だってお前が言ったんだろ!
2022/05/14
徐行してぴたりとバイクを停車させる。一台赤信号なのにこちらに突っ込んできた車がいて、けれどそのまま空に飛び去って行った。「……はー…」あんな車出たんだなぁ、と思っていたレオの眼の前に警報を鳴らしながら走っていくパトカーが通り過ぎる。
「…………。」
そこの車止まりなさい、いや車なのかあれ、うるせえだまれという騒ぎ声がスピーカーから聞こえてきてちょっと笑った。どうやら違法改造車らしい。そう言われれば羽根が生えてたなあ、などと思う。
「何笑ってんのお前」
どす、という衝撃と同時に頭の上に何かが乗った。「重いっす」「なーにーわーらってんだって」ふざけた口調を維持するのが面倒になったらしい。代わりにこちょこちょと脇腹を擽られて「ひゃあっ」と思わず悲鳴を上げて、身を捩った。
「お前何盛ってんだよ。元ゴッサム・シティの真ん中だぞ」
「ひ、人の脇腹を突然突くからですよ!放して!」
ぎゃはは、とふざけた笑い声が背後から聞こえる。まったくもう、と顔を顰めたレオナルド・ウォッチの後ろに座る先輩は、いまだにレオの脇腹の隣に手を置いていて、正直油断ならなかった。また同じことをされるかもしれない。
目の前の赤信号はまだ変わる気配がない。けれどレオは後ろの先輩に「やめてくださいよホントに。事故るから」と一応そう伝えた。意味があるかないかは分からないが、まあ言わないよりはマシだろう。恐らくは。
「なーお前今日の夜のやつ来んの?」
しかし先輩はそれに返事をせず、今度はレオの肩口に顎を乗せてそう言った。ヘルメットがどうしてもぶつかるので、こつこつと当たる衝撃が煩わしい。「………。」割にレオはどいてとは言わず、いや言えなかったのかもしれないが、ともかくそのままそれに返事をした。
「出たいんですけど、バイトの方が長引くかもしんないんで、無理めかなって」
「そっちブッチして来いよ」
「できるわけないでしょ。労働を何だと思ってんすか」
呆れてそう言ったレオの前で、どうやら反対側の信号が赤になったらしい。「そろそろ出ますよ」ちゃんと座って、と言外に伝えたレオだったが、後ろに座る男は「なー来いよ今日」としつこくそう重ねた。
「お前いねーと絡む相手いなくてつまんねーじゃん」
「いるでしょ。ツェッドさんとか」
ここにツェッドがいたら睨まれそうだ。友人を犠牲にして、というのも変だが、一応脳内でごめんとだけ謝っておいた。
「何で俺があの魚ヤローと飲まなきゃなんねえんだよ。魚は海でゴカイでも食ってろっつーの」
余りに酷すぎる暴言にレオは深い深い溜息を吐いてしまう。こんなことを言いながら、二人が昼ご飯をよく食べに行っていることをレオはよく知っている。
「そういうこと言う人とはもう僕口利きたくありません」
「お〜言ったなコラこのやろ」
途端に脇腹をさっきよりも強く掴まれてこしょぐられたから堪らなかった。
「ぎゃっ、ちょ、やめやめやめ、こらザップさん、ぎゃあ」
「わははは馬鹿め思い知ったかバーカバーカ!」
何を思い知るのかはよくわからないが、その間に信号が変わったことは間違いない。派手なクラクションの音で我に返ったレオは、息も絶え絶えにバイクを漸く発車させた。ぶおん、というエンジン音が耳に響く。
「…っも〜〜〜、ザップさんのせいで事故るとこだったじゃないすか!」
「俺にそうさせたのはオメーだからオメーのせいだろ」
屁理屈を言うザップに言い返す暇もない。そろそろ会合の時間だ、とレオはアクセルを踏み込んだ。
「…っ間に合わないんで行きますよ!」
「えーお前今日の晩は?飲み会来いよー」
「僕に絡まなきゃいいですけ、あっ、こら、やめやめやめ事故…分かった分かった!分かりました!」
そう言った途端、よっしゃという声を聞いて脱力する。呆れてしまった。全く本当にいつも思っていることだけど、子供だこの人は。
