親愛なる部下へ

2017/10/16

※読み返したら結構本当にスティーブンさんがザップさん好きでした
CPのつもりないけど気になる方は止めた方がよいです 個人的には親馬鹿というかある種のシンパシーを抱いてる感じです




「ザップ」
部下の名前を呼ぶと、面倒臭そうな表情を隠そうともせずにその男がこちらを振り返った。「…なんすか」こっちに来なさい、という意味でひらひらと手招きをすると、ライブラの構成員であるザップ・レンフロが怠そうな様子で立ち上がった。いつものこととは言え、こういうところは出会った時から何一つ変わらんなあ、と思ったスティーブン・A・スターフェイズは黙って彼がこちらにやって来るのを待つ。
ソファから立ち上がったザップは、直後ぽん、と自分の横に座っていた少年の頭を叩くように撫でた。わあ、と年齢にしては高い声で少年が悲鳴を上げる。
「何すんすか。失敗しちゃいますよ」
「そしたらコンティニューしろよ」
はは、とおかしそうに笑いながらザップがこちらに歩いてくる。反対に、彼の横にいた少年が不貞腐れたような顔で自分の頭を押さえているのがスティーブンの眼には入った。「………ばか」小さくそう言ったのがスティーブンの耳に入ったくらいなのだから、ザップにだってきちんと聞こえているのだろう。なのに彼はおかしそうに笑っただけで何も言わず、ちゃんとスティーブンのデスクに歩いてきた。
「なんすか。スターフェイズさん」
「…………いや、お前の午後の予定なんだけど」
変更になったんだ、と言ったスティーブンの眼には、そーすかと言いながら書類を勝手に手に取って眺めている部下の顔が映っている。やっぱり変わっていないと思ったけれど。
「……そーでもないよな。案外」
そう独り言を呟いたスティーブンの前にいるザップが、きょとんとした様子でこちらを見下ろしてきた。何が、と言わないのは恐らくこちらが聞かれても答えないと知っているからだろう。「………。」ザップ越しに部屋のソファの方にちらりと目をやると、くしゃくしゃの髪の少年が必死にゲームをしているのが見えた。


