Sweet Dream
2017/01/31
どこが好きなんだと言われると非常に悩む。基本的にそう質問してくるのは、職場と関わっていない友人、もしくは知人達だ。同僚や上司がその質問をしてこないのは、恐らく彼らはその理由を知っているからだ、とザップ・レンフロはそう思っている。
「………知らん」
だから仏頂面でザップがそう答えると、知人、友人達はなんだそりゃと変な顔をする。好きな子の話をしてる顔じゃねーぞ、と言われても困る。そんなことを言われても。
これが自分のデフォルトで自分の基本なのだ。大体、とザップはいつも同じことをその後に質問してきた友人知人達に言い返す。
「…おめえに愛想良くしてどーすんだよ」
そうは言うものの、ザップが好きな相手に対して愛想を良くすることは滅多になかったのだが。
目を開けたが横に後輩はいなかった。
「………レオー……」
起き上がって一つくしゃみをしたせいか、後輩はうわあと驚いたような声を上げてのこのこと顔を出した。手にコーヒーカップを持っているところを見ると、どうやらコーヒーを入れてきていたところらしい。
「服着た方がいいっすよ」
そう言って後輩のレオナルド・ウォッチはカップをテーブルの上に置いた。目を擦っているザップの方にすぐにやってくると、その辺にぐしゃぐしゃになっている毛布をザップの肩にかける。「風邪ひきます」そう言って困ったような顔をされたので、何となくぼーっと彼の顔を見つめてしまった。眠いのもあったし、あんまりこんな風に後輩が自分を素直に心配するのは珍しかったからだ。
「?」
どうしましたか、とレオは言うと首を傾げた。直後彼もくしゅんとくしゃみをしたので呆気に取られてしまう。「…………うつった」そう呟いてレオは眉を顰める。「…おめえも薄着してっからじゃねーか」そう言ったあとなんだかおかしくなってザップは思わず笑ってしまい、それを見たレオもつられたように、それから照れたように笑った。
レオはザップの後輩で、それから友達で、それから―――それから非常に形容し難い関係の少年だった。年齢的には青年といった方がいいのだが、自分たちの上司であるスティーブン・A・スターフェイズがよく彼を少年と呼ぶように、外見的には少年というそれがしっくりくる。童顔の上背もそんなに高くなく、更にそんなに声も低くないせいだろう。猫背のせいもあるから余計に小さく見えるので、実際の身長を聞いた時、ザップは聞き返してしまった。言うとレオは大抵怒るので、何でそんなに怒るんだよ、とザップはついこの間言ったばかりだった。
『そりゃーザップさんは年齢相応の見た目だからいいっすよ。でも俺は毎回年齢言う度に変な間が起きたりするし、嘘だろとか言われたりすることがあるんすよ。どーせ俺はガキですよって言いたくもなります』
『だから別にいーじゃねえか。何がヤなんだよ』
『子供って言われてるみたいでヤなんすよ』
そう言ってレオは顔を顰めた。子供ねえ、と思いながらザップは公園のベンチの背凭れに寄りかかりながら煙草を喫った。レオと二人で外回り中に休憩しているところだったのだ。
『……ガキなことは確かなんだし別にいーじゃねえか』
『いやだから。その子供って言われるのがヤなんすよ』
『んー…』
わかんねえな、と言いながらその辺にあった灰皿に煙草を押し付ける。そりゃわかるわけないですよとレオは言うとちょっと不貞腐れたような顔をする。『…別にガキでも俺はいーけど』そんなふうに、何の気もなく呟いた。別に慰めようとか、励まそうとか、そんな意図はザップには全くなかった。子供だと思うことは確かにあったが、別段だからと言ってレオを好きじゃなくなるなんてことはなかったし、しかもレオの精神年齢はどっちかと言われれば実際の年齢より上だ。下手すると自分より上なこともあるだろう(ムカつくから口にはしなかったけれど)。つまりザップは思ったことをただ口にしただけなのだ。
隣から返事はなかった。別にザップも返事を求めて言ったわけではなかったので、そろそろ行くかとちょっと伸びをして、何となく、ふと隣に座っているレオの方を見る。
『…………………………。』
無言だった。レオは黙ったまま俯いて、それから自分の服をぎゅっと握りしめている。丁度膝の辺りだ。けれど誰が見てもわかるくらい、その顔は真っ赤だったのでザップは呆気に取られてしまった。『………レオ』そう恐る恐る、名前を呼ぶと過剰なくらいにレオはびくりと反応して、真っ赤な顔のままはい、と小さく返事をした。こちらに視線は寄越さない。
『………いやおめえよ。何でそこでそーなんだよ』
俺は思ったことを言っただけだっつの、と言ったザップの横でレオは縮こまるように俯くと、わかってますと死にそうな声でそうとだけ言った。『…………。』なんだかそんな反応をされるとこちらも恥ずかしくなってくる。どーしてこうなった、と思いながらもザップは立ち上がり、レオのせいでちょっと熱を帯び始めた自分の手で、レオを引きずるようにしながら公園を出た。こいつといると調子が狂う、と顔を顰めた割にそう思ってしまうことが、ザップは嫌いじゃあなかった。
つまりも何もない。わざわざ確かめたことはなかったが、自分たちは世間一般で言う”付き合っている”関係になる。好きだと言ったことも言われたこともあるのだから、これはそうだ。かと言って前と同じようにケンカだって執拗いくらいするし、揉め事だって頻繁に起きるし、ザップがレオをパシらせたりレオに暴力を振るうのだって変わっていない。ただ単に、そんな日常の中にお互い『好き』だと言う感情が入り込んできただけだった。
「…ねみい」
「今まで寝てたじゃないですか」
俺もーちょいしたらバイトなんで行きますよ、と言ったレオのことを手招きすると、レオは飲み終わったらしいコーヒーが入っていたカップをまたテーブルに置いて、素直にベッドにやって来た。「なんですか?」「………んー」なんだろーな、と睡魔を覚えながらレオのことを引き寄せると、わわわと後輩はびっくりした様子で声を上げた。「だからバイトなんですって。遊んでる暇はありませんよ」「………んー…」「あ、ちょっと。寝ないで下さいよ。せめて寝転がって寝てください」お前は、と半分寝ている頭でそう言うと、いやだから俺はバイトだってさっきから言ってるでしょ、とレオは呆れたように言った。
「…………枕がねーと眠れねえ」
「……なんすか今日は」
怖い夢でも見ましたか、とレオは苦笑して言うと、ザップの背中をぽんぽんと撫でた。「………怖い……」夢ねえ、とぼーっとしながら脳内で復唱する。そんな夢は見たことが―――あるのかもしれないが思い出せない。そもそもザップは夢をそんなに見る方ではないので、悪夢で目覚めたりすることもないし、起きてから変な夢だったと思うことも殆どない。ただ、なぜか今日はレオにそう言われて夢を見ていたということを思い出した。
「……ああ、…そーいや…」
おめえが出てきたな、とぼーっとしたまま言ったザップに、俺?とレオはそうきょとんとした声で言った。「……うん、…なんちゅーか…」こう、と言いながらのろのろとやっとレオを離すと、はあ、とレオは怪訝な様子でこくんと頷いた。
「…花ん中にオメーがいるっつーか」
「そ、ソレ死んでんじゃねーか。怖い」
「いやそーいうんじゃねえって……花ん中でおめえがすげえ笑顔で…」
「やっぱり死んでますよねソレ」
死んでたらもっと悲惨な夢だろ、とザップは顔を顰めて言うと目を擦った。なんの気なしに時計を見ると、つられたようにレオも時計を見てげ、と声を上げる。「やっべ遅刻する。ザップさんどーせこの後また寝るんすよね。別にいいけど俺が出た後鍵かけて下さいよ」「……、わーった…」マジかよ、とレオは疑い深く言いはしたものの、すぐに着替え始めた。それをぼーっとして見ながら、眠いと呟いてザップはぱたんとベッドに寝転がる。
「あっ。あ〜〜〜…あーもう、ザップさん今日鍵持ってます?うちの」
レオとこういうことになってから、最初にザップが渡されたのは鍵だった。レオの部屋の合鍵だ。失くすから要らねえ、とザップは顔を顰めてそう言ったが、それでもいいっすからとレオに無理矢理押し付けられたのだ。失くしちゃあよくねえべ、とザップは怪訝に思ってそう言ったが、レオはそれでもいいから、となぜか必死にそう言ってザップの手に自宅の合鍵を握らせたのだ。持っててください、と言われたとき、要らねえのにと思っていたはずなのに、なぜかザップは素直にこくんと頷いていた。キーホルダーもストラップも何もつけずに、いつも適当にポケットに突っ込んでいるままで殆ど使ったことはない。けれど、ザップが鍵を受け取って素直に頷いた時のレオの顔を思い出すと、持っているだけでもいいのかもしれない、という気もした。何しろその時のレオの顔は物凄く嬉しそうだったからだ。理由はわからなかったが、ただ単にザップはその時のレオを、可愛いなコイツとうっかり思ってしまったので、理由はどうでもよかった。
「…あー、…うん、…持ってる…………………たぶん…」
「たぶん?…んじゃ外出るときそれ使ってください。俺バイトから直でライブラ行くんで」
「………んー…」
