雨と目

ザプレオワンドロ お題「視線の先」

2020/01/12→2020/04/08 rewrite

思っていたよりもコーヒーが苦い。砂糖を入れればよかった、と思いながら時計を見る。「………、」時間が迫っていた。とはいえ砂糖が溶ける程度の時間はあるだろう。角砂糖を入れた後、カップの中を混ぜようとスプーンを手に取る。
そこまではよかった。
指からぶん、と踊るようにスプーンが飛んでいく。
「あ」
嘘だろ、と思ったが嘘ではない。ソーサーの上に落下したスプーンは、恐らくけたたましい音を立てるだろう。少なくとも、店内の客の視線を集める程度には。
やべ、と慌てたちょうど、その時だった。からんからん、というドアベルと、ごうごうという豪雨と、それからパトカーのサイレンが、一緒くたに混じった音がする。騒音と同時に、通りのいい声が店内に響いた。

「ざっけんなよマジで何で雨なんだよ!」

レオが持っていたスプーンは、ソーサーの上に転がっている。
「…………、」
無言で後ろを振り返ったレオナルド・ウォッチの眼の先にいる男が、はくし、と小さくくしゃみをした。


偵察なのにこんなに目立っていいんだろうか。
そう思いながら、コーヒーカップの中でスプーンをぐるぐると回している。「オメー何頼んだ?」「カプチーノです」「似合わねー」笑ってそう言ったレオの先輩は、店員を呼んでコーヒーを頼んだ。一番値段が安ったんだ、とは言い返さず、レオは顔を顰めるに留めた。
外は酷い豪雨だった。ヘルサレムズ・ロットも天気は変わるんだろうか、と最初この街に来たときは思っていたが、変わるも何もなかった。雪も雨も、それどころか竜巻さえ起こることもあるらしい。むしろ、この街じゃ『何かが起こらない』ことの方が珍しいのだから、雨が降らないなんてこと、まったくなかった。
「ザップさんはなんで傘持ってこなかったんすか」
向かいに座る男を見ながらそう言ったレオに、だってよ、とザップはぱらぱらとメニューを捲りながらそう言った。いつもよりも怠そうなのは、恐らく雨だからだ。
「邪魔だろ。傘」
「濡れるじゃないすか」
「でも邪魔だろ」
堂々巡りである。
「……邪魔ですけどね」そう言うと、だろー、とザップは何がおかしいのか笑って言った。
「大体お前傘持ってんだろ?」
「そら俺は持ってますけど。だってもう事務所出るとき降ってたんすよ」
そう言って窓枠にかけておいた傘を指し示す。何の変哲もないビニール傘だった。家を出るときは雨は降っていなかったのでよかったが、事務所でミーティングをした後、雨が降ってきた。仕方なかったので、ギルベルトに聞いて誰かが忘れていったらしい傘を借りて、レオはここまでやってきた。

『その場所』はこの店の地下らしい。
とはいえ、表向きには地下には何もないことになっている。しかし人狼局の情報網によれば、この下で『誰かにとって都合の悪い何か』が行われているらしい、とレオは聞いていた。今回はどうも要人が絡んでいるらしく、中々情報が下りてこない。それも作戦のうちなのかもしれない、と思ってレオはそんなに気にしていなかった。
「ゆーてもよー、何なんだよ今回は。俺らに全然下りてこねーじゃん」
何をどうすりゃいいんだっつう話、と不満げに言った先輩は、どうやら見たそのまま、この状況がいたく不満らしい。
「なんか偉い人が絡んでるんでしょ?しゃーねーっすよ。俺らに言えないことだってあるんだろうし」
そう言ってレオも何となくメニューを捲った。特段腹は空いていなかったが、手持ち無沙汰だったのだ。
ザップはあのな、といやに仰々しく言って身を乗り出した。がたん、と机が音を立てる。そもそもそんなにいい机でもないようだ。
「なんすか」
顔を上げると、ザップは仏頂面でこっちを睨んでいた。「オメーと俺を一緒にすんな」「………はいはい」わかりました、と言った自分の声は呆れというより笑いの方が多い。おい、とザップが言ったその時、店員がコーヒーを運んできた。