レオナルド・ウォッチという少年がライブラに入社したのはつい最近のことだった。つい最近といっても恐らくもう一年くらいになるのだろう。スティーブンはたまたまその時その事件には関わらなかったから、組織の長、クラウス・V・ラインヘルツ、人狼局のチェイン・皇、それからザップと比べると出会ったのは少しだけ遅い。そもそもザップの勘違いで入社した少年が”神々の義眼”の持ち主だと知った時には流石に舌を巻いた。本当に存在してたのか、と言ってしまったのも記憶に残っている。
写真で顔は確認していたものの、実際に初めて出会った時、レオは包帯にぐるぐると巻かれて病院のベッドに横たわっていた。怪我は結構重かったので、彼の声をきちんと聞けたのは大体一週間後くらいだった。勿論毎日病院に通っていた訳じゃないから、退院した時に初めて会ったと言ってもいいかもしれない。初めまして、と言いながら礼をしてきた少年が思っていた以上に幼かったのでスティーブンは驚いた。十六くらい?と首を傾げた自分にレオは変な顔をして、それから後ろにいたザップが爆笑したのを覚えている。
『す、スターフェイズさん……っ、そ…そいつそんなんでも一応十九らしーっすよ。でもどー見てもまだハイスクールっつーかその、』
『うるせーな!そこまで笑うことねーでしょーが!』
どーせ俺はチビですよ、と拗ねたように言った少年は、ともかくと言いながらもう一度顔を上げてスティーブンに言った。『まだ不慣れですがお役に立てるよう頑張ります。宜しくお願いします』そう言ってまたぺこりと礼をして、レオはとことことザップが座るソファの方に戻って行った。いまだに爆笑していたザップの横腹をレオが殴っているのを目にしながら、ふむ、とスティーブンはちょっと首を捻る。病院でも思ったけれど、確かに――――リスクよりもその逆の方が多そうだ。
レオは余り会ったことがない類の少年だった。どこかクラウスに似ているところがあるせいで、スティーブンは少し苦手だと思うこともある。別段クラウスが苦手なわけじゃないし、むしろクラウスのことは好きだったが、レオが似ているのは、スティーブンがクラウスのことを好きだと思うまさにそういうところだった。それじゃあ苦手じゃないように思えるがそうではない。
好きと苦手は矛盾しないのだ。
「………お前少年と仲良いよなあ」
助手席に座っているザップにそう言うと、アイスコーヒーを飲んでいたザップがげほごほと咳き込んだ。「おい。シートに零したら降りて貰うぞ」そう言いながらぐいとハンカチを押し付ける。車はさっきから渋滞で中々進めなかった。
「……仲…、…っぷは、……良いように見えます?」
ぐい、と口を拭いながら、息も絶え絶えといった様子でザップがそう言った。「見えるよ。てゆか実際仲いーだろうに」そう言いながら少し身を乗り出して前を眺める。眼を眇めて遠くを見てみたが、いまだに渋滞が解消される兆しはなかった。こりゃーいつ動くかわからないな、と溜息を吐く。
「あいつがザップさんザップさんうるせーからっすよ。別に俺は用事ねーけどレオの奴が構ってほしいみてーだから」
だからです、と言いながら少しシートを倒したザップのことを横目で眺める。口調と同様、複雑そうな顔をしていた。「……少年はよくお前と一緒にいて怒らないよなあ」「何言ってんすか。毎日どーでもいーことで怒ってますよアイツ」文句みたいなことを言ったわりに、そう言ったザップの口調はおかしそうだったし、誰がどう聞いてもマイナス方向の感情は見受けられなかった。「…………。」こーいうとこは変わらないな、とスティーブンは思うとハンドルに腕を置いて、その上に顎を乗せて正面を睨んだ。車は進まない。
レオのことはまだよくわからない。スティーブンの中で、レオナルド・ウォッチという少年は茫洋としていてまだうまくどんな少年なのかが把握できていない。お人好しで、温厚で、けれど嫌なことは嫌だときちんと言えて、責任感もある。その程度はわかっているが、恐らくそれはライブラの構成員殆どが分かっていることだろう。実際、第三者とレオの話になると大抵の同僚は顔を綻ばせることが多い。フツーのガキだよなああいつも、と言いながらも爆笑している通称”武器庫”パトリックと会話したのはつい先日の飲み会の時だ。
ただ、レオナルド・ウォッチという一人の人間についてスティーブンが知っていることは少ない。一緒に仕事はしてはいるものの、個人的に話したことが殆ど無いのもその理由だろうし、上司と部下という関係であるというのもそれの一つだ。ただし別段レオの何かをスティーブンが知りたい、ということがあるわけではない。――――むしろ、スティーブンが気になっているのは。
「……あ。動きそーっすよ」
てゆか俺寝てていいすか、と厚顔無恥にも欠伸をしながらそう言った、ザップのことだったりする。


ザップと初めて会ってから結構経つ。扱いにくい奴だというのが最初の感想で、使いようによれば逆に手綱は握り易くなると気が付いたのはそれからすぐのことだった。好きなものと嫌いなものが異様にはっきりしているせいだ。
一緒に仕事をしてみたらザップ・レンフロという男は恐ろしいくらいの天才だった。
燃え盛る火の前で煙草を喫いながらこちらを振り返った彼の顔は逆光で見えなかったが、スターフェイズさん、と言いながら手を挙げたザップの声はいつもと全く遜色がなかった。それを聞いた時、スティーブンはなぜかぞっとした。思わず足を止めた自分を通り越して、クラウスが走っていく。大丈夫だったかね、と言った彼の声に被さるようにザップは笑っていた。舐めんなよ旦那、と返事をした彼の声は、今から三年も経たない前のことなのに、なぜだか酷く幼く聞こえた。
クラウスとは違う意味でスティーブンはザップのことが嫌いではなかった。好きだとはどうしても言えない。気恥ずかしさとか、意地だとか、そういう感情を別にして、なぜかそうとは言いたくない。理由はいまだにわからない。たとえばレオのことは好きだと言えるが、ザップに対してはそう言えなかった。嫌いじゃない。そのくらいの感情なのだ。
出会った当初から最近に至るまで、ザップという男はどうしようもなかった。今でもどうしようもないでしょと各所には言われているかもしれないが、ともかく本当に手が付けられない男だった。飲む打つ買うの三拍子は当たり前、違法スレスレの薬はキメているし、更に女癖が最悪の一言に尽きる。女に刺されて入院するのはザラであり、不特定多数に恨みを買うのも普通のことだった。それについては今も改善の兆しが全く見えない。どうしようもない。
ただしなんだか最近、ザップはちょっとだけ―――変わった。恐らくスティーブンやK.K.、それからクラウスくらい近くにいる人間じゃないと分からないだろう。その程度の変化だ。―――なんだか少し。
前と比べてちょっとだけ灰汁が抜けた。

