そろそろ出番です
2016/10/17
夢を見た。
「ゆめ?」
ザップさんが、と続けて後輩は欠伸をした。珍しいっすね、と言いながらもそもそとベッドから降りたあと、のこのこと玄関の方向に歩いていく。湯を沸かしにいくんだろう、と思いながらザップはぼーっと彼の後姿を眺めた。眠い。
窓の外に見える景色はいつものこの騒々しい街そのもので、霧に阻まれて遠くはよく見えないとはいえ、朝だということくらいは流石にわかる。むしろ漂っているのが霧なのか靄なのかが分からない。どっちでも似たようなもんか、と思ったがザップはいまだベッドに寝転がっていた。眠いのだ。
湯を沸かし始めたらしい後輩は、洗顔も済ませてまた欠伸をしながら戻って来た。「…起きて下さいよ…俺今日早番だから行かないと…」ザップさん鍵持ってないんでしょ、と後輩のレオナルド・ウォッチはそう言った。
レオの家は狭い。そもそも一人で住むように契約したのだろうから、それは当然である。その狭い部屋に一体いつくらいから入り浸るようになったのかは定かではないし、後輩のベッドに躊躇なく潜り込むようになったのかも今一ザップは覚えていない。ついでに言えばベッドに潜り込むだけでは済まなくなったのも、―――これは覚えていた。先月だ。
起きているのか寝ているのか今ひとつ分かり難い顔で、レオはザップさん、と言いながらのこのことベッドに近寄って来た。「…起きてくださいよ…俺が鍵持ってっちゃったらザップさん外出られないでしょ」そう言いながらレオがザップが被っている毛布に手をかけた。そうはいくかとザップは毛布を掴んでいる後輩の手を反対に掴む。
「へ」
ぽかんとした声が聞こえたが構わずに引っ張ると、ぎゃあとレオは悲鳴を上げてベッドに倒れ込んできた。ぎし、とベッドの骨が軋んだ音がする。昨夜散々聞いたな、とぼんやりしながら天井を向くと、レオがもごもごと呻きながら身体を起こしていた。狭いベッドのせいで後輩は今ザップの上にいる。重い。
「あ、朝からやめてくださいよいってーなもー…プロレスがしたいなら闘技場へどーぞ」
「………。」
「ザップさん?」
嫌味がスルーされたので不審に思ったらしい。レオがザップのことをじっと見ていた。「どーしたんすか?」そう言って首を傾げる仕草はいかにも子供っぽかった。割にそういう仕草はいたく似合う。まあ、とザップは思いながらもそもそと起き上がった。わわ、とレオは慌てながらそこから退こうとしたが、ザップはそれを止めた。
「ど、どーしたんすかさっきから。…あ、湯がそろそろ沸くから」
コーヒー入れてくる、と言ったレオのことを引っ張ったので、またわあと後輩は悲鳴を上げた。朝から元気だなーコイツ、と思った後にひょいと彼の肩に自分の顎を乗せて息を吐く。益々レオからは困惑したような気配がした。そろそろと彼の右手がザップの腕を、掴む。
「あ、あのー………さっきからどーしたんですか?なんか言ってくれないとわかんないです」
「……………昨日な」
「へ?あ、はい」
漸くザップが口を利いたからだろう。レオはちょっとほっとしたような声でそう返事をし、昨日、とザップが呟いたそれを復唱した。「?昨日がどうしたんですか。休みだったでしょ」ザップさんは、と付け加えられた後そーだなと頷いて、何となくそのままレオに抱き着いた。今も殆ど抱き着いているようなものだったのだが。
「?」
ちょっとレオが身じろぎした気配がしたが、ザップはそれを無視した。嫌がられている訳ではないと流石にわかっているからだ。「…夜十時回ってからここ来ただろ、俺」「はあ。そうですね。俺の上がりを待ち構えていたように」そんなこたねーよとザップは軽く否定したが、その実それは真実だった。
何となく、本当に何となくレオの顔が見たいと思う時がある。そういう時、どうするのが普通の行動なのかザップはさっぱり興味がない。ただしザップはすぐに顔を見に行く。すぐに動く。そして歩きながら、走りながら、スクーターに乗りながら、変な気分にもなる。未だかつてそんなにいきなり他人に会いたくなるということがなかったからだ。
なんだかこの後輩は別だった。本当に、ふとした時に顔が見たくなる時がある。パチンコを打ってる時だとか、愛人の家で彼女がシャワーを浴びている最中だとか、それからこれは変な話だが、同じ部屋にいるのにそう思うことがある。たとえば自分はソファにいてレオがスティーブンやクラウスと部屋の端で相談をしている時なんかだ。訳が分からない。顔が見たいどころか二秒もかからず顔は見られるし、大体視界の端に入っているのだ。だから本当はちがう。顔が見たいという言い方は、きっと誤っているのだ。
