どきどきクエスチョン

2017/10/14

朝食のサンドイッチに入っていたトマトが胃の中でひっくり返っている。ここヘルサレムズ・ロットではいつ、何時何が起きるか分からない―――それだけが理由と言う訳ではないが、ともあれ事務所には早めに着くようにしていた。
それにしたって、とスティーブン・A・スターフェイズは溜息を吐く。今朝の道路は酷かった。どこぞの馬鹿がビルのガラスを全部液状化させたせいで、交通渋滞に巻き込まれた。道路は色々な意味でそりゃもう大惨事だった。
「…フツーの時間だな。こりゃ」
苦笑しながら腕時計を見つめて独り言を呟いて今日の事務所のドアノブに手をかけた。
がちゃり、と音がする。

「………っわあ!?」

その声を訝しく思う間もない、というより一目瞭然だった。ドアの中ではどういうわけか自分の部下二人が密着していた。久しぶりに驚いた、とスティーブンは自分自身をそう評した。常に意識して感情を表に出さないようにしているわけではないのだが、ここまで驚いたのは多分、久しぶりと言っていい。
密着というざっくりとした表現になってしまったが、具体的に言えば二人の部下のうちの一人、レオナルド・ウォッチはドアの中の小部屋の壁に押し付けられていた。押し付けていたのは、もう一人の部下であるザップ・レンフロだ。レオナルドの顔のすぐ横には彼の左手が置かれていて、右手は彼の顎を掴んでいる。灰色をした目がぎょっとしたようにこちらを見つめていた。
ぎょっとしたいのはこっちだった。

「………………おはよう」

よっぽど変な顔をしていたのかもしれない。レオもザップも不自然なくらい瞬時に距離を取っておはようございます、と異口同音に発した。レオはともかくとしてザップがそんなに丁寧に挨拶をするのは物凄く珍しい。動揺している、と思いながら自分もまだ驚いた表情のまま首を傾げる。そんな顔をしていたスティーブンに対して、慌てた様子でレオが口を開いた。なぜか矢鱈と汗をかいている。
「あーちょっとあの、め、目に、目にゴミが入っちゃいまして」
「そそそそーなんすよスターフェイズさん。こいつの取り得って目だけなんでそのゴミを俺が取ってやろーとしていたところで」
「………そーなのか。いや、別にいいんだけれどここじゃ狭いだろう」
レオとザップは一瞬間を空けたがすぐにこくこくと同じように頷いた。焦りと動揺がすぐに見えて取れる。「…ていうかお前達、ドアを開けないのか。もうすぐ時間だぞ」そう言うと慌てた様子でザップがドアノブを引っ掴んで、扉を開けた。ガチャリと音がして光がこちらに向かって入ってくる。

おはようスティーブン、ザップ、レオ、とそれぞれに挨拶をするクラウス・V・ラインヘルツに片手を上げる。おはようございます、というレオの声とはよっすというザップの声がそれぞれフーガのように聞こえた。なぜか二人とも声が引き攣っていた。
「…………えーとクラウス。早速で悪いが今日の打ち合わせのことだけど―――」
そうクラウスに話しかけてスケジュールの確認を始めたが、何となく後ろの二人が気になってしまった。なぜか。なぜかと問われたらこう答えるしかない。

―――キスしようとしてたような。

「…で、大丈夫だろう。………スティーブン?」
はっとして顔を上げると、不思議そうな顔をしたクラウスがこちらを見下ろしていた。「…どうした。大丈夫か?」そう聞きながら首を傾げる仕草はどういうわけか巨体である彼にとても似つかわしく思えた。大丈夫だよ、と慌ててクラウスは笑って返事をすると、そうかとクラウスは安心したように頷いた。