たとえば笑うことが増えたとか、連絡がつくことが多くなったとか、そういうこともある。更に言えば、それらは全て”レオナルド・ウォッチ”が関わっている。レオの横にいると大抵ザップは笑っていたし、連絡がつくようになったのはレオに聞くと殆ど答えが返って来るからだ。今だったらたぶん競馬場ですよと苦虫を噛み潰したような顔で言ったレオが電話をかけると、なぜかザップはちゃんと電話に出る。さっき俺がかけた時は無視しただろうに、と顔を顰めているスティーブンを他所に、いーから早く来てくださいよ、とレオは携帯の向こうにいるであろうザップに訴えていた。
更に言えば、ザップの携帯にかけたのに、レオが出るなんていうことも普通になりつつある。すいません今ザップさん緊急手術してて、と泣き声でレオが言ってきたのは確か一週間ほど前だ。三日間の入院の間、レオは毎日ちゃんとザップの見舞いに行っていたらしい。大したことなかったんだろう?ときょとんとして言ったスティーブンに、そーなんですけどねとレオは仏頂面でタオルだの着替えだのの荷物を小さなボストンバッグにぎゅうぎゅうに詰めていた。ザップは持ち家がないので事務所に私物が置いてあることがある。恐らくその一部だろう。
『…放っとくと怒るんですよ。あの人』
そう言ってとことこと事務所を出て行くレオの後姿を見ながら、スティーブンはコーヒーを飲んだ。『…………。』その時思っていた気持ちを説明するのは非常に難しい。たとえばレオが”あの人”という呼び方をしたことだとか、やれやれという様子だった割に心配そうだったことだとか、それから―――その言っていた内容もそうだ。確かに放っておけば怒るような男だが。
『………対象は少年だけに限られると思うけどな』
そうぽつりと呟いたスティーブンに返事をする者は、勿論どこにもいなかった。独り言だったし、大体誰かの返事を期待したわけでもない。

それで別にスティーブンにとって不都合があるとか、都合が悪くなったとか、そういうことなら問題があるだろう。けれど別にそんなことはない。むしろ今まで以上にザップの扱いが易くなったので、そういう意味でもスティーブンはレオを重宝していたりする。言ったら流石に各方面から非難されるだろうから言ったことはないけれど。
ただし、なんだか少しだけその辺りに引っ掛かりを覚えているのも確かだった。―――ザップにも後輩ができたから、ちゃんと先輩としての自覚が出てきたのだろう。クラウスがそう言っているのを聞いて、なるほどと納得した。つまりこれは非常にめでたいことの筈なのだ。今までなんのしがらみもなく、責任感もなく、糸の切れた凧のような男だったザップなのに、レオが入社したことによって成長している。素晴らしいな、と穏やかに言った嬉しそうな友人の横顔を見ながら、けれどスティーブンはやっぱり引っ掛かりを覚えていたのだ。
―――めでたいことの筈なのに。
「…………あ」
動きましたよ、と言いながらザップはフロントガラスの先を指さした。「……そーだな」そう言ってやれやれとスティーブンはハンドルから身を起こす。早よ着かねーかなあ、と退屈そうに言った部下の声を耳にしながら、自分自身に辟易した。