けれどそれ以上に適切な言い方をザップは知らなかったから、そういう風に思っている。顔が見たいというのはある意味非常に分かり易くもあったし、分かり難くもあったのだが。
ともかくとして昨夜もそれが起きたので、ザップはすぐさまレオの家に行った。バイトが終わった後に最短ルートで会える場所を計算した結果がレオの家だったからだ。計算は自分でもちょっと信じられないことにぴったりで、レオの家に着いたのはほぼほぼ彼が帰宅した時間と同じだった。何しろザップはレオの家のドア前でレオと会ったのだ。ザップを見て、わあ、とびっくりした声を上げたレオは、それでもどーしたんですか、とちょっとだけ困ったように、けれども嬉しそうに笑った。
「…オメーに会うまで俺が一体何してたと思う」
回想から帰ってきてそう呟いた自分に、レオは素直にもええと、と考えるような声で言った。
「そりゃー…えー?…競馬かパチンコか麻雀か…カジノっすか」
大体あっていた。ザップは一昨日の夜、ライブラから帰社したあとその足でバーに向かい、明け方まで店を渡り歩き、更にそのままなぜか麻雀をしに行った。午前中いっぱい麻雀をしたあと、午後はパチンコ屋で新台を求めて歩き回り、その後はキャバクラに行った。
そこまでざっと説明すると、はあ、とレオは怪訝な声でそう言った。「え。そんで?それと今の状況と一体なにが?」「……、…あのな、…そんでおめーよ、…俺とお前が昨夜何してたと思ってんだ…」「な、なにって」言わなくてもわかるじゃないですか、とそこでちょっとだけ後輩の声は焦ったように上擦った。何を今更、とザップは少し呆れながらひょいと彼の肩から顎を退ける。
「…そこは照れるとこなんか。おめえいつになったら慣れんだよ」
「べ、別にそこは問題じゃないでしょ。そ、そんで?……ん?あれ?」
それじゃあ、と言ってレオは指を立てて何かを数えるような仕草をした。怪訝な顔をザップに向けて、つまりあんた、と言われた直後である。
さっきと全く同じようにザップはレオの腕をつかむと無理矢理ベッドの中に引きずり込んだ。「痛い!痛い痛い!」「煩い!!つまり俺は二時間くれーしか寝てねーんだよ!寝るぞ!!」「一人で寝ろよ!てゆかそんじゃわざわざ昨夜あんなことしなくてもよかったじゃねーか!」俺は疲れてるってあんなに言ったでしょ、と毛布のせいでくぐもっているレオの声が耳に入る。うるせえなとザップは返事になっていない返事をすると、じたばた暴れているレオの顔をがしりと掴んだ。ぎゃあ、とまた後輩の聞き慣れた悲鳴が上がる。
「…お前があーいう顔をするからじゃねーか」
どんな顔ですか、と言われる前に口に噛みついたので、もごもごという呻き声しか聞こえなくなった。
ただいまという声に目を開けた。「………おー…」おかえり、と言いながらもそもそ起き上がると、起きてろって言ったのに、というレオの呆れた声が聞こえた。「起きて下さい起きて!今日は夕方からライブラで会議でしょ!」「あー…あーお前、…なん、…なんでそーうるせーんだホント…」「早く!」遅刻しますよと言いながらレオが毛布を畳み始めた。
あの後レオはバイトに行き(鍵を置いて行かれた)、ザップはそのままレオの部屋で寝ていた。眠かった。後輩のベッドからは既にザップの煙草の匂いがしてちょっとだけ笑ってしまったが、ともかくそれじゃあ行ってきますという声をドア前で聞いた直後部屋の鍵を閉め、五秒後には泥のように眠っていた。仕事柄徹夜することは多いとは言え、別段好きな訳ではない。
普段だったらレオもバイト先からライブラに直で行くところだったのだろう。けれどザップが寝ていると踏んでわざわざ自宅に戻って来たのだ。ふと携帯を見ると着信履歴が十件ほど残っていた。「…………レオ」「なんすか。早く顔洗ってきてください。あと服着て」「………眠い」「知らねーよ!早よ起きろ!俺も怒られるっつーの!」置いてきますよ、と言われてザップは不承不承レオのベッドから降りてのろのろと身支度を済ました。「早く!遅刻する!あーもう俺が運転するから!スクーターの鍵は!?」「………んー…」ねむい、と同じことを言ったザップの腕がレオの手につかまれる。急いでくださいよ、と言われながら階段を駆け下りたが、お互いに転ばなかったのは奇跡だった。
信号が赤になった。
あれから二人でライブラに向かっている。ザップはいまだに眠気が覚めず、ぼんやりしながらレオの背中を見つめていた。しかしコイツチビだなー、と言ったら絶対怒られることを思いながら、ふと寝ている間に見ていた夢のことをいきなり思い出した。この現象は生きていて頻繁に起きるが、一体何と言う名前なのかザップは知らない。興味もない。
