それじゃあまたね
2018/02/12
バイト、と言った先輩にそうですけど、と欠伸をしながら返事をした。「だってもーニューイヤー・イブじゃないすか。今日こそ本番ですよ」コーヒーを手にしたあとにそう言ったレオナルド・ウォッチに、先輩はなぜか顔を顰めてしまった。
マジかよー、と言いながらベッドに座ったザップ・レンフロに、だからそーですけど、とレオは首を傾げた。「俺がバイトだとなんか都合悪いんですか?どっか行くの?」こんな日に、と言ったのは、さっき言った通り今日がニューイヤー・イブだからだ。明日になったら西暦が一つ先に変わり、今年は終わる。もしここが”まだ”紐育だったらタイムズスクエア通りは大賑わいだろう。
「俺今日お前の家いよーと思ってたんだよなー。バイトなのかよ」
どーせ深夜だろ、と言った先輩にきょとんとしながらも、レオは首を振った。「や、今日俺早番なんで、夕方までです。なんでそっちに夕方から行こうかと」そっちというのは秘密結社ライブラのことだ。レオもこの男も秘密結社ライブラに所属している構成員の一人だった。
それを聞いてザップはマジか、と言いながらこっちにぱっと目を向けた。「んだよさっさと言えよ。んじゃいーわ俺先事務所行ってるから、何もなきゃさっさと帰ろーぜ」「はあ」そう言ったものの、なんだかこの問答は非常に不可解だ。だからレオは傾げていた首を戻したものの、あのう、と言いながらデスクにある椅子に腰かけた。
「全然話が見えないんですけど。ザップさん俺と何をどうしたいんですか?」
「?お前と年越ししよーかっつってんだけど」
「え?俺?」
なんで、と言うとザップは何でってお前、と言いながら変な顔をした。「理由要んのかソレ。お前息するのにいちいち理由つけんのか?」「呼吸に理由は要らないけど、ザップさんが俺と年越しするのには理由が要りそうな気がするから聞いてんすよ」呆れて言ったせいか、ちょっと先輩は不満そうな顔をした。
そういえばクリスマス・イブもクリスマスもこの人と過ごしたっけ。今年の思い出―――というかつい数日前のことをレオは思い出した。今日特定の誰かと一緒にいたら絶対修羅場が起きるから、と言ってクリスマス・イブにレオの許にやってきた先輩は、結局その翌日もレオと一緒に仕事に行ったし、そのままレオの家にやってきた。また俺の家かよ、と言ったレオを軽く叩いたザップは、珍しくピザ代をちゃんと出し、そして珍しくレオにベッドを使わせてくれた。ただし、ザップも一緒にベッドに入ってきたので譲ってくれたとは言えない。勿論シングルなので非常に狭かったし。
すぐに寝てしまったザップと違ってレオは少しだけ起きていたからちょっと困った。確かにこの男と仲は良かったが、こんなに近くにいることなんて、任務以外じゃ全くないと言ってよかったからだ。レオが知らないシャンプーの匂いも、嗅ぎ慣れた葉巻の匂いも、それから寝ぼけたらしくこちらを抱き締めてきた手も困ってしまった。ちなみに抱き締められた時は流石にぎょっとして先輩を蹴飛ばしたが、ザップは起きなかった。眠りが浅いこの男にしては珍しい、とレオは辟易しつつもう一回蹴飛ばした。先輩は起きなかった。
「年越しってむしろクリスマスよりすげーイベントじゃねーか。だからよ、」
「クリスマスの時と同じで?」
先んじてそう言ってしまったレオに、けれどさっきと違って今回は、ザップは笑った。「そーそー。おめーといるのが丁度いーわけよ」俺も、と言って笑ったザップはコーヒーを飲んだ。「……あのー。ザップさんは俺以外に友達がいないんですか?」しかしレオがそうぽつりと言った瞬間だ。にこやかに笑ったままの先輩はすっくと立ちあがった。
「あ」
「………どーいう意味だテメー」
そう笑顔で言ったあとばしんと思い切り頭を殴られたので、レオはいってえと声を上げた。「い、…っだ、も、もー!!ちょっと何すんですか!?ま、まー確かに今のはちょっと俺も悪かったですよ!友達がいないってなんかヤバイ人みたいですしね!?」「お前いー加減にしろよ。てゆか誰がおめーの友達だよボケ」そう言われてレオはきょとんとした。眼がちょっと潤んでいる。痛かったのだ。
「え…………お、俺ら友達じゃなかったんですか?」
そう言った自分の声が結構動揺していてレオは驚いた。ありゃ?衝撃って言うか―――ショックを受けている声だ。そう思ったのも、それからその声の調子でザップにもレオの動揺が伝わったのだろう。先輩は途端にさっきまでの怒りを潜めて目をぱちぱちと瞬かせた。
