Which?Please!Come on!

2016/11/23

どーっちだ、という声に目を向ける。子供が握られた拳を差し出して首を傾げていた。そういえば昔、妹に同じことをしたことがある、と思って思わず目を向ける。質問された方の子供は、悩んだあと結局右側の拳を選んだ。ぱっと開かれた中には飴が入っていて、わーいという朗らかな声が聞こえた。微笑ましい、と思いながら思わずほっとする。もし外れていたらどうなっていたのだろう、などとどうでもいいことを心配した。そして気が付く。質問していた方の子供がこっそりと左手を隠しながら下げて行く。拳の中から、ちらりと飴玉が見えた。

「…つまり何か。そのガキは両手に飴を握っていたと」
「ということです」
微笑ましいですねえ、と言うレオナルド・ウォッチに、先輩のザップ・レンフロがそれを一笑に伏した。「くっだんねー。つまり詐欺だろ」「そういう言い方はひどいでしょ」呆れてそう言ったレオに、だってそーじゃねえかとザップは続けた。
「そんなに楽することばっか覚えてどーすんだか。将来が心配だね、俺は」
「それザップさんに誰も言われたくねーっすよ」
「なんだとコラ」
ぺちんと頭を軽く叩かれた。止めてくださいよ、と笑いながら頭を押さえると、ザップも逃げんなてめえ、と笑いながら今度はレオの髪をぐしゃぐしゃに掻き回すようにして手を動かした。やめてくださいってば、とザップに言ったが笑いながらなんだからあんまり意味はない。嫌がるどころかお互いそうやってはしゃいでいたその時だ。

「…元気だな、お前達」

その呆れた声にお互い、顔を向ける。執務室から仏頂面の上司がやって来ていた。「…あ、ども」「…お疲れっす」流石に気まずく思って先輩から離れるレオと、普段通りのザップを見て、いや別にいいんだけどな、とスティーブン・A・スターフェイズは口を開いた。
「今日の仕事はちゃんとこなせよ」
はい、と二人が神妙な顔で異口同音に返事をするのを見て、漸くスティーブンは笑って、僕らも行くからい見張ってはいられるけど、と付け加えた。
「…んじゃーわざわざ今話しかけることなかったんじゃ、」
「わ、だ、聞こえますよ」
ひそひそとそう言って慌てて口の前に指を持ってきたレオのことを見て、ザップが溜息を吐いた。「…ぜってーわざとだってアレ」「だって待機中とはいえ仕事中でしょ」しゃーねーっすよ、と言ったレオとは裏腹に、先輩は仏頂面でソファに寄りかかった。

本日の任務は潜入とも諜報とも言えるもので、某高層ビルで開かれる巨大パーティーへの参加だった。参加した後はとにかく何でもいいから情報収集をしろとの雑なお達しである。スポンサーだの支部だの警察だの、色々な利害が絡んでいるらしく、レオは詳細を知らない。知らせて貰えないのだ。ザップに聞いてみたが彼も知らないらしい。というか興味自体無いらしい。タダ飯食えるだけ儲けもんじゃん、と言われて思わず笑ってしまった。
参加するのはレオとザップ、それからスティーブン、クラウス、チェイン、K.K.、加えてギルベルト―――らしい。ただギルベルトに関しては参加と言えるかどうかは曖昧だった。車で控えてますので、と言っているのをレオは耳にしたからだ。しかしこのメンバーでは花が無いことこの上ない。K.K.は遠隔射撃要員、そしてチェイン・皇は参加するには参加するが。
「―――前に同じようなことしたんだけど」
なんかすごく面倒臭いことになったから、と嫌そうな顔でチェインは言っていた。余りに嫌そうに言うから、その”面倒臭いこと”をレオは聞きそびれてしまったが、どうも国際規模の要人に見初められてしまい非常にややこしいことになったらしい。秘密結社構成員ということは隠しての参加だったから、正直に言う訳にもいかないし、かと言って無下にもできず、結局最後はスティーブンが何とかしたとレオはザップに聞いた(ちなみに彼は爆笑しながら説明してきたので最終的にチェインに頬を陥没させられていた)。つまり彼女は今回参加はするが、姿を隠しての参加ということらしかった。矢張り花が無い。
「…あー、でもほんと、もうそろそろっすね。俺のネクタイ曲がってませんか?」
「しっかしお前、ソレ七五三みてーな」
「しちごさん?何スかそれ」
東洋の祝い事、と笑って言ったザップもレオも正装していた。パーティーなのだからこれは仕方ない。しちごさん、と復唱したが何となくその言い草からして褒められていないらしいとレオは感付いたので、それ以上は突っ込まなかった。最初はスーツを着てみたがザップに爆笑されたのでやめることにしたのだ。結局、以前食事に行ったときみたいな格好になった。遣る瀬無い。
「ツェッドさんも来てほしかったなぁ」
少し肩を落としてそう言うと、何でだよ、とザップは心底嫌そうな顔をして言った。そんなに嫌がることないだろうに、とレオが微妙に眉を下げると、何だよとザップはむっとした様子でそう言った。それはこちらの台詞だ。

ツェッド・オブライエンはレオの後輩、つまりザップの後輩でもある。レオからすれば後輩で友達だが、ザップにとっては後輩の他同じ斗流の門徒であるのだから、弟弟子にあたる。しかしどうもこの二人は気が合わずに年中喧嘩しているのだから、レオからすれば不可思議だった。本当はそんなに嫌い合ってない癖に。そう思ってはいるが、それを言えば二人に否定されると分かっていたので口にした事は無い。
今回そのツェッドはK.K.と同様遠隔班らしい。どれと言われたらツェッドは近接型タイプなのではないかと思っていたから、レオは結構意外に思った。だから聞いてみたところ何のことはない、招待状が五枚しかないらしい。だったら自分とツェッドを交換した方がいいのでは、と思わず言ったレオに、スティーブンはいやいやと首を振った。『少年の目が重要なんだ。むしろ交代するならザップだ』そう言われると何も言えない。ちなみにそれを聞いて後ろの方にいたザップは、その言い方微妙なんすけど、と顔を顰めていた。
ともかくとして時間がやってきた。ギルベルトが運転する車にレオとザップ、それからクラウスが乗り込んで会場に向かう。スティーブンは自車で向かうらしい。「それじゃ打ち合わせ通り。今回はライブラだってことがバレていいからな。聞かれたらそう答えろ」「はーい」「りょーかい」頷きつつも、大丈夫かなあと頭の隅で思う。そんなに簡単にばらしちゃっていいのだろうか。
スティーブン曰く、自分からそう名乗る奴は百%ペテン、と思われているくらいこの秘密結社は表舞台に上がらない。というかそもそも存在自体疑われているから、そう名乗る者がいたからといって易々と信じるアホはいないそうだ。まず疑われる。特にレオのような者が名乗れば効果は倍増するとのことらしい。レオからすれば、何だかそれも複雑である。
疑われるなら情報収集も何もないのではないか?そうレオは聞いてみたが、それでもいい、とスティーブンは淡々と言った。「むしろそのくらいがちょうどいいんだ」言われた言葉は意味不明だったが、恐らく何らかの思惑があるのだろう、と勝手に思ってわかりましたと頷くに留めた。自分たち末端に伝えなくてもいいことは、伝えられないことは、恐らく大量にある。
「…ソニックに何か持って帰ろうかな。土産」
「猿なんだからバナナだろ?それとも柿か?ニホンの童話の」
「あのう。何でそんなに東洋に詳しいんですか?」
「博識と言え」
はくしき、と復唱してレオは思わず爆笑してしまった。何がおかしいんだコラ、と言いながら後頭部を軽く小突かれたが、レオの笑いは収まらなかった。
先輩の喫う煙草の煙がふわふわと道路に棚引いて行く。夜道にきらきらと光るネオンサインに、どういうわけかそれは酷く似つかわしかった。
悪いが会場は禁煙だ、という助手席のクラウスの声にはいはいとザップがおざなりに返事した。


パーティー会場自体はホテルの一室を貸し切った非常によくある形式のものだった。レオはライブラに来る前、学校主催の卒業パーティーや新歓パーティーなどに参加したことはあるが、社会人になってからこういった巨大な催しに参加するのは初めてだった。しかも今回は要人や世界各国のVIPが参加するものだから、警護もかなり厳しいし規模も大きい。僅か狼狽えた。
「…何狼狽えてんだテメーは。落ち着け」
ぽん、と頭に手が置かれて上を向くと、ザップが煙草を嫌そうにしまいながらはあ、と溜息を吐いた。「アー煙草喫いてー…」「たった今まで喫ってたじゃないすか」「だから」余計だって、とげんなりした顔でザップは言うと、行こうぜといいながらレオの腕を掴んだ。うお、と少しばかりまた別の意味で緊張する。付き合ってはいるが、余りこういう事をしたことがないからだ。
「あ、ちょっと待てお前達」
その声に振り向く。パーティー会場は既に人でざわざわと喧騒に包まれており、始まる前とはいえパーティー独特の熱気に溢れている。だから今のところ誰も他人のことなんぞ気にはしていないのだが、レオとザップからすれば上司のその言葉は聞かざるを得ない言葉である。ハイ、とお互いスティーブンを振り向いた。
「それは無し」
「え」
「だからソレだ」
手を繋いだり腕を組んだりましてやいちゃつくのは無し、とスティーブンは言うと両手でばってんを作って胸の前あたりにかざした。その子供っぽい仕草に思わず笑みを零したレオとは対照的に、ええー、とザップは顔を顰めた。

