渦、渦、渦

2020/01/20→2020/03/02 rewrite

ザプレオワンドロ お題「絡まる」

混乱したりしないのだろうか。
ここがこうで、こっちを回るとあっち側に出ますから、という説明を聞きながら、そう思った。
神妙な顔で聞いていたこちらを振り返って、ああ、と少年が戻ってくる。
「すみません。置いてくつもりは」
「いえ、そんなことは。…にしても、よくここまで把握されましたね」
感心というよりは驚愕の方が強い。まずったか、とは思ったが今更遅いだろう。どうも、この少年が相手だと『仕事』がやりにくい。油断というよりもこれは、と思う。
把握したっていうか、と少年はそれでも照れ臭そうに笑った。
「じゃないと、死んじゃうので」
口に上る言葉はそれなりに物騒で、けれども彼の背後に青い血と緑の血を流しつつ、内臓をお手玉しながら殴り合っている異界人がいるのだから、とても説得力があった。
「…では、その、……あちらを回った方が?」
引き攣った顔でそう言ったフィリップ・レノールに、少年は苦笑いした。そうしますか、と言いながら。
少年の名前は、レオナルド・ウォッチという。


油断というよりも、どことなく懐かしいような、親しみ易さを覚える少年だからなのだろう。
変な話だ。彼との初対面はこの狂った街で、ドイツでは一度も会ったことがない。彼がドイツに渡航したことがあるかどうかすら、フィリップは知らない。
いまだに方向感覚や視界の距離感がつかみ難い。まさか眼を一つ喪うことになるとは、と苦々しさと共に、僅か残る自己嫌悪が、胸に痛みを与える。これこそ、今思い出しても仕方のないことではあったが、顔面の半分を覆わんばかりの仮面に慣れるのには、少し時間が要りそうだった。
黙って私物をトランクに詰め込んだ。明日にはこの街を離れて、ドイツに帰る予定だ。
「……時間か」
呟いてトランクを置く。時計の時刻は午後二時を示していた。待ち合わせ時刻までは、あと一時間ある。
だとしても、早く着いておくことに何ら問題はないだろう。そう思いながら、彼の秘密結社に向かうことにした。

こちらに笑顔を向けたギルベルト・F・アルトシュタインに頭を下げる。
「忘れものでも?ああ、私は今留守番中ですが」
好々爺然としたこの執事こそが、ドイツにいる頃からフィリップがずっと憧れていた執事その人だった。実を言えば、いまだに少しばかり緊張する。浅く息を吸うと、いえ、とフィリップは否定した。
「レオナルドさんと待ち合わせをしています」
「レオナルドさんと」
おやそれはそれは、と益々にこやかに老執事はほほ笑んだ。それこそ、孫を可愛がる祖父のようにも見える。
ああやはり、あの少年には誰であってもこうなってしまうのだな。
そう思うくらい、彼の眼差しは穏やかだった。同僚と言い切ってしまうには少しばかり、温度が高い。まるで春の陽だまりを思わせる。
「ふむ。それではソファで待っておいでなさい。多分ですが、あの方は時間間際にいらっしゃいます」
「そうなのですか?」
ぱちぱちと瞬きをしたフィリップに、そうですねえとギルベルトは頷いた。「大抵、時間には遅れて来るか、丁度にいらっしゃいます。定刻前にいらっしゃるのは稀です」「…………。」
先に『時間に遅れて来る』と言ったということは、つまりその方が多いということなのではないだろうか。
そう思ったが、口にはしなかった。口にするより前に、ドアが開いたせいだ。
「あ!やっぱり先に来てる!」
その声におやおや、と驚いた声でギルベルトがそう言った。「レオナルドさん」
老執事の言った通りだ。ドアの向こうから必死そうに息を吐いているのは、レオナルド・ウォッチだった。
「これはこれは。予想を外しましたな」
悪戯っぽくギルベルトは笑うと、大丈夫ですか、といつものようににこやかに穏やかに、レオの許へ歩いて行った。どうすればいいのか迷ったが、とりあえずその後を追う。
「は、……はあ……、…ふー、…や、あの、もしかして、早く来てるかもって、思って、」
フィリップさん一時間前行動とかしそうで、とレオは一気に言うと、ぐったりした様子でしゃがみ込んだ。
「……お水をお持ちしますか?」
さりげなくレオの背中を擦りながらそう言ったギルベルトに、レオは大丈夫です、と息も絶え絶えに返事をする。「もう行きますから。あ、でも、ありがとうございます」
ギルベルトさん、というそれに、老執事はまたしても穏やかに笑った。
どことなく、この組織の長に紅茶を入れている時に見せるあの顔と似ている、とそう思う。


