例えて言うなら、

2025/06/30


例えて言うなら、


必死に櫛で髪を梳かしている後輩を見てびっくりした。びっくりした、というのも幼稚な表現かもしれない―――が、ともかくその時のザップ・レンフロは驚いた。ついぞこの後輩が櫛を使っているところを見たことがなかったからだ。
「あ。ザップさん」
おはようございます、と昼過ぎにも関わらずそう言った後輩―――レオナルド・ウォッチという―――は、言いながらも必死に髪を梳いている。「何してんのお前」そう言いながらソファに近付いたザップに「おはようって言ったじゃないですか」とレオは(ザップからすれば)どうでもいいことに拘って口を尖らせた。
「どーでもいいことに突っ込むんじゃねえよ。つか何してんだんな無駄なことしてよ」
「無駄とか言わんでください」
多少眉根を寄せたレオはそう言って、しかし作業を続けた。癖のある髪はどうも櫛と相性が悪いらしく、多少引っ掛かりを見せつつもどうにかこうにか真っすぐに正されようとしている。しかし当たり前だがすぐにいつものくしゃくしゃの髪に戻る。なんか意味あんのかこの作業は、とザップはそれを眺めながらそう思った。穴の開いたひしゃくで水を汲み続けるようなもんじゃねェのか。そう酷いことを思う。
「……横でじっとみていられんのもなんかヤなんですけど…」
何かしてくださいよ、とレオは手を止めてこっちを向いた。「何かってなんだよ」「何かは何かですよ。スティーブンさんに挨拶とかしたらどうですか?」「わざわざんなことするかよ」そうザップが言った途端上から何かが振って来てぐしゃ、と首が折れた。
折れていない。
ぎゃあああ、といつもの如く悲鳴を上げたザップの隣でレオも「ぎゃあああ!!」と悲鳴を上げた。「くっ、首!!首が折れ…っ死んでる!!」「死んでねーよ!!ってコラおいてめこの雌犬、」どけって、と頭上を振り回したがどうも怨敵―――とは言い過ぎか。同僚のチェイン・皇は姿を消していて触ることも出来なかった。やおら頭上から体重が消えたかと思うとレオの正面の椅子に人狼が姿を現した。ちょこんと座る様は、まあそれだけ見れば大層美しいのだが、ザップからすればさっきまで自分の首の骨を折ろうとしていた張本人なので、そんな気はまるで起こらなかった。
「てっめ雌犬!!人の頭を踏み台にすんな!」
「レオそれどう?やっぱまだ取れない?」
完全にこっちを無視しているチェインに普通にムカついてザップは立ち上がる。「いえどうもありがとうございます。どうにかなりそうな感じはあるんですけど」「そっか」ギルベルトさんも多分持ってるから聞くといいよ、と言うが否やチェインはザップを一瞥もせず、その場から姿を消した。
「だああああまーた消えやがった!!あ〜〜〜もうざっけんなこの、」
そこで何事か言おうとしたザップの顎がどか、と蹴られて吹っ飛ばされた。「ぎゃっ」またレオが悲鳴を上げる。当然ながら下手人はチェインなのだが、その姿は一向に―――このまま今日はずっとかもしれない―――見えなかった。
ザップはがばっとすぐさま起き上がると「てめーマジでふざけんなコラ!!」と大声で怒鳴った。
その瞬間、執務室のドアが開いた。
正確に言うとドアが開いた方が早かった。つまりドアが開いた向こう側にいる相手に―――ザップは暴言を投げつけた、ということになる。
「………挨拶もなしにそれかあ…」
やれやれという溜息を吐いたスティーブン・A・スターフェイズと隣にいるクラウス・V・ラインヘルツの姿を認めてザップはぎょっとした。タイミングが悪い。
「ちょちょちょ違いますよ今のは雌犬が、じゃなくてチェインが、…ってオイレオ!フォローしろフォロー!!」
「フォローって別によくあることですし…」
いて、と言いながら髪に引っ掛かっているらしい櫛を取ったレオを睨んだザップに、「ザップ」と声がかかる。クラウスだ。どうしたのかね、と言いながらこっちにやってこようとする長を止めた参謀は「まあお前のやることに一々突っかかっていては何も進まないからいいけど」と珍しく寛大なことを言った。
「それはそれとして僕らは出かけてくる。ちょっとお前たち留守番しててくれ」
「は?」
留守番、というそれに「そうだ」とスティーブンは言うと「じゃ行こうクラス」と何の説明もせずに室を出て行こうとするので焦った。
「スターフェイズさん!待ってくださいよ。なんで留守番なんざ」
「今メンテナンス中なんだ」
「なにが?」
最後の疑問はレオだ。しかしザップも聞こうと思っていたので助かった。「ここの防衛システム」さらりと言われたそれに「は?」「は?」と多少ずれて―――まるでフーガのように、そう言ってしまった。
「メンテナンスって言っても全然起動しないわけじゃないよ。でも一応人がいた方がいいから」
何かあったら少年は逃がせよザップ、と言うとスティーブンはクラウスと一緒にさっさと外に出て行った。「ザップくん。レオナルドくん。すまない。一時間もすれば戻る」そう言ったクラウスの顔が本当に申し訳なさそうだったので、どうやら何か大事な用事らしい。行ってらっしゃい、とレオが言う声を聞いてこう思う。何が行ってらっしゃいだクソボケが。