自分より5つも年上の男性にそんなことを思うとは夢にも思わなかった。今日のバイト、早く上がれるかな、と思いながらレオはバイクをライブラへと走らせる。
どうやら背後の先輩は機嫌がいい。それに気が付いてちょっと心が跳ねた自分に呆れてしまった。
それってさ、という訝し気な言い方に、ジンジャーエールを注ぐ手を止める。
「のろけじゃない?」
「は?」
「のろけでしょ」
「え?」
淡々としたその指摘に頭が上手く働かず、間抜けな声を出してしまった。「…え?」同じことを再びそう言ったレオに、「だからサー」とK・Kが神妙な顔をする。
「のろけよねそれは。どう考えても」
「そう思うけど」
ねえ、と軽く首を傾げたニーカがくるくると持っていた串焼きを回している。見かけの割に健啖家な彼女は、既に5本のそこそこ大きな串焼きを平らげていた。デザートはまだまだ先らしい。
「のろ……え?のろけでした?今の」
隣のソファに座るK・Kの方に思わず身を乗り出してしまう。「そうねえ」とK・Kは持っていたワインを少し傾けて一口飲むと、微笑ましそうな顔をした。
「のろけだと思うけどねえ。だってそれ、ザップっちがレオっちに飲み会来てって強請ってきたって話じゃない?」
結論として、と纏められて唖然とする。あ、そうなの?そういう感じなの?呆然とした脳にその二文が浮かんだが、すぐに「いやいやいや」と言って持っていたジンジャーエールの瓶ををテーブルに置いた。
「違います。これは愚痴です。来いって言うから平謝りでバイトを何とか早めに抜けて、更にその割に飲み会に来たらツェッドさんに絡みまくってるザップさんに対する愚痴ですよ」
愚痴を堂々と同僚に話すのも情けない気はしたものの、まさに言ったことは真実だった。案の定繁忙期のためバイトは目が回る程忙しく、普段であればレオも馬車馬のように働いたあとに家に帰ってさっさと寝る予定だった。が、今朝方のことがあったので、レオはあらかじめ店長その他に早く上がりたい旨をしつこく伝えており、更に当社比ならぬ当”レオ”比―――通常の倍速で労働したので、目が回るどころか宙に浮くくらい忙しかった。定時になった瞬間お疲れさまでしたと返事を求めない挨拶をし、ロッカールームで着替えてバイクに飛び乗りライブラにやってきた。下手をすると帰宅ラッシュに巻き込まれるからだ。何しろ今日は金曜日の夜、サタデーナイトでなくともフィーバーは起きる。大体、いつもフィーバーしてるような街だから余計だ。
蓋を開けてみたところザップはいるにはいたが、宴会が始まってから交わした会話は一言だけだ。「おーよく来たなしょうもなき民よ」といういつか聞いたそれだった。乾杯のあとザップはツェッドを含むその辺の人々に絡みに行ってしまい、レオはほのかに殺意を覚えたものの、大人なので我慢した。
「大人って君、だってまだ16くらいじゃなかったっけ?」
「19です19」
再来年には成人だ。自分を指さしてそう言ったレオに「すまんすまん」と苦笑いしてスティーブンはすたすたと去って行く。後ろ姿を睨むレオをK・Kが珍しくよしよしと宥めてくれた。ちなみにこの「珍しい」は「スティーブン絡みのこと」に対しての意味なので、K・Kがレオを宥めることはそうそう少なくはない。
「スカーフェイスのことは気にしないのよー。駄目よレオっちあんな根性悪顔だけ男になっちゃ」
「褒めてるのか貶してるのか分かり難いっす」
貶してるわよ勿論、とむっとしたように言ったK・Kの正面に座るニーカですら、一瞬そうかなあという顔になる。感情の動きが読みにくい彼女にしては珍しかったが、レオは目の前に置いてあった串焼きがまた一本消えていることに気を取られてしまった。俺も食べよ、とレオも串焼きを一本手にする。
「ともかくこれは愚痴ですよ愚痴」