「……、…………あー、……いや………、……つーか俺そーいうのまともにいたことねえからよくわかんねーんだけど」
そう言ってザップは困ったような顔をして頭を掻いた。「…そーいう感じなんか?俺ら」「…………。」目の前に突っ立って困惑した顔をしているザップを見てレオはきょとんとした。こういう顔するのかこの人。ただしその時、レオの中では驚きよりも勝っているものがあった。
「……ザップさんって」
「あ?」
「…そーいうとこは可愛げあるんですけどね」
そう言って苦笑したレオを見て、ザップは勿論顔を顰めてしまった。「…誰がだっつーの」そう言ってぺしんとまた頭を叩かれたけれど、今回はさっきと比べて弱い力だったし、何よりその声を聞いたら誰だって怒れないだろう。レオはそう思って今度こそ噴き出してしまった。
友達って便利な言葉な気がしてきた。そう思いながら事務所のドアを開けると、お疲れ様ですという声が聞こえた。「あ。ツェッドさんお疲れっす」どもども、と言いながらリュックを背負ったまま友達の許に向かう。「………そういえばツェッドさんも友達だもんな」そう呟いたレオに、ツェッド・オブライエンは不思議そうな顔をした。
「あ、や。何でもないんです」そう言ってレオはそのままツェッドに手を挙げて執務室に向かった。職場に顔を出したからには、上司に一応挨拶をせねばなるまい。「…失礼しまーす。お疲れ様ですレオナルドです」そう言いながら開けたドアの中にいたのは三人だった。
「ああ、レオナルドくん。すまないな。こんな日に」
「来たのか少年。ご苦労だったな」
そう続けて言ったのはクラウス・V・ラインヘルツとスティーブン・A・スターフェイズだった。上司二人に笑顔を見せたあと軽く会釈をする。「なんだおめえもう来たのか」そう言って部屋の奥からのこのことやって来たのはザップだったので、レオはちょっと驚いた。「ザップさん。こっちにいたんですか」「そーだよ」そう顔を顰めながらやってきたザップは、途中で持っていた書類をクラウスの机にどさりと置くと、レオのすぐ前でくるりと後ろを振り返った。
「終わりましたよ。もーいっすよね俺は」
「ああ。すまなかったなザップ。助かった。ありがとう」
そう言って笑ったクラウスの隣で早速スティーブンは書類を眺めている。「?」不思議そうな顔をしたレオの隣で、スターフェイズさん、とザップは言った。「帰っていーすか」「ああ、そういえばそーだったな。いいよ」ありがとう、と言ったもののスティーブンはいまだに書類をじっと眺めている。どうもそれなりに込み入った話らしい、とレオは察した。そのままクラウスも真剣そのものといった顔で立ち上がったからだ。
「……なんかあったんですか」
そう言ったレオのことを引き摺るようにして、ザップは執務室を後にした。「…震災存在第二次召喚組織が現れたらしーぞ」「ええ?」嘘でしょ、と言ったレオに嘘じゃねえよとザップは溜息を吐いた。「お陰でスターフェイズさんの機嫌がわりーことわりーこと。いい大人があーも他人に八つ当たりするってどーいうことだっつー話」そう言ったザップに、ちょっと、とレオは声を潜めて言った。
「聞こえますよ」
「いーんだよ。聞こえなきゃ陰口だろーが」
「いや、今のはフツーに悪口でしょ」
呆れてそう言ったレオの後ろから、少年という声がかかったので、ぎゃあとレオが悲鳴を上げてしまった。「なんだどーした」そう不思議そうに言ったスティーブンに、レオは慌てて首を振る。「い、いえいえなんでも!」「ザップから聞いたと思うが、例の震災存在が復活しそうなんだ。悪いが君も以前見た震災存在のオーラか?そういうのを見つけたらすぐ呼んでくれ」「あ、は、はい」そうこくこくと頷いたレオに、頼んだとスティーブンは笑ってすぐに執務室に引っ込んだ。どうやらザップのあれは聞かれていなかったらしい、とほっとしたレオに、けっとザップは悪態を吐いた。よほどこき使われていたようだ。
しかしすぐに再びスティーブンが部屋から顔を出したので、レオはびくっと背筋を引き攣らせてしまう。「それからザップ。お前今日という日がホリデーなことに感謝しろ。これは慈悲だ」そう、いつかの春風のような笑みでスティーブンは言うと再び部屋に戻って行った。しかしその額に青筋が浮いていたのをレオの眼は見逃さない。ひええ、と息を呑んで先輩を見上げる。しかし先輩も引き攣った笑顔の上に顔の色は白かった。
「だーもうほら!大口叩いといてソレかよ!口だけじゃん!」