それがまず、朝の出来事だった。


よくよく考えてみたら、とスティーブンは一人でぼんやりと考えながら天井を見上げる。―――あの二人最近仲良過ぎないか?
最近どころかここ三か月くらい大体朝は一緒に出社してくるし、帰る時も殆ど一緒にバイクかスクーターで帰社している。方向が同じだとか一緒に住んでるとかなら分かるが、二人の居住区は確か全く逆方向、なおかつ一緒に住んでいる訳では無い。しかも女遊びが激しかったザップは、どういうわけかここ最近その側面を潜めていた。かと言って女旱という訳でもないように、見える。彼の様子自体は前と変わってないからだ。
一方レオナルド、通称レオはやっぱりここ三か月くらいだが、朝欠伸をしていることが多くなった。しかも次の日腰が痛いとか眠いとか言いながらザップに文句を言っているのをたまに見かける。
―――前日に一緒に映画とか見に行ったり飲みに行ったりしてると思ってたんだけど。
自分としたことが全くその可能性は考えてなかった。つまり、二人が付き合っているのではないかという可能性だ。恋愛的な、意味で。
「………………。」
ライブラは秘密結社の名の通り、自分がそこに所属しているとばれることすら危機に繋がる。だから基本的には余り対外的な繋がりを控えめにする傾向がある。別に駄目というわけではないが、それによって起きる事件に巻き込みたくないという理由で、特にレオのような性格の人間は積極的に友人や知人を作らないことが多い。だから必然的に社内間の結びつきは強くなる。歳が近かったり気が合ったりしたら余計だ。レオとザップは性格的には全く違うようだが、歳が近いし性別も一緒だから気が合うのだろう、とスティーブンはそう思っていた。が、どうもそれだけではなかったらしい。
「………、…いや、まだそう決まったわけじゃ…」
ないけど、とひとりごちて手を下ろす。未処理の書類が溜まっている。ふう、と息を吐いて万年筆を手に取った。二人が例え付き合っていようがいまいが、正直業務に支障が出なければ問題ないのだ。ない―――けれど。結構動揺しているな、とスティーブンは自覚しながらくるりと万年筆を手で回した。

「だから言ったじゃないですか!絶対やめた方がいいって!」
「るせーなフツーは行けるのフツーは。お前がいたせーでフツーじゃなかったんだろ!」
「ウワーここで人のせいっすかー。サイテーですねほんと」
てめーまた泣かしてやろうか、あっちょっと痛い痛いやめてください、という喚き声が聞こえて顔を上げる。買い出しに行っていたレオとザップが帰ってきたらしい。レオの頬を抓りながらザップが煙草を喫っていた。器用だ。
「…お帰り」
一言そう言って手を上げると、どもっす、と言ってザップがレオの頬から手を離した。朝のことを気にしているのか、微妙に間が空いていたことにスティーブンは気が付いた。「いってー!もーぜってー赤くなってるっしょこれ!」てめーが生言うからだっつの、レオにと言いながらスーパーの紙袋を持って歩いて行くザップの後ろを、レオも同じように紙袋を抱えてついていく。ギルベルトに食品を渡しに行くのだろう。二人のやり取りを見ていても聞いていても、いつもの―――つまり昨日までの二人と全く同じように見えた。
「………………。」
わからん、と思いながら思わず額に手を置いて悩んだ。だって―――だって社内恋愛…いや、それより男同士…まて、付き合っているかどうかはまだ…。そんな考えが矢継ぎ早に生まれて思わずため息を吐いた。悩むことでも何でもない。付き合ってても付き合って無くてもどっちでもいいじゃないか。そう思った。思ってはいるが、納得できるかどうかは別問題だった。受け入れるかどうか、とも言える。

「大体ザップさんいつもそーっすけど何で俺の話を聞こうともしないんですか?昨日もそうだったし、一昨日もそうだったし、一昨昨日もそうだったじゃないですか」
「はあ?ちゃんと聞いてるだろアホ。お前こそ俺が聞いてることを聞いてないんだよ」
「聞いてることを聞いてるってどうやって聞いてるって分かるんですか?…アーもうなんだかわかんなくなってきた…」
「そりゃおまえ、」
隣から戻ってきたレオとザップがいつものように口げんかをしながら戻ってくる。これもそうだ、とスティーブンは思った。こうやっていつも口げんかをしているから、喧嘩する程仲がいい、喧嘩友達ってやつだなあと漠然とスティーブンは思っていたのだ。レオはレオでザップが怪我すると途端にいつもの暴言を引っ込めるし、ザップはザップで口にはしないもののレオのことをよく面倒を見ているし。つまり仲がいい。
ぼーっとそんな事を考えながらも万年筆を動かしていたが、ザップの笑い声が聞こえてふと顔を上げた。真っ赤な顔をしたレオがザップを殴っていた。殴っていると言ってもタイマンステゴロとかそういうのではない。手を振り回していると言った方がしっくりくる。ザップは爆笑しながらその手を受け止めているし、つまりただじゃれているだけだ。今までにもよくこういう光景は見ていたが、ザップがどう見ても初心なレオを”そういう”方面のネタでからかっているとスティーブンは思っていた。しかし今朝の出来事を見てしまった今、もしかして違うんじゃないか、と思い直すに至る。もしかして、もしかしたら。
―――”レオが”照れるようなことを口にしてるんじゃないか。
例えばだがついこの間、何かの雑談の折りに健康の話になった。言わずもがなライブラは戦闘要員が殆どなので、身体を鍛えている――というより無理矢理鍛えざるを得ない。まあ、色々な意味で何かと便利だし。スティーブンも例に漏れず戦闘要員なので、一応普通の人間よりはそういう面を鍛えてはいる。足技使うし、そりゃまあしなる程じゃないけどそれなりにね、とレオに話した。
『僕は今疲れてない日は夜前屈をしてるんですけど』
『前屈?』
柔軟体操である。なぜ、と聞くと足が攣ることがあるのでとレオは悲しげに言った。確かにこのヘルサレムズ・ロットでは走りたくなくても走らざるを得ないことが多い。逃げる時、追う時、事情はいろいろだがともかく自分の足が頼りなのだ。