そう繰り返して串に刺さっている牛肉を頬張った。久々の肉は感動する程美味しくて、思わず泣きたくなってしまったほどだ。そういえばずっと牛肉なんて食べていなかった。それどころか動物性たんぱく質をいつ最後に食べたのかも思い出せない。
もくもくと無心に牛肉を頬張るレオの横で、「う〜〜〜ん」とK・Kは唸りながら腕組みをする。半分以下になったワインがグラスの中で妖しく揺れていた。
「どう思う?」
「のろけでしょ」
ニーカのはっきりとした答えに、「違います」とレオは言おうとして、しかし牛肉で口内がいっぱいいっぱいだったので出来なかった。代わりにぶんぶんと右腕を振ることによって否定を表現してみたが、ニーカは黙々と串焼きを平らげているので伝わっているか怪しい。代わりにテーブルに座ってコーンを齧っていたソニックが、びっくりした様子で眼を瞬かせた。
「…っ、ちが、違いますよだから。全然。だってほら、折角早く来たのに、ザップさん全然僕に構ってくれないじゃないですか。文句しか出ませんよ」
「構って欲しいんだ?」
鋭い、いやその実大して鋭くもない指摘だったが、レオにとってはアイスピックのように鋭く、フェンシングのように速い攻撃だった。「ぐっ、い、…やそれは」思わず呻いてしまう。ソニックが不思議そうな顔をした。
「…ギリギリ今の今までは、のろけじゃなくて愚痴だったかもしれないけど、今の瞬間でのろけになった」
「そーね。言い逃れはできないわね」
「えええ〜〜……うう…マジかぁ〜〜……」
頭を抱えたレオの横でくすくすと楽しそうな笑い声がする。クソ、と自分自身に悪態を吐いたレオは、仕方なく顔を上げた。赤面していないと切実にそう思いたい。
「…なんか、その、すいません。そんなつもりはなかったんですけど」
「ん?のろけのこと?」
「…はあ…僕はいまだにのろけだとは思っていませんけど、そうです…」
「往生際が悪い」
串焼きの櫛をこちらに向けられそう指摘され、「悪くても愚痴だったんですよ僕的には」とレオは口を尖らせた。多分、もうこれは顔が赤いだろう。色々な意味で赤面した。
「そんじゃさ〜レオっち的にはどーいうのがのろけなの?」
言われたそれに「え」とまた言ってしまう。「のろけ?僕が?」「そこなんだ?」おかしそうに言われて慌てて再びジンジャーエールを飲んで誤魔化した。
「…のろけっていうと…相手の可愛いとことか、こーいうところが好きとか?そういうのじゃないですか?一般的に」
「レオっち的には?今すぐのろけてって言われたらどーするの?」
「断ります」
真顔でそう言うと、「つれないわね」と妙齢の同僚は矢鱈と可愛らしく口を尖らせた。つれなくてもなんでも、他人の前でのろけるという行為に抵抗がある以上、断る他ない。とはいえどうやら既に自分はのろけていたらしいのだが。
「…断れない状況だったらのろけるの?」
だからニーカにそう聞かれて少し困った。「そんな状況考えられないんですけど」「世界は何でも起こるんだからあり得るって」「あり得るかなぁ…」幾ら世界が何でも起きるからと言って、のろけなきゃ殺すとかのろけなきゃ閉じ込めるとか、そんな状況に陥ることが思いつかない。どこの誰がそんな理由で脅すのだろう。
しかしふと隣を見て見ると、K・Kが明らかにわくわくした様子でこっちを見つめている。目が煌めいていた。
「…………言いにくいです…」
「うっそじゃあやっぱり何かあるんでしょ!?ねえねえザップっちのどーいうとこのろけわけ!?レオっち!」
「声!声を小さくしてください!」
如何に騒がしい飲み会であろうと、こんな話題がザップの耳に入りでもしたら目も当てられない。次どんな顔をして会えばいいのか分からなくなる。「ごめんごめん」と軽く謝られたものの、K・Kのその目はレオに催促を告げている。逃げられない。仕方なくレオは口を開いた。
「……えーっと…つ、強いとこ……とか…?」
「疑問形なんだ」
