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2020/03/01

今日も今日とてヘルサレムズ・ロットは通常運行、急行も鈍行も交じりっけなしのスピードで進んでいく。つまり世界も通常通り、危険に晒されているということになる。
地面を蹴って飛び上がる。「サボるなコラ!」何をしようとしないでいようと、絶対に罵詈雑言を浴びせてくる兄弟子の声が耳に入ってきたが、返事はしなかった。「魚類このヤロー、」無視すんな、という声と一緒に自分の背後にいる誰かが下に落ちた気配がする。
「生憎、地上の呼吸にはまだ不慣れで」
「あ、お前それ言っちゃう?」
笑い声と一緒にすとんと誰かが後ろに着地した音がした。
「言おうが言うまいが、結局文句しか言わないじゃないですか」
苦々しい声で続けたが、返事がない。自分だって無視するじゃないか、とともすれば理不尽なことを思いながら、振り向きざま彼のすぐ横にいたチンピラと思しき異界人を突き刺した。


「お疲れっすー」
ガチャリと屋上のドアが開く音と一緒に、その声が聞こえた。「レオくん」お疲れ様です、という意味で手を上げる。「大丈夫っすか」すげー音してたけど、と言いながらこちらにとことこと歩いてきたのは、先輩のレオナルド・ウォッチだった。
「こちらは大丈夫です。レオくんは」
怪我は、と言外に含ませたそれにはちゃんと気が付いてくれたらしい。「大丈夫です!今日は額だけで済みましたからね!」にっこりと笑って前髪をかき上げた友人を見つめる視線に、同情が混じらないように気を付けた。確かに、その程度で済んだなら僥倖だ。本当だったら、無傷が一番望ましいのだけれど。
「レオてめー!!」
「ん?」
なんだろう、という顔でレオがツェッドの後ろの方に眼を向ける。ツェッドも無言で振り返った。
「魚類には挨拶して俺にはなしかコラー!」
大声でそう叫んでいるのは、余り認めたくなかったがツェッドの兄弟子、ザップ・レンフロだった。銀色の髪が赤く染まっているのがよく見える。あれだけ斬れば当然だろう、とツェッドは本日の戦いを回想した。
「………あの人はどうして寝転がって叫んでいるんですか?」
レオは訝し気な顔でそう言うと、ゴーグルを外した。怪しさに程がある兄弟子の様子を見てのことだろう。
「……レオくんに構って欲しいんだと思いますが」
「24歳のやることじゃないっすよね」
そう呑気に会話をしている間にも、てめーら、という怒鳴り声が続いて聞こえた。
「ちげーわ!俺はどこの女子中学生だ!腕!腕が斬れてんだよ!!いってーんだっつーの!!」
それを聞いて顔を青くしたのはレオだけだったものの、ツェッドも再び振り返る。そんな素振り見せなかったから、気が付かなかった。はっとした時には、レオは既にダッシュして兄弟子の許に走っていた。
「あ、」
ビルの屋上から屋上へ伝って戦っていたせいで、ここの狭いビルの屋上の床もヒビが入っている。流石に崩れはしないだろうが、突然走ると転ぶ可能性が高い。レオくん、と呼ぼうとしたが、それよりも先にレオはザップの許に到達してしまっていた。速い。
「レ―――、……、」
呼ぶ意味は失われた。先輩の後を追って、兄弟子のところへと駆ける。レオは自分の服でザップの腕を止血していた。「や、やばいやばいやばい。血ーめっちゃ出てるじゃないすか」早口でそう言ったレオは、携帯をポケットから取り出している。クラウス・V・ラインヘルツに電話をかけるつもりなのだろう。
「し……死ぬ…てめーがさっさと来ねえからだ……」
わざとらしく息を荒くしている兄弟子を見ながら、それはどうだろう、と隣にしゃがみ込む。
そんなツェッドに、魚類、とザップは憎々し気に言った。「この恨み晴らさでおくべきか…」余裕じゃないか、と言いたくなったが何とかこらえた。確かに重傷であることは間違いない。
「いつ怪我したんですか?言ってくださいよ」
会話をしていた方が、意識を保つことができる。レオが必死に連絡をつけているのを尻目に、そう聞いた。丁寧な手つきでザップの手を取り、続けて脈を取る。いつもと比べて少し弱弱しいようにも思えた。
兄弟子は動ける程の元気もないはずなのに、ごそごそと煙草を取り出して加えている。「………。」怖い。どんな生命力してるんだろう。喜ばしいはずなのに、ぞっとしてしまった。ふう、と煙を吐き出してザップは答えた。
「………、知らねー。気づいたら刺されてた」
「そうですか」
嘘だな、と思ったが指摘しても無駄だろうから言わなかった。指摘したところで、この兄弟子は正直にいつ怪我をした、などと言わないのだ。
「つか怪我じゃねえ。怪我のうちに入んねーわこんなん」
「流石にそれは無理がありますよ」
無理っつう方が無理なんだよ、と太々しく言いながら、ザップは煙草に火を点ける。
怪我をしたことすら認めないのだから、この男の見栄も相当なものだ―――それを果たして、見栄と言っていいのかどうかはツェッドにはまだよくわからなかった。
「ザップさん!」
「うお」
びびった、と笑ったザップの横に―――ツェッドとは反対側の方に、レオがしゃがみ込んだ。「痛くありません?大丈夫ですか?」「めちゃくちゃいてー。死ぬわー」へらへら笑って言うのだから説得力がない。ない割に、視覚の効果というのは抜群らしく、レオは不安そうな顔になった。
「しっかりしてください!明日ランチ一緒に行くって約束したじゃないですか…!!」
「うう…俺はもう駄目だ…明日のランチ奢って……」
「幾らでも奢りますから!!」
しっかりしてください、と泣きそうな顔で言っている先輩に、「レオくん」と声をかける。なんなんだこの茶番は。てゆか死ぬのに明日のランチを奢る約束しちゃうのか。
「は、はい?どうしましたツェッドさん」
「見た目だけです。この様子じゃ死にませんよ。僕も専門じゃありませんから確かじゃないですし、このまま放置しておけばいずれ死ぬでしょうが」
「おい」
嫌な言い方すんな、とザップが顔を顰める。「入院するほどじゃないでしょう。……多分。」
そうは言ったが、恐らく普通の人間であれば入院どころか集中治療室待ったなしの症状だろう。この男に限っては、『普通の人間』の定義が適応されない。出会ってから、嫌と言うほど覚えがあった。
レオはぽかんとしていたが、はあ、と深く深く息を吐いた。ほっとしたようにも見えるし、呆れているようにも見える。
「…………。」
先月も同じやり取りをした気がするな、とツェッドは気が付き、流石に怒るのでは、と恐る恐るレオの方を注視する。ほっとしたあとに怒りがくるパターンだって、幾度も見ていた。
予想に反して、レオは物凄くほっとした顔をしていた。「…………、」驚いた。怒っていると思ったからだ。
「よかった〜。ザップさんやればできるのになんでちょいちょい変なとこで怪我すんすか?」
「お前がソレ言う?言っちゃう?テメーを庇って何度俺が怪我したと思ってんだ?あ?」
「それは感謝してます。ありがとうございます」
唐突に礼を言われたせいか、なんだよそれ、とザップはおかしそうに笑って煙草の煙を吐き出した。それと同時にレオがそっと上着の位置を変える。レオが顔を顰めた。
「あーだめだ。血ぃ止まんない。…ツェッドさん。なんかあります?止血できそうなやつ」
唐突に、いや全然唐突ではなかったのだが、話しかけられてツェッドははっとした。「?ツェッドさん」大丈夫ですか、とレオはともすればザップに対してよりも心配そうな顔をする。
「怪我とか?」
「あ、いえ。僕は全然。元気です」
「おいゆーとくけど俺も怪我じゃねえぞ怪我じゃ。ちょっと血が出て立てねえだけだ」
それを怪我と言わず何と言うんだ、と思いながらツェッドはとりあえずハンカチを取り出した。「これでもないよりはマシかと」そう言って手際よく出血箇所を押さえると、いってえとザップが叫び声をあげた。
「やっぱり痛いんじゃないですか」
顔を顰めてレオはそう言うと、困ったようにドアの方を振り返る。救急隊員を気にしているのだろう。
いてて、と呻いた癖に、ザップは「違う」と頑なにそう言った。たった今痛いって言ったのに、とツェッドでさえ思う。どれだけ意地を張るのか。
「……もーめんどくせえ…どーせ縫うだろうし肉焼いちまおーかな…」
ぼそりと呟かれたそれに、レオが必死で首を振った。
「やめて!変な脅し方しないでくださいよ!」
「脅してねーだろ別に」
「ある意味脅しだと思うんですけど…」
ツェッドも溜息を吐いて、レオと同じようにドアの方を向いてしまった。早く救急隊員に来てほしい。そしてこの馬鹿な人を連れてってくれたらいいのに。
「………オイ魚類テメー。なんかひでーこと考えてんだろ」
「考えてません。こんなバカな人をさっさと運んでほしいと思っています」
「考えてんじゃねーか!」
「血圧!上がる!!血!」
ザップさん、とレオが叫んだ瞬間に、屋上のドアが開いた。救急隊員たちがこちらに走ってくるのがツェッドの眼に映る。レオがこっちです、と言いながら手を上げた。「…見りゃわかんだろ」ぼそりとそう言ったザップに、「そういうことを言わないでください」とツェッドは言い返す。文句のようなことを言っている割に、ちょっと嬉しそうなところが、なんとも言えない。
同時に組織の長が、「ザップ!」と言いながら心配そうにこちらに向かってくるのが見えた。