その時スティーブンはそう勝手に思っていたのだが。
もしかして違うんじゃないか、と今思った。

なぜならその後、隣にいたザップが三時のおやつであるマドレーヌを齧りながら、おもむろに口を開いたのだ。
『でもオマエ身体はやらかいじゃん。つーか攣ってもいつも平気そーじゃん』
『はあ?』
平気じゃないですよ、気持ちよさげじゃん、そんな訳ないでしょう、という無意味な言い争いを始めたところで丁度クラウスが戻ってきて、スティーブンは雑談の内容を話し始めたから気にしていなかった。その時はそうだったが、今思うと――というか邪推すると、もしかしたら、とスティーブンは思う。
――――身体が柔らかいとか足が攣るとかって。
セックスの時じゃないか?とその考えに行きついて思わず立ち上がった。がたん、という大きな音にびっくりしたように正面でじゃれていた二人がこちらを同時に、振り向く。僅かばかりレオは焦った様な顔つきで、ザップはきょとんとした顔をしていた。分かり易い。
「…あ。悪い。いや、何でもない」
そう言って笑うと、なぜ謝ったんだろうと思いながらまた席に着く。無意味な運動である。「…………これは何というか…」不味いな、と小さく自分に対してそう言うと、ため息を吐いてまた万年筆を取り上げた。