お帰りなさい、と言いながらこちらに走ってきた少年を見て呆気に取られた。「なんだ少年。熱烈だな」「お疲れ様ですスティーブンさん!いや違くてですね、…って、あれ?」ザップさんは?ときょとんとしてレオが首を傾げた。ひどく子供っぽい仕草だったが、年齢の割にそういう仕草が非常によく似合う少年だった。
「あいつなら途中で降りたよ。直帰していいって言ったら喜んでどこかに行った」
「ええ〜〜〜…そーなんすか…」
なんだよもー、と言いながら肩を落としたレオにちょっとぱちぱちと瞬きする。こんな風に彼ががっかりするところを初めて見た。落ち込んだり、しょんぼりしているところを見るのは実際のところしょっちゅうあったが、”ザップがいない”という理由でこうなるレオを見たのは初めてだ。
「なんだ少年。ザップに用事か」
「はあ。…や、ほら俺がずーっと午前中からやってるゲームあるでしょ。あれがどーにか終わったから」
それが言いたかっただけなんすけどね、とレオはあからさまにしょげた様子で言うと、のろのろとソファに戻って行った。「………。」スティーブンはゲームを殆どしたことがないに等しいので、レオがそうやってよくゲームではしゃいでいるのを見ると不思議に思っていた。何が面白いんだ?現実じゃないじゃないか。そうぽつりと呟くと、クラウスはおかしそうに笑って言った。『…ならばスティーブン、私とチェスはもうしてくれないのか』『………あー…』そーいうことか?と言うとクラウスはそういうことだ、とにこやかに返事をした。確かに、チェスは楽しい。けれども一体何が楽しいんだ、と言われたら説明は難しい。そういうこともある。レオがしているゲームだって、そういう類なのかもしれない。
「…少年が呼んだら来るんじゃないか?あいつも」
「え?」
びっくりした様子で顔を上げたレオは、ソファに戻ろうとしていたらしい足を止めた。
「…いや、……何というか……、……あいつ…ザップは」
君がとても気に入ってる様子だったから、と言った後になんだか変な気分になった。軽々に、いつものように何でもない口調で言えばよかったのに、なぜか矢鱈と重々しい口調で言ってしまった。何でこんなことを自分で言ったのかもわからないし、言ったことは事実だったがそれが一体なんだと言われたらスティーブンも困る。自分には別段関係ないことだった。―――なんだかまるで。
嫌味を言っているように聞こえなくもない。
それに気が付いて狼狽した。
「………や、それは流石にないですよ」
はっとする。たぶん愛人とこ行ったんでしょうから、とレオは続けて言うと苦笑した。「…三度の飯より女の人が好きな人ですからねえ」そう言ったレオの口調は、なぜか年齢不相応だった。「……………。」顔を上げてレオを無言で見つめると、下んねー話してすんません、とレオはまた苦笑して言うと今度こそソファの方に戻って行った。
「………………………。」
なんだか酷く自己嫌悪に襲われた。小さな子供を苛めているような気分になったせいかもしれない。そんなつもりはスティーブンに一切なかったし、大体、どうしてさっきのようなことを言ってしまったのか自分でも分からない。ただ、―――ただ、そう言ったことは事実だ。ザップは誰がどう見てもレオのことを気に入っているようにしか見えなかった。
別にそれが嫌なわけじゃないし、というよりむしろそれは喜ばしいことだと思う。クラウスじゃないが、実際、仕事の後にレオのことを荷物のように抱えて戻って来るザップを見てスティーブンは感動したりしたのだ。こいつも後輩の面倒をちゃんと見られるようになったんだなあ、と思わずクラウスに言ってしまったスティーブンに、どーいう意味ですかとザップは仏頂面でそう言ってきた。ちなみにレオはその時点で意識がなかった。
「スティーブンさん」
その声にはっとして顔を上げる。「あのー、飯行ってきていーでしょうか。すぐ戻ってきますから」「え?」そんな時間か、と言いながら時計を見る。時刻は昼三時だった。
「なんだ。まだ行ってなかったのか?」
「今日結構みんな出払ってて誰もいませんでしたから、一応残ってたんです。僕だけじゃあんまり意味ありませんけど」
そう言いながら頭を掻いたレオを見て、ちょっと顔を顰めた。「…そーいう言い方をするなよ少年。…そーか。それじゃあ」僕と行くか、と言いながら立ち上がる。はい、とレオが驚いたような声を上げた。
「だから飯だ。ダイアンズ・ダイナーがいいな。どうだ」
「……そら僕は別に構いませんけど……」
びっくりした様子でそう言ったレオに、そーかとスティーブンは肩を竦めて頷いた。「それじゃあさっさと行ってきちまおう。僕も腹が減った」「……はあ」分かりました、と言いながらソファの方にレオは慌てた様子で戻っていく。スマートフォンをポケットに突っ込んでいる姿を見ながら、何してんだか、とスティーブンは自分自身に呆れていた。