ビルから降りた。
救急車に乗せられているザップの横で、レオが何事か救急隊員と話している。「…じゃあ。はい。んじゃ」そう言ってレオはこちらにさっさと戻ってきた。少し驚いてしまう。
「…いいんですか?行かなくて」
救急車の方を指し示しながらそう言ったツェッドに、レオは頷いた。「なんか大丈夫そうだし。クラウスさんが行ったので、僕はいいかなって」疲れましたねえ、とレオは苦笑いした。ザップの血で手がべっとりと濡れている。
「…怒るかと思ってましたよ」
「へ?」
唐突に話題を転換したからだろう。レオは不思議そうな顔をした。「屋上で。あの人、重傷…は、重傷でしょうけど、まあ、酷い振りをしてレオくんにご飯を奢らせようとしたので」「ああ…」まあ、とレオは言って息を吐いた。呆れているように見える。
「怒ってもキリないっつーか…言うて僕ももう何度騙されてるんだって感じなので」
あはは、と苦笑してレオは頬を掻いた。血がつくのでは、と思ったがすでに乾いているらしく、頬に血はつかなかった。「まーあと、怪我が酷くなくてよかったのは本当だから」
そう、自然にレオは言うと、顔を上げた。
「とにかく戻りましょう」
それを聞いて、はい、とツェッドも頷く。良い人だなあ、とか、そんなことは思わなかった。ただ、レオくんだな、とそう思った。
これから事務所に戻ってミーティングをしなくてはならない。兄弟子も当然、参加予定だったが、あの有様では参加そころの話ではない。あとで内容を伝える必要があるだろう。
「レオくんは…バイクでしたか」
恐らくレオのバイクが停まっていると思しき場所を視線で探すと、そうですとレオは言って瓦礫をよけながら歩き出した。「ザップさん病院行っちゃったんで、乗せてけますけど。どーすか」
レオがそう聞いたのは、ツェッドがスケボーでここまで来たと知っているからだろう。ちなみに兄弟子とこの先輩は、二人で仲良くバイクでやってきた。
「…で、あれば。並走で帰りましょうか」
「あ、なるほど。そーしましょ」
笑ってそう言うと、レオはポケットからバイクのキーを取り出した。「ツェッドさんを事務所までデリバリーし損ねましたね」「プロにそう言って頂けるとは。光栄です」「ぷ、プロ…」まあ確かにピザ屋で働いてるけど、とレオは微妙に照れた顔でそう言うと、また、ひょいと瓦礫を飛び越えた。ちなみに後々聞いた話だったが、この冗談はクラウス発らしい。意外だった。
「ああ、であれば。トッピングにナマモノは避けていただけると助かります」
「えー。俺イクラ好きなのになあ」
笑って言ったレオの顔を見て、吹き出してしまった。


