラスだと知った時のチェインの落ち込みようはなかった。
何でアンタとこんなに一緒にいなきゃいけないわけ私の人生に介入してこないでよ、とその場で言われたのは記憶に新しい。そりゃこっちの台詞だっつーの。俺だってお前の人生に介入したくないわ。
つまり俺たちは一緒にいる年月は長い癖に、気は合わない反りが合わない馬は合わないで、仲の悪さには自信があった。割になぜか「付き合っている」という根も葉もない噂が学年を駆け巡ったのは一度や二度ではない。その度にチェインは「死にたい」とか「もうやだ」とか言いながら俺を階段から突き落としたり、屋上から投げ落とそうとしたので、俺も本当に勘弁してほしかった。死にたいなら勝手に死ね。俺を殺すな。
流石に、そんな噂も近年は鳴りを潜めている。とはいえ、俺がチェインに色々な理由で殺されそうになっているのは変わっていない。この間は立っているだけで後ろから蹴飛ばされた。おかしーだろ。
漫画とかドラマだったら、口では仲が悪いと言いつつも実は、というのがお約束だろう。けれどここは現実だ。俺もチェインも恋愛感情の類は、お互いこれっぽっちも抱いちゃいなかった。そりゃあ俺は頼まれたら抱いてやってもいいと思う程度ではあったが、たぶんそう言ったら本当に俺は殺されてしまうだろう。その程度の、仲だ。
「…てゆか今日あの子来てないの?珍しい」
「バカアイツ未成年だろ。来れねえよ」
「………つまり」
アンタがそー言って止めたわけね、と肩を竦めて言ったチェインは、馬鹿馬鹿しそうに眼を瞑ってビールを飲んだ。
「………。」
正にその通り、図星だったから俺は黙ってポテトを取る。
居酒屋に未成年はご法度だということは、一応、世間の常識に照らし合わせればその通りだ。ただ、世間の常識と言うのは破られる為にある。名目は何であろうと、未成年は今や易々と居酒屋に入れはする。
だから―――だからこの女の言う”あの子”だって、こんな風に団体で入ってしまえば一々未成年だよねとは言われないものなのだ。本来ならば、”あいつ”を止める障壁はなかった。
本来ならば。
「あれ?珍しい」
お二人ですかと言いながらのこのことやって来たそいつに、チェインが目を向ける。俺は声を聞いただけで誰なのかすぐに分かったから顔を上げなかった。代わりにイカの燻製が入った皿を引き摺ってくる。
「なんだ来てたの?未成年」
「飲んでないですよ」
僕は、と言いながら空いているチェインの隣に座ったのは、義弟のツェッド・オブライエンだった。チェインはビールジョッキを片手に持ったまま、「へえ」という顔をした。俺は顔を顰めてそっぽを向く。タイミングが悪い義弟だ。
「…ふーん。同じ年のツェッドは止めなかったんだ」
「こいつが来るなんざ知んなかったんだよ」
「?今日夕飯作れませんよって言ったじゃないですか。というより今朝話したでしょう。どうやら一緒の飲み会ですねって」
「黙れうるせえ深海に沈んでイカでも取って来い」
てゆかおめえあっち行けよ、と言った俺を無視して、チェインさんもいらしてたんですね、と義弟はグラスをテーブルに置いた。無視かい。お義兄様を無視かいこの魚野郎。
「どうしてもって言われて。人数あんまりいないから数合わせみたいな」
団体割に二、三人足りなかったみたいでさ、とチェインは言いながら枝豆を掴んだ。この女、俺が理由を聞いた時は答えなかったじゃねーか。
そうやって、俺がチェインを睨んでいるのに気が付いたらしい。義弟こと魚類は「どうしたんです」と不思議そうな顔をしながら、遠くにあるたこわさの皿を俺の近くに寄せるように置いた。
「…あれ?そういえば今日レオくんいないんですか?」
ふと気が付いたように魚類がそう言った途端、チェインが吹き出して笑った。対照的に俺は苦虫を噛み潰したような顔をする。「?」なんだその顔は、と言いたげに魚類はたこわさを箸で抓んだ。

”あの子”というのも”レオくん”というのも同一人物のことを指している。
俺の後輩、レオナルド・ウォッチのことだ。

レオは俺より一つ年下の大学一年生で、魚類とは同級だった。
チェインと同様、やっぱりレオとも中学時代に出会ったから、俺との付き合いは数年になる。
入学式の日に遅刻してきたレオはどういう星の下に生まれたのか、会場を探している間に迷ってしまい、その間学校で札付きの奴らに絡まれてしまうというミラクルを起こした。『やめてやめててゆか俺入学式に』と喚いている声で俺は起こされ、うるせえなと思いながら階段の上から飛び蹴りしたのが、レオだった。俺にとっては日常茶飯事だったが、レオにとっては人生ワーストスリーに入るくらい酷い出来事だったらしい。いまだにそのことで詰られることがある。しつこい。
割に、なぜか俺とレオはそこから仲良くなった。あいつが人懐っこくお人好しで、俺に対して全く臆さなかったせいかもしれない。生意気な上、こっちの話は聞かねーし、初対面だという俺が”助けてやった”というのに全然恩を返さねえ奴であったことは間違いなかったが、俺もなんだかんだ言って、レオとは気が合った。学年も違うのにしょっちゅう授業をサボって二人でゲーセンに出かけたり、屋上で寝たりした。
成績が大してよくなかったレオの勉強をたまに俺が見てやったこともあった(ただし『教え方がさっぱりわからないからもういいです』と言われたのは一度ではない)。
しかも、休みも遊んでいたりしたのだから、俺も結構浮かれていたのかもしれない。あんなに気が合う奴に今まで会ったことなかった。大晦日にレオと一緒に初詣に行く、と俺が言った時、魚類は言った。

―――ああ、そういうことなんですね。

何がそういうことなんだ。そう思って俺は変な顔になった。
―――レオくんクラスの子に初詣誘われてましたけど。
そう言いながら魚類はリモコンを操作してゆく年くる年をテレビに映した。
―――先輩と行くからって言っていたので。たぶんあなたのことだろうなとは思ってましたけど、本当にあなただったんですね。
そう言った義弟は欠伸をして、もう僕は寝ますと折角テレビを点けたのにすぐ消した。こいつは夜にあんまり強くないらしいから、夜遊びの類は断り続けているらしい。
ともかく、それを聞いてちょっと驚いたのを覚えている。
何しろ、俺があいつを初詣に誘ったのは、その日の朝のことだったからだ。暇だ、と思いながらテレビを点けたら今日は大晦日です、とアナウンサーが言っているのを聞いて気が付いた。そういえばそうだった。毎日そんなに日付を意識しているわけじゃなかったし、冬休みだったから黒板もカレンダーも頻繁に見ていなかった。そう言ったら、魚類にドン引きされてムカついた。お前と一緒にするな。
その時思い出したのだ。
レオが一回くらい夜に初詣に行ってみたい、と言っていたことをだ。あいつの家は、元日に家族全員で初詣に出かけるらしく、だから大晦日の夜は紅白を見た後、みんなでお茶を飲んで眠ると言う、まさに道徳的で理想的な家族の暮らしをしているらしい。
「いーじゃねえかそれで」と俺が言うと「そりゃ不満はないけど」とレオは苦笑いして言った。
一回くらいは夜の寺に行ってみたい、と言われて俺はふうんと相槌を打った。夜なんか別に暗いし寒いし大していいことねえと思うけどな。その時はそう思っていた。けれどまあ、そうは言ってたんだし一応言ってみよう、と俺は携帯でレオに連絡を付け、寺行かねえかと言ってみた。これじゃ意味伝わんねえな、と俺は言った後に気が付いたが、どういうわけかレオにはすぐさま伝わった。行きます、と息せき切るような声で言われて俺がぎょっとした。何でわかったんだ。そうは思ったが、その剣幕に押されて俺は何も言えなくなってしまい、とりあえず待ち合わせ場所を伝えて電話を切った。
だから、レオがクラスの友人とやらに初詣に誘われたのが、いつなのか俺には知る由もなかった。けれど、魚類がその場にいたということは、恐らく冬休みが始まる前なのだろう。それじゃああいつは、休みが始まる前から、俺が誘う前から俺と初詣に行くつもりだったんだろうか。
ごちゃごちゃとややこしいが、そう思って慌てて首を振った。偶然だ。大体、その先輩が俺かどうかなんてわからない。その時はそう思って初詣に向かった。
―――けど俺じゃなかったら。
俺はどうしていたんだろうか。
なんだかそこに引っ掛かりを覚えつつ、レオが待っているであろう寺に向かった。既に待ち合わせ時刻は過ぎていたのだが、いつものことだったので、俺は大して急ぎもせず寺の前にいるレオに「よう」と手を上げた。
遅いっすよザップさん、と言ったレオはそれでも嬉しそうに笑って、早く行きましょう、とにこにこしていた。その顔を見てやっぱり変な気分になった。
…こいつ俺以外に先輩っているんかね。
そう思って自分にぎょっとした。いるに決まってるっつーか、どーでもよくね?どうでもいいだろ。そう言い聞かせながら、レオと一緒に寺に参詣し、それから屋台を回った。レオはたこ焼きのソースをべったりと口にくっ付けていたから、俺はそれを面白がって携帯で写真を撮った。レオは嫌がっていた。
今思うに恐らくそれが最初だった。最初に―――レオを意識したのは、その時だ。


