結婚しようか

2019/9/23

「やるよ」
そう言ってぽいと何かを投げられた。「わっ…と、ととと」危ない、と思いながら受け取った四角い箱を見て、なにこれ、と呟いた。
どこかで見たような気がする。
たとえばほら、クリスマスの時とかに。


小さな蓋を開ければ、中には柔らかい土台がある。というかそれしかない。土台の真ん中には横に一本線が入っていたが、上下にまるきし分断しているわけではない。その一本の線の真ん中に、見覚えのあるアクセサリーが収まっていた。
「指輪じゃないですか」
そう言って窓を閉めたレオナルド・ウォッチの眼の先にいるのは、職場の先輩だった。「そーだよ」きょとんとした様子で言った先輩はベッドの上に寝転がっている。当然、そのベッドは彼のベッドではない。レオの家にあるのだから、レオの家のベッドだ。
「え。なんで?要りませんよ」
「俺も要らねえんだよ」
そう言いながらザップ・レンフロは煙草を取り出したので、レオは慌ててちょっとちょっと、と言いながらベッドへと駆け寄った。とはいえそんなに距離はない。
「やめてくださいよ。窓閉めちゃったし」
「じゃあ開けろって。窓」
「もう寝るのに何で開けなきゃならないんですか?幾ら何でも開けて寝るのは」
防犯的な問題で、とレオが言ったのを聞いているのか聞いていないのか、ザップは面倒臭そうにそれを遮って、言った。「んじゃ寝なきゃいーだろ」毎度ながら何て勝手なんだ、とレオは顔を顰めてしまう。
「寝ますよ。ザップさんも寝たらいいでしょ」
「寝るっつーに。んでも一本喫わねーとやってらんねんだよ」
むちゃくちゃだ、とレオは思うとベッドにすとんと腰掛けた。「んじゃー俺は寝ますよ。窓開けとくんで、ザップさん一服したら窓閉じてください」そう言って毛布を掴んだレオの首根っこが、ぐい、と掴まれた。「ぎゃあ!?」

悲鳴を上げた瞬間、隣からどん、という音が聞こえたがこれも最早いつものことだった。
もしかして隣人も、ここまでがワンセットという義務感から壁を蹴っているのかもしれない。

「俺が起きてんのに何でお前が寝るんだよ」
何でだよ、という表情をしている先輩を見て、レオこそ何でだよ、という顔になった。


やってらんないって何が、と言いながら窓を開けたレオのベッドで、優雅に先輩は寝転がている。「寝たばこはダメです。起きて」「うるせーなマジで」そうザップは言ったものの、のろのろと起き上がった。子供かよ、とレオは呆れてしまう。実際、子供みたいな精神年齢の人ではあると知っていたものの、思わずにはいられない。
「子供っすか」
言ってしまった。当然のようにザップが煙草をぽいと放り出して立ち上がったので、レオは慌てることとなった。「ちょ、ちょっと待って」「待つアホがいるかボケ」そう言ってばしん、と頭を殴られた。
―――理不尽だ。
じんじんと痛む頭を押さえたレオは、不承不承ベッドに戻る。ひでー先輩だ、と思ったが今度は口にしなかった。
ついさっき受け取った箱がベッドの上に転がっている。「そんでこれ何なんですか?」そう言って箱を手に取ったレオを他所に、ザップはさっき放り投げた煙草を手にした。
「指輪だろ。どう見ても」
「じゃなくて、何でこんなの買ったんですかって」
そう言ってレオは再びその指輪ケースを開ける。やっぱり、中には真ん中に宝石がついた指輪が収まっていた。
「買ってねーよ。昼間絡んできたやつをボコったらポケットに入ってた」
「は?」
ぎょっとして顔を上げてしまったレオではなく、窓の外を見ながらザップは煙草をくゆらせていた。「窃盗じゃないですか」「ちげーよ。そいつがこれで勘弁してくださいって押し付けてきたんだよ」「……………………。」確かに窃盗ではない。恐喝だ。
「ひっでーな…これガチのマジなやつでしょ。プロポーズとかに使う」
「使うかぁ?んな仰々しーやつ」
仰々しいから使うもんだと思いますけど、と思いながら蓋を閉めてレオは気が付いた。ん?おかしいぞ。普段のザップだったら、手にしたその瞬間にさっさと質屋なりなんなりに行って、この指輪を現金に替えている筈である。それをわざわざ夜まで持ち越し、今これがレオの家にあるということは――――、
「…イミテーション?」
レオのそれに、なんだ、とザップがふざけたように言ったのが聞こえた。「わかんねーくせにわかんのかよ」「どっちですかそれは」そう苦笑してレオは再び箱を開けた。
箱の中にある指輪は、一言で言ってしまえば綺麗だった。指輪というよりも、宝石が美しいのだろう。レオは宝石に明るくないので詳しくは分からないが、ダイヤモンドみたいに見える。透明なのか白なのか分からないが、輝くそれは、昔写真で見たものととても似ていて、美しい。
「ここに持ってきたってことはそうなんでしょ?」
そう言ったレオに、そーなんだよなあと怠そうにザップは言って煙を吐き出した。「儲けたと思って店行くだろ?んで換金しようとしたら一ゼニーにもなんねーんだと」「一ゼニーにも?マジで?」イミテーションとはいえ一応値段は付きそうな気がするけど、と顔をしたレオに、そーなんだととザップは繰り返した。疲れたようにぱたんと寝転がってしまったので、レオは慌てて彼の傍に寄る。シーツに皺が寄った。
「たば――――わっ!?」
そのまま腕を引っ張られて抱き寄せられたので驚いた。「う、うわ…びっくりした。なんですか……」「………お前もーちょいなんかねーの?」具体的に欠けることを言われたので、レオは不思議に思った。意味がわからない。
「なんかって?」
「なんかはなんかだよ」
別にいーけど、と言ったザップが壁際に少し移動したので、レオはそのままベッドの上に寝転がった。うつ伏せになりながら掌の上に乗る指輪を見て、値段付かないんですか、とさっきの話を再開する。ちなみにザップは仰向けで眠そうな顔をしていた。
「付かないらしーぜ。ジジイが言うにはな」
「ガンさんとこ行ったんですか?」
ああ、という顔をしたレオにおうとザップは言って欠伸をした。「ソレガラスらしーぜ。ジジイが言うにはな」「ガラス?」うそ、と言いながらまじまじと指輪の上に乗るそれを見つめたが、ガラスには見えなかった。流石に宝石とガラスの区別くらいはつくと思ったけど、とレオは宝石―――ガラスの奥に映る自分の姿を見て思った。つかなかったということだろう。もしくはこのイミテーションが普通よりも精巧なのだ。
「んじゃ返してきたらいーじゃないすか」
「どこのどいつだか知らねーし」
「ああ、まあそうですよね……その人も災難ですねえ…」
そう言って指輪を手に取り、宝石―――ではなくガラスを見つめていると、なんだよとザップはむっとしたように言った。「どこがだっつの。そいつは今頃彼女にニセモン渡してプロポーズだぞ」「それは俺が勝手に言っただけでわかんねーすけど」まあでも誰かにあげるために買ったのは確かだろう、とレオも思った。
「別に偽物でもいーけどなぁ」
「あ?」
なんだそりゃ、とザップが言ったそれに、だってとレオは返事をする。「プロポーズが目的ならいーんじゃないですか。なんでも」「………お前マジで童貞だな。だから童貞なんだよ」「……………。」無言でザップのことを蹴ったが、先輩は笑うだけで珍しくこっちにやり返してこなかった。
「なんでもいいんじゃ鉄パイプでもいいっちゅーことになんだろ。血ィ付いた鉄パイプ貰って結婚してくださいとか言われてみ?」
「極論過ぎませんかねそれは…そりゃ俺も鉄パイプはヤだけど」
手の中で転がしている指輪を見つめながら言ったレオは、特に何も考えず言った。「でもザップさんさすがに鉄パイプは持ってこないでしょ」そして少し、間が起きた。