ミーティングが終わってから、散会となった。「ザップにも伝えておいてくれ」とクラウスに頼まれたのは、分かってはいたが、レオとツェッドだった。人員的にこうなるだろうとは何となく予想がつく。
「はぁい」
そう返事をしたレオは嫌そうでもあり、誇らしそうでもあり、傍から見れば可愛らしかった。子供が褒められた時みたいな反応をしている。
「ツェッドさーん」
とことことこちらに歩いてくるレオを見て、はい、と言いながら振り返る。「今から行きますか?」「あ、はいそうしようかと……、」そこでんん?と戸惑った顔をしたレオは、二秒後に「あ」という口の形をした。
「なんで分かったんですか?僕が今から病院にいくって」
「まだ面会時間でしょう。であれば、明日レオくんはバイトでしょうから、今日中に行ってしまいたいのではないかと思って」
「俺明日バイトだって言いましたっけ?」
訝しそうな顔をされる。「言われてませんけど、うちの兄弟子が言ってました。全休がある方が珍しいって」そう淡々と言ったツェッドに、レオはなぜか「う」とか「あ」とか言葉にならないそれを発して、何事か言いたそうな顔になる。百面相というのはこういうことを言うのか、と感心してしまった。
「………〜〜、…まあ。はい。そうです。その通りです」
「?」
真実らしい。なんとも言えない顔をしているレオを見て、はい、と言ったツェッドに、「それで」とレオは話題を仕切り直しした。
「すぐで悪いなとは思うんですけど、一緒に行けないかと思って。俺よりツェッドさんの方が話上手だし」「ああ」後半は同意すべきかどうか判断に困ったので、スルーした。
レオだって別に説明が下手なわけではないが、対兄弟子となると話が変わるのだろう。ちょいちょい茶々を入れ、更には混ぜっ返しにされてしまうのだ。特にこういう事後報告の時はそれが多い。
「それに俺一人で行くと…まあ、…あんまりよくはないですから」
護衛がいた方がいいということだろう。確かに、この街でレオを一人で歩かせるのは、余りよくはない。信じがたいことに、毎日カツアゲにあっているといっても過言ではないらしい。「そこまでは言い過ぎです」とレオは口を尖らせて抗議していたが、そう暴露していたのが彼の兄弟子だったのだから、さもありなんと言えた。
「すいません」
申し訳なさそうに謝られて「いえ」と手を上げてそれを制する。
「行きましょう。大体、僕も一緒に頼まれたんですから、レオくんが謝るのもおかしな話です」
そう言うと、レオはぱあっと顔を輝かせた。本当に嬉しそうな顔をするなあ、としみじみと思ってしまう。やっぱり百面相だ。感情の種類に限らず、こうした思いを露わにする性質なのだろう。
「じゃ、ついでに飯も食いましょ。俺最近めっちゃ美味いベトナム料理屋見つけて」
はい、と頷くと、そこでレオがぴたりとドアに向けていた足を止めた。なんだ、とつられて足を止める。
しげしげとこちらを見上げているレオが真顔だったので戸惑った。半面、なるほど百面相というのは、これもそのうちに入るのだな、と矢鱈と冷静な頭でそう思った自分がいる。
「や、ツェッドさん嬉しそうな顔したので」
よかったぁ、とほっとしたように言ったレオは、くるっと身を翻してドアに向かった。「行きましょー。どーせまた寂しがってますよ。ザップさん」まるで拳銃を撃つような形にした指を、ドアの方に向けてレオはそう言った。
悪戯っぽい顔は確かに少し幼く見える。少年、と上司が呼んでいるのも分からなくもない。
「…………嬉しそうな顔」
してたのか、と言いながらちょっと照れた。たまに思ってしまう。血を操るより、感情を操る方が難しいのではないだろうか。