―――付き合ってから大体三か月目経つ。交際は順調ですかと言われたらまあそうですねと頭を掻きながら言うであろう程度に、順調な交際ではある。仕事に支障は出ない程度に仲良くしている(とレオは思っている)し、仕事に私情を持ち込まない様にしている(とレオは思っている)し、ケンカはするけど取り返しがつかなくなったことはほぼない。たまに困るのがザップが事務所でいちゃつこうとすることくらいだったが、何だか最近それにも慣れてきてしまった。先輩の顔を見るとなんかどうも、拒否するのが難しくなる。
――付き合ってみると。
思っていた以上に結構ザップは優しかった。そりゃまあ、今までみたいに理不尽に呼び出されたりとかパシられたりとか、金の無心だとか昼食を集られたりとかが無くなった訳ではない。むしろ前と変わらずいつも通り、ある。その辺は今までと変わらなかった。無論レオだって毎度言う事を聞いている訳ではない。というより前々からそうだが、反対に聞かない方が多かった。
ただたまに夜魘されることがあるレオが寝るまで起きていたりとか、怪我をするとめちゃくちゃ心配されるとか、絡まれるのを見ると文句を言いながらも相手をボコボコにしたりとか(特にレオは頼んでいない)、愛されてはいるらしい。ただザップもザップで全然素直ではないから、そういうのをわざわざ前面に出したりはしない。自分もそうだからそうは言えないけど、とレオは思いながらもスティーブンの指示を待った。
「情報収集って言っただろ。目立つのはNGだ」
声を潜めてそう言った上司に、手ェ引っ張っただけっすよ、とザップは不満げに言い返した。―――引っ張ったっていうか、とレオは思う。傍目からすれば正装のいい大人が仲良く手を繋いで会場を闊歩しているようにしか見えない。そりゃパーティーだから場に人数はいるが、だからと言って目立たないことはないだろう。しかもレオはレオで外見は社会人に余り見えないし、ザップはザップで見目がいいから人目を引く。けれど幾ら何でも、とレオは思った。
幾ら何でも手を繋ぎっぱなしだったりとか、腕を組んだりとかいちゃついたりとかそんなに人前でする訳ないじゃん。
…ただし、思ったけれど指摘してきたのは上司だから言えなかった。
「…分かりました」
そう言ってレオがぱっと手を離すと、ザップも仕方なさそうに腰に手をあてて、天井を仰いだ。「あーあ」溜息を吐いて肩を竦める先輩を見ると、何だか少し照れた。黙って頭を掻いたら何照れてんだよ、と事務所でされたみたいにまた頭を小突かれた。
「て、照れてないですよ」
「照れてんじゃん。ほれ」
「う、いひゃいいひゃい、頬、ひゃめてく…いひゃいってば!」
「わはははは」
いやだからな、とそこでまたしてもスティーブンが割って入った。お互い何ですか、と異口同音に言って上司を見つめる。あのな、と困ったような呆れたような、つまり憮然とした顔で上司は額に手を置いた。
「だからそれ。そーいうの無し。お前ら一緒にいるといつもそーだから…ちょっと今回は別で回れ。一緒にいるの無し」
これにはお互い異口同音でええ、と思わず言ってしまった。言った直後はっとして顔を見合わせ、そしてすぐにぱっと目を逸らして何となく黙り込む。流石に気恥ずかしい。
そんな二人を見つめて、スティーブンは決まり決まり、と言いながらぱちぱちと手を軽く叩いた。「いちゃつくのはいつでもできるんだから、今回は妥協しなさい」そもそもそんなに一緒にいたら疲れるだろう、と言うスティーブンに、二人は無言で返事をした。つまり黙った。
―――そうでもないけど。
レオはそう思ったが、果たしてザップがどう思っているのかは知らない。そりゃ毎日毎日365日一緒にいる訳ではないから何とも言えないが、確かに言われた通り殆どずっと一緒にいる。職場と任務が殆ど被っているのだから、仕方ないことでもありはする。けれど仕事が終わって大抵家に帰るそこまでも一緒にいる。そう言われればなぜ飽きないのか不思議である。
ザップの方を見ると、何とも言い難い微妙な顔をして黙っていた。ちらりとこちらに視線が寄越されてぎくりとする。目が合ってから何となく二人で黙りこくった。
―――どうなんだろう。
そう思ったけれど聞く勇気はなかった。

二人が黙ったのを契機として、それじゃとりあえず少年は僕と、ザップはクラウスと行きなさい、とスティーブンがちゃっちゃと指示を始めた。「チェインは既に紛れている。そろそろ開始時刻だから、行こう」おいで少年、と手招きされてハイと頷きそっちに歩こうとしたところでザップに腕を掴まれた。かくんと傾く身体にわあと小さく悲鳴を上げる。
「な、なんですか」
「…浮気すんなよ」
な、と思わず口を開けたところで悪戯っぽく笑われて手を離された。「…そんじゃスターフェイズさん、コイツよろしく。絡まれたらチェインの時みたいに何とかして下さいよ」そう言い捨てて手を振って姿勢よくクラウスの横を歩いて行く後姿は、贔屓目かも知れないが格好良かった。

ていうか、とレオは思う。
―――それは俺の台詞だ。

固まっているレオの横で、スティーブンはちょっとおかしそうに肩を竦めて、小さく呟いた。「…若いねえ」


パーティーが始まりはしたが、主催挨拶を聞いても今一開催目的は掴めなかった。ともかくみなさん飲んで食べて社交を楽しんで下さいね、という雑な―――いいように取ればざっくらばんともとれる―――司会者挨拶の後、乾杯の音頭があがる。仕事で来ていることを別にしても飲酒は控えよう、とレオはとりあえずカクテルに一口だけ口をつけてテーブルに置いた。
「…とまあ、あとは適当に回るぞ。少年、何かあったら連絡しなさい」
「あ、ハイ。わかりました」
襟元には一応通信機が付いているが、傍目からは分からないようになっている。二人でチームを組んだとはいえ、情報収集が目的だから二人でいるのは効率が悪い。その為ばらけて適当に会場を回ることになった。そもそもこれは予想がつくことだったから、レオもあっさり納得はする。スティーブンがグラスを手にすたすたと姿勢よく歩いて行く後姿を見ると、大人だなあと今更レオは思った。しかも歩いて五歩くらいの地点で既に女優ともモデルとも思しき女性に声をかけられている。嘘だろ、と呆気にとられたがそのまましなだれかかった女性と共に彼は歩いて行った。
「…じ…人生の縮図を見た…」
虚しい、と呟いた後、さてと周りを見渡すと、何ともはや物凄く華やかな舞台だった。その辺を歩いている人々はどう見ても大企業の重役、社長、モデル、それから王族、そして大株主らしき貫禄のある人物ばかりで、映画の撮影でエキストラにでも受かったのかと錯覚するほどである。SPらしき人物もそこここに配置されている。それをぼーっと見つめながら、さてどうしたものか、と思いながらチーズを抓んで口に入れた。
「…ま、とりあえず仕事しよ。仕事」
そう小さく言って肩を竦めた。ソニックへのお土産何がいいかな、とぼんやり考えつつ。

大体一時間後、レオは頬をごしごしと拭いながら会場を歩いていた。つい先ほど、信じられないことにモデルみたいな女性のグループに囲まれて構われ倒されたところだったのだ。テーブル付近でローストビーフを一切れ食べていただけだったのに。ねえこの子可愛くない、という声を契機として突然数人の女性がどこからともなく現れると、あらやだ可愛いねえ幾つ誰かの付き添いなのお酒飲んだ可愛い可愛い、とあとは推して図るべしともいえる展開が起きた。どうも酔っていたらしい女性たちに弄繰り回されて、最後にはレオの頬にそれぞれキスを落として彼女たちは去って行った。冷静になって考えてみると答えた質問はたった一つ、”お酒飲んだ?”…これだけだった。一口飲みましたよ、と慌てて答えた瞬間にカクテルが手渡された。飲めということですよね、と流石に理解して飲むと黄色い声が上がってたじろいだ。どんなに可愛くてきれいな女性だって酔うとこうなっちゃうんだよなあ、とやれやれと回送しながら会場の隅、バルコニーに向かった。
「…つーか口紅落ちてるのかな…」
キスされたのは初めてではないが、大抵決まった人からしかされないからああいうのは緊張する、と思いながらのろのろとバルコニーに出た。空は非常に澄んでいたが、毎度のことながら霧で覆われているから済んでいようがいまいが余り関係なかった。天気はいいのだろう、頬に夜風が当たって気持ちがいい。さらっとした風だった。
「…はー……」
先ほどの女性たちは勝手に喋りまくって去って行ったからこちらの質問も何もないが、どうもこのパーティーの目的自体がきな臭くなってきた、とレオは思いながら手摺に肘を付いて外を眺めた。巨大な空魚がビルの背面すれすれを飛んでいるのが遠目に映る。
彼女たちが言うには、主催者の周辺近くで何か”よく分からない動き”があるらしい。それが一体どういう”分からない”なのかレオはさっぱり分からなかったが、ともかく何か分からないモノを運搬していたりとか、主催者が最近どうも情緒不安定だとか、ここのパーティーも参加費が不要だったりだとか、そういうことを彼女達は喋っていった。前はよく見ていたSSが主催者の傍にいないとか、料理長が知らない人に変わってる、などという微妙な話も聞いた。不穏なのか、人事異動だよと言われれば納得してしまう内容だから判断が付かない。
(……うーん…)
判断材料が少なすぎるし、そもそも自分たちがここにいる目的も非常に曖昧だったから、レオからすれば何とも言い難かった。ふう、と息を吐きながらくるりとバルコニーから向き直る。手摺に寄りかかりながら中のパーティー会場を見つめてどうしたものか、と再度考えた。一応、これまで聞いた話の内容は毒にも薬にもならないようなものばかりだったが、話の一部一部にたまに胡散臭いそれが入っていたから、何だかやっぱり、とレオは思った。
(……なんかがあるっちゃあるんだけど…)
ただその”なんか”が分からない。万事休す、と思いながら持ってきたグラスを傾けた。さっきカクテルを飲んだからアルコールを控えて炭酸を飲んでいる。嫌いじゃないけど強くないし、と手摺に寄りかかったまま、背後に広がる夜空を振り向いた。ビルの灯りがきらきらと瞬いている。
「……綺麗だなあ」
そう呟いた時だった。きい、というドアが開く音がしてそちらに目を向ける。正面にある、レオが入ってきたバルコニーの入り口から男女の姿が確認できた。おっとと慌てて手摺に寄りかかっていた身体を起こす。ここは無言で立ち去るのが礼儀だろう、とそっと正面を、見た。

