非売品
2017/10/22
リモコンを先輩がくるくると器用にも手で回している。テレビ画面に映っている映像を見て、慌ててベッドの上に放置されているリュックを掴んだ。「やっべもう半回っ…わわわわ行ってき………、……あっ」携帯、と言いながら踵を返して戻ってきたレオを見て、先輩は呆れた顔になった。
「何してんだお前。バイトじゃねーのかよ」
「だから急いで……、…ってあれ?俺の携帯は?ザップさん俺の携帯知りませんか!?」
「知らん」
そう言いながら、さっきまでしていたようにぱたんとベッドに寝転がった先輩は、再びくるくるとリモコンを手で回し始めた。バスケットボールじゃないんだから、と言いながらもそれを見るのが結構好きなレオだったが、今はそんな余裕がない。「ちょっと待って待ってマジで間に合わないんだけどどこ行ったんだよ!…ザップさん!俺の携帯鳴らしてください!」「めんどくせーなー」そう言ってザップは何かをぽいとレオの方に投げてよこした。「わっ」取り落としそうになったが、一応きちんとキャッチしたそれを見つめる。ザップの携帯電話だった。
「び…っくりした…え?な、なんですか?」
「それでかけろって。ロックナンバー知ってんだろ」
「ええ?だからこないだ変えてって言ったじゃないですか」
俺経由でセキュリティがばがばじゃん、と言いながら先輩の携帯の電源を軽く押した。
本日も本日とてレオナルド・ウォッチはアルバイトに行くところだった。本日とは言ったものの、昨日もそのまた昨日も、更にそのまた昨日もアルバイトだった。そんなにピザが好きかという先輩に違うと言い返し、ともかく昨晩へろへろになって帰ってきたレオの家にはなぜかザップ・レンフロがいた。なんでいるんです、と脱力したレオが抱き上げられたのは玄関に入ってすぐのことだった。
『わあ!?ちょ…っ怖い怖い怖い!下ろして!?』
『うるさい』
シャワー行かせてくださいというレオの意見は全く無視されて、そのままベッドで口に噛みつかれた。その時点でシャワーを諦めたレオは、漸くそこで昼間先輩にああ言われた理由が分かったのだ。いやまあピザは人並みに好きだけど。
『…来るなら来るって言って下さいよ』
『いつ来てもいねーじゃん』
そう言った先輩の声が拗ねていた意味もやっとわかったレオがしたことは、にしても子供じゃないんだからと思うことと。
顔をにやけさせることだったりする。
そして案の定翌朝レオは寝坊をした。一体何時頃までいちゃいちゃしていたのか定かではなかったが、たぶん夜明けよりは前のはずだった。アラームを数回止めた記憶もあるし、最初仰向けだったのにいつの間にかザップの方に身体を寄せていたのも何となく覚えている。寒かったからだとレオは自分で自分に言い訳した。あんまり意味がない。シャワーを浴びている間にザップも眼が覚めたらしく、髪をぐしゃぐしゃとタオルで押さえているレオの許にコーヒーの匂いがした。レオはコーヒーを飲む間もなく急いで身支度を整え、大して多くもない荷物をリュックに詰め込み、それから冒頭のシーンに戻る。
先輩の携帯の画面を見た瞬間ぎょっとした。
「わっ。ちょ…ザップさん!これヤバいですよ」
「あ?」
なんだよ、と言いつつザップはこちらを見ない。画面を見ている。「着信!すっげーきてる!」「え?」マジで、と言いながらザップは今度こそ勢いよく起き上がってベッドに正座する格好になる。ほらこれ、と携帯を返したレオの手にある携帯の画面には、着信がありました、という旨の通知が数件以上表示されている。
「げっ。しかもこれ全部スターフェイズさんじゃ…あ、旦那のもある」
「誰からでもいいですから早くかけ直し………、ってあああああああ!!俺の携帯…っ違うバイ……ああああああ間に合わないいいいいい」
「うるせーなモー」