満を持してというか都合よくというか、その日の夜はライブラの飲み会だった。新入社員歓迎会という名目らしいが、一体誰がどこの部署に入ったのかスティーブンは知らなかった。そもそも入社(というべきなのか)して、すぐ異動や出向が相次ぐのだから一々そんな歓迎会をする組織でもない。普通の企業とは違うのだ。そもそもが企業でもない。だからこの飲み会も、名目上新入社員歓迎会というだけで、本当は情報交換の場である。いつもの如くだ、と思いながらグラスの水割りを揺らす。余り飲みたい気分ではなかった。
「……やはり、」
ん、と顔を上げると隣に並んでいる友人が不思議そうな顔をしてこちらを見下ろしていた。「…元気が無いように見える」呟かれた後にグラスの氷がばきりと音を立てて割れた。
部屋に流れている音楽はジャズ調のそれで、アルトサックスの音が美しく聞こえてくる。しかし友人はその美しい音楽よりも、隣に座っている自分の様子の方が気になるらしい、とスティーブンは気が付いて苦笑した。
「…そうかな?そうでもないよ。ただ今日は飲みたい気分じゃないだけで」
「……その、飲みたい気分じゃないというのが問題なんだろう」
そう指摘されて頭を掻いた。確かにその通りだった。やはり少し動揺が交じっているのか、自分で襤褸を出している。「…しまったなあ」呟いたそれにクラウスが困った様な表情を向けた。聞いた方がいいのか悪いのか、それを見極めているのだろう。
「…君がそういう表情をするのは珍しい。何かあったんだろう」
「んー…うん、まあ。あった、と言えばあったしなかったと言えば無かった」
どちらだ、と苦笑交じりに言われてどちらかなあとスティーブンも笑った。ただ、事実彼ら二人が付き合っているかどうかは分からないから、この返答はほぼその通りだった。
「…言いたくなければいいのだが、それで君が落ちているのは、困る」
「ああ、いやそりゃ仕事には支障が出ないように……、あ、いや、そういう意味じゃないよな。悪い」
自己完結させたスティーブンにクラウスがまた不思議そうな目を向けた。どうもこの友人は他人に対してお人好しが過ぎる、といつもスティーブンは思う。頭もいいし武道も強い、統率力もあるのにそこだけが欠点だ。他人に対して冷徹になれない。その上自らに対して厳しいとくれば、人の好さの塊とも言えた。
「…でもそうだな。クラウスがそうじゃないと、俺も困るな」
「?どうした」
「いや、何でもない」
簡潔に言えば君がいてよかったということだ、と笑って言うと、クラウスは目をぱちぱちと瞬かせてすぐに目を逸らした。彼のグラスの中の氷も割れた。
おや、とスティーブンは思う。
「…珍しいな。照れたのか」
「いや、まあ…君がそういう事を言うのは珍しい」
そうなのだろうか、とスティーブンは思いながら自分のグラスを見つめる。水割りどころか殆ど水になってしまっていた。
店内に目をやると、既に宴もたけなわ状態らしく三三五五に皆自由に飲んでいる。ある者はソファの陰で、ある者は蓄音機の横で、ある者は店のマスターと話しをしながら。二次会はどうするのかな、となどと考えながらほぼ水になった水割りを一口飲むと、目の前のソファに人影が現れた。
「レオ。どうだ、楽しんでいるか」
少しぎょっとしたスティーブンとは対照的に、クラウスが目を細めて穏やかに口を開いた。目の前の長椅子にすとんと腰を下ろしたのは、スティーブンの中で渦中の人であるレオナルドであった。
「あ、クラウスさんスティーブンさん。はい、ここのツマミ美味いですねー、このチーズも美味しかったですよ」
そう言いながらテーブルの上にキャンディチーズの乗った皿が置かれた。有難う、と言いながら手持無沙汰だったこともありスティーブンはチーズを一つ手に取った。
レオは自分のグラスを少し傾けて、キャンディ型ってちょっと懐かしい感じしますよねえ、と言いながらくすくすと笑った。珍しく今日は少し酔っているらしい、とスティーブンは気が付く。レオは専らこういう席では炭酸水かジュースの類を飲んでいるから、アルコール類は苦手なのかと思っていた。苦手とまではいかずとも、そんなに好きではないのだろう、くらいには。
視線に気が付いたのか、レオはあーこれ、とグラスを傾けた。
「今日は許しが出たので飲んでます。一杯くらいならよしということで」
思わずクラウスと同時に許し?と言いながら首を傾げてしまった。一体誰に許しを得る必要があるのだ。別段規制されているわけでもないのに、という意味でである。
レオは二秒ほどえーと、と言いながら考えていたが直後はっと酔いが醒めたように真顔になると、ああええとええとですね、と意味をなさないことをもごもごと泡を食ったように呟いた。スティーブンもクラウスも怪訝な顔になる。
――――許し?
まさか、と思ったところでレオがぱっと顔を上げた。「か、過去の自分です」物凄く焦った顔をしたレオはそう言うと、いや僕そんな酒強くないんですけど味は好きなんで昔結構飲んじゃったりしたんですがどーも笑い上戸だったりつまり色々めんどくさくなるんです、と捲し立てるように喋り始めた。ああそうなのか、なるほどなどと言いながらクラウスは頷いて聞いているが、いやいやいや、とスティーブンは日中と同様邪推をした。許しって、もしかして。
―――――ザップの?
もし万が一、億が一―――彼らが付き合っているとしたら。レオが酒乱とは言わずとも例えばキス魔だとしたら、絶対に飲むなと言うだろう。俺と二人の時はいいけど飲み会では絶対飲むな、とか。言いそうだ。何しろザップは自分のものを誰かにとられるのが大嫌いなのだから、その可能性が芽生える行為をレオに許すはずもない。
「いやいやいや」
そこまで考えて思わず首を振った。隣に座るクラウスが怪訝な顔でどうした、とこちらを見下ろしてきた。「酔ったのかね?」珍しい、と思われているのが見て取れる表情をしていたので、慌てて大丈夫だと告げた。クラウスに心配をかけるのは本意ではない。
「…あ、えーと。そ、そそそそーいう訳ですので」
僕このチーズをその辺に回してきます、と言いながらレオは皿をひょいと掴んでふわふわした足取りでソファの向こうに歩いて行った。一体何がそういう訳なのかさっぱり分からない。
「……レオと何かあったのか?」
きょとんとした様子で、スティーブンと同じくチーズを抓みながらクラウスがそう言った。少し口ごもったあと、結局これじゃ一緒だと思い直して苦笑した。
「レオというか、レオと…あー………ザップとね。ちょっと」
「…喧嘩…ではないのだろうな」
まあね、とまた苦笑しながらグラスを揺する。「…君だったらどうするかな。例えば、二人が――――」そこまで言っていや、と首を振った。
「…何でもないんだ。すまない。今日はこんなのばっかりだ」
クラウスは怪訝な顔をしていたが、スティーブンに言うつもりが無いのは見て取れたのだろう、分かったと肩を竦めてそう言った。君が言いたくなるまで待つだとか、言いたくないならいいだとかそういうことは言わなかったが、恐らくそう思ってくれてるんだろうな、と勝手に思いながらもう一つ、チーズを抓んだ。

