偶然が為せる野暮な話

2022/09/29


ともかくその日の朝「それ」だけでも実行できたのは幸いだった。


クラウス・V・ラインヘルツのその日の予定は先週から決まっていた。
こと流動的な秘密結社の長を務めているためか、予定が予定通り進むことは多くはない。やれ茶会の予定の間にどこぞの何かが脱獄しただとか、やれガーデニングサークルの集まりの日に何かがスーパーマーケットを占拠しただとか、やれ人狼局の会合の日にテレビジョンの電波がジャックされタダとか―――枚挙に暇がなく数えることすら莫迦莫迦しいくらいのイレギュラーが、毎日起こる。さしものクラウスも、これでは予定があってもなくても余り変わらないのでは、と一度だけ考えてしまったことすら、ある。その程度にはイレギュラーなことばかりの毎日だった。

だからその日、朝執事のギルベルトが入れてくれた紅茶をゆっくりと味わうことが出来たのは、僥倖だったのだろう。何しろその後の予定に移る途中でクラウスは”それ”を目撃してしまった。
自分の部下が交番に連行されていく姿に。


ぶすくれた顔で机に足を載せている部下に「ザップ」とクラウスはいつもと変わらず話しかけた。
「足を下ろしたまえ。机が汚れてしまう」
「けっ。んっな礼儀正しくする場所でもねえだろこんなうすぎたねー場所でよ。俺ァどーせあと1時間もすりゃ豚箱行きだぜ。だりーことだりーこと」
「ザップ。確かにこの場所が清掃が行き届いているとは言い難いが―――しかしそれを聞こえよがしに言うことは礼儀に反する。足を下ろしたまえ」
自分たち2人が入っている小さな部屋の前に立っている警官らしい男がこちらを振り返ったのが見えた。ぺこりと小さく会釈をしたクラウスだったが、警官は眉を吊り上げてこちらに中指を立てている。何かまずいことを言っただろうか、とクラウスは少し困った。
「…………。」
ザップは椅子を揺らしながら警官の方を見ていたが、中指を立てられたことがどうやらおかしかったらしい。わはは、と思いきり爆笑して足を下ろした。警官は明らかに気分を害したようで、プイと正面を向いてしまった。
「…ともあれ―――君が理由もなく暴力を振るうとは考え難い。何があったのか話してはくれないのか」
「あのなあ旦那。誰に向かって言ってんだよ」
呆れたようにそう言われて、クラウスはきょとんとした。「君―――しかいないと…もしやここに誰かいるのか」後半は少し小声で言ったクラウスに、「いやちげーけど。そーいう話じゃ――あーもうやりづれーなマジで」とザップは意味不明なことを言うと頭を掻いた。益々クラウスはきょとんとしてしまう。
たまにこの男とはこうしたことが起きた。こちらは至って真面目に話をしているつもりなのだが、ザップからすればそれはどうも”ふざけたこと”に映るらしい。困る。それはもちろん、クラウスも冗談の類は知っているが、自分で上手く扱えた例がない。しかも日常会話でそれを飛ばすということもやり慣れない。やはり困る。
ただどうもザップ曰く、こちらに冗談を期待しているわけではないらしい。それを聞いた時益々戸惑った。ザップからすればそれは当然のことだったらしく、爆笑しながら「そういうことじゃない」と言われたためだ。じゃあどういうことだったのか。それはいまだに聞けていない。
「…しかしザップ。君がなぜ彼らに…私も先程会ってきたが…暴力を振るったのか、それを正直に言ってくれないと正常な判断が出来ないだろう。猶予はそんなにない」
「だから言っただろ?路地裏歩いてたらあいつらが正面からやってきて道を譲らねえからボコったんだよ。んで終わりだ終わり」
めんどくせーからさっさとしょっぴいてくんねえかな、とザップは恐ろしいことを言うと、怠そうに机の上に肘を突くともそもそと内ポケットを探った。顔を顰める。「ザップ。ここは禁煙だ」「…ちっ」クソじゃねえか、とザップはまた悪態を吐いて天井を仰いだ。
禁煙の筈なのになぜかこの部屋は煙草臭かった。

ざっと説明するとそういうことだった。
たまたまクラウスが次の予定地に移動している最中、ザップが交番にずるずると引きずられているところを発見してしまった。いや目撃したと言った方がいいか。慌てて車を止めてクラウスは交番へと足を走らせた。幸い、次の予定はそう急ぐものではない。なんとか一時間くらいは猶予があった。
聞けばザップは異界人と非異界人(つまり人間だ)計数人をタコ殴りにしているところを警邏中の警官にたまたま発見され、無理矢理交番までつれてこられたらしい。いかに無法地帯のヘルサレムズ・ロットとはいえ、目の前で他人をタコ殴りにしていれば現行犯だ。