煙草の匂いに顔を顰める。病院は禁煙の筈だ。
「…んじゃ俺の尊い犠牲と共に一応解決はしたんだな」
「はい。尊い犠牲でした」
「オイコラふざけんな。俺が死んだみたいじゃねーか」
自分で言ったくせに、と溜息を吐いたツェッドに、ザップはあーあー、と伸びをした。入院はしなくていい、と思っていたが流石にそうもいかなかったらしい。明日は退院できるが、今日一日は様子を見るということで、この兄弟子は入院することになったとのことだ。
「んでオメーは何でそんな辛気臭い顔してんだ?ここは葬儀場じゃねえぞ」
「ちょっと」
病院でそのジョークはまずい。そういう意味で言ったツェッドに、なんだよ、とザップはきょとんとした。「あ、火葬場のがよかったか。土葬はヤだよな。ゾンビになるしよ」
「違います違います。やめてください」
どうしてそうギリギリの冗談ばかり言うんだ、と顔を顰めて手を振った。
レオと一緒に来る予定だったが、来る途中でレオが呼び出された。ライブラではなく、アルバイト先のドギモ・ピザである。こないだシフト代わったばっかじゃないすか、と同僚に抗議していたレオだったが、最終的には行くことになったらしい。代わりに明日遅番になったから、と言いつつスマートフォンをポケットにしまったレオは、ツェッドを病院に送り届けてそのままバイト先へと向かって行った。すいません、と暗い顔で謝ってきた先輩に、大丈夫ですよ、と返事をした。まあ、正直なところ二人で行く必要性はそんなにないのだ。夕飯が目的と言ってもよかったような気すらする。
それにしても、お見舞いですよ、という看護士の声を聞いてこちらを見た瞬間のザップの顔といったらなかった。ぎくりとするくらい眼を輝かさんばかりの表情をしていた兄弟子は、ツェッドの姿を見た瞬間めちゃくちゃ脱力して、なんだよお前かよ、という感情を隠さず天井を仰いでしまった。あからさま過ぎて怒る気にもなれない。むしろなんだか申し訳ない気にすらなった。
「じゃ、僕は行きます。お腹も空きましたから」
「あ、待て待て待て!んじゃ俺も行くわ」
「はい?」
行くってどこに、という顔をしたツェッドを他所に、「よっと」とザップは起き上がると、面倒臭そうにチューブを気にしながらベッドから下りた。「え、どこに行くんですか?入院なんでしょ?」言いながら気が付いた。
「ナースステーションですか?あの、別段僕には関係のないことなので言いたくありませんが、そういう生き方をしているといつかまた刺されますよ」
「何オメーは意味不明なこと言ってんだ。食堂だよ食堂。俺だって飯食ってねんだからよ」
オメーもそこで食ってけよ、と淡々と言われて「あ、はい」などと流れるように頷いてしまっていた。はっとしたが今更「いえ、結構です」と言うのも流石に気が引ける。いや、本当に嫌だったら断るのだが、悲しいことにそこまで嫌でもないのだ。
何より、ツェッドも既に知ってしまっていた。
「…まあ、あなたでもいないよりはいた方がいいですかね」
食事言うのは、一人より二人の方が楽しいのだ。
「オウコラどーいう意味だこのボケ。奢れ」
「嫌です」
そう言いながら歩く病院の廊下は薄暗い。食堂を目指して、二人でのこのこと歩きだす。がらがらというキャスターの音を耳にしながら、一体ここの食堂は何時までやっているのだろう、とふと思った。