ハンバーガーのソースがレオの口にべったりとくっ付いている。「…………食うのが下手だな」そう言ったせいか、レオも気が付いたらしい。慌てた様子で紙ナプキンで口元を拭った。
三時を回っているせいか、店内は空いていた。カウンターでいーか、と言ったスティーブンをまたしてもレオは驚いた様子で見つめたが、勿論、とすぐに答えてスティーブンよりも先にカウンターに座った。ようレオ、と看板娘のビビアン・ヒルがレオに挨拶している間にスティーブンはメニューを眺め、そういえばここでコーヒーは飲んだことがあったけれど、飯の類は食ったことがない、とふと気が付いた。一時期事務所のセキュリティを再構築している間、クラウスと打ち合わせに使っていたのだ。
「…スティーブンさんも飯食ってなかったんすね」
スパゲティをぐるぐるとフォークに巻き付けているスティーブンの横で、レオはもぐもぐとハンバーガーを齧っている。「ああ。タイミングを逃した」「いつも逃してそうですよ」そう苦笑したレオに、そーかなとちょっと首を傾げる。
「忙しそうですから」
「たぶん少年が思っているよりは忙しくないよ。半分くらいは忙しくない癖に自分で忙しくさせてるんだな」
そう言ってポテトにフォークを刺した自分を、変な顔でレオは見つめた。「?なんでです、……ああ、ええと、どうしてですか?」「…そこで何で言い直すんだ」「そらまあ上司ですから」気を付けますよ、と苦笑いしてレオは言った。どうもさっきから苦笑が多い。
「よくここには来るのかい」
ついさっきされた質問をスルーしてそう言ったが、レオは別段気にした様子もなく、はいと素直に頷いた。「ライブラ入る前から来てます。飯美味いしコーヒーのお代わりはタダだし」家から近いのもありますねえ、と言った後にレオも自分のポテトを口に放り投げた。
「スティーブンさんもこないだまでたまに来てましたよね」
「あー、うん。例の事件がなあ」
あれには参った、と肩を竦めて言った自分に、レオはそーっすねえと言って笑った。「…にしてもよく知ってたな。ここでお前と会ったことはないだろう」「へ」そこできょとんとした様子でレオはハンバーガーを持ったままこちらを向いた。またしてもソースが口元にくっ付いている。
「え。…、…あー、あーそれはほら、ここの前の通り…僕もよく通りますし。ははは」
引き攣った顔でそう言ったレオは、何かを誤魔化すように笑った後にコーラをごくごくと飲み始めた。その様子を見て何となくスティーブンは無言になる。「……そーかそーか。まあ、たまにならいいよ。少年はザップと違って常習はしないだろう」「げほっ」コーラを飲んでいたせいでレオはすぐにむせてごほごほと咳ばらいをした。
「…よ、…よく……いやその…僕らも別に毎日そういうことをしているわけじゃ…」
そう言ってぐいと口を拭ったレオは引き攣った顔をしていた。「…てゆかよくわかりましたね。今のあれだけで」分かったというのは、スティーブンが今のレオの言葉だけで二人がサボっているということを看破したことだろう。百パーセント確信を持って指摘したわけじゃなかったが、実際そうだったようだ。ザップはともかくこの子は普通の十九歳の男の子だしなあ、とスティーブンは今更のように思った。レオは少しだけ気まずそうな顔をしつつ、食事を再開している。
「…弁解はしないのか」
「…はあ。だってサボりはサボりなので」
すんません、とレオは言ってハンバーガーを齧った。「…ザップが少年を誘ってるもんだと僕は思っていたんだが」そう言ったのは半分本音だったし、半分は―――鎌かけだった。比較的、レオは真面目だったし、大体こういった少年を悪の道に引きずり込むのはザップのような男だというのが一般的だったからだ。
一般的なそれにザップとレオが当てはまるかどうかと言われれば、そんなことはないとスティーブンは思っていたけれど。
それでもそういう聞き方をした理由は自分でもよくわからなかった。
「や、それはそうだけどそうじゃないです」
「ん?」
そうだけどそうじゃない、という否定と肯定が混じった答えに素っ頓狂な声でそう言ってしまった。「…そうだけどそうじゃない」繰り返して言ったスティーブンに、はいとレオは素直に頷いて笑った。
「確かにスティーブンさんの言う通り、ザップさんが俺を誘うのがほぼ百パーセントですよ。まーでも僕もそれにオッケーしちゃってますからね」
ザップさんのせいっていうよりも、とレオは続けると、またおかしそうに笑った。「…共犯ですね。僕とあの人の」
その顔は見たことがある、とスティーブンは横に座っている少年の横顔を見て思った。いつだったのか、どこだったのか――――思い出そうとする前にレオが先に口を開いてしまった。「…だからその件でザップさん怒る時は僕も呼んでください。スティーブンさん」ぱくんとハンバーガーを齧って、レオはそう言った。
その時スティーブンは思い出した。どこかで見たことがある、と思ったその顔だ。今日見たばかりのザップの表情だ、と気が付いた。車内でレオと仲が良い、と指摘した時のザップの顔は、今のレオのように笑顔でもなんでもなく、むしろ顰め面に近いものだった。複雑そうな表情の中には色々な感情が内包されているようだったから、スティーブンにも上手く説明ができない。けれど、その時のザップの表情とレオの今見せた表情は、スティーブンには同じに見えた。
「………少年は」
自然にそう口を利いた自分に気が付いた。

