ひとつ、ふたつ、それからみっつ
2020/03/02
メリークリスマス、ハッピーホリデーズ!
今日一日、いや昨日から二日間、いったいその言葉を何度口にしただろうか。とっくに耳タコならぬ口タコになっていて、店内でその言葉を言うのは店長ただ一人しかいない。さっさとこんなイベント終わってほしい、という空気がバックヤードとロッカールームにはありありと流れていた。
「………人間はパンのみにて生くるものに非ず」
小さく呟いたそれは、幼い頃に通った教会で何度も言われた言葉だった。「………だったらよかったな」今やパン一つでいい。欲を言うならチーズかジャム、それからバターがあれば完璧だ。今日シフトに入らざるを得なかった自分を呪いながら、箱を手にしたまま外へ足を向けた。
電話が来たのは三軒目の配達を終えた時だった。
「もしもし?」
俺今日は、と言いさしたレオナルド・ウォッチの耳に「バカ今どこだよ」というよく聞く声が飛び込んできた。「………、」キーン、という耳鳴りを何とか抑え込みながら、今、とレオはよろよろと返事をする。
「どこって、ちょっと待って下さい俺、今日はバイトだって、」
「バイトと世界と、」
どっちが大事なんだよ、という声は電話口と背後、同時に聞こえた。「え」ぽつりとそう呟いた瞬間、ざくりという音もせずバイクの後ろ側が消え失せた。「は?」ぎょっとしたレオの背中が、どん、と思いきり蹴飛ばされる。悲鳴も上げずに道路に倒れ込んだが、幸いにして一昨日から降っていた雪が、身体に受ける衝撃を半分くらいは殺してくれた。
「な、なな、」
なに、と言う前にばしゃりという音と一緒に、積もった雪が真っ赤に染まる。「…………、」鉄の匂いに少しくらっとした。
この街に暮らして、そしてライブラという組織に入ってそれなりに時は経つ。こういうことにも慣れざるを得ないが、にしても血の匂いにはまだ慣れない。自分の胃液の匂いの方が馴染み深くなりつつすら、ある。
「………めんどくせーとこまで逃げてきやがって。けっ」
俺から逃げようなんざ百万年はえーんだよ、と言いながら、全身真っ白な男が何かを蹴たぐっている。「………………。」恐らく周囲を赤く染めている原因の『何か』を見ないようにしながら、レオは何とか立ち上がった。
「ザップさん」
白い男を呼ぶ。今日は赤い男の方が忙しそうだ、とふざけたことを思う余裕は一応、あった。実際、レオは店の方針で赤い帽子に赤い服を着ていたので、昨日と今日で世界一一番忙しい男の扮装をしている。
「おうてめー何してんじゃコラ。俺が来いっつったら来いよ」
振り返った男は、煙草を口に咥えたまま、ドスが利いた声でレオに因縁をつける。血の匂いより、胃液の味より、これが一番慣れたことだ、とレオは思う。一つ、怒った先輩の声。二つ、理不尽な要求。
三つ、三つめはいったいなんだ、と考えなくてもいいことを考えながら、レオはやれやれと息を吐いた。
「来いとは言われてねえっす」
言い返しながら、どうすんだよと店のバイクに近づく。当然、自立せずその場に倒れているバイクは、誰がどう見ても半壊していた。ピザは配り終わってきたところだったが、だからといってバイクが壊れていいという問題ではない。しゃがみ込みながらバイクの様子を見ていたレオは、後ろに立っている男を振り返った。
「…助けてくれてありがとうございます。でも、その、なんでこんなことを」
「お前それが第一声か?危ないところを有難うございますザップさん、だろーが」
おもむろにこっちに伸びてきた手を躱す。「やめてください」レオは再び立ち上がって息を吐く。白く霧散した霧のような水蒸気はすぐに消えた。
危なかったのか、と電話を終えた後にふと思った。
ついさっき言われたことだ。『危ないところを』とザップはそう言っていた。その場の雰囲気でバイクを斬ったことを詰ってしまったが、ザップも斬りたくてレオのバイクを斬ったわけじゃないのだろう。何のかんの言って、秘密結社ライブラの手練れだ。斬らなくて済むなら斬らなかっただろう。事後処理も手間だ。
レッカー車どころか、専用車に収納されていくクリスマス用に飾り付けられたバイクを見ながら、すいませんと心の中でレオは詫びた。当然、相手はザップではない。店長だ。
「オイコラさっさと行くぞ。オメーがいねえと話が進まねえ」
バイクが運ばれていくのをぼうっと眺めていたレオの後ろから、ザップが声をかけてきた。「あ、はい」すいませんと言いながら踵を返す。「……これウチに請求できます?」「そら出来んだろ。ピザ屋もバイクがなきゃー今どきは厳しいんだろ?」「違いますよ。ウチっつーのはドギモじゃなくて」そう言った後少し周囲を気にしながら、小声で呟く。
「ライブラ」
「あ?」
