i love you.
2016/05/09
きみのことがほんとうに、
書類を見ながら、小さく溜息を吐いた。「え」という声にはっと顔を上げる。
「すいません、どっかおかしかったですか」
「………ああ」
いや、と言いながら背凭れから身を起こした。「何でもない。大丈夫だ」と笑って言った自分の顔を、レオナルド・ウォッチがじっと見ている。何となく、決まり悪くなって目を逸らした。
たぶん一生口にすることはないだろうが、スティーブン・A・スターフェイズはこの少年が苦手だった。避ける程ではないし、当たり障りのないことを言って逃げる程でもない。けれども――――苦手だ。
真っ直ぐなその言葉と視線と、それからこんな風に純粋な意思を持っている子と出会うことは少ない。出会ったことが無い訳じゃない。なんというか、と思いながらスティーブンは書類をレオに返した。
「…大丈夫だろう。これで提出しておいてくれ」
「わかりました。ありがとうございます」
レオは笑って書類を受け取って一つ会釈をすると、「行ってきます」と言って事務所を後にした。あのままポストに投函するんだろうな、と再び小さく溜息を吐く。
――――似ているんだ。
それがたぶん、彼が苦手な理由の一番上にくる。
「…よく分かんないこと言うわよね」
「言ってないよ」
揚げ足とらないでよ、と顔を顰めて口を尖らせた同僚は言った。「…それもそうだな。すまん」そう言った自分に、同僚が不審げな顔をした。
「…なんだその顔は」
「アンタがそうやって本気で素直に謝るの、珍しーわね」
「……………。」
君も大概子供っぽいところがあるよな、と思ったが口にはせず、スティーブンはコーヒーカップを傾けた。ギルベルトが入れたわけじゃない、ただのインスタントコーヒーだ。大して美味いとも思わなかったが、たまにこういう雑な味が飲みたくなる。
大抵、落ち込んでいる時だ。
「何どうしたの?疲れてる…のは毎回だし。また徹夜したでしょ」
「してない。二時間くらい寝たよ」
「早死にしちゃうわよ」
朝ご飯食べたの、とまるで母親みたいなことを言われて、思わず吹き出してしまう。「何笑ってんのよ」と隣に座るK・K.は言うと、クッキーを一枚手に取った。
「…あなたさー、少しザップっちを見習った方がいいかもね」
「冗談はやめてくれよ」
そう苦笑したスティーブンを見て、やっとK・Kも笑った。ザップがいたら顔を顰めているところだろうが。
「……クラっちのこと好きなのに」
なんでそーやって誤魔化すわけ、と言われてもぐもぐと自分もクッキーを齧って黙る。誤魔化しているつもりはないんだけど、と言う前に今度はコーヒーを飲む。
クッキーが口内でコーヒーとまじりあって、ぐしゃぐしゃになった。
「…あのね、誤魔化してるってのは、あなた自身によ」
口を開く前にK・Kが先にそう言った。「…え?」「…自分でそれを認めたがらないってハナシ」肩を竦めて言った後、K・Kはまたクッキーを抓んだが、自分ではなくスティーブンの口にぐいぐいとそれを押しつけてきた。頬が甘くなるのは敵わない、と仕方なく口を開ける。口の中が甘くなった。
「………甘い」
「クッキーだからね。…どーせ今日それを食べるのが初めての食事でしょ。ホントに死んじゃうわよ」
「…………。」
何でバレたんだ、とそっと横目で同僚を見る。同僚は澄ました顔でコーヒーを飲んでいて、まあいつものことかな、とスティーブンは思った。長い付き合いになるということもあるし、何よりやっぱり母親だからか、そういうところに関しては、目ざとい。ふざけた話だったが、少しばかり子供になった気分になる。
「…認めたがるとか、たがらないっていうか。……何かなぁ。なんか…そういうのあいつに向けるのって…どうなのかなって思うんだよ」
「曖昧ねえ。なによソレ。どーなのかなって何よ」
「…んー」
上手く言えないからこういう言い方になってしまったのだ、と思いつつコーヒーをまた飲んだ。
「…クラウスは…僕にとってそういう対象かも知れないけど、…そういう対象にしたくないっていうか」
「……恋愛対象ってことでしょ?」
はっきり言いなさいよ、というその後にばしんと背中を叩かれた。痛い、と顔を顰めつつコーヒーを零さなくてよかったと思う。けれどカップの中の茶色い液体は揺らいでいた。
「…友達だし」
「そうね」
「…しかもあいつ、僕のことを信頼してるだろ。無条件に」
