オッケーじゃない
2022/09/29
自分の携帯電話を他人に見せられるか。
度々随所で囁かれる質問だが、少なくとも、「見せてください」と突然言われて「はいどうぞ」とすぐに自分の携帯電話を手渡せる人間がどれほどいるだろうか?そんなには―――いない、とレオナルド・ウォッチはそう思う。赤の他人じゃなくても、たとえば身内であっても自分の携帯電話をすぐに手渡せるほど、レオは自分自身に自信がない。別にやましいことはしていないし、覚えもないが、やっぱりそこは抵抗がある。別に見せてもいいけど、一回は待ってほしい、と思う。そもそも頼まれたりしなければ、自分の携帯を誰かに手渡すということは皆無に等しい。
だからその時レオはぎょっとしたのだ。
余りにも簡単に携帯電話が手渡されたから。
×××
その時のレオナルド・ウォッチは、そこまで複雑な思考を巡らせていたわけではない。というかその思考にはまだ至っていなかった。何しろそこは半分崩れかかった廃工場で、更に自分のすぐ近くで壮絶な戦闘が繰り広げられていたからだ。
ばきばきと何かが壊れる音の隙間を塗って、聞き慣れた男の声がする。
「あ〜〜〜〜ったく邪魔くせーなマジで!!おい陰毛頭クソ雑魚お魚クンはまだ…げほげほげほ」
「息継ぎ出来んくて咳き込むほど続けて罵倒する気力何何すか!?もーちょいだってさっき連絡来てましたけど!」
もうちょいってどんくれーだよ、という怒鳴り声を耳にした気もするが、すぐに銃声でかき消されてしまった。「わわわわわ」レオの方にも跳弾が来るかと思ったが、そこはそれ、どうやらザップが全部弾いてはくれたらしい。ごろごろと転がったレオが今まで隠れていた廃ピアノがばきりと音を立てて折れた。
2人で偵察に行くのはよくあることだったが、偵察に行ったら中ボスだと思ってた敵がラスボスで大ピンチなんですが!?……などという展開は初めてで―――初めてではなかったりするが、いずれにせよ今の状況がピンチであることに変わりはない。ライブラの他の面子は全速力でこっちに向かってはいるが、一番早いツェッドで後5分ほどはかかるらしい。
オルガンがジャーンという音を立ててばらばらに砕けたのが目に入る。「おっしあと5台!!」その声と同時にぴょんと先輩がこっちにやってきた。いきなりのことでレオは「わっ」と声を上げる。びっくりした、と言う間もなく、腕を掴まれて次の瞬間地面から浮く感覚がした。
「わっ……っ、あ、いや待って嘘」
「ぐちゃぐちゃ言ってんなや舌噛むぞ」
ふわりと漂った煙の香りと一緒に自分の身体が空中に浮く感覚がする。幾らこの街にきて何度となくビルの上からダイブしているとはいえ、慣れるものではない。ぎゃあああ、という悲鳴に「うるせぇなあ」とザップが呆れたように呟いた。
着地したのはどうやら工場の二階部分らしい。半壊しているから最早二階というのかもわからないが、ともかくぽいと乱雑に床に放り投げられてレオはごろごろと転がった。「げっ。あいつら奥からまたぞろぞろ出てきたぞ。めんどくせー」「……………。」文句を言う気力がなかった。一階から二階ならまだよかったが、地下二階から二階への大ジャンプは精神と心臓に悪い。
「つか魚類はまだかよ。別に俺ちゃん一人でも全然やれっけどあいつだけ労働しねーのずるくねーか。給料同じだろ給料」
「今そこでそんな話できるザップさんを尊敬しますわ……」
ぐったりしながらそう言ったレオに、「つかオメーピアノとかオルガンの構造調べるっつってたじゃん」とザップは怠そうに煙草の煙を吐いた。今回の敵は楽器が主体とのことだったから、一応調べておこうと道中話していたのだ。
「……、……あ〜〜きもちわる……、…し、調べようとはしたんですけど、……あ〜〜きもちわる…………う〜〜、…僕のスマホアプリ入ってるから温存しておきたくて、うう〜〜吐く吐く吐く」
「っだよ使えねーな」
「………………。」
吐き気を催している後輩に言うとも思えないそれに、レオはがっくりと俯いた。いや期待してもしゃーないけど。つか期待すらしてないけどこの言い草酷くね?僕が悪いのか?いきなり4階分のジャンプをして内臓シェイクされて吐き気を催した僕が悪いのか?助けてくれたのはめちゃくちゃ有難いけど!
