絶対変な感じ

2023/08/19

※b3pネタバレ 多分単行本収録回まで

ザップさん、という声に振り返る。後輩がジャンプしながら人混みの中で手を振っているのが視界の端に映った。
何やってんじゃあいつは。
珍しく子供っぽいその動作に呆れつつ、何となく嫌な予感を覚えた。案の定、後輩のすぐ後ろにいた男が周囲の仲間たちと目配せし始めたことに気が付く。
やっぱりな、とすぐに踵を返したが、男たちが後輩の肩を引っ張る方が早かった。
あのバカ、と思う時には大抵遅いのだ。


「なんであんなところでジャンプしてんだよ。掲載紙サービスか?」
べし、と頭を打ってきたザップのことを睨んだ後輩は、しかし自分が置かれている状況を思い出したのか、渋々そうに「すみません」と謝った。
「掲載紙サービスっつーのはなんなんすか」
「いんだよんなことは。つかオメーなんか奢れよ。助けてやったんだから」
自然の摂理のように提案したそれを、「嫌です。それとこれとは全然別問題っすよ」とレオは冷たくあしらった。ふてえ野郎だ、と不満を抱くザップの隣で、レオはまだ痛そうに頬を冷やしている。いちゃもんをつけてきた男がレオを殴ったのだ。
しかしその直後に男の身体もビルの壁面に叩きつけられていたので、どちらかというとあちらの損害の方が大きいだろう。ついでにビルのガラスが粉々に砕けたので、ザップはレオを抱えてさっさとその場を辞してきた。窓ガラスの弁償なんて、一回きりで十分だ。
一回きりどころか百回くらいは割っているが。

ザップじゃなくても間に合わなかったのは確かだ。
けれどレオは殴られたことについて、ザップに全く文句を言わないので、ザップからすれば変な感じがした。こういうとき、ザップは文句を“言われない”のに慣れていない。それどころかレオはライブラの入り口近くまで逃げてきたザップに「ザップさん、携帯鳴ってます」と全然関係ないことを言ったのだ。
携帯には出なかった。
「あっ、つか今更っすけどマジでありがとうございます。危なかったです」
「あ?あ、そうだよ。助けてやったんだしなんか奢れよ」
もう一回同じことを言ってみたが、レオは「だからそれとこれとは別なの」とやはり冷たくザップの要求を跳ねのけた。あんだよ、とザップは顔を顰める。言っていることがむちゃくちゃであるということは分かっていたが、ケチだなと酷いことを思った。

