セルフタイマー
2016/11/06
『もしもし?』
―――――通話ボタンを押す暇さえ惜しい。
どこにいるんですか?という後輩の声は少しノイズ交じりだった。自分もあちらも、電波が悪い場所にいるせいだ。「お前こそどこに…っと、よっ」ざく、という音が聞こえたのか、それとも血が少し電話に跳ねたせいか。何にせよ、電話の向こう側にいる後輩がえ、と驚いたような声を上げた。
『え?うそ、ちょ、ちょっと待ってください、今電話切る、』
「バカいーよ。てゆかマジでヤバかったら流石に俺だって、お、」
あぶね、と言いながらぐるんと刃を持ち替えて、背後から向かってきた相手を突き刺すと、今度こそ悲鳴が上がった。返り血に顔を顰める。服が白いから血痕はともかく目立ってしまうし落ちにくい。舌打ちをしつつもザップは通話をそのまま続けていた。
「あーあ。…生臭えな気持ち悪ィ」
『わわわやっぱ切りますよ。てかどこにいるんすか』
「だからそりゃーこっ、おわ、…っのヤロざけんなコラ!!」
直後の音はレオの耳にもはっきりと届いたらしい。ひえ、という悲鳴のあとレオは切りますと端的にそう言った。「バカ切んなくていいっつの。電波わりーんだから次いつ繋がるかわかんねーだろ」『だってそんな、危ないじゃないすか』「危ないだあ?」てめえこの俺を誰だと思ってんだよ、と言いながら、ザップはまたくるりと器用に刃を回して目の前から向かってきた相手を斬り付ける。声も漏らさず崩れ落ちた相手の上をひょいと飛び越えて、細い迷路のような路地を進みながら頭上に目を向けた。窓と窓の間に洗濯物がぶら下がっているせいで少し太陽の光は見つめ難い。こんなとこに干して乾くもんかね、と訝しく思いながら助走をつけ、地面ではなく壁を蹴って、更に向かってくる相手の肩を蹴飛ばすようにして、踏みつけた。ザップさん、という不安そうな後輩の声が電話の向こうから聞こえてきて、ザップは思わず笑ってしまう。
「………だからよ。おめーはこの俺を誰だと思ってんだ?あ?」
言ってみろって、と言いながら地面に着地した瞬間後ろを振り返る。ついさっき踏みつけた相手が憤怒と言える形相でこちらに向かってくるところだった。『………そりゃあ』そういうレオの声を耳にしながら、じゃきんと今度は普通に刃を持ち替える。やっぱこの方がやり易いな、と今更のように思いながら思い切りそれを振り下ろして袈裟懸けにする。悲鳴とも呻き声ともつかぬそれと一緒に顔に血が跳ねたので、げえ、とザップはさっきよりも顔を顰めた。確かに顔や髪じゃ血痕にはならないし、洗えば落ちるけれど気持ちがいいわけではない。うげえ、と思いながらごしごしと袖で顔を拭ったその時だった。
「――――ザップさん!!」
ぱっとその声に振り返る。大通りにつながる細い路地の入口から、今日の相方である後輩が全速力と思しきそれで駆けてくるのが目に入った。
「よう」
そう言って手を上げたがレオは一切速度を緩めることなくザップの許にやって来ると、引き攣った表情で口をぱくぱくさせながら、ザップの左手をがしりと掴んだ。きょとんとしているザップのその手をしっかりと握って、レオは漸くザップにも分かるような言葉を口にした。
「だ、だだっ、……だい、………、…か、顔!!血が!」
怪我したんすか、と言ったレオの顔が青ざめたが、あのなとザップは呆れてそう言い返す。「返り血だろどー見ても。俺はやられてねーよ」こうも張り合いねえと逆につまんねーわ、と言ったザップの手を掴んだまま、レオはぼーっとザップのことを見つめていた。ごしごしとザップは片方の手で頬を拭ったが、たぶん全部は落ちないだろう。鉄の臭いが立ち込めている路地は狭いせいか、余計に吐き気がした。