ぼーっと回想していた俺を他所に、チェインがグラスの氷を揺らしながら、酷くどうでもよさそうに言った。
「…この猿が止めたんだって。未成年だからって」
「あ、オイこらてめえ」
「ああ、なるほど」
あんまりレオくんの交際範囲を広げたくないんですね、と義弟は忌々しくもしみじみとそう言って、オレンジジュースを手に取った。
「…………。」
そこまでは言ってないし思ってもねえよ。そう文句を言いたかったが、言ったところでこいつらは信じないだろうから無駄だ。
理由は定かではないが、なぜかこの二人には俺がレオのことを好きだということがバレていた。
自分でも悲しいと思うが、俺はどーいうわけかあのクソ生意気な煩い後輩のことを、いつの間にか好きになっていたのだ。青天の霹靂と言っていい。目の前の二人に聞けば嫌と言う程、というかこれはレオにも聞けばわかるが、俺は一週間で最高七人の女と付き合う程度には女が好きだからだ。てゆか今も二、三人だけど言えば二つ返事でヤれる女は常にいる。ついこの間も二人に追い詰められて刺されそうになったばかりだった。レオを好きだからと言って別に俺がレオを落とすために何かをするということはなく、むしろ女遊びが余計に酷くなった。レオのことは好きだったが女と違って手を出すわけにもいかねえし、かと言ってそのままずるずる友達としてストイックに付き合うというのも性に合わない。だから持て余した性欲はどっかにぶつける他ないのだ。これは仕方ない。レオとのことの前にその女癖を何とかしろ、と言ってきた目の前の二人へ真顔でそう説明した俺に、魚類は溜息を吐き、犬女は死ね、と罵ってきた。何がわりーんだ何が。別に合意なんだからいーじゃねえか。そう言ったがそういう問題じゃありませんよ、と魚類は悲し気な顔でそう言っていた。意味が分からねえ。
「でも僕が来てたことが後からバレたらレオくん怒ると思いますよ。仲間外れじゃないですかって」
「はっ。何が仲間外れだ何が。ガキめ」
「あなたのそういう態度もいけなんだと思いますけど」
呆れたように魚類はそう言って、僕も追加しますとチェインの横にあるメニューを手に取った。「チェインさん何か頼みますか?」「んー………、あ、このチーズ揚げ食べたい」「わかりました。あなたは?」俺の方を見て魚類は首を傾げる。いい、と俺は無言で手を振った。はい、と素直に頷いた魚類が店員を呼んでいるのを見ながら、俺は溜息を吐いて枝豆を手に取った。一体こんなとこで何してんだか。何の名目なのかも覚えていないこんな飲み会に来てだらだら酒なんか飲んで、しかもレオはここにいねーしクソつまんねえ。いや俺が来るなっつったんだけど。そう思っていたのが顔に出てしまったらしい。そんな顔すんならさあ、とチェインは半眼で言うとサワーが入っていたコップをテーブルに置いた。
「…呼ぶ?レオ。今から。一人くらい紛れてもわかんないでしょ」
「はあ?何で呼ばなきゃなんねーんだよあんな奴」
「…よくもまあ好きな子のことをそう悪し様に言えますよね…」
ぞっとした顔で注文を終えたらしい魚類はそう言って、溜息を吐いた。「…あなたレオくんが好きなんですよね?もーちょっと優しくしてあげたらどうなんですか?」「何でおめえにそんなこと言われなきゃなんねーんだよ」仏頂面でそう言った俺に、僕はレオくんの友達なので、と魚類は澄ました顔で言った。
「あなたとレオくんが付き合うのに正直賛成はしたくありませんが、それでレオくんが幸せだというならまあよしとします」
「何で上からなんだよ。てゆかあのな、」
付き合えるわけねーだろ、と言った俺に魚類は突然黙り込み、チェインは顎を手において肘をテーブルについたまま、俺のことを見つめた。二秒間ほど無言が起きる。
「………なんだよ」
俺が最初にそう言ったのを皮切りに、チェインも魚類も俺から目を逸らしてなんでもない、とか別に、とかそういうようなことを言った。一体何だと言うのだ。訳がわからねえってかちょっとは否定するとかそーいう温かい気持ちはおめえらにはねえのかよ。そう俺が言うと、魚類は俺から目を逸らし、チェインはたまたまタイミング悪く来た注文を店員から受け取るというやり方で誤魔化した。俺からすればタイミングは悪かったが、チェインからすればこれ幸いだったのだろう。俺は眉間に皺を寄せた。
「…どーせ俺はあいつと一生付き合えねえってかあいつがそもそも俺のことそーいう目で見てねーじゃん。てゆか今更そんなん無理に決まってんだろ友達だし男だし」
「………………えーと…」
そうですね、と微妙に上擦った声で肯定したのは魚類だった。「…オイだからよ。おめえちょっとはフォローしろよ」「……あー、ええと…」そうですねと再度の肯定をされて、俺はなんなんだよコラ、と意味を為さない言葉で義弟を罵った。
「…あー、ええと。い、一度好きだと言ってみてもいいんじゃありませんか?」
罵られたからという理由なのかどうかわからないが、唐突に魚類がそう言ってきたので俺はハイボールで咽る羽目になってしまった。げほごほ、と咳き込んでいる俺を他所に、犬女は黙ってチーズを口に放り込んでいる。女なら水取るとか大丈夫とか声をかけるとか女子力とやらを発揮したらどーなんだ。いやそれ女子っていうかフツーに人間として当然っつーか、とどうでもいいことを思いながら魚類に渡された水を飲んで何とか咳を止める。水が入ったグラスをテーブルに置きながら、あのなあと俺はじろりと義弟を睨み付けた。
「言える訳ねーだろバカ。今俺とあいつは友達なんだぞ友達。好きっつったらそーじゃなくなることくれー俺じゃなくてもわかるわ」
「……い、いやー…そうじゃないかもしれないじゃないですか。万が一、ほら。レオくんが頷くってことも」
「………万が一どころか」
億も兆もねえだろ、と言ってそっぽを向いた俺の前で、魚類と犬はどうやら顔を見合わせたらしい。変な沈黙がまた起きたので、俺はなんだよと言いながら二人の方を睨み付けた。
「……いえ別に」
「………………。」
魚類はまた当たり障りのないことを呟き、そして犬はさっきと同様俺を無視した。何なんだこいつら。何が言いてえんだよ、と俺は思いながら、魚類が注文したらしい出汁巻き卵を勝手に箸で掴んで口に入れた。いつもはこういうことをすると一言声をかけて下さいよ、と言う魚類も、居酒屋のためか何なのか、今回は一言も文句を言わなかった。

「…………そーいうこと言っててさあ」

今の今まで黙っていた犬女が、突然そう言いだしたので俺も魚類もちょっと目を瞠った。「あ?」そう言って俺がもぐもぐと出汁巻きを食っていると、チェインは嫌そうな顔をしながらものろのろと口を開いた。一体何で嫌そうな顔をしているのかは知らねえが、こいつは基本俺に話しかける時嫌そうな顔をしているので、普段通りではあった。
「レオが誰かと付き合うってことになったらどーすんの?」
ぴたりと二つ目の出汁巻きに伸ばしていた箸が止まる。そのまま黙ってチェインの方に目を向けたが、チェインは持っていた箸ともども、俺ではなくポテトの方を向いていた。「…あんたの方が知ってると思うけど、あの子モテるよ」「はあ?」何言ってんだお前、と俺が呆れながら続けてやっと箸を動かすと、モテるよね、とチェインは魚類の方を向いて言った。
「………モテる…というか。…まあ、他人に好かれ易い…ですよね。レオくんは」
優しいですから、とぽつりと言った魚類はなぜかそこで俺から目を逸らした。「………おい」まさかお前、と俺が言ったそれを最後まで聞くことなく、違いますよと魚類はまた俺の方を向いてきっぱりと言った。ただし微妙に声が上擦っていたので、俺は眉間に皺を寄せてしまう。
「……………。」
「だ――だから違いますってば。何ですかその眼は。別に僕はそういう意味でレオくんを見たことはないです。………ただ」
あなたが好きになる気持ちはわかります、と言われて益々俺は顔を顰めた。ソレお前自白と同じじゃね?そう言おうとした俺を遮って、チェインがだからさ、とそう言ってきた。
「…あんたと同じこと思ってる奴がいたっておかしくないでしょ。友達だからとか男だからとか、それからまあ…たとえば後輩だからとか教師だからとか?色々理由つけて一歩も踏み出せないあんたみたいなヘタレがいたっておかしくないからね」
「だ、誰がだよオイ」
だからあんたのこと、とチェインは乱暴に言ったかと思うとぐいっとコップを傾けて一気にビールを飲み干した。「…ツェッド。メニュー取って。追加する」「あ、はい。どうぞ」魚類は素直にメニューを手渡して、俺の方を向いた。「…ともかく僕は違いますからね。好きですけどあなたと同じ意味の好きじゃありませんから」「……………。」魚類の弁解を聞きながら、そんなこと考えたことなかったな、と俺は今更呑気にもそう考えていた。確かにそうだ。レオみたいな奴を好きにならないわけがないのだ。レオはそういう。
そういう奴だ。
「……………。」
「…今更気が付いたの?」
バッカじゃないの、とチェインは吐き捨てるように言うとよし決まりと言いながら店員を呼び止めた。僅か気の毒そうな表情で義弟が俺の方に同情的な視線を向け、何か頼みますかとそう聞いてくる。「…泣きたかったら泣いてもいいですよ」「やめろ」てめーに優しくされるほど落ちぶれてねえよ、と言った俺に、口が減らない人ですねと魚類は珍しく苦笑いして、そう言った。


確かにそうだとは思うけど。
それで好きだと言えたら苦労はない。言ったらこれまでの関係はともかく、これからの関係が一気に崩れるに決まっていた。幾らあいつがこれまで通り友達として付き合いたいですと言ったとしても、最早俺には無理だとしか言いようがない。一回好きだと言ってしまったら、恐らく言葉も行動も何もかもが決壊したダムのように歯止めがきかなくなるに決まっていた。そうなったらもうどうしようもない。俺がレオに手を出さない保証は全くないのだ。
溜息を吐きながら学校へのろのろと向かっていると、後ろからザップさん、という声が聞こえた。「…………、」顔をげんなりさせたまま後ろを振り返る。声を聞いた時点でもうとっくにわかってはいたのだが。
「おはよーございます」
そう言って跳ねるように俺の隣にやって来たのは、案の定レオナルド・ウォッチだった。
「もーすっげえ銀杏が綺麗ですねー。北側の街路見ました?今の時期すっげえ銀杏の葉っぱ落ちてて綺麗なんですよ」
「………おめえ朝から元気だな…」
「?」
だってもう十時も回ってるし、とレオはきょとんとした様子で言うと、ザップさんは調子悪そうですねえ、と呑気にもそう言った。「…二日酔い」実際昨日はそんなに飲まなかったので二日酔いにはなっていなかったが、面倒だったのでそう言った。まさかお前が好きなせいでこうなんだとは言えない。
レオはああ、と合点したように言ったが、そういえばとちょっと眉を吊り上げて腕を組んだ。「昨日ツェッドさんは行ったって聞きましたよ。俺はダメって言ったのに何でツェッドさんは止めなかったんですか?」信じられないことに、いやむしろ信じられるのかもしれないが、夕べ魚類が言っていたことと全く同じことが起きた。俺は溜息を吐いて知らねえよと適当なことを言い、すたすたと早足で学校に向かった。
「知らないってなんすかちょっと。チェインさんもいたって聞いたし、俺だけ仲間はずれじゃないですか」
本当に魚類の言ったとおりになったので俺は再度頭が痛くなった。仲間はずれってお前は一体幾つなんだよ。いやまあたぶん俺も同じことされたら同じようなこと言うだろうけどな?そう思いながら、喚いているレオを無視して学校に向かった。今日の昼飯はどーすっかな。今日の学食のA定はなんだろう。毎日とそう変わらないことを考えながら、喚くレオと共に校門をくぐった。


A定はハンバーグ定食だった。まあこれでいいか、とひとりごちながら食券を買う。今日は授業が少ない曜日だったせいで、学食は大して混んじゃいなかった。空席の方が目立つテーブルに着席して定食を食っていると、学食の入り口に魚類とレオの姿が見えた。俺より先にレオの方が気が付いたらしい。俺は手を上げているレオに気が付いたからだ。
「ザップさん」
のこのことレオがこちらにやって来たので俺はようと手を上げた。「今日学食だったんですか」コンビニだと思ってた、とレオは矢鱈嬉しそうに言うと、食券買って来るからちょっと待っててください、と弾んだ声で言うと券売機の方に走って行った。
「………………。」
あれだよ、と俺は思って溜息を吐いた。あーいう…なんかこう、犬みてーな感じで懐いてくるから俺だってこうなんか、と意味不明なことを思いながら付け合わせの人参に箸を突き刺した。何なのアイツいつもあーだけど俺を見るたびあーやって嬉しそうに笑うのなんなの?あんなんされたら俺だって嬉しいわクソ、と嬉しいのか悲しいのかわからないことを思っていると、既に注文を終えたらしい魚類が俺の向かいに無言で着席した。
「なんでおめえが前なんだよ。飯が不味くなんだろ」
「隣の方が距離が近くていいでしょう」
「おい」
そーいうことぜってーアイツの前で言うなよ、と俺が言ったのを呆れた顔で魚類は見ると、はいはいと言いながら焼き魚定食に手を合わせた。いただきます、と呟いた魚類を俺が睨んでいる間にレオも注文を終えたらしくとことことこちらに歩いてきた。「あ、ツェッドさん魚にしたんすね」俺は今日饂飩です、と言いながらレオは俺の横に着席した。特に何も悩んだ様子はなく、ついでに言えば魚類の横も魚類が荷物を置いていたとは言え、一応空いてはいた。
俺が黙ってレオを変な顔で見ていたせいか、レオはきょとんとしてどうしたんですか、と首を傾げた。「……なんでもねえ」そう言って俺はハンバーグの方に戻る。「?」変なの、とレオは呟いたが、ついさっきの魚類と同様いただきますと手を合わせてそう言った。

