けっこんしようよ

2016/07/02


ある日先輩がとんでもないことを言い出した。


「あ〜〜〜〜〜〜…レオと結婚してたらな〜〜〜〜…」
がしゃん、という音は僕が食器を取り落した音で、つまり僕らは二人で夕飯を食っていたところだった。無言で顔を青くしている僕に向かって、あんだよと職場の先輩であるザップ・レンフロという男は首を傾げて、フォークで肉を突き刺している。
「……、…な、何言ってるんすかザップさん…ついに薬が脳まで回ったんですか?」
「おいこらぶん殴るぞ」
そう真顔で言ったザップさんは、ぽいと肉を口の中に放り込んだ。ぶん殴りたいのは俺の方なんですけど、とは思ったが口にしなかった。流石にそれは本当に殴られるからだ。その程度の予想はつく。
「…だってよーほら、したら」
家帰るじゃん、とザップさんはいたく面倒臭そうに言った。たぶん説明が面倒なのだろう。「飯があって風呂入れてあって、ついでに言えば部屋は片付いてるわ洗濯はしてあるわで」
めちゃくちゃ楽じゃん、と言われて僕は顔を顰めてしまった。いやいやいや、そもそも根底から結婚という制度を誤解してますよねソレ。何という亭主関白男尊女卑だこの21世紀に、と思いながら僕はあのですね、と言いつつ自分でもフォークで肉を突き刺した。
「そりゃただのお手伝いさんでしょ。てか、都合のいい奴じゃないすか」
「そーか?」
そうっすよ、と言いながらもぐもぐと肉を食っている僕の前で、もう一度先輩は首を傾げる「…?思ってねえぞ」「思ってたらもっと怒りますよ」「もっとってオイ」何に怒ってんだよ、と言われて確かにとそこで気が付いた。僕は一体何に怒ってるんだ。
――――怒ってるっていうか。
「……、…えーと、いや、ほら。ともかくですね。冗談はやめてくださいって」
「じょーだん」
冗談ねえ、と繰り返してザップさんが首を傾げる。「んでも帰ったらおめえに常に会えるっちゅーことじゃねーか。楽でいい」きっぱりとそう言った先輩はまた肉を口に入れる。
楽ってどういう意味だ。
嬉しいとか会いたい(はーと)とかならまあ、まだ言いたい意味は分からんでもないけど、なんか楽って…楽ってどうも喜べない。いやまあ嬉しいとか言われたいわけではないけども。絶対。
「……、……と、ともかく俺はやですよ。籍だけならともかくザップさんどーせ式とか指輪交換とか新婚旅行だとかやりたがるでしょ。ぜってーやっすよ面倒臭い」
「………………。」
無言になってしまった。ありゃ、と僕は顔を上げる。もぐもぐとさっき口に入れたサラダを噛みながらなんれすか、と言った。大人になっても子供みたいなことばっかりしてるなあ、とそう思ってしまった。
「?…な、なんすか」
恐る恐るそう言ったのは、先輩がびっくりしたような顔で僕を見ていたから。びっくりしている割に、結構目はきらきらしていてなんだかまるで遠足前の子供みたいに、見える。「………あのう、」ザップさん、と僕は言いながら首を傾げた。何だろう。何か僕は不味いことを言ってしまったのだろうか。
ちょっと黙っていたザップさんだったが、レオ、と少しためらいがちにそう言った。こんな風な彼は物凄く珍しい。けれど僕は返事があることに少しほっとしたのでそっちはどうでもよくなった。
「は、はい。なんですか?」
「……つまりおまえ」
籍だけならいいのか、と言われてはっとした。「………、い」いやそうじゃありませんちがいます、と思わず大きな声で言ってしまい、途端にザップさんが爆笑を始める。「お、おま、…そりゃーねえよオイ。…、…だ、……つまりおめーはさ」
怒ってるっつーわけじゃなくて、と言われて嫌な予感はしたのだ。

「…照れてるだけか」

「―――ち、」
ちがいます、と言いながら僕はたぶん、結局真っ赤な顔になっていたのだろうから、説得力はなかった。