――――あ。

女性の方は見知らぬ女性で、長身で透き通るような長い髪、胸元と背中が大きく開いたドレスを着用していた。一見すればモデルか女優のように見える。美しい女性だった。
問題は男性の方だ。男性も何もない、どう見ても先輩であるザップ・レンフロだった。

恐らく目が合った瞬間お互い『あ』とは思ったのだ。特にザップは露骨に目を逸らしたから確実にこちらに気が付いている。一方、レオはザップだと気が付いたし、ザップがこちらに気が付いたことにも気が付いたが、存外動揺せずに済んだ。それでもぎくしゃくと身体を動かしながらグラスを持ち、そっとバルコニーから立ち去るべく足を進める。ここで何か言おうものなら仕事が台無しである。
そっとドアを潜ると後ろ手にドアを閉めようと手を動かす。ドアが閉まる直前、女性の声が聞こえた。甘い割に軽やかな、少しだけ酔っている声だ。そっと後ろを見るとバルコニーの手摺にもたれた二人の後姿が見えた。女性はどう見てもザップに寄りかかっていて、後ろから見ればただのカップルに相違ない。
「………や、」
仕事だから、ともそもそと小さく独り言を呟いてのろのろと足を進めた。だとしてもあんなに露骨に目を逸らすことなかろうに、とちょっと溜息を吐いて空のグラスをウェイターに預けた。
「…………はあ」
ロビーに足を向ける。「…いやだから仕事だってば」ぶつくさとそう独り言を唱えながらロビーにある、花に囲まれたソファにすとんと座った。「…あー…」無意味な言葉が口から漏れる。

―――ていうか、あれが普通なのだ。

そう思ったら何だか落ち込んだ。別に男だからとかそういう意味で言っている訳ではない。自分はともかくとして先輩は、ザップは非常にモテるし、未だにレオは自分がなぜ好かれているのかよく分からなくなる時がある。恐らく、というか確実に好かれているのは分かるけれど。理由が。
理由が分からない。

「…お疲れですか。レオナルドさん」

その声にぱっと顔を上げる。どうも、と言いながら目の前でにこやかに微笑んでいるのはギルベルトだった。「ぎ、」ギルベルトさんと思わず驚いてそう言うと、いつものような笑顔でギルベルト・F・アルトシュタインは会釈をした。
「待機してたんじゃなかったんですか?」
「当初の予定はそうだったのですが」
それはそれで退屈なので、と冗談ともとれるそれを穏やかに言って、ギルベルトは目を細めて困った様に笑った。「坊ちゃまのこともございますから、参ることにしました。するとこちらにレオナルドさんが見えましたので」
首尾はいかがですか、と聞かれてぼちぼち、とよく分からない答えを返した。頭を掻きながら何か上手い言葉はないかと考えたが、結局まあまあです、と伝えたところで俯いた。きょとんとしたらしい、ギルベルトは怪訝な様子でどうかされましたかと首を傾げた、らしい。その声に慌てて顔を上げた。
「や、いや。な、何でもないです。その―――、少し、緊張したっていうか」
てゆか座って下さい、とレオは慌てて立ち上がってそう言うと、これはどうもとにこやかに笑い、ギルベルトは失礼しますと丁寧にレオの隣に座った。そんなに丁重に扱われると緊張する、とレオは思いながら自分も再度着席する。それにしても未だ先ほどの事が頭を占めていたので、慌てて頭を振った。
仕事中だ。完全に私情が入っている、とレオは脳内で呻いて気持ちを切り替えた。そんなことにかまけている場合ではない。そもそもあちらも仕事なのだから、自分が落ち込む道理はないのだ。
「…レンフロ氏に叱られでもしましたかな」
へ、と顔を上げると笑顔のままのギルベルトにハンカチを手渡された。「頬に」慌てて頬を拭う。真っ白なハンカチに薄く口紅が残っていた。「あちゃー…残ってた…」小さくそう呟いてごしごしと拭う間、ギルベルトは無言で待っていた。辺りはパーティーの喧騒に包まれていたが、なぜか余り気にならなかった。

「…すみません。有難うございました」
そう言ってハンカチを畳む。「洗って返します」そう言ったがいえいえ、と丁重に断られてひょいとそのままハンカチを引き取られた。大丈夫ですよ、と言いながら懐に仕舞う仕草は、流石と言うべきか非常に様になっていた。
「…目立ちました?」
「いいえ。よく見ないと分からない程度でしたが」
彼は貴方のことになると目の色が変わるので、と執事はおかしそうに言ってにこやかに笑った。その言葉は今のレオにとってかなりの爆弾だったので、思わずたじろいだ。レオのそんな様子に、ギルベルトは不思議に思ったらしい。彼の目を見て、レオは益々慌ててしまった。
「あ、あの、……や、何でもないんです。…その……あの人って、」
そんなに違いますかね、とふと気が付いたら聞いてしまっていた。あー何聞いてんだよアホなのかようわあ、と脳内で冷静な自分がのた打ち回り始めたが、口にしてしまった言葉は元に戻せない。そんな葛藤が表情に出ていたのか、ギルベルトはまたおかしそうにくすくすと笑った。いつもながら、和やかな笑みの中には僅か稚気が含まれている。
「…違いますねえ。損得関わらず、レオナルドさんのことになると」
「そ、…それはいくらなんでも…」
「まあ多少誇張の気はあります」
そう言われて脱力した。そんなレオをにこやかに見つめながら、ですからそんなに落ち込むことはないでしょう、とギルベルトは続けた。「叱られたとしたら、ですが」付け加えられたそれは、違う場合は容赦してほしいという意味があるのだろう。のろのろと顔を上げて、すみません、と思わず言ったレオにギルベルトがきょとんとした顔をした。いかに包帯でぐるぐる巻かれていても、表情くらいは分かるものだ。
「…あの――――その、…気を使わせて」
「いえ。レオナルドさんこそお気使いなく」
お若いと色々とあるでしょう、と言ったギルベルトはまた静かに微笑んだ。レオはこの老練の執事のことを殆ど何も知らなかったが、ネズミが苦手だとか入れてくれるコーヒーがめちゃくちゃ美味しいとか、その他一緒に仕事をしていて知っているところは僅かながら、ある。それを思い出しながらちょっとごくん、と唾を飲み込んで、あのう、とそろそろとレオは言った。
「はい。どうされました」
「………………………ギルベルトさんから見て」
僕とあの人って変じゃありませんか、と早口で、しかも低い声でレオは言った。声の大きさも普段より小さい。だから自分でもまずったな、と思ったがギルベルトにはきちんと聞こえたらしい。少しだけ驚いたようにギルベルトは目を見開いた。
「………気にしてらしたのですか?」
そう言った声は珍しく驚いているように聞こえる。レオはのろのろとそこでやっと顔を上げると、情けない顔をしながらギルベルトのことを見つめた。
「…その。…まあ……だって、…お…おかしい、でしょう」
「おかしいと言うのは」
「………お、男同士だし。それに」
レオはそこで黙る。けれどギルベルトは何も言わなかった。レオも黙った理由は、それを言いたくなかった訳ではない。ただ単に言葉が見つからなかっただけだ。だからギルベルトも何も言わなかったし、聞かなかったのだろう。
少し逡巡したあと、結局レオは頭を掻きながら口を開いた。
「…僕はこんなですけど、…ザップさんは格好良いし、…女の人と一緒にいるのが似合うから」
おかしいのかなって、と小さな声でレオは言った。言ったあと何だか泣きくなってしまった。それは恐らく自分の中で意識していないウィークポイントだったのだ。他人から指摘されるまでもない。
分かっているのに見ないふりをしていただけに過ぎない。
「……それは」
皆さん思っていらっしゃると思いますが、とギルベルトが言った瞬間にレオは思わず自分の動きを止めた。心臓が、息が、あらゆる箇所が停止した感覚に襲われる。…やっぱり。やっぱりそうなのか、とそこで本当に泣きたくなった。
しかし。