階下からは何の音もしない。喫茶店だったこの店も、すでにバーに営業をチェンジしている。いつの間にか、店内のBGMはクラシックからジャズに変わっていた。
「…ザップさーん。夕飯どうします?」
そうレオが言ったのは、思っていたより時間がかかりそうだ、とついさっき連絡が来たからだ。計画では既にレオもザップもこの店を離脱して、次の地点へ移動している予定だった。
「どーしますもこーしますもねーよ。食えねーだろ今日は」
別にわざわざ相談していたわけではなかったが、何となくレオも予想していた。次の地点へ移動して、ことが済んだら二人で夕飯を食いに行くつもりだった。口にはしないが、ザップもそうであろうということは、口調で分かった。
「つか俺こーいうの向いてねえんだよな。変態眼球お持ちの陰毛様と違ってよ」
「本人目の前にして流れるように貶さないでくれますかね。丁寧に言われると余計腹立ちます」
「わはは。ホントのこと言ってるだけだろーが」
先輩はそう笑った後、疲れたように両手を上げて伸びをした。「…まさかとは思うけどよ。俺らこのまま明日までここにいろっつーんじゃねえだろうな」この店二時までやってるぞ、とザップはげんなりした顔で言った。
レオはメニューを持ちながら、でも、と言って身を乗り出す。声を潜めたからだろう。ザップも身を乗り出してこちらに耳を傾けた。
「…さすがにそんなことないんじゃないすか?幾らなんでも俺らじゃ不自然すぎるでしょ」
男女ならともかく、と言おうとして――――なんとなく、レオは言うのをやめた。
「…そーか?」
ザップはそう言って、面倒臭そうに窓の外を見る。いったいそれが何に対しての相槌なのかわからなかったので、レオは曖昧に頷いてメニューを捲った。ケーキくらい頼んだ方がいいんだろうか、と考える。既にこの店に来て一時間は経過していた。カプチーノもコーヒーも、とっくに互いの胃の中だ。
「……なんか頼むんか」
ザップの声が聞こえたので、レオは顔を上げた。ザップはレオではなく、窓の外を見ている。
「…ケーキとか」
「ケーキだぁ?」
マジかよ、という顔をしてザップがこっちを向いた。レオはそうでもないが、ザップは大して甘いものが好きではないからだろう。とはいえ、嫌いでもないらしい。ざっくり言うと、肉とか魚とかに比べて、興味がないのだ。
「だってもうサンドイッチ全部売り切れって書いてあるんすよ」
「おい嘘だろ。やる気あんのかよこの店」
「ザップさん!」
慌ててそう言ったレオに、「ほんとのことだろーが」とザップは言いながら、レオの手にあるメニューを引っ張った。そのままメニューはザップの方に引き取られる。
「…………、」
何とはなしに、レオは窓の外を見る。豪雨は緩やかな小雨になっていて、傘がないと少しつらいとはいえ、その程度の雨には弱まっていた。道路を挟んだ向こう側も、喫茶店やベーカリーが並ぶ通りだった。雨が降っているせいか、人通りは少ない。車もそんなに走っていないようだ。
道路一本挟んだ向こう側、ちょうど向かいと言っていい位置に店があった。そのすぐ前に、女性が立っているのが見える。「…………、」背が高い、この距離でもわかる程度には美しい女性だった。ああ、と何となく理解して、ザップが持っているメニューに何となく眼を向ける。ザップが見ている側の裏面に、ケーキの写真が写っていた。
結構美味そう、と思っていたケーキがどれも同じように見える。「…………。」自分自身に辟易して、レオはこっそり溜息を吐いた。目の前の男にばれるのは、嫌だった。
「…オイやべーぞレオ。この店スパゲッティもねーんだけど。マジやる気ねえよ」
「ちょちょちょ黙って!やめてくださいよ!」
「なんだよ」
ホントのこと言ってるだけじゃねえか、と不思議そうに言ったザップの横を、店長と思しき大男がのしのしと歩いていく。「………!」ザップさん、と視線で訴えたレオを見て、なんだよだから、とザップはやっぱり視線で返事をした。らちが明かない、とレオは判断してぐいとザップの袖を引っ張る。
「うお。なんだよ」
「やめてくださいよ。店の人の前で店を貶すのは」
「お客様の貴重なご意見だろうが」
「やめてください」
顔を顰めてそう言ってしまったのは、その文言をバイト中に何度も聞いたことがあったからだ。それを察したらしいザップは「はは」とおかしそうに笑った後、ほれと言いながらメニューを突っ返してくる。「わ」慌てて受け取った。どうやらザップは今のところ、これ以上何も頼むつもりがないらしい。
「…………。」
メニューを開きながら、そっと目の前に座る男を見る。ザップは再び窓の外を見つめている。「…………。」見なきゃよかった、と思いながらメニューを捲った。
ザップの言った通り、スパゲッティはやっていないくせに、ケーキは矢鱈と種類豊富だった。ベイクドチーズケーキ、バナナタルト、チョコレートケーキ、ガトーショコラ、スフレ、シフォンケーキなど、所狭しとケーキが並んでいる。ミシェーラが見たら喜びそうだ、と思いながらも、やっぱりどのケーキも同じように見えてしまう。
そんなはずは、ないのに。
「…………………。」
もう一度、顔は上げずに視線だけ上に向ける。自分の前髪の隙間からザップが見えた。
黙っていればきれいな顔だとレオは思っている。言ったことはあるが、黙っていれば、と言ったせいか蹴飛ばされた。折角褒めたのに、と膨れたレオの横で、貶してんだろーが、とザップも膨れていた。
横顔はどう見ても、レオではなく向かいを見ている。窓の外にある、向かいの店だ。「…………。」黙ってもう一度、そっと窓の外を見る。店の前にはまだ一人の女性が立っていた。「…………………。」まあ、とレオは小さく息を吐く。俺を見るより、寂れた店内を見るより、とそこまで考えてやめてしまった。
なんだか最後まで考えてしまったら終わりのような、そんな気がした。
視線は交わらない。
たぶん、ずっとそうだ、とレオはその時そう思った。
もう一度溜息を吐く。たぶん、今回もさっきと同じようにバレてはいない。というより、こっちのことなんて全く気にしていないのだから、バレるもバレないもないだろう。そう思った。