「だーもううるせーな!おめーも俺の立場になってみりゃーわかるわ!」
「それは自業自得って言うんあたたたたた」
途中で首に腕をかけられて側頭部をぐりぐりと小突かれ始めたので、レオは悲鳴を上げた。先輩は最近どうもこの苛め方が気に入っているらしい。「ちょ、ちょっとちょっとザップさん…!離してくださいよ…!待機!待機時間!仕事!」もうちょっと有意義に使おうとか思わないんですか、と喚いているレオの後ろから、そうですよ、といういつもの静かな声が聞こえた。
「ああ?」
当然剣呑な声でそう言ったザップは振り返ったが、レオを苛めるのは止めなかった。痛い痛い、と呻きながらザップと一緒に後ろを振り返る。「離してあげてください。何もこんな日までそう揉めなくてもいいでしょう」呆れたように言ったツェッドは立ち上がると、持っていた本を書棚にしまい始めた。
「てめーはこんな日だっつーのに俺を敬う素振りが一ミリもねーな…!いい加減にしとけよ?三枚におろして刺身にすんぞ」
「出来るものならどうぞ」
冷たくそう言い放った弟弟子に心底苛立ったらしい。ザップはそこで漸くレオを離した。げほげほ、と咳き込んだレオは、ちょっとちょっとと言いながらザップを慌てて止める。「もー、マジでわざわざこんな日にケンカすることないでしょ!?ツェッドさんもこんな人無視していいですよ!」全くザップのフォローになっていないせいか、それもそうですね、とツェッドは肩を竦めて言った。しかし勿論ザップは苛立ったようにばしんとレオのことを殴ったので、レオは痛いと悲鳴を上げた。
「だ、い、痛い…!!なんでそやって俺のことぶつんですか!?」
こんな日なのに、と再び言ったレオに、あのなーおめえとザップは言ってレオを睨んだ。「こんな日こんな日っつーけどよ。たかだか年が明けるだけじゃねーか。フツーと何が違うんだよ」「え。……えーっと…そりゃーまあ…なんかこう……」わくわくしませんか、と言って首を傾げたレオに、わくわく、とザップは抑揚をつけずに繰り返した。どう聞いても全くレオの気持ちを理解していない。
「その、このお祭りっぽい雰囲気が大事なんすよ。今年もお疲れ様でしたっていう」
「だからそれだっつーの。意味わかんねえよ」
「ええ〜〜?情緒がないなあ…」
そう言ったレオは情けない顔をして肩を落とした。「ねーツェッドさん。ツェッドさんは何となくわかりませんか?このなんか、訳もなく楽しくなっちゃうかんじ」中二階にいるツェッドの方を見て、そう言ったレオに、はあ、とツェッドはふんわりした返事をした。「…なんとなくは」「ほら!ツェッドさんの話聞きました!?」「いやあれはむしろ俺側だろ。大体アイツも俺もずっとここに来るまで雑巾と一緒に修行してたんだから、祭りだとかめでたいとか言われてもわかんねーわ」そうザップが淡々と言ったので、レオは気が付いた。そういえば、この男もツェッドもずっと師である裸獣汁外衛賤厳と共に修行していたのだから、行事どころの話ではないだろう。むしろ毎日生きるか死ぬかだ。
「そっかぁ…でもザップさんクリスマスは楽しそうだったじゃないですか。酒飲んでたし」
「酒飲んでたから楽しかったんだっつーの。別にクリスマスだからってわけじゃねえよ」
そう呆れたように言ったザップと、それもそうかと納得しているレオのところに、ツェッドが降りてきた。「…お二人ともクリスマスは一緒に過ごされたんですか?」「え」「え」同時に同じことを言ったせいか、ツェッドは少し不思議そうな顔をする。
別に後ろめたいことは何もないはずだったのに、なぜかレオは一瞬口籠ってしまった。「え…っと、はあ。あの、ええと…この人がなんかこう…修羅場っちゃったらしくて」「オイバカちげーよ。修羅場になりそーだからおめーのとこに行ったんだよ」順序が違うだけで似たようなもんだと思うけど、とレオは思ったが、ツェッドもそう思ったらしい。「…そうですか」そう言った声がどう聞いても呆れていたからである。コノヤロウ、といきり立ちそうになったザップを何とか押さえながら、ツェッドさんは、とレオは慌ててツェッドに聞いた。
「どうしてました?クリスマス」
「僕ですか?仕事だったので仕事をしていました」
「………………な…なんかすいません…」
その日のレオはライブラではなく案の定ピザ屋のアルバイトに出向いていた。大きな事件が起きなかったこともあり、夜半になってからではあるが今日は大丈夫だ、という連絡をスティーブンから受けたという理由もある。「レオくんが申し訳なさがることありませんよ。その人も来たのは解決間際な上瓦礫に埋まってましたからね」「オイてめーうっせーよバカ」黙れ、と言いながらついにレオを振り切ったザップがぎゅっと拳を握り締める。ツェッドは面倒臭そうにそれを躱し、はいはいと呆れたように言った。