「思ってたより直球ね」
わくついていた雰囲気が一気に消し飛び、しかも結構真面目に突っ込まれてしまった。レオは「もうほっといてくださいよ」と慌てて手を振って誤魔化すことにする。多分また顔は赤い。色々な意味で。
「二人の時は優しいんですよ、とか言われると思ってたわあたし」
「あ〜、あーいうタイプってそういうことするね」
「二人の時に優しくされたことはないです。というか普段から優しくされたことはないです」
酷いわねえ、とそれでも笑いながらいつの間にか二つ目のワインの栓を開けたK・Kは、しかしそこで「あら」とソファの向こうが側を見てぱっと輝くような笑顔になった。クラウスさんかな、と振り返ったレオは、予想外の存在にぎょっとする。
「ザップさん」
直後ぽんと頭に手をのせられて「わっ」と悲鳴を上げた。
「姐さん。あっちで人狼局が探してましたよ。飲みてーとかなんとか」
ぐいと自分の背後を親指で指し示したザップに、「ホント?ありがとザップっち」とK・Kは立ち上がって嬉々として歩いて行った。きっちりワイン瓶を手にしたまま行ってしまったあたり、しっかりしている。
ぐしゃぐしゃにかき回された髪を整えている間にどさりと音がした。どうやら空いた隣にザップが座ったらしい。「…おーし行ったな。危ねえ危ねえ」「え?なにが」発言の意図が分からない。
しかし目の前にいるニーカが呆れた顔で「嘘なの?」と聞いたせいで意図はすぐ知れた。
つまり人狼局が云々、というのは嘘だったのだろう。
ニーカと同じく呆れた顔をしたレオに「だーっておめえ姐さんと飲んでみろよ。一週間俺ァ使いものになんねーぞ」とザップはべえと舌を出す。だからと言ってあれもあれでいかがなものかと思う、という顔をしたレオに、ニーカが緩い笑みを浮かべた。
「でも丁度いいかもね。人狼局が話したがってたのはホントだし」
「あ?マジで?おっしゃ」
「う〜〜〜ん…いいのかなあ…」
辻褄は合ったけど、とレオが腕を組んだ矢先、向かいに座るニーカが立ち上がった。「どっか行くんか」「串焼きのお代わり」「まだ食べるんですか…」ゆうに15本はあるであろう空の串を見て呻いたレオにひらひらと手を振って、ニーカはその場を立ち去った。
2人になる。
「…ザップさんは?飲んでないんすか今日」
「飲んでるわいボケ。つーことでお前帰り運転な」
「また俺かよ〜。ザップさん後ろから邪魔してくるからヤなんですけど」
今日どこまでですか、という問いかけをしようかすまいか悩んだが、レオは結局聞かなかった。俺の家じゃなかったら帰りになんか言われるだろう、と思ったということもあるし、答えを聞くのを先延ばしにしたかったということもある。この辺、いろいろと微妙なところだ。
付き合ってはいるものの、おざなりになっていることは幾つかある。
ただそういうことをわざわざ矯正しなくてもいいかなあとレオは思うし、多分ザップは矯正なんて概念すらないだろう。彼にとってはそれはおざなりでも何でもなく、普通のことなのだ。
「つかお前何で飲んでねえの?タダ酒だぞ」
「未成年なんですけど僕」
「だからなんだよ」
「だからですよ」
苦笑してテーブルの上にあるチーズに手を伸ばすと、そのままソニックの隣に置いた。嬉しそうな顔をした音速猿は、さっそくチーズの包み紙を嬉々として開封している。かさかさと音が鳴った。
「そーいやザップさん的に惚気ってどんなだと思います?」
「なんだよいきなり」
顔を顰めたザップは、その辺にあった酒瓶を手にしてぱきんと盛大に蓋を開けた。端っこに置いてあった空のグラスに向かって血を伸ばすのを見て、相変わらずだなとレオは思った。果たしてこんなふうに必殺技を使う人間を、レオはザップ以外に見たことがない。
「さっきまでそーいう話をしてたんですよ。俺は好きな人の可愛いとことか好きなとことかを言う事じゃないかなーって思うんですけど」