聞いてますよね、という訝し気なレオの声に聞いてる聞いてる、とザップは雑な返事をしたが、レオはそれじゃ行ってきますよと慌てた様子でそう言った。「……あ」ちょっと待て、と言ってそこでザップはがばりと上半身だけ起き上がった。「?」なんですか、とレオは急いでいるだろうに足を止めて、ナップザックを背負いながらこちらにやって来た。
ぐいと腕を引っ張ったがレオからは悲鳴も上がらなかった。上げる暇もなかったのだろう。
「…っんぐ、」
色気ねー声、とちょっとおかしくなりながら後輩を解放すると、レオは慌てた様子で袖で口を押さえて、な、と呻くような声でそう言った。「何すんすかちょ、ちょっと。びっくりしたでしょ」「………何っておめえ、………あー……」おやすみ、と呟いてぱたんとベッドに寝転がると、何それという非難げな声が耳に入ってきた。けれど文句を言っている時間も惜しかったらしい、レオはヤバイと一言焦ったように言ったあと、それじゃあ行ってきますと二回目のそれを言って、ばたばたと部屋を出て行った。
「……うるせーやっちゃのー…」
そう言って欠伸をすると、ちょっと目の端に涙が浮いた。―――流石に行ってらっしゃいのキスだとは、言い難かったし。
普通に照れた。
夕方になった。お疲れ様です、と言いながらレオがライブラのドアを潜ってやって来た。「よう」「あ」起きたんですねとレオは言いながらとことことザップのいるソファに近づいてきた。「流石にあんだけ寝りゃあもう眠くねえよ」そう言った後欠伸をしてしまったので、ほんとすかとレオはおかしそうに言うと笑った。
「あ。てか鍵かけてくれました?」
「え?……、……ああ…うん」
「うおいマジすか。ほんとにかけました?」
かけたかけた、というとマジかよとレオは疑わし気な顔になった。正直返事をしている時は反射的にそう言っていたにすぎなかったが、無論レオの家の鍵は施錠してザップだってライブラにやって来たのだ。だからもう一度、かけたって、と言うとそうですか、とレオは一応の納得をしたようだった。
「…おめえ今日はもう何もねーんだろ。夜」
「え。ああ、はい。ないですよ。今日は早番でしたから」
「飯どーすんだ」
「今から飯の話っすか」
いいすけど、とレオは言うと苦笑した。「…………。」悪かったな、とばかりにぎゅうとレオの頬を抓ったので痛い痛いと悲鳴が上がる。その声を聞きながらおもむろに煙草を取り出した時だ。
ふと、そのことを思い出した。
「あだだだだだ!やめてやめて!ごめんなさいごめんなさいってやめてくださいよザップさん!痛い!あたたたたた」
「………、………夢見た」
「いたたたた、……、…………え?」
ぱっとレオの頬から手を放したせいか、レオはザップのそれを聞いてちょっと驚いたような声でそう言った。ただし頬を手で押さえている。「……今朝じゃなくて?えーと、今さっき寝てる時に?」そう言ってレオは首を傾げた。ザップはそれを聞きながらこくんと頷く。まだ眠かった。
「…んー、……おう、ありゃーたぶん…夢だと思う。だっておめえ素面の時俺に愛してますザップさんとは言わねえもんな」
「ちょ、ちょっと待って下さい何すかソレ」
煙草に火を点けたザップを見て、レオは引き攣った声でそう言うと手をこちらに出してきた。なんじゃそら、と思いながらひょいとその手を掴むと、そうじゃないですとレオは顔を顰めて手を引っ込めた。「…………。」どうもSTOPと言いたかったらしい。まあいいや、とザップは思うとだらんとソファに寄りかかって、煙草の煙を吐き出した。
「…ここだったと思うんだよなー。外はなんか…ここっぽくなかったけどよ。宇宙みてーだったな」
「え?そ、その―――夢の話っすか」
こくんとザップは頷いた。「…ちょーどなんか…こんなふうにおめえと俺がここで喋ってる夢だった。そんでなんかお前がほら、さっきみてーに」愛してますザップさんと、と繰り返すとレオはやめてくださいよと照れたようにそう言った。
「………なんでそうなんだよ」
夢の話だぞ、と言ったが、そんでもとレオは僅か赤くした顔をちょっと顰めて、続けた。「…あんまり、なんか…なんかヤでしょそれは」「…………。」それはどういう意味の嫌なんだ、とザップは思ったが聞くのはやめた。何となく答えの予想がついたからだ。つまり照れ臭いのだろう。
「………。」
いきなり思い出した夢の内容だったが、徐々にその輪郭は失われていく。ただし夢の中のレオは矢鱈とにこにこしていて、矢鱈とくっ付いてきていたから夢の中の自分もへらへらしていたことは覚えていた。気分がいいところは確かに忘れねえわな、と思いながらも馬鹿馬鹿しくなり、もう一度煙草を咥えて煙を吸う。一方でレオはいまだに不貞腐れたようにそっぽを向いていた。
自分もそうだから文句は言えない。…言うけど。けれどレオが正直に好意を露わにするのは滅多になかった。酔っぱらった時が一番回数が多い。それ以外だと片手の指に収まる程度しか、たぶんない。それで。
―――それでなのかもな、とぼーっとしながら会議に参加していた。眠い。あんなに寝たのにとレオには言われるかもしれないが、ともかく眠かった。別に最近薬をやってるわけでもなんでもねえっつうのに、と思いながら上司の説明を聞く。そこで気が付いた。この説明のせいだ、ということにである。それこそレオじゃないが子供みたいだった。難しい話を聞くと眠くなるのだ。
「………以上で終わり。質問は?」
ぼーっとその言葉を聞いた。「……ないみたいだな。それじゃ―――」そこで一瞬意識が途切れる。というより説明中も意識は何度か途切れていた。眠っていたのだ。
次の瞬間、ぐさりという衝撃と痛みにいってえと声を上げた。「い、…っ」隣に座っていたレオも同時に驚いた様子で声を上げたが、そんなことに構っていられる余裕はなかった。額に何かがぶつかった、と気が付いた時には仏頂面で上司がザップを睨んでいた。
「…おまえなあ。寝るなよ。子供か」
そう言って溜息を吐いたスティーブンが返してくれとザップにひょいと手を差し出してきた。「………い、……いって…」そう言いながら何をだよ、ときょろきょろとあたりを見渡す。「あ」これっすかと言いながらレオがひょいと机の下に落ちていた何かを拾い上げた。どうやらホワイトボードにあったマグネットらしい。あれじゃ普通にいてーよと思いながらザップはスターフェイズさん、と口を尖らせて上司の名前を呼んだ。
「何すんすか。いてーっすよ」
「子供かお前は。何寝てるんだ」
会議中だぞ、と言いながらマグネットを受け取ったスティーブンの言葉を他所に、構成員たちはどやどやと立ち上がる。「…ツェッドどこ?」「あ、僕は川向こうの方です」「あらそれじゃあたしと近いわね」「みんなくれぐれも気を付けるように」そう会話がザップの耳にも入ってくる。
レオがまったくもう、と言いながら立ち上がった。「あんだけ寝てたのにまだ眠いんですか?夜眠れなくなりますよ」「ガキじゃあるめーに」何バカ言ってんだ、と言いながら立ち上がって伸びをした。そんなザップを呆れたように見ながら、スティーブンは溜息を吐いた。
「少年。そいつを頼むぞ」
「はーい」
「ちょっと待って下さいよ。どーいう意味すかそれは」
むしろ俺にコイツを頼むって言うとこでしょ、と言ってレオの肩を引っ張ったザップを見て、スティーブンは肩を竦めた。「…だったらよかったけどな」どういう意味なんだ、とザップが顔を顰めたのを知ってか知らずか、ザップさん放してください、とレオが呑気にもそう言った。
寝過ぎですよ、と隣にいるレオがそう言ったのが聞こえた。「ああ?いーだろ別に」「よくねえっすよ。会議中は」そりゃまあな、と言いながらひょいと手すりから対象を眺める。どうだ、とレオに聞くと動きはないですとレオは言った。既にゴーグルを装着している。
「……たぶん暫くあのままだな。待機か」
「そうすね」
夜なのにこの街は明るいですね、と言いながらレオがゴーグルを外す。ただし対象から目は放さない。「…………。」その横顔を見て、ザップはふと、ついさっき見ていた夢のことを思い出した。レオの家で寝ていた時のことではない。会議中のことだ。
本当に珍しい。やっぱりザップは夢をそんなに見る方ではなかったし、大体見たところで忘れてしまうことの方が多い。しかもあんな風に会議中にちょっとうつらうつらしただけなのに夢を見るのは、非常に珍しかった。しかも。
「…………おめえさ」
そう言ったザップに、はい?とレオがきょとんとした様子で返事をした。その顔を見ながら、ザップはポケットに手を突っ込んだ。「…俺にずっと一緒にいてくださいとか言ってねーよな」「は?」途端にレオは物凄く顔を引き攣らせ、しかも二歩程度ザップから距離を取った。
「………………。」
どーいう意味なんだそれは、とザップが顔を顰めたのを契機に、レオは一応また元の位置に戻って来た。「え?ど、どうしたんすか…?なんか薬でも、」「キメてねーよバカ。アホかおめーは」アホはザップさんじゃないですか、と言ったレオの声は明らかに怯えていた。そこまでかよ、とザップは少し拗ねて手すりに寄りかかり、レオとは反対方向に目を向けた。
「…やっぱ夢だな。おめえがそんなこと言う訳なかったわ」
「え?」