「…あなたがおっしゃっているのとは反対の意味で、ですが」

そうギルベルトが言ったので、レオは別の意味で動きを止めた。「…はい?」そう言いながら顔を上げると、にっこりと微笑んでギルベルトはレオを見つめていた。
「…申し訳ありません。意地悪な言い方をしました」
そう言ってそっとギルベルトがハンカチをレオの目元に運ぶ。「え」その時気が付いたが目の端に涙が浮いていたらしい。「わ、あ、」慌てている間にもレオの涙が優しい手つきで拭われる。
「…は、…んたい?って……どういう、その…」
「…私ごときが口を挟んでいいことではありませんが。…まずミスターオブライエンが一番分かり易いですな。いつもおっしゃっているでしょう。なぜレオナルドさんがあんな人と―――、ああ、これは彼のおっしゃっているそのままですが」
そう言うと悪戯っぽく執事は笑った。「…お付き合いされているのか分からない、と」ふふ、とギルベルトは思い出したのかおかしそうに言った。
「…チェインさんも顕著ですし、スターフェイズ氏もその気はありますな。レンフロ氏に対して少年…レオナルドさんのことですね。…を、大事にしろと再三おっしゃっているのを私は何度も拝見してます」
「…スティーブンさんが?」
レオはそう言って怪訝な顔になる。「ええ。電話でおっしゃるくらいなのですからよっぽどですな。大抵通話が終わった後、なぜあいつに少年は付き合えるんだろうな、とよく坊ちゃまに話されております」「……………。」それはそれで面映ゆいものがあったのでレオはちょっと黙って俯いた。恥ずかしい。
「ああ。エイブラムス氏もついこの間おっしゃってましたよ」
「へ?エイブラムスさんが?」
この間と言ってもレオは会っていない。事務所に来るには来たらしいが、レオはザップとチェインと別件の仕事の調査中で会えなかった。事務所に今エイブラムスさんが来ている、と報告中に電話で会話したスティーブンの声は微妙に引き攣っていて、後ろからは本当この街は危ないなあという豪快な声が聞こえてきたのをレオは覚えている。チェインとザップに言った結果、調査中だしもう暫く事務所には帰らないことにしよう、ということで意見が満場一致した。恐らくその時のことだろう。
「な、なにか。あの人まで」
「ええ。付き合うのはいいが眼を傷つけないようにしろと言っておけと」
「……………。」
物凄く彼らしい台詞だったのでレオは思わず眉間を押さえた。い、いや分かるけど。すごい分かるけどソレ。……いやあ?いや…わかるけど…。
それをおかしそうに見ながら、ギルベルトはふふふとまたおかしそうに笑う。「…で、でも僕それ聞いてないですよ。エイブラムスさんの」「ああ」それはあなたではなく、とギルベルトはゆったりと言った。

「…レンフロ氏への伝言ですよ」

―――俺の眼のことなのに。
「…ざ、っ……ぷさん、に?」
「ええ。……しかも内容がそれですからね」
皆さんお二人のことをよく見ていらっしゃるんですよ、とまたギルベルトはおかしそうに言うと首を少しだけ、傾げる。彼の灰色の髪がわずか揺れたが、レオはそれどころではなかった。―――そ、そんな感じなの?
―――みんな?
そうレオが思ったのを察した訳でもないだろうが、ギルベルトは微笑んだまま、僭越ながらと静かに口を開いた。「…私もお二人を見ていると思うことはありますけれどね。…レオナルドさんは彼のどういったところがお好きなんですか?」
「え」
そう言われて思わず目を開けてしまった。ぱかっと開かれた目はきらきらした義眼が、この世のものでない力によって埋め込まれている。それをまじまじと見返して、ギルベルトはおお、と少し驚いたような顔をした。確かにそんなに見る機会はない。
「…え、っと………か、…かっこいい、じゃないすか。あの人。…色々と」
逡巡しつつもレオはそう言った。大抵そう言うと怪訝な顔をされるか、呆れた顔をされるか、もしくはチェイン辺りなんかは苦虫を噛み潰したような顔になる。けれどギルベルトはふむ、と納得したように顎に手を当てて頷いた。
「お仕事には非常に真面目な方ですしなあ。…それにあなたやミスターオブライエンに対して、口ではあのようなことばかりおっしゃいますが、面倒見がとてもよろしくていらっしゃる」
「……!そ、」
そうなんですよ、とレオは思わず顔を綻ばせてしまった。そんなことを他人に言われた事は、ない。辛うじてクラウスくらいだが、大体それを言った直後別の誰かからツッコミが入るし、照れ隠しなのか、ザップ自身がんな訳ねえだろと言って否定するのだ。
「…俺のこともツェッドさんのことも、ちゃんと面倒見てくれるし。それに色々助けてくれるし、でも甘やかすとかそーいうのはないんですよ。ちゃんと、境界っつーか出来る出来ないとか、そういうライン見極めてくれてるんですあの人。あと仕事はマジですっげー真面目だし、愛人と揉めてる時も一応こっちに顔出すし、あと俺のこと、……ちゃんと」
ライブラだって認めてくれてるし、と言った後にはっとした。瞬時に顔を真っ赤にしながら慌てて手をぱっとギルベルトの前に出すと、ギルベルトが眼をぱちくりとさせた。レオは俯いていたから見えなかったが。
「…っや、ややややすいませんいきなしテンション上がって。そ、その。普段そんなこと言ってくれる人いないからつい」
すいません、と早口で言ったレオを見て、ギルベルトは呆気に取られたといった顔になった。予想外とでも言いたげな顔だ。
けれどもすぐにくすくすとギルベルトは笑い出した。思わずといった、堪え切れないように出したその笑みを見て、レオの方がぽかんとする。

「…いえ、……そ――、…失礼。…よいですなあ。…レオナルドさん、あなたは」

本当に彼がお好きなんですな、となぜかそこでそう、ギルベルトは言ってくすくすとまたおかしそうに笑った。「………え。…あ…」レオは呆気に取られたが、結局視線をうろうろと彷徨わせ、頭を掻き、俯きながらものろのろと口を開く。
「……ええと。…そ、…そうすね。…好きです」
「……なら」
いいでしょう、とギルベルトはゆっくり言った。「…いいって」何がですか、とレオが言う前に、ギルベルトはよろしいではないですか、と続ける。
「…あなたがレンフロ氏をお好きで、彼もあなたがお好きなら。…他人にどうこう言われるお話ではありますまい。…たとえ誰かがあなた方に文句をつけたところで」
レンフロ氏がそれを聞くと思われますか、とそこで珍しく苦笑してギルベルトは首を傾げる。「……それは」言われてちょっと想像する。たとえば誰かに、見知らぬ人でも知っている人でも誰でもいい。ザップとレオが付き合っていることがおかしいから、別れろよと言われたと、したら。
「…………消し炭にしちゃうでしょうね。ザップさん」
「でしょう」
思わずぞっとしたように言ったレオを見て、ギルベルトがまたおかしそうに呟いた。それを聞いてレオは顔をギルベルトの方に向ける。「………。」黙って彼のことを見つめると、執事はレオのことをひどく優しげに見つめて、結局またにっこりといつものように穏やかに、和やかに笑った。春みたいに。
「………あの、ギルベルトさん」
「はい。なんでしょうか」
「……ありがとうございます」
そう言って頭を下げたレオのことをギルベルトは見つめると、とんでもない、と一言だけ言ってまた、笑った。



パーティ会場はいまだ盛り上がっていた。とは言え既に最高潮の時間は過ぎたらしい。少しだけ会場内の曲はシックなものに変わっていた。中央にいる人々も少なくなっているし、テーブルの上にはデザートの類が多くなってきたようだ。代わりにワインを持って立つウエイターの数は増えている。
ではまた後程、とギルベルトは言うとすたすたと姿勢よく会場内を歩いて行く。招待客というよりはホスト側の人間に見えるのは、執事という職業柄のせいなのだろうか。そうレオは思いながら彼の後姿を見つめると、ありがとうございますと小さく呟いた。聞こえていないのは百も承知だ。
「…かっこいーな」
ホータイグルグル巻きだけど、と全然関係ないことを呟いて、レオはスティーブンを探すべく会場内を見渡す。こういうやり方はあんまりヤなんだけど、と思いながらそっと義眼を開いてスティーブンを探す。足を使った方がいいとは分かっていたが、時間が惜しかった。通信機も非常時以外はなるべく使いたくないのだ。
「…あ。いた」
直後眼をばちんと閉じる。一体何がきっかけでこの眼のことがバレるかは分からないし、使えば使うだけ体力を消費するから、積極的に使いたい能力ではない。これはライブラにとってもレオにとっても切り札なのだ。