魚類はこのあと授業が入っているらしいが、レオは何もないらしい。ついでに言えば俺も午前中で授業は終わっていたから、サークルに寄るか帰るかパチンコに行くか雀荘に行くかのどれかにしようと思っていた。そう俺が言うと、レオがそれじゃ俺も帰ろっかなあ、と意味の分からないことを言ってきた。
「それじゃってなんだよそれじゃって。俺は帰るとは言ってねえぞ」
「あ、そうか。そいじゃザップさん帰りましょう。俺靴が欲しいんで一緒に靴屋行ってください」
「何で俺がおめえの買い物に付き合わなきゃなんねーんだよ」
ヤだよ、と言うとええ、とレオは露骨に悲し気な顔になった。「いーじゃないすか。どんな靴がいいのかよくわかんないんですよ」「俺だってわかんねーよ。一人で探せよ」「それが寂しいから言ってるんですよ」「寂しいってあのなあ」ガキか、と言いながらぺちんとレオの額にデコピンすると、いて、とレオは小さく呻いて拗ねたように前を向いた。これが万が一、いや億が一、いやさ京が一付き合っていたとしたらしゃーねえなとか言いながら買い物でもなんでも付き合ってやるくれーするだろーが、なんだか最近こいつと一緒にいると自分が何かしそうでやべーなと思っていることに気が付いたのだ。そもそもレオがザップさんザップさんと一々うるせえのも理由の一つではあるが、その他どういうわけかこいつは俺に不自然じゃない程度にくっついてくることが多いのだ。これがレオじゃなくて他の男だったらボコボコにしてるところだったが、ぶっちゃけ俺だって好きな奴にくっ付かれるのは嫌じゃねーし、むしろ願ったり叶ったりというところだから止める理由がない。ただしコイツと俺は友達という二文字以上の関係ではないのだから、幾ら接触回数が多いからと言って触る以外のそれをしてしまったらジ・エンドなのだ。ちゅーわけで最近俺はこいつと二人きりになるのをなるべく避けている。昨日の飲み会にレオを来させなかった理由の一つもそれだ。帰りがけ、俺がレオを送って行くのは飲み会の後のパターンになっているせいだ。
「…いいじゃないですかそれくらい。僕は授業なので付き合えないですし」
目の前に座っている魚類はそう静かに言うと、もぐもぐと鯖の味噌煮を食い始めた。「………おい」じろりと俺が義弟を睨むと、肩を竦めて魚類は続けた。「…ですからいいでしょうそれくらいは。どうせパチンコか麻雀か、……あとはどなたかのところに遊びに行くんでしょう?」そう言った後もぐもぐと白米を食っている魚類に、あのなあと俺は箸を突きつけて言った。
「そーだよわりーか。パチンコも麻雀もついでに言や女のとこも俺は好きなんだよ。このクソガキに付き合うよりはそっちの方が楽しいに決まってんだろうが」
「……………………。」
魚類はなぜか少し焦った表情で俺のことを見たが、隣にいるレオはなぜか突然立ち上がった。「?」暴言であったことは間違いなかったが、このくれーのことは毎日俺はレオに言っているので、反論がなかったことがむしろ不思議なくらいだった。
「俺お茶入れてきますわ。二人とも要ります?」
茶、と言われて一瞬呆気に取られたものの、俺はうんと頷いて湯呑を渡す。魚類は僕は大丈夫です、と静かに言って首を振った。一瞬なぜか同情的な眼差しをしたのが分かったが、それはどういうわけか俺ではなくレオに対してのようだった。どーいうこっちゃ、と俺が思っている間にも、わかりましたとレオは元気に返事をしてとことこと茶を入れに歩いて行った。
「…………ちょっと。どうしてあーいう言い方しかできないんですか。断るなら断るでもうちょっと言い方があるでしょう」
「はあ?てゆかおめえやめろよ何焚き付けてんだよ。あんな言い方されたら俺だってあーいう言い方しかできねえだろ」
「………まあ、だから賭けてみたんですけどね」
「は?」
どういう意味だ、と俺が言ったのを受けて、なんでもないですと魚類は言って肩を竦め溜息を吐いた。全然なんでもねえって態度じゃねえじゃねえか。俺がそう言うと、そうでもないですよと魚類は言って顔を上げる。視線の先にはレオがいて、湯呑を持ってこちらに歩いてくるところだった。
「はいザップさん」
「あ、…おう。ご苦労」
何でそんなに偉そうなんですか、とレオは苦笑して言うと俺の横に座って茶を盆の上に置いた。饂飩冷めてねーかな、と言うレオの様子も別にいつもと変わらず、なんだかちょっと変だと俺は思ったのだが、まあいいやといつもの如くそれを切り捨てて食事を再開した。そもそも面倒臭いことや問題がありそうなことを抱えたり考えたりするのは苦手なのだ。
一方俺たちの向かいに座っている魚類は、何だか非常に同情的な、かつ面倒臭いなあとでも言いたげな顔で鯖の味噌煮を食っていた。何でそーいう顔をしてるんだかさっぱりわからない。いつものことだったが、義弟なのに全然思考が読めなかった。


授業が終わった後、校門前でレオに会った。「あ」レオ、とつい声をかけてしまい俺は二秒後しまったと後悔した。何で声かけた。いや何で俺今声かけた。靴買いに行くっつーのを断ったばっかじゃねーかオイ。
昼飯を食い終わった後、というより俺が先に食事を食い終わったので、んじゃなと俺はさっさと学食を後にした。また後で、と同じ家に住んでいる義弟は腹立つことを言ってきたが、レオの方はまた明日といつものように言ってきたので、靴については諦めたんだと思っていた。
聞こえなかったことにならねーだろうかと思ったがそうはうまくいかず、レオにはしっかりと俺の声が届いていた。「あ。ザップさん」そう言った後輩は昼と同様俺のところにとことことやって来た。いやおめえ今から校門出るとこだったじゃねーか何で戻って来た。同じことをレオも思ったらしい。あ、戻ってきちゃったと言って頭を掻いた。アホだ。
「どうしたんですか?もう帰ったと思ってました」
「…スターフェイズさんにつかまった」
「あー」
ゼミサボってばっかいるから、とレオは笑って言うと、俺今日あっちから帰るんすけどと言いながら、いつもとは違う方向を指さした。「?そっちだと遠回りじゃねーか」「ほら、今朝言ったでしょ。銀杏がきれいなんですよ。写真撮りに」「あー…」そーいえばそんなことを言っていた気がする。学校の周りは銀杏並木になっているので、用務員のおっさんが毎日のように銀杏の実を拾っているらしい。学校の周囲まで気を配んなきゃいけねえってクソめんどくさそーだな、と思いながら売ればいいんじゃねえのと俺が言ってみたところ、そーいうわけにもいかないと言われたので、そーいうわけにもいかないらしい(繰り返しただけだ)。よく知らねえしどーでもいいけど、仕事は何でも大変だ。
「……靴はどーすんだお前」
言わなくてもいいことを言ってしまった。ついさっきからしてはいけないことばかり俺はしている、と言ってからそう思った。レオはきょとんとした顔になると、ああ、と合点したらしくそう言った。「今度ツェッドさんに付き合って貰うことにしました」「……あー」そう、と俺は言って何となくそっぽを向いた。あいつならまあいいか、と思っている自分に気が付いて舌打ちしたくなる。別に俺はレオの交友関係をどうこう言うような立場にない。てゆかそもそも俺だって誘われてるんだから、だったらお前が行けよと言われても仕方ないしぐうの音も出ない。自分自身に呆れながら、そんじゃ行くかと言って俺は北側に足を向けた。
「え?こっちから?」
「あ?だってお前今日こっ……、………。」
言いながら気が付いた。レオがこっちから帰るからと言って俺もそうする必要性は一ミリもなかったのだ。なのに俺はレオと一緒に帰るのが当然だと思って思わずそう言ってしまった。言葉は口にしたらもとに戻せないし取り返しがつかない。レオはぽかんとして俺のことを見ていたが、すぐに嬉しそうな顔になるとはい、と言ってすぐに俺の隣にやって来た。
「…………………………………。」
唸りたい気分でもあったし、横にいるレオの顔を見たら、その反対の気分にもなった。


確かに銀杏は綺麗だった。ついぞ綺麗という表現を忘れていた俺も、こりゃ壮観だな、とぼーっとしながら街路樹を見つめる。きれいだなあ、とレオは言いながらカメラを向けていて、俺より十歩くらい先の銀杏並木をくるくるとまるで犬のように動き回っていた。
「ザップさんこっち向いて下さいこっち」
撮りますよ、と笑ってレオは俺の返事を聞く前にシャッターを切った。「おい」許可取れよ、と俺が顔を顰めたあと、レオは俺に向けていたカメラを下ろして悪戯っぽく笑った。ったく、と俺はデジカメのメモリーを見ているレオのところに近づいていく。紅葉している銀杏もすげーが、もう道に散っている銀杏の葉もぼちぼちあった。滑りそうだな、と思いながらレオのところに歩く。
「ほら撮れました」
「何が撮れました、だよ。肖像権の侵害だぞコラ」
いいでしょ別に、とレオは笑った。かちかちとデジカメのボタンを押すと、確かに銀杏並木に突っ立っている俺が写っていた。「うおびびった。どこの美男かと思ったわ」「ははは。前向きですね」「どーいう意味だてめえ」ぐいとレオの頬を抓ったので、いたいいたいとレオはいつものように声を上げ、やめて下さいよと暴れた。いつも同じことして飽きねえのかよと俺はある意味ブーメランなことを思ってレオから手をぱっと放す。なんだか最近、これもやべえなと思うようになってきた。頬だろうがどこだろうが、レオの身体であることには間違いないからだ。
ぱっと手を離したのがいけなかったのかもしれない。わっとレオがびっくりしたような声を上げて、その上銀杏の葉が山のように散っているそこに足を置いた。「あ」そう言った瞬間レオが思い切り足を滑らせたのが俺の眼に入り、げっと慌てて俺も足を踏み出したのは間違いなかった。ただし俺が足を踏み出したのも運が悪いことに銀杏の葉の山の上だったので、つまり俺たちは殆ど同時に足を滑らせてばたんと道路に転がってしまった。ばさ、と銀杏の葉が思い切り道とそれからその辺に転がって、俺たちは同時にいってえと声を上げた。幾ら銀杏の葉が山になっているとはとは言えクッションには程遠い柔らかさだった。
「いっ……て、…れ、…レオおい、……頭打ってねーか…」
「いって、……あ、はい……ザップさんこそ…」
「打ってねーけど…」
いってえ、と言いながら顔を上げて気が付いた。
目の前にレオがいた。
考えてみれば当然のことで、レオは背中から転ぼうとしていて、俺はそれを助けようとしていたのだから、俺がレオの上に覆い被さるように倒れるのは仕方ないことだった。しかも運が悪いことに、結構至近距離に顔があって俺は思わずごくんと唾を飲み込んでしまった。
「……………あ、」
レオが小さくそう呟いたのが聞こえた。「……………、」俺は何も言えなくなった。こんなに顔が近くにあったことあっただろうか。たぶんあった。きっと中学時代、こいつの部屋でゲームをしたりしていた時とか、高校の頃一緒に飯を食っていた時だとか、そういう時に幾らでもこのくらい顔を近づけたことはあったはずだ。ただし、最近こんなに近くでこいつの顔を見たことなんか皆無だった。俺は何かと理由をつけてレオと二人になるのを避けていたし、二人の時はなるべく触らないようにしていたからだ。
「…………、たばこ」
「え?」
小さく呟かれたそれに、俺はぎくりとしてそう、言った。今何を言われたところできっと同じ反応にはなってしまうだろうけれど。「……煙草の匂いがします」「あ?そ、…そりゃー……」俺が煙草喫うからだろ、と言ったその声も情けないことに少し震えていて、俺は自分自身に辟易した。たかがこんなことで。たかがこんな状況になっただけで。たかが。
レオを目の前にしているだけで。
レオは俺からそろそろと目を逸らし、そうですね、と小さく呟いた。「……そ、…そーだよ…」意味が分からない会話をした後、レオはあと、と付け加えるように言った。「…甘い匂いがします」「あ?……あー、…そりゃたぶん」最近会ってるどっかの女のシャンプーか香水か、ともかくその辺りだろう。俺がそう言う前にレオの方はとっくにそれを察しているらしい。なぜか俺から目を逸らしたまま、あのうと小さく言った。
「…なんだよ」
「………ザップさんって一人にしないんですか?女の子」
「…あ?」
何だよ突然、と言いながら俺はそっとレオの横に突いていた右手を動かした。ここも銀杏の葉の上に突いたからアスファルトに直接突くよりはマシではあったが、いてえことに変わりはねえ。擦りむいてねーかなと思いながら、そろそろと手を動かす。
たぶんそれは逃避だったのだ。レオの質問から逃げるための、代わりだった。
「……一人に出来りゃ一人にしてるっつの。俺も別に遊びたくて遊んでるわけじゃねーからな」
「………遊びって言っちゃう時点でもうなんか…駄目じゃないですかねそれは…」
「るせーなもー。てかそもそも、おめえに関係、」
ないだろ、と俺は言おうとした。