「…ザップのことが好きだな」

そう言った途端、レオは今度こそさっきの比ではないくらいにむせ始めた。げほごほごほ、という声にはっとする。「あ。少年」大丈夫か、と慌ててポケットを探ったが、そういえば今日車内でザップに渡してしまっていたことを思い出す。返却されていない。仕方ないのでビビアンを呼んで紙ナプキンを余分に貰った。
「なーにしてんのあんた。水持ってくるよ」
そう言ってすぐにビビアンは呆れた様子でコップに入った水を持ってきてくれた。「す、すいませ……、ごほ、」げほげほ、と咳き込んでいるレオの背中を摩って、何をしてるんだかとスティーブンはレオではなく自分に呆れた。
「…すまんな。大丈夫か」
「だ、…大丈夫、……です……」
そうレオは言って漸く落ち着いたらしい。ほうと息を吐いて一口水を飲んだ。「……は〜〜〜…こんなに一気に咽るなんて思いませんでした…」「いやすまんすまん」悪かった、と言った自分の声が苦笑している。それになんだかスティーブンはほっとした。
「……スティーブンさんも早よ飯食わないと冷めちゃいますよ」
不貞腐れた声で言ったレオは、そう言ってまたハンバーガーを齧り始めた。「………。」どうもさっきのことについて触れるつもりはないらしい。無言でコーラのストローを咥えたレオに、やれやれとスティーブンは肩を竦める。「…それもそうだな」そう大人しく返事をして、食事を再開した。
隣に座るレオの耳と頬はびっくりするくらい赤かった。