「…なんかさー、夢見たわ。夢」
「はい?ちょ、やべーよ間に合わねーよ。絶対怒られる」
「……なんか……、……あー…たぶんこれあれだ。悪夢だ」
「え?」
そこでやっとレオはザップと会話をする気になったらしい。悪夢?と聞き返されてたぶん、と言いながらザップはレオの肩の上に顎を乗せた。今度は背中側からだから幾分さっきよりやりやすい。
霧の街での渋滞は日常茶飯事で、ザップもそうだがレオも慣れている。ただし渋滞だったんです、と言ったところで氷の上司から許しを得られるかどうかは微妙だった。ちなみに今まで許しを得られたためしはない。氷じゃない上司の方は大抵許してくれるが、その横で明らかに凍った目をしながら睨まれるのはごめん被りたい。
「…ヤな夢だったんですか?」
そう言ったレオの声は普通だった。いつもと変わらない。「…たぶんな。覚えてねーけど」「あー、ありますね。ヤな夢ってなんとなくやだったって覚えてますもんね」おめーもそうか、と別段他意はなくザップは聞き返した。一瞬間が起きて不審に思う。二秒後にはたと気が付いた。気が付いたというよりは思い出した。
レオはたまに夜中魘されている。
本当にそれはゲリラのように、はたまた天災のように、いつ起こるか誰にもわからない。レオにも分からない。当たり前だがザップにも分からない。唐突にその悪夢はレオの脳内に容易く侵入して、彼の安眠を妨害している。
ザップは一回しかそれに遭遇したことはない。ないけれど、遭遇したことがあるかどうかはもはや問題ではないのだ。レオがその夢を見ているか見ていないかの方が、問題だった。
「…あー、…あーいや悪ィ。他意はねえ」
「なんすかソレ。いーっすよ別に」
レオは苦笑してそう言うと、ザップさんも謝るんですねと聞き捨てならないことを言ってきた。無言で頬を抓ろうとして―――何となくやめた。なんだかそういうことをするのは、いつだっていいような気がしたのだ。自分らしくないと思いはしたが。
「…ヤな夢見た時ってどーするか知ってます」
「あ?」
疑問符はついていなかったが、それはどうやら質問だったらしい。質問というより、問題に近いように聞こえた。ちょっと驚きはしたものの、のろのろと繋がっている車が動き出したのを見てザップは不承不承顔をレオの肩口から退ける。「…知らん。てゆか俺そもそも基本夢見ねえし」「今朝も見たって言ってたじゃないですか」そう言われてちょっと驚く。―――覚えていたのか。朝からばたばたとレオは駆けまわっていたし、早く起きろとそればかり言っていたから気にしていないのかと思っていた。
今朝の夢は何だったんですか、と言われてザップは答えようか答えまいか迷った。迷ったあと、それはいいと誤魔化しにもならない誤魔化しを呟く。はあ、とレオはきょとんとした声でそう言ったが、追及はされなかった。
「…俺もまあ、よくヤな夢見るんすけど」
「知ってるわ」
そう言った自分の声はちょっと拗ねているように聞こえて、ザップは少し焦った。そこでどうして俺が拗ねなきゃいけないんだ。そうは思ったが、自分で弁解するのも嫌だったから黙る。恐らくこういうところがザップを”ザップにしている”所以なのだが、今更それを直せるわけもない。恐らく一生涯このままだ。
レオは何でザップさんがそこでそんな声するんすか、とちょっとおかしそうに言った。「…………。」何でコイツにはすぐバレるんだ、と忌々しく思う。自分ならまだしも、今の声で拗ねていると分かるのは読心術の達人か、もしくは本当に―――本当にこの後輩だけだろう(もしかして師匠もわかるかもしれないが、果たして自分の感情に彼がどの程度まで興味を持つかザップにはわからなかった)。無言のあと、うるさいと小さく言って今度こそレオの頬を抓ると、痛いですって、と言いながらもレオは笑った。複雑な気分になる。
「…ヤな夢見たあと、ああ、俺の場合はですけどね。もう一回寝るんですよ」
「は?」
もう一回寝る?と言ったザップの、そーですそうそう、と言いながらレオはあ、進み始めたと独り言を呟くとのろのろとスクーターを発車させる。「まあ、ぶっちゃけそー言う時こそあんたの出番なんですけど」「え?」「世界はそこまで都合よくねーっすからね」「あ?おいそれ、」どういう意味だよ、とザップが聞いたと同時に周りが通常の速度で進み始めた。今かよ、と舌打ちしたが、レオは既にスクーターを走らせ始めていたから聞こえていなかっただろう。間に合うかな、という小さな声だけがザップの耳には届いた。
