日常
2019/10/06
犬が死んだのだと言う。
実家か、と聞くと後輩は首を振った。聞けば映画だという。呆れた顔をした俺を見て、映画で泣いたら悪いのか、と後輩は言った。
「ザップさんも見ればいいんですよ。ほら」
泣くに決まってるから、と言いながら後輩に腕を引っ張られて、部屋の中へと連れてかれた。とはいえ玄関から高々数歩の距離だから、連れていかれたというよりは、ただ単に歩いたという感じがする。
部屋の中からはポップコーンの匂いがした。
映画を見ている最中にポップコーンを食べるのは義務らしい。そんな義務は聞いたことがなかったが、後輩はそうなのだ、としきりに主張をした。幾ら俺でも映画館にくらい行ったことがある。だからそんなわけがないとは分かっていた。けれど面倒だったので、それに反論はしなかった。
ザップさんが来たから最初から見る、と後輩はわざわざ見ていたらしい映画を巻き戻しし始めた。わざわざそんなことをしなくてもいいと言ったが、明日は休みだからいいのだ、と後輩は言った。明日が休みだからといって何だと言うのだろう。そう言うと、夜更かししてもいいという意味だと言われた。さもありなん。
犬が死んだと言われたが、画面の中は薄暗い。犬どころか人も死んでいるのではないかと俺は思った。
後輩はポップコーンを手にすると膝の上に置いた。「あ、勝手に食ってください」そう言ってリモコンを横に置く。言われなくても勝手に食うけどな。
ベッドの上で見る映画も何度目なのか覚えていない。そもそも、俺は映画をそんなに見ない。コイツと知り合ってからだ。矢鱈と映画を見るようになったのも、ゲームをするようになったのも。
てゆか俺映画を見に来たんじゃねえんだけど。
そう俺が言うと、後輩は分かってますけど、と照れた様子でそう言った。「でも中途半端なところでやめられませんよ」その声を皮切りに、映画が本格的に始まった。
人が死んでいる、と勝手に思っていたがそれはどうやら本当のことらしい。当然映画の中での話だが。
「ゾンビって映画によって設定違うじゃないですか」
そう言われたが、俺はゾンビ映画だろうがなんだろうが、大して見ていない。知らんと言うと、違うんですよと念押しされた。腐った人間が腐ってない人間を襲うのだろう、と言うとまあだいたいそうですと言われた。んじゃ違うくないだろ。
「違うの。これは…あっ、ほら」
見てくださいって、と言いながら袖を引かれた。横にいるんだからわざわざ引かなくても言えば分かるようなもんだが、俺は文句を言わなかった。変に意地を張るこの後輩が、こうやって俺に触ってくるのは滅多にないからだ。
それじゃあこっちから触ればいいかと言われると、そういうわけでもない。その辺は説明しないが、色々、ごちゃごちゃ、喧しく複雑な何かがあるのだ。俺の中でも。
「ほら犬。犬もいるでしょ」
確かに映画では、犬が飼い主と一緒に暮らしていた。世界はゾンビにやられているので、それじゃあこの後犬もゾンビになってしまうのか、と俺は理解した。最初から見たところで、犬が死ぬと言われているのだから俺だって先の予想くらいは出来た。ていうか最早コイツの発言はネタバレだ。
犬の飼い主がこの話の主役らしい。どっかで見た顔だ、と思ったらウィル・スミスだった。ウィル・スミスの出ている映画ばかり見ている気がする、と俺が指摘すると、後輩は最近たまたまそうなだけだ、と言った。
妬いていると思われるのも癪だし、第一俳優に妬く程俺は馬鹿ではない。なのでそれ以上は突っ込まなかった。大体、考えてみれば俺もコイツと一緒にいる時映画を見ているので、俺もウィル・スミスの出る映画ばかり見ていることになる。別に何でもいいか。
この犬が死ぬのかと聞くと、後輩は嫌そうな顔をした。お前が言ったんじゃねえか。
「それはそうですけど。嫌でしょなんか」
何が嫌なんだ。そう思ったが聞かなかった。聞かなくても、何となくわかったからだ。理由は分からない。ただ、この後輩が答えそうなことは予想がついた。
「あ、てゆか食って下さいよ。湿気るのヤだし」
開封したからには食い尽くさなくてはならない。そうとでもいうかのように、ぐいとポップコーンを突き出された。キャラメルじゃない味にしたところは評価してやる。俺がそう言うと、売り切れだったんですと憎らしいことを言われた。
ポップコーンを食いながらゾンビ映画を見ている。
だから何だと言われても困る。口の中がしょっぱくなった。このポップコーン、ちゃんと塩が混じってねえじゃねえか。さては横着したな、と横にいる後輩を睨んだが、画面の方に集中しているせいか、このアホは俺の視線には気が付かなかった。
果たして犬はまだ生きている。俺がそう言うと、後輩はもう、と怒ったように言った。
「やめてくださいよ。可哀想じゃないですか」
可哀想も何も、お前が言ったんだろーが。
そう言い返すと、そうだけどと言いながら後輩がこちらにずいと詰め寄ってきた。
「ヤなもんはヤでしょ。てゆかザップさんはまだこの先見てないんだから、犬が死ぬかどうか分からないじゃないですか」
いや、お前が言ったんだろ。犬が死んだって。俺がそう言い返す前に、後輩はポップコーンを俺の口に無理矢理突っ込んで画面へ戻ってしまった。
塩の味がする。
お子様め、と思いながら肩を引っ張った。
「うわ!?」なんですかちょっと零れる、と膝の上に置いてあるポップコーンをしっかりと掴んだ後輩がこっちを向いた。口を塞ぐならもっといいやり方があるだろうに。
塩の味がする。けれどそれが俺の口からなのかコイツの口からなのかは分からなかった。
どっちもか。
「――――っぷは、」
何すんですか、と言いながら後輩が口を拭っている。いつも思うがその態度はどうなんだ。嫌がられているみたいで結構傷付いている。ふざけ混じりにそう言うと、後輩は少し口籠った。
「……だってその、なんかこう」
具体性のないことをもごもごと後輩は言い連ねていたが、俺が無言でそれを聞いているのに堪えられなくなったらしい。「あーもうわかりました。わかりましたよ。だって仕方ないじゃないですか」唐突にそう叫び出したので、俺が驚いた。顔真っ赤にしてもごもご言ってんのが面白かったから見てただけなんだけどな。言わねーけど。
「俺は慣れてないの。だから慣れてるザップさんと違って涎とか出てるかもしんないなーと思ってあーしてるんですよ」
そう言って後輩はむくれると、ポップコーンの入った紙袋に手を突っ込んだ。ざらざらという音がする。今更混ぜたところで遅いだろう。塩はとっくに袋の底か。
「………俺も別にお前とするのは慣れてねーけど」
俺たちの口の中だ。
真っ赤な顔をした後輩が、何を言っているんだ、と言わんばかりに口を開いたその時に、もう一回。もう一回したキスはやっぱり塩の味がして、それはさっきと同じだった。
一つ違うことと言えば、今度はコイツが口を拭わなかったことだろう。仕方ないなあ、という、俺からすればこっちの台詞だ、と言いたいそれが聞こえる。
犬が死ぬシーンまでもたなかった。まあいいか、とテレビを消しながらそう思う。別に俺も好き好んで犬が死ぬシーンを見たかったのではない。そう言った。
「だから、そーいう言い方はやめて下さい」
お前が言った癖に、と笑って言うとレオはむくれた顔をした。
終
見ていた映画はウィ…・スミ…のあれです ゾンビのやつ