「レオくんの前で格好をつけたい気持ちはわかりますが、事実を受け止めて大人になってください」
そうきっぱりと言ったツェッドのそれを聞いた瞬間、ザップは動きを止めた。ツェッドがきょとんとした顔になる。「…あれ?」何か僕は余計なことを、と言いながらこっちに顔を向けたツェッドに、レオも戸惑った。「え。いや…さあ…」てゆか、と言いながらレオはザップの背中をぽんと軽く叩いた。
「仕事してる時のザップさんは結構格好良いっすよ。ぼちぼち」
「…………ぼちぼち」
ですか、と言ったツェッドに、レオは笑った。「めちゃくちゃとか言っちゃうと、調子に乗りますからねこの人」「………というよりむしろ」それを誰が言うのかが大事なんだと思いますけどね、と言ってツェッドは本を閉じた。どういう意味だ、とレオがそれを考える間もなくツェッドの方が先に口を開く。「読みますか?」そう言って差し出された本を反射的に受け取る。
クリスマス・キャロルというタイトルの本に笑ってしまった。「…これこそザップさんでしょ。読むべきなのは」「それもそうですね」そう肩を竦めて笑ったツェッドは、再び中二階へと戻って行った。
本をぱらぱらと捲っているレオの横で、漸くザップが口を開いたのはその時だった。「……おい」「あ。はい」なんすか、と言って挿絵を探していたレオは顔を上げる。「……ぼちぼちってなんだよ」「なんだ聞いてたんですか」ぼちぼちはぼちぼちです、とレオは言ってソファに戻る。ザップは物凄く形容し難い顔をしていたものの、結局やれやれとでも言いたげな顔でレオの横にすとんと腰掛けた。
話の内容を知らないと言われたので、レオは簡単にクリスマス・キャロルの内容を説明した。「えーと。金のことしか考えてないおじさんが、過去と現在と未来の精霊にそれぞれのクリスマス見せられて、そんで改心するっつー話っすね。簡単に言うと」俺もちゃんと読んでないけど、と言いながら本を再びぱらぱらと捲っているレオに、はー、とザップは言った。
「つまりアレか。ガキによく読ませるやつ」
「そこまで教訓めいてるやつじゃないと思うけど…俺もアニメのやつしか見たことないしなぁ」
そう言ってレオは本を閉じた。ミシェーラと一緒にクリスマスが近くなるとよく見たのがクリスマス・キャロルだった。某世界一有名と思しきアヒルの叔父が主役の話だったな、とぼーっと過去を回想していたレオに、おい、とザップが言った。
「え。あ、はい。なんすか」
「……やっぱおめー帰れば。今から」
「へ?」
今から?と言って思わず時計を見てしまった。「そーだよ。行って帰ってでもいーから顔見せに行ってやれよ」「え?…あ、ミシェーラに?」あたりめーだろ、とザップは顔を顰めて言うとぺしんとレオの額を叩いてきた。「あたっ」「金持ってきてんだろ?んでどーせ貯金してもねーんだろうから」そのまま帰れんじゃん、と言われてレオは慌てていやいやいや、と手を振って否定する。
「そんなわけにいきませんよ。震災存在もいるかもしれないって時に。…てゆかこないだから言ってるじゃないですか。帰りませんよまだ」
「……………はー…」
冷てーなあ、とザップは言ってだらんとソファに寄りかかった。流石にそこまで言われたらレオも腹が立つ。というより、この間からずっとこの男はそれについて執拗だったから、余計に引っかかった。いつもはそんなこと言わないのに、一体どういうつもりなんだと思う。
「あのー、流石にそんなに帰れ帰れって言われたら俺も傷付きますよ。なんですか。ザップさんはやっぱり俺がいない方がいいんですか?」
「だからよ。そんなこと言ってねえだろ。いた方がいいに決まってんだろ」
「え」
「え?……あ」
まずった、という顔をしたザップはすぐにぱっと天井を向いてしまった。「……いた方がいいんですか?」そう言った自分の声が微妙に震えていることに気が付いて、レオは呻きたくなった。ここでこういう声を出したら、なんだか俺も俺でめちゃくちゃ動揺してるっていうか、いや実際動揺してるんだけど、と無意味に言い訳を重ねてしまう。「…あたりめーだろ」そこでザップはなんだか色々とどうでもよくなってしまったらしい。溜息を深く吐くとソファの背凭れに後頭部を乗せたまま、レオの方を振り返った。
眼が合う。