ライブラで応急手当てをすることにしたが、頼みの綱であるギルベルトは不在だった。仕方ないので救急箱から適当に薬だの包帯だのを見繕う。後からこういうのって請求されるんかな、とザップはまた弁済のことを考えたが、レオが「任務中だったら労災だったんだけどな」とぼそりと呟いたのを聞いて、それもどうなんだ、と思う。表情にそれが出たのか、レオは「冗談っすよ冗談」と慌てたように手を振った。果たして顔は、殴られたせいだけではなく、引き攣っている。
「…あー、じんじんする……やだな〜。腫れそう」
「つかもう腫れてんじゃん」
呆れてそう言ったザップに、「ええ」とレオは何故か絶望的な声を出した。「腫れてますか?」「腫れてるって。つか今は赤いけど後から青くなるぜそれ」「ええ」またレオは絶望的な声を上げる。
ついぞ顔のことなんか気にしているところを見たことがなかったので、不思議に思った。
「あんだよ。元々潰れてんだしいいじゃねーかどうなったって」
「今日助けてくれたのでそれは聞かなかったことにします。バイトですよバイト。俺接客だから」
後半のそれにああ、と思い至った。レオはドギモ・ピザでバイトをしている。接客するのに顔が腫れていては仕事にならない、ということだろう。ピザを届けにきた店員の顔が腫れているのは、確かに、なんかとてもイヤだ。
「ゆーてお前んとこどーせいつも人足りてねえんだろ。その顔でもイケんじゃね」
つか元々の顔でもイケんだし大丈夫だろ、と真顔で言ってみたがレオはそれを見事にスルーした。「いけないっす流石に。…あ、でも湿布張っとけば大丈夫かも」ふと思いついたようにレオはそう言ったが、表情を変えたことにより多少傷に響いたらしい。
「あてっ……って〜〜〜…うう〜〜〜いてえ〜〜〜…」
顔を顰めた後輩を見て、「湿布ねえ」とザップはどうでもよさそうに、そしてその実どうでもよかったのでどうでもよくそう言った。復唱しただけとも言う。
「…もういーかなぁ。湿布」
ありましたよね、とがさごそ薬箱の中を片手で漁っている後輩を横目で見て、仕方なしにザップは薬箱の中に手を伸ばした。「あ」「怪我人はすっこんでろって。俺が怒られるだろ」
レオの視線を感じたが、ザップは無言で薬箱の中身をかき回すようにして湿布を探した。大して大きくもなく、しかもかき回すほどの体積すらない薬箱の中身をこうも探さなくてはならないのは、ひとえに一方的な気まずさのせいだ。
言い訳をしないと後輩を助けるのにも一苦労だ。
俺が怒られる、という最近使うようになった言い訳は、最早使い古された流行語にすら聞こえる。そのくらい、何回も使っている言い訳だからだ。
今までレオはそれにツッコミを入れたことがなかったし、恐らくこれからもないだろうとザップは踏んでいる。ザップもそうだという自覚はあったが、レオもレオでそんなに素直な少年ではなかったからだ。特に、ザップに対して。
それがどういう意味を持つのかは考えたことがなかった。
というか、考えすら及んでいない。
「あの」
しかしザップの目論見は外れた。呟くようなレオのそれと同時に湿布を探し当てて、「あ?」とわざとぶっきら棒に言いながらザップは顔を上げた。
レオはまっすぐこっちを見ていたので少し狼狽える。
何で俺が狼狽えなきゃなんねーんだ、とも思った。
「怒らないでほしいんですけど」
嫌いな前置きだ。「怒りてえ時は怒るぞ」「そこはなんとか」怒らないでほしいんですけど、とレオは苦笑すると「あの」ともう一回同じことを言った。言いにくそうだ。
「なんだよ。腹でもいてーんか」
そういう顔だと思ったのだ。湿布の入ったアルミの袋を乱暴に開ける。「違いますよ」とレオはちょっと拗ねた様子で言うと、「あのですね」とまた繰り返した。
「だからなんだっつーの。オラこっち向けよ」
乱暴に開けた袋から、乱暴に湿布を取り出す。湿布を貼るようなレベルの怪我は余りしたことがなかったので、少し準備に手間取った。湿布を貼る以上のレベルの怪我の方が多い。
レオは黙って「あ、はい」と頷いて少し身を乗り出した。元々こっちを向いていたんだった、とザップは今更失言に気が付き、しかし失言というほどでもなかったな、と思い直す。湿布の裏側にある薄いフィルムを半分剥がして、抓むようにして持つ。
「……ザップさんって」
「ああ?つか貼る時に喋るなよお前」
前半の乱暴な口調は照れ隠しでもあったが、後半は結構真面目にそう思った。喋られると、頬に湿布を貼る時には困る。
レオは「あ、ごめんなさい」と謝り、しかしすぐに口を利いたことに気が付いたらしい。「あ。喋っちゃった」「喋っちゃった、じゃねえよ。アホか」ぺし、と額を小突く。イテ、とレオが額を押さえた。
「いーか。動くなよ」
「あ、はい」
漸く大人しくなったレオの頬にそろそろと湿布を持ってきたが、よくよく考えると他人に湿布を貼るなんて行為初めてだったから、正解がよくわからなかった。レオの顎を片手でがし、と掴んで固定すると、「ぎゃっ」と悲鳴が上がる。
「あのあのあのザップさん。いいっすよそんなちゃんと貼ろうとしなくて」
「ちゃんと貼らんでどーすんだよ。いいからお前動くなよ」
「言われなくても、動けないっすよこんなの」
そういやさっきこいつは何を言いかけていたんだ、と慎重に湿布を貼りながら気が付いた。レオは眼を瞑って大人しくしているが、眉間に皺が寄っている。変な顔してんな、とまじまじと顔を見つめてしまう。
なぜかその顔を見て、こいつとの付き合いも長くなったな、とふと思った。レオがライブラに入ってから、どのくらいの期間が流れたかは記憶がおぼろげだが、つまりそのくらい、レオはザップの生活に入り込んでいる。
レオからすれば逆だ、とでも言うかもしれない。
なんか変な感じだな、と思った。多分、レオはいずれ生家に帰るのだろうし、義眼のことがなんとかなるかどうかは正直ザップにも分からないが、しかしレオが一生ヘルサレムズ・ロットにいるとは到底思えなかった。
ザップは不確定なことを考えるのは余り好きではない。好きではないというか、嫌いだ。
その上、その不確定なことで落ち込むというのはもっと嫌いだ。面倒なのだ。
ただ、レオがいない日常というのは余り想像できなかった。変な話だ。たかだか、少なくとも3年前にはレオはこの街にはいなかったのに。
そして決まって、レオがいない日常を考えるとザップはなんだか変な感じになるのだ。変な感じってなんだよと言われても困る。困るが、ともかく変な感じがする。