そんなザップを見ていたせいなのか、それとも気が抜けたのか、レオは息を吐き出して俯いた。「…よ、よかった…………俺と喋ってるせいで怪我したなんてことになったら、」クラウスさんにもスティーブンさんにも顔向けできませんよ、と息も絶え絶えに言ったレオのことを、あのなあ、とザップは通話中と同じく呆れたように言って、見下ろした。「だからおめえよ。さっきも言ったろ?この俺を誰だと思ってんだ」「え」そりゃあ、とレオはついさっきと全く同じことを言ったが、はっとしたようにザップの手を掴んだまま、ぐいと自分の方に引き寄せた。同時―――より少し速度は速かっただろう。レオの両眼が勢いよく、開かれる。
―――そしてザップはレオのそれより早かった。レオがザップの名前を呼ぶ前に、レオがザップの腕を引く前に、レオがザップの前に出る前に。
後ろも振り返らずにさっきまで持っていた刀を再度出現させる。レオの眼に映るかどうか、そのくらいの速さだったがザップはそれを意識していない。まるでそれが当然のことのように、刀を思い切り後ろに向かって突き出した。呻き声と同時に肉を突き破った音と血の滴る音がする。この感覚はいつまで経っても気分が悪ィ、とザップは少し忌々しく思った。
「……っ、」
自分の手を掴んでいるレオの手の力が強くなる。怯えたような、真っ青な顔をしている後輩を見るのは好きではなかったが、その手の感覚は嫌じゃなかった。
ずる、と刀を抜いたあとにほら、とザップは面倒臭そうにそう後輩に言った。「え。え?な、なな、なに…」「あのな。さっきから二回も聞いてんだろ」いい加減答えろや、と言いながらごしごしと自分の頬と髪をまた袖で拭う。案の定、白い上着には真っ赤な血がべったりとついてしまった。
レオは逡巡していたものの、ザップがごしごしと髪を拭っているのを見て観念したらしい。のろのろと口を開いたのがザップの眼に入ってきた。
「…………ザップさんです」
そう呟いた後輩の顔はなぜか赤かった。一体何に対して照れているのかさっぱりわからないし、そもそも照れているのかも怪しい。ただしザップから目を逸らして俯き加減の時は大抵そうだから、恐らく今回もそうだ。理由はわからない。
「……おめえにしちゃよーやった。正解だ」
そう言ってぐいと引き寄せて抱き締めたあと、ぽんぽんと軽く頭を撫でたがレオは何も言わなかった。無言でザップに顔を押し付けているから、どんな表情なのかもわからない。
――――けど。
恐らくそういう顔がザップの一番好きな顔なのだ。
後輩のレオナルド・ウォッチと付き合うことになったのは記憶に新しい。何しろ一か月も経っていない。割にどのくらいなのかと言われると思い出せない。一方レオはちゃんと覚えているらしい。この間レオの家に行ったらカレンダーにぐるぐると丸がつけられていたので、何じゃこりゃ誕生日か、と聞いたところ曖昧に口を濁されたので、ザップは不審に思って問い詰めた。レオは珍しく絶対に嫌だ何をされても俺は言わないとまるでどこぞのスパイのようなことを言って、その通りに口を割らなかった。だから一体なんなんだとザップはぼーっとカレンダーと暫く睨めっこしていたのだが、そこで唐突に気が付いた。
―――この日俺がお前に好きだって言った日じゃね?
まさか、という思いと共にそう言った途端、レオはあからさまに狼狽えてしまったので答えは火を見るよりも明らかだった。呆れた顔をしたザップに、だから嫌だったんですとレオは真っ赤な顔でそう言って、その日一日機嫌が悪かったのだから非常に面倒臭かった。大体何でそこで機嫌を悪くしているのかさっぱり訳がわからない。先日そんな話を飲み会でしたところ、バカねえ、とK.K.にそう言われた。
―――いや意味わかんねえっすよ。何でそこで嫌がるんだか。
―――嫌がってるんじゃなくてそれは照れてるんでしょ。
―――は?アレが?