雨音に混じって小さな電子音がする。
「あ。電話」
慌てて電話に出たレオの前にいた先輩がこっちを振り返る。「お。きたか」はいレオナルド、と言いながら電話に出たレオの耳に、もしもしレオナルドか、という組織の長の声が飛び込んできた。

ふざけてんじゃねーか、と言いながら外に行くザップの後ろから、ごちそうさまでした、と店を出る。
「いーじゃないすか。帰れるんだし」
「おかしーだろ」
俺たちは一体何してたんだよ、と口を尖らせているザップの気持ちも分からないでもなかった。二人で呑気に茶を飲んでいる間に、話は全て済んでいたらしい。
何で連絡をくれなかったんだ、と詰るザップに、だから、と途中で変わったスティーブンは早口で言った。
――――こっちも連絡したかった。でもジャミングがひどかったんだ。
そうこうしている間に力技で事件は収束を見たらしい。階下の店の調査はまた後日行うということになった。階下から物音がしなかったのも当然ではある。何しろ、重要人物はみな別の場所にいたのだ。
「…飯どーします?」
「あ。そーだそーだ」
ザップはすたすたと歩きだした。「え。もう決まってるんすか」店、と言いながらはたと気が付いた。ザップが向かう先は、ついさっきまで彼が見つめていた向かいの店だった。
いまだに女性は立ったままである。かれこれ一時間になるだろうに、誰か待っているのだろうか。
ぼんやりとそう考えていたレオだったが、おい、という声にはっとした。「早よ来い。何してんじゃお前は」「………え、いや。じゃ、俺帰ります」「はあ?」今飯って言ったじゃねえか、とザップは変な顔でこっちに戻ってきた。
「早よせい」
そう言ってがし、と手を掴まれる。「わっ」あぶな、と言いながら引きずられるようにして店に連れていかれた。
「……あ、あのー…」
ザップは前を見ている。でもいつもそうだ。彼は、基本的に前しか見ていない。
夕飯を食わず一人で帰ろうと思った理由は特にない。強いて言うならいたたまれなかったから、だ。
「………ザップさん」
小さな声だった。自分でも、これじゃ聞こえないだろう、とそうは思った。
けれど呼ばずにはいられなかった。

「なんだよ」

視線が合った。

不思議そうな顔をした先輩がこっちを見つめている。「なんだって。オメー朝言ってただろ。トルティーヤ食いてえって」「え?」トルティーヤ、という予想外の単語にぽかんとしてしまう。そして、気が付いた。
ここはスペイン料理屋だ。
「あぶねー。あと10分でラストオーダーだぞここ。さっさと食おーぜ」
そう言いながらザップが店に入っていく。「あ、ちょ、」ちょっと、と言いながら店外を見る。女性がほっとした様子でどうやら誰かと歩いていくのが見えた。一本の傘の中に二人分の影が見える。
「あの、」
ザップさん、とレオはもう一度名前を呼んだ。不思議そうな顔でザップがこっちを振り返る。だからよ、とその口が動くのが見えた。

「なんだよ。レオ」

そこでもう一回、目が合った。