「………じゃなきゃつまんねーじゃん。毎日」
「…………………。」
顔から火が出るってこーいうことかも、と思ってしまった。物凄く固まっているレオを見て、ザップはきょとんとして瞬きした。「…はっ。ざまーみろ。この俺を疑うからだよバーカ」「……ぐ…っ…、………っ、…あ〜〜もう…!!」よくもまあそんなこと素面で言える、とレオは顔を赤くしながら俯くと、ザップのことを軽く殴ったが、先輩はおかしそうに笑っただけだった。
そのまま二人で今日の夕飯について論議している時だった。「だから絶対俺エッグノッグが飲みたいんです」「なんでだよ。酒でいーじゃん」「未成年だってば」もう、とレオが頬を膨らませた時だった。
どん、という大きな音にお互いに顔を見合わせる。「…………なに…」「……外だな」そう言いながらザップが眼を窓の外に向ける。街の中央部から白煙が立ち上っているのが見えた。「……げっ…」「ったくどこのバカだはしゃいんでんのは」ザップがそう悪態を吐くと同時くらいに、執務室のドアがばたんと音を立てて開いた。
「全くなんだなんだ…!こんな日なのにどーしてこの街のバカ共は大人しくしていられないんだ!?」
「レオナルドくん!すまないが中央部だ!見られるか!」
「はい!」
慌ててクラウスの許に駆け寄ったレオの後ろからザップも走って来る。「むしろこんな日だからじゃないですかね」「それもそうだな…一体何だって言うんだ…」ザップとスティーブンがそう会話しているのを耳にしながら、レオは神々の義眼を見開いた。青い目がきらきらと星のような輝きを放ち始める。そして義眼越しに白煙の上っている位置をじっと見つめた瞬間、レオはげっと小さく悲鳴を上げてしまった。「し……っ震災存在です!!」そう言ったレオに何だと、とスティーブンがぎょっとしたように声を上げた。
「遂にきたか……!!よし!こっちの準備は万端だぞ!!思い知れ!!」
完全に切れてる、と明らかに引いているザップを他所に、レオはビルを見つめて大声を上げる。「ちょ…ちょっと待ってください…!…この間のは大きいやつが一つだけでしたけど、今日はあれの…百分の一サイズがビルに群がってます!!」
じっとビルを睨みながらそう言ったレオに、当然その場にいた三人はぎょっとした顔になる。「…ミニチュア的な?」「ミニチュア的な」「なるほど」そう呑気に話し合っている三人を見て、呑気にやってる場合かとスティーブンがツッコミを入れてきた。確かにその通りだ。すでに震災存在達はビルに触れているのだ。地面に一本でも指が触れてしまえば、先日と同様未曽有の大災害が起きるに相違ないだろう。
「…ともかく止めねばなるまい。私はツェッドを呼び戻す。スティーブン」
「……………。」
スティーブンさん、とレオはいつの間にか頭を抱えてしゃがみ込んでいるスティーブンの隣に慌てて座り込んだ。「しっかりしてくださいスティーブンさん。こないだと違って事務所は無事なんだし……スティーブンさーん?もしもーし」慰めになるかどうか分からないそれを言ったせいか、微妙だなとザップがレオの横で少し間を空けてそう言った。レオ自身もそう思ったので、それには特に何も言わなかった。
「……………っだー!!!」
「わあ!?」
スティーブンが唐突にそう叫んで立ち上がったので、レオが転びそうになった。ザップの足に軽くぶつかったので慌ててレオは立ち上がったが、ザップは珍しく怒らずにレオの肩を掴むと少し後ろに下がり、スティーブンを見つめていた。「…ぜっっっっったい止めてやる……!!ライブラの恐ろしさを思い知らせてやる……!!アニラ達を呼ぶ!!」上司の後ろに黒い炎が見える、とレオは思ったがザップも同じことを思ったらしい。レオの肩を支えたまま、ザップが小さくぼそりと呟いた。
「…ライブラっつーかスターフェイズさんじゃね?」
「…俺もそう思います」
二人でそう話していたのが聞こえたのか、スティーブンが物凄く鋭い視線をこっちに向けてきたので、ひっと二人で声にならない悲鳴を上げる。「何してるんだお前達!さっさと止めてこい!」「と、止めるってだって」どーやって、とレオが言ったと同時に再度ビルがどん、と音を立てて破壊される。「うお。…あーあー…あ?」なんだありゃ、と言いながらザップがバルコニーに出る。震災存在よりも、むしろスティーブンを不安そうに見ていたクラウスもザップの後を追ってバルコニーに出た。「どうした。ザップくん」「おい旦那。やべーぞ」そう言ってザップが指をさしたので、レオもバルコニーに出て指先を見つめた。