丁度その時だった。先ほどまでレオが座っていたソファにどさ、という音と共に誰かが座った。ん、とクラウスとスティーブンはお互いにぱちくりと目を瞬かせながらそちらを見つめる。レオの次に来たのは、ザップ・レンフロだった。
「………何だザップ。折角の酒盛りなのに機嫌が悪いな」
スティーブンがそう言うと、そんなことねーっすよ、とザップは機嫌が悪いとありありと分かる声で返事をし、右手に持っていた酒瓶の蓋を開けた。グラスが無いと見るやそのまま飲もうとしたので、待ちなさいとクラウスが止めに入る。
「グラスを持ってくるから待ちなさい。それだと皆が飲めない」
スティーブンが止める前にクラウスはすたすたとグラスをカウンターまで取りに行ってしまった。「………。」意味ありげにスティーブンが視線を向けると、分かってますよと拗ねたようにザップは言って、仕方なさそうに酒瓶をテーブルに置いた。あそこまで実直に生きる奴もいないよなあ、と今更ながらおかしく思って笑みを浮かべながら、自分のグラスをザップに差し出す。顔を顰めていたザップは、はいはい、と言いながらスティーブンのグラスに酒を注いだ。
「…少年なら向こうに行ったぞ」
そう言ってこくんと酒を飲む。ザップは顔を顰めたまま、だから何すかと不貞腐れたようにそう言った。恐らく機嫌が悪い原因はレオだと当たりをつけて言ってみただのが、見事にその通りだったらしい。
「結構酔ってたけどね。見てやったらどーだ」
「…何で俺が。こんなとこまで子守りはごめんですね」
そう言いながら素早く目線が店内に向けられたのを見て、さっきも噴出した疑問がまたしても鎌首をもたげてくる。レオもそうだが、ザップもだ。やっぱり、一々お互いのことを気にしているような素振りが目につく。
それは今朝の出来事のせいなのかも知れない。前々からこうだったのに、スティーブンが今日気が付いただけなのかも知れない。ただ、どちらにせよ事実ははっきりせねばなるまい、と思いながらグラスをテーブルに置く。
「…なあザップ」
「な、何ですか」
珍しく上擦った声でザップが返事をした。恐らく既に何杯か空けているだろうに、酔った様子が微塵も見られない。流石だな、と変なところで舌を巻きつつ口を開いた。