レオ、と呼んでも返事が来ないことなんて、考えられなかった。
考えられないというより、考えたくない。
なんですかザップさん、と返事をするレオの表情がどんなものでも、ザップは好きだったからだ。

湿布と肌の間に髪が巻き込まれないか注意を払うのが面倒になり、結局最終的にはばしん、と乱暴に手を叩きつけるようにして湿布を貼ってしまった。あ、と思った時にはもう遅い。
「いってぇ!!」
「あっ。わりーわりー」
「な、なな、なにするんですか!?痛いじゃないすか!」
痛い痛い、とレオは喚くだけあって、確かに涙目になっていた。「んなことで泣くんじゃねえよ」「原因が言うことかなあ!?いって〜〜〜!」じんじんする、と言いながら頬を押さえているレオのことを無意味に睨んでしまった。むしろ睨みたいのはレオだろう。
「んじゃこれで終わりな」
湿布やその他を薬箱に雑に詰め込んだザップの横で、レオはソファに倒れ伏して呻いている。なぜかさっきより量が減った筈の薬箱の蓋が上手く閉まらず、四苦八苦しているザップの横で、レオは暫く呻いていた。
「おい。テメーがそんな感じだと俺が悪いみてーじゃん。折角助けてやって手当までしてやったのによ」
蓋が閉まらないのでその辺からテープを持ってきた。どさ、と勢いよくソファに腰を下ろしたあと、そういや一回こいつの顔に着席したことがあったなと思い出した。流石に今回それをまたやったら本当に潰れるだろう。
案の定レオは呻きながら「酷いじゃないですか〜」といまだ涙目で訴えた。しつけーな、とかなり理不尽なことを思う。
「どーせ湿布貼ったんだしすぐ治るっつーに。つかそれじゃ俺が殴ったみてーじゃねえか」
「似たようなもんじゃん…」
よろよろとレオは起き上がると、ソファの上に正座するようにしてちょこんと座った。「痛いっすよ。ここ」頬を押さえながら不満そうにそう口にするが、どうやらさっきよりはマシになったらしい。それでもまだ眼には涙が光っていた。
「だから悪かったっつーに。悪かった悪かった」
「も〜。ほんとに痛いんですよ。他人事だと思って」
口を尖らせた後輩は、「でもまあ、どうもありがとうございます」と不承不承礼を言った。元々礼を言う事に抵抗はなさそうだったが、つい今乱暴に湿布を貼られたことにより礼を言う気力を削がれたらしい。
このタイミングでの礼を予想していなかったので多少固まった。しかしそれも0.2秒程度のことだったから、「おし、んじゃ奢れよ」とすぐ言い返すことができる。レオは露骨に顔を顰めると、「だからそれとこれは別っすよ」と今までと同じように突っぱねた。ちぇ、とザップこそ口を尖らせる。中々、この後輩は手ごわい。
「あの、あと」
レオはしかしその後付け加えるようにぼそりと呟いた。そういえば、とまた思い出す。レオはさっき、湿布を貼る直前くらいに何か言おうとしていたのだ。
「怒らないでほしいんすけど」
またそれか、というザップのそれをすぐ見抜いたのか、「あ、いやザップさんが怒りたかったら、仕方ないけど」とレオは仕方なさそうに付け加えた。意味不明だ。流石にザップも怪訝に思う。
「あの、…あのー、これは俺が勝手に思っていることなので、あの、本当に気にしないでほしいんですけど。ちょっとしか」
「ちょっとってなんだ。つか回りくどいぞオメー」
早よ言えよ、と言いながらいつものようにレオの頬に手を伸ばし、しかしさっきまでこねくり回していた湿布側の頬を抓るわけにもいかない、と気が付いて中途半端なところで手が止まった。もう片方の手で反対側の頬を抓ればいいものだが、今更手を変更してまで頬を抓るのもなんだかおかしい。行き場を失った手を、ソファの背凭れに置いた。
「あの」
レオはそこで漸く意を決したようにして口を開いた。
「最近なんか優しくないですか?俺に」
「………は?」
予想外のそれにぎょっとして、口を開けてしまう。ぽかん、という擬音がこれほど似合う状況を経験したことがない気がした。
3年以上はヘルサレムズ・ロットにいるくせに。
世界は何でも起こるはずなのに。
レオは多少顔を赤くして、「いやあの」と狼狽えながら呟いた。「ちが、違いますよ俺の、俺の勘違いとかで済むならそれでいいけど。でもマジで最近普通にザップさん優しいから」
なんかあるのかなって思ったんです、と早口で続けられてまた「はあ?」と言ってしまう。
「…ちょ待てよ。俺が昔から優しいなんざフツーのことだろ。どうかしてんじゃねえのかお前」
「どうかしてるのは前半のザップさんの意見だと思いますけど」
そこでレオは顔を引き攣らせて、しかし少しは緊張が解けた様子だ。「そうじゃなくて。まあ、その前から多少なりとも優しいなー、と思うことはないでもなかったですけど」
回りくどいその言い方に、「どっちだよ」と思わず言ってしまう。言いながら、優しいよね、と言われていると同義だと気が付いて無性にむず痒くなった。