―――そうよ。
ねえ、と隣にいたスティーブン・A・スターフェイズはいたく困惑した顔をしていたが、K.K.に肘で小突かれてから漸くこくんと頷いた。恐らくあれは彼もよくわかっていなかったのだろう、と今もあの時もザップは思っている。まだ女の方が分かり易い時がある、とザップは最近になって思うようにすらなってしまった。これは恐るべきことだった。…世界で一番難解なことよりも。
たった一人の後輩の心を読む方が難しい。
「…怪我してないんすよね」
「してねーっつってんだろ。しつけーぞコラ」
言った後にちょっと言い過ぎたか、と普段絶対思わないようなことを思ってちらりと横にいる後輩を見た。やっぱりいつものことだったから、別段レオは怒った顔もがっかりした顔もしていなかったのでほっとする。「………。」なんだか自分も非常に面倒臭くなった気がして、ザップは肩を竦めた。
「あーあ。にしても俺んとこは殆ど収穫なかったんだけどよ。おめえの方はどーだ」
「一応分かったことは全部スティーブンさんに電話で言いました。…俺の方も大してわかんなかったんすけど」
件の人の妹が行方不明になってるそうです、とレオはぽつりと言ってちょっと目を伏せた。「うおマジかよ。ソレ結構めんどくさくなってねえか」「はあ。だからとりあえずスティーブンさんに…」そこでレオの電話が着信を告げたので、慌ててレオはわわわと言いながら画面表示をスライドさせる。もしもし、と言っている後輩の声を耳に、めんどくせーなあとザップはげんなりしながら今の仕事のことを考えた。簡単に言えば素行調査のようなものだったのだが、どうも調査対象がきな臭い何かに関わっているらしい、というのが調査前に八かっくし、更に芋づる式に別件で張っているそれとも関連していることが分かってしまった。かと言って堅気の女攫うのはどーなんだ、とザップはレオの結果を反芻する。
「…え。あ、まじすか。え。や、それならマジでよかったです」
通話中のレオの声が途中で突然高くなったので、ザップは訝しく思ってレオの方を向く。さっきまでちょっと落ち込んでいた後輩は、こくこくとすごい勢いで首を振ってスティーブンと会話していた。百面相が多いのは知っていたが、どうもこう見ると年齢不相応だった。ガキだなやっぱり、と思いながらザップは漸く煙草を口に咥えた。
通話を切ったあと、レオはほっとした様子のままスマートフォンをポケットにしまった。「…どーした」「妹さんは発見されたそうです。もう保護されてるって」そう言ったあとレオは胸を撫で下ろしてよかったぁ、と小さく呟いた。そーか、とザップは相槌を打つと自分はポケットに手を突っ込んだ。
この仕事に就いてそれなりに時は経つとは言え、レオの過去はたとえばザップと比べれば”一般的”であり”普遍的”なそれだったのだろう。それがつい最近、妹と共に驚天動地ともとれる災厄に巻き込まれてしまった。それがなければレオはここにいなかったとは言え、たまにザップも思うことがある。
―――運が悪い。
本当にそれに尽きた。妹と、それから家族とともに故郷でのんびりと暮らしていた(かどうかザップは知らないが)彼にとってその出来事がどれだけの恐怖を齎したのか、想像しても余りある。世界はたった一つではないが、突然その中から無理矢理引っ張られて別のところに強制的に移動させられたようなものだ。ザップでしても最初は不憫だなとは、一応思った。…最初のうちだけだったけれど。そもそも他人に対してそういう感情を割くのがザップは不得手なのだ。
だからなのか、レオはあんまり人が傷つくのを好まなかった。別段ザップだって好きなわけでもないが、そうすることに抵抗はない。そうやって生きてきたからもう慣れてしまった。レオもレオで最初の頃よりはそれに慣れているみたいだったが、それでも今日みたいにザップが怪我をしそうな時や、誰かが怪我をした時は焦る。焦った後、大抵は大丈夫だからほっとする、らしい。その辺はよくわからないのだ。レオは基本素直だったが、そういうことに関してはあんまり気遣われたくないみたいだったから、ザップは特段気にしないようにしていた。していた、という言い方からしてバレバレだったが、気にはしたい。気には―――したいのだけれど。
「…んで。スターフェイズさんは何て」
「あ。そうだった。今した報告以外に目新しいものなかったら今日はもう帰っていいって」
「オイそれ先に言えよ。…ちゅーことは俺も特に言うことねーし」