朝から喚くなよとザップは顔を顰めると、電話をかけつつその辺に落ちていた自分の服に着替え始めた。やっぱり器用だ。先輩は全裸ではなかったものの大体それに近い恰好をしていたので、よく寒くないよ、とレオは半ば呆れて半ば感心していた。最早感覚がマヒしている。
「…出ねえな……おいレオ」
「はい!?ないないないないどこ行ったんだよも〜〜〜!!」
遅刻すると呪文のように繰り返してベッドの下まで探していたレオの首根っこが後ろから掴まれた。「にゃあ!?」「ほら行くぞ。バイトなんだろ」「そーっすよ!?だから携帯……、……え?」行くってどこに、と言いながらなんとか立ち上がる。襟首を後ろから掴まれたままだったから変な体勢になってしまい、ちょっと身体が痛かった。そのままザップが部屋の入口まで歩き始めたので、レオは戸惑いながら手をばたつかせた。「わっ。わわ、ザップさん。どこ行くんですか。俺携帯とバイトが」「乗せてってやる。携帯は諦めろ」「え……」唐突な申し出にぎょっとしてしまい、思わずそう言ってしまった。当然ザップも怪訝な顔になる。
「えってなんだよ。俺の愛車に不満でもあんのかコラ」
「そ、それは全然…え、で、でも乗せてってくれるんですか?」
そう言ってやっとちゃんと立ったので、ザップもレオの襟首からは手を離した。「…わりーか」不貞腐れたようにザップは言ってポケットに手を突っ込んだ。しかしその瞬間レオは思い切りザップに抱き着いたので、うお、と先輩からはびっくりした声があがる。
「あ……っありがとうございますありがとうございます…!!愛してますザップさん…!!お願いします…!!」
「…………、……おう…」
物凄い間が空いたあとにそう返事されたので、不思議に思って顔を上げた。このノリだと、大抵鬼の首を取ったように、んじゃ飯を奢れとか金を寄越せとか息を吸うように言ってくるからだ。視線の先のザップはそっぽを向いていた。
「……、…えっ。冗談ですよ。なんで照れるんですか」
「うるっせーなオメーは!!なんで夜は言わねえ癖にこーいう時ソッコー言うんだよ!殺すぞ!」
真っ赤な顔をして言った先輩の顔を見て吹き出してしまった。レオもレオでそんなに頻繁にそんなことを言うわけじゃないが、というよりも言えないのだが、たまにこうやってふざけてだったら言ったりできる。そういう時の先輩の反応にもむらがあるからたまにこうなる。互いの気持ちは同じのくせに、受け止め方はどうも毎回違ってくるのだ。
「あ〜〜もー…オラ行くんだろ。鍵寄越せ鍵」そう言って先輩が手をひらひらとさせたのは、おそらく照れ隠しなのだろう。こっちを見ないのがいい証拠だ。しかしレオは首を振った。
「あ、や、待ってください。スクーターならもうちょい時間的猶予があるんで、携帯探したいです」
「なにい?」
めんどくせーな、と言ったザップからやっと離れて、ザップさんの携帯、と言いながらレオは手を出した。「なんだよ」「かけるから」俺の携帯、というそれを略して言ったが伝わったらしい。ああ、とザップは言ったものの自分で画面を弄り始めた。
「鳴らしてやるからお前探せよ」
「あ、ハイ。お願いします」
そう言った時点で既にザップはレオの携帯に電話をかけていた。瞬間部屋のどこかからけたたましい着信音が鳴り始めたので、あ、とザップが顔を上げる。「鳴った。っつーことはどっかにはある」「よかった…!いや待ってどこだ!?」ばさばさと毛布をひっくり返しているレオを見ながら、にしてもお前、とザップは呆れた様子で言った。
「着信音派手だな。あれじゃ寝てても起きちまうじゃねーか」
「寝る時バイブだから大丈夫です……、…え〜〜〜?どこだよも〜〜〜!!」毛布と枕とパジャマをぐしゃぐしゃに混ぜるようにして床に放り投げたが、携帯はなかった。ソニックがころころとベッドの上で寝返りを打っただけだ。