別に優しいと言われることに抵抗はない。
言ってきた相手に抵抗があるのだ。

「あ、ちげーぞ俺が優しくねえっつってんじゃねーからな。俺は昔からすげえ優しいのはフツーのことじゃねえか」
さっきも言ったそれに、レオは「はあ。まあ」と不服そうに相槌を打った。お互い、言っていることはめちゃくちゃだが、何となく言いたいことが分かるのが恐ろしい。
「今更なんだよ。てゆか別にオメーに優しくした覚えはねえぞ俺は」
昔から優しいけどな、としつこいくらいに付け加えたせいか、「もうそれは分かりました分かりました」とレオは手をこっちに突き出してきた。
「そーいうことではなくですね、なんか、最近っすよ。急にでもないけど。今もなんか助けてくれたし湿布貼ってくれたし」
優しいじゃないですか、と吹っ切れた様子でレオはきっぱりと言った。「なんかあったんですか?」
さっきも聞かれたそれに変な顔をして、「なんかってなんだよ」とザップは反対に聞いてしまう。そのくらい、「なんか」の理由が思いつかなかった。第一、ザップからすればレオに優しくした覚えはない。
反対に問いかけられたレオは「それはその」とまた一瞬口ごもったが、結局困ったような顔をして、「えーっと。なんかどっか行っちゃうとか」と酷く曖昧なことを言った。