「んじゃそうなんじゃねえの」
投げやりな回答だ。思ってた以上にかさついたその回答に、レオはちょっとびっくりした。機嫌が悪いのかと思いきやそうでもなさそうだし、何かに怒ってるわけでもない。
ということは、この話題に全くもって興味がないのだろう。
「………僕も串焼き取ってこようかなぁ」
「あ?なんだそらお前俺が来た途端それかよ」
「いや別にザップさんがきたからっつーわけじゃなくて、さっき食った牛肉が美味しくて」
「つかなんだその話題転換は。のろけがどうとか言ってただろ」
「あれ?」
あれってなんだよ、と訝しそうに言ったザップに「いや」とよくわからないことを言ってしまう。興味なさそうだったのに、その話題。そう言うのも何となく憚られた。別にレオもわざわざこの男と気まずくなりたいわけではない。
「んじゃ、戻しますよ。ザップさんは惚気ってどういう感じなんすか」
「聞くに堪えねえクソ話だろ。うぜーことうぜーこと」
うげえ、とばかりに舌を出す男に再びびっくりする。そんなレオに気が付いたのか、「あんだよ」とザップは不審そうに言った。
「……そーいうこと言われるとは予想外でした。嫌いなんすか惚気」
「あんなん好きなやつがいるかよ。何が嬉しくて他人の恋人の話聞かなきゃなんねーんだ」
心底嫌そうなザップの顔を見て、へえと再びレオは意外に思う。女の人ってそういう話好きそうだけど、そうでもないんだろうか。いや待てよ、この人が会う女性は大抵愛人もしくは口説きたい女性もしくは玄人さんなので、つまりそういう人から聞かされるのろけというのは脈のありなしで言うとナシになってしまうのか、とレオは気が付いた。会う女性の種別が限定されているのも変な話だったが、事実である。
「だってオメーもどーよ妹ちゃんから旦那の話聞かされんの。嫌じゃね?」
「幸せでいてくれて嬉しいなあと思います」
しみじみとそう言うと「けっ。優等生め」とよく分からないことを言われた。優等生なんだろうか?
「つかザップさんはしないんですか?惚気」
「はあ?俺がか?」
呆れたように自分で自分を指さしたザップに「そうです」と言いながらレオは違和感を覚えていた。なんかおかしいな。いや、おかしくはないのだ。ザップさんが付き合っている相手は複数いて、まあその中に俺もいるわけで、つまりのろけるということは――――、そこでふと気が付く。
「あ、もちろん俺を除いて。俺以外の人をという意味で」
「…………ん?」
そこで先輩はきょとんという顔になった。大きな目が更に見開かれる。灰色の瞳に自分が映っているのが見えて、やっぱ目でかいよねとレオは今更そう思った。
しかしなんだか変な弁明(ともいえないが)をしてしまった。愛人の惚気をしないのか、とはっきり聞けばよかったなとレオは思う。ザップは何事か考えるような顔をしていたが、「あー」と変な声を上げた。
「?なんすかその蛙が轢かれたような声は」
「どーいう意味じゃボケ。…お前さあ、アレか?それはフラグか?」
「フラグ?なんの」
言われている意味が本気で分からずそう聞き返してしまった。どういう意味なのだ。
「う〜〜〜〜〜ん…そりゃオメーがそう言うんならどーにかすっけどさー…刺されんのやなんだよなー俺」
「刺される?なんの話してんすか一体」
「あ?だからお前それ、俺に愛人と別れろよって言いてえんだろつまり」
「は!?」
予想外のそれにぎょっとして思わず仰け反ってしまった。「え!?俺そんなこと言った!?」「言っただろ。俺以外の人とかなんとか」「それしか言ってませんよね!?別れろとは言ってませんよ!」謎の話題転換についていけず、引き攣った声が出てしまった。実際、そんなことは言っていないし、思ってもなかった。
実を言うと――――思った事がないかと言われると、微妙なところではあるのだが。