―――――はっ。

すぐに気が付いてレオはがば、と身を起こした。ザップはいつの間にか肘を付いてレオの方を向いていたが、その顔が今やぽかんという表現では足りないくらい、呆然としている。
「………、………えっ」
「あ、い、いや別に今のは俺の話じゃなくて」
愛人とか――――と、言おうとして、レオは結局黙った。言いたくなかった、と言いたくなかったが、つまり―――そうつまり、言いたくなかったのだ。愛人に言う時とか、なんて思ってもないことを。
「……………………お」「お?」怪訝そうにザップが言う。
「おやすみなさい………」
「ちょ待てよお前な。いつもそーやって、」
逃げるなって、というザップのそれを聞きながら毛布を無理矢理被ると丸まった。「おやすみなさい!」「レオてめー」ふざけんなよ、と言っている先輩の声が笑っていたので、レオは益々顔を上げられなくなってしまった。


翌日、目覚めたレオの目の前に指輪が綺麗に置いてあった。ケースにセットされた状態で、しかし蓋が開いたそれは、貴金属店での置き方に似ていた。
「…………、……嫌味かっつの…」
そう言った自分の声がまだ照れていたのでレオは動揺するよりも先にげんなりした。「………はあ…」小さく溜息を吐いて指輪をケースから取る。寝転がったまま、うつ伏せのまま、何となくそれを指にはめた。サイズは当然合っていない。レオの指には緩かった。
「………鉄パイプはないと思うけど」
「お前しつけーぞ」
「ぎゃあ!?」
うるせえな、と眠そうな先輩が欠伸をする。「お、起きてたんですか!?」「今だよ今。お前がぶつくさ言ってたからだ」「ぶつくさって」大して大きな声出してねっすよ、と口を尖らせて言ったレオに、へーへーとどうでもよさそうに言った。寝起き時は結構この男も、雑だ。
「ちゅーかオメーそれ気に入ってんじゃん。やるよ」
「え」
それって、と慌ててレオは指輪を指から外した。「いーっすよ。要りませんてこんなん」「こんなんってオメーなんだよ。俺がカツアゲした相手が必死にプロポーズをだな」カツアゲって言ってるし、とレオは頭が痛くなりながら、口を開いた。つまり恐喝だ。
「だからプロポーズは俺が勝手に言っただけですってば。そうじゃないかもしれないでしょ」
「んじゃあよ」
そうかもしんねーじゃん、とザップは笑って言った。
「………まあ。そうかもだけど。………あのう」
これは、とレオは続けてしまった。あとから思うと、たぶんこの後思ったことは続けない方がよかったのだ。

「……ソレカツアゲ相手の話ですよね?ザップさんと俺の話じゃなくて」

そしてまた間が起きた。
―――――あ。
はっと思ったが今更遅い。「……おめーさ」「は、はい!?」指輪をぎゅっと握り締めながら、レオは慌てて返事をする。声が上擦っていた。

「俺が他人からカツアゲしたモンでプロポーズするような男に見えんのかよ」
「…他人からカツアゲした金で借金を返済する人の台詞じゃあないと思うんですよね」

それ、とレオは真顔で言ってしまった。お陰で額をぴんと弾かれた。
あたっと悲鳴を上げたレオの手の中から、指輪がころころと転がり落ちた。