ずる、と動かしていた俺の右手が再度滑ったのはその時だった。

「おわっ」
「わあ!?」
がくん、と俺の身体がレオの身体に更に覆い被さるようにして倒れた。俺の額が思い切りレオの額にぶつかったせいで、俺もレオも痛みでぎゃあ、と声を上げる。レオは石頭だったので、特に俺の受けた被害は尋常じゃなかった。いってえと呻き声を上げた俺の眼から衝撃で涙が出てきたのだからよっぽどだ。この石頭、と理不尽とも言える怒りで俺がレオに文句を言おうと口を開いた時だった。
すぐ近くにレオの顔がある。
ついさっきは、押せばキスできるくらいの距離だったが、これは最早、押すどころか動けばキスができるくらいの距離だった。俺が気まぐれを起こしてちょっとだけ首を傾ければ、確実にキスできる。
「……………、」
ついさっきは小さく、たった一言だけだが呟いてはいたレオだったが、今回は何も言わなかった。「…………っ、」レオでそうなんだから俺なんか最悪だった。口が利けないどころか、心拍数が大きく上昇してきたことに気が付く。このまま、と頭の中で声がした気がした。
――――このままちょっと、首を動かせば。
ごくんと唾を飲み込んだ音はレオに聞こえてしまったかもしれない。けれどその時の俺はそんなことに意識を割く余裕がなかった。ヤバイと思う気持ちと、ついさっき頭の中で考えたことが火花を飛び散らしながら揉め始める。しちゃえばいーじゃん、けどしたら今後、事故を装っちゃえばいーだろ、今更何を、とか何とか俺がぐるぐると頭の中で考えている間にも、レオはなぜか何も言わなかった。普段だったら退いて下さいよとか邪魔ですとか簡単に言ってくる奴なのに、その時ばかりはなぜかレオは何も言わず、むしろ俺より緊張しているように見えたのだからおかしかった。何でおめえが緊張する必要があんだよ。そう思ったのは、後々だったのだが。
かさ、という音がしてはっとする。風が吹いたせいで銀杏の葉が少し動いたのだ。「………あ、」漸くそこで俺は一言だけ声を出すことができた。あぶねえ、と漸く理性が働き始めたのを意識して、そろそろとレオの上から退こうとした。
「わわっ!?」
しかしその声を聞いて俺はぎくりとして固まってしまった。「な、」なんだよ、と言った俺の声は死にたくなるくらい動揺していて、しかし俺のそんな声に気が付く様子もなく、レオはなんか首に、と言いながらもぞもぞと変な動きをした。首?と俺がレオの首を見ると、レオの髪に銀杏の葉が引っかかっている。流石陰毛頭だな、と酷いことを思いながら俺はひょいとそこに手を伸ばした。
「わっ、な、なんすか!?」
そこで漸くレオがいつもと同じような声を出したので、俺はほっとした。「バカおめえの陰毛に銀杏が挟まってんだよ」「髪って言ってくださいよ」そう言ったレオの髪に引っかかっている銀杏の葉を掴んだ時だった。たまたま、俺の指がレオの首に触れた。銀杏の葉はレオが首が、と言っていたように、髪に引っかかってはいたが首に近いところだったからだ。
「ひゃっ」
途端にびくっとしてレオが身体を竦めたので、当然俺の動きは停止した。「だっ…だから、…っなんだよ」悲しいことに、俺のこの声はついさっきのように明らかに動揺しているそれだったので泣きたくなった。なんなの何でコイツこーいう声出すんだよマジで犯したろかこの、と俺が思っているとは無論露知らず、銀杏が、とレオは呟くように、言った。
実際にその時レオの首に触れていたのは俺の指だったのだが。

「く、……くすぐったい…」

そう言ってちょっとだけ、レオは照れたように笑った。
「………………………。」
――――――ヤバイ。
ぎゅう、と握りしめた左手が痛い。右手はレオの首のあたりで動きを止めていて、ついさっきより距離は離れているのに今の状況が、今日一番まずかった。何しろ俺がレオの上にいるのは変わっていないし、俺がレオを押し倒している体勢なのは間違いない。さっきまで揉めていた理性なのか感情なのか本能なのか、俺の中の思考回路はどの方向にもぴたりとも動かず、むしろたった一つのことしか考えられなくなった。

眼はレオ以外のところに動かせないし。
指はレオの首から離せない。
たった数十センチの距離を近づけばすぐそこに、俺がずっとほしかったものがある。

またさっきと同じように風が吹いて銀杏の葉が少し舞った。「わっ。ちょ、やべザップさん、いっかい、」その時俺はレオの言葉を聞いていなかった。レオの首に当てていた指をするりと撫でるように動かしたせいで、レオがにゃあと声を上げた。「ひゃっ、ちょ、な、」なに、と言われる前に腕を折る。レオがぎくりとしたような顔をしたのが目に入ったが、俺の動きは止まらなかった。
「ちょ、ざ、ざっ、」
ざっぷさん、という焦り切った声のあとに手をレオの頬に滑らせると、レオはひえ、と小さく悲鳴を上げて漸くとでも言えばいいのか、顔を赤くした。「あ、あの、」「………ちょっとお前、」黙ってろ、と言いながら俺がぐいとレオの顔に自分の顔を近づけた時だった。
たぶん俺たちの唇がぶつかるまで、距離にしてあと2センチくらいだっただろう。
すう、とレオが息を吸った音がした。

「お、……お、俺っ、…こ、……恋人ができました!!」

ぴたり、と面白いくらいに俺の動きは停止した。2センチどころかあと0.5センチのその距離は埋まらずに、むしろ俺が顔を上げたから距離は10センチ程度まで広がった。
「…………は?」
「や、だ、だからその、」
こないだ、と言いながらレオはそろそろと俺から目を逸らして呟くように言った。「…こ、恋人ができました。ず、………ずっと好きだった人に告白したら、その、お、オッケーがもらえたので」そんで付き合うことになりましたとレオは淀みなく言いながら、顔を更に赤くさせた。幾ら俺だってそれがこの状況のせいではないということくらいは、分かる。
「………………………そ」
そうか、と俺は言いながらのろのろとレオの上から退いて立ち上がった。コートにくっ付いている銀杏を払っている間、レオものろのろと起き上がって、座り込んだままぱたぱたと髪や肩にくっ付いている銀杏の葉を払い落とした。「……………。」俺はぼーっとしながら既に払い終わったというのに再度自分の服を叩いていた。無言のまま、レオがひょいと立ち上がる。俺はそんなレオをまじまじと見下ろしながら、そーかともう一回言った。「………はい」レオは俺から目を逸らしながらそう言って、カメラを弄っている。転んだ拍子に壊れていないかどうか見ているんだろう。俺の脳はぼーっとしているのに状況を把握するのだけは、きちんとできていた。
「……よかったな」
レオに背を向けて、俺はそう言った。その時どういうわけか、悲しいとか辛いとか悔しいとか、そういう負の感情系の感情に俺は囚われていなかった。ただ単に、そうなのかとぼーっとして思っていただけだった。ただ、事実を耳にしてそうなんですねと相槌を打っただけ。イエスマンが太鼓持ちをしている気分にも似ていたかもしれない。俺はそんなことしたことないから分からない。
「………………。」
レオからは有難うございますとかどうもとか、普段だったら言われるだろうそういう返事は、なぜかなかった。「………はい」小さくレオはそうとだけ言うと、カメラを見終わったらしい、帰りましょうか、と小さく呟いた。どんな顔をしていたのかは見えなかった。俺はまだレオに背を向けていた。
「………そーだな」
変に間が空いたとは言え、俺もレオもそう言ってのろのろと歩き始めた。まるでついさっきまで写真を撮ってはしゃいでいたのが嘘みたいにレオは口数が少なかった。全然恋人ができてはしゃいでいるという様子には見えなかったが、俺はそんなことに疑問を抱いているどころではなく、というよりその時の俺はなんも考えられなかったのだ。普通だったらマジかよとかいつからだよとか紹介しろよとでも言えただろうが、この時ばかりは普通じゃなかった。
何しろそう言ってきた相手はレオだったのだ。
ずっとずっと好きだった相手が幸せになったと言うのに。
その幸せの中に俺の介入する隙間はない。前から分かっていることを今更のように考えながら、俺はレオと駅前で別れた。また明日、と言ったレオの顔はなぜか無理に笑っているようにも見えたが、俺はそんじゃなと一言しか言うことができず、それからまっすぐ知り合いの女の一人のところに向かった。ともかく誰でもいいから、女を抱きたい気分だったせいだ。―――誰でもいいから。
最悪な気分を忘れさせてほしかった。


「………死にたい」
「…………………。」
「…………………。」
無言が続いた。「………………死にたい」二回目に呟いたそれに、鬱陶しいなあと辟易したような声でチェインが言った。「てゆか注文遅くない?何分経った?」「たった今ですよ。頼んだのは」そうだっけ、とふざけたことを言いながら、目の前では犬女と魚類がメニューを挟んで会話している。一方俺はテーブルに突っ伏して死んでいた。生きてるけど。
「…………いっそ殺せ………」
「あのう。いいから起き上がって下さいよ。いきなりの招集なのに僕もチェインさんもわざわざやって来たんですから」
私はタダ酒飲みたかっただけだけど、と言ったチェインに苦笑して、珍しいですねと魚類は言った。俺が金を出すからお前ら来い、と言って二人を呼びつけたことに対してだろう。
「…今月のウチの食費から出す」
「ちょっと待ってください。冗談じゃありませんよやめて下さい」
途端に真顔になった魚類の横で、未だメニューとにらみ合いを続けていたチェインが手を上げて店員を呼び止めた。はいはいと言いながら店員が近寄ってくる。「ハイボールとウーロンハイとカシスサワーとそれから焼酎追加で一本ずつお願いします」ちょっと待って待ってと悲鳴を上げている魚類を無視して、俺は悲劇的な気分でテーブルに頬をくっ付けて黙り込んでいた。無論原因は昼間レオに言われた一言に他ならない。