でもそんなことは一回も口にしたことがない。
「あ?じゃあ何お前このまま俺が愛人と切れなくていーっつう話か?」
「そ、そんなことも言っていませんが僕は」
どう言えばいいかよくわからず混乱した。「あ、なんだやっぱそーか。わーったわーった。お前の熱い気持ちは受け取った」「待って待って、一体何がどうなってそんな話に」そんなことは―――つまり別れろとは一言も言っていないままよくわからない話になってしまった。
レオがもごもごと言っている間に「のろけなあ」とザップは再び話を元に戻してしまった。そういえばそんな話だったけど、とレオはいまだに焦っている。別れろとは、言っていないのである。
「つーか俺はともかくオメーだよオメー。お前こそしねえんだろどうせ。のろけ」
「あの僕別れろとは言ってないっすよ。言ってないから」
「うるせえなその話はもう終わったんだよ。お前どーせ俺の悪口しか言ってねえだろクソボケ陰毛頭」
「ラストに罵倒語持ってくるのやめてくださいよ」
めちゃくちゃだ。とりあえず息を整えてからジンジャーエールを一口飲んで、炭酸が舌の上から去るまで待つ。「…言ってないことないみたいですけど。だってさっき二人にそれ惚気じゃんって言われたし」「ああ?」口を尖らせながら小さく言ってみたのに、ザップには聞こえたらしい。
「何が」
「だからぁ、さっきですよさっき。K・Kさんとニーカさんが、俺が言ってたの愚痴じゃなくて惚気だろって。俺は愚痴ってたつもりなのに」
子供っぽい口調になっちゃったな、と思いはしたが既に口から出てしまったので仕方ない。パーティのこの雰囲気にあてられたのかもな、と熱気を恨めしく思った。
「愚痴だぁ?お前このスーパー強すぎ最強の俺ちゃんのどこに愚痴るんだよ。むしろ感謝しかねえだろ」
「強いが被ってるんすけど…だって今日も今日っすよ。俺折角頑張ってバイト早く上がってきたのに、ザップさん何も言わないじゃないすか。昼間あんだけ言われたから俺早く来たのに」
結局本人にそう言ってしまったので、愚痴というかただの文句になってしまった。やっぱこういうとこまだ子供だな、と自分自身を評価しながら、今度は自分がチーズを手にした。
「………………いやお前それのろけじゃね?」
「は!?」
ぎょっとしてしまった。横にいる先輩は腕組みをしながら微妙にレオから眼を逸らしている。「…いややっぱ……惚気じゃねえのソレ」「えっ!?どこが!?どの辺が!?」思わず身を乗り出してしまった。
愚痴対象にのろけと言われてしまったことはそれなりに衝撃で、しかもレオはそれをいまだに愚痴だと思っているから余計だ。
「だってオメーそれ……あ〜〜これ俺が言うのかよ……ええ〜?……なんかお前の言い方聞いてるとよ、俺がすげえお前を好きみてえじゃねえか」
「へっ………?あ…?えっ僕そんなこと言いました…?」
お互いになんだか目を合わせにくくなってきた。既にザップはレオではなくソニックをあやしている。くすぐったそうな顔をした音速猿は、ザップの指とじゃれていた。
「オメーの話の俺はお前にめちゃくちゃ飲み会に来てほしいみてえなんだけど」
「あ…?え?い、いやでもそれはそーでしょ」
顔が熱いな、と思いながらそれを肯定すると、ザップは「それ言うんかい」とよく分からないことを言ってソニックをあやしている。ちょいちょいと顎をつつかれた音速猿は、困った顔をしてレオに助けを求めている。
「…んでお前は俺にすげえ構ってほしいみてえなんだけど」
「は!?いや待って下さいよ、そんなこと俺は言っ……、………ん……?言って……あれ……?」
ふと自分の発言を反芻した。言って―――ない?いや待てよ?言って―――言った…言ったのか?あれ?
―――来いって言うから平謝りでバイトを何とか早めに抜けて、更にその割に飲み会に来たらツェッドさんに絡みまくってるザップさんに対する、
愚痴?