マジすんません、と謝られたが首を振った。レオは別段遅刻をしていない。むしろ、自分が早く来ていたのだ。そう説明すると、まあそうなんすけどとレオは苦笑いした。あまり似合わない笑い方だ、と思ってしまう。出会ってからずっと、普通の笑顔ばかり見ているせいかもしれない。
「で、こっちがこうだからこうでそうでああで」
こうでああで、という全く具体的でない説明をされても、よくわからない。右から左、馬耳東風―――とはちょっと違うか。はい、と一応返事はしたものの、よくわかっていないというのがありありとわかる。
「あ、てゆか今日付き合ってもらって大丈夫ですか。明日なんですよね」
ドイツ、と言いながらレオが足を止める。はい、と言いながらレオの横に並ぶと、自然に彼は足を進め始めた。確かに並んでいる方が話しやすい。
狭い路地ではあったが、遮蔽物はそんなになかった。たまに店と思しき裏口から得体のしれない何かをバケツに入れたコックやウエイター・ウエイトレスが顔を出す程度だ。
「その点はご心配なく。身体も殆ど問題ありませんし」
そう言って苦笑すると、ですか、とレオも苦笑した。『脳抜き』されたフィリップを助けに来たのは、誰であろうあの老執事とこの少年、それからここにはいないもう一人の青年だった。
「やー、でもよかったっすよ。なんだかんだ言って無事で」
「無事……ですか」
引き攣った声になってしまった。確かに無事は無事だが。レオはそれにすぐさま気が付いたようで、すいませんと慌てた様子で謝った。「や、その。悪気はないんすけど」「あ、いえ。お気になさらず」自業自得ですから、と言う声が沈んでしまい、つい自分自身もどこかに沈みたくなった。
「…………フィリップさん」
ええと、とレオが何かを言いかけた時だ。物凄い、ファンファーレにも似たような音楽がどこからともなく流れ始めた。え、と思うと同時に気が付く。生の音楽ではない。どころか、これは電子音。つまり。
「ああああああ。も〜〜〜〜」
うるせえな、と自分で設定しているであろうに、レオはそう悪態を吐いてポケットから音源を取り出した。携帯電話―――スマートフォンだ。すいませんと目配せされてこくりと頷く。彼もあの組織に所属している以上、こうして唐突に連絡が入ることくらい、日々あるのだろう。
「はい?レオナルド!」そう叫んだ様子からして、どうもレオは誰からの電話なのか察しているようだった。
電話の向こう側から、怒鳴り声にも似た誰かの声が聞こえてくる。フィリップにも聞こえるのだから、よほどの大声なのだろう。はいはいはいはい、とレオは間断なく返事をしている。聞いているのだろうか。
「………、はい!はいはいはいはい!はい!はーい!……や、それは行きません。知りませんよ俺」
お疲れっす、とレオは冷たいとも言える態度でそう言うと、通話を切ってしまった。ぶちん、とスマートフォンの向こうから聞こえてきていた大声が途切れる。
「よ、よろしいのですか?」
思わずそう聞いてしまった。どうも、向こうの人間はレオを呼んでいるように聞こえたからだ。
呼んでいるというか、とふと思う。なんだかもっと別の言い方があるような、気がした。もっとしっくりとくるような言い方が。
「いいんですよ。行きましょ」
レオはやっぱり冷たくそう言うと、ポケットにスマートフォンを滑り込ませる。「ゆーて、もうちょい歩きますけどねー」「…………。」とことこと隘路を進む少年は、さっきの電話なんてまるでなかったように見える。
大事な電話じゃないんだろうか。
そう、思った。口には、しなかった。
触れなくていいことだってある、というのはこの街で学んだことの一つだったからだ。