「…お前とレオは付き合ってるのか?」

それを聞いて、ザップは二秒ほど固まった。さっきのレオと同じだな、とそれを見ながらスティーブンはそう思った。
そして二秒後、本当にきっかり二秒後だった―――ザップはははは、と満面の笑みで非常におかしそうに笑った。
「んな訳ねーっしょスターフェイズさん。俺が?何で?あんっなチビでガキで、いやそもそも男じゃないすか。超絶美形ならまだともかくとして、…いやそれでも俺は男はごめんですが、いやいや何であんな奴と付き合わなきゃなんないんすか」
そう一気に言うと、笑わせないで下さいよ、と心底おかしそうにザップは言った。眼の端にうっすら浮かんでいるのは涙だろう。笑い過ぎたらしい。
「…………、」
自然と一息吐いたことに気が付いた。そうか、と頷きながら口を開く。
「……そーか。そーだよな。ということは、やっぱり朝のあれは目のごみを取ってただけなんだな?」
グラスを傾ける。ザップの手にあった酒は甘い酒だったらしい。少し顔を顰めたが、思ったよりは美味かった。
やっぱりそうだよな、と脳内でも自分自身がほっと溜息を吐いているのが分かった。別段二人が付き合っていたとしても、自分の気持ちに影響とかそういうことはないのだが、やはり部下がいつの間にか付き合っていると言うのは結構衝撃だったのだ、とそのときに気が付いた。男同士だとかザップだとかレオだとか、そういうことを抜きにしても、いつの間にか知らない間に起きている出来事に、自分は滅法弱いのだな、と思いながら少しずつ力が抜けていく。よかった。いや、よかったのか?まあ、どちらせよ落ち着いた、と胸を撫で下ろした。
一方ザップははっ、と鼻で笑いながら肩を竦めてひょいとテーブルの上にレオが置いて行ったチーズを一つ掴んで、セロファンを器用にも片手で開けた。
「だからそー言ったじゃないすか。やっぱりあれで疑ってたんですね?俺だってあんなクソガキどーなろうと知ったこっちゃねーすけどね、眼がなきゃどーしよーもねーっしょアイツは。だから俺はあくまで好意でごみを取ってやった訳です」
「…あくまで好意」
何となく復唱したスティーブンに、そうですって、と言いながらザップはまた笑った。旦那おせえな、と言いながら手で酒瓶を弄びつつ、そーですよと再度同じことを言った。
「…それじゃ、お前は少年のことを別段何とも思ってないというわけだな?ただの友達で後輩ですと」
「そーですって。つーか後輩はともかく友達っつーか、まー出来の悪い下僕というか。財布とまでは言いませんけど?呼べばすぐ来ますから役に立つっちゅー面は褒めてや…、」
よくもまあそんな最低なことがすらすらと出てくるもんだ、と思いながらぼーっとその言葉を聞いていたが、突然ザップが言葉を止めた。クラウスか、と思いながら隣を見たがクラウスはまだ戻ってこない。一体どこの世界の果てにあるカウンターまで行ってしまったんだ、と少し心配になって辺りを見渡す。カウンター近くでK.K.と話をしているのが見えたから、少しほっとした。
しかしどういう訳か、目の前にいるザップは二の句が告げられないようで固まっていた。ん?とスティーブンは怪訝な顔でザップを見つめる。しかし、ザップはスティーブンを見ていなかった。灰色の目が、スティーブンの後ろに向けられている。

―――――え?

くるりとグラスを持ったまま、振り向いた。
スティーブンが座っているソファの後ろ、そこには。
グラスを片手に持ったレオが突っ立っていた。
「…少年」
小さくそう自分が言ったのは聞こえたのか聞こえなかったのか、レオはスティーブンの前に座っているザップのことをじーっと見つめた後、持っていたグラスを思いきり投げた。はっとする間も無い。ぶん、とグラスが空中を飛ぶように動いてスティーブンを通り越し、向かいにいる男の方に飛んで行く。―――ザップ目がけて。
ザップもザップでそれが避けられない程柔な男ではない。慌てたようにひょいとそれを器用にも手で受け止めると、ちょっと待て、と言いながら酒瓶をテーブルに置いて立ち上がった。顔が引き攣っていることにスティーブンはその時気が付いた。
「…待て。待て待て待て。落ち着け。お前は今酔っている。落ち着けレオ」
「……………。」
ゆっくりとザップはスティーブンの背後に、レオに対してまるであやすようにそう言った。両手をそっと上げながら、落ち着けレオ、と再度同じことを呟いてソファからこちらに向かって歩いてくる。眼はきっちりとスティーブンの背後に向けられている。
「…あのな?オマエ酔ってるな?何杯飲んだ?」
「…………、…ザップさんが一杯だけならっていうから」
それ以上は飲んでません、という恐ろしく低い声が背後から聞こえてくる。これは本当に俺が知っている部下の声なのだろうか、と思いながらも、気が付いた。
――――ザップさんが一杯だけならっていうから?
待て?だってさっきは過去の自分がとか何とか言っていたような。いや、まあよしんばそれが嘘だったとして、実はザップに止められていたとしてもなぜ偽ったのだろう。まあ確かに変かも知れないが、その実ザップは面倒見がいいからそう言ったとしてもおかしくはないのだ。違和感は残るかも知れないが。
何であんな嘘を。
そう怪訝に思ってレオを見上げると、既にザップが隣に並んでいた。「…あのな。分かってるよな?」「…わかってますよ。べつに」「分かってるって顔してねーじゃねえか。オマエ」「…わ、か、っ、て、ま、す。出来の悪い下僕ですけどそれくらいは」そう言ったあとザップがうぐ、とまるで呻くような声を上げる。
「だ―――だからオイ。違う。違うからな。そーいうわけじゃない」
「…別にいーっすよ。まーホントのことですし。実際俺”神々の義眼”がないと何っの役にも立ってねーしむしろいるだけ邪魔だし弱いし」
「ちょ、ちょちょちょ待てってば。そんなこと言ってねーだろ」
「…呼べばすぐ来るのはいーみたいですけど。まーそうですね。財布ですよね財布。確かに呼べば来る財布があれば便利ですもんねーははは」
だから違うって、とザップが続けたがいいですよ別に、とレオはまた低い声でそう言った。「…………。」喧嘩にしては、と思いながらソファの背凭れに腕を乗せて二人を見つめる。既にこちらのことなど二人ともさっぱり気にしていなかった。
「あ―――あのな?朝のことがあったからそうしようって昼決めただろ。だから俺はあーやって誤魔化したんだって」
「……だとしても半分くらい本音でしょ」
「待てよ誰がそんなこと言ったんだよ。俺がそー言ってんだから俺を信じろよ」
「…だっていつも…、」
そーじゃないすか、と言った直後レオがわーんと突然泣き出した。びく、とスティーブンは思わず目を見開く。大人が子供みたいに泣くのを久々に見たせいだ。