「そーね。あなただけじゃないけど」
「だろ。…なんかそういう…そーいう奴を」
好きになっていいのかなって思うんだ、と言ってスティーブンは肩を竦める。そう、好きは好きだけど。
―――好きにならないのがおかしいくらいの男だけど。
つまり、と少し間が空いたあとK・Kは呆れたように言った。
「…自分が好きになることで彼の価値を落としちゃうかも、とか馬鹿なこと考えてんの?あなた」
「あ」
そうか、とやっとその考えに行きついてスティーブンは隣に座るK・Kに少し、身体を向ける。カウンター席なので、椅子には背もたれがなかったから、身体自体は動かし易い。
「そうか。そういうことだよ!すごいな君は」
そう言いながらうんうんと納得している様子を見て、K・Kはまた呆れた顔になって、眼を半眼にした。
「…それじゃーこの先どーすんのよ」
「どうって?」やっとわかったから気が済んだ。やれやれ、と気が晴れた顔をしているスティーブンを見ながら、K・Kが溜息を吐いた。
「どうもこうも。…永遠にこのままじゃない。あなた達」
「?うん。そーだな。…いや僕はともかくクラウスは結婚とかするかも知れないけど。見合いは前してたし」
「………それでいーの。あなた」
少しだけ彼女の声が低くなったことに疑問を持ちながら、いいもなにも、とスティーブンは苦笑した。
「それは僕が考えることじゃないだろ?」
そう笑って言った後、同僚が一瞬だけ目を見開いた。
驚いたように。
掴んだクッキーを口に入れると、はあ、とK・Kが溜息を吐く。どうしたんだ、と不思議に思った。君が不快になるようなことを俺は言ったのか?
けれども、そこでK・Kはいつもしてくるようにスティーブンに怒らず、溜息のあと、窓の外に視線をやった。お陰で、スティーブンの方からは表情が読めなくなる。
「……あなたさあ」
K・Kがそうぽつりと呟いた。呆れている声にしか聞こえなかったが、どうして彼女が呆れているのか、そして一体何に対して呆れているのかは、スティーブンにはさっぱり分からなかった。
「…クラっちにそーいうこと言うのだけは駄目よ。ホントに」
「”そーいうこと”がどこにかかってるのかよく分からないけど。言うわけないだろ。てゆか言う機会なんか無いって」
そう言って苦笑した後に、なぜか頬を抓られた。何なんだ、と思いながらスティーブンはコーヒーを呑み干して、K・Kと店を出る。「それじゃ」と店の前で別れたあといつもの如く、事務所に戻ることにする。近場でのミーティングは、たまの気分転換に丁度いい。
その時だった。見慣れたくしゃくしゃの頭が雑踏の中で動いているのを発見した。――レオだ、と気が付いたが、何となくスティーブンは声をかけるのを躊躇った。やっぱり苦手なのだ。見つけたのに声をかけないのも、少しずるい気もした。けれど、やっぱり躊躇う。
しかしそう思っていたせいかどうか、レオの方がくるりとこちらを振り向いた。あ、と思ったと同時に、「スティーブンさん」と言いながら人を縫うようにしてレオがやって来る。
「珍しいですねこんなとこで。これから戻りですか?」
「……うん。君は昼か?」
「そーです。食い終わりましたんで僕も戻るとこです」
ザップとツェッドはいないんだな、と首を傾げると、「二人とも今日同時任務でしょ」とレオは苦笑する。
そういえばそうだった気もする、とスティーブンは回想した。ツェッドはそうでもなかったがザップは文句をぎゃあぎゃあ言っての出動だったから、チェインに何度も踏まれていた。珍しく失念していた。
「……少年は」
「はい?」
「…好きな子はいないのかい」
「はい!?」
ぎょっとしたようにレオが声を上げた。
「あ」
すまない、と慌てて手を顔の前に出す。苦手は苦手だったが、一応、この少年とは当たり障りのない関係だとスティーブンは思っている。だから余計、こういうことを聞くのはタブーだ。当たり障りのない関係ならば、なおさら。
ザップみたいなのはいいけど、とひどいことを考えながら「ごめんごめん」と謝る。
「いや、全然いいんすけど…どうしたんですか。スティーブンさんこそ好きな子でも出来たんですか?」
「…………ああ」
確かにそう考えるのも無理からぬ話しかけ方だった、と思いながら頭を掻く。
「…出来たっていうか…まあ、それは昔からいるけれど。君はどうなのかなあと思ったんだ。僕は」
「ああなるほ………、……えっ」