ラーメンを注文しているザップの横で、オムライスを頼んだ。
「オムライス〜〜??ガキじゃん。お子ちゃまじゃん」
「食べ物で人の年齢を当てられるんですか?すごいですね」
はいお待ち、と言いながらラーメンとオムライスが同時にカウンターから姿を見せる。「クソ生意気かよ。ガキはこれだから」「……………。」なんか、なんでこの人こうなんだろう、と聞きながらそう思ってしまった。口を開けば悪口雑言、子供のような絡みがひどい。もう少しこう、なんか、と思いながらとことこと窓際にあるカウンター席に二人で腰掛けた。
ちょうど窓の外が見えるような格好になっている。既に夜も近い時間帯だからろう。食堂に人はまばらだ。入院している患者たちも部屋にいるのだろう。大体、患者には配膳があるのだからそれが普通だ。
「……つーかなんでお前だけなんだよ」
分かりにくい物言いだったが、その一言でツェッドは気が付いてしまった。まじまじと隣に座る男を見てしまう。
「…なんだよ」気まずそうにザップが言った。
そういうことか、と納得した。なんだか今日ずっと苛々している、と思ったのは気のせいじゃない。苛々している、と思ったのは任務中ではなく病院に来てからなのだから、分かり易い。レオがいないせいだ。
「…レオくんならバイトです。シフトを変わってほしいと連絡があって」
「またかよ。どー思うお前。大先輩と仕事どっちとるよ」
暗にレオがいないから機嫌が悪い、ということを認めた発言だったが、ツェッドはツッコミを入れなかった。入れたら入れたで面倒臭い。
「生命の危機ならともかくとして、こういう状況なら仕事を取るのでは?」
そう正論を言うと、「けっ」とザップは拗ねた顔でチャーシューをぱくんと口に入れた。好きなものは先に食べてしまうらしい。レオくんとは反対だ、と思いながらチキンライスをスプーンで掬った。焼いた卵の隙間から、グリーンピースが顔を出している。
「…いつも思うんですけど、あなたレオくんが好きなんですよね。どうしてそう意地悪ばかり言うんです」
そう一気に言った瞬間、ザップはごほごほごほ、と大げさなくらい咽た。「あ」慌てて立ち上がって給水場所を探す。すぐ近くにあったので、これ幸いと急いでコップに水を入れて、戻ってきた。
はいどうぞ、と手渡すとすぐにザップはそれを受け取って、一気に煽る。
「お、おまえ………、よくそーいうこと真顔で言えんな…」
ぞっとした様子で言ったザップに、「はあ」とツェッドは相槌を打つ。「真顔でしたか」「あ?いや知らんけど」「真顔でって言ったじゃないですか」適当だな、と非難を込めた眼差しを向ける。
「ガキにはわかんねえだろうけどよ。これは駆け引きなんだよ」
「かけひき」
覚束ない言い方でそう繰り返したツェッドに、「そうだよ」とザップは頷いた。「あいつだって俺のこと好きな癖に、全然そんな素振り見せねえだろ。んじゃ俺ばっかそーいう態度見せらムカつくだろ」そう一気に言うと、ザップは再び箸でラーメンを食べ始める。
「…………。」
それは果たして駆け引きなんだろうか?意地の張り合いと言わないだろうか。
そう思ったのが伝わったわけでもないだろうが、「なんだよ」とザップが訝し気な顔をした。
「やっぱお子様にはわかんねーか。お前いくつ?5歳?」
「………この世に生まれたという意味では11です」
面倒臭い、と思いながらオムライスをスプーンで掬う。「11ぃ?オイマジかよ」ザップは当然、ツェッドの年齢なんて知る由もない。大げさともいえるくらい驚いた反応をした。
「マジで?お前100年とか生きてんじゃねえの?」
「どこの知識なんですかそれは。生きてません。11年ですよ」
意味不明な反応をされてしまった。言い返したツェッドを見て、まじかー、とザップは驚いた様子で言った。「んじゃお前、誕生日とかあんの?」「は?え、いや、まあそれは」ありますけど、と言いながらオムライスを食べる手を止める。少し戸惑った。
「いつ」
「いつって……な、なんですか?いきなり」
戸惑いが更に増す。年齢を聞かれるのは何となくわかったような、わからないような、つまり世間話の一環と捉えたが、そこから誕生日の話に飛んだ理由がよくわからない。たとえばこれがK・Kあたりから聞かれたことならわからなくもなかったが、話題を持ちかけてきたのは兄弟子である。他人と絡むのは好きな割に、他人の本質その他については大して興味がなさそうな、この兄弟子なのだ。
「いきなりもなんもねえよ。聞いてみただけじゃねえか」
何言ってんだ、と訝しそうな顔をしたザップに、戸惑いはまだあったものの、そういうものかな、と一応思い直した。呆れたような顔をされたせいもあったし、平気そうな顔でラーメンを食べ始めている兄弟子を見て、納得した。これもどうやら世間話の一環らしい。
「…ええと。あのー………明日です」
ぼそぼそとそう言った後沈黙が起きる。「へー」そしてザップの気の抜けたような返事があった。ほっとする。
ここで大げさなくらいのリアクションを取られていたら、もっと戸惑ってしまうところだった。この程度のリアクションなら、何も心配することはないだろう。何に心配しているのか、分からないが。
オムライスをスプーンで掬う。最後の一口まで食べ終わって、美味しかったなあと外を見つめる。とっくの昔に空は暗い。赤かったり青かったりする何かが、ふよふよと空を漂っているのが見えた。
一方兄弟子は、隣で何事か考え込むような顔をして、ほうれん草を口に入れていた。
ツェッドは気が付いていなかったけれど。


◆◆◆
そして翌日、何の変哲もなくツェッドは目を開けた。ごぼごぼと泡が漂う水槽から出て、エアルギルスを装着し、床に着地する。タオルで身体を拭いた後に着替えると、ギルベルトに挨拶をした。
「行ってらっしゃいませ」
そうにこやかに挨拶をしてくれた執事に、ツェッドも軽く会釈をして、公園に向かった。今日はライブラの仕事は休みなので、副業の日だ。