帰るか、とザップはそこでやっと力を抜いて伸びをしながらそう言った。「治療は?」「だから言ってんだろ。俺は怪我してねえよ」いい加減しつけえぞ、とレオを睨むと、でも指、とレオは逡巡はしたもののそう呟くように言って、眉を下げた。
「…指?」
そう言ってきょとんとしたザップのことを見た後、レオはそのままの表情でひょいとザップの手を掴んだ。さっきもレオが掴んでいた、ザップの手だ。
「あて」
途端に痛みが走ったので痛みのせい―――というよりかは驚いて声を上げた。「…ほら」怪我してます、とレオは言うと眉を顰めた。「怪我って…あ、」レオの言った通り、確かに指の腹に切り傷ができていた。裂傷と言うほどのこともない、包丁とかナイフでちょっと深めに切ってしまったという程度の、斜め傷だ。「………よく見えたな」自分でも気が付いていなかったので流石に驚いてそう言うと、俺にも見えた訳じゃないっすよ、とレオは苦笑して言った。
「さっきちょっと指庇ってたから。痛いのかなって」
「…………。」
全くの無意識でやっていたから、自分ではレオが言う『さっき』がさっぱりいつのことなのか分からなかった。けれどレオがそう言うのならばそうなのだろう。何となく―――どういうわけかちょっとムカついたので、ぺちんとレオの額を叩いていったん事務所行くか、と肩を竦める。「それはいいんすけど。何で今俺叩かれたんすか」「おめえのバイクどこだ」「話聞いてないし」拗ねた顔をしつつも、レオはあっちです、と言いながらザップの手をしっかりと掴んだ。迷子になるつもりは毛頭なかったが、ザップは歩きながらふと思った。
こうやって前を歩かれるのは少しばかり気にくわなかったが。
髪の間から見えている耳だとか、髪が揺れる様子だとか、それからちょっと早足になってるところだとか。
そういう後輩を見るのは中々どうして、好きだった。
薬箱の中はきちんと整頓されていて、恐らくあの有能な執事がそうしているのだろう。レオはすぐに絆創膏を見つけると、次いで消毒液をひょいと出した。「もー洗ったぞ」「破傷風怖いでしょ」そう言ってレオはガーゼに消毒液を浸している。破傷風は確かに怖いが、というより、こんな軽い傷でそこまでするのがザップは面倒臭かったのだ。いつもの十分の一どころかそれ以下である。
事務所に戻ったはいいものの、誰もいなかった。ここが無人になるのは珍しいようでそんなに珍しくもなく、何かが起きた時は基本的に事務所には誰もいなくなる。何もなければ基本ツェッド・オブライエンがここに住んでいるのでいるにはいるが、大抵彼がいる時というのは休日かもしくは夜だ。レオが忘れ物をしたというので、一回深夜にザップは事務所に行ってみたことがある。そっと部屋を見てみたところ(レオには止められたが無視した)、ツェッドは水槽の中ですやすや眠っていた。おいコイツ寝てるし一回くれーソファでヤろうぜ、とレオに言ってみたがレオは当然の如くそれを無視して、早よ帰りましょうと忘れ物を手にしたままそう言ってすたすたと出入り口に向かってしまった。一回くれーヤってみてーじゃん、そんなプレイしたくない、お前は何でも嫌がる、という非常にくだらないことでエレベーターの中でケンカになり、レオの自宅に着く頃にはすっかりレオは拗ねていた。そうやってバカバカしいことでばかり揉めるのはお互い得意だった。
―――ただし、とザップは思うことがある。
たぶんそのくらいがいいのだ。簡単な、くだらない、それでいてありふれているようなことで揉められているうちが一番いい。そりゃ、勿論揉めないのが最上で最良に決まってはいるが、自分とレオの間でそれは絶対に無理だ。趣味は合わない性格も真逆、それでいて今までの人生観が180度程違っている。ケンカをするなというのが無理な話だった。ただしそうやってレオとどうでもいいことでケンカするのも、実を言えばザップは嫌いじゃなかった。レオが怒ったり拗ねたりするのは見ていてちょっとだけ楽しい。別に好きでそうさせているわけじゃない。けれど大抵、レオが怒る理由は自分だったから、それのせいだとも思う。一生そんなこと言うわけなかったけれど。
「ザップさん指出してください」
「いーっつの。大体こんなん舐めてりゃ治るだろ」
面倒臭え、と言いながら指をひょいと突き出すと、レオはへ、と変な顔になった。「え。お、俺が舐めるの?」「あ?」「いや、指……」「…………。」今おめえが指出せって言ったんじゃねえか、と言うところだったが、そこに中々思考が追いつかなかった。先にレオの方がそれに追いついてしまい、はっとした顔になる。