「………宝石強盗に見えます」
義眼をしっかり開いてそう言ったレオに、そーだなとザップは頷いてどこからともなく持ってきた双眼鏡を目から下ろした。「…しかもただの宝石強盗じゃねえ。あの店は…」「……!!時限式消失鉱物取り扱い店か!」ザップの言葉を次いで、クラウスが手摺から少し身を乗り出した。
「じげん……?何ですかそれ」
きょとんとして聞いたレオの頭をザップは軽く叩いたあと、物好きがよく行く店だよ、と呆れたように言って煙草を咥えた。
「宝石と爆弾を融合させた…一応宝石っつーていなんだとよ。よく知らねーけど融合させっとフツーより価値が上がんだと。ただし時限式だからいつか爆発しちまうけどな」
「………そんな馬鹿なもの誰が買うんですか?」
綺麗なのであれば結構だが、最終的に爆発してしまうのなら意味がない。そう思って言ったレオに、だから言っただろとザップはライターで煙草に火を点けた。「物好きが行く店だってよ」「…………。」相変わらず訳が分からない街だ、とレオは今更ながらそう思った。価値観が狂っている。
「ザップ。レオと共に宝石店へ。ツェッドは私とギルベルトと共に追って向かわせよう」
クラウスは数秒も悩まずにそうきっぱりと言うと、ザップとレオに向かって顔を上げる。「まーた俺が子守りかよ!」「はいはいいーから行きますよ」そう言ってレオがザップの背中を押しながら歩き出すと、けっとザップはいつものように悪態を吐いた。ツェッドは既に自室に戻っていたが、出てこないところを見ると寝ているのかもしれない。
「スティーブン達に震災存在は任せる。…君たちも重々気を付けたまえ」
「おう」
頼んだ、というそれにレオも頷いてザップと共にエレベーターへと向かう。「ったくバカしかいねーのかこの街は」「何もこんな日にあんな事件起こさなくてもいーのに…」まったくもう、と言って溜息を吐いたレオに、だからよ、とザップも呆れたように言った。
「こんな日だからだろ」
「………は〜〜〜〜…」
丁度エレベーターが到着して扉が開く。オラ行くぞ、と言いながらザップが先に乗り込んだので、慌ててその後を追った。
疲れた、と言いながらへたり込んだレオの許に、誰かがひょいと着地してきた。「………ザップさん……」お疲れ様でした、と言いながらがくりと俯いたレオに、何がお疲れだとザップは言って顔を顰めた。
「てめーは俺の横でぎゃあぎゃあ喚いてただけじゃねーか」
「だってあんなに生体機械がいるなんて聞いてませんよ…!!なんでロボットにわざわざ血液搭載するんすか…」
切る度に血が溢れるからその辺が生臭かった。そこはリアリティを求めなくていいところだっつーに、と血まみれになっていく道路を見て顔を青くしていたレオだったが、ともかくとして宝石強盗はお縄についた。ふざけんなコラとどう聞いても警察ではない口調で文句を言っていたダニエル・ロウ警部補にしょっぴかれている宝石強盗と、それから震災存在召喚”未遂”一味は仲良く事情聴取のち取り調べだろう。事務所にいるスティーブンから死にそうな声で阻止成功した、という電話が入ってきたのは約五分程前だった。
「ほんとに爆発するってーか…もはやあれただの武器じゃねーか……」
こっちに向かって投げられた宝石が爆発したのを思い出しながら、やっとレオは立ち上がる。ゴーグルに少し血が跳ねていて溜息を吐いた。後で洗わないと、と肩を落としながらゴーグルを首から提げる。「おーいレオ。とりあえずいったん事務所戻れってよ」「あ、はーい」クラウスと電話で会話していたらしいザップがそう言って携帯をポケットにしまっている。既にツェッドはチェインと共に事務所へ戻っている筈だった。
「……ってうわっ。もう今年終わっちゃいますよ」
そう言いながらザップの横に並んだレオに、ザップがきょとんとした顔になった。「それがどーしたんだよ」「どーしたって。だってなんかもっとこう…あるじゃないですか」具体性の欠片もないことを言ったせいか、ザップが全く分からん、という顔になった。これじゃ確かに分かんないな、とレオは思って苦笑する。
「…まあいーや。帰りますか」
「だから俺はさっきからそー言ってんだろ。ほれ」
行くぞ、と言って腕を掴まれた。「わっ。ひ、一人で大丈夫ですよ」「んな震えたナリでなーに生言ってんだ。振り落とされんなよ」そう言いながらスクーターの所までザップはレオを引き摺るようにして連れて行ってくれる。そんな先輩の背中を見つめながら、レオは思わず噴き出してしまった。