その場にはザップにボコボコにされた数人と、ザップしかいなかったらしい。
しかもその数人の財布はザップの上着の中にしっかり収まっていた―――らしい。
障害と窃盗の現行犯、という罪状を聞いてもザップは「だろーな」としか言わなかった。
クラウスはそれが解せなかった。だから――――だから警官が猶予をくれている一時間、ここでザップの話を聞くことにしたのだ。特に面識はない相手だったが、クラウスが話をしてみたところ快くこちらの要望を受けてくれた。背後でザップが人たらしめ、と毒づいていたのは、聞こえなかった。

「…ともかく旦那。いーから次の予定とかあんだろ?ちゃっちゃと行ってこいよ。俺はこーいうの慣れてっし全然オッケーだからよ。後から俺がスターフェイズさんにどやされるのはごめんだかんな」
「スティーブンがこの場にいても私に急げとは言わなかっただろう。彼も仲間を人一倍重んじている」
本気で言ってるとこがコエーよ、とザップは呆れたように言うと、「だから言ってんだろ」と繰り返した。
「何度も言うけどよ、俺はあいつらボコってカツアゲしただけだって。しかも死なねえ程度にやってやったんだから感謝してほしいくれーだぞ。財布の中身もしけたもんだったしよ」
「ザップ。君も理解しているとは思うが、他人の財布を勝手に盗るのは―――犯罪なのだ」
眉を下げてそう言ったせいか、ザップはそこで呻くような声を出すと、「わーってるよんなこたー」と嫌そうに言った。罪悪感の発露かとクラウスは思ったが、それは教師に同じことを何度も言われてうんざりしている子供のそれにそっくりだった。
「俺がわりーのはわかってんだって。あとはテキトーに俺もやっとくからよ。ちゃんと夕方には事務所行くって」
「そういう―――話ではないのだ。ザップ。私も何度も言うようだが、君が―――いや、違うな」
そこでクラウスが言い淀んだので、ザップが「ああ?」と天井に向けていた眼をこちらに戻した。「なんだよ旦那。珍しく煮え切らねえな」「君は―――嘘を吐いているというよりは」そこでクラウスは言いながらその”事実”に気が付いた。
「君は嘘をついてはいない。ただ、何かを隠している」
「………………。」
言いながら少し嫌な気分になった。悪事を暴く名探偵のような役割になった気がしたからだ。たまに読む推理小説は嫌いではなかったが、自分には探偵役は務まらないな、と随所で思った。恐らく何から何までも暴いてしまうというのは自分の柄ではない。
秘密は秘密のまま残しておいてもいいと思う。
ザップは嫌そうな顔をして、「隠してねえよ」とやはり嫌そうにクラウスから眼を逸らしてそう言った。隠し事がそこまで上手いという印象もなかったが、この反応にクラウスはやや意外に思う。どうやらザップ自身も好きでしていることではないように―――見えた。
「…君は―――何か、たとえば脅されるか何かして―――彼らを?」
「はあ?だからちげーって。俺ァただカツアゲしただけだっつってんだろ」
「………………。」
そもそもそれがおかしいのだ、とクラウスはゆっくりと机の上で組んでいた指を少し動かした。「君は最初、彼らが道を譲らなかったからと言っていたが」「んなこと言ったか?言葉の綾だよ」早口で言いながら眼を合わせようとしないザップに、やはりクラウスは思う。これは―――嘘を吐いている。
先程は嘘はついていない、と判断したが、今は違う。はっきりと嘘を吐いた。
流石に秘密結社の長をやるにあたり、一応読心術の類はひととおり学んだのだ。ただこれはどうもクラウスには向いていなかったから、せいぜいできるのは一般人相手くらいだ。だからザップ相手にはどうにもうまくいくはずがないのだが、今のは分かった。
道を譲らなかったから相手を殴ったというのは、嘘だ。
「…それでは君は最初から彼らの財布を、もとい現金を奪うために近づいたと?」
「だからそうだって言ってんだろ。いくら俺だって一般人相手にんなことするかよ」
呆れたようにそう言われて押し黙る。クラウスはそうだろうな、と思ったが果たしてそれは実際のところ大嘘だった。ザップは既にこの街にきて何千回と一般人相手にカツアゲを敢行している。
「だから旦那。俺が――――」
「いや」
「あ?」
緊急事態以外で珍しくクラウスが言葉を遮ったせいか、ザップが少し驚いたようにそう言った。
「それは―――そうなのだろう。ザップ。しかし君は…やはり嘘を吐いていると、思う。私は」
「はあ〜〜〜?」
ひでえなあ旦那、とザップはもそもそと再び上着の内ポケットを探っている。禁煙だが、クラウスはそれについてはもう触れなかった。
「……怒らないでほしいのだが」
そう前置きをすると、「旦那相手に怒る善人はいねえよ」とザップは嘯いた。実際、クラウスは毎日随所から叱られているし怒られるので、それは冗談が過ぎる、と思う。
