蚊帳の外

2016/07/24


顔の煤をぱたぱたと払いながら立ち上がると、おーいという声が聞こえた。「スティーブンさん」上司がひらひらと瓦礫の上にしゃがみ込んで手を振っている。「お疲れ様です」座っているのは珍しい、と思いながらレオは上司の一人、スティーブン・A・スターフェイズの許へ歩いて行った。
「君こそお疲れだった。目は平気かい」
「僕は全然。……って、うわ」
嘘、と言いながら慌てて瓦礫の山を駆けのぼる。「す、スティーブンさんそれ」足、と慌てて上司の横にしゃがみ込んだ。スティーブンの足はどう見ても負傷していて、誰が見ても見なくても歩くのには辛そうだと断言できた。血が瓦礫に落ちている。
「いやーちょっとしくじった。でもこの程度なら大丈夫だよ。見た目程そんなに痛くない」
「い、いやそういう…連絡しましたよね?」
「そりゃ勿論」
苦笑してそう言ったスティーブンはちょっと困った様に頬を掻いた。「…そんなに大袈裟な話じゃないよ。気にするな」そう言われてしまうと何も言えない。少し有無を言わさぬような物言いだったせいもあるだろう。たまにこうだ、とレオはこの上司を見ながら思った。

スティーブンについてレオが知っていることはとても少ない。見た目だけなら格好良い人だとか、ちょっと不思議な人だとか、食えないとか何を考えているか分からないとか色々思うことはある。内面は全くつかめない。しかしそれは自分よりもずっと付き合いが長い筈の先輩であるザップ・レンフロもそうだと言っていたのだから、恐らく故意にそうしているのだろう。
たまにK.K.から詰られているのを見ることがあるが、その理由はレオの知るところではない。ただ、いつも苦笑しているスティーブンをK.K.はまるで子供の母親のような顔をして怒っていたから、恐らく仕事の話ではないのだろう。仲いいんだな、とレオはいつもそのやり取りを見ていて思う。
「と、ともかく止血した方がいいっすよ」
そう言ってレオは少し狼狽えつつ、上司の横に座ってわたわたと自分の服を掴んだ。「あ、おい。いいよ別に。止まるよ自然に」何を馬鹿な、とレオは思わず顔を上げる。スティーブンはいいってと本気で慌てた様子でぱたぱたと手を振っていた。
「もうすぐギルベルトさん来るだろうし。君の一張羅を台無しにするわけには」
「ザップさんみたいなこと言わないで下さいよ。嫌味にしか聞こえねっす」
そう言ったらスティーブンは酷い顔をした。「………そ、」そんなに酷いことを言われるとは思わなかった、と言われてレオは思わず笑ってしまった。そんなに落ち込まなくても。そう思った。


なんにせよ、そうしている間にもいつもの車が凄い勢いで滑り込んできたのがレオの眼に入った。「あ」ギルベルトさん、と言ったレオの声をかき消すようにばん、という車のドアの閉まる音がする。「あ、クラウスさ―――」こっちですとレオが言う前に、クラウスが車の前で口を開いたのが目に入った。

「スティーブン!!」

わっとレオは声を上げた。びっくりした。既に事態は収束しかかっているとはいえ、一応周りはいまだざわざわと喧騒に包まれているし、瓦礫の崩れる音だってパトカーのサイレンだって聞こえてくる。なのにその声はそれに負けじとはっきりとレオの耳に、届いた。
レオにということはスティーブンにだって届いているのだ。
「…電光石火ですねえ」そう苦笑しながらレオはクラウスがこっちにやって来るのを見て、すぐ隣を振り向く。そうだなとスティーブンも苦笑していると、そう思った。
―――へ?
しかしそんなレオの予想はまるきり外れた。「………あ、」うん、と戸惑ったような顔をしてスティーブンはひらひらとクラウスに手を振っている。「………い、意識はある…」小さくそう戸惑ったように言ったスティーブンの顔を見るのは、初めてだった。こんな顔するんだ、と思っていたレオとそれからスティーブンの許に、漸くクラウスがやって来た。瓦礫ががらがらと音を立ててその辺に崩れ落ちたので、レオの足場もちょっとぐらついた。わわわと言いながら慌ててバランスを取る。
「大丈夫か」
「大丈夫だよ。ちょっと疲れたんだ」
「…昨日、早く休んだ方がいいと私は言ったではないか」
「あー…いや、で、でもそれは」
そこでスティーブンははたとレオの存在を思い出したらしい。ぽかんとしているレオを見て、はははと何かを誤魔化すように笑った。「…それよりクラウス。肩を貸してくれ」お説教はあとで聞く、と言ったスティーブンに、クラウスはちょっと眉根を寄せた。これも物凄く珍しい、とレオは思ってまたしても驚いた。
「…………。」
ぼーっとそんな二人を見ているレオに気が付いたのか、クラウスがレオナルドくん、とスティーブンの肩を支えながらこちらを向いた。「あ。は、はい」「大丈夫か。怪我は」「あ、いえ。僕は全然」大丈夫ですと言うとクラウスはほっとしたように笑った。よかった、と言われて何となくレオも笑顔になり、はいと言いながら立ち上がる。また足場が崩れ落ちたが、別段ぐらつきはしなかった。
「…てゆか君こそ怪我してるんじゃないのか。大丈夫なのか」
「かすり傷だ」
「それを言うなら俺だってかすり傷だよ。大体君だって昨日は遅くまで起きていたじゃないか」
「…私は仕事だ」
「それを言うなら俺だって仕事だよ」
そう言い合いながらよろよろと二人が瓦礫の山を下りて行くのを見て、レオはまた呆気に取られて頭を掻いた。「………。」ああいうこと、言ったりしたりするんだなあ。なんか同級生同士のケンカみたいだ。
「…大人になってもあーいう感じなのはいいなあ」
そう独り言をつぶやいて、ひょいと瓦礫の山から飛び降りる。上手くいったと思っていたらそんなことはなく、普通に転んだ。「あてっ」がらがらという瓦礫が落ちた音を背景に、レオは立ち上がった。