夢?と繰り返されてそーだよとザップはすぐに肯定した。「また見たんですか?」「ついさっき」会議中に、と非難気に言われて、うるせえなとザップは言い返す。会議中に見ていたけれど、思い出したのは今なのだ。だから口にしてみたものの、レオの反応は明らかに呆れているか、怯えているかのどっちかだった。
「あのな、俺だって別に見たくて見てるわけじゃねえんだよ。勝手にそういう夢が出てくんだから仕方ねえじゃねーか」
「い、いや…でも基本夢ってあれでしょ?願望なんですよね」
「そんじゃ悪夢見る奴は全員マゾじゃねーか。そんなわけあるか?」
我ながらよくできた反論だと思った通り、レオはうぐ、と言葉を詰まらせた。「…そ、…それもそーすけど」「だろ。んじゃこれは俺の願望じゃねーよ。てゆか夢の解明なんかしたくもねえわ」「……………。」言ってることは分かりましたけど、とレオはまた拗ねたように言って溜息を吐いた。なんでそこで溜息なんだ、と思って横目で後輩を見る。ちょっとレオは顔を赤くしていたから、脱力してしまった。
「…だから何でそこでおめえが赤くなんだよ。意味わかんねえ」
夢の話だって言っただろ、と夕方と全く同じことを言うと、そらそーっすけど、とレオは焦ったように言って困ったようにザップの方に顔を向けた。「…なんか、それはほら、……あ〜〜……て、照れるでしょ」「だからなんでだよ。おめえじゃねえだろ言ったのは」「そ、そーだけど」そっすけど、と繰り返してレオはそっぽを向いた。
「…………。」
わけがわからん、と思いながらザップは煙草の煙を吐き出した。
それからどうしてか、同じような夢を見ることが増えた。大抵レオがいる。それから絶対に言いもしないことをザップに言ってくるし、絶対にするはずもないことをザップにしてくるので、ザップは戸惑っている。ただし本当に戸惑うのは現実のザップで、夢の中の自分はへらへらしてレオに接している。しかもレオだけじゃなく、ザップだって現実で言って堪るかと言わんばかりのことばかり言っているので、目が覚めた時にザップは大体無言で自分の顔を押さえるようになった。俺そんなこと言いたくねえしってか言える訳ねえしってゆか言う予定はないっつーか。ただし思ったことがないわけじゃないから、やっぱりそこは夢なのだ。流石にそこは、自分の脳が見せている幻影そのものだった。
「…………………。」
ぼーっとしながら欠伸をしていると、レオが眠そうな顔をしながらとことことこちらに歩いてきた。「……ねむい…」そう言ってぱたんとザップの横に寝転んだので、おい起きろとザップは無理矢理レオの耳を引っ張る。シャワーを浴びた後のせいか、ちょっと赤かった。
「いや、……や、おれ、…今日はむり…ほんと……、……ねむい…」
「ざっけんなバカ。起きろよ」
「やだ……も、…ま、マジでむり…」
眠いっす、と呟いた後輩はごろんと転がってもそもそと毛布を被り始めた。「あ。おいふざけんなよ。マジで寝る気かてめえ」「…だって今日俺バイト早番だし……あんまり寝てないし…」「……………。」しゃーねえな、とザップは顔を顰めながら自分も毛布に潜り込んだ。眠くて仕方ない気持ちは、ザップだってわかっている。
おやすみなさい、というそれを聞きながらふと今朝方見た夢のことを思い出した。やっぱり似たような夢で、レオがいた。「………夢見た」だから何となくそう呟くと、眠ろうとしていたはずのレオはなぜかすごい勢いでザップの方を向いてきたので、ぎょっとしてしまう。その反応はなんだ、とそう思った。
「………またっすか」
きっぱりとそう言ったレオの眉間に皺が寄っている。最近、似たような夢を見るたびにレオに何となく言っているから、レオもザップがどんな夢をどのくらいの頻度で見ているか把握しているのだ。レオにそれを伝えている意味は特になかった。見た夢全部言っているわけでもない。ただ間が空いた時何となく口にしているという向きが強い。その都度レオはやめてくださいよ、と変な顔をしてそう言ってくる。夢の話だっつうのに、とザップは毎度呆れて言い返していた。
「…そんで?今日の俺は何言ってました。愛してるですか?結婚してくださいですか?俺以外に触んないでくださいですか?」
「………よくおめえ覚えてんな」
俺も忘れてたわ、と言ったザップに覚えてますよとレオは顔を顰めてそう言った。今、レオが並びたてた言葉はすべてザップが夢の中でレオに言われた言葉だった。何となく、だらだらという風に言っていただけなので、まさかレオが覚えているとは思いもよらなかった。ザップですら話した後は大抵忘れてしまう。所詮夢の中の話だからである。
「…今日はなんだったかなー……あー、……あーあれだ。一生離さないでくださいだったような………」
「……………。」
うげえ、とでも言われるかと思ったが予想に反してレオは変な顔でザップを見つめていた。「………なんだ」その顔、と言いながらぐいと軽く頬を抓ると、べつにとレオは小さくそう言って拗ねたように仰向けになった。その拍子にザップの指はレオから離れた。
「…寝ますよ俺」
「俺も寝るわ。てゆかなんだおめえいきなし」
「何がですか」
そう言ってレオがまたザップの方を向いた。「いや何がじゃねーよ。何いきなし機嫌悪くなってんだよ」「なってないです。眠いだけです」「…………。」これほど嘘を吐くのが下手な奴もいねえわな、と思いながらザップはレオの頬にまた手を伸ばした。途端にレオは緊張した顔をしたので、呆れた。一体何度目だよ、と思わないでもない。
思わないでもないのだが。
――――嫌いじゃあないから困る。
ぺたりと触ったレオの頬は温かかった。「…なんすか」そう言ったレオは少し表情を和らげると、困惑したように眉を八の字にした。
「…ご機嫌取りしてやってんだからもーちょい嬉しそうな顔しろよ」
「…びっくりするくらい俺を安く見てますよね。あんた」
「いつも原価ぶっちぎりだろ」
意味わかりませんよ、と言っているレオを無視してそのまま引き寄せた。「わっ。ちょ、…っとあの、苦しい、」どこが俺の機嫌取りなんすか、と怒ったようにレオは言ったので、うるせーなホント、とザップは思いながら腕の中にいる後輩を見下ろした。別にいーけどいつもこうだよなコイツ。このやり取りだって何度したか分からないくらいしている。過去のそれを回想しながら、そっとレオの顔を覗き込んだ。
「………………なんだよ」
後輩の顔が、口とは裏腹に赤くなりつつあることに気が付いて、ザップは思わず笑ってしまった。だから、とさっきと似たようなことを、思う。
「…何度目だっつの」
「………、……お、覚えてないです」
そう言った後、レオは目を瞑ったらしい。その返事がやけに可愛らしく聞こえたから、思わずザップは益々レオのことを抱き締めてしまった。
夢の中にいる。
そう気が付くことは無論、ザップにだってある。今日がそうだった。あ、と気が付いた時には道端に立っていた。いつものヘルサレムズ・ロットの街中で、これはと思うまでもなかった。隣にはレオが突っ立っていた。「…………レオ」気が付いたら名前を呼んでいた。あ、と思う前にレオがこちらを向いて、ぱっと輝くような笑顔を向けてきたので少し仰け反る。どうもいつもの夢の中の自分と、現実の自分が合致しているようでやり難かった。
はっと気が付いたら全然違う場所にいた。どこだと思う間もなかった。そこはレオの家の、レオのベッドの中だった。「…………。」流石夢、と思っていたら気が付いた。自分の下にレオがいる。「………。」そしてお互いに服を着ていなかったので、なんつう分かり易い夢だと自分に呆れた。ザップさん、というその声に下を向く。
「………、……ザップさん、」
好きです、と言われた途端に目が覚めた。
「………………、」
見慣れた天井が目に入る。部屋に光が入ってこないところを見ると、どうやらまだ夜らしい。当然自分の横でレオがすやすやと寝息を立てて眠っている。「…………そんなん俺だって、……、……あ、」現実だと気が付いて慌てた。ただ小さな声だったせいかレオは目覚めなかった。小さくむずがるような声を上げたあと、すやすやと大人しく睡眠を継続している。
「……は〜〜〜〜〜………」
なんか病気みてーだな、と自分に呆れてもう一度目を瞑った。レオが言ったように願望だとしたら、これほど分かり易い願望もないだろう。似たような夢ばっか見る、と自分に対しては呆れと同時に辟易を覚える。現実だって大抵レオは自分の横にいるというのに、それだけじゃ飽き足らないらしい。夢のメカニズムが一体どういうものなのかザップは全く知らなかったが、自分の脳が作り出していることは明白だったので、流石にこうも続くと呆れる他なかった。
明日は早朝からライブラで会合がある。遅刻と言うよりも、上司に怒られるのが嫌だとザップは思いながら無理矢理自分の中にある睡魔を引っ張り出して、それと固く手を繋いだ。
そしてその日も夢を見て、その夢の内容もやっぱりいつもと同じだった。「……………。」煙草を咥えながら聞き込みをしている後輩の後姿を眺めている。川べりにある公園では親子連れや犬の散歩をしている住民達が昼寝をしたり、井戸端会議をしたりしていた。
「ザップさーん!」