「そこにはねーだろどー見ても」
別の場所探せよ、とザップが呆れたように腰に手を当てる。確かにベッド付近にはなさそうだったが、しかし音が地味に小さくて音源がどこにあるかよくわからない。そうこうしているうちにザップが電話を切った。
「留守電になっちまったぞ」
「う〜〜〜〜…ザップさん……もっかい…」
そう言って情けない顔で振り返ったレオは指を一本立てて先輩にお願いする。「ったくもー」めんどくせえ、と言いながらも、ザップそのまま素直に電話をかけてくれた。再びファンファーレのような音楽が部屋に小さく流れ始める。
「俺の携帯…携帯〜〜〜…」
どこだよ、とレオが狭い部屋をがさごそとまさぐっている間、ザップは洗面所の方に行ってすぐに戻ってきた。「こっちにはねーぞ。音しねーから」恐らく動物的聴覚を持つこの男の言うことなんだからその通りなのだろう、とレオは思ってあざますと振り返らずにそう言った。
「でも待って、俺の携帯…………、……あ!!」
あった、と言いながら机の下でじたばたともがいているレオの後から、ザップが近づいてきた音がする。「なんでそんなとこにあんだよ」呆れた声で言ったザップはどうやら電話を切ったらしい。着信音は鳴りやんだ。「…ぐ…っぬぬぬ…」手を伸ばしてそう呻いているレオの横に、ザップがしゃがみ込んできた。壁と机の間にある隙間に携帯が落っこちているのを見て、ザップはなんだあれ、と怪訝そうに言った。
「どーなったらあんなとこにハマんだよ」
「わかんないっす…、…う〜〜〜〜手が…」
届かない、と言ったレオの首根っこが、ついさっきのようにまた掴まれた。「にゃあ!?」「お前ソレいつも思うけど猫かなんかなのか?」そう言ったザップは、呆れたようにびゅん、とすごい速度で血を伸ばし、ひょいと軽く指を動かした。ぱこ、というレゴブロックが無理矢理外されたような音のあと、携帯が机の奥からレオの許に戻って来る。
「ほれ」
両手の平にレオの携帯がぽんと置かれた。特に傷もついていないし、画面も割れたりしていない。なぜあんなところに落ちていたのかはほとほと謎だたっが、とりあえずよかった、とほっと息を吐いて振り返る。
「よかった〜〜〜〜……!…っありがとうございましたザップさん…!!」
「…………あれ?」
礼を言ったのに、ザップはレオの横できょとんとしたように首を傾げた。「へ?」なんですか、と不思議に思ってそう言ったレオを見て、いやだってお前、とザップは軽くレオの頬を抓った。「うにゃ」「愛してますは?」そう言われてレオはきょとんとした。
「へ…てゆかいたいれふ」
そう言ったレオを見ながら、痛いじゃなくてよ、とザップは不思議そうに言った。
「さっき言ってたじゃねーか。愛してるって。今はねーのかよ」
「え…。……い、いやあれは…その場のノリというかテンションというか……」
引き攣った顔になってしまった。そう言って携帯を握り締めたレオを見て、何だソレとザップは拗ねたように言ってやっと手をレオの頬から離した。「さっきは言ってたじゃねーか。言えよ」「いやだから、あれはテンション高いから言えたんですけど今やもうバイトに行くテンションなので」言えないですよと手を振ったレオを見て、何だよソレとザップはむっとした様子で言った。
「言えよ。大先輩がここまで労力使ってやったんだから」
「ええ〜〜〜…そんなに俺から愛してるって言われても何も変わらんでしょうに…」
そう俯いて溜息を吐いたレオの耳に、携帯の着信音でも何でもない、いつもよく聞いている先輩の声が飛び込んできた。
「…”愛してる”」