全然余裕じゃねーか、と言ったザップの腕を引っ張りながら、そうでもないでしょとレオはぱたぱたとライブラの入り口に向かう。「…なあ」「はい?早よしないとスティーブンさんに、」もー一回寝てどうすんだよ、と言った後にレオはくるりとザップのことを振り返った。
「あ。なんだ。知りたかったんですか」
「オイコラ舐めてんのかてめーは。誰だってあんなぶつ切りじゃ気になるわ」
そうですね、とレオは笑うとエレベーターの昇降ボタンを押した。「…もー一回寝るでしょ。ああ、勿論時間に余裕がある時だけっすけどね。でもほら、…そしたらそこからまたスタート的な」「は?」さっぱり訳が分からなかった。だからそう怪訝な声を上げて聞き返してしまったザップに、上手く言えませんけど、とレオは言いながら、またザップを振り返った。
「…なんか―――ほら、寝ると朝じゃないすか。大抵。だから、さっきのなかったことにして、もっかいそこからスタートみたいな。今のはちょっと、フライングしちゃいました、みてーな」
そーいうかんじ、とレオが言ったあとにエレベーターのドアが開いた。「あ。開いた。ザップさん早く」「だからまだ時間だいじょーぶだろって」そう言いながら二人で箱の中に乗り込む。レオが階数ボタンを押したのが見えた。
エレベーターが動き出す。
「……ああ、でもザップさんは、もしこの方法を知ってたとしても、寝る前にやるべきことがありましたね」
レオはそう言ってザップを振り返った。「は?」そう言ってザップは後輩を見つめる。顔つきがちょっと焦っているのは、恐らく時間を気にしているせいだろう。しっかりと彼の手に握り締められているスマートフォンには大きく時間が表示されている。
「…ほら、さっきも言ったでしょ。そーいう時こそ、」
さっき?と繰り返す前にエレベーターのドアが開いた。光が箱の中に差し込んでくる。大窓からは、ヘルサレムズ・ロットの風景より、霧より、それよりも外の夕焼けの光の方が、なぜかしっかりと見えるような気がした。
光なんて影も形もない、目には見えないものの筈なのに。
それこそ夢のようにつかみどころがないものの筈なのに。
レオの髪がちょっとだけ、きらきらと光っているように見えた。
「…俺の出番っすよ」
そう、自分を親指で指さして言った後にレオは笑うと、早く行きましょうと言ってザップの腕をがしりと掴んだ。「わわわわやっぱりそんな大丈夫でもないじゃないですか。早よ早よ早よ!」「……………。」引き摺られるようにして広間を歩いた。おはようございます、と夕方ではあるがレオはそう言って、ぱたぱたとザップを引きずったまま歩いていく。その大きくもない背中を見ながら、ザップはぼんやりと思い出していた。
今朝見た夢のことだ。
夢だったから細部は思い出せないし、時間が経ち過ぎているせいもあったから具体的な内容は殆ど記憶にない。ただ、レオがいたということはうっすらと覚えていた。その夢を見る直前まで、あんなに触ってあんなに顔を見て、あんなに噛み付いていたというのに。
別に夢の中までも、顔を見たいと思っていたわけじゃない筈なのに。
レオがぐいとドアノブを掴んで勢いよく扉を開いた。仏頂面の上司がドアが開いた音により、クラウスに向けていた視線をこちらに鋭く向けてきた。それこそ本当に氷のようである。
「お、おはよーございますスティーブンさん!ち、遅刻じゃありませんよね!?」
「…おはよう二人とも。…まあギリギリセーフだな。はいそれじゃあ始めるぞー」
レオの必死の訴えのせいか、それとも二人揃ってやって来たせいなのか、スティーブンは結局途中で苦笑して、腰に手を当てた。その声を聞きながら、よかったとレオが胸を撫で下ろしている。「…………。」けれどザップは口が利けなかった。ついさっきエレベーターの中で聞いた言葉がぐるぐると頭の中を駆け回っている。俺の出番。俺の―――言っている意味はわかったが。
「………なんかムカつく」
ちいさく呟いたそれは、ザップにしか聞こえなかった。
…そしてまたその時それがザップに起きた。
すぐ横にいるのに。すぐ隣にいるし、どういうわけかまだレオに自分の腕は掴まれて、いるのに。
レオの顔が見たいな、とそう思った。
そしてその夜、レオはどうだか知らないが、ザップは夢を見なかった。代わりに夜中なぜか目が覚めて、すぐ横にいるレオの顔が見えた後。
「…………やっぱりムカつく」
そう言って何となく、レオの頬をザップは抓った。
終
ワンドロお題でかいた記憶があるのですが、お題忘れてしまいました…すいません…。