いまだにレオは髪を櫛で梳いている。一体何の意味があるんだ、とザップはしつこいくらいそう思うと、「なあ」とレオに話しかけた。隣で無意味な動作を見ているのにも飽きてきた。
「なんですかだから。俺は今忙しいんですよ」
「忙しいんですよ、じゃねェよ。何してんだよそれ」
それさっきも聞かれたなあ、とレオはぼやいて仕方なさそうに手を止めた。「外風が凄いじゃないですか」「……?」そーだっけ、と言う顔をしたザップに「うっそだろ」とレオは驚愕と言う顔をした。
「えマジで?すごいじゃないですか風。どこ通って来たんですか?地下の道?」
ライブラに来るルートは数多ある。そのうち地下を通ってきたのだろう、と思われたのだろう。ザップは「ちげーけど」と言いながら葉巻を取り出して火を点けた。「中華料理屋ンとこ回って階段上った先」今日のルートを告げるとレオはええ、という顔をした。
「外じゃん!がっつり外じゃん!」
「地下とは言ってねェだろ。おめえこそどこ通って来たんだよ」
風んっなひでェか?と外のことを回想―――しようとしたが思い出せない。ここに来る直前まで借金取りと先日カツアゲした奴らと以前色々あった女性『達』に見つかってめちゃくちゃに走ってきたからだ。そう言うと「あ、そうですか…」とレオはどうでもよさそうに言った。ムカついたので髪を梳いている手を引っ張ると、ちょうど櫛に髪が絡んでいたらしい。「いだだだだだだだだ!!」レオが悲鳴を上げた。
「…なんっかこー見ると…陰毛だなマジで……」
「真顔で言うのやめてくれませんかね!?てゆか痛いんで引っ張んないでください!!」
「…………。」
無言でぐいっと引っ張ったので「いてててて!!」とレオがまた悲鳴を上げた。
「わははは鳴いた鳴いた。笑える」
「殺してえ〜〜〜…ちょっとマジで痛いからやめてくださいよ」
髪引っ張られんのって痛いでしょ、と言われて考える。「いや爪剥がされる方がいてーだろ。足とか」「怖い!!例えが怖い!!」やめてください、とレオが悲痛な声を上げるのでまた笑った。あ―楽しい。ほんと楽しい。この後輩『で』遊ぶことほど面白いことはない。
そう言ったら弟弟子には最悪だコイツ、みたいな顔をされた挙句「それはレオくん『で』じゃなくてレオくん『と』じゃないんですか?」と言われてしまった。それとこれじゃ全然意味が違うし、なんかそれだと―――俺がこいつといるの楽しいみてーじゃん。なのでそれは当然否定しておいた。弟弟子は「別にあなたがそう言うならいいですけどね」と憎らしいことを言って、さっさと任務に出かけて行った。
そして今ザップは後輩『と』ではなく後輩『で』遊んでいるのでやっぱり弟弟子、ツェッド・オブライエンに言われた意味とは違っている。ふん、この俺がこんな陰毛といて楽しいわけないだろうが、と思いつつもたまに矛盾してるような気がする、と自分でも思う事がある。別にレオ『で』遊ぶ時以外でもまあ、楽しいと思うことはないでもなかった。