「…………………。」
「何つー顔してんだお前。しゃーねえなもー。俺の使えよほら」
そこでぽい、とザップの携帯電話が乱暴に投げ渡された。
「えっ」
レオはぎょっとした。
そこで冒頭に戻る。
あっロックもかけてないんだ、と謎に怯えながらレオは先輩のスマートフォンに、恐る恐る触れた。自分と同じ機種だから操作方法は分かるが、それが益々怖い。ザップだってレオが同機種を使っていると知っているからだ。
「え、え〜〜と…じゃああの、ブラウザ立ち上げますよ?いいんですか?」
「何言ってんだ。いーからさっさとググれって」
「……………。」
いいんだ。いや別に僕もブラウザくらいならいいかもだけど、つか確かにザップさんのロック画面とかホーム画面とか普通のデフォルトのやつだったし、そこまで僕が怯える必要ないんだろうけど、とまた謎のことにレオは怯えてしまう。使っていいと言われたのだから、使っていいんだろうけど。
しかしレオがブラウザを立ち上げた瞬間、ばきんという不穏な音がした。「ん?」「あ?」二人で同時に顔を上げて―――そこでやっと、自分たちがいる対面に動くピアノが移動していることに気が付いた。
「げっ、」
やべ、という声と同時に思いっきり肩を押されて床にたたきつけられる。ぐえ、というレオの悲鳴は弾丸で全部かき消された。さっきまで自分たちが顔を並べていた場所に大きな穴が空いている。
「ったくしつけーな!おいいーか俺はあっち片付けてくるからお前は死ぬなよ!!」
自己責任だ、というめちゃくちゃな事を言うとザップはぴょんとその場から飛び降りた。「えっ待ってスマホ、」「お前が持ってろ!!」そのままザップが対面の崩れかかった部屋へと移動していくのが見える。
「…………はーい…」
敵はどうやら大体ザップの方に向かっている。というのも、相手は動くピアノだから、意思がないし感情もない。何らかの条件があって敵を排斥しているらしいが、なぜかあまりレオは狙われないのだ。条件は不明ながら、恐らくここにいれば安心だろう。だからこそレオがオルガンやピアノの構造を調べる意味があるのだ。
「…え〜〜っと………とりあえず調べよう…」
気を取り直して爆音と雑音と罵声をBGMにしつつ、レオは検索を始めようとした。
始めようとしたのだ。
突然だがここでブラウザの検索機能について説明したい。
ブラウザや検索エンジンにもよるが、前回ブラウザを立ち上げて検索した履歴というのは、残っていることが多い。キャッシュや履歴をわざわざ削除したりしていなければ、大抵は残っている。
直近で検索したワードが、10件くらいは。
×××
すまなかったなザップ、といって律義に頭を下げているクラウスに、「まーこの俺ちゃんがいねーと困るもんな〜」と矢鱈と先輩は機嫌がいい。ばしばしとクラウスの肩を叩いているのを見て、スティーブンとチェインが黙ってすたすたと二人に近寄っていく。
「いででで何すんだよバカ…いてててててやめバカいててててて」
「チェイン、ありがとう。調べてくれて助かった」
「いえ、よかったです間に合って」
「いや俺に間に合ってね…いででででで退けってバカコラ犬女マジで」
ぎゃいぎゃい騒いでいるザップの上からチェインはぴょんと電灯の上に飛び上がった。既に夕刻をとっぷり過ぎている。電灯は煌々と明かりを灯していた。
「よし皆一応手は回したが検問には各自注意してくれ!ミーティングは明朝!」
「皆ご苦労だった。ありがとう」
それじゃ解散、という長と参謀の号令に、各自ばらばらと散っていく。ツェッドが「それじゃ僕はこれで」とスケボーを手にした後ろから、「待て魚類テメー」とザップが声をかけた。
ザップは地面にめり込んでいた。「……………。」「…………。」互いに無言になったレオとツェッドは互いに挨拶を交わす。
「じゃ、また後でレオくん」
「はい、また後で。ツェッドさんもお疲れでした」
手を振って去って行く弟弟子を見ながら、「あのヤローあとで日干しにしてやる」とザップが漸く起き上がった。ばらばらと瓦礫がその辺に散らばっていく。
「あ〜〜〜ったく最後あいつの一人勝ちじゃね?ずるくね?」
「こういうのにずるいとかあるんすか?…で、あのーザップさん、はいこれ」
「あ?」
レオが差し出したスマートフォンを見て「なんでお前が俺のスマホ持ってんの」とザップは心底不思議そうにそう言った。「いやザップさんが俺に渡したんでしょ…構造調べろって…」「あー」そうだったそーだった、と言いながらザップはスマートフォンを受け取ると、特に操作をするでもなくポケットに突っ込んだ。
「あーつっかれたな。おし飯行こーぜ飯。ビビアンちゃんとこかラーメン」
「二択なんですか?んじゃ今日はラーメン」
「俺がラーメンかパスタの気分だからだよ」