そっとスティーブンの後ろの方に近寄る。それをすぐに察して、失礼、とスティーブンはさり気ない動作でこちらを振り向いた。流石、と舌を巻いたレオの隣にひょいと上司が顔を出した。お疲れ様です、と言いそうになって慌ててレオは口を噤む。今その言葉は不自然だと思ったのだ。
「…そう緊張しなくていい。大丈夫だ」
何が大丈夫なのかは今一レオに分からなかったが、はあ、と言いながら顔を上司に向ける。いつもより少しだけ俗っぽい様子でスティーブンは笑うと、飲んでるのかいと雑談と思しきそれを口にした。「あ、えっと、少し。…酔う程じゃないですから」「いいよ別に」何も言ってないだろ、とスティーブンは苦笑して小さなグラスを傾けた。
そこでスティーブンの隣に見知らぬ女性が現れた。やあどうも、と軽やかな笑みを浮かべる上司を見て、こりゃ邪魔だなとレオは思ってそっと立ち去ろうとする。しかしついさっきまで二人で話していたのに突然いなくなるのも何だか不自然だ。それに気が付いて身動きが取れなくなった。どれが正解なんだ?困ったな、と思っていると女性の方がレオにちょっと目を向けた。不思議そうな顔でどういうご関係なの、とスティーブンに首をかしげている。
「………、………甥です。…僕の兄の息子で」
そうスティーブンが言うのを聞いて吹き出しそうになるのを必死にこらえた。確かに見た目からしてそれくらいが一番いい、とは思ったがぱっと顔を背けたレオは慌てて誤魔化すためにグラスを手に取った。それから後二言三言背後から会話が聞こえたが、女性はその後どこかに去って行った。ハイヒールの音を聞いて、やっとレオはスティーブンの方を向く。
「………少年」
「だ、だだだ、だって…っ、お、甥って………、……や、やや、そ、そーなんすけどね?流石に息子は無理がありますし」
「ははは。君が僕を怒らせるなんて珍しい」
そう言ってぺちんと一発デコピンされた。口調の割にスティーブンは全然怒ってはいないようだったが、珍しく拗ねたように肩を竦めてポケットに手を突っ込む。「…だって他に何て言えばよかったんだ」「……家庭教師と生徒とか?」そう考えて言ったレオに、ああまあそれなら妥当かなあとスティーブンは合点したように言った。
しかし突然レオの襟が後ろから引っ張られてわあ、とレオは変な声を上げた。近くにいた客達が怪訝な顔をしたが、タイミングよく音楽が変わったので皆そちらに気を取られたようだ。けれどレオはげほげほと少し咳き込んで後ろを見上げた。同時にスティーブンが呆れた顔をする。
「……ザーップ。子供かおまえは。やめなさい」
「子供で悪かったすね」
伯父さん、と言いながらレオの顔を上向きにさせているのは誰であろう、ザップだった。どうもその口調からさっきの話を聞いていたらしい。スティーブンは物凄く嫌そうな顔をした。
「僕はおまえのような出来の悪い甥を持った覚えはない」
「結構ノリノリじゃねーかアンタ」
そうびしりとツッコミを入れたザップをぼーっとレオは見上げた。
「……ザップさん」
なぜか久々に会った気がする。つい一時間程前に会ったばかりだ。首根っこを引かれたことよりも、懐かしさが先に立ってしまったのでレオは変な体勢のことを責めそびれてしまった。
「なんだ」
どうした、と言いながらひょいと顔が離される。代わりにくるりと身体ごとザップの方を向かされた。「…………。」そこでザップは先ほどバルコニーでレオと会ったことを思いだしたらしい。微妙に気まずそうな顔になった。そんな顔をされるとレオはレオで変に気まずくなる。だからやっぱりレオも困った顔になった。自然と黙って向き合う羽目になる。
こらこらとそこでスティーブンが割って入った。「…だからどーしておまえたちいつもそーなんだ。大体ザップお前、クラウスはどこだ?」「え」そこで初めてザップがきょとんとした顔でスティーブンの方を振り向いた。
「さあ。最初しか一緒にいなかったんで」
そう言ったザップのことを半眼で見つめると、まあいいかとスティーブンは溜息を吐いた。「…まあ、とりあえず大体の目的は果たせた。…そろそろかな」そうレオにとっては意味不明なことを言うと、スティーブンは腰に手を当てた。「…ザップはどうだ」「どーだも何も」ザップはそう言いながらもレオのことを離そうとはせずに肩を竦めた。
「…でけー声じゃ言えねーっすけど。ここおかしいっすよ」
きっぱりとそう言ったザップを見て、スティーブンはなぜかおかしそうに笑うと、そうだなと簡単に肯定した。対照的にザップは怪訝な顔をしたし、レオも変に思った。そうだなって。
「…なんかスティーブンさん、」
分かってません?とレオが首を傾げた瞬間だった。ばん、という大きな音がステージから聞こえ、次いで窓ガラスが一気に割れる音が大音量で聞こえてきた。「わっ!?」当然そう声を上げて思わず身を竦ませたレオの肩が掴まれて無理矢理ザップの背に追いやられる。ただし肩から手は離れない。むしろ器用にもザップの方に引き寄せられたので、わわわとまたレオは声を上げる。慌てて掴まった先輩のスーツからは、ちょっとだけ香水の匂いがした。
「ざ――――、」
ザップさんと言ったレオの声はばん、というバックファイアのような音に掻き消された。「…一応言っとくけどよ、…離れんなよ!」ただし基本は自己責任だ、と続けられたその声は既にいつも仕事中によく聞く彼の声だった。
「は、」
はい、と言ったと同時にレオの身体が後ろに引っ張られた。「ぎゃあ!?」そして次の瞬間。

鋭い視線と共に、怪物がレオを引っ張った誰かに対して血の切っ先を向ける。
モンスターのようなレオの先輩の雰囲気は、今まで見たことがないくらい静謐そのものだったが、しかしその視線を捉えてレオはぎょっとした。まるで炎のように、恐ろしく光っているように見えたからだ。

しかし刃の切っ先はぴたりと止まった。「…落ち着け」ザップの向けた刃が自身の額すれすれに届いているというのに、そう言って呆れた顔をしているのはスティーブンだった。「………、」自分の上司だと分かりはしたが、ザップは顔を顰めてすぐに刃を引っ込めた。「…趣味わりーことしないでくださいよ」「…悪いな」見縊ってた、とスティーブンはおかしそうに言うと、呑気にも笑った。
「ちょ、そ、それよりスティーブンさん、どう―――」
白煙に包まれ始めた会場に指を向け、そう言ったレオの肩を掴んだまま、スティーブンはああ、と頷いた。「ザップ。僕はこのままロビーに出る。お前は窓際の方をやれ。目印はもうついてる」「目印?」そう言ったザップの横にすとんといきなり誰かが現れたので、ザップではなくレオが声を上げた。
「…合計三十六人でした」
そう静かに呟いたのはチェインだった。白煙を鬱陶しそうに払いのけながら、大体後ろ襟につけといたから、とザップのことを見ずにチェインが言うと同時に、ついに会場の電源が落ちたらしい。悲鳴と混乱の中、パーティ会場は一気に暗闇に包まれた。
「な、…灯り――――」
「少年。ゴーグルは持ってるか。僕が指示したタイミングで君の眼を使ってくれ」
「え?あ、はあ…?あの、それより今一体何がどうなって」
そう言いながら慌ててゴーグルをつけたレオの肩から、上司の手はいまだに退けられない。口調とは裏腹に、どうやらスティーブンは周囲を警戒しているらしい。ザップはそんな上司に不満げな目を向けたものの、不承不承と言った様子で口を開けた。
「…何だか全然わけわかんねーんすけど」
とりあえず最初に光ってる奴らか、とザップは次いでチェインに怠そうに聞いた。「…そ。特別蛍光塗料だから、発光だけじゃなくて点滅もしてる」「…”武器庫”も下んねー仕事引き受けてんな」下んなくて悪かったな、とスティーブンは顔を顰めてそう言うと、じゃあ頼むぞ、と続けた。何が何だかレオはさっぱり状況がつかめなかったが、とりあえずゴーグルを装着したまま辺りを見渡した。
レオの眼でなくてもそれはよく見えただろう。暗闇の中、小さなポインターのようなものが見える。ちかちかとまるで星のように光ってはいたが、どう見ても人工的なそれだった。「………?」くるくると動き回っていたり、下の方で動かなかったりしているところを見ると、どうやら人間にくっ付いているらしい。
んじゃ行きますけど、とそこでザップが言ったのが耳に入った。「あ、」会話の流れからするに、その発光物が付いた人間をどうにかするのがザップの仕事らしい。そう察したレオは慌ててザップの方に顔を向ける。白煙に包まれているとは言え、流石にこの距離だからここにいるメンバーの顔くらいは見える。
「…スターフェイズさん」
しかしレオが口を開く前に先にザップの方が口を開いてしまった。「?」なんだ、とスティーブンが首を傾げる。ちなみにチェインは既に煙に紛れながら姿を消していた。恐らく既に会場の外だろう。
ザップは嫌そうな顔をしていた。眉間に皺を寄せ、明らかなる苦渋の決断を取った、と見える表情だった。

「……レオを頼みますよ」

そう言った次の瞬間、スティーブンの返事を待たずにザップは白煙の向こう側に消えていった。「…………。」呆気に取られているレオの後ろで、スティーブンがまったく、と呆れたように、けれどもおかしそうな声でそう呟いたのが聞こえてくる。
「…若いなあ」


飛び乗るように乗った後にぎゅうと反対側のドアに押し付けられて悲鳴を上げる。「…出します」ギルベルトのその声に返事をする間もなく、乗り込んだ車が発車した。むぎゅ、と呻いた後に腕を引っ張られて起き上がらせられてから慌てて後ろを振り向くと、白煙の中、スティーブンの車が反対方向の道に走っていくのが見えた。
「………、」
レオに気が付いたらしい。スティーブンがひょいと手を上げて目配せすると、そのままハンドルを切っていく。飲んでると思ってたけど、アレってふりだったのか、とレオは今更彼から一切アルコールの香りがしなかったことを思い出した。
「………は〜〜〜……」
そう、疲労感たっぷりの声を出して座席に戻ったレオの横で、背広を脱いだザップも息を吐いた。
「…疲れた………」
「…そりゃこっちの台詞だ。どーすんだこれ」
そう言ってひょいと取り出したザップの手には背広がある。真っ白だったそれはとっくに煤だらけになっていて、しかもところどころほつれている。ザップもレオも自前のスーツなんぞ持っていなかったので、レンタル品だった。「…経費で落ちるんじゃないすか。それは」「…おめえのそれも金具壊れてんじゃねーの」そう言いながらザップがレオの蝶ネクタイに手を伸ばした。確かにネクタイは外れて襟元にただぶら下がっているだけになっていた。あちゃあという顔をしたレオのそれに手を伸ばしていたはずのザップの手はそこでいったん止まると、なぜかレオの顔に向かってきた。「?」きょとんとしたレオの頬に手が触れる。
「………………。」
ザップはレオのことを見つめたまま、ぐいと無言でレオの頬を指で軽く拭った。「わっ」「………煤」ついてた、とザップは言った後になぜか笑って、それから煙草を手に取った。「…………。」何度もされているというのに、思わず無言で先輩の顔を見つめてしまったのは、車の外から照らしてきたライトの光に彼の銀髪が反射してひどく美しかったからだ。気だるげに笑ったその顔だっていつもと同じはずなのに、いつもと違う格好のせいなのか、それとも一仕事終えたばかりだからなのか、ザップの頬についている煤のせいなのか、その姿はいやに綺麗にレオには映った。
無言でいるレオを見て、なんだよ、とザップはおかしそうに笑ってちょっと首を傾げる。それからまた頬に手が伸ばされたのでちょっと焦った。「あ、まだついてます?どこに」「……ついてねえよ」そう言われたあと不審に思って顔を上げたレオの唇が、ゆっくりと塞がれる。思いつきもしていなかったこの展開に、レオは固まってしまっていた。
「――――、な、」
口が解放されたあと、なに、と言いながら慌てて少し仰け反った。「…したくなった」ザップはそう軽く言って笑うと、煙草を今度こそ口に咥える。「………………、」言っていることは分かったが、それをすぐに行動に移す勇気と言うものを殆ど人というのは持ち合わせていない。なのに、それをいとも簡単にやってのけるのがこの男だった。