電話はそれから三回かかってきて、そのうち一回はレオの上司の一人からで、そのうち一回はフィリップも会ったことがない、けれどどうやらレオの同僚らしきライブラの構成員からだった。
質問の内容は同じことらしく、レオは通話を切る度にどうして俺に聞くんだ、というようなことをぶつくさと呟いた。
最後の一回、どうやらそれは組織の長からだったらしい。はいレオナルド、というレオの声が少しだけ和らいだように聞こえた。長相手に和らぐというのもどうなんだろう、とも思う。
けれどあの人もきっとそうなのだろう、と長の青年を思い出す。誇らしげな顔をしているギルベルトの顔も、同時に浮かんだ。
「や。たぶんですよだから。僕にもわかりませんて。スティーブンさんにも言いましたけど、今日は火曜日だから」
たぶんですから、と再三レオはそう言って通話を切った。はあ、という深い溜息が漏れる。
「……あ〜〜〜…何っでみんな俺に聞くんだよ…わかりませんよ僕だって」
『俺』と『僕』はどうやら使い分けているわけではないようだ。気分によって変わるのか。わからないが、あのう、とおずおずとフィリップは話しかける。「あ。さーせん」嫌に軽くレオはそう謝ると、行きましょと二度目のそれを言って、電話をポケットに入れた。
「……差し支えなければ、電話の内容を」
お伺いしても、と言いながら気が付いた。こういうことに依って、今こうして仮面をつける羽目になったのではなかったか。行為における感情は関係ない。あの時の自分は、当然レオを助けるためにああした、というだろうが、それがどんなに立派な行為だろうとその反対の行為であろうと、この場合理由は関係ないのだ。
『しない』で済むことだって世の中にはある。
「や、大したことじゃないんですよ」
しかしフィリップの胸中を全く知らないレオはそう言った。なんだか辟易としている。
「ザップさんがどこにいるか知らないかって、皆」
俺に聞くんすよ、とレオは口を尖らせた。ザップさん、という名前を聞いてフィリップが心当たるのは、ただ一人しかいない。
自分を助けに来た三人のうちの一人、褐色の肌の銀色の髪を持つ青年だ。
「俺も知らないんですけど、なんかみんな聞いてくるんですよ。僕に。確かに何となくここかなーっていうのはあるけど、」
「え、そ、それは知ってるということなのでは?」
「知らないんですよ」
レオは口を尖らせたまま言った。「でも、今日は火曜日でしょ。で、多分昨日早く上がれたから、酒飲んでどっか愛人とこ行って寝てる。この時間帯まで寝てるって言うとたぶん、」あの人かあの人かあの人か、とレオは何人かの女性の名前を上げた。唖然とする。人の恋人―――愛人?の、名前を把握していることもそうだったが、それが殆ど確信めいた響きを持った返事だったからだ。
「……そ、そんなによくお分かりですね」
ミスタ・レンフロのことを、と言いたかった。しかしレオは、分かりたくもないですけどと苦々しい様子でそう言った。
「覚えちゃいますよ。何度も何度も迎え来させられたら。ヤバいっすよあの人。愛人の数だけで言ったら二週間は宿に困りません」
レオはどうやら『愛人の名前をよく覚えていますね』と意図するところとは微妙にずれたところを、お分かりですね、と言われたと思ったらしい。わざわざ否定することでもないから、言わなかった。
「だってフィリップさんも覚えますよね?紅茶の種類とか、今日やることとか明日やることとか」
「それは仕事ですから」
そうきっぱりと告げると、レオはう、と少し怯んだらしい。「…や、お、俺のも。仕事みたいなものなので」「…………。」友人の愛人の名前を把握することが、仕事。
そう思ったのが伝わったのか、あ〜〜〜、とレオが唐突に辛そうに唸り声を上げた。
「な、なんでもないです。忘れてください」
「………はい」
ぽつりと返事をする。恐らく、自分自身でも何その仕事、と思ったのだろう。レオは顔を顰めていた。

仕事。
――――自分は仕事をしにここに来たのではなかったのか。
ふと、そう何度も思ったことが頭を掠めた。結果は、脳を奪われ、代理を務めに来た組織三人の手を煩わせ、更には眼を喪った。
自分が全く役に立たなかったとは思わない。けれど、それを覆さんばかりの事態を引き起こしてしまったのは確かだ。
ぽてぽてと隣を歩く少年をちらりと見つめる。レオは何を考えているのかいまいちわからない顔で、隘路を歩いていた。この少年は、一体どうしてこの街に来たのだろうか。ふと、今まで考えようともしなかったことを思う。
きっと聞いても答えないだろうし、答えられないことだってあるだろう。
けれど、と思わずにはいられなかった。
足を止める。
「………レオナルドさん」
「はい?」
三歩程先を歩いていたレオがこちらを振り返った。「どうしました?」きょとんとした顔には、何の屈託も浮かんでいない。
「……この街に来てよかったんでしょうか?」
「え?」
私は、と言いながらのろのろと俯いた。自分の姿が隘路に設置していあるネオンサインの光に照らされて、狭い道に影が映っている。
「……この街に………あなた方のところに伺って」
よかったんでしょうか、と言って黙った。