いや待て待て、早計だ。考えろ思い出せ、俺何言ったっけ。ええと。
―――俺折角頑張ってバイト早く上がってきたのに、ザップさん何も言わないじゃないすか。
がつんと頭を殴られてはいなかったが、代わりにどっと冷や汗をかいた気になった。のろのろと顔を上げる。ザップはソニックをあやしつつ、目はこちらを捉えていた。
頬が少しだけ赤く見える。
そしてレオは開口一番、思いきりの悪手を放った。
「…………ザップさんもしかして…俺のこと結構好きなんでしょうか…?」
「ふざけんな俺の台詞だバカ!!!お前が俺を大好きじゃねえか!!」
べしんと思いきり頭をしばかれて「いってえ!」と悲鳴を上げる。
「痛いじゃないですか!」
「何が痛いだボケお前のせいで俺まで要らん恥かいたじゃねーか!!」
「全身恥の人に今更恥も何もないでしょーが!」
「っだとテメー泣かしてやるこの陰毛、」
「痛い痛い痛い!!単語だけで呼ぶのやめ…痛い痛い!」
ぎゃああ、という悲鳴を聞いた大体三分後くらいにツェッドがやってきてくれたので、レオはなんとか救出された。「酸欠ですか?顔が赤いですね」と言われて引き攣った笑みを浮かべてしまったけれど。
バイクに跨ったレオの脇腹がまたしてもこちょこちょと擽られた。「にゃあ!」「陰毛殿の鳴き声は笑えんなー」こうしてやる、と言いながら腰を撫でられて「やめろってバカ!」と思わず声を荒げてしまう。冗談ではない。今は赤信号で停車中とはいえ、れっきとした運転中なのである。下手をすれば大事故だ。
下手をしなくても大事故になる街ではあるのだが、そこはそれわざわざ大事故を起こす真似をしなくてもいいだろう。
「つーかお前何で酒貰ってこなかったんだよ。余ってたじゃん」
「僕お酒飲めないし。いーでしょ牛串三本持ってこれたし」
冷凍できるから嬉しいですよ僕は、と今日一番の笑顔で言ったが背後に座るザップには見えまい。そう思っていたので、「いい笑顔すな」と頬を抓られてちょっとびっくりした。
「…ザップさんどこに目があるんですか…?」
「アホか誰だって分かるわボケ」
そうかなあ、と訝しく思っているレオの眼前で信号がぱっと青になった。アクセルを踏んでバイクを走らせる。
とっくに宴もたけなわ、も通り越し、時刻は深夜零時を回っている。流石フライデーナイト、見る限りいつもより道路も混んでいた。
宴会はいまだに三次会四次会と続いているようだったが、レオは明日もバイトだったしその場を辞してザップと一緒に帰宅中だ。普段は四次会まで参加するザップも今日は帰ることにしたらしい。理由は「姐さんとニーカのニヤニヤした顔がムカつく」からだそうだ。本人たちには言ってないし、言えてないみたいだったが。
「…つーかぁ、僕ばっかり言われましたけどザップさんだってのろけないんですか?聞くのは嫌だとか言ってましたけど」
速度を緩めて家の近くの駐車場にバイクを停車する。もうこれ以上擦る話題ではないと思ったが、しかしあのままと言うのも非常に恥ずかしい。せめて巻き込んで一緒に事故りたい、と思ったうえでの発言だった。
「ああー?言うかよバカ。俺ぁ他人にんなこと言う程暇じゃねーんだ。つか大体俺とそいつだけ分かってりゃ十分だろんなモン」
「はー………なるほど…」
意外にかっこいいこと言うよね、とレオは本気で感心してしまった。恋愛観がどうなのかはよく知らないし、少なくとも愛人関係はメタメタのぐしゃぐしゃに複雑骨折している男だが、こういうところは潔いしかっこよかったりする。どうしてこういうところが他人との関係や性格に生かされないのだろう、とレオはそう思った。口にはしなかった。
レオは結構真剣に感心していたので、そこまではそこそこザップに尊敬の眼差しを向けていた。確かに他人に喧伝するよりも相手にだけ伝えればいいことって、いっぱいあるよなあ。たまにはいいこと言うんだな。そんなことをそんなふうに思っていた。
その次の一言を聞くまでは。
「そーだよボケ。俺とお前だけ分かってりゃそんでいーだろ」
「ああなるほ…………、…………ん?」
ぴたりとその思考が停止する。
「………僕?」
「あ?そーだろだって。今のろけの話だろ?んじゃ俺がするとしたらオメーの話だろうが」
「そ……あ?え、えっと、そ、そうなんですっけ?」
「そーなんですっけぇ〜????おいマテそれどーいう意味だよ」
「ど…あ、い、いえなんでもありません。そ、そうですね!そうでした!僕でした!へえ〜〜!」
どういう意味だそれは、というザップの声を後ろから聞きながら、レオは慌てて自宅へと走る。当然先輩にすぐ追いつかれるのは分かってはいたが、突然受けた愛の告白とも言わんばかりのそれに、思いきり顔は赤面していた。ポケットの中でちゃりちゃりと音を立てる家の鍵の音を耳にしながら、ああ、と呻きたくなる。
惚気って怖い。
まさか自分の惚気をされるとは思わなかった、と思いながらポケットに手を突っ込んで鍵を取り出す。家のドアを開ける直前に、無視されたのがムカついたらしい先輩がレオの口にキスをした。
終