「?何笑ってんだ」
「……いえ。…ぼちぼちっつーか」
そこでザップがくるりと振り返ってレオを見つめる。灰色の眼がこっちをじっと見ているそれをしっかりと見返しながら、レオは笑顔で口を開いた。「…仕事中はカンストっすね。マジで」「?」意味が分からない、という顔をされたがレオははいはい、と誤魔化す様に言ってスクーターへと足を向けた。
――――………じゃなきゃつまんねーじゃん。毎日。
それを思い出して少し照れた。それってつまり、と思いながらスクーターから下りて息を吐く。白い霧のような息がふわふわと霧散していった。今日じゃなくてもいいってことだもんな、と思うとやっぱり照れた。そんなこと、思っていたとしてもザップが言うとは思っていなかった。恐らくあの男も言うつもりはなかったのだろうが。
「オウレオ。さっさと来いよ」
叱られるぞ、と言いながらエレベーターホールで階数ボタンを連打しているザップに、ちょっとちょっと、とレオは慌てて駆け寄った。「駄目ですよ壊れる!こんなことでユリアンさん呼んだら何言われるか」「壊れねーよこんなんで」壊れますって、と言ったレオはふと手の中にあるスマートフォンを見つめる。ディスプレイには大きく時刻が表示されていた。
「……あ。もう一分ない…」
「なにが」
時間、と言ってスマートフォンのディスプレイをザップに向けると同時くらいにエレベーターが動き出した音がする。どこかの階に止まっているらしい。中々降りてこなかった。
スマートフォンのディスプレイを見たザップは、ああ、と面倒そうに言って小さく欠伸をした。
「なんだよもうそんな時間か。どーりでねみーと思った」
いつも昼夜逆転不規則な生活の代表みたいな人が何言ってんだか、とレオは呆れてしまう。とはいえレオもレオでちょっと眠くなってきた。流石にこの時間帯まで走り回っていれば体力も使うし、基本人間というのは夜になったら眠くなる生き物だ。
たぶん今ここに、アナログ時計があったら秒針を睨んでいるところだ。
エレベーターがレオとザップの所に降りて来る前に、恐らく世界中で同じ言葉が叫ばれたのだろう。
「……あ」ディスプレイを見つめていたレオは、顔を上げて隣にいる先輩を見上げた。
「…ハッピーニューイヤーですよ。ザップさん」
「はいはいハッピーニューイヤー。…それがどーしたんだか」
酷いなあ、と苦笑して言ったレオに、日付と西暦が変わっただけだろーが、とザップは呆れたように言って肩を竦めた。「他何も変わってねーじゃん」「そりゃーまあ…」そうですけど、とレオは苦笑する。本当に、情緒も何もなかった。
エレベータはまだ到着しない。
ごうん、という機械音に顔を上げる前に、今日という日が終わったことを、明日になったことを、意識する前に。
世界中のハッピーニューイヤーとファンファーレが耳に届く前に。
「ザップさん」
「あ?」
なんだ、と言ってザップがこっちを振り向いた。「…一年間ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。…俺も」そう言ってぱっと顔を上げたせいか、ザップが少し息を呑んだ。
「…ザップさんがいないと毎日つまんないっす」
えへへ、と言って笑った後だった。ごうん、という音が聞こえたのでレオはあ、とエレベーターの方に眼を向ける。どうやら動き出したらしい。やはりどこか別の階に止まっていたらしかった。この年の瀬に、と自分達のことを棚に上げて思ったレオの横で、ザップが深い溜息を吐いた音が聞こえた。
「?え。なんでそこで溜息?」
「……あ〜〜〜〜〜……なんだよお前……」
このバカ、と言ってなぜかその場にザップはしゃがみ込んでしまった。「?え?な、なに?どしたんですか?」慌ててそう言いながらザップの横に座り込んだレオに、ザップは返事をしなかった。
「……………、……クソ……ふざけんなよぜってーそんなわけねえ…ありえねえ…!」
「?どしたんですかだから。気でも狂いましたか」
薬のやり過ぎですよ、と真顔で言ったレオにちげーよバカとザップは言い返してきた。「誰の気が、……、…あーいやでも…」ある意味そーだよなぁ、とザップは悲し気に言って顔を覆ってしまう。さっきから全然意味わかんないしってゆかやっぱり、とレオは思って眉を吊り上げた。
「新年から心配させないでくださいよ。薬ダメ。絶対。」
「うるせえ」
バカ、とザップが言ってこっちを向いた丁度その時、エレベーターが到着した。