川から目を離して声の方向を振り返る。「おー。どーだ」「やっぱ昨日回った地下街のあの店が怪しいっぽいんすけど…どーですかねこれ」陽動だったら、と言ったレオがメモを見ながら眉を顰めた。
「…そん時はそん時だな。どっちにしろ俺もおめえも先鋒だ」
「俺も行くんすか?」
「あたりめーだろ。お前俺のお陰で毎度怪我一つしてねえじゃねえか」
「はあ。まあ…なぜか仕事の後ザップさんにボコられて後頭部怪我したりしていますけど」
レオは口を尖らせてそう言った後、スマートフォンをすとんとポケットに入れた。「…んで今、クラウスさんに報告はしました。スティーブンさんが一回事務所戻れって」「うおマジかよ。まだるっこしーな」早よ押し込んでちゃっちゃと終わらせてーわ、と言いながら煙草の箱をポケットに突っ込んで伸びをした。気持ちはわかりますけど、とレオは苦笑して言うと、行きましょ、とザップのことを見上げた。「おめえに言われんでも行くわ」「何でそやって一々ムカつく言い方しかできないんですか…」そう言い合いながら、ザップはレオと共に事務所に戻るべく、公園の出口に向かった。
仕事は難なくという程でもなかったが、その日大きく展開を見せて終了した。二人で事務所で上司達と相談をしている間に、怪しいと踏んでいた店が全壊したと一報が入ったのだ。店の地下からクリーチャーたちが現れて街で暴れまわっています、というツェッド・オブライエンの報を受けてただちにライブラは出動した。どうも違法生物培養を行っていたらしい。部屋の隅にウサギがいました、と言いながらウサギを数匹抱えて店から出てきたツェッドを見て、ザップは爆笑してしまった。
「さ、魚の癖にウサギにモテてやが…や、やべおま、あ、頭の上にウサギのってんぞオイ…ちょ、待て写真写真、」
「………クラウスさーん。このウサギどうしますか?」
てめえ無視すんなよ、と喚いている自分をスルーしてツェッドはクラウスの許にウサギを抱えたまま歩いて行った。あの野郎、と弟弟子の後姿を睨んでいるザップの横からレオがひょいと顔を出した。「うわっホントだ!すっげえいる!」そう言いながら、レオはとことこと部屋の中心に歩いていく。ついさっきツェッドが見終わったところなので、既に危険はないと分かっていた。
「うわこりゃ多いな。…実験動物……だろうな」
レオのあとからスティーブンがのこのことやってきてそう言った。「ウサギとは言え、あんまり気持ちのいい話じゃないなぁ」そう言ってスティーブンが眉を顰めたので、似合わねえなとザップはひどいことを思った。だから口にはしなかったのだが。
「…これはペットショップにでも………ああ、ザップお前飼うか?」
「何で俺なんすか。あのガキだけで手いっぱいです」
そう言った途端、レオがむっとした顔をしながらザップの方を振り返った。「それは俺の台詞だ!」あんだとコラ、と言いながらザップもウサギを撫でているレオの方を振り返ると、後輩は床にしゃがみ込んでいるせいかウサギに囲まれていた。彼の周りに巨大な毛玉が群がっているようにも見える。
「うわ。少年、こっち向きなさい」
突然スティーブンがそう言ってひょいとスマートフォンをレオに構えた。「は?」どうしたんですか?と言いながらスティーブンの方を向いたレオが、上司の画面に映り込んでいるのが見える。ぱしゃ、という音がしたあと、撮れたと呑気にスティーブンは笑って言った。
「………。」
なんかたまにこの人子供みたいだよな、とザップは呆れながら上司を見つめる。スティーブンはそう思われていると知っているだろうに、全く気にした素振りも見せずおかしそうに笑って携帯を操作している。
「…よしザップ。送ってやろう」
「要らねっす。遠足の引率みたいですよあんた」
「なんだ。それじゃ社内新聞に載せるか?」
チェインに乗っかんないで下さいよ、とツッコミを入れたザップの横にレオがとことこと戻って来た。ついさっきのツェッドと同様ウサギを抱えている。
「何持ってきてんだおめーは。食うのか」
「く、食いませんよ。可愛いなあと思ってつい」
「猿とケンカすんぞ」
ソニックはそんなことしませんし飼えませんよ、とレオは苦笑して言うとウサギを撫でた。音速猿のソニックといつも一緒にいるせいか、レオは動物に好かれ易いらしい。犬も猫も大抵は怯えずに彼の傍に寄って来るので、あーいうのも人徳っていうのかもねとチェインがしみじみと言っていたのをザップは記憶している。その後おめえも比較的レオにはあめーもんな、とザップもしみじみと言ったせいで彼女に顔面を蹴飛ばされたのだが。
気持ちよさそうに目を瞑っているウサギを見て、レオもにこにこしながらその背を撫でている。そもそもレオ自身が動物を好きなのだろう。スティーブンはそれじゃ一回僕は上に戻ると言って階段を上って行った。あの人も大概こいつが好きだ、とザップは上司のことを色んな意味で忌々しく思うと、やれやれとまた伸びをする。割に彼のレオに対する接し方は、恋愛とか友愛と言う言い方より、親愛だとか家族愛だとか―――絶対に口にはできないが、なんだか父親が息子に接するようにすら見えることがある。だからザップは忌々しく思いながらも、それを口にしたり二人の間に割って入るまでには至っていない。
「…ほらザップさんウサギっすよウサギ。可愛いでしょ」
「おう。皮剥いで焼くのが一番いいな。ウサギは」
「だ、だからやめて下さいよ。それは水族館で寿司の話をするようなもんでしょ」
うめえこと言うな、と笑ったザップはふと―――また本当にふと、頭の中にその光景が浮かんできたことに気が付いた。「………ああ、」正夢だなこれ、と呟いたので、レオが不思議そうな顔をした。
「…今朝見た夢はおめーがウサギといた」
「はい?え?また夢っすか」
「今思い出したんだよ。しゃーねえだろ」
「……そんで」
今朝の俺はあんたに何て言いましたかね、とレオは言うとウサギを床に降ろした。ウサギはちょっと名残惜しそうにレオの足に手をのせていたが、その内諦めたらしく仲間たちの許にぴょんぴょんと跳ねるようにして戻っていく。レオはその様子を見ていたからか、ザップの方を振り返ろうとしなかった。ザップはザップで階下より上を見ていたのでレオのそんな様子には気が付かなかった。煙草の火を気にしながら、夢の内容を思い出す。
「今朝は………、……あー…一生俺の作った飯が食いたいとかなんとか」
「ザップさんが俺に飯を作ってくれたことないじゃないすか」
俺が知るかよ、とザップは自分の夢ではあったものの顔を顰めてそう言うと、親指で階段の上を指さした。「どーせこいつらは旦那かスターフェイズさんが買い取り手探すんだろ。行くぞ」そう言ってレオの手首を掴むと、レオははい、と小さく返事をして拗ねたように俯いた。一体どこでどう拗ねる要素があったのかザップにはさっぱりわからない。なんだコイツと思いはしたものの、別段聞くようなことでもない、とザップはレオと一緒に階上へと向かった。
世界が救われた日というのは概ねみんな疲弊している。特に今日はフルメンバーだったにも関わらず、あの後ウサギが何匹か逃げ出していることが判明したので、皆へとへとだった。「全部焼いちまえば後で美味しく、」「それは伝書鳩の前で焼き鳥の話をするようなものじゃあないでしょうか」なんかさっき似たようなことを聞いたような、と思いながらザップはツェッドと共に逃げ出したウサギを数十匹捕まえて、勿論ほかのメンバーも散り散りになってウサギを捜索した。生態的に改造されているかもしれないから、必ず全部捕まえなくてはならなかったのだ。レオの眼は大活躍ではあったのだが、お陰でレオもザップのスクーターでぐったりして俯いていた。眼が焼ける、と珍しく泣き言を言っていたレオの顔には絆創膏が何枚か貼られていた。
「……あ〜〜〜つっかれた……、……レオおまえ後ろ乗れ……」
手をぱたぱたとやるとレオははあいと頷いて後ろに移動する。「ほれ」ヘルメットを渡すと、大人しくレオはそれを受け取ってゴーグルをつけた後にひょいと被った。
ウサギは全て捕らえ終わった。それじゃあ締めは明日に、とぐったりした様子のスティーブンにそう言われ、構成員たちは三々五々帰宅するところだった。「地点BとGで検問やってるから避けて帰れよー」そう言った後彼もクラウスと共に車に乗り込んでいく。ザップとレオも二人で帰るところだった。
「おめえ今日バイト入ってんのか」
「…ないっす……。幸いなことに…」
「お、マジか。飯どーすんだ」
ちょっと自分の声が弾んでしまったことに気が付いて舌打ちしたくなったが、運よくレオには感づかれなかったらしい。「えーと…あ、まだギリビビアンさんとこやってますよ」時計を見ながらレオがそう言ったので、わーったとザップは言いながら自分もヘルメットを被った。今日の夕飯は、ダイアンズ・ダイナーだ。
大ミートソース大ハンバーガー大コーク、と流れるように注文した二人に、オッケーとビビアン・ヒルがサインを出した。「いっつも同じメニューで飽きない?」「親父さんの料理美味いから飽きませんよ」うまいこと言って、とそれでもビビアンは嬉しそうに笑うと厨房の方に歩いて行った。そこでふう、とレオは息を吐いてちょっと頬を掻く。絆創膏が目の周りにはたくさん貼ってあった。
「あ〜〜〜〜……疲れたなーオイ。こりゃ帰ったら即寝だな」