―――ちょ。
―――ちょっと待て。
流石に、嫌でもここまでくれば予想がついた。

「あー……、……。」
だから飲むなつったのに、とザップは疲れたように言うと、溜息を吐いてよしよしと子供をあやすみたいに泣いているレオの肩を抱いて、頭を撫でた。レオはそれを機に益々泣きだしてぎゅうとザップにしがみついている。子供みたいだった。ザップはそれを認めるともう一度溜息を吐いて、呆気にとられているスティーブンを、見つめる。
「…………えーと…。あのー、もう、めんどくさいんで言っちゃいますけど…」
うん、とスティーブンは何となく予想がついている一言を待った。
ここまでくれば、どんなに見ないふりをしても分かる。

「…俺ら半年くらい前から付き合ってます…」

そう言いながら、ザップはあー、と呻いて泣いているレオのことをひょいと抱えるとスティーブンの隣にぼす、と座った。レオは抱えられているのもスティーブンが隣にいるのも全く気にかけずまだ泣いている。ただし顔はザップの胸あたりに押し付けられているから、どんな表情なのかは分からなかった。
「…もー泣くなよー。ほんとはオマエ何杯飲んだんだよ…」
「……いっぱいしか飲んでないです……」
「嘘吐け」
レオを抱っこしつつ背を撫でながら、隣に座るスティーブンをザップは仏頂面で見つめる。「…コイツ泣き上戸なんすよ。だから飲ましたくなかったんです」誰彼構わず抱き付いて泣くから、とザップは苦虫を噛み潰したような顔でそう言うと、またため息を吐いた。ひっく、としゃくり上げるレオの声が聞こえる。
「………えーと。…何で隠してたんだ?」
「あー、…もーいいやコイツこんなんだし」
そうザップは言いながら酒をそのままラッパ飲みしてふう、と息を吐いた。結局クラウスが持ってくる予定のグラスは無駄骨である。
「…コイツが絶対ヤダって言うからですよ。俺は別にいーって言ったのに。やだやだってうるせーから仕方なく隠してたんです」
そう言いながらレオを指差してザップは拗ねた。どうもザップは言いたくて仕方なかったらしい、とスティーブンは推測した。
―――可愛いモノとか好きなモノとかを。
自慢したくなるのは子供の性だ。どうもそれと似てるな、と考えながら未だに思考が追い付かない。そっかそーか、と小さく頷きながら酒を一口飲む。氷が揺れた。
「…スティーブンさん」
そこで予想もつかないことが起きた。レオが泣きじゃくりながらスティーブンのことを呼んだのだ。ザップも、勿論呼ばれた当人のスティーブンも呆気にとられてぽかんとする。ぼた、とレオの目から涙が零れ落ちた。
「…どうしたんだい。少年」
怪訝な顔で、スティーブンがそう首を傾げると、あの、とレオは眼を擦りながら小さく言った。