「……申し訳ありません。お二人とも」

その声を聞いて、レオは飛び上がらんばかりに驚いた。そう言えばここは車内だった。レオとザップがこうやっている間にも、車はすごい速度で警察を振り切りながらライブラ事務所に向かっているのだ。
ギルベルトの笑顔はいつもと比べて苦笑気味ではあったが、それでも穏やかなのは変わらなかった。バックミラーに映ったそれを見てレオは思わず顔を赤くして黙ってしまった。どう考えても見られていたに決まっているからだ。「なんすか」ザップはいけしゃあしゃあと厚顔無恥にもそう返事をしていたが、レオは口を押さえたまま俯いてしまう。つい二時間程前にギルベルトにあんな話をしたばかりだというのに、気まずさは最高潮だった。何が不安なのだ。レオがギルベルトの立場だったらむしろ惚気られていたのか、とでも思うような相談だった。
「スターフェイズ氏から通信が入っております。レンフロ氏にお繋ぎしてほしいと」
「俺かよ」
何で旦那じゃねえんだよ、と助手席に座っているクラウスを睨むようにして無線機を受け取る。「すまないなザップ。私は先ほど既に話している」「…そこはクラウスさんが謝るところじゃないと思うんですが…」顔を赤くしたままではあったが、思わずクラウスにレオはそうツッコミを入れてしまっていた。「?」そうなのか、とでも言いたげな顔でクラウスはレオの方を振り向いたので、いえなんでもないです、とレオは手をひらひらとさせた。
「……レオナルドさん」
ザップが無線で何事かスティーブンと会話を始めたと同時に、ギルベルトに名前を呼ばれた。「へ。あ、は、はい」「そう萎縮なさらずに」苦笑しながら見事なハンドル捌きを見せるギルベルトは、至って普通の声色で、至って普通の表情で穏やかに口を利いた。

「………どうですか。目の色が違うでしょう?」

そう言われてぽかんとしてしまう。「?」なんのことだ、というクラウスの表情を見ながら思い出した。花に囲まれたソファの上で、ギルベルトに言われたことだ。
――――…違いますねえ。損得関わらず、レオナルドさんのことになると。
「…………あ」
はい、と言った自分の声はちょっとだけ照れていて。
けれども嬉しそうだったから自分に呆れてしまう。流石に照れたから頭を下げてしまったけれど、バックミラーを見るでもなく、ギルベルトは笑顔でいるんだろうとレオはそう思った。



大捕物でしたねえ、というツェッドの声はいやに呑気に聞こえた。「ぬゎーにがでしたねえ、だよバカ。こちとら煤まみれで走り回んなきゃなんなかったんだぞてめえ」「仕事でしょうに。別に僕だって遊んでいたわけじゃありませんから」真顔でそう言ったツェッドに、けっとザップは悪態を吐いてやれやれとでも言いたげにネクタイを緩めた。
「………。」
ちょっと惜しい、と我ながらバカバカしいことを思いながらレオもネクタイを外してサスペンダーを下ろす。疲れた、と息を吐きながらソファに座って、それで結局とレオは言いながら首を傾げた。
「…今日の仕事内容は具体的になんだったんすか?今一俺全体図がつかめてないんすけど」
「ああ?そりゃおめえ、………、……………、」
なんだったんだ、とそこでザップがツェッドの方に目を向けたので、がくりとツェッドは肩を落とした。「な、なぜわからないのにわかっているふりを…」そこは格好をつけなくていいでしょう、とちょっとツェッドはレオを見て言ったので、当然ザップはちげーよとすぐに否定をした。ただし少し焦った口調だったので、レオは思わず笑ってしまった。すぐにデコピンされたが。
「とは言え僕も残党を捕まえただけなのでよくわかってないです」
直後淡々とツェッドがそう言ったので、オイコラお前な、とザップがいきり立った様子で立ち上がった。「んっだよそれは。俺よりひでーじゃねえか」「それには全面的に反論します」「ちょっともー、やめてくださいよ二人とも。疲れてるでしょーが」ぎゃあぎゃあと騒いでいる三人のところにはいはいはいはい、と言いながら参謀がとことことやって来た。呆れた顔をしている。
「お前ら元気だなあ。もう一仕事してくるか?」
僕はもう眠い、と珍しく欠伸をしたスティーブンに、冗談はやめろと三人で顔を顰めてしまった。揉めるだけの元気はあるのに、上司に反論する程度の元気はなかった。

スティーブンの話をざっとまとめると、あのパーティに参加していた三分の二の人員は、”偽物”――――つまり主催者が招待した人物ではなく、ライブラ関係の人々だったらしい。全員が全員ライブラのメンバーというわけではないが、それでもこちらの息がかかった人員であることは確かだそうだ。嘘だろ、とそれを聞いて最初に声を上げたのはザップだった。
「だって俺が知ってる顔誰もいませんでしたよ」
「お前が知ってる人間は殆ど違う場所に配置したからだろ。…ちなみにザップ。お前が途中でバルコニーに一緒に出た彼女はCIAだ」
「し、」
CIA?と思わず言ってしまったのはレオだった。「………あー…」どおりで、と言ってザップはぐったりした様子でソファに寄りかかった。「なんっか隠してんなとは思ったんだよな…慣れてるっつーか掴めねえってーか………」そう言ったあとはっとしたような顔になったザップはがば、と途端にソファから身を起こしたのでレオがわあと声を上げた。隣に座っていたからである。
「今の聞いたな?別に俺は口説いてたわけじゃねーからな?てゆか仕事だろーがバカ」
「は、はあ?なんで俺が今そん…てか今俺はなんも言ってないじゃないすか!」
「あんっな顔しといて何言ってんだバカ。…あ、待てよ。大体あの後おめーも女どもにキスされてたじゃねーか!」
「は!?み、……見てたんすか!?」
ふんとそこでザップは鼻を鳴らしてふてぶてしい顔をした。「てめーがにやけたアホ面してるとこまでは見えた」「あ、アホ面ってあんたね。別に俺も遊んでいたわけじゃ」
言い合っている二人の向かいにはツェッドが座っている。「…………あのースティーブンさん。お二人は放っておいて僕にだけ説明をお願いします」その声にレオは慌てて顔を上げる。友人で後輩は死んだ目をしながら上司に向かって挙手していた。
「あ、ちょ、す、すんませんちょっとザップさん離れてください!言い訳はあとで聞くんで!」
「だ…っれが言い訳だコラ!むしろてめーだろ言い訳は!」
「はいはいちょっと黙れお前ら。僕はもう眠い」
二度目のそれを言ったスティーブンはまた欠伸をした。「…夕方も言ったけど」そう言って呆れた顔をした上司は首を鳴らして半眼になった。
「…飽きないのか?」
言外にはそんなに一緒にいて、というそれと、それからそんなにケンカばっかりして、という意味が含まれているのだろう。レオは反論しようと口を開いて、それから瞬時になんて反論すればいいのか悩むことになった。――――飽きないって。
飽きないってただその一言を言えばそれで済むはずなのに。

「…飽きませんよ」

俺もこいつも、というその声にはっとする。顔を上げたがザップこそ呆れた顔でスティーブンを見つめていた。「…そんなことあるわけないでしょーが」そう言った後、な、と言いながらザップは当然と言った様子で目をレオに向けてきたので、レオは数瞬黙ってはしまったが、結局こくんと頷いた。それを見てほら、とザップは言いはしたものの、その言い方はいたく嬉しそうだったので、レオは結局気まずくなって俯いた。
呆れた気配を二つほど感じたので、余計だ。