「っすね。疲れました」
肩をぐるぐると回しているザップの横で、レオもそう頷くとカウンターに顎を乗せた。「ウサギって結構すばしっこいんすね…」そう言って目をごしごしとやっているレオを他所に、そーだなとザップは肘をカウンターに置いて言った。
「あー、あれだ。お前からしたらウサギと亀だ」
「いや、意味わかんないっす。ついでに言えば俺は亀そのものではありません」
トータス・ナイトの話を聞いたのは今から数えて一月くらい前だったと思う。ミシェーラはそう言うんですよ、とレオは照れたようにそう言って、けれど嬉しそうに笑っていた。妹の話をするとき、レオは殆ど笑顔で話す。たまに悲しそうな顔をすることもあるが、基本的には嬉しそうな顔で、誇らしげな表情をしていた。その時は非常に嬉しそうな顔だったのでザップはほっとした。義眼を手に入れた経緯から仕方ないのかもしれないが、レオは基本的に自罰的なところがある。
「だいたいウサギと亀で俺が亀だったら俺が勝っちゃいますよ。いいんすか?」
「おめえが亀だったらむしろ負けそうだけどな」
「露骨にバカにしてきたなオイ」
そんな風に世間話をしていると、すぐさまはいとりあえずハンバーガーお待ち、というビビアンの声と共にハンバーガーとコーラが運ばれてきた。「あ」「おー」いただきます、とお互いに声を揃えて食事を再開した。二人とも空腹だったので、しばらく無言が続く。そうしている間にスパゲッティもすぐに運ばれてきた。やっぱり無言が続いた。
コーラを飲み干したあと、ふうと息を最初に吐いたのはザップだった。「あ〜〜〜〜…生き返った………」「っすね。ホンット疲れた…」そう言いながらレオもずるずるとコーラを飲んでいる。ザップも疲れはしたものの、レオの疲労はいつもの倍だろう。何しろその辺を歩き回ったし、色々な地点にいる構成員の許に呼び出される度に向かっていたのだ。体力的に比較しても、疲れない方がおかしい。
ごちそうさん、と挨拶しながらダイアンズ・ダイナーを出てスクーターに跨る。「オラ帰んぞ。乗れ」「はーい…」疲れたぁ、とレオは同じことを言うとスクーターの後ろに跨って、ザップがヘルメットをつけている間ザップの背中に寄りかかっていた。ちょっと驚く。幾ら疲れたと言ってもレオがそんなことをするなんて滅多になかったからだ。
「……………。」
発車するぞと言いたかったが、言ったらレオはザップから離れるだろう。当たり前の事実にちょっと葛藤してしまった。何しろこの後輩は、自分からザップに抱き着いたりとか好きだとか言うことが滅多にない。しかしそうやっていたら、レオの方が不審に思ったらしい。
「ザップさん。帰らないんですか?」
ひょいと身体を起こしてそう言ったレオを振り返ると、ぺしんと一回頭を叩いてザップはハンドルを掴んだ。なんで俺今ぶたれたんです、というレオの抗議を無視して行くぞと言いながら、スクーターを発進させた。
ベッドでぐったりしているザップを他所に、レオはシャワーを浴びている。「…暫くウサギ見たくねーな」そう呟いて煙草を咥え、レオが煩いので窓を開けた。窓の外は今日の喧騒なんて何事もなかったかのように、いつものヘルサレムズ・ロットが存在している。霧と紫煙がまじりあって夜空に溶けていった。
「………ザップさーん」
風呂あがりました、と言いながらのこのことレオが戻ってきた。「次どーぞ」「おー」わかった、と言ってぽいと煙草を窓の外に捨てるとレオがあっと言いながらこちらに歩いてきた。
「ちょっと!だめだっていつも言ってるでしょ!」
外に誰かいたらどーすんですか、と言いながら窓から身を乗り出そうとしたレオに慌てて手を伸ばした。「バカ暴れんなよ落ちるぞ」「あのね誰のせいだと、」思ってるんですと言いながらザップに抱えられるようになったレオがこちらを向いた。
シャワーを浴びた後だからだろう。少し頬が上気していたし髪はまだ濡れていた。最近ザップもたまに使うようになったシャンプーと石鹸の匂いがする。そして、使う場所は決まっていた。
―――レオの家だ。
自分の手をレオの頬に伸ばすのに、時間は要らないし、レオもびっくりする暇はなかったらしい。触れた肌は確かに湯上りと見える。温かいし、なんだかいつもより柔らかい気もした。
「……っ、ん、」
レオは軽かろうが重かろうが、キスをすると大抵慣れない様子で慌てて目を瞑る。「…っと、……何すんすか…」そう言ってレオが少し後ろに下がったので、ザップは黙って窓を閉める。「あ、」たばこ、と言ったレオをスルーして、んじゃシャワー浴びるわとザップはバスルームに向かう。「あっ。………あ〜〜〜〜…も、もー…っ」バカじゃねえの、という明らかに照れたようなレオの悪態に、ザップは笑ってしまった。
レオに髪を乾かされている。「………ねみい」「もーちょっとで乾くから」待っててください、とレオにぐしゃぐしゃと髪を掻き回された。いつもと逆だなと思いながら煙草を探したが、流石にこの状況で喫うのもない、と思ってやめる。そもそもこの部屋は禁煙だから、レオにまた怒られるに決まっていた。
「終わりましたよ」
そう言ってレオがドライヤーを片付けた。元々そんなものなかったが、ザップが泊まりにくるようになってからわざわざリサイクルショップに買いに行ったらしい。要らねえだろと言ったザップに、要るとレオは強硬に主張した。『だから半額出して下さい』『…………。』どうも元々欲しかったが、値段のために二の足を踏んでいただけらしい。めんどくせえなと言いつつも半額出したのはつい一か月くらい前のことだ。何で素直に半額出したのか上手く説明はできないが、そういうやり取り自体に気恥ずかしさを覚えたのは確かだった。そんなこと今までしたことなかった。
「んじゃー寝るか…」
そう言った直後ザップは小さく欠伸をした。ウサギを追いかけてヘルサレムズ・ロットをあっちゃこっちゃしたから、自分もレオも疲労困憊だ。実際、後輩ははい、と素直に頷いてやっぱり欠伸をすると、毛布をかき上げた。灯りを消すと、当然だがスマートフォンの灯り以外、部屋は真っ暗になる。スマホだってレオがアラームをセットし終わった後は灯りが消されるから、部屋の中は本当に暗くなった。
「おやすみなさい…」
「んー…」
おやすみ、と言いながら毛布を被った。本当に眠い。珍しくずるずると睡魔に引き摺られるように眠りに落ちそうになった。―――なった、ということはつまりならなかったのだ。その後、ザップは一瞬眠ったあとまた起きた。
「うお」
びくっとして目を覚ましたので、隣にいたレオがわっと声を上げてごしごしと眼を擦った。「え?な、…なんですか?」寝たんじゃないの?と子供っぽく言われてはたと横を見る。
「………あ、いや」
寝たけど起きた、と言った自分にレオは変な顔をした。しかしすぐに、ああと合点したように頷いてみせる。
「アレすか。寝たと思ったけど浅くて起きちゃうやつ」
「……………、………あー…それだ…」
「ザップさんもそんなことあるんすね…」
どういう意味だ、と言ってレオにデコピンをすると、痛いとレオは大袈裟に嫌がるような声を上げた。そんなに強くは弾いてないから、恐らく半分眠っていたのを起こされた衝撃もあるのだろう。「…ねむれます?」「そんな繊細に見えるか?」「………みえないけど…」そう言ってレオがちょっと笑った。「……………………。」思わず黙ったザップを見て、どうしたんですかとレオが不思議そうな顔をする。はっとしてなんでもないと慌てて言った。幾ら何でもこの程度で”こう”なるのはアホ過ぎだ、と自分を罵り、寝るぞと吐き捨てるように言った。
「?だから俺はそうだって言ってるのに……、……はい…」
寝ますよ、と言って目を瞑ったレオの顔を見たら唐突にそれが起きた。「………あ」そう小さく声を上げたザップに、レオがなんですかもう、と嫌そうな声でそう呟いた。眠いのだろう。
「…おめーが出てきた。………あれだ。…夢だ」
「は?」
またそれ、と言ったレオの声がはっきりと聞こえたのでザップはきょとんとした。眠そうっていうか今にも寝るところだったのに。てゆかさっき嫌そうな声だったのに、今は機嫌がめちゃくちゃ悪そうな声だった。……眠いからかもしれない、と思いながらザップはおう、とこくんと頷いた。
レオは無言で顔を顰めると、それでとやっぱり機嫌が悪そうな声で言った。「…どんな俺でした?またいつもの頭に花が咲いてるアホみてーな俺でした?」「そこまで言うこたねーだろ」別にそこまででもねーよ、と言ったザップにレオは拗ねた顔になるとそうですか、とぶっきら棒に言うと天井の方を向いた。今までは一応ザップの方を向いていたのだ。
「……………。」
だから何でそこでそーいう態度だよ、と思いつつも覚えてねえよとザップは言った。「…なんか…やたら笑ってるお前が出てきたっつーことは覚えてんだけどよ。…あとは………」覚えてねえ、と言ってザップはやれやれと息を吐くと、レオのように天井を向いた。とっくに見慣れるようになった天井が目に入る。
「…寝るわ。……悪かったよ起こして」
「…………………。」
レオから返事はない。寝たのか、と思いながらちらりと横を向いた。
ぐい、と腕を掴まれたのはその時だった。
――――え?