「しゃ、…社内恋愛は、大丈夫ですか?」

ひっく、とその直後しゃっくりにも似たそれが聞こえた。二秒どころか三秒五秒、スティーブンはぽかんとして固まっていたのだが。
「………、…っ、ははは、…そこかあ…」
直後思わず顔を押さえて笑ってしまった。ザップは呆れたように息を吐いて、何だそりゃ、と言いながらもスティーブンと同じように笑ってレオの頭をぐしゃぐしゃに撫で、レオは泣きながらスティーブンの返事を待ち、その状態はクラウスが戻ってくるまで続いた。戻ってくるなり意味不明な状態に放り込まれたクラウスの心情を考えると、どうにも申し訳ないとあとからスティーブンは苦笑した。


そして翌週の始まり。今日は胃の中のトマトはひっくり返っていない。というより今朝の朝食はトーストとオムレツとサラダだったからトマトはひっくり返らない。始業ギリギリでもない時間に事務所について、クラウスとギルベルトに朝の挨拶をして新聞を読む。コーヒーを入れて霧の街を見つめていたら、おはようございますという部下の声が聞こえてきた。
「おはよう」
くるりと振り返るとばつの悪そうな顔をしたレオが突っ立っていた。「…あれ?ザップは」一緒じゃないのかという意味で聞いたのだが、案の定レオは顔を真っ赤にして、あのうとぼそぼそと言いながらスティーブンのところまで歩いてきた。
「ん?」
「……す、すいませんあの。せせせ先日の飲み会で醜態を」
「あれが醜態だったらいつものザップはどうなるんだ。可愛いものだろ」
「そ、そういう……あ、あと、その、…あのう…」
顔を死ぬほど真っ赤にしながら、レオは言葉を選んでいるらしい。まるで学生みたいだな、と思いながら何だか微笑ましくなって笑ってしまった。笑い声が聞こえたのか、レオが恐る恐る顔を上げる。
「…………、…結局僕、答え聞いてないんですけど…」
「ん?あー、ああ…そっか。あの後クラウスが戻ってきてどうしたんだって話になって…」
結局クラウスにもザップとレオが付き合っていることは話すことにした。最初こそ驚いていたものの、そこは流石にライブラの長とも言うべきか、そうかおめでとうと言いながらにこやかにザップの話を聞いていたのは流石だった。ただしそのあと彼は氷ではなくチーズをグラスに入れていたので、スティーブンは酔っていたせいもあって爆笑してしまった。
「…そーだなあ。もし禁止だって話になったらどうするんだい。少年」
「え。えっと…それは………」
そこでレオはやっと普通の表情になると、顔は赤いままだったが困った様に首を傾げて頬を掻いた。「…許可貰えるまで、頑張ります、かね。ザップさんと」照れたようにそう言ってレオは笑った。
――――ん。
「…禁止じゃないよ。あくまでプライベートは自由だからな」
「え。あ、そーなんすね。よかった」
答えを聞いてレオは心底安心したようにそう言うと、ほっとしたように笑った。それを見ていたら自分も少し笑えてきた。どういうわけか、教え子の恋愛を見守る教師のような気分にもなってくる。
「…しかし少年。いったいザップのどこがよくて付き合ってるんだい」
おもむろにそう問いかけてみたところ、レオは形容しがたい顔になったあと、手をぱたぱたと無意味に動かして、金魚みたいに口をぱくぱくさせた。照れているらしい、と思いながら答えを待つと、レオはもごもごと口を開いた。

「…わかりません。でもなんか、…好きになっちゃったんですよ」

困りますね、とそこでレオは顔を上げて、照れたように笑った。
ふむ、とスティーブンは少し考える。そっか。そーいうものか。確かにこの世界って、質問すれば必ず答えが返ってくる訳でもないよな。


果たしてそもそもそこって質問すべきところだったかな、と考えながら二杯目のコーヒーを入れる。はよざいます、というザップの声が聞こえてきた。
「…まあでも、一応聞いてみようか」
―――レオは分からないみたいだったその質問を。
さてあいつは何て答えるかな、と思いながらコーヒーを一口飲んだ。





似たような話いくつも書いててすいません。