そのあと更に説明を受けたところによれば、どうやらパーティの主催者が今回の事件のターゲットだったらしい。怪しげな薬やら兵器やらを取引していたのは確かだったようだが、どうして中々証拠が見つからない。しかも悪どい組織がよくやるように蜥蜴の尻尾切りばかりで、組織の実態も分かっていなかった。今回の作戦は、遂にその首謀者をお縄にするための決行日だったそうだ。ライブラだけでなく、警察や先ほどスティーブンが言ったようにCIA、それから公安など色々な組織が絡んでいたらしいが、どの程度まで公的な協力なのかレオにはさっぱりわからなかった。そもそも、一般的にライブラが非現実的な組織という認識ならば、最初から全て裏側の話なのかもしれない。考えても詮無かった。だから言ってしまえばすべて上司達の手のひらの上でうろうろしていたようなものだ、とレオは帰宅している途中で思った。ライブラですと言ったところで、言った相手の大半にはそれが最初から伝わっていたのだろう。伝わらない相手がその組織の人間なのだ。無論、本当にレオやザップがライブラの構成員とは隠しての協力要請に決まっていた。白煙の中逃げようとしていた主催者を見つけたのはレオの”眼”だったのだが、その間もスティーブンがずっと近くにいたのでレオ自身に危険はなかった。クラウスはクラウスで別の首謀者を片付けていたから、つまり最初からレオの役割は”逃げようとする主催者を発見すること”だったのだ。そしてスティーブンは”レオの護衛”であり、チェインは情報収集の中で特定した”組織員に印をつけること”。K.K.やツェッドは運よく逃れた構成員の”拿捕”でありギルベルトは”会場からの逃走”。そしてザップが一番分かり易い。”組織員を全員捕らえること”。
「…………分かり易くはあったけどな」
やり難くてしゃーなかったわ、とくさくさした様子で言った先輩は息を吐いてエレベーターの中で伸びをした。「?そうなんすか?」「殺しちまうんなら力加減なんざ考えなくていーけどよ。今回捕縛が目的だったろ?殺さねーようにするっつうのは加減が難しんだよ」結構怖い話だった。レオはそうですか、と引き攣った声で言った後、エレベーターから降りた。外はすっかり深夜どころか、早朝に近い。
「…あー疲れた。…やっぱ事務所泊まった方がよかったすかね」
「いや事務所じゃ出来ねーだろ。さっさとおめえんち帰るぞ」
「?」
出来ない?と言ったレオに、まあやろーと思や出来っけど、とザップはそれでも眠そうに言うと欠伸をした。「???」何を言ってるんだ、という顔をしたレオのことを眠そうな顔でザップは見下ろすと、ヤるんだろと当たり前のようにそう言った。
「…………は?」
「いやだからよ。セックス。さっさと帰ってしよーや」
淡々と言われた後がしりと腕を掴まれた。引き摺られるように歩き始めても、レオはぽかんとしたまま黙っていた。何言ってんだこの人?だって今何時?三時?四時?たぶんそのくらいじゃね?俺もう眠いっていうか疲れてるし、てゆかあんたも欠伸してるし疲れた疲れたってさっきまで、とそこまで思ってやっとレオは覚醒した。
「ちょ、ちょちょちょ待って待って待って!?やですよヤりませんよ!寝ましょうよ!」
「?なんで」
「い、いや何でじゃねーよ…疲れてるでしょ…」
俺もあんたも、と言ったレオのことを見ながら、ザップはそりゃまあ、と素直に肯定したあとまた煙草を喫った。「じゃ、じゃあやっぱり寝ましょうよ。眠いし」「…んー……おめえがそこまで言うなら」一回でいーけどよ、と言われ、いやいやいやとレオはがくりと肩を落とす。そうじゃないってゆかもうヤるのは決定なのかよ、と思いながらザップの横に並んだ。眠い。
「だからやりませんってば。寝たいっす」
「………………。」
ザップも眠そうな顔をしていたが、レオの返事を聞いて眉間に皺を寄せた。「あんでだよ」「そら眠いからですっていうか、ザップさんだって眠いでしょ?」「…ねみーけど」そう言われてレオはでしょ、と言いながらぱっと切り替わった信号を見て、横断歩道を渡り始める。深夜だから流石に昼間より人も人外も少なかったが、それにしても普通の街よりは煩いだろう。路地裏からは怪しい喧騒が聞こえたし、その辺にある店にも未だ灯りが灯っている。狂ってるよなあ、とレオはそれを見ながらザップと歩いた。
「…俺も眠いっす。………そのー、…ええと、…それはほら、……明日でもいーでしょ」
俺休みだし、と付け加えるように言ったそれを聞いてもザップは微妙に不満げな顔をしていた。「………あのー、ザップさん普段任務のあと疲れて寝るじゃないすか。何ですか今日は」「…………別に」ヤりてーなって思っただけだよ、とザップは仕方なさそうに言うと、足を速める。わわ、と言いながらレオはやっぱり引き摺られるように歩いた。手は離されていなかったのだ。
「………あのー」
「なんだよ」
「………今日のはほら」
仕事なんだし、と恐る恐る言ったところで、ザップは足を止めなかった。けれど僅か彼が動揺した雰囲気があったので、レオはやっぱりとそう思う。「……仕方ないじゃないですか」そう言うと、うるせーなとザップは明らかなる誤魔化しを口にした。
気にしてなかったと言ったら嘘になった。けれどもはやレオはバルコニーの光景を忘れているも同然だったのだ。ビル風に吹かれていた先輩の髪だとか、やたらと似合っていたスーツだとか、むしろそういうことばかり思い出せる。現金過ぎて自分でも呻きたくはなったが、ついさっき言われた言葉のせいで不安はとっくに吹き飛んでいた。
――――飽きませんよ。
たった一言でもそれは、レオにとって十分だった。十分すぎる一言だ。「…そら仕事だったけどよ」ザップは不承不承とでも言いたげな口調でそう言うと、レオのことを見ながら歩いた。
「…仕事でもムカつきはするだろ」
「ムカつくっつーか……俺はむしろ悲しくなりましたけど」
「あ?」
なんで、と言われてなんでも何もとレオは眉を下げる。「だってなんか、…そのー……お似合いだったから。絵になるってーか」「は?」「だ、だから。…あーもういいじゃないすか。俺はもう別に、」気にしてないから、と言った後にザップはぽかんとした顔になった。
「?そりゃ、…いや何でだよ。何でおめえが気にする話になってんだ。そらおめーは気にしなくていーだろ」
「は?」
「何でおめえが気にすんだよ。むしろおめえは当事者なんだから俺に土下座する方だろうが」
「はあ?」
言われている意味がさっぱりわからず、レオは変な声を上げてしまった。明らかに困惑している様子のレオを見て、ザップも変な顔になる。「?お前なんの話してんだよ」「それこっちの台詞ですよ。何ですか一体。バルコニーでのことでしょ?」そう言って首を傾げたレオを見て、は?とザップは何度目かわからないその驚きの声を上げる。益々レオは困惑する。え?ちがうの?んじゃ一体何の話なんだ?そう思ったのは無論ザップには伝わってないだろうが、バルコニー?と復唱されたのでレオははあ、と大人しく頷いた。
「…いや、あの。CIAでしたっけ?その…綺麗な人といたじゃないですか。夜風にあたりながら二人でとても仲がよさそうに」
「バカだからあれはしご………、………え?なに?お前気にしてたの?」
そう呆気に取られた様子で言われたので、レオは思わず眉間に皺を寄せてしまった。「あ、当たり前でしょ。気にしますよ」「今おめえも仕事だって言ったじゃねーか」「そうだけど」それとこれとは話は別でしょーが、と言ったレオを見て、ザップはまたぽかんとした顔になった。そう何度もそんな表情をするような男ではないので、益々レオは気まずく思う。別にそこまでそんな顔するほど俺はおかしいこと言ってねーじゃん。そう思ったせいだ。
「…待てよ。おめーのそれが別なら俺のだって別だろ。仕事なんだから」
「し、仕事は仕事だけど。……だって」
なんか、と言いながら俯いてしまった自分を見ているザップの気配は明らかに呆れていたので、レオは呻きたくなった。完全に子供の反応だ、と自分で思ったのもそうだし、ザップの言っていることも尤もだと思ったからだ。仕事なのはその通りなのだ。
「…あー、…あーえっと。いや、なんでもねっす。わかりましたわかりました。帰りましょう」
「待てオイ何がわかったんだ。俺はわかんねぇよ。てゆかおめえ土下座しろよ」
「ちょっと待ってくださいよ。何で俺が土下座しなきゃいけないんですか?」
そう言い合いながら夜道を歩いている間にレオの家に着いた。「俺は何も悪くないってか、ぶっちゃけ仕事を、」してただけだから、と言いながら家に入ってドアを閉めて、レオが鍵をかけて部屋の方に向き直った直後だった。
…その音を聞いていつも思うのは、下の住民に怒られるということだった。管理人を通じて叱られるならまだいいけど、直接文句を言いに来られたら怖い。一体どんな人が、もしくは人外が住んでいるか分からない―――そんなことを考えている余裕は、その時全くなかった。
玄関先に押し倒されるのは初めてじゃなかったにしろ、あまり回数はない。だからレオはぽかんとして自分の上にいる先輩を見つめてしまった。「……え?」そう呟いた自分をまるで狼のような眼で先輩は見つめると、いまだ半端に結んだままだったネクタイをぐい、と引っ張って緩めた。
「…あ、…あのー、…ぼ、僕はもう眠りたいって言ったはずなんですけど」
「いーのかよ。今日しかできねーぞ」
「は、はい?」
なにが?と言った自分のことを、ザップは珍しく悪戯っぽい、どちらかと言えば子供っぽい顔で見下ろして笑った。「っ、」うぐ、と思わずその顔を見て呻き声を上げたくなった。実を言えばレオはこういう彼の顔が物凄く好きだったからだ。
―――ただし。
「スーツで上司と部下プレイ」
「退けや」
きっぱりとそう言ったレオのことを聞くような男だったなら、レオだってここまで苦労していないだろう。口を開かなきゃいーのに、と思いながらレオは蝶ネクタイの金具が外れる音を耳にした。


目覚めたら朝だった。「………いってぇ…」クソ、と悪態を吐きながら横に寝ている先輩の方にごろんと身体を動かした。この男はレオを後ろから抱き締めて寝るのが一番寝やすいらしく、お陰でレオもザップがいない時もそうやって寝る癖がついてしまった。いい迷惑だっつーに、と思う割にレオも口にしたことがないのだから余り意味はない。「…………はー…」何してんだか、と思いながらのろのろとベッドから降りて、それから洗面台に向かった。
「………う、…うわっ…」
自分で自分に対して引いた声を出してしまった。首にも鎖骨にも肩にも、ついでに言えば鏡には映っていなかったが足にも太ももにも二の腕にも、ザップがつけた鬱血と歯形がついていたからだ。「………。」俺明日バイトなのに、と小さく言いながら溜息を吐いて洗顔にかかった。顔を洗いながらふと、ベッドの中でも玄関先でも散々言われたことを思い出してしまった。
『…お前もーちょい女の扱い覚えろよ』
『…な、……なんで…?ちょ、ちょっと、…っそ、そこやだ、』
『………なんでも』
答えになってないです、と言ったあとまた声を上げることになってしまったので、その先は何も言えなかった。が、流石にレオも何となく理由はわかる。夕べのあれが原因だ。顔じゅうにキスされたのは経験にも記憶にも新しかったが、とっくに昨夜ザップに抱き潰されるようにされる間に上書きされてしまっていた。「……貴重な体験だったのに…」そう言ってがくりと肩を落とした後、その割に自分の顔が赤いということに気が付いて更に自分に引いてしまった。

―――目の色が違うでしょう?