ライブラのパーティと言う名の情報交換会とか。
ランチに行ったりとか。
ゲームをしたりとか―――その感覚は随所で顔を出す。

つまりなんかこう、変だ。レオといると調子が狂う。
けれどそれはどうやらレオ『と』いる時だけではない。
レオがいなくても、調子は狂う。

「だーもうマジでいい加減にしてくださいよ!」
痛いんですよ!という悲鳴ではっとした。よくよく見れば隣の後輩は必死に絡んだ髪を櫛から取ろうとしていた。天性の不器用さのせいか、それとも運が悪かったのか、どうやらレオの髪は櫛に益々絡まっている。呆れた。
「バカじゃねーのお前暴れっからだって。あーあ。鋏ねーか鋏」
「ちょちょちょ待って待って切らないでください!やめて!!取って取って!!」
「あんでだよこんなん切っちまった方がはえーよ」
「早くない!!!全然早くないです!!頼むからやめてください!!」
うるせーな、と言いながら仕方なく鋏を探すのをやめた。自分の血で切ってしまってもよかったが、鋏が嫌なのではなくどうやら髪を切られるのが嫌らしい。じゃあ血を使っても同じだ。こんだけ絡まってんじゃ切っちまった方がはえーと思うけどな、と言ったザップにええ〜とレオは悲し気な声を上げた。
「ザップさん手先器用でしょ。取って下さいよ」
「なんで俺なんだよ。嫌だわめんどくせえ。一生それで生きろ」
そう言いながら櫛を髪に引っ掛けたまま生活するレオを想像してしまい思わず吹き出した。「何で笑ってんの?」とレオは訝し気に言うと「もー」と言いながらどうにか自分で髪が絡んだ櫛を取ろうとしている。益々髪が絡んでいくように思えたが、ザップは手を出さなかった。横で黙って煙草を吸う。