クレープを食みながら、「そいでさあ」と可愛らしい声で彼女が言った。
「男って誕生日に何あげたら喜ぶ?」
「…………一概にはなんとも…」
悩ましげにそう言ったツェッドに、「だよねえ」とエレンは溜息を吐きながら同意した。「財布とかさー、あんまり意味ないじゃん。こんな街だし」「一概にはなんとも」「アンタそればっかじゃん」口を尖らせた彼女は、まるで熱帯魚のように見えて可愛らしくもあった。
「セルゲイさんに伺ってみては」
「あげる相手に聞いてどーすんだよ」
クレープにかぶりつきながらそう言われてしまった。「あ、セルゲイさんにお渡しするんですか?」「そ。何がいーかもうわかんないんだよね」悩みすぎちゃって、と言いながらぐいと口元を拭ったエレンの隣で、うーん、とツェッドも腕を組んで考えた。
たまにこうして副業をしている公園で、エレンと会う。聞けば素直には言わないが、どうもたまに父親のセルゲイの顔を見に来ている――――らしい。はっきりと言っているところを聞いているわけじゃないので、真相はわからない。ただ、たまに親子二人で帰っている図を見るのだから、そうじゃないかとツェッドは思っている。
「てゆかさ、アンタだったら何貰ったら嬉しい?」
「え?僕ですか?」
アンタしかいないじゃん、と言われてはあ、と言いながら考える。欲しいもの。今、欲しいもの―――、と考えたが中々浮かばなかった。
エレンは呆れた様子でツェッドを見ると、「欲ないんだ」と淡々と言った。
「欲無い奴って出世しないって言うよね」
「それは偏見です」
「あ、出世はしたいんだ?」
「いえ、別にそういう…」
そう言いながら、うーんと考える。欲しいもの。欲しいもの……。
無言で考えているツェッドの隣で、エレンも無言でクレープをかじっている。「……マジでないんだ?へー。聖人」「やめてください」顔を顰めてそう言うと、エレンは笑った。
「そーいう顔もするんだ」
「しますよ。それは」
「ふうん」
「…………欲しいもの…」
「そーいやアンタ誕生日いつなの」
「え?」
最近流行ってるのだろうか?とぎょっとしてそう言ったツェッドに、「何」とエレンが変な顔をする。
「あ、セルゲイさんは誕生日なんですか?」
「は?なんで?違うけど」
「…………。」違うのか。何で聞いたんだ、と思いながら「今日です」と淡々と返事する。
「うっそマジで?」
今度はエレンにぎょっとした様子で言われてしまった。
「……そうですけど…。いえ、でも、何もしないでください。そういう理由で言った訳じゃありませんし」
「しないけど別に」
「…………。」
これは少し恥ずかしい気がする、と思いながら悩んでいるツェッドの横で、でもおめでと、とエレンは言った。
「でも今日ってさ、アンタ4年に1回しか年取んないじゃん」
「……一般的には前日に祝うのを普通としますね」
「ふうん。いつもそうしてんの?」
エレンは何の気なくそう言ったのかもしれない。ツェッドの年齢も知らないだろうし。
「いえ。今まで祝っていただいたことはありませんが」
だからツェッドも何の気もなくそう言った。ツェッドにとっては何の変哲もない事実だからだ。今の今まで師匠と共に世界を巡ってきたわけだし、それより前は伯爵と一緒に遠い地で暮らしていた。毎日会話はしていたが、誕生日を祝われたことはなかった。今日がお前を造った日だ、と言われたことが、一度だけある。それくらいだ。
だがその瞬間、エレンが立ち上がった。「え?」きょとんとしてそう言ったツェッドの腕が掴まれる。「え?」もう一度そう言ったツェッドを他所に、エレンは一直線にクレープ屋のワゴンへ突き進んでいく。
「あ、あの。エレンさん」
「……………あ。いた」
彼女の視線の先を見ると、そこにはセルゲイが立っていた。公園の端らしき場所で、何やらしゃがみこんで作業をしている。「親父!!」「えっ」隣から発せられた大声に、ぎょっとしてしまう。
「エレンさん。あの、セルゲイさんは仕事中、」
「親父ってば!……パパ!!」
そこでセルゲイは漸く気が付いたらしい。困ったような顔をした後、辺りを見渡してこちらにひょいと手を上げた。穏やかそうな笑顔は、ここ最近頻繁によく見るものとなっていた。
「今日ツェッドと夕飯行くから!」
「え?あの、」
セルゲイはきょとんとしたようだったが、エレンが「夜!」ともう一度叫ぶと、慌てて両手で丸を作ってこちらに『OK』の意図を伝えた。「おし」小さくガッツポーズをしたエレンを見て、セルゲイは不思議そうな顔をしたものの、ぺこりとツェッドに会釈をする。そして再び仕事に戻った。
「オッケーオッケー。ねーおっさん。ストロベリーチョコファッジモンスターマシュマロクレープ2つ」
ぱっとクレープ屋に向き直ったエレンが指を二本立ててそう言った。ワゴンで何なんだ、と退屈そうな顔をしていた店員が、「あいよ」とぶっきらぼうに言うとクレープを造り始める。
「…2つも?」
「いっこあんたの。奢ったげる」
「え?どうして」
「ハッピーバースデー」
そう言って笑ったエレンを見て、ツェッドは慌てて手を振った。「い、いや。そんなつもりじゃ」「わかってるっつーの。アンタに欲がないっつーのは」「そういうわけでは」そういうわけじゃん、ときっぱりと言われてしまったが、そういうわけでもないとツェッドは思う。欲がないというよりも、すぐに思いつく欲がないだけだ。
それを欲といっていいのかわからないが。
欲と願いは違う気もするし。
「あと夜。夜空いてんでしょ」
「え?ええと…はあ。空いてはいます」
「ピザとパスタどっちがいい?」
おもむろに聞かれて考えそうになったが、慌てて「いやいや」とそう言った。どっちもイタリアンだ、ということを他所にしても話についていきにくい。
「何がよ」
不思議そうに言ったエレンがクレープを一つ受け取った。巨大なアイスクリームと、ポッキーと、チョコブラウニーと、ウエハースがこれでもかと盛られている。カラースプレーとアラザンがごてごてしく全体を彩っていた。クレープというよりも、パフェに見える。ていうかマシュマロはどこなんだ。名前にマシュマロが冠されていた気がするけれど。
「………………。」
僕にもこれが来るのか、と思っている間にも、店主は無言でクレープを作り続けている。今更いいですとは言いにくい。派手なクレープは、アメリカン・スイーツの極みに見えた。
エレンはブラウニーを齧りながら「ねえ」と追撃するように、そう言った。
「どっち?」
「………生魚がないほうで」
そう言うと、エレンは笑って「オッケー」と言いながら2つ目のクレープを受け取った。
ツェッドのクレープには、話を聞かれていたのかなんなのか『HAPPY BIRTHDAY』と描かれたプレートがのせられていたので、ツェッドは顔を引き攣らせてしまった。いや別に、そういうつもりじゃないんですけど。