そう思ったのも束の間、レオが動いた気配がした。腕に抱き着かれたのは多分、こういう状況では初めてだ(仕事中は不可抗力ということもあってよくある)。「………な、」なんだよ、という前にレオが顔を上げて勢いよく身を乗り出してきた。もう一回同じように、え、と思うと同時に、唇に思いもよらぬ衝撃がきたからザップはぎょっとした。
別に殴られたとか噛まれたとか。
そういう衝撃じゃない。
「………………………、…な…」
どうした、と言った自分の声は情けないことに少し上擦っていたから舌打ちしたくなった。「…………、」レオは無言でもそもそと起き上がると、狼狽えているザップの上にやっぱり黙って乗ってきた。「……あ?え?…な、…んだよオイ。疲れてんじゃねーのかお前」そう言ったザップに返事をせず、レオがもう一回身を乗り出してきたのでザップは目を見開いた。―――え?だ、だから。
なんで?
そう思っている間にもレオの唇が自分のそれから離れて、はあ、という小さな吐息が聞こええた。「…………ザップさん」そう言った声は少し震えていたから、恐らく緊張していたのだろう。何しろレオがこんなことをしてくるのは初めてだった。
「………な、」
なんだよ、と言ったザップの声は辛うじて震えてはいなかったものの、心臓の方はびっくりするくらい煩かった。既に何度も何度もしているくらいの行為なのに、信じられないことにザップも緊張していた。冷や汗をかいてきた気すらする。
そのままレオがぎゅう、とザップに抱き着いてきたのでザップは固まった。―――ま、まさか。
明日死ぬのか俺。
そう思ったのは致し方ない。何しろレオがこんなふうに迫って来るのは初めてだったし、まさに青天の霹靂、藪から棒と言ってよかった。しかも、その後躊躇いがちに、けれどはっきりとザップの耳元で囁いた言葉だって聞くのは初めてだった。
「………………したい…」
ごくんと唾を飲むよりも、分かったと頷くよりも先にザップがしたことは。
今この状況が夢じゃないかと確認することだった。
夢じゃなかった。
鳥なのか何なのかよくわからない声で目が覚めて、それから横ですやすやと眠っている後輩を見たあと、ザップはのろのろとベッドから降りた。「………………。」ぼーっとした頭で洗顔し、ついでに湯を沸かし、それから煙草を咥えて窓を開ける。朝のヘルサレムズ・ロットは少しだけ肌寒かったが、なぜか朝なのに爽やかという空気にはならないのが不思議だ。いつもこの街は混沌としている。
「……………。」
煙草に火を点けたあとベッドで寝ているレオを見つめた。「………………。」無言で自分の頬を抓ったが痛かったので夢ではないらしい。煙を吐き出した後、頭を掻いてぼーっと昨夜のことを回想した。
びっくりするくらいデレられた。信じられないくらいデレられた。俺マジで明日死ぬのかもしれんと思うくらいデレられたので、ザップは何度も自分の頬を抓ったくらいだった。好きですとあんなに短時間の間に何回も言われたことあったっけ。そう思ってぼんやりと回想に浸っていたので煙草の灰が零れそうになり、慌ててぱたぱたと灰を窓の外に払った。
「……………なんだったんだ」
もう一度昨夜言われたことを反芻する。ぶっちゃけザップだって一生口にしないだろうと思うことを何度も言われた。好きですだとか気持ちいいですとかそこが好きだとか、雑に言うならそんなところだった。「………………………………。」流石にザップもそこまでされると睡魔どころか、疲労どころか、理性を蹴飛ばさるを得なかった。そんなもの最初からなかったと思うくらいだった。
「…………かわいかったなー…」
思わずそう言ったあと、喫い慣れている筈の煙草で咽てしまったので、ザップは自分に呆れてしまった。
おはようございます、と言いながらレオが毛布を被ったまま目を擦った。「…よう」起きたかと言いながらコーヒーを入れているザップを見て、おきましたとレオはぼーっとして言った。
「…………ザップさん今日は早い………、…………………。」
コーヒーを差し出そうとした自分を見てレオは唐突に黙ってしまったので、ザップはきょとんとする。「あんだよ。この俺が折角コーヒーを、」そこまで言った瞬間レオはもそもそと毛布を更に深く被って壁の方を向いてしまった。
「?オイ無視すんな。礼を言え礼を」
「……………。」
レオから返事はなかった。怪訝に思ってザップはベッドに座ると、レオは変な動きでザップから距離を取った。「……………おい。コーヒー」そう言ってぐいとコップを突きつけたので、レオはそれをそろそろと受け取った。何だこいつと思いながらその時そっとレオの横顔を覗き込むようにして見たが、レオはコーヒーに注目していたから全く気が付かなかったのだろう。あざます、というか細い声しか聞こえなかった。
「…………何でお前顔あけーんだよ」
そう言うと、ごほ、とレオがコーヒーを喉に詰まらせたのでげっとザップは慌ててカップを奪い返した。「げっ」何してんだよ、と言いながらカップをデスクに置いた後、慌ててレオの背中を摩る。ごほごほと咽ていたレオはすぐに息をぜいぜいと吐いて、すんませんとぐったりした声でそう言った。
「だ、大丈夫です………、すみませんコーヒー入れてくれたのに」
そう言ってレオがこちらを向いた。
当然だがザップはすぐ近くに腰を下ろしていたので目が合った。
「……あ゛っ」
げっという顔をしたレオが慌てた様子で毛布を探し始める。コーヒーが零れたら染みになると思ってザップがわざわざ退けてやったので、毛布はその辺に置いてあった。そんな後輩の様子を見てそうはいくかとザップはがしりとレオの腕を掴んだので、ぎゃあとレオからは悲鳴が上がった。
掴んだ手が物凄く熱いことに気が付いて、やっとザップはレオの反応の意味を理解した。
「………おめーな…」
昨夜あんだけ迫っといてなんだよ、と言ったザップに、レオは引き攣った顔になる。「だ…っそ、そーいうのってフツースルーでしょ!?無視してくださいよ!見なかったことに!」「何がフツーだ。俺しか知らんだろおめーは」「知りませんけど、ザップさんが普通じゃないってことくらいは俺だってわかりますよ!」「おいこのクソガキ。夕べ散々盛っといて何言ってんだ」盛ってねーよ、とレオは続けると、見ざる言わざる聞かざるとばかりにぎゅうと眼を瞑った。これほど分かり易い嘘はない。てゆか自分から迫っといて何照れてんだか、とザップは呆れた。呆れた割に自分もちょっと昨夜のことを思い出して、照れはした。レオにあそこまで言われたのが初めてだったので、思いの他自分も引き摺られていつもは言わないようなことを言ってしまったせいだ。ふう、と溜息を吐いて仕方なくそっとレオの手を離す。
「……わーった。お前は好きですザップさんとも気持ちいいですザップさんとも言ってねえし、俺で気持ち良くなってくださいザップさんとも、」
「やめろおおおお!!!」
喚き始めたレオを見たらおかしくなってきてしまい、ザップは爆笑してしまった。「だ、…っんでそこでそーなんだおめーは…っ、あー、」ほら、と言いながら腕を離したが、レオは毛布を被ったものの壁の方は向かなかった。レオの耳どころか身体中が真っ赤になっているのを見て、ザップはまた笑ってしまった。
夢見ましたか、と言われてきょとんとした。
コーヒーは不味かったが、そもそもザップは味の良し悪しに精通していない。ギルベルトの入れてくれるそれが美味過ぎるから分かるだけで、店で飲むコーヒーはなんだか似たり寄ったりだと思っている。たぶんレオもそうだ。
「…見てねーな。……そーいや」
久々に、と言った自分に、そっかとレオはほっとした様子で息を吐いたあと、コーヒーを飲んだ。ザップが入れたコーヒーを、レオは不味いと言いながらもちゃんと全部飲む。コーヒーが勿体ないし、と憎まれ口を叩くたびにザップはレオにデコピンしている。レオが入れたコーヒーだって別に物凄く美味いわけでもないのだ。
「?夢がなんだよ。なんか見ちゃわりーのか」
「え。い、いやそれは」