はい、と言いながら突っ返されたそれを見てぽかんとした。「…なんだ」「なんだじゃねえっすよ。ハンカチ」昨日貸してくれたじゃないすか、ときょとんとした顔で言ったザップを、スティーブンはまじまじと見つめた。何すかその顔、と怪訝そうに言われたが無言でそれを受け取る。きれいに畳まれたハンカチは洗剤のいい匂いがしたし、誰がどう見てもアイロンがかかっている。
「……………。」
訝し気な顔でザップを見つめたスティーブンに、なんですかだから、とザップは言いながら煙草をシガレットケースから取り出して口に咥えた。基本的に室内で彼は煙草を喫わないが、バルコニーでは喫うことがある。というよりも喫いたくなったらバルコニーに出るらしい。スティーブンは骨休めにバルコニーでコーヒーを飲んでいるところだったのだ。
「…女にでも頼んだのか」
「シャローンが勝手にやってくれたんですよ。朝起きたら畳んでテーブル置いといてくれたんで」
そう言ってふう、と煙を吐き出した部下を呆れて見つめてしまった。「…お前その言い草はないだろう。せめてその子くらいは大事にしてやれ」「あのねー、いいんですよ。あいつは俺の世話焼くのが好きなんだから」わはは、と締まりがない顔で笑ったザップを見て、スティーブンは溜息を吐きたくなった。なぜこんな男がモテるんだ?世の中不条理だし理不尽だ。
ハンカチが返ってきたのは意外だった。そもそもその存在を忘れていたこともあるが、昨日のレオとの一件でその存在を思い出した。レオと二人で帰りながら、あのハンカチはもうないものと思った方がいいな、とスティーブンはある意味酷いことを思っていたが、翌日である今日、ハンカチは今のように奇跡的に返却された。
「…お前女の趣味はいいよな」
「どういう意味ですかそりゃー。…でもまあ、そーっすよ。俺の愛人全員すっげえ可愛い奴ばっかですからね」
普通だったら惚気にしか聞こえないだろうそれを、スティーブンはふうんと少し呆れた表情で相槌を打った。言葉だけとらえれば確かに惚気だったろうが、よくよう考えると愛人『全員』という単語が頂けない。複数人付き合っている女がいる時点でザップの倫理観がおかしいのだ。けれどそれを別としても、余りそれは惚気に聞こえなかった。
「…お前がそうやってよろしくやってる間、少年は不憫だったぞ」
「は?」
レオ?と怪訝そうに言ったザップがこちらを振り返ったが、スティーブンは振り返らずコーヒーの湯気越しにヘルサレムズ・ロットの街並みを眺めていた。湯気越しに霧越しに見る街はひどくぼんやりと霞んで見える。
「何でそこであいつが出て来る…ってゆか何が不憫なんすか」
「…性格が悪い上司と飯を食いに行く羽目になったり、飯を食いながら恋愛の話を振られたり、サボっていることがバレたり」
「はい?」
ちょっと待って下さい、と言ったザップの声が上擦っていた。「なんすかソレ。てゆか恋愛って」「…別に僕はそんなつもりなかったんだけどなぁ」結果的にそうなっちゃったなあれは、と少し反省を含ませつつコーヒーを飲む。スターフェイズさん、とザップが横で喚いたが、コーヒーを飲むことの方が今のスティーブンには大切だった。
「聞いて下さいよちょっと!なんですかだから!レオがどーしたってゆーんすか!」
「……僕が言うわけにいかないだろ。本人に聞けよ」
カップから口を離してそう言い、遂に隣を振り向いた。ザップは痛いところを突かれたような顔になったが、しかしすぐに嫌ですときっぱり言った。「なんでだよ」「何で俺が一々アイツのこと気にしなきゃいけねーんすか」「…………それじゃ俺に聞かなくてもいいだろ」そうにべもなく言ったスティーブンの腕をがしりとザップは掴むと、スターフェイズさん、と悲壮感溢れる様子で言った。
「教えて下さいって…!!気になるじゃないですか…!!」
「だから気になるなら本人に聞け。……あとお前らたまにあの店でサボってるんだな」
コーヒーカップに口をつけたあとそう言ったので、げっとザップは少し仰け反ってスティーブンの腕を離した。「そ、…いやそれはレオが」「おい」お前それはないだろう、と思わずザップのそれを遮って言ったスティーブンに、は、とザップはぽかんとした顔になった。
「少年はお前のせいにしなかったぞ」
「え?……レオが?」
「そうだよ。………昨日の少年は本当に不憫だな。折角庇った先輩にも罪を擦り付けられるとは」
恩を仇で返されてるな、と溜息を遂に吐いて言ったスティーブンに、ちょちょちょ、とザップは泡を食ったように言った。「だーもうなんすかさっきから!昨日何があったんです!」「………昨日はだから」
お前が直帰しなければ、と言おうとして――――スティーブンはやめた。直帰しなければしないで、自分はレオのあの顔を見られなかっただろうし、あの返事を聞けなかっただろう。

―――…だからその件でザップさん怒る時は僕も呼んでください。スティーブンさん。

「…………、…いや」
やっぱりお前が少年に聞けよ、と言ってスティーブンはくるりと身体を反転させて柵に寄りかかる。「だ…っからそれができたら苦労しねーんすって」昨日何があったか教えてくださいよ、と拝み倒さんばかりにそう言ってきたザップを見ながら、そこで漸くスティーブンは苦笑してしまった。
「…そーだな。とりあえず説教する時はお前と少年いっぺんにするし」
「へ?」
怪訝な声を聞きながら、コーヒーの匂いを嗅ぎながら、灰皿に置かれた煙草の煙が空に上って行くことに気が付いた。思えば出会った当初からこの男はずっと同じ銘柄のものを喫っている。青空が見えないヘルサレムズ・ロットの上空には霧が世界を覆いつくさんばかりに広がっていた。
灰色の煙は霧と溶け合うみたいに見えた。