じゃーね、と手を振るエレンと一緒にセルゲイも会釈をした。二人で連れだって夜の街へと帰っていく様を見て、ほっと息を吐いた。満腹だ。
結局、セルゲイも同席しての夕飯となった。直前になって「来るんでしょ?来ないわけ?」と喧々諤々やりあっていたエレンの電話の後、セルゲイが慌てながら走ってきた。遅い、と怒るエレンに謝りながら、こんにちはツェッドさん、と穏やかに挨拶をするセルゲイの雰囲気は、いつもながらとても落ち着いていて話しやすかった。いい人だなあ、と単純にそう思った。
「……美味しかったな」
そう言いながら夜道を歩く。少しだけ飲んだので、頬が熱い。熱を冷ましてから帰ろう、とわざと遠回りの方面へと足を運んだ。
海が見えたので足を止める。深夜、あの巨大な軟体生物がいったいなにをしているかは定かではないが、何かが外からやってこない限り大人しいという性質は、いたくこの狂った街に似合っていた。よくよく考えたら、自分も無理矢理外から侵入してきたのだ。よく生きてたな、と今更思った。
自分が生まれた日もそろそろ終わろうとしている。別段、感慨深いとは思わなかった。もし毎年伯爵に祝われていたらそうも思ったのかもしれないが、彼の血界の眷属は、ツェッドにおめでとう、と言ったことは一度もなかった。自分が造り出したものなのだから当然なのかもしれない。
造り出されたその日がたまたま、今日と同じ日にちだったというそれだけなのだから。
ハッピーバースデー、と店員が言いながら小さなクラッカーを鳴らしたことを思い出す。エレンは仏頂面で肉をかじっていたところを見ると、恐らくセルゲイが事前に急遽店に頼んでいたのだろう。ノーリアクションのツェッドを見て、セルゲイは物凄く焦った顔をし、エレンは「だから言ったじゃん」と呆れたように父親を詰った。慌てて「びっくりしたんです」と伝えて、ツェッドは礼を言った。
これがサプライズというやつなんですか、とケーキを見ながら聞いたツェッドに、セルゲイはほっとした顔をしたし、何その言い方、とエレンは爆笑した。そうだよ、と言いながらHAPPY BIRTHDAYの文字が書かれたプレートをケーキと一緒に取り分けられて、今日2つ目だな、とツェッドは昼間のクレープを思い出した。
「…ハッピーバースデーか…」
ぽつりと呟いた。世間の人々は、誕生した日に何を思うのだろう。嬉しいとか、楽しいとか、ポジティブな感情だけではないと思った。きっと、どうしてだ、と思う人もいただろうし、悲しく思う人もいるだろう。
ツェッドはどちらでもなかった。ただ、それが『そう』なら、と思いながら足を動かし始める。
それが「そう」であるなら、前に進むしかないんだろうなと思う。

水槽から初めて外に出た時に見た光景が、いまだに脳裏に蘇ることもある。
それと同じように、一緒に戦う同僚たちの顔が浮かぶこともあるし、伯爵のことを思い出すこともある。友達の顔を思い浮かべることも、馴染みの店の店員のことを思い出すこともある。そうじゃない誰かのことを考えることだって、たまにはある。
「…………帰るか」
小さく呟いて、海から眼を戻した。たぶん、誕生日とは関係ないんだろうな、と歩きながらそう思う。こうやって外を見て感傷的になってしまうのも、過去のことを思い出すのも、これから先のことを考えるのも、たまたま、それが、今日だっていうだけで。今まで考えたことがなかったわけじゃないんだし。
ただ、いつも同じ場所に辿り着く。

あの時、水槽の外に出てよかった。
それを選択できるように、生きていてよかった。


事務所のドアノブを掴んだ瞬間緊張した。「…………、」誰か中にいる、ということに気が付いたからだ。
当然、事務所なのだから誰かがいるのは当たり前のことだ。だが、中にいる誰かが息を殺しているということに同時に気が付いたのだ。息を呑んでしまう。
「……………。」
念のため戦闘態勢に入る。ギルベルトは既に帰宅しているのだろうか。あの人も当然、普通の人ではないのだから心配し過ぎるということはないと思うけれど、と考えながら、ドアノブを回した。
「えっ」
「えっ?」
クラッカーの紐を掴んだレオナルド・ウォッチがそこに突っ立っている。「……あれ?なんで?」そう言いながらぐいぐいと紐を引っ張っているレオの横に、ちょっと、と言いながらチェイン・皇がゆっくりと姿を現した。突然のことに、頭がついていかずぼやっと二人を見つめてしまう。
「何してんの?クラッカーは?」
「いやなんか……紐が切れないんすよこれ…」
そう言いながら、レオはもたもたとクラッカーを弄っている。それを呆れたように見ていたチェインが、無表情でこちらを向いた。ぎくりとする。
「あ。え、ええと。こんばんは」
「…………あのさツェッド。悪いけどもう一回入ってこれる?」
仕切り直ししないと、とチェインが頭を掻きながら言った瞬間だった。
ぱん、という音と一緒にクラッカーが弾ける。「うお!?」レオが驚いた様子で声を上げた。
「ちょ…っと、」
嘘でしょ、と耳を塞いだチェインの前どころか、レオとツェッドの前にもクラッカーの中身が転がりだした。本来、中空を向けて撃つものを床の方面に撃ってしまったせいだろうが、紙吹雪が床の上にふわふわと舞い踊っていた。火薬の臭いがする。
「うおびびった。なんだよ今の音」
「わっ!?」
唐突に後ろに現れた兄弟子に、ぎょっとしてしまう。「おいレオ、犬、有難く思えよ。ケンタッチー行ってきて………、……何してんだよ」ツェッドを追い越して、やれやれという顔をしたザップが室内に入っていく。床に紙吹雪と紙テープ銀テープがぶちまけられているのを見て、何じゃこりゃという顔をした。
「…………ツェッドさん………」
頭を抱えんばかりの表情をしているチェインの横で、レオが恐る恐るそう言った。「は、はい……」何となく、次の瞬間に言われる言葉も予想がつく。
レオが引きつった笑顔を浮かべている。
「………誕生日おめでとうございます…」
「……………あ……ありがとうございます………」
「…………………。」
「なーオイ。冷めるしもう食おーぜ」
しん、という沈黙の中、時計の針が、かちりと音を立てた。