べつに、と言ったレオの顔が明らかに焦っていたので、こいつホンット嘘吐くの下手だなとザップは呆れた。隠し事は上手い癖に嘘は下手という矛盾を抱えている後輩は、ごちそうさまですと言いながらコーヒーカップを机に置いた。その後伸びをしている彼の後姿を見て、あ、とザップは目をちょっと瞬かせた。
自分がつけた昨夜の痕が見えた。レオが着ているロンTのサイズが二回りくらい上のせいだろう。サイズがなかったけど見切り品だったから安かった、と言っていたそれをレオはパジャマの代わりに着ていた。背中と項にこれでもかとつけた真っ赤な痕を見て、ちょっとザップは目を逸らした。自分がつけたというのに、夜中見るよりもどきっとしたからだ。
「レオ」
「え。はい?」
なんですか、と言いながらレオがくるりと振り返った。とことこと素直に戻って来たかと思えば、ぱたんとそのままベッドに寝転がったので、ぎしりと音が鳴った。「壊れんぞ」「ええー?昨日だって壊れなかったんだから、」壊れないでしょとおかしそうに言ったあとレオがあ、という顔になった。
「…………………。」
「…………………。」
コーヒーを飲みながらじっとレオのことを見ているザップを見て、レオの顔がまたおのろのろと赤くなった。「…………あのなー」なんなんだお前は、と言った割にザップの声だって少し上擦っていたのだから、お互い様もいいところだ。何しろ毎日ケンカは絶えないし、お互い素直になるということをしないから、こういう雰囲気になったことがない。ティーンズじゃあるめーし、と自分自身を罵っているザップと同様、気まずそうな顔をしたレオはあー、と変な声を上げて顔を手で覆った。指の隙間から見える肌は性懲りもなく真っ赤だった。
「…………、………あのー……」
「あ?なんだよ」
「…………ひ、引いてねーっすよね」
「は?なにが」
昨夜の俺に、と続けられてその意味を理解する。「なんで引くんだよ。引かねえよ」大サービスじゃんお前、と言った後、やっぱり自分も照れているとザップは思った。半ばふざけたような言い方をしてしまったのは誤魔化したいからだ。
「………だってなんか、…俺のキャラじゃなかったし…」
「キャラじゃねえっつーのはわかるけどよ。おめえ元々ヤるのは好きじゃねーか」
「す…っきじゃないっすよ」
全然、と言いながらレオがごろごろとこちら側に転がって来た。まだ顔は赤い。「……好きじゃねーくせにあんなに喘ぐんかおめーは」「だ、そ、…それはしゃーないでしょ」ザップさんだし、と言われて思わず咳き込みそうになったが何とか堪えた。この野郎もっかい犯すぞコラと思いながら横を見ると、レオは耳まで真っ赤になりながら壁際を向いていた。
「………………………………………。」
何だこの空気、と自分やレオじゃなくこの変な雰囲気にドン引きしながら、ザップは自分が入れたコーヒーをまた口に入れた。不味かった。「……んじゃー聞くけどお前」何で昨日はサービスしてくれたんだよ、とふざけた口調で言った自分の横で、レオがちょっと動いた気配がする。
それを見ながらそっとレオの髪を指で弄ると、少し擽ったそうにレオは笑った。
「…………最近俺の夢ばっか見るっていうから」
だから、と言われた時は何を言われているのかよくわからなかった。既にザップはコーヒーを飲み終わってカップを机に置いていたし、休みのせいかレオはだらだらと未だにベッドに寝転がっていた。朝飯どーすっかな、とザップがぼーっと考えている時に、レオが唐突に言ってきたので一瞬思考が追いつかなかったのだ。冷蔵庫の中には何もなかった。
二秒後くらいに、ついさっき聞いたことだとザップは気が付いた。「え?…なに?お前が昨日誘ってきた理由が?」「だ、さ、…そういう言い方は」やめてください、と言いながらレオが起き上がった。そうは言ってもその通りだったじゃねーか、とザップは思う。自分であんなことしておきながら何で照れるんだ。
「てゆかどーいう意味だ。何でそれが昨日の理由になんだよ」
「だ…だってなんか、…夢の俺はその…えーと。…す、素直みたいだし……、……えーと」
だから、と言われて呆気に取られた。「……え?俺がそーいうのが好きだとか思ったんかお前」そう言うと、レオはえ、となぜかぽかんとした声を出した。
「…あ。え、えーと。……そーです。その通りです」
ははは、と言いながら頭を掻く姿を見て、ザップは眉間に皺を寄せた。嘘を吐くのが下手な奴だ。二度目のそれを思うと、腕を組んでレオの机に寄りかかった。朝飯をどこで食うのか考えていたところだったのだ。
「そうかそうかそりゃー殊勝な心掛けだ。…………んで?」
「え?」
「え、じゃねえよバカ。ほんとのところはどーなんだよハゲ」
ハゲてねえよ、とレオはそこだけむっとしたように言うと漸くベッドから降りた。「そんじゃ陰毛だ。ほんとのところはどーなんだっつーの」「あのー、名詞で呼ばないでくださいよ。てか陰毛じゃありません」そう言ってもそもそとレオが着替え始めたので、朝飯を食いに行くんだなとザップは察して、やれやれと机からひょいと身を起こした。
サンドイッチを食っているレオの横で、いい加減に吐けとザップは後輩を肘打ちしていた。「いてっ。ザップさん食ってるときにそれは」やめろよ、と言ったレオの口の周りに卵サンドの卵がべったりとくっ付いていたので、ザップはぐいと指でそれを拭った。「わっ」「何だこっちのがうめーな。おいソレ寄越せ」「嫌です」あんたは自分の食ってください、とレオはにべなく言うともぐもぐと食事を再開した。昨夜のデレは何だったんだ、とザップは思いながらも、仕方なく自分で頼んだベーコンレタスサンドを食べた。別段不味いわけじゃあなかったのだが。
「…言ってもあのー、…ひ、引きませんよね」
小さくそうレオが口にしたのは、サンドイッチを半ば以上食い終わってからだった。「………。」朝食セットと銘打たれたメニューについていたカフェオレを口にしながら、ザップは隣に座っている後輩をまじまじと眺める。レオはこちらではなくサンドイッチがのっていた皿を見つめていた。
「…しつけーなおめえも。それは内容次第だ」
「んじゃ言いません」
「おい。その選択肢は結果に関わらずねえ。いーから言えよめんどくせえな」
「めんどくさいって言うことないでしょ」
どうせ俺はめんどくさいっすよ、とレオはむくれてそう言うと、半分以下の大きさになったサンドイッチを齧った。ふんとザップは鼻を鳴らし、自分も同じようにサンドイッチを齧る。もぐもぐと口を動かしながら食べたサンドイッチは、やっぱりさっき食べたレオの卵サンドの方が美味しい気がした。
「……………………夢の俺の方がいいのかと思ったから」
食後だった。ザップはぼーっと店内のBGMに耳を傾けていたが、唐突に言われたそれにはっと我に返った。カフェオレとコーヒーの違いってなんなんだ、とぼんやり考えていたところだった。中々この店のカフェオレは美味いと思ったが、味の良し悪しに精通している訳でもない。
けれどそんなことはどうでもよくなった。横に座っているレオを見下ろすと、レオは変な顔をしながらもぐもぐとサンドイッチを齧っていた。変な顔というのは、何かを堪えている顔だった。―――なにかを。具体的に言えば、物凄く恥ずかしいのを。
誤魔化そうとしているような。
「……………ゆ…夢の中の俺は、なんか…こう、アレなんでしょ。ザップさんが好きな感じなんでしょ」
現実の俺と違って、と言われてきょとんとした。「?俺…、」そんなこと言ったか?と怪訝な顔でザップが言うと、言ってませんけどとレオは呟いてコーヒーに突っ込んであるスプーンをぐるぐると回した。なんだか声は拗ねていた。
「…でもそーいう方が好きなんでしょザップさんは。素直でいっつも笑っててなんでも言うこと聞く俺の方が」
現実の俺はそうじゃないですからね、とレオは言うとミルク壺を傾けてどぼどぼとコーヒーにミルクを注いだ。「………。」黙って後輩の様子を見ていたが、レオはザップの返事を待たずに不貞腐れたまままたスプーンでコーヒーをぐるぐると掻き回した。
「……でもしゃーないじゃないすか。俺は多分ずっと一生あんたに対してこんなんだし、ムカつく時はムカつくって言いますし、したくなきゃしたくないって言いますよ。殴られたら殴り返したいし、金奪われたら取り返しますし」