なんかどっか、ってどこなんだ。

ザップが聞きたくなるほど曖昧なそれに、「いや違くて」とレオは弁明すると、「どっかって、なんかライブラって他にも支部とかあるんでしょ?」と続けた。
「あー…よく知んねーけど。あんじゃね。ここだけっつーことはねえだろ」
「えっ。知らないの?」
ザップさんでも?と言うそれに多少気分が良くなるが、知らないものは知らない。「知らん。つか俺もここ入ったの3年くれー前だし」
「あ、そうなんすか。元々いたわけじゃないんだ」
「いねーよ。それまで俺ァあの襤褸雑巾に引きずり回されてたんだからよ」
ああ、とレオの顔が綻ぶ。なぜそこでそんな顔をされるのか理解できず、むしゃくしゃしたので今度こそ湿布を貼っていない方の頬を軽く抓った。「いひゃい」恐らく顔を歪ませたレオは、呻き声を上げる。湿布のせいで表情が読みにくい。
「なんだ。じゃあどっか行くんじゃないんだ」
ザップが渋々頬から手を離したあと、レオは今度こそほっとしたようにそう言った。その『どっか行く』という意味が分からず、「どーいう意味だ」とつい聞いてしまう。
曖昧な言い方もよく分からなかったし。
『どこか』が一体どこなのかも分からない。
大体、なぜザップがレオに優しくしたからといってどこかに行く必要があるのだろうか。
ザップ自身は優しくしているつもりは毛頭ないのだが。
レオは「えーっと」とさっきまでと同じように、言いにくそうにそう呟くと、「いや、なんか」ともごもごと続けた。
「どっか行っちゃうから、餞別っていうか、なんつーの?最後くらい優しくした方がいいかなー、みたいな理由で優しいのかなって」
「はあ?」
呆気に取られた声を上げるのは二度目だったが、今度のレオはめげなかった。こっちをまっすぐに見る表情は、どうやら決意に満ちている。
「だから、言ったとおりっすよ。どっか…まあどこでもいいっすけど、ヘルサレムズ・ロットからどっか行かされるのかなって思ったの。俺は。ザップさんが。そんで、暫くっつーか、もう会えないかもしんないから優しくなったのかなーって」
そんだけです、と一気に言ってレオはプイとそっぽを向いた。そっぽ、というか正面に向き直ったのだ。ザップからは、横顔が――湿布を貼った頬の側が見える。
「……オメー」
思ってたよりアホだな、と言ったせいで、レオは「ひどくね?」と言いながらまたこっちを振り返った。頬は半分以上湿布に覆われているが、それでもほんの少し、顔が赤いということは見て取れる。自分でも失言だったと分かってはいるらしい。
ザップは盛大に溜息を吐くと、もう一度、湿布が貼られていない側にあるレオの頬をぐい、と引っ張った。うええ、と呻き声が上がる。
「行かねーよ。つかこのスーパー天才な俺ちゃんがいなくなったらどーすんだよライブラは。潰れるだろーが」
「いにゃ、潰れはしにゃいとおも、いま、あのっ、」
痛い、と涙目で言われたので仕方なく指を離した。さっきも抓ったせいでまだ痛みが残っていたらしい。いてえ、とレオは頬を擦っている。
「……じゃあ」
いるんですよねここに、と念押しするようにレオは聞いた。思ったよりも真剣な顔に少し怯んだものの、「いるわ」とザップは断言する。少し気まずくなって、今度はザップが目を逸らした。
いるもいないも何もない。ザップは師匠から無理矢理ここに送り込まれたのだから、ここから出るなんていう指示をライブラがしてくるとは思えなかった。
「つかお前」
「はい?」
薬箱を片付け直しているレオは、ザップが無理矢理蓋に張り付けたテープを雑に剥がしていた。あまりに酷いので片付け直しているのだ。
「俺がいた方が嬉しいんだな。ほー。そーかそーか。殊勝な心掛けじゃねえか」
にやにやしながらポケットから葉巻を引っ張り出した。おしこのネタで暫くからかっちゃろ、とかあわよくば飯とか茶とか奢らせたろ、などと酷いことを考えていた。違いますよそういうことじゃなくて、と口を尖らせて不満を言う後輩の顔が、ありありと浮かぶ。
しかし。
「当たり前でしょ」
その声にライターを取り出した手をぴたりと止める。のろのろと顔を上げたが、レオは真剣な顔で薬箱の中身を一つ一つ取り出し、テーブルの上に並べていた。

「そりゃそうっすよ。ザップさんがいた方がいいに決まってるじゃないですか」

「…………………、」
思わず黙る。返事をしなかったのではなく、返事が出来なかった。予想外に、けれどきっぱりとした口調で力強くそう断言したレオに、驚いたせいだ。そんなふうに言われるとは思ってもみなかった。
ザップが黙っているせいで、聞こえなかったと思ったのか、それともそれ以外の理由でなのか、レオは薬を手にしたまま、恐る恐るこっちを向いた。
ザップが固まっているのを見て、レオはそこで困ったように笑った。「そりゃ、決まってるでしょ」と繰り返される。
「絶対、ザップさんがいた方がいいです。…マジで」
しつこいくらいにそうレオは繰り返して、それから再び薬箱の方に目を戻した。テーブルの上に並べられた包帯や鋏、湿布や頭痛薬が無造作に薬箱に戻されていく。
レオはその間無言だったが、ザップも無言だった。何をどう言えばいいのか分からなかったせいだ。
結局、レオは薬を片付け終わると薬箱を手にして、所定の位置に戻しに行った。
その後ろ姿をぼうっと見つめて、ザップは首を傾げる。――――絶対。
いた方がいいに決まってる、と言ったレオのそれが、なぜか酷く耳に残った。