「…君はこういう時、大抵自分はやっていない、と言うのではないか」
「は?」
ぎょっとしたようにザップは手を止めた。
酷く心苦しい。しかし言わなければこの男の罪状が明白にならない。ならば、とクラウスは重い口を渋々と開いた。
「君がいたく職務熱心で、強く、しかし奢ることがない男だと私は知っているが――――、しかしこういう状況に陥った時の君は、今までの経験からするとこう…言わないか。『俺はやっていない』と」
「……………。」
ザップはぽかんとした様子で固まっている。心がひどく痛んだが、クラウスは続けた。
「だから―――私はおかしいと思うのだ。君が今、ここで、自分の罪を認めていることに違和感を覚えている。………申し訳ない」
最後にそう言って頭を下げると、ぶは、と噴き出す声がして顔を上げた。
ザップは上半身を反らして爆笑していた。
「ぶゎーっはっはっはっは!!…っ、いや嘘、うっそだろ旦……っわははははは!おいマジかよ旦那んなこと俺に、っやべ笑え、くるじ、わははははは!!」
「…………………冗談を言ったつもりはなかったのだが」
困った。またこのパターンか、と少しばかり苦々しく思いながらそう言うと、ザップはヒーヒーと息をしながらこっちに手を向けていた。どうやら何か言いたいらしい。
「…っ、いや、ちげーよ旦那…!俺、俺は別に怒っちゃ、……あ〜〜俺もおしまいだよな旦那からんなこと言われんのかよマジ、あーマジわら、わらえっ……」
どうやら怒ってはいないらしい。しかし何に笑っているのかは定かではなく、クラウスは益々困惑し―――そしてそれに気が付いた。
「失礼」
電話だ。慌てて取り出して「私だ」と言いながら通話を受ける。背後でザップが爆笑しているのが耳に入った。
『もしもし?クラウスさんですか?』
ツェッドです、と名乗った部下に「そうだ」とだけ応答する。何かあったのだろうか、と不思議に思った。ツェッドから電話を直接もらうことは少なかったからだ。
『そこにいます?うちの兄弟子』
「?そこに―――いるな。私の背後に。今少し苦しそうだが」
『はあ。よくわかりませんけどわかりました。それじゃ伝えていただけますか。レオくんは無事だと』
「レオナルドくん?」
予想だにしなかった名前に思わず反復してしまった。途端に、背後でぴたりとザップが笑うのをやめた気配がする。
『ええ。ちゃんと起きたので大丈夫だと伝えてください。家までは僕が送るので、と』
「ああ―――それは、」
分かったが、と言うと同時に「おい魚類」と突然ザップが通話に割り込んできた。いつの間にか隣に移動していたザップが、スマートフォンの傍で声を張り上げている。流石に驚いた。
「レオは、」
「大丈夫だと言っている」
クラウスが慌てて伝言すると、「あっそ」とザップは非常にどうでもよさそうにそう言うと、スツールの椅子に再び腰をかけて脱力した。「そーですか、と」再びどうでもよさそうにそう言うと、プイとそっぽを向いてしまう。
「…………すまないツェッド。あとでかけ直す」
『いえ僕こそすみません。スティーブンさんにかけたら恐らくクラウスさんだろうと言っていたので。それではまた』
失礼、と言ってクラウスは電話を切る。プツン、という無機質な音がして電話は切れた。
再び机の上に足を投げ出しているザップは、明後日の方を向いている。拗ねたような、嫌そうな、決まり悪そうなその顔を見て、クラウスは何となく彼が隠していたことの見当が付いた。



ありがとうございました、と警官に律義に礼を言ったのはクラウスだけで、ザップは何も言わずむすっとした顔のまま、交番を後にした。
「…レオナルドくんはツェッドが送って行くと言っていた」
「聞いてねーだろ俺は。知らんわ」
あんなクソガキ、と悪態を吐いたザップに、「しかし」とクラウスはつい言ってしまう。「君が―――あそこまで彼らを痛めつけたのは、レオナルドくんのためでは」「だーもうだからやめろってマジで。俺があんな奴らに本気になってボコるか?やるか?やんねーだろ」「それは」本気ではなかったのだろうが、とクラウスもそれには同意し、しかし、と再び口にしてしまう。
それが余計なことなのではないか、と思ってはいたのだが。
野暮に過ぎるとは思っていたのだが。
「……本気になるのは、違う相手にではないのか。ザップくん」
そう言った途端ザップは今日一番嫌そうな顔になった。「……すまない。野暮だった」「どーいう意味だそれは」ザップはそこでなぜかぶは、とまた笑うと漸くという様子で煙草をポケットから取り出した。






zploワンドロお題「本気になる」(2022/07/31)
お題ありがとうございました。