そして5分後。やはりザップの予想通りレオの髪は更に櫛に絡まっていた。なんで、と半ばげっそりしながら櫛をどうにかしようとしているレオを見て、あーあー、とザップはまたしても笑ってしまう。見ていて割と面白かった。
「腕が疲れた…」
もうむり、と言いながらぱたんと手を下ろしたレオの横でザップは遂に堪え切れず吹き出してしまい、「ザップさん」とレオに睨まれる。
「何がおかしいんですかマジで。俺がこんなに困窮しているというのに」
「コンだの九だのキツネかなんかかおめーは。しゃーねえな」
なんでキツネが出てくるんですか、と不思議そうに言うレオを無視して手を伸ばした。ぐい、ともう一度櫛を引っ張ったので「いって」とレオが悲鳴を上げる。
「痛いんですけど」
「爪剥がされてるよりマシだと思え」
「それよりはマシだと思いますけど…」
その例え怖いからやめてくださいよ、と言うレオを無視して櫛に絡んでいる髪を解く。何がどうなってここまで絡むんだ、と思うほど絡んでいてザップも辟易した。やっぱり切っちまおうかな、とレオに相談せず切ろうと考えてしまう。面倒になったのだ。
「解けそうですか?」
「切るわ」
「いや待って待って!?どうして!?デジャヴかなんか!?」
もーやめてください、と言いながらレオがぱたぱたと手を振るので「あぶねーなやめろボケ」と言いながらばしんと頭を叩いてしまった。しまった、というか通常運転なのだが、レオはそれでも「いって!」とまた悲鳴を上げた。
「だーもういい加減にしてくださいよ!何で俺こんないわれのない暴力を振るわれているんですか!?」
「おめーが暴れるからじゃん」
「暴れる原因はザップさんなんですが!?」
そーかよ、と言いながら仕方なくもう一度髪を櫛からどうにか解こうとしてみる。こういうちまちました作業はどうも性に合わない。ルービックキューブも全部ばらして繋げばいーだろと思っている口だ。
「……無理だな。おめーの髪は一生このままだ」
「怖いこと言わないで下さい!…ゆーて俺でも無理だしな〜…」
なんか益々絡まっちゃったし、としょんぼりして言ったレオに「つーかなんでお前んなことしてんの?無駄じゃん」と遂にザップは本日三度目のそれを口にした。しかしこれはずっとレオがこの疑問に答えないせいでもある。
レオは仏頂面で「髪になんかがひっかかったんですよ」と漸くザップの疑問に返事をした。
「は?髪になんかが引っ掛かった?」
「なんで繰り返したんですか。そうですよ」
だから櫛を使ってるんです、と言いながらレオはまた髪を解こうとする。「いや今じゃねえか髪になんかがひっかかってんのは」「違います。ここに来る途中でひっかかったの。風がすごいって言ったでしょ」そう言われても、とザップは思う。覚えていない。逃げるのに必死だったのだ。
「…なんも引っ掛かってねぇと思うけどな。貸せ」
ほら、と言いながら肩を引っ張ったのでわっとレオが声を上げた。「ちょ、もういいですよザップさん痛いんだもんやり方が」「おめーの髪が陰毛なのがわりーんだよ」「にしても、いやにしてもじゃねえ!やり方というものが…」いたた、とまた声があがる。
「もーマジでいいですってば。誰かにやってもらいます」
それを聞いてなんかちょっと――――ん?と思った。誰か。誰かとは。
「誰にやってもらうんだよこんなん」
誰もやんねーよ、と言いながら髪を解く。堅結びされた紐を必死に解く作業を思い出した。そういうのも面倒になって結局鋏を使ってしまう。
「やってくれますよ。…たぶん。…えーっと…ツェッドさんとか?……え〜っと。K・Kさんとか…」
あとクラウスさんも、というそれにまあ、と納得しそうになり――――慌てた。何に慌てたのかはよくわからない。けれど―――なんか。
なんかムカついた。
「……ほお〜〜…そーかそーか」
そうかもな、と言う自分の声が多少イラついているのが自分でも分かる。「え何で怒ったんですかいきなり」レオにもどうやら伝わったらしい。
「怒ってねぇよバカ」
「めっちゃキレてるじゃん…何?だってザップさん俺の髪引っ張るしかないし…」
痛いし、という不満げな声を聞いて益々ムカつく。コイツ人が折角わざわざこんな面倒くせぇ作業してやってんのになんだその態度はよ。バカか?こんなめんどくせーこと俺が誰にでもやると思ってんのかこの野郎。人の好意を全無視しやがってマジでコイツ。
そう思いながらも手は動いていた。ムカついたが仕方ない。痛いと言われたら―――負けだ。勝負でも何でもないのにそう思いながら手を動かした。一応手先は器用な方ではある、というのは自分でも自覚がある。というかそうでもないと牙狩りなんぞやってられないのだ。
「……………。」
「え…?あの?ザップさん?ザップさーん…」
なんか喋って下さいよ怖いんですけど、というレオのそれに「うるさい」とだけ言う。煩いってええ〜、とレオが困惑したようにそう言ったが、ザップはむっとしたま手を動かした。

そして5分後。櫛に絡まっていた髪はどうにか解けた。絡まっていた髪はまあ、見るも無残にくしゃくしゃになっていたが、ザップからすれば大して絡まる前と変わらないのでノーカンだ。ノーカンと言うのも変な言い方だけれど。
「オラ解けたぞコラ感謝しやがれボケ」
「えっ!?あ、解けたんですか!?」
ぱっとこっちを振り向いたレオにうお、とちょっと仰け反る。それはそうだけれど意外にも顔が近くにあってびっくりした。何故俺がこんな陰毛変態眼球クソガキに驚かなきゃなんねんだ、と思いつつも「解けたわ」と言ってレオに櫛を渡す。
「あ、どうも…へえ〜わーありがとうございます。よかった〜もう一生解けないかと思った」
「んなわきゃねーだろバカ。つうか切れよそうなったら」
「あ。まあそりゃそっか」
ありがとうございます、とレオはもう一度言って「あ、なんか絡んでました?」とちょっと眉を下げた。
「何も絡んでねえよ。気のせいだろ」
「ええ〜…?でもなんっか絡んだっていうか、上から振って来たような…」
「鳥のクソじゃねえの?それ」
「げっ」
マジで、というそれにわはは、と笑ってしまう。それはない。何故ならザップがさっきまでレオの髪を弄繰り回していた以上、それはないと分かっている。レオは嘘だということが分かって膨れた。
「…まあいーか。何も絡まってないなら」
「そーだよお前もうめんどいし二度と櫛使うなよ。俺も暇じゃねんだしよ」
そう言うと、レオは苦笑しながら言った。