――――ずっと好きだった人に告白したら、その、お、オッケーがもらえたので。

「……………………。」
レオが言ったそれを思い出してぎゅうと握りしめてしまった俺の手に気が付いたらしい。チェインが嫌そうな声で言った。
「…ちょっとまさか泣いてないよね。そこまで付き合いきれないんだけど」
家でツェッドと二人で飲んでよと続けたチェインのそれに、僕だって嫌ですよと酷いことを魚類は言った。「おい魚類てめえ…傷付いたお兄様を労わるっちゅー感情がねえのかおめえには」「いや僕あなたのこと兄だと思ったことありませんし」とりあえず乾杯しましょう、と全然乾杯できない気分の俺を前にして、魚類と犬女は勝手に乾杯と言ってグラスをぶつけている。俺が何のためにお前らを呼び出したと思ってんだ?なんなのこいつらむしろ俺は傷口に塩を塗り込まれてる気分なんだけど。
「…だから言ったのに。早く好きだって言っとけばよかったんだよ」
バカだなあ、とチェインは言うと生ビールをごくごくと飲んでグラスをテーブルに置いた。好きだと言ったとして、と俺はそれを聞いてのろのろと口を開いた。
「…あいつがずっと好きだったとかいう奴がいたんだからフラれてただろ」
「………………。」
チェインは無言になった。どーだその通りだろ、と俺は全然嬉しくなかったが反論が通ったと思って顔を上げる。俺が頼んだ生ビールもきちんと俺の前には置いてあった。
納得した顔をしているかと思いきや、なぜかチェインは隣に座っている魚類と小声で何か話していた。「……の?なんで?」「……つかなかったんですよ。僕も」こいつらが声を潜めて話しているところなんて初めて見たので、何だよと言いながら俺はきちんと顔を上げて、ビールジョッキを掴む。途端に二人はぴたりと会話をやめて、しかも同時に何でもない、とそういうことを言った。
「……………。」
明らかに怪しかったが、その時の俺のメンタルは二人を問い詰めるテンションではなかった。だからああそう、と雑な返事をしてビールを一気に飲み干してジョッキをどん、とテーブルに置いた。魚類が顔を顰めて、また吐くからやめてくださいよ、とそう言った。同じ家に住んでいる以上、一日寝ているとしたらこいつが買い物に出なくてはいけないからだ。煩いと俺は言うと丁度運ばれてきた軟骨のから揚げを引き寄せた。
「今日くれー飲ませろアホ。………あー…」
死にたい、と同じことを言った俺のことを見て、魚類は困った顔になった。俺がするならわかるけど、何でおめえがそーいう顔するかね。そう思いながら俺は追加すると言ってメニューを手に取り、ドリンクのページを開いた。失恋して自棄酒するようなキャラなのかと言われると微妙なところだったが、今日はともかく酔いたい気分だった。その辺にあった冷を掴んでごくごくと飲みながら今日のレオのことを思い出す。
―――あんまり嬉しそうな顔はしてなかったな。
それどころか困ったような、困惑したような表情だった。けれどそれはきっと幸せを初めて掴んだから状況についていけなくて戸惑っているんじゃねーだろうか。ともかくあいつは運が悪いし、この世界は基本的に正直者には厳しいつくりになっているから、酷い目に遭うことが多い。その都度俺が守ってやれるわけでもないし、そもそもあいつは守ってやるようなやわな奴でもないのだ。レオが俺を頼るのは本当に本当の最終手段で、たとえば妹のミシェーラちゃんに危険が及ぶとかそういうレベルじゃないと起こり得ないのだ。大体は傷だらけの顔をして階段から落ちましたとか分かり易い嘘を言う。俺も俺で代わりを買って出るような男じゃないので、わざわざレオをボコった奴やひどい目に遭わせた奴を探してボコボコにしたりはしない。そーいう現場に遭遇したことも殆どない。初めて出会った時は本当に偶然中の偶然だったのだろう。――――だから。
「………たぶん」
一か月くれーしたら俺も平気になるとは思うんだけどよ、と言いながら俺は運ばれてきたビールを受け取った。「………。」魚類は何か言いたげな顔をしたが、チェインは無言でイカリングを箸で掴んでいる。ただし俺の方をじっと見つめては、いた。
「………あいつを幸せにできんのが俺じゃねーのはすっげえ癪だけど」
いいよ、と全然よくなかったが俺は半分自棄になって言うと、半ば以上泣きたい気分でビールを見つめた。ぶくぶくと白い泡が浮かんでいるのを見て、レオがビールは苦いから嫌だと言っていることを思い出した。「…………。」「ちょっと待って。なんでそこで泣きそうになってんの。何がいいのよあんた」続きは、と焦れた様子でチェインが言ったので、俺はビールを見つめたままのろのろと口を開いた。

「……………、………レオが泣かずに済むんならそんでいい」

全然よくない。本当はそんなこと全然なかった。たぶん今のテンションであいつが誰かの横でへらへら笑っていたら俺は発狂する。その証拠に、顔は全然そう言ってませんよ、と魚類は呆れたようにそうツッコミを入れてきて、ほんとだとチェインは言うとおかしそうに笑い始めた。「…………。」俺は逆に泣きたくなってきたのでやめろバカとチェインに言うと、ビールを煽るようにして飲む。チェインはおかしそうな顔で、目の涙をごしごしと拭い始めたので、この女と俺はマジでブチ切れそうになった。
「………、……っ、よ、…よし。まあ、いっか。……ね」
何がいいのか全然わからないが、唐突に犬女はそう言って隣にいる魚類に同意を求めた。「え。あ、い、今のでいいんですか?」「まあいいんじゃないの?あの顔見てたら許せる気分になってきた」それは私怨では、と言った魚類を無視してチェインはスマートフォンを取り出すと、すいすいと画面を操作し始めた。会話の意味がさっぱり分からず困惑している俺に、魚類は肩を竦めはしたものの説明を一切しようとしない。おい魚類、と俺が疑問を呈しようとした時だ。
「あ、今から友達呼ぶね。一応言うけど許可は求めてないから」
「は?」
突然そう言ってきたチェインに俺は呆気に取られた声を上げる。「友達?」お前の?と聞いた俺に、そうに決まってるだろ、とチェインは言うと、出ないなあと言ってもう一度スマートフォンを操作した。リダイヤルをし始めたと思しきところで、待てよと俺は慌ててチェインを止める。
「俺を慰めるためにおめーらを呼んだんだぞ。突然合コンになっても今日全然持ち帰れる気しねーよ」
「何であんたの口って最低なことしか言えないの?」
女なんて言ってないでしょ、と続けられて俺は顔を顰める。「おい待てよ。何で今男呼ぶんだよ。どーせ呼ぶならすぐヤらせてくれそーな女を、」「それは幾ら何でも酷いですよ」義弟のストップが入ったが、俺はおめーは黙ってろと常套句を使った。義弟は一応黙ったものの、やれやれと言いたげな顔でグレープフルーツジュースを飲んでいる。
「………あ、もしもし?」
やっと繋がった、と言いながらチェインはちょっと俺たちの方から顔を逸らして友達とやらと話し始める。あいつがあんなに気安く話している男友達も珍しい。基本あいつの周りに寄ってくる男は身体目当てのバカが多いから、俺とか魚類とか、それからレオみてーな変わり種しか好き勝手言える男友達はいないらしいのだ。そんなチェインを見ながら、オイと魚類に俺は話しかけた。
「誰呼んでんだよアレ。まさか教授とかそっち系じゃねーだろうな」
「来ればわかるでしょう」
「そんじゃおせーだろアホ。てゆか俺を慰める会なんだからおめえももーちょい俺を労われってば」
主催も主賓もあなたなのでやる気が起きないんですよね、と魚類は呑気そうに言ってポテトの皿を引き寄せた。主催も主賓も俺じゃ一人パーティじゃねえか、と俺がツッコミを入れている間にもチェインの電話は終わったらしい。今から来るって、と呑気に言いながら犬はスマートフォンを鞄にしまった。
「マジかよ。だから何で呼んだんだよ。何なんだそいつは。慰め上手かなんかなのかよ」
「ああ、うんまあ…慰め上手ではあると思うよ」
「はあ?」
冗談で言ったそれにチェインは案外真面目に答えて、これから来る子もさあ、と言いながらグラスを手に取った。「失恋したんだって。だから一緒に慰める会」「おい待て。何で俺とそいつの失恋を一緒に慰められなきゃなんねーんだ。俺だけで十分だろ」俺がそう非難したにも関わらず、チェインはグラスをことんと音を立ててテーブルに置くと、いつもと同じく無表情で悲しいことはさ、と淡々と言った。
「…分かち合った方がいいんだって」
「……それは幸せの方なのでは?」
訝し気に言った義弟のそれに、チェインは返事をしなかったし、俺は顔を顰めて二人に断ることなく唐揚げにレモンをぶっかけることにした。

――――そして大体30分後。

「チェインさんすいません遅くなって!でも丁度夕飯作ろうと思ってたとこだっ……、たん………………………、……………。」

物凄く聞き慣れたその声に、俺は思わず飲んでいたサワーを喉に詰まらせて、げほごほと先日のように咽てしまった。「早いじゃん。お疲れ」そうなんでもないことのように言った犬女の声が耳に入ってくるが、それにツッコミを入れているどころではない。大丈夫ですか、という半分同情が入った、けれど半分はいつもの冷静な様子で魚類が俺に向かって水が入ったコップを差し出してきた。
「…大丈夫ですか?」
その声については幾分同情が勝っていた。「な、……なん、」げほごほと咽ている俺を完全に無視して、とりあえず座りなよと言いながらチェインがレオのことを座るように促した。そう、のこのことやって来たチェインの男友達とはレオのことだったらしい。道理で気安く会話してると思ったけどよ、と俺は思いつつ何とか咳を治めることに成功した。
「お、……おい犬てめ、」
「こいつの隣空いてるから」
俺の言葉を遮るようにして犬はそうきっぱりと言うと、あろうことか俺の横にレオを座らせた。「あ、…はあ。し、失礼します………」そう気まずそうに言うとレオは靴を脱ぎ、仕方なさそうに座敷に上がって俺の隣にちょこんと腰を下ろした。というより個室で俺の横しか空いていないんだからそうする他ない。
「レオ何頼む?」
「えーと………じ、ジンジャーエールで……」
そう言ったレオに、分かりましたとチェインではなく魚類が応じて、すみませんと店員を呼び止める。「ジンジャーエール一つ。…皆さんあとはなにか?」「あ、竹輪のチーズ焼き頼んで」「えーとそれ一つ。あとエイヒレの炙り焼きも」レオくんは?とそこで慌てたように魚類は言ったが、とりあえず大丈夫ですとレオは言うとストップとでも言いたげに手をひょいと前に出した。わかりました、と魚類は応じてそれでと店員に伝えている。
「………………えーと…きょ、今日はなんか…あったんですか?」
そうレオは言って魚類からメニューを受け取り、引き攣った顔でそう言った。明らかに目が泳いでいる。「こいつがさ」「あ、」オイ犬やめろと俺が焦ってそう言ったにもかかわらず、チェインはグラスを手に取ったまま口を開いた。
「失恋したんだって。だから慰めてるの」
「ばっ、こっ……、…………あ〜〜〜〜」
オイ、と言った俺の声が余りにも低かったからだろう。レオがちょっと驚いたように身を仰け反らしてどうしたんすかと怯えたように言った。どーしたもこうしたもさ、とチェインは続けると、やっぱり何でもないことのようにレオに言った。
「失恋のショックで落ち込んでるんだよ。レオもつらいと思うけど慰めてあげて」
「おい……………」
久々に殺意が湧いた俺を、さっきからそうだが再度チェインは無視して、なんか頼みたかったら何でも頼みなよ、とメニューをひょいとレオに手渡す。「今日コイツの奢りだから」「え。ザップさんの?」珍しいっすね、とレオはびっくりしたように言うと、俺の方を向いた。反射的に俺もレオの方を見てしまったのは仕方ない。何しろ隣に座っているのだ。
レオと眼が合った。
「………………、…………おう」
長い間を空けて言えたのはその一言だけだった。チェインは呆れた顔になったし、魚類は魚類で不憫そうな顔をしたからどっちにも色々な意味ですげームカついた。てゆかこいつら何なの何で今レオなんだよこの、と怒りと一緒に俺ははっとする。――――待てよ。
「………え?お前失恋したの?」
「あ。………えーと…はあ、…まあ………」
そうっすね、とレオはもそもそと言ってメニューの方に顔を向けた。「……。」つまりそれは、昼間言っていたずっと好きだったという奴にフラれたということだろうか。付き合うって言ってたような気がするが。俺の言いたいことを察したのか、レオは昼間の人が、ともそもそとそう言った。そこまで言われたら俺もわかるので、最後まで聞かずにそうか、とだけ言って何となく黙った。確かに一日そこら付き合っただけでやっぱり違ったわ、と言ってくる女はわんさかいる。慰めようにも俺だって傷心だし、てゆか今レオを慰められたりつけ込めたりするほど俺も気力がない。大体一日で失恋を吹っ切れる奴なんかそうそういないんだから、レオだって今の俺と同じくれー辛いに決まっていた。
「………………。」
慰めるのは無理だったが、俺は無言でレオの頭をぺしんと一回叩いた。「あたっ」何すんすかとレオは戸惑ったように言ったが、煩いと俺は反論になってないことを言う。「…まあ、今そいつが言っただろ。今日は俺の奢りだからテキトーになんか頼め」「え。あ、…はあ…」レオはそうは言ったものの、メニューから俺の方に視線を移してちょっと首を傾げた。
「………ザップさんも失恋したんすか」
「…………そーだよ。わりーか」
「悪いとは言ってないでしょ。……そーすか」
つらいっすね、とレオがぽつりと言った。「………まーな」俺は半ば以上自棄になってそう言うと、いーからなんか食えよと言ってメニューを指さす。「おめえ出汁巻き好きだったろ。明太子入りのあんぞこの店」「え。マジで?」やった、とレオはちょっと嬉しそうに言って笑ったので、俺は思わずその横顔をまじまじと見つめてしまった。―――そうだ。こーいう顔を俺の横でしてりゃいーなと思ったんだ。いや今してるけど。そーいうことじゃねえ。そーじゃなくて。
ぼーっとそう、益体もないことを考えている俺の袖を、ザップさんザップさんとレオが引っ張ったので、はっと我に返った。「…………。」だからこいつ何でいつもこうなんだ、と思いながらなんだよと俺は嫌そうな顔をする。
「こっち頼みました?紫蘇入ってるやつ」
「あ?…いや、…食ってねーけど」
「んじゃこっちも頼みましょ。ザップさんこーいうの好きでしょ」
「………………。」
俺そんなこと言ったっけ、と首を傾げて言った俺に、レオはへ?と言ってきょとんとした顔になった。「嫌いですか?」「いや嫌いじゃねえっちゅーかまあ、おめえが言ったみてーに好きだけどよ」言った通り、その通りだったが自分自身で意識したことはなかった。だからそう言ったのだが、レオはきょとんとしたまま、だって、とメニューを膝に開きながら、俺の方を見る。
「ザップさん見てればなんとなく」
「………………そーか?」
そーっすよ、とレオは言ったあとすみませんと店員を呼んだ。「…………。」そーなのか。俺そんな分かり易いのかとイカリングを掴んだ俺の前で、犬女と魚類は何故かさもありなんとでも言いたげな顔をしていた。「…?あんだよ」「……いえ」「なんでもない」二人はそう言って顔を見合わせたあと、チェインが何かをアイコンタクトしたらしい。ちょっと首を傾げた犬女に、魚類はふるふると軽く首を振った。
「…だよね。私もこいつと三年間一緒に給食食べてたけど全然わかんない」
「僕も一応既に四年以上は一緒に住んでますがいまだによくわからないです。この人貶しはするけど誉め言葉全然口にしないし」
何の話だよ、と俺は不審な顔で言ったが、チェインも魚類もなんでもないとしか言わなかった。なんなんだこいつら。今日はおかしいぞやっぱり、と俺は訝し気に思いながら、何度目とも知れずグラスを傾けた。