隘路に踏み込んでしまった気がする。こんがらがったこの街の、更に更に深い奥に。
更に更に逃げ込めない、この街の深い場所に。
こうして今立っているのと同じように。

足音は聞こえなかった。はっとする。目の前に少年が立っている。
「……僕は嬉しかったですよ。フィリップさんに会えて」
「え」
えへへ、と少年は照れ臭そうに笑って言った。「よかったとか、悪かったとか、それを決めるのは多分僕じゃないんで、何も言えないんですけど」でも、とレオは言った。
「僕は嬉しかったですよ。一緒に飯食えたし、クラウスさんがご機嫌なとこも見れたし。……ね、」
ザップさん、と言いながらフィリップの後ろにレオが話しかける。え、と何度目とも知れないそれを言いながら振り返る前に気が付いた。
影がもう一つ増えている。
「まー俺は腕治してもらったしよ」
それなりーに感謝はしてるわ、と言いながら暗闇から青年が現れた。「み、」ミスタ・レンフロと言いながら驚いてしまう。いつの間に後ろにいたのだ。
「それなりどころかフィリップさんがいなきゃザップさん腕治るの全然遅かったでしょ」
もっと感謝したほうがいいっすよ、とレオは呆れたように言った。「うるせえな。いいか。スカイフィッシュはいねえ」「今それ関係ないです。あといます。いるの」もう、とレオは怒った様子でそう言うと、あーあ、と息を吐いた。ちょっと楽しそうに見える。
ザップはすたすたとこちらに歩いてくると、通り抜けざまばしん、とフィリップの背中を叩いた。「い、」痛い、と言う前にレオが顔を顰めたのが目に入った。
「辛気くせーこと考えんなよ。いいとかわりーとか一々考えて生きてるバカがいるか?あ?」
「…………………、」
会って僅かばかりの人間に対して言う言葉だろうか。思わず顔を引き攣らせてしまう。「ゆーとくけどな。あんたがいなかったら俺は腕骨折した後放置されてんぞ」「ほ、放置ということはないのでは?」そう、思わず言い返してしまった。
ザップはそれを聞いてきょとんとすると、ちょっとおかしそうに笑った。そこで気が付いた。意外に、幼い顔立ちだ。それもそうだ。彼はまだ、二十代も前半。自分よりも年下なのだ。たぶん、ギルベルトに言えば「お二人ともそんなに変わりありませんよ」とでも言われるだろうが。
レオはザップさん、と非難がましい声で言った。
「どこいたんすか」
「お前が迎えに来ねえから競馬場に行ったんだよ」
「なんで俺が迎えに行かなきゃいけないんですか。電話でも言ったでしょ」
もうザップさんの愛人をこれ以上把握したくありません、とレオは顔を顰めてくるりと踵を返し、前に進みだした。「あ」慌てて後を追う。
「ひどくね?大先輩に対して」
そう笑って言いながら、ザップも歩いていく。「………。」びっくりするくらい、可愛らしい笑い方で目を瞠ってしまった。

唐突に隘路が開けて広い道に出た。「出た!」ぱっと明るい声が前から聞こえた。
日差しはないものの、先ほどまで歩いていた道とは比べ物にならない明るさに、少し目がちかちかする。「お前あっち行くの?あの店?」「そーっすよ。…ん?てゆか何で俺のいるとこ分かったんすか」怖いんですけど、とレオは言った。それは棚上げとも言わないか、とフィリップは思う。さっきまでこの青年の居場所を逐一把握していそうだったのは、この少年の方だ。
「オメー言ってただろ。帰る前にあの飯屋連れてきたいって」
「あ〜〜〜…まあ、それは言ってましたけど」
なんでそれと今俺がいる場所が、とレオは怪訝そうに言う。わかるだろお前の行動パターンくらい、とザップはどうでもよさそうに言うと、すたすたとさっさと歩き始めた。分かるのか?いや、分からないこともないかもしれないが、あのこんがらがるような細い、狭いあの道で遭遇することなんて、できるのだろうか。そう思ってしまう。
「……まあこの道教えてくれたのザップさんだしな…」
レオはそう呟きながら、仏頂面でザップの後ろ姿を睨んでいたが、そこでフィリップを振り返った。
「行きましょ。あの人も一緒みたいですけど。いーですかフィリップさん」
「あ、そ、それはもちろん。はい」
こくこくと頷いたフィリップに、よかった、とレオは笑った。
その顔は、ちょっと違う、と思った。ギルベルトがこの少年に向かって見せるその笑顔とも、クラウスの前で見せる微笑みとも違う。笑顔どころか、一番最初に怒鳴り声でかかってきた電話に冷たく対応していた、あの時とどことなく似ている―――というよりも近しいものを感じた。
「おいコラおせーよ!レオ!」
アンタも早よ来たほーがいいって、と言いながらザップが店を親指で指し示している。「あ。はい」「遅い遅いって勝手に来たくせに」わがままだ、と言いながらレオがザップの許に歩いていく。それを見て、へっとザップが笑ったのが見えた。
あ、と思う。ついさっき見たレオの笑顔と同じだったからだ。
「……………。」

ここに来てよかったとか、よくなかったとか、多分、決めるのは誰でもない。自分ですらないのかも、しれない。よかった、よくない、とかそういうことを考えることすら、もうおかしいのかもしれない。
でも、と足を踏み出しながら思った。

こんがらがったその道から抜けてきたように。絡まった思考がすっきりとしていたことを意識する。

「…失礼、お二人とも。おすすめはなんでしょうか」
そう言ったフィリップに、二人が悩ましい顔をした。それを見て噴き出した自分に、二人が怪訝そうな顔をした。