「待てよ。奪ったことはねえだろ」
ないけど、とレオは言って拗ねたようにスプーンを持っていた手を止める。実際借りると言いながら強奪したことは何度もあったが、一応ザップからすれば『借りている』ていなのでそう言った。レオも一応そういう認識であるらしい。一応は。
「…だからほんとはそっちの俺の方がいいのかなって思ったんですよ。夢の中の俺の方が」
夢って人の脳が作るもんなのは間違いないだろうし、と言われてまあそれは確かにとザップも思う。何しろザップの夢はザップしか見ていないし、ザップの頭の中にしかないし、他の誰にも見えないのだからザップの脳が作り出していると考える他ない。外部からそれがやってくるわけがないのだ。
「…………ん?なんだよ。んじゃお前、…俺の夢のお前に妬いてたっつーことか?」
「……………………。」
レオは無言でごん、とカウンターに額をぶつけた。「………。」どうやら図星らしい、とザップは気が付いてげっと顔を顰める。まさかそんな風に思われていると思っていなかったというのもあるし、だからこそそれにどう反応すればいいのかザップもわからなくなってしまったというのもある。ただ、レオがさっき言っていたように引いたりはしなかった。
――――引くどころか。
むしろ。
「……そーですよ。あーあーあーそうですよ!!!だってあんた最近その話しかしねーし!?」
「うお」
唐突にレオはそう言いながらがば、と顔を起こして勢い立ち上がった。カウンターにぶつけたせいか、額は真っ赤だった。ただ、額以外のところが真っ赤な理由は、どうやらカウンターにぶつけたせいじゃないらしい。「…………。」まじまじとレオを見つめているザップのことを睨みながら、真っ赤な顔のまま、悪かったすねとレオは拗ねたように言った。
「どーせ俺は素直じゃないしさっき言ったみたいにずっと一生このままですし!?わりーけどあんたが言うみたいに可愛くザップさん好きですとか傍にいて下さいとは言えませんよ!!少なくとも今は!!」
「お…っおい。落ち着けってバカ」
公共の場では静かにしろ、と矢鱈とまともなことを言ったせいか、レオはぜいぜいと息を吐いてすとんと大人しく椅子に座った。はあ、という深いため息を吐いている後輩の横で、ザップは何の気もなくスプーンを齧る。金属の味がした。
ちなみに店内の客は誰もレオにもザップにも気すらかけていなかった。みんなそれどころじゃないらしい。朝は誰も忙しい。
レオはぐるぐるとまたカフェオレに突っ込んであるスプーンを掻き回していた。居た堪れないらしいが、それは半分くらいザップだって一緒だ。
「…そーか」
一言ザップがそう言うと、そうですよとレオは怒ったのと照れたのが入り混じったような声で言った。「…おめえもそーいうこと思うんだな」そう言ってザップはカフェオレのお代わりを要求する。カウンターの奥にいた店主がすぐさまやってきて、どぼどぼとカフェオレをザップが差し出したカップに注いでくれた。レオも同じようにぐいとカップを突き出したので、店主はコーヒーだと気が付かなかったのかそのままカフェオレを注いでしまう。しかしレオは何も言わなかった。
ただしカフェオレを口にしてから、小さく一言だけレオは言った。「…思いますよ」俺も、と言われてザップはちらりと横目で後輩を見た。レオはカップを眺めている。
「…引かねえよ。そんなんで」
そう言った後、カフェオレが入ったカップに口をつける。隣にいるレオからは何の返事もないが、聞こえているのに決まっているからザップはそれを咎めなかった。自分もそうだが、レオだって頻繁に聞いていないふりをする。それもこちらがそれを看破しているということを看破しているから、性質が悪い。
「…そらまあ俺もおめえにぎゃあぎゃあ文句言われるのはうるせーと思うし、クソガキだなとは思うし、ついでに言や普段全然デレねーしで苛々するけどよ」
「………………………。」
でもな、と言いながらザップはカウンターに肘をついて、それからまたレオの方を向いた。
レオはまだ、カップ中のカフェオレを眺めている。
「…そんでも何で俺がおめえと一緒にいると思ってんだよ。…前も言ったろ」
ガキでもいいって、と言った後に少し黙る。レオもまだ黙っていた。
レオの眼はまだ、カップを見ている。
「…ガキだろーがガキじゃなかろーがレオはお前だろ。そんで俺は、」
そーいうお前がいいんだよ、と言ったあとに黙る。レオもまだ黙っている。「…………聞いてんのかよ」そうとだけ言ってぐるりとカウンターの方に顔を向けて、もう一回カップに口をつける。コーヒーよりは苦くないような気がしたが、その実どうなのかはよくわからない。やっぱり味の良し悪しはわからない。
「……ついでに言えば何で俺が夢でお前ばっかり見ると思ってんだ」
「え?」
そこではっとしたようにレオが顔を上げた。額の赤みは引いていたが、まだちょっと頬は赤かったので、意味もなくザップはその頬をぐいと軽く抓った。軽いせいか、レオは何も言わなかった。普段だったら罵詈雑言の嵐なのに。
「…お前がいいからだろ。夢で会うのも」
「………………………。」
ぽかんとしてそれを聞いているレオからぱっと手を離す。「…あー終わり終わり。この話終わりな。言っとくけどこんなん俺に言わせんの、」お前くらい、と言いながらどん、という衝撃にきょとんと眼を瞠る。すぐ横にあるカウンター席の椅子同士の距離は近い。レオがザップの腕に寄りかかっていた。
昨夜のベッドの中みたいに。
「…………………………、………。」
なんだよ、とも言えなくなってしまい自分自身に狼狽えた。何しろ、髪の隙間から見えるレオの耳は真っ赤だったからだ。顔は俯かせているし、身長的にザップの位置からはよく見えない。ただ、そのままこくんと頷いたレオの項もびっくりするくらい真っ赤だった。
「……はい」
その返事は一体何に対しての返事なんだ。
そう思ったがザップは何も言わなかった。というより、言えなくなってしまいごくん、と唾を飲み込んだ後それを誤魔化すように、黙ってカップに口をつける。真っ赤な項だとか、自分の腕にしがみ付いている手だとか、震えるような返事だとかも、結局は昨日のそれと同じだ。ザップさん、と聞いたことないくらい甘い声で呼んでくる後輩だって、うるせえバカ死ね、と罵ってくる後輩だって、どの道ザップの目の前にいるレオナルド・ウォッチに他ならないし替えはない。全部全部、何をしようが何を言おうが笑おうが泣こうが怒ろうが。
全部ひっくるめてザップの好きなレオなのだ。
「…んでも俺あーいうサービス大好きだからもっかいやってほしーわ。幾らだ?」
「死んでください」
その日の夜そう言うとレオにはにべもなくそう返され、何だとてめえコラ、死ね、という悪口雑言でレオの部屋は埋め尽くされた。最終的に取っ組み合いのけんかになり、十分後俺たちは何をしているんだ、とお互いに我に返って大人しくもそもそと毛布を被る。
「…なー…」
「………なんすか」
「………………………………………お前いっかい、」
俺のこと愛してるって言ってみ、と言ったがレオはそれを無視して、お休みなさいとそうぶっきらぼうに言うだけだった。「………おやすみ」一応そう返事をする。確かに俺もそう言われたところで言えるわけねえや、とザップはそう思った。似合うとか似合わないとかじゃない。言えないものは言えない。
なのにその日の夜。
ザップは夢を見なかった。
起きたら隣にレオが寝ていたので、何も問題はなかったけれど。
甘い夢より、とぼーっとしながら煙草を咥える。外はいつもの霧の街で、ただし時間はまだ早いらしい。薄暗い空に小さく光が瞬いているのが見えた。「…こっちのが俺はいいな」そう言って後輩の頭をくしゃくしゃと軽く撫でる。レオはんん、と小さくむずがるような声を出したが起きなかった。ふう、とザップも煙草を喫わずに箱に再度閉まってまた毛布に潜る。二度寝だ、と思いながら目を瞑って睡眠と仲良くなる。微睡つつ、けれどきっと、とふとザップは思った。
多分今日も夢は見ない。
終