外の空気を吸いに行きたい、と真顔で言ったのはチェインだった。「は?」既にその時レオが合流してから30分ほどは経過していただろう。俺もレオも、それから魚類も変な顔をしてチェインを見つめる。何しろこの中で一番飲めるのはこの女だったからだ。
「…何言ってんだおめえ。まだ大して飲んじゃいねーじゃねえか」
「いやもうほんと全然無理気持ち悪いし吐きそうだし頭痛いしでだからツェッド」
「は?」
突然水を向けられた魚類が変な声を上げた。「外付き合って。空気吸いに行く」「ええと…」そこでなぜか魚類ははっとしたような顔をしたので、俺は不審に思った。一体そこで何をはっとする必要があるんだ?これが割り勘という話だったらこいつら支払からバックレる気だろと俺も思うけれど、今日は一応俺の奢りということになっているのだからその心配はない。
魚類はそうですねわかりました、ときっぱりと言った後立ち上がった。チェインは手を貸されることもなく、ついでに言えば全く体調の悪さを俺たちに見せず、それじゃ行こうと真顔で言うとすたすたと個室である座敷から降りて靴を履いた。フツーに見える。てゆか全然酔ってねえよなと俺もレオも不審気な顔をした。一方魚類はなぜか俺たちから決まり悪そうに眼を逸らしているのだから訳が分からない。何でおめえがそーいう顔になんだよ。
「じゃ。大体10分くらいで戻るから。10分くらいで」
「なんで二回言うんだよ。聞こえるわ」
「えーと。…10分ですね。レオくん時計見てください時計。…はい今から約10分です」
それじゃよろしく、と魚類は謎のことを言うと肩を竦めてチェインのあとをのこのことついていった。「………………。」なんだあれは。まずチェインが外の空気を吸いに行きたいと言ったあれは明らかに嘘だろうし、しかも魚類はそれに無理矢理連れ出されただけだ。何でそんなことをする必要が――――、
そこまで考えて俺ははっとした。
―――――まさか。
俺の横にちょこんと座っているレオも、俺と同様不思議そうな顔をしてはいたものの、ついさっき頼んだレモンスカッシュを大人しく飲んでいる。「……どーしたんすかね。二人とも」特にチェインさんは、と言ったレオがこちらを向いた。途端に俺はぎくりとして少しだけその場から仰け反ってしまう。レオは変な顔になった。
「?なんすか」
「い、いやなん、…なんでもねえ……」

――――レオと二人きりにするためだ。

すぐさまその意図に気が付いた俺は頭を抱えたくなった。何でだよ。何で今ソレなんだ。だから俺は今日失恋したっていうか、ぶっちゃけこいつに振られたも同然のことを言われたばかりなのだ。こいつはこいつで失恋したばっかりらしいが、そもそもずっと俺じゃない誰かのことを好きだったレオに俺が好きだと言ったところでオッケーが貰えるわけもないし、てゆかそうじゃなかったとしてもフツーはドン引きだ。ずっと俺のことをそーいう目で見てたんですかうわあ、とでも言われたらマジで俺はこの先の未来に希望が持てなくなる。「…………あいつらあとで殺す…」そう呟いたのは低い声だったせいか、レオには聞こえなかったらしい。レオは出口の方を不思議そうな目で見ていたが、なんか食いますかと言ってメニューを広げた。
「…いい。もう結構食ったし俺」
「そんじゃ俺頼んでいっすか?」
「何で俺に許可取るんだよ」
勝手に頼みゃいーだろ、と言いながら枝豆を抓んだ俺に、だって今日はとレオは言いながらぱらぱらとメニューを捲っている。「ザップさんの奢りなんでしょ」「あ」そういえばそうだった。そんならいっそのこと俺ももーちょい食ってやろうか。どーせ食費から引くつもりだし。自棄食いに似てるな、と思いながらメニュー寄越せよと俺はレオに言った。
「待ってください今俺見てるんだから。えーとー、んー、…、……ピザはもー食いたくないしな…」
「おめえ悩むとなげえんだから寄越せよ。俺の方がはえーよ絶対」
「それはわかってるけど待って下さいよ」
何で分かってるのに待たなきゃなんねんだ、と俺が言うと、わかりましたよとレオは不満げに言って、はいと俺の方にメニューを半分寄越した。「平等にこうしましょう」「めんどくせーなもー」それはザップさんでしょ、とレオは文句を言ったもののちょっとおかしそうに笑った。何がおかしかったのかさっぱり謎だったが、まあ、こいつのそーいう顔を見るのは嫌いではなかったので、俺は一回レオのことをぺしんと軽く叩いてからメニューに目を移した。
「おめえホッケの開きにしろよ。背が伸びるぞ」
「うるせーな。てゆかさっき魚は食いました。肉がいい」
んじゃ唐揚げか、と言って俺がメニューをめくると、あ、とレオが小さく声を上げた。「唐揚げはたしかこっちに特集が」「あ?」どっちだよ、と言ってページを勝手に捲った俺にもう、と言いながらレオが顔を上げた。
「だからこっちだっつーのにザップさんが人の話を、」
聞かないから、という声が徐々に小さくなっていった。

煙草の匂いがする、と気が付いたのはなぜか俺だった。自分自身で喫っている場合、大抵はその匂いに慣れてしまっているから気が付かないものなのだが、なぜかその時俺はその匂いに気が付いた。ここは喫煙席でもあったから、余計にそんなの分かるわけなかったのに。
――――――レオから。
「…………、……あ」
思っていたより顔が至近距離にあることに俺は気が付いたが、今日の昼間と全く同じで声が出なかった。一方でレオもやっぱり昼と一緒で、小さくそうとだけ言って固まってしまう。俺ならわかるけど、と俺は二度目のそれを考えた。何でお前までそうなる必要性があるんだよ。
「……なんか」
昼間のせいで耐性がついていたのかもしれない。喚き出した心臓を抑え付けるようにしながら、俺は口を開いていた。「…お前、煙草の匂いすんな」「え?」俺、とレオはちょっと驚いたように言った。
「……ここにお前以外にお前はいねえだろ」
「…なんすかソレ」
哲学的っすね、とレオは意味不明なことを言って苦笑した後、こないだもソレ友達に言われたんですけど、と言って首を傾げた。「…もしそーだったらザップさんのせいですからね」そう言って拗ねたような顔をしたので、俺が呆気に取られてしまう。何でだよ、と言った俺の声は、けれどたぶん、普段通りだったはずだ。
「だって俺が仲いい人で煙草喫うのザップさんだけですもん。それじゃあどー考えてもザップさんの煙草でしょ、これ」
「俺が喫うからって何でおめえから煙草の匂いがすんだよ」
「わ、……わかんないけど」
レオは小さな声でそう言ったので、少しだけ俺は顔を傾けた。聞き難いわボケとその時俺は呑気にもそう思っていた。どーせ。
手に入らないと思っていれば心臓だって言うことを聞く。
「……距離が近いからじゃないかって」
ツェッドさんは、と言ったレオの声は更に小さかった。唐突に出てきた魚類の名前に、俺は少し目を瞠る。何であいつがそこに出てくんだ。そう思ったのが伝わったのか、レオはなぜか弁解するように、ツェッドさんにも言われんすよと早口で言った。
「あー、…その、ざ、ザップさんと遊んだあととか授業行ったりすると、…なんかフツーにザップさんの様子聞いてくるから、…言ってないのに何でわかるのかなって思って聞いたんです。そしたらその、…な、なんか…あの、…あんたが喫ってる煙草の匂いがするからって」
ツェッドさんが、ともそもそと言ってレオは俯いてしまった。「…………あいつが?」「……はあ。…まあ、そりゃツェッドさんは同じ家に住んでるんだから俺より詳しいでしょ」やめろ、と俺は苦虫を噛み潰したような顔で言うと、なんとも言えない気分になって黙りこんだ。…あいつ俺がレオを好きだって知ってるよな。知ってる―――のにそーいう…なんか、あーもうともかくなんかムカつくな。別にいーわ放っとけや手前に手伝い頼むほど落ちぶれてねえよあのクソガキ。
そんな風に義弟に対して俺が苛々を覚えている間にも、レオは俯いたままページを無意味にいじくっていた。「……あの」「…あんだよ」そう言った俺に、レオはちょっと間を空けはしたものの口を開いた。
「…その、…ザップさんって、…や、…ザップさんの彼女もそーなんすか?」
「は?」
どういう話題転換だよと俺は呆気に取られてそう言ってしまう。レオは何かを誤魔化すみたいに再度メニューをぺらぺらといじくり始めた。そんなに開いたところでこの居酒屋のメニューは大して多くねえから同じページを繰り返すだけなんだけど。「…、……か、彼女とかもそのー、……煙草の匂いするんですか」「いやそりゃー俺が知り……、……んー、あーいやしねーんじゃねえの。最近付き合ってた女殆ど全部煙草だめだったし」喫うとヤらせてくんねえし、といつもの癖で俺はすらすらとそう言った。基本人間どうでもいいと思っていることはすらすらと口にしてしまうもので、その時の俺もそうだったのだ。
――――あ。
別にわざわざ自分の株を下げることねーじゃん、いやでも最早何をしたって無駄だから、っつーより俺の株ってこいつの中で常にストップ安なのでは、という考えに至ったのは二秒後だった。つまり微妙に俺は混乱していたのだ。はっとした時には、レオは既にメニューを無意味でなく見つめていた。つまり唐揚げのページを見ていたのだ。
「………………………………………そっか」
物凄く長い沈黙のあと、レオは一言だけそう言った。「………………れ」レオ、と言った俺に対してレオは返事をせず、ぺらりと唐揚げを通りこして別のページに目を向け始める。しかもその直後、長い上に深いため息が聞こえてきた。
「おい。てめーなんだ突然辛気くせーな」
「……………ザップさんこそ」
失恋したのに全然元気じゃねえすか、とレオは言って無表情にメニューを捲った。「あ」そういえば名目として今日は俺の失恋を慰める会だったはずなのだ。なのに犬女がその原因を呼び出すと言う意味不明なことをしたせいで、そんなことすっかり忘れていた。認めたくなかったが、なんだかんだ言って俺はレオがいると楽しくなってしまうからだ。たとえこいつが原因だとしても、まあ、俺が勝手に好きだったっちゅーだけだし。そこまで思い出して今更のように虚しくなってきた。俺は何をしているんだ。
「……あー、まあアレだ。おめえもそー気にすんな。世の中もっといい女いっぱいいるって」
全く毒にも薬にもならぬことを言って俺はばしばしとレオの肩を叩いた。レオはそれでもメニューを持ったまま無言で俯いている。頭が傾いだので、どうも今更ダメージを思い出したっぽかった。
「………ザップさんの好きだった人はどーいう人だったんですか」
レオは俯いた上傾いだままそう言った。「え」「…だから。好きだった人ですよ」どーいう子だったんです、と言われて物凄く困った。いやおめーだわ。無論そんなことを言う訳にもいかなかったので、どうって、と言いながら俺は手持ち無沙汰にするめを手で遊ばせた。
「……あー、…なんちゅーか…素直…でもねえし……可愛…くもねえし………。」
そこまで言ったところで何で好きな子に対してそんなひどいこと言うんです、とレオは呆れた顔で漸く俺の方を向いた。「だってそーなんだからしゃーねえだろ。マジでそーなんだよ。全然可愛くねえし素直でもねえししかもぎゃーぎゃーうるせえしよ」俺を頼りもしねえし、と言ってプイと俺がそっぽを向くと、レオは困惑した様子ではあ、と言って首を傾げた。
「なんでその子が好きなんですか?」
聞いてて全然わかんないです、と言われたが俺だってわからなかった。知らんわ。知らねー間にお前が横でザップさんザップさんうるせーからだ。したらなんかしんねえけどいつの間にか好きになってたんだっつーの。しかしそれが言えるようだったら今ここに俺はこうしていない。だから俺は知らん、とそれだけを言った。
「……可愛くもねえし素直でもねえしうるせえ奴だけど」
ただ、付け加えるように言ったそれにレオはちょっとだけ顔を上げた。こいつはなぜか質問した癖にメニューをぼーっと眺めていたのだ。