ん?と隣にいるレオを見て首を傾げる。
「今すげーこと言いましたけど…それは僕のツッコミ待ちなんすか」
「?なにか言ったかな」
「昔からいるって言ったじゃありませんか…」
「ああ」
言ったね、と言いながら頬を掻いた。
「…………。」
レオは『自分は試されているのか、それともこれは上司と部下の円滑なコミュニケーション手段の切り口なのか』とでも言いたげな顔をしている。つまり悩んでいるらしい。慌てて「いやそこは気にするところじゃないんだ」とスティーブンはフォローを入れた。別に困らせるつもりはなかった。
「…はあ……いや、いいんですけどね。…僕は今そーいう人いないです。そーいう暇もないっちゅーか」
苦笑して言ったレオに、なるほどな、とスティーブンは肩を竦める。毎日が悪夢の遊園地であるこのヘルサレムズ・ロットでは、レオのように普通の少年は生きていくのが精一杯だろう。漸くライブラやライブラの構成員のキャラクターたちにも慣れてきたと思しき段階だ。
きっと少年が自分で思っているよりはこの街に順応していると思うけれどな。
そう思いながらスティーブンはふむ、と顎に手を当てた。
「…それじゃあ聞きたいんだが。君は今まで人を好きになったことはあるかい?」
「ど、どうしたんですか今日は。そりゃありますよ」
「…そんな当たり前のような話かい」
「はあ、まあ…僕くらいの年齢になるまで人を好きになったことが無いヒトっつーのは珍しい類だと思いますよ。一回くらいは大抵経験してます」
「……そっか」
そーだよな、と今更当たり前だというそれに気が付いて、スティーブンは溜息を吐いた。どうしたんですかとレオは二度目のそれを言うと、狼狽えた顔をする。
「大体スティーブンさんだって、ぶっちゃけモテるでしょう。めちゃくちゃ」
そう言ってレオは手を無意味にわたわたと動かした。
「だって僕から見てもスティーブンさんめちゃくちゃ格好良いすもん。モテるでしょ。ザップさんとは違う意味で」
「…………。」
じっと隣を歩く少年を見つめてしまう。ずるい、けれどしょうがないと言ったような感情が入り混じった顔をしている。糸目なのに感情豊かだ、と今更スティーブンは思うと、「そんなことないよ」と否定する。
「……嘘だ…」
「こんなことで嘘を吐いてどうするんだって」
そう苦笑したスティーブンの横で、「そうかなあ」とレオはひとりごちた。疑われている。
「…まあ、君が言ったように僕がたとえば…たとえばだ。モテているとする。…………けどほら、…かと言って僕が嬉しいかと言えばそうでもない」
「はあ。アレですか。モテてても本当に好きな人に好かれないと意味ないってやつですか」
そう言われてびっくりした。眼を見開いて隣に並ぶ部下をまじまじと見つめると、「何ですか」とレオは怪訝な顔になった。
「分かりますよそんな言い方されたら。てゆかそれじゃースティーブンさん、」
レオはそこで言葉を切ると、信号を見つめて立ち止まる。慌ててスティーブンもレオを見て立ち止まった。信号ではない。
「…片思いしてるんですね。ずっと」
そう言ってちょっとだけレオは照れたように笑った。
なぜ君がそんな顔をするんだ、と思う。これは恐らく俺の話で君の話じゃないのに。照れたように笑ったレオの耳と頬が少しだけ赤い。そこまでどうして他人に心を預けられるのかなあ、とふと思った。
それからはっと気が付く。いや、違う。スティーブンは、”思い出した”。そうか、こういうところが似てるんだ。
こうやっていとも簡単に、人のことを自分のことみたいに考えて、
嬉しそうにしたり悲しそうにしたりできるところが。
「……そうかもな」
そう苦笑したスティーブンを見て、レオは一瞬呆気に取られた顔になったが、また照れたように笑った。「叶うといいですね」とレオがのんびりと言うのを聞いて、そうだなあ、と思う。『叶うといいですね』ということに対してでは、ない。
――――そうだなあ。そうなんだよな。一々難しく考える必要はない。こうやって、この子みたいに考えるのが一番いい。
「…叶ったらいいかもな」
かもって何ですか、とレオがちょっと眉を吊り上げたのがおかしくて、またスティーブンは笑ってしまった。
――――好きは好きなんだ。ほんとうに。
叶うとか叶わないとか、手が届くとか届かないとか。本当にそんなことはどうでもいい。君のことが。
本当に好きだよ。
終