途端にレオは携帯を取り落とした。そのせいで、レオの携帯は手から滑り落ち、更に膝からも滑り落ち、床にごん、と音を立てて落下しそのままぱたんと倒れる。座り込んでいるからそんなに距離はないものの、いずれにせよ傷がつくレベルではないだろう。携帯は心配ないけれど。
レオの方は俯いた顔が上げられなくなった。物凄く汗を掻き始めた気もするし、物凄く身体が熱くなった気もするし、物凄く息がしにくくなった気もする。「………………………。」無言で固まっているレオを見ながらだろう、ザップはほら、と言いながらまたレオの頬を軽く抓った。
「お前は」
「……いや…あ〜〜〜…ご…ごめんなさい…!次はちゃんと夜言いますから…!」
「んなこと俺は言ってねーだろバカ。今言えよ今。今」
そう言って益々頬をぐいぐいと抓られたので、痛い痛いとレオは悲鳴を上げた。そんなに抓られたところで痛いだけだから言う気にならないし、大体上手く口が利けない。「言えって」そう言ってきたザップの声は既に半分以上楽しそうだったので、どうも半ば以上からかっているだけらしい。絶対さっきの仕返しだ、とレオは泣きたくなりながら先輩の手を無理矢理自分の頬から退けた。
「すんません許してください……!愛してるから許してください!」
「あ」
「あ?………、………。」
レオがはっとしたと同時くらいに、突然ザップの携帯が鳴り始めた。「わっ!?」「あ」俺だ、と言いながらぽかんとしていたザップが立ち上がった。もしもし、という声を背景にレオは息を整えつつ立ち上がる。「…あ〜〜〜…くっそ……やられた……!!」何がどうやられたのかはさっぱり分からなかったが、そう呟いてぐしゃぐしゃと前髪をかき上げた。
「…いや気付かなかったんですよだから。いや違います。違いますって。わかりましたわかりました!すいませんっした!」
「………………。」
どうも電話の相手はスティーブンらしい、とレオは予想した。先輩の声のトーンがどんどん弱くなっていく。「…はい。はーい。そんじゃまたあとで」そう言ってザップは溜息を吐いて電話を切った。「るっせーなったく…たかだか五回電話に出なかったくれーで…」「…………。」ソレ一周して逆に心配されてたんじゃないだろうか、とレオは疑ったが、それはともかくと時計を見る。
「ザップさーん…行けます?もしかして仕事入っちゃいました?」
すると最早遅刻は確定である。そろそろとそう聞いたレオに、ザップはいーやと首を振った。
「入ってねえよ。行くには行くけどおめえ落としてから行くわ」
落とすという言い方はどうなんだ、と思いつつ、いいでんですかと言いながら鍵を手に取る。「いーんだよ。急ぎじゃねえ」ザップはレオの手からひょいと鍵を取ると、すたすたと部屋のドアまで歩き出した。ドアノブに手をかける。
がちゃりという音がする前にザップがこっちを振り返った。
「…まあそれに」
「?」
きょとんとした顔のレオを見つめながら、ザップはにやりと笑みを浮かべた。「……”愛してる”から乗せてってやるよ。俺も」「………っ!!」ブーメランを思い出した。受け取り損ねたそれをレオは取り落とすだけにとどまらず、思い切り顔にぶつけたような気になる。
「ほれ何固まってんだ。行くぞ」
遅刻すんだろ、と言いながら先輩は既に廊下に出ていた。「……はい…」行きますよ、と言いながら息を吐いた。自分の顔が真っ赤になってるのは見なくても(というのも変だけど)一目瞭然で、先輩が矢鱈機嫌がよくなった理由も――――見てないけど一目瞭然だ。言葉の安売りは好きじゃないし、もう電話は失くしたくないけど。
一回でも百回でも、仕事中でも食事中でも、それから別にベッドの中でだってそれを聞きたくないわけじゃない。
だから安売りじゃなくて、限定商品みたいなものだ。
「……むしろ非売品かも」
そうぽつりと呟いてスクーターの後ろに跨ったレオの前で、ザップが行くぞといいながら、エンジンをかけ始めた。
終