「…………理屈じゃねえんだろ。…そいつが横にいたらいーなって思うのは」

そう俺が言ったその時だった。ごん、と言う音に俺はぎょっとして顔を上げる。レオはなぜかテーブルに額をぶつけて俯いていた。本日の飲み会当初の俺のような体勢で固まっている。
「はあ!?おま、ちょ、何してんだよ」
今の音じゃ赤くなってんだろ、と言って俺はレオの肩をぐいと引き寄せて無理矢理顔を上げさせた。いたい、とと案の定レオは呟いて言うと額を押さえる。石頭ではあるがその石頭を凌駕する程度に強くぶつけたんだろうか。レオの眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「だっ、…おっ前何してんだよバカ。見せろよ赤くなってんだろ」
顔上げろ、と言って前髪をかき上げた時だった。よほど痛かったらしい。レオの眼から涙が落ちたので俺はげっと顔を顰めてしまった。「…あー、オイ…。何してんだかマジで」バカじゃねえの、と言いながら額を診る。予想外に額は大して赤くなっちゃいなかった。ちょっと驚いた。そこまでいてーようには見えなかったからだ。
「…オイなんか大して腫れてねーぞ。泣くほどいてーんじゃ、」
「っ、ちぇ、」
チェインさんなんでしょ、と突然レオに言われたそれに対して、俺は意味が全く分からずぽかんとして固まった。何で今アイツの名前が出てくるんだ?そう思っている俺を完全に無視して、レオはまたしても涙を目から零した。
「…か、…隠さなくてもいーじゃないすか。…な……なんかわかんないけど今日本人いるし、いや今はいねーけど、で、…でも………、……お、俺にくらい言ってくれたらいいじゃないすか」
隠すことないでしょ、と同じようなことを言われて俺は益々混乱した。何が?レオが何を言っているのかさっぱりわからず、とりあえず泣き止んでほしかったので俺は仕方なく袖でレオの頬を乱暴に拭った。レオはやめてくださいとクソ生意気なことを言ってきたが、俺は無視した。いつもそんなん言わねーじゃんなんだコイツ、と顔を顰めて何がだよ、と俺はレオに言った。お前が言ってること全然意味わかんねえんだけど、と。
レオは小さくしゃくり上げた後、自分の目をごしごしと強く擦った。そんな強く擦っちゃいてーだろうに、と俺は思ったが、レオはやっと俺のことを正面から見つめた。涙は漸く止まったようだったが、目がきらきらと涙で輝いていてなんとも言い難い気分になった。いつも閉じてるから分かり難いが、こいつの眼は飴とかビー玉みてーなでかさだ。
だから、とレオは死にそうな声でそう呟くように言った。

「…ザップさんが好きだったのってチェインさんなんすよね?」

――――――ん?
何となくそうじゃないかとは思ってましたけど、とレオは言うとまた俯いてぎゅっと自分の服の裾を掴んだ。「や、す、好きだったってか…好きなんですよねまだ。…すんません…」「お、」おい、と言った俺の声は上擦っていた。びっくりするくらい上擦っていた。「…そりゃ、中学の頃から一緒だし、ケンカするほど仲がいいって言うし、…や、言ったらザップさんもっとつらいかもしれませんけど」俺は、と言ったレオの声は聞いたことがないくらい震えていた。俺じゃない誰かが聞いてもこう言っただろう。無理をしている、と。
「………俺は、お似合いだと思ってましたよ…」
そう言って俺の方を向いたレオの顔は無理矢理作ったような笑顔だった。
そして同時に俺はすう、と息を思い切り吸い込んでいた。

「――――なんっでそーなんだこのバカ!!!俺がずっと好きなのはおめーだよこのアホ!!!!」

え、とレオがぽかんとした顔をして固まったその時に。
最悪のタイミングともいうべくその時は、ちょうどチェインと魚類がただいまと言いながら座敷に戻って来たところだった。
「………………。」
「………………。」
「………………。」
俺とレオは明らかに動揺した態度で固まり、魚類は嘘だろとでも言いたげな表情で動きを停止していた。ちなみに三人分の無言は俺とレオと魚類である。
「………あのさ」
そう、感情が読み取れない声で言ったのはチェインだった。「え。あ、はい」レオがぎしぎしとまるでばね仕掛けの人形のような動きでチェインの方に目を向ける。
「…言ったよね。10分で戻るって」
そう言った声は、明らかに激怒していた。
そして俺たちは、それよりも更に激怒したチェインの声をこの後聞くことになった。


信じらんない、と言ったチェインはレオの頭を思い切り叩いた。「いって!」「チェインさんもうその辺で」「もうほんっと信じられない。どうしようレオのこと嫌いじゃなかったけど記憶喪失になるまで殴るしかないよね」「ごめんなさい許して下さい!!」三人がそうやってぎゃあぎゃあ騒いでいるのを俺は逆様になって見つめていた。ことの成り行きを聞いたチェインがまずしたことは、俺の腹を思い切り殴った後、膝をついた俺を思い切り蹴飛ばすことだったからだ。結果俺は壁に逆様になって寄りかかっている。いかに座敷で個室とはいえこれはひどい。案の定店員からどうしたんですかと慌てた声でそう聞かれたので、魚類も慌てた様子ですみませんちょっと酔っぱらっちゃってという非常に有り得る言い訳をして切り抜けていた。
「痛い痛いごめんなさいチェインさんやめて引っ張らないで頬は痛い痛い痛い」
「チェインさん」
もうその辺で、と二度目のそれを言った魚類は俺の方を向いて、やれやれと肩を竦めた。「あなたも黙ってないで助けてくださいよ」「…………お前今の俺を見てそれしか言えねえの?」そう俺が言うと、魚類はきょとんとした顔をして、きれいな倒立ですね、とふざけたことを吐かしてきた。こいついつ殺そう。
一方頬を極限まで抓られていたらしいレオは、いひゃいようと言いながら頬を押さえてうずくまっている。「………もームカついた。メニュー取って」今日は飲む、とブチ切れた様子のチェインはそう言うと、怒り狂った顔で魚類から引っ手繰るように受け取ったメニューを開き始めた。「…………。」俺はのろのろと倒立まがいの状態から普通の体勢に戻り、痛いと呻いているレオの傍にのこのこと近寄る。どさ、と俺が思い切りレオの横に腰を下ろすと、びくっとした様子でレオがこちらを向いた。
「…………あ、」
ええと、と戸惑った様子でレオは言うとなぜかまた顔を赤くして俯いてしまった。もう頬は抓られ終わっただろーに。俺はそう思いはしたものの、何となくいつもしているみたいに、ぺたりとレオの頬に手を触れた。途端、レオはにゃあと驚いたような声を上げて背筋を引き攣らせたので、俺がぎょっとしてしまった。何だと言うのだ。
「……あ、……あー、…あああ、あの、…ざ、」
ザップさんって俺が好きなんですかとレオは憎らしいことにはっきりとそう言ってきたので、フツーに俺はムカついてもう一回レオの頬に手を伸ばす。ついさっき、レオが好きだと勢い余って言ってしまっていたので、なんだかもう俺はどうでもよくなってしまっていた。つまり開き直っていたのだ。俺が伸ばした手をレオは無言で避けたので、更にムカついた。「オイコラてめえ。何避けてんだ」「だ、…だって」緊張する、とレオは意味不明なことを言うと、頬を押さえたまま俺の方に視線を寄越す。何が緊張するんだ何が。こんなんいつもやってんじゃねーか、と俺が言おうとした時だった。
「お、…俺もザップさんが好きなんすけど」
それを聞いた瞬間、あらゆる俺の機能が停止してしまった。そのせいで、俺は口が利けなくなる。五秒くらいたっぷり間を空けたあと、俺が口にしたのはたったの一文字だった。
「…………………………………え?」
「だ、……だから…」
ええと、と言ってまたレオが俯いたところで、注文するけどあんたらどーすんの、と未だ低い声でチェインがそう、水を差した。