聞こえなかったらしい。「だから、」ライブラ、とレオはもう一度ザップに伝える。しかし折悪く、レオのバイクを運んでいく車がクラクションを鳴らしてしまった。うるせえ、という悪態すら聞こえてくる。
さっきより更に聞こえなかったらしい。ザップはだからなんだよ、と怪訝そうな顔をした。
一応秘密結社なんだから、外で名前を出すのはリスキーだ。だからレオは小声で言ったのだが、そのせいで話が伝わらない。仕方なく、だから、とレオはもう一度言ってザップの腕を掴んだ。なんだよ、という顔をした先輩を無視して、道の端っこへと引き寄せる。
「……ライブラですよライブラ。請求。出来るかなって」
言った後に思った。耳打ちをしてまで言うことだっただろうか?でも、言葉が届かないっていう理由で話を打ち切るのもなんだか嫌だし、言葉が届かないって理由で話を打ち切られるのもなんだか嫌だ。
せっかく言葉が届く距離にいるのに。
そんなことよりも、とふと思い出した。さっき助けてくれたお礼を言った方がいいんじゃないだろうか。言うには言ったが、ちょっと雑に言い過ぎた。生命の危機に瀕することに慣れ過ぎていて、感謝の気持ちを忘れている気がした。
「ザップさん」
勢いが大事だ。こういうのは、きっと勢いが。
そう思ったから一気に礼を言ってしまおう、とレオは口を開いた。多分時間が過ぎれば過ぎるほど言いにくくなるから。
けれどレオが礼を口にするより、ザップの方が早かった。
「ヤドリギ」
その単語を聞いてきょとんとする。「ヤドリギ」意味を考えず、繰り返した後に気が付いた。
道の端に寄った。そして、その、寄った場所は小さなアパートメントの前だった。レオの自宅よりも小さいかもしれない。白い壁はくすんでいて、煤けたリースが飾ってあった。毎年この飾りを使っているのだろう、ということは想像に難くない。
リースの横に、スワッグがぶら下がっていた。飾ってある、ではなくぶら下がっている、という言い方がぴったりだった。無造作どころか、造作すら考えていないような作りだ。
赤いリボンでまとめられているのは、まさしくヤドリギだった。
「あ、え、なんで?」
思わずそう言ったのは、どうしてザップさんがヤドリギなんて名前知っているんだ?という意味だったが、ザップはそう捉えなかったらしい。「そりゃあお前」こんな日だからじゃねえの、と言う声と一緒に、今度はレオの腕が引っ張られる。
その声がちょっとだけ弾んでいるのも、『こんな日』だからなんだろうか。
もっと別の理由があるのだろうか。
「……苦い」
唇は結構すぐに離れたが、ついさっきまで煙草を喫っていたせいで、余計ダイレクトに煙草の味がする。何度目かなんて覚えてすらいなかったが、キスには慣れてもこの味には慣れない。
うええ、と言ってしまった。舌をべえ、と出して顔を顰めているレオに、お前な、とザップは怒るでもなく萎れるでもなく、呆れたようにそう言った。「愛しの先輩からのプレゼントだぞ。ちったー喜べよ」「え、これが?これプレゼントなんすか?」思わずそう聞き返してしまう。
「わりーのかよ」
今度はザップが顔を顰めた。「わ………、……悪かないですけど」でも、とレオは言いながら一歩先輩がから離れる。しかしすぐにこっちに一歩詰めてこられたので、余り意味はなかった。
「俺なんも用意してないっすよ」
「なんだよ」
んなことかよ、とザップはどうでもよさそうに言うと、いいから行こうぜと言ってレオの腕を掴んだ。慌てている間にさっさとザップは進んでいく。「んじゃお前の家にヤドリギ置いとけヤドリギ」「え?なんで?」
当然、レオの家にヤドリギなんて立派なものはない。ツリーもないしリースもない。壁掛けのカレンダーの『12月』の大きなフォント周りにクリスマスの挿絵が現れた。それだけがクリスマスっぽい何かになる。
「理由作ってやってんだろ」
ザップは半分くらい笑いながらそう言って、ずんずん先に進んでいく。いつもより速足だし早口だ、とレオはふと気が付いた。どことなく緊張しているように見えたが、この男が緊張という言葉を知っているのかも疑わしい。酷いことを思いながら、言われたことを考えた。
理由。
――――理由かあ。
ヤドリギの下だから。
そこまで思って、要らないでしょとレオは言った。口を衝いて出てきた、と言ってもいい。「要らないっすよ」「……………。」横に並んだザップがまじまじとレオを見ている。その視線に居心地の悪さを感じながら、だって、とレオは今日何度目かのだって、と繰り返した。
「……別に、いいでしょ。理由は。………そういうのに理由って」
要らないと思うんですけどね、と言いながらどんどん俯いてしまう。自分で言っておきながら、いたたまれなくなった。もっとはっきり言えばいいのになあ。そう、思った。