「麺類かぁ。んじゃ中華行きましょ中華。最近できたとこ」
博打じゃん、博打好きでしょ、という会話を―――普段通りに交わしているレオナルド・ウォッチだった。だったが、内心めちゃくちゃ混乱していた。
別に毎日進んでいないわけじゃないと思うし、どっちかと言えば進んでいるとは思う。亀の歩みだとしても、亀は後ろに下がれない――というのは妹の談だったが、ともかくレオは一応、多分、少しずつでも先に進んでいるとは思う。
色々なことがだ。
特に手掛かりが見つかっていない妹の眼のことだって、自分の義眼のことだって、それでも多分、この街にいる限り何らかの手掛かりはつかめるんじゃないかな、と思ってはいる。実際一度は掴みかけた手掛かりは、最悪な形で悪意を持ってぶつけられ、更に特に手掛かりも見つけられなかったが、レオの中では何らかの前進にはなったような――――気はする。あくまで、気はするとしか言えないのがレオナルド・ウォッチだった。
だからたまに、たとえば低気圧のように、階段から落ちるように、何かにつまづいて転んだ時のように、呆然とすることがある。
このままこうしていて大丈夫なんだろうかとか、恐らく人生で誰かもが一度はぶち当たるその瞬間に、レオナルド・ウォッチもぶつかる時がある。
それが大体、先週くらいにあった。
色々な要因が重なったり、運が悪かったり、タイミングが悪かったということはあると思う。ただその日その時レオナルド・ウォッチは凹んでいて、そこそこ落ち込んでいた。しかもその日バイトで運んだ先の客と揉めたのもそれに拍車をかけた。疲れもあった。
かといって普通に日は上るし沈むので、レオはその翌日もちゃんとライブラに顔を出したし、仕事もした。けれど数日くらいはちょっと凹んでいたのは確かだ。
レオにとって幸運だったのは、その後ライブラもバイト先も色々と忙しくなって、落ち込んでいる暇がなくなったことだ。その辺を息せき切って走っているうちに、”そんなことにかまけている場合ではない”という気持ちになれたのは、僥倖だった。
その先週の間に不思議なことが幾つかあった。
突然先輩が家にポップコーンを大量に持ってきたりとか、レンタル返却日を既に50日ぶっちぎっているディスクだとか、その辺に落ちていたゲームだとかを持ってきたことだ。
あとは昼だけでなく夕飯に誘われたりとか、どうでもいい話(大体愛人に刺された話だった)を散々されるとか。
普段そういうことをしない男なので、レオは大いに戸惑った。しかも別にザップはレオに気を使うとかそういうことは一切なく、いつもの傍若無人ぶりを発揮してレオの家を荒らしまくり、泊まったり泊まらなかったりして、さっさと帰るのだ。
意味不明だった。
割にレオがそれを嫌だなと思わなかったのは、多分ザップがずっと笑っていたからだろう。
先輩が笑っているところを見るのは、レオは結構好きだったのだ。
その先輩は今やレオの横で「餃子あるといいよなー」などと欠伸をしながら歩いている。さっきまで戦闘をしていたとも思えぬ様子は、どうもレオに戸惑いを与えた。
「餃子とラーメンがセットなのってなんでなんだろーな。シュウマイじゃダメなんか?」
「……………あー、………ははは。そ、……そーですねえ……天津飯もいいですよねえ…」
微妙にずれた回答をしたレオに、ザップは変な顔をしたものの、「まいーや行こうぜさっさと」と言いながら愛車の元へと歩いていく。その後ろ姿を見て、レオはごくりと生唾を飲み込んだ。
――――――まさか。
――――――いやでもまさかそんな。
検索履歴がぐるぐると頭の中を巡っている。まさか、そんな馬鹿な。いやでも、あれは。
「おいレオ!」
「へっ、……は、はい!?」
ぎょっとして顔を上げる。ザップが怪訝な顔でスクーターの鍵を手にしながらこっちを見ていた。
「早よ来いよ!置いてくぞ!!」
「あ、は、はい!行きます行きます!おいてかないでくださいよ!」
特に深い意味はない。ただこんな寂れた廃工場に置いてかれたら色々な意味で大変なことになる。
だから慌ててそう言ったレオに、ザップは「ばーか」といつものようにレオを罵った。
しかしレオはそこでぴたりと足を止めてしまった。
こっちを見ているザップの顔が、
――――笑ってる。
なんだか違って見えたからだ。
一瞬にしてあの、つい小一時間程前に見たばかりの検索履歴が甦る。
『好きな相手 励ます方法』
「………いやいやいやいやいやいや!!!違う違う違う!!俺じゃない!!!」
「うおびびった。こえーよなんだよ!」
いきなりでけー声出すよな、と仰け反るザップを見上げながら、レオは深い溜息を吐いた。
終
zploワンドロお題「慰める」(2022/07/24)より
お題ありがとうございました。