「………あの子にならお前を任せて大丈夫だろう」

そうぽつりと言った声と同時くらいだった。バルコニーのドアががちゃん、という音を立てて開いた。スティーブンも、それからザップもそちらに目を向ける。「あ、すいません二人とも。スティーブンさん。クラウスさんが呼んでます」そう言って顔を出したのはレオナルド・ウォッチだった。
「…そうか。すまんな少年」
そう言ってひょいと柵から身を起こした自分に、ザップが変な顔を向けている。「…なんだ。どうした」「……いや。…今の」なんですか、と言ったザップの声が微妙に動揺していることに苦笑する。「…聞いてばかりいないで自分でも考えろよ。得意だろ」そう言ってすたすたと出口に向かったスティーブンの背に、スターフェイズさん、とまたザップの困惑した声が聞こえてきたが、スティーブンは振り向かなかった。
入口のドアをレオが押さえている。
「…悪いな少年。有難う」
「いえ。クラウスさん執務室にいます。こないだの警察との合同捜査の件でって言ってました」
「ありがとう」
そう言って通り抜けざまレオの頭を軽くぽんと撫でたので、わあとレオは驚いた様子でそう言った。「ちょ、っともう、やめてくださいよ。子供じゃないんだから」「僕からすればじゅーぶん子供だ」「ひっでえ」そう言ったものの、レオはおかしそうに笑って自分でも頭を触った。
しかし次の瞬間レオはすごい速度でベランダに引き寄せられたので、スティーブンは呆気に取られた。今まで見ていた場所にいた人間がいきなり姿を消したら誰だって驚く。しかしレオが消失する前に、彼の身体に赤い血が巻き付いていたのも、スティーブンは見逃さなかった。
「………ザップ」
危ないだろ、という意味を込めて顔を上げてそう言ったが、既に愚かな部下は不憫な部下を苛めている最中だった。「いだだだだだ何!?何!?俺が何をいだだだだだやめてやめて痛い痛い痛い痛い」「うるっせーバカ!!!」「理不尽過ぎて罵る気も起きねえ!!」やめろよ、と喚きながらじたばたと手を動かしているレオに申し訳ないな、と思いながらスティーブンは無言でザップを見つめる。じっと睨んでいる間全くザップはレオの頬を抓る手を緩めなかったが、スティーブンがいつまでも動かないことに疑問を抱いたらしい。レオの声が泣き声になってきた辺りで漸く顔を上げた。
「なんすか」
「僕を威嚇するな。…丁度いいだろ」
さっきの聞いておけよ、と言いながらバルコニーから出ようとしたスティーブンの耳にレオの悲鳴は聞こえなくなった。「…いっ…きなり、…なに…何すんすかザップさん…!!」俺何もしてねえじゃん、と嘆いているレオではなく、ザップはさっきしていたような変な顔でスティーブンを見つめていた。
「………あとその子供っぽいやきもちはやめておけ」
そう言ってついにバルコニーから出たスティーブンの後ろから、ザップの声が聞こえた。「だ、ど、…ちげーよ!妬くってアンタ、」「痛い!耳!耳が!」耳を突然塞ぐな、というレオの声を聞きながら、後ろ手でバルコニーのドアを閉じた。


別に保護者だったつもりはない。言うなればただの上司だし、関係といえば本当に仕事中に得たそれしかない。ただ、初めて出会ってから今に至るまで、本当に目が離せない男だったことは間違いない。もしかしたらいつか連絡もなくいなくなってしまうということも考えられたし、そしてそういうことが起きてもたぶんスティーブンは納得する。そうか、そういう男だったからな、と二言くらいで済ませてしまいそうな気がする。
けれどきっと、今そういうことが起きたら必死でザップを探すのだろう。連絡もなく、どこかにいなくなるような男じゃない。絶対に。
絶対にあの子を一人にするような男じゃない。
「………親バカっていうよりも……」
俺の贔屓目か、と独り言ちながら空になったマグカップをデスクに置いた。「………。」無言でバルコニーの方に目を向ける。何か会話をしている2人が見えたが、レオはさっきザップが見せたような変な顔をしていた。それを見たあと、すぐに執務室の方に足を向ける。バルコニーから声は聞こえない。けれどきっと、声が聞こえる距離にいても自分にその声は聞こえないのだろう。
執務室のドアノブを掴みながら少し目を上に向けた。
「…………悪いな少年。頼ませてくれ」
ぽつりと呟いたそれに勿論誰も返事はしない。けれどスティーブンは満足そうに微笑んで、ドアノブを捻った。