お前らグルだったんだな、と言った俺のことを完全に無視したのはチェインで、人聞きが悪いですと静かに言ったのは魚類だった。
「何が人聞きだ。魚の癖に」
「あのですね、年中お二人を見ている僕らの身にもなってみてくださいよ」
魚類はそう言うと、レオが頼んだ鶏の唐揚げにレモンかけますよ、と律儀にもひとこと断ってレモンをかけ始めた。「…み、見てる?」当然レオはレモンどころではなく、魚類のその発言を繰り返して首を傾げる。
魚類はちょっと肩を竦め、はいどうぞと言いながらレオの方に皿を寄せた。「あなたもレオくんもお互い好き合ってるのがバレバレなんですよ。少なくとも僕やチェインさんには」そう言った後、やれやれとでも言いたげに肩を竦めたので、俺もレオも唖然として口をぱかっと開けてしまった。チェインはさっきから不機嫌そうな面をしていたが、それを見てやっとおかしそうに笑い始める。間抜け面なんだけど、というそれを聞いて俺はぺしんとレオの頭を叩いた。何で俺が、とレオは文句を言ってきたが、お前しかいねえからあたりめーだろと俺は思った。
「…まあだからさ、ぶっちゃけ放っておけばお互い頑張って勝手にくっつくでしょって思ってたんだよ。私もツェッドも。なのにさあ、」
高校の頃からずーっとぐだぐだぐだぐだそーやって、と言ったチェインがビールの大ジョッキをがん、とテーブルの上に叩きつけるように置いた。「…なんっか知らないけどお互い全然くっ付きもしないわむしろ距離を置くわ、見ててこっちが苛々してきたから」だからね、と言ったチェインの言葉の後は魚類が引き継いだ。
「…それでレオくんにこの間ああ言ったんですよ。僕らは」
「え。……あ、あ!?え!?ま、まさか」
「?」
何のことだよと言いながらついさっき届いたばかりのハイボールを手に取った俺の横で、レオは明らかに狼狽している。「…………。」なんとなくデコピンすると、にゃあとレオは呻いて手で額を覆った。
「………何だその動きは。子供か」
「こ、子供って………。」
ちがいます、と呟いたあとレオは額を押さえたまま俯いてしまった。「…ガキじゃねーかその反応は。…コラ」下向いてんなよ、と俺がレオの顔を覗き込んだ途端にレオはなぜかわあと声を上げた。俺が驚いた。なんだその態度は。そこで気がついた。なんだかレオの顔が赤いということにだ。
「……お前さあ」
何照れてんだよ、と言った俺の声もちょっといつもと違ったのだから世話なかった。ぐいと今度こそ頬を引っ張ったので、レオは痛い痛いと呻きはしたものの、やめてくださいと言った顔は必死で、それがなぜか知らんが俺にはどうして中々、まあ、…えーと。ともかく見ていて悪い気はしなかった。
「…………………………………………僕ら帰った方がいいですか?」
その声に俺もレオもはっとして一瞬にして微妙に距離を取った。そういえばこいつらいたんだったと思い出した俺と同様、レオもそんな顔をしているのだから恐らく同じことを考えていたのだろう。チェインは完全に俺たちを視界に入れていなかったが、魚類は少し顔を赤くしてメニューで顔の下半分を隠していた。
「だ、あ、…え、えーと。………いや、もーちょいいろもーちょい」
「も、もーちょいってどーいうことっすか。や、そ、それよりツェッドさんチェインさん、」
どういうことっすか、と悲鳴のように言ったそれを聞いて、説明しろよと埒が明かないと踏み、魚類を睨んでそう言った。レオが正直に言わないというよりは、今のこいつの説明で俺も理解できるかどうかわからなかったからだ。
魚類はえーとと言いながら横にいるチェインの方をちらりと見たが、犬が全く手伝う気がないと分かったらしい。小さく溜息を吐いた後、ですからと目を伏せるようにして話し始めた。
「…レオくんが、好きな人が一体何を考えているか分からないって言うので、それじゃあ一回恋人ができたって言ってみたらどうですかって提案したんです。反応で脈ありかなしかわかるでしょうというわけで」
「…………なのにあんたがさ」
いつもみたいに喚かないで物わかり良く引くから、とチェインはびしりと俺を指さして言った。うっと俺は反射的に仰け反ってしまう。
「…あんたのことだから絶対ブチ切れると思ったのに。逆に落ち込むとか」
ホント予想付かないことばっかりするんだから、と勝手なことをチェインは言うと、俺の前にあったたこ焼きの皿を引き寄せた。「…で、レオが死にそうな顔で夕方サークルにやって来たわけ。脈はなかったみたいです、とか言ってさ」「…あまりに辛そうだったので、帰りどこかに行きますかと僕も言ったんですけどね」レオくんは帰りますとそう言うので、と魚類は言ってメニューを自分の横に置いた。
「…その後あなたから呼ばれたんです。で、今ですよ」
「…………………。」
「…………………。」
俺もレオも自然に無言になった。つまり――――認めたくはないがこいつらの言う通りだとするならば、俺たちは同じところをぐるぐると犬のように回っていたということになる。手が届きそうか届かないどころか、お互い手を差し伸べもしなかったのだ。
そっと横にいるレオを見たところ、ちょうどレオも俺を見たところだった。げ、と思ったが最早遅い。お互いに目が合ってしまった。ただし俺は何も言うことが見つからなかったので黙るしかできない。俺は、というかどうやらレオもそうらしかった。ただ、またさっきみたいにレオは顔を赤くさせたので、思わず俺はごくんと唾を飲み込んでしまった。
「………………………今度こそ10分」
え、と俺もレオもはっとして顔を上げる。「……それまでに済ませてよ」私まだ飲み足りないんだから、と言いながらチェインは立ち上がる。さっきからしこたま飲んでいるというのに全く足取りはふらつかず、上にチェインはがしりと男らしく魚類の腕を掴んだ。「行くよ」「あ、は、はい」こくんと魚類は飲んでもいないのにちょっと顔を赤くして立ち上がり、そそくさとチェインと共に座敷を出て行った。「…じゅ、10分ですよ。絶対」そう呟いて出ていく様は、まるで誰かの初恋を見ている子供のようで俺が辟易とした。あいつホント免疫ねーな。
「…………あの」
その小さな声に俺は目を向ける。そっとレオが、いつものように俺の袖を掴んでいた。ただし、顔は俺ではなくテーブルを見つめている。
「…あ、…えーと。……お、俺、………俺も、」
ザップさんが、と言いながらレオが顔を上げた。さっきと比べると更に赤くなっているその顔に、俺もちょっと緊張した。たぶん、酒のせいじゃなく俺の顔だってレオと同じように赤いのだろう。
「……………………、……そ、その………」
「……………あんだよ」
続きは、と言ってレオの頭をぺしんと軽く叩いたが、いつものように痛いとは言われなかった。代わりに俺の袖を掴んでいる手の力が強くなる。
「…………………す、………す、好き、……でした」
ずっと、と言った後俯いたレオの腕を引っ張って、俺は思わず溜息を吐いてしまった。「…でしたってなんだよでしたって。過去形か」「あっ。あ、や、ち、ちがくてそうじゃなくて、」今もと言いながらレオが顔を上げる。肩を引き寄せたレオの身体は熱かった。

「……す、……好きです。……ずっと…ずっと前から、」

好きでした、と言っている最中に俺はレオを思い切り抱き締めたので、レオの声はくぐもって聞こえた。むぐ、という声が腕の中から聞こえてきて俺は漸く息を吐く。「…ざ、ザップさん、…」くるしい、とレオに言われたが俺はレオのことを離さなかった。―――そりゃー俺の台詞だこのバカ。高校の卒業式で泣きたかったのは俺だったし、おめえが修学旅行に行ってる間学校に殆ど登校しなかったのは俺だったし、お前に名前を呼ばれる度に。
「………俺もそーだよ」
ぽんぽんとレオの頭を撫でながらそう言うと、レオは何も言わなかった。代わりに俺の背中にそろそろと手が回されたので思わず俺は笑ってしまった。何笑ってんですと言うちょっと怒ったような声が耳に入ったが、俺はそれを無視してぐしゃぐしゃとレオの頭を撫でた。
「も、や、く、…くるし、苦しいってば」
ザップさん、というその声を聞いて。

こいつのことが好きだなと俺は改めて思った。



飲み会、と復唱した俺の横で、そうですとレオは言いながらカメラを弄っている。「サークルの。壮行会準備会だって」「写真サークルで壮行会となんの関係があんだよ」「試合の写真撮りに行くらしいっす」それ広報課がやることじゃねえの、と言った俺に、わかんないですよとレオは言いながらカメラから俺の方に顔を戻した。
「だから今日は先帰って下さい。今日は海鮮が有名なとこに行くっぽくて」
ちょっと楽しみです、と言いながらレオは立ち上がった。「ちょっとその辺撮ってきます」「待て」そう言った俺に、へ、とレオはきょとんとした声を出した。
「…お前未成年だろ。居酒屋はやめろ」
「はい?なんすか今更」
こないだも行ったじゃありませんか、と銀杏の前にあるベンチに座っている俺を見て、レオはそう言った。確かにその通りで、つまりそれは俺たちが付き合うことになったあの日のことをさしている。つい1週間前のことだ。
「行っても飲まないから大丈夫ですよ」
「そーじゃねえ。飲む飲まねえは関係ねーからやめとけ」
「?」
どうして、と言ったレオはまた俺の隣に座った。ベンチはあまり暖かくないので、さむいとレオはちょっと身を震わせて言うと俺の方にちょっと身体を寄せた。これがくっ付きたいという理由なら俺だってまあ、そら嬉しくねーこともないのだが、風が吹いてきたところを見ると明らかにこれは俺を風除けにしている。「……………。」無言でレオの頬に触ろうとして、直前で俺は考えを変えてレオの肩に手を伸ばした。ぐいっと引き寄せた途端レオから声が上がる。
「わっ!?な、ななっ、なんすか!ちょっとここ、」
外なのに、と言っているレオを無視して、いーから行くなよと俺はもう一回言うと煙草をポケットから取り出す。そこでふと、レオがすぐ横にいることに気が付いたのでもう一回ポケットに煙草を戻した。流石にこう近いと危ないと思ったのだ。
レオは不思議そうな顔をしたものの、何でですかと困ったような顔で言った。「サークルの飲み会だから顔出さないと怒られるんですよ。会費もあるし」「んじゃ俺がおめえんとこの上に言っとくから行くのやめろ」「ば、や、やめてくださいよそんな。幾ら何でも」保護者じゃないんだから、と言ったレオのことを見下ろして、俺は溜息を吐いた。まあ確かにそれはその通りだ。流石にそこまでするのはやり過ぎているしぶっちゃけうぜえわ。
だから、とレオは俺が苛々しているのを察したのか、ちょっと頬を俺の肩にくっ付けるようにしてそう小さく言った。「………。」こいつ俺がこーいうの好きだってわかってんなこの、と思いながら、何が、とそう言う。苛立っていた割に声がちょっと上擦ってしまったのは仕方ない、………筈だ。
「……夜一緒にいられませんから」
こやってくっ付いてるんですよ、とレオは言った後黙ってしまった。
「………………………………………………………。」
俺も黙ってしまった。――え?まじで?さみーからじゃねえの?風除けじゃねーの?いやまあ俺も肩引っ張ったけど、それのせいだけじゃなくて?-――レオが。
「………ね」
そう小さく言ったのが同意を求めるそれだったのか、それとも疑問だったのか俺にはわからなかった。俺のことを見上げてきたレオの顔は冬だからという理由ではなく赤くて、それから俺の腕を掴んでいる手は熱がこもっていたし、確かに男だと分かる口は小さく開いていた。その口に。
「……っ、む、」
―――噛み付いたのは俺のせいじゃない。「あ、ば、…」何すんすかもう、と怒ったように言ったレオを見ながらそんなことを思って、俺はもう一回レオのことを抱き締めた。わあ、という声が聞こえたが知ったこっちゃねえ。俺だってこいつと一緒だ。冬だからとか、寒いからとか、風除けのためだとか、そういう理由じゃなく。

レオのことが好きだから。
この間のようにそろそろと背中に回された腕に気が付いて、俺はこの間と同様思わず笑ってしまった。何ですかもう、というレオの怒ったような声を聞きながら。

…ちなみにレオの靴は三人で買いに行った。僕は帰りますよと何度も言っていた魚類を無理矢理俺とレオが引き摺るようにして靴屋に向かった理由は、まあ、気恥ずかしかったからという理由に他ならなかった。