別に優しくしたつもりは全然なかったが、なんとなくザップはその日家までレオを送って行った。送って行くというか、そのまま泊まったので体のいい宿泊場所みたいなものだ、とザップは考えている。普段文句を言うレオは、やっぱりその日も文句を言った。いきなり決めないでください、とか俺の家は宿泊所ではない、とかそういうことだ。
「んっだよオメーよ。俺がいねーと困るって言っただろ」
「そこまでは言ってません。いた方が良いって言ったんです」
同じじゃん、微妙に違うでしょ、とどうでもいいようなことで、その実結構大事なことで揉めながら、でも結局レオは最終的に、いつもと同じくザップに半分ベッドを貸してくれる。おやすみなさい、と言って先に寝てしまった後輩は、すやすやと無邪気に寝息を立てていた。
窓枠に腰掛けながら、ぼーっとその寝顔を見た。
「……けっ。俺じゃなくてどーせいなくなるのはオメーのくせに」
ばーか、と悪態を吐いて外に向けて煙を吐き出した。馬鹿馬鹿しい。
先のことを考えるのは嫌いだし、その先のことで落ち込むのはもっと嫌いだ。

夜空に溶ける煙を見ながら考えた。
その時、いつかその時が来たとして、多分ザップは「じゃーな」としか言わないだろうし、レオも多分そういう感じなんだと思う。そりゃまあ、一応そこそこ付き合いはあるのだから、名残惜しいような雰囲気にはなるだろうが、お互い湿っぽいのはそんなに得意ではない。
―――ただその時。
その時、まだレオが「ザップさんがいた方がいい」と思っていたら。
…思っていたら。

「…………は〜〜〜〜…」
寝よ、と馬鹿馬鹿しくなって窓を閉めた。寝たばこは絶対駄目、と言われているせいでもないが、仕方なく灰皿に葉巻を押し付けて煙を消す。あまりにザップが来るせいか、レオがついに灰皿を用意するようになったのだ。
ベッドの真ん中まで転がってきたレオを壁際に押しのけると、「うう」と呻き声を上げたものの、レオは起きなかった。眉間に皺を寄せて唸ったまま、寝息を立てている。
「…………俺がどっか行くわけねーじゃん」
このバカ、と悪態を吐いてぺん、と頬を軽く叩いて気が付いた。「あ」湿布が貼ってある方を叩いてしまった。案の定、レオは「いてっ」とびっくりした様子で声を上げて、何がなんだか分かっていない様子で眼を開けた、らしい。半覚醒状態だ。
またぎゃあぎゃあ喚くぞコイツ、とザップは身構える。喚くというか、普通にザップが悪い。
寝ぼけ眼のレオがじっとザップを見上げている。
「……………なんだ…ザップさんか……」
なんだとはなんだ、と多少肩透かしを食らい、ザップは「あ?」と言ってしまった。ふと、どこかの国で聞いた寝言と会話してはいけない、という迷信が頭を掠める。
レオはそこでなぜかへにゃ、と笑った。笑うというか、ほっとした様子にザップには見えた。あまり見たことがない、と思ったあと、知らんけどと付け加える。誰に対しての言い訳なのかは定かではない。
「………よかったぁ………、………いなくなるかとおもった………」
そうレオは呟いた後、すぐ横に突いてあったザップの手をぎゅう、と握って身体を丸め、眠ってしまった。さっきと同様に健やかな寝息が聞こえてくる。
「……………だから」
いなくなんねーよ、と半分以上怒った声でザップは返事をして、そしてそのままベッドに潜り込んだ。すぐ横に寝ているレオの寝息が聞こえきて、無性に腹が立った。なんだよテメー。ふざけんなこのバカ。クソチビ。陰毛頭。変態眼球の癖にこの野郎。いなくなるのはオメーの癖に、ふざけんなマジで。
脳内で悪態を吐きまくりながら、マジでムカつく、とザップは目を瞑った。腹が立っても眠気はやってくる。長年の経験でそれを分かってはいたものの、隣から聞こえるレオの寝息がその長年の経験を妨げてきて苛々し、そして眠れないことにも苛々し、更にさっきのレオの寝言にも苛々して、けれどどうにか無理矢理眠りについた。


目覚めてもレオはザップの手を掴んだままだったので、黙って無理矢理手を離した。「…けっ」悪態を吐いてベッドから降りる。黙って窓を開けると、いつもの霧の街が広がっていた。
ぐっすりと眠っているらしいレオの顔を見て、やっぱりまたむっとした。眠っても起きても同じだ。
何がいた方がいい、だ。そりゃ俺はいなくなんねーからお前はいいかも知れねーけどよ。

「………んじゃ俺はどーすんだよ。バカ」

拗ねた声でそう呟いたけれど、当然誰も返事をしない。ただ何となく、自分が感じていた“変な感じ”の正体が分かった気がして、ザップは益々苛々した。
代わりに背後のベッドから、すやすやと可愛くない後輩の寝息が聞こえた。