ピザを齧る兄弟子が爆笑している。
「マジでアイツさー……俺が教えてやった意味ねえじゃん……バカじゃね…」
肩を震わせながら兄弟子は爆笑し、カウンターでうつ伏せになっている。ツェッドははいはい、とそれをスルーし、カウンターの奥に向かって注文を告げた。やっぱりミートソーススパゲティがいい。鉄板だ。
「…おかしいと思いました。誕生日の話題はともかく、明日と言ってあなたがノーリアクションなわけがない」
「あ?そりゃどーいう意味だ?俺がオメーの誕生日祝うわけねえだろ」
がば、と起き上がって悪態を吐いたザップは、ピザの横にあるジェノベーゼにフォークを伸ばす。
「祝う祝わないではなく、単純な人間の心理として、ですよ。明日が誕生日ですと言ったら、少しは驚くのが普通でしょう」
「けっ。知らんわ」
「…………。」自分で聞いたくせに、と思ったものの、いつものことだったから放置した。
明けて翌日、本日は三月一日だ。
ザップがツェッドに病院で誕生日を聞いたのは、話の流れではなかったらしい。聞けばレオに頼まれたのだ、ということだった。なんだか変だとは思ったのだ。話題上不自然ではなかったかもしれないが、リアクションが薄過ぎた。通常のザップの反応からして、マジで?くらいは言うのが普通だっただろう。
「…スティーブンさんにでも聞けばすぐわかるでしょう」
「個人情報を漏洩させるのはイヤだって言ってたぞ。あいつ」
「……………。」
真面目なのかなんなのかわからない。確かに上司に聞くよりは、本人に聞いた方が確実だとは思うが。
「それであなたに白羽の矢が?よくわかりませんね」
「自分じゃ絶対わかんねーように聞くの無理だからってよ。サプライズしたかったんじゃねーの。聞いてねえけどそーいうことだと思うぞ」
そうフォークを突き付けられて言われたので、やめてくださいと顔を顰める。「旦那に影響受けてんじゃねーかなぁあいつ」そう言ってザップは素直にフォークを下ろしたが、それがツェッドに言われたからではなく、スパゲティを食べるためだというのは、容易に想像がついた。
「…驚いたのは驚きましたけどね…」
「俺らの方が驚いたわ。明日とか言われてよ。しかもお前帰ってこねーし」
日付変わると思ったっつうに、と憎々し気に言ったザップは、フォークをぐるぐると器用にスパゲティで飾っている。いつも思っていたが、手先が器用だ。
「僕にも予定がありましたので」
「そりゃなんかはあんだろーなって思うわ俺らも。んでもお前のことだろうから零時前には帰ってくんだろって思ってたんだよ。クソ真面目なんだからよ」
「はあ…」
「あ、お前さては女だろ」
そう言われて顔を顰めた。なんでいつもそうなんだ。「邪推はやめてください。下品な」そう言ったツェッドに、お前な、と言いながらザップが立ち上がりかける。しかし丁度ツェッドの注文が運ばれて来たので、気勢を削がれたようだ。むっとした様子のまま、兄弟子はカウンター席に再び戻った。
ちょっとの間無言になる。コーヒーの香りがした。
「……誕生日ねえ。俺はそんな概念知らんかったぞ。ここに来るまで」
「概念は言い過ぎでは…」
「知らねえだろ普通。あんな日々の中自分が生まれた日なんか気にするか?いつでもいいわそんなん」
食ってかかるように言われたものの、その内容におかしくなってしまう。「い、いつでもは言い過ぎでは」そうツッコミを入れる程度には、笑えた。
しかし兄弟子はそうでもないらしい。顔を顰めて言ったそれは、苦々しくも真剣そのものだった。
「いつでもいーだろうがあんなん。どーせもう、」
ザップはそう言いながらぐるっとフォークを器用に回した。

「生まれちまってんだしよ」

もう一回無言になる。なる、というより会話が途切れたといった方がよかった。二人でいるとままあることだ。ほっと息を吐く。
「…………それも、そうですね」
「だろー。……あ、お前旦那に連絡しとけ。ポイント着いたって」
「まだ着いてませんし、流石にまだ早いでしょう」
やいのやいのと言い合う中に、またコーヒーの香りが混じる。ザップの前にコーヒーが到着していた。サンキューと兄弟子がウエイトレスに手を上げる。ナンパしそうになったら止めないとな、と肩を竦めてそう思った。
自分が頼んだミートソーススパゲティは、湯気が立っていてとても美味しそうだった。やっぱりこれは、どの店でも外れがない。
フォークをスパゲティに突き立てながら、ふむ、と思った。
「…僕はあなたをあまり尊敬していませんが、フォークの扱いは尊敬します」
「あ?なんだ?お前ソレ舐めてるよな?バカにしてるよな?」
ぎゃあぎゃあ横で煩い兄弟子の声を聞きながら、くるくるとフォークを回した。
まあたまには、いいかもしれない。ああいう一日も。

一年に一回くらいなら。