「そん時は別の人に頼みますって」


―――なんかまたそれが――――
癪に障った。
ぐい、と髪を引っ張ったのでぎゃあ!と当然悲鳴が上がった。「あ」ぱっと慌てて手を放したが、当然レオには「な、な、何すんですか!?」と涙目で訴えられてしまう。その通りだ。何で今髪を引っ張ったんだ。普通に痛いということくらい、ザップにだってわかる。
「…………悪い」
「は」
普通に謝ったせいか、それともザップが呆然としていたせいなのか、レオもぽかんとした顔になった。「え。何?どしたんすか」「……別に」なんでもねえよ、と言ってザップは何かを誤魔化すように煙草をもう一度くわえる。今――――一体。
何に苛立ったのか。
「………?なんかわかんないけど」
ザップさんがいてよかった、とレオは言ってぴょんと立ち上がった。ぴくりと肩が動く。
「俺じゃ解けなかったし。ザップさん手先器用なんでよかったっすよ」
痛かったけど、と言いながらレオはとことこと櫛を手に歩いていく。どうも事務所に置いてあった櫛を借りていたらしい。「…………。」その後ろ姿を見ながら「レオ」と話しかけた。
「なんすか」
きょとんとした様子でレオが振り返る。「…次」「は?」「次だよ次。櫛使う時俺がいる時にしろよ」「は?」なんで、というそれに「また絡んだら切るしかねえぞ」とザップは続ける。レオは「?」という顔をして、「いやでも」と続けた。
「だからザップさん以外に頼みますって」
「それは俺がムカつくんだよ」
「はあ?」
なんで、と言われてすぐには当然答えられない。なぜならザップもなんでムカついているのかわからないせいだ。「……なんか」「はあ」「ムカつくから」「?」答えになってないですけど、とレオは苦笑して、けれどはいはいわかりました、と一応の返事をしてとことこと歩いて行った。
「…………。」
マジでわかってんのかあいつ、とまたしても無性に苛立ちながら、ザップは煙草を吸う。そして―――気が付いた。レオの座っていた場所に、たった一枚。
何かの花びらが落ちている。
それを見てふと思い出した。ああ、そういえば東方のあの島国では、春の始めに吹いた風を「春一番」と呼ぶのだそうだ。春一番。その響きが結構好きで、ザップはそれを聞いた時覚えてしまった。一番というのがナンバーワンだという意味だと知って余計に気に入った。

まさかこれじゃねえだろうな、とレオの髪に絡んだものの正体を疑いながら睨んでいると、後ろから声が聞こえた。

「ザップさーん」

はっとする。なんだか―――それを聞いて、はっとした。理由はやっぱりわからない。
けれど。
後ろを振り返ると、レオが「ねーねーお菓子余ったのありますよ!食いましょうよ!」とはしゃぎながら手を振っている。それを見てなんだかぽかんとした。

こっちを見ている顔を見て、なぜかまるでそこだけ春が来ているみたいだと思った。
レオのちょうど隣にある花瓶に刺さった枝ものから、ひらりと花びらが一枚落ちる。
桜だ。

苛立ちの原因は分からないままだ。けれどなんだかどうでもよかった。笑顔でこっちの名前を呼ぶ後輩は、どうしてかとても暖かく見えた。

ザップさん、というそれに「うるせーな」と言いながらも立ち上がる。菓子ってなんだよ、なんかマドレーヌとか、というレオのところに歩いたザップは気が付かなかった。

自分の髪からひらりと一枚、桜の花びらが落ちたことに。





ザプレオワンドロお題「春一番」(2025/04/06)をお借りした話です。