そう言っていたギルベルトの言葉を思い出して、更にレオは呻いてその場にずるずるとしゃがみ込んでしまった。連鎖反応なのか、昨夜言われたばかりの飽きませんよとかいうそれだとか、帰り道で会話した内容だとかも一気に思い出してしまったので、暫くレオは動けなく案った。今更思い出すとすげえこと言ってたな俺ら。そりゃーツェッドさんもあーなるわ。むしろ心めちゃくちゃ広いわ。「…………よ、よし。忘れよう」最早あれは過去のことだ、と自分に言い聞かせながらぐるりと振り返った。
「よう」
すぐ後ろにザップがいた。
「ぎゃああああああ!!」
「どわああああああ!!」
お互いに悲鳴を上げたあと、横の部屋から思い切りドン、という音がしたのでげっとレオは慌てて口を塞いだ。時刻はまだ朝と言っていい時間だったから、隣人は寝ていたらしい。「…ば、な、なな、何だよオイ!驚くだろーが!」「だ、な、ななっ、なんでいるんすか!」「あ?なんだ?」いねー方がよかったか?と明らかに怒った目で言われたので、レオは慌てて首を振った。
「や、ち、違いますよ。そりゃいた方がいいです」
「………………。」
「………?……、……あっ」
違いますよと顔を真っ赤にして手を振ったが、ザップは変な顔になると黙ってレオの頭を軽く叩いて、さっきのレオと同じように洗顔した。「……………。」何なんだ俺、とレオは溜息を吐きながら朝食を作り始める。パンを焼いている間、ザップが欠伸をしながらオーブンを睨んでいるレオの後ろにやって来た。
「まだパン、」
焼けてないです、と言おうとしたが言っている途中で後ろからぎゅうと抱き着かれた。「うえ」苦しい、と呟いたレオを無視して、ねみいとザップは確かに眠そうな声でそう言った。
「…ちょ、…ちょっと。…重いです。なんですか」
「………おめーもさ」
「え?」
俺が誰かといたらムカつくんだな、と言われてきょとんとした。「……え?」聞き返したのは聞こえなかったからではない。言われた意味がよく分からなかったからだ。けれど勿論そんなことザップには伝わるわけもなかったので、だからとザップは面倒臭そうに、けれどきちんと口を開いた。
「…おめえも俺が誰かといたらムカつくんだなって言ってんだよ。フツーに」
「………………、…そ、」
それは、と言った自分の声は、短文だったのに明らかに焦っていた。まさか今になって突っ込まれると思っていなかったし、昨夜散々ベッドの中で泣かされたので(実際には泣いてないけど)もうこの男はそこは満足したのかと思っていたのだ。
「…だ、だって。…………ざ―――ザップさん格好良いから」
モテるし、と言った自分の声は明らかに拗ねていたのでレオは呻きたくなった。一体どこまでいったら拗ねないで済むんだ。や、てゆかこれ系はたぶん俺ずっと拗ねるよね、と別の自分が今の自分にツッコミを入れている。うるせーな、と自分自身に悪態を吐きながらレオはパンを睨んだ。ただの誤魔化しだった。
「……おめーもじゅーぶんかっけーけどな」
「へ?」
突然信じられないことを言われたら、人間誰だってこうなるだろう。きょとんとしてそう言ったレオの上から、ザップはぼすんと顎を乗せてきた。「わっ」「…そら俺がかっけーのは誰だってソッコーわかるべ。つえーし顔はいいしテクニックは一流だしの百点満点だろーが」「………………。」「おい。そこでおめえがツッコミ入れねーと俺がマジでアホみてーだろ」そうザップに頬を抓られたが、軽くだったから痛くはなかった。
「……でもおめーはさー、なんか、…俺とはちげーじゃん」
そうザップは言ってレオの頬からそっと手を離すと、そのまま手を下ろした。けれど抱き着かれているままなのは変わらなかったので、レオは非常に困ることになった。さっきからレオの心臓は徐々に大きく音を奏でつつあったからだ。「…レオはよ。…喋れば誰だってぜってー…何つーかよ。…俺みてーになるだろ」「………ザップさんみたい?」流石にここでレオだってクズってことですか、などと言うことは言えないし言わない。というより考えもしていなかったから、はあ、とよくわからない思いでそう相槌を打った。
ザップは別段レオに分かってほしいわけじゃなかったらしい。独り言に近いのかもしれない。少しだけ嫌そうな様子で、けれどその嫌そうな理由はどうやらレオじゃないらしい。厳密に言えばレオではあるが、それによってザップが考えていることが、嫌らしかった。細かい。
「……おめーは誰にだってそーだろ。…だから」
俺だってあんなん見ればムカつくわ、とザップは言うとぐいとレオの顔を無理矢理上向かせた。「うぎゃっ」「色気ねーやっちゃのー」もーちょいかわいー声出せや、とザップはおかしそうに言うと、逆様のレオの額にちゅっと一回キスをした。
「んむ、」
「お。…今のはちょっとかわいかったぞ」
そう言ってザップはぱっとレオのことを漸く離した。「早よ朝飯持って来いよ。食ってやるから」「…………………。」黙って額を押さえて立ち尽くしているレオを見下ろして、ザップはまた、昨夜みたいに悪戯っぽく笑った。うぐ、とまたしてもレオはその感覚を覚えて思わず顔を赤くしてしまった。ザップはすぐに踵を返してベッドの方に戻ろうとしたらしい。が、レオは思わず彼の腕をがし、と両手で掴んでいた。
「おわっ。なんだよ」
「………、…あ、あのね。俺だってそーっすからね。い、今ザップさんが言ったのって、…その、…間違ってませんから」
「…………あ?おめーが意識してねえだけでモテるっつー話か?」
「はい?」
そんな話してました?と言いながら顔を上げたが直後ザップがデコピンしてきたのでぎゃあ、とレオは悲鳴を上げた。いつもより痛かったそれに文句を言おうと口を開いたが、ザップが自分から目を逸らしていることに気が付いてきょとんとする。「…な、なんでもねーバカ。続き言え」「?」なんなんだ、とさっき言われたことを反芻しつつ、レオは額を押さえながらザップに向けて話を続ける。
「…そ、だ、だから。…ほ、ほんと…黙ってればめちゃくちゃ格好良いっすから、あんた」
「待て。黙ってればってなんだコラてめえ」
「…と、ともかくだから」
俺だって、と言った時のレオの心臓はやっぱりどきどき煩かった。これたぶん緊張のせいもあるけど、とレオはその時焦った中でも何とかそう、思っていた。
――――ザップさんのせいだ。

「…俺だってそりゃ、ヤですからね。ザップさんがその、…だ、…誰かに触ってたら」

ぜったい、と言ったあと死にたくなって俯いた。「……………。」案の定先輩からは一言も聞こえないし、それどころか身じろぎすらしている気配がない。死にたい、と二度目のそれを思ったあとそろそろと腕を放そうとしたが、それはできなかった。ぐい、とレオの肩が思い切り引き寄せられたからだ。
「わっ、」
「……まあ」
そーいう声もかわいーっちゃかわいーわ、という声の後に、今度こそ口にキスされた。「っ、」う、と思わずびくっと身体を竦ませたと同時に、後ろ頭を撫でられる。「ん、」小さく上げた声はいつもと同じで全然慣れていないし色気もない。ぷは、と息を吐いてザップを見上げたあと、先輩はめちゃくちゃ嬉しそうな顔でレオを見下ろしていた。「…………あ、あの」「あ?」なんだよ、と言った声も非常にふわふわしている。けど、とその声を聞きながらレオは思った。たぶん俺もそーだろうなぁ。思っていたつもりが、どうやら口にしていたらしい。何がだって、と先輩はやっぱりふわふわした、浮かれたような声で言ってレオのことをぎゅっと抱き締めてきたので、レオも何となく抱き締め返した。それから、ちょっと間を空けたあとに、俺たちマジで、と思った。
「…飽きませんよね」
「朝飯か?そろそろ俺はトーストに飽きたけどな」
そうじゃないですよ、と言いながらレオは顔を上げて、けれどザップの顔を見たら笑えてきたので笑ってしまった。何笑ってんだ、と不思議そうな顔をしている彼にもう一回抱き着いて、あーあと脳内で溜息を吐く。飽きるとか、飽きないとか、なんかもうそういう段階じゃないんだろうなぁ。もうそれが当然で当たり前で、日常の一部になっている。

そして。
焦げたトーストに二人が気が付くのは、30秒ほど後になり。
訳一分後には二人でジャムで誤魔化しながら炭にも近いトーストとも言えぬトーストを食うことになったりする。そしてこの出来事もこの先何度も何度も起きることにはなるのだが。
たぶんそれも飽きないのだろう。
飽きないというよりは。

「…えーと。…よろしくお願いします的な」
「オウ何がだコラ。炭じゃねーか殆ど」

そいつはすんませんね、と謝りながらレオは思わず笑ってしまったが、先輩は仏頂面でトーストを齧っていた。