タイムズスクエアの方面は人ごみでごった返していると聞き、レオは顔を顰めてしまった。「ザップさん迂回。迂回迂回」「鵜飼鵜飼うるせーな。魚食いたきゃ寿司屋に行け」「?」訳が分からない、という顔をしたレオにザップはビールを袋ごと押し付けると、んじゃ行くぞと言いながらスクーターを発進させた。「わっ。危なっ」落ちる落ちる、と言いながら慌ててザップに掴まると、なんだよと珍しくザップはおかしそうに言った。
「やっとこの大先輩に頼るようになったなコノヤロウ。振り落とされんなよー」
「だってビールがあるからスクーターに直で掴ま……っだ、ちょ、危ない危ない危ない!スピード落として!ザップさん!」
いつも馬鹿騒ぎの街なのに、年が明けたせいなのか今日は更にあちこちで馬鹿騒ぎの乱痴気騒ぎだった。途中でぐったりしているEU機動警察や、目の前で小競り合いをしているのに放置している警官隊とすれ違ったり、道路標識をなぜかクリスマスツリーに模した飾り付けをしたり、花火を両手に括り付けて走っている異界人を目撃したりした。果たして祝っているのかはしゃいでいるだけなのか謎である。
信号待ちでスクーターが停車している間に、ふとすぐ横の歩道を見るとどうやら恋人同士らしい男女が熱烈なキスを何度も交わしていた。慌てて目を背けて俯いてしまう。「………。」ハッピーニューイヤー、という声に納得する。そういえば新年なんだった。自分のことじゃないのに勝手に顔が赤くなってきて慌てて首を振った。どうやら、紐育でなくなったこの街でも、ニューイヤーの風習はそのまま残っているらしい。
スクーターを停めていたせいか、レオだけでなくザップもそれに気が付いたらしい。無言でじっとカップルを見つめているザップに気が付いて、レオは慌てて後から少し身を乗り出した。「ちょ、…ちょっとちょっと。マナー違反ですよ。あーいうのは見て見ぬふりをするもんでしょ」「何でこっちが気ィ使ってやんなきゃなんねーんだ。あんなとこでやるんだから見てくれって言ってるようなもんじゃねーか」そう言われて確かに、と納得しかけたがすぐにレオは首を振る。
「で、でも今日はニューイヤーだし…特別な日なんだから仕方ないじゃないですか。いいんですよ」
「………ほー」
そうかそうか、と言ってザップが唐突にスクーターを路肩に停車させたので、レオはへ、と小さく声を上げる。「なんすか。帰るんじゃないの?」「帰るよ」そう言ってザップはヘルメットをおもむろに外し、ついでにゴーグルもひょいと軽く頭の上に上げた。
「?」
なんだ、と思っているレオのヘルメットが軽く上にあげられたので、わっとレオは声を上げた。というか少し首が締まって苦しかったので、慌ててヘルメットの留め具を外す。かちんという音と一緒に、頭が軽くなったし首も楽になった。
「な―――――、」
何すんすか、と言おうとしたのだ。
けれどそれよりも先に額に受けた感触に気を取られた。軽く何かがのってきた感覚に、レオはひゃっと小さく声を上げる。「……、な、」なに、と言いながら慌てて手を額にやった。流石に何が起きたかわからないほど、レオも愚かではない。
額にキスされたというのは明白だった。
「………おめーが言ったんだぞ」
「な、ななな、なにを」
引き攣って言ってしまったのは、恐ろしいことにザップに対して引いていたわけでも、怯えていたわけでもなんでもなかった。ただ単にレオは今この状況に緊張していた。身体が何だか熱くなってくる。
「…特別な日なんだろ。今日は」
そう言ってザップはぺちんとレオの額にデコピンした。「あたっ」「…おーし行くぞー」そう言っていきなり発進させたので、慌ててレオは片手でヘルメットを留め直した。危ないっつーの、と文句を言いたかったのに、ついさっき額に受けた衝撃のせいで言葉が上手く出てこない。文句よりも先に、ついさっきされたことの方が気になって仕方なかった。
周りからはハッピーニューイヤー、という言葉が口々に聞こえて来る。「………ザップさん」「なんだよ」自分と違って堂々たる言い方でザップがそう言ったので、レオは思わず溜息を吐いてしまう。勿論、自分自身にだった。
「…………、……………なんでもないっす」
「はあ?なんだそれ」
そうザップは文句を言った割に、なぜか嬉しそうな声で意味わかんねー、と笑いながら言った。「…んじゃ俺が言ってやる。今年もよろしくしてやるよ」「…………それはどうも」そう言いながらごつんと先輩の背中にヘルメット越しの頭をぶつけた。
顔が赤いのはたぶん、この寒さのせいだけじゃないんだろうな、と思いながら。
終