そう思ったからだ、ともっと後々、気が付いた。
顔を上げる。ザップはまだびっくりしたような顔で、レオのことを見つめていた。
青とか灰色とか、何色なのか形容しがたい。雪のせいだろうか。眼がきらきらと輝いて見えた。
「だ……って、今も。ヤドリギないですよ」
上に、と言いながら指をさす。当然上には何もない。ここは家と家の間にある細い道なのだから、上にあるものといえば、霧に覆われた空だけだ。
「………、その強請り方は、お前」
その声を聞いてはっとする。
分かりにくいわ、とザップはそこで漸くおかしそうに笑った後、もう一回レオの腕を引っ張った。
三つ目は、とその時レオは思い至った。
思い出したのでもなく、思いついたのでもなく。
ようやく思い至った。三つ目は、これだ。血の匂いより、理不尽な要求より、無茶苦茶な暴言より、突然呼び出されることより、自分の胃液の味よりも。
煙草の味が混じった口の味だ。
今度は顔を顰めなかったせいかもしれない。慣れてはいるけど、何度しても緊張するなあ、と呑気にも思っていたレオを見下ろしながら、んじゃ、とザップはゆっくりと言った。
「…チキンとケーキでいーわ。あとピザ」
「…で、ってレベルじゃあないっすよ。キス2つじゃ割に合いません」
「…だからお前なあ」
分かりにくい強請り方すんなよ、と言いながらザップがレオの頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。サンタの帽子を被っていたせいか、いつもより勢いが軽減されたような気がしないでもない。が、うっとうしいことに変わりはないので、やめてくださいよ、とレオは悲鳴を上げる。帽子が落ちないようにしっかりと押さえた。
そしてはっと気が付いた。
「あ、いや、ちょっと待ってください。別に強請ったわけじゃなくて」
「わかったわかった。レオくんは気持ちいいいことが大好きだもんなあ。わかったわかった」それを聞いてひえ、とレオは背筋を強張らせる。
「違いますよザップさん!違います!」
とんでもない勘違いだ、とレオは顔を真っ赤にして先輩の後を追った。
バイク代はライブラ持ちになった。経緯を説明したらスティーブンはザップに請求する、と言ったがクラウスが何とかそれを説得してくれたので、ライブラではなく架空の企業から、という形になった。ほっとした。
「鬼じゃね?俺はオメーを助けたっつーのに俺に請求するか?フツー」
「別に俺を助けるために何してもいいっつーもんじゃないでしょ…」
うつ伏せでレオのゲームを弄って遊んでいるザップの横で、レオは仰向けで欠伸をした。暖房がないので自宅は寒い。
ザップはきょとんとした顔をして、なんじゃそらと不思議そうに言った。「何してもいーだろ。別に」心底不思議そうにザップはそう言ったから、レオはうっ、と思わず口ごもる。なんだ。なんだこの人。たまにこういう、怖いことを易々と言っちゃうのはなんなんだ?
「……………。」
なんて返事をすればいいかわからない。ええと、とレオは言いながらふと思い出した。
「ザ……、ップさん。今日助けてくれてあざっした」
「今かよ」
ザップは呆れたようにそう言った後、レオのクエストを勝手に始めてしまう。俺のパーティ殺されないといいなあ、とレオは思ってまた欠伸をした。
結構船はすぐに漕ぎ始めることができそうだ。うつらうつらし始めたレオの横で、おいレオ、というザップの声がした。はい、と返事をした自分の声は、とても眠そうだった。
「こーいう時はあれだろ」
「……どれですか…?」
「今日何日だよ」
「きょう?……きょうは、……じゅうにがつ、」
25日、と言いながら時計を見る。とっくに日付は回っていて、26日になっていた。「……じゃなくて、にじゅう、」「バカかオメーは。俺もお前もまだ起きてんだから25だ」「………?」そういうものなんだろうか?そう思ったが、眠気のせいで反論することは難しかった。というかもう眠りたい。26日に行きたい。ああでも、今日は。
―――――にじゅうごにち。
12月25日だ。
「………メリークリスマス……」
ハッピーホリデー、と呟いた後にザップの方に身を寄せる。寒いし眠いせいだ、と言い訳するには少しばかり、眠気に負けていた。
「おー。メリークリスマス」
笑い交じりに、明日ちゃんと起きろよ、という声が聞こえた気がする。でももう眠い。バイク請求出来てよかった。雪はいつ止むんだろうか?もう来年になってしまう。今日の振り替えいつにしてもらおう。ミシェーラ、元気かな。雑多な考えが駆け巡る。
来年もまた同じことを同じ相手に言えたらいい。多分眠る直前にそう思った。
プレゼントは、まあ、わかりませんけど。
終