「あっ。あっ!?いや、えーと……あー、あーはい有難うございますちょっと染みるかもしれませんが我慢してくださいね!」
そう言って指を掴まれたのでいってえよバカ、と思わず声を上げる。実際そんなに痛くはなかったから、指を掴まれたことによる条件反射だった。レオは当然わわわと物凄く焦った挙句持っていたガーゼを取り落とした。消毒液を吸って重くなったガーゼは軽さを全く感じさせない動きでぺたんとレオの膝に落下し、二人の間には無言が起きた。起きていない。
「……俺は別に」
お前が舐めてえならいーけど、と言いながらぐいと指をレオの頬に押し付けるようにして突き出した。「………な、舐めたくないっす」「お前言うに事欠いて何だその言い方は」もっとあんだろ、と言ったあとぐいぐいと指を折り曲げて、患部を避けながらレオの頬に押し付ける。んん、とレオは子供みたいに呻いたあとやめてくださいよ、とそう言った。
触った頬が熱い。
「……その、あー…あんまり、…舐めるとよくないらしいんで」
「あ?そーなんか」
「…らしいです」
ネットで見た、とレオはぼそぼそと呟くように言いながら、ザップから目を逸らしている。代わりなのか何なのか、耳まで熱が伝播したらしい。徐々にそこまで赤みが広がっていくのを目にして普段だったら呆れるところ、ザップはなんだかおかしくなって笑ってしまった。無論レオは不審げな顔をこちらに向ける。
まだ顔は赤かった。
それを見ながら黙ってぐい、と指を更に押し付ける。レオは気詰まりそうな、何か言いたげな顔になったが、結局のろのろとザップの手を両手で掴んだ。「…悪くなっても知りませんよ」「その程度で悪くなって堪るかボケ。おめえ今日は何聞いてんだ?」そう言った自分の声も、なぜか知らないが弾んで聞こえる。何でこんなクソガキのせいで、と思わないでもない。思わないでも、ないけれど。
「………俺を誰だと思ってんだよ」
そう言って笑った声だってやたら楽しそうだ。これは勿論、答えが最初から分かっている問答に過ぎないから、言ってしまえば時間の無駄だ。そしてそれはザップが嫌うことの一つで、この状況は大袈裟に言えば、ザップの人生の中で珍しくもある。
レオはザップの手をしっかりと両手で抱えるようにして掴んでいたが、顔を赤くさせたまま観念したようにぐいとそれを引っ張った。生温かい感覚は、実を言えば少し気持ちが悪い。歯を立てるなと言い忘れたと気が付いたが、流石にレオも慣れている。下世話なことを回想しながらザップはそれでもいてーよ、と笑って呟いた。どちらかと言えばくすぐったい。ちょっと思いついてぐいと怪我した指でレオの内側の頬を押すと、やめろと言いたげにレオが舌を使ってそれを防ごうとした。流石に指の力の方が強いが、珍しくザップは意図を汲んでふざけるのをやめた。そもそもこうしていること自体ふざけていると同義なのだ。
ちゅっという分かり易い音がして、レオの舌が、口が、ザップの指から離れる。息を吐いたレオの顔は更に真っ赤だったから、この程度でとザップは今度こそ呆れた。いつももっとすげーことしてんのによ、と言おうと思って口を開いた。
レオの方が早かった。
「………ザップさんですよ」
そう言って、レオはぱっとザップの手を放すと、ぐいと自分の口を拭った。
「…今日だけですからね。もうしません」
そう言った声は拗ねているようにも照れているようにも聞こえた。「……ま、そーだな」そう言ってぎしりとソファの背凭れに寄りかかると、はい?とレオがきょとんとしてザップを振り返った。まだちょっと、頬と耳は赤い。「………そんくれーじゃねえとよ」「?なにが?」「…おめえらしくねえっつう話」どういう意味すか、と言われたがザップはそれを無視して答えなかった。煙草を取り出した自分を見て、答える気がないとレオも踏んだのだろう。なんすかもう、と言いながら立ち上がって薬箱を片付けに行った。その後姿を見ながら煙草を喫う。考える。―――そうだな、ああいう感じだ。ああいう感じが。
口を開けば生意気なことしか言わないし、こっちが望んでいることは全然しない。助けを求めるのも甘えるのも下手くそで、割にあっさりと手を伸ばしてくるからこっちが振り回される。けれどそういう、そういうあの少年が。
自分が好きになったたった一人の後輩で。
自分を好きだと言ってきたたった一人の後輩の。
レオナルド・ウォッチだ。
終