V.S.

2016/05/22


正午になった瞬間に立ち上がった先輩がよし、と一言言いながら煙草を灰皿に押しつけた。「飯だ。行こーぜ」「はーい」そう言いながら自分も立ち上がる。早く行かないと、昼時は混雑が激しいから席が無くなるのだ。
「何食います?」
そう言ってもう口寂しそうにしている先輩を見上げると、そーだなと言いながらザップ・レンフロが悩むような顔を見せる。「……………おし。ピザだ」「ええー。俺昨日食いました。てかほぼ毎日匂い嗅いでるし」「知るか」俺はピザが食いたくなった、と言いながらザップが歩き出したので、慌ててその後を追う。通常ならばここにツェッド・オブライエンが加わるが、今日は朝から出かけていていない。昼までに戻れたら戻ります、と言っていたが戻ってこないのだから長引いているのだろう。
「わーったわーった。夕飯はおめえが食いたいやつにしてやっから」
「つまり俺に作れってことじゃないですか。もー」
我儘だなあ、と言ったところでやっと先輩に追いついた。足を止めたザップの背中にぶつかってむぎゅ、と変な声を上げる。「突然止まらないでくださ、」「誰が我儘だこの野郎」「あっ痛い痛いいたたたたたごめんなさいごめんなさい痛い痛い痛い」両頬を抓られて呻いている時だった。少年、という声にザップの手と、それから自分の声が同時に止まった。
「スティーブンさん」
頬を押さえながら振り向くと、そこには上司のスティーブン・A・スターフェイズが呆れた顔をして立っていた。「君はこっちだ。おいで」「おいでって」子供じゃあるまいに、と顔を思わず顰めてとことこと上司の許に歩いた。
「えー。何スか今から飯なんすよ」
そうザップは言って腕を組んだ。不貞腐れたような顔をしている先輩を背後に、というわけなんすけど、とレオは言いながらスティーブンに首を傾げた。
「なんでしょうか。調査かなんかですか」
「いや。今日は悪いが僕と昼食に行こう」
そう何でもないことのように言われて、声を上げたのはレオだけではない。当然のようにザップがはあ?と言いながらこちらにつかつかと歩いてきた。慌てて振り返ろうとしたレオの肩を掴んで、そのままザップが後ろから寄りかかってくる。わわっと慌てたような声を上げてレオは結局そのまま上司を見上げることになった。
「なんでコイツだけ。ずりーっすよ!」
「何がずるいんですか何が。奢られるとは一言も」
「…いやそれは僕が持つけどな。てゆかザップおまえ」
そこかよ、とスティーブンはそこで初めて笑うと、悪いが貸してくれとおかしそうに言った。「仕事だ」「…………。」そう言われてしまうと、張本人であるレオもそうだがザップだって何も言えない。何しろ上司命令だ。てか俺は物じゃないんだけどな、とこっそりレオは溜息を吐いた。
「…分かりました」
そう渋々と言ったザップの声を聞きながら、レオははあ、と困惑したように頷いた。仕事。つまり昼飯がてらの仕事の話になるということなのだろうが――――それにしたって珍しい。大抵そういうのはスティーブンと、それから長であるクラウス・V・ラインヘルツの仕事だから、自分とスティーブンがそういうことをするのは初めてだ。
「…んじゃザップさん。また午後」
「わーったよ」
そう言うとザップはそのままなぜかレオの頬を軽く抓ってきた。「うわ。なにすんれすか」もごもごと呟いてザップのことを見上げた。後ろ向きだったので顔が逆様に見える。今更だけど黙ってれば本当に綺麗な顔をしている、と今更のように思ってレオはまじまじとザップを見つめてしまった。
「………なんだ」
そう言ってザップはおかしそうに笑うと、そいじゃ俺は飯に行くわと言いながら踵を返してさっさとドアの方に歩いて行ってしまった。唐突に離されたからバランスが崩れる。わ、と言いながら慌てて体勢を整えた。
「あぶねーなもー…」
そう言いながら頭を掻いているレオを、スティーブンが困ったような顔で見つめていた。はっとして振り向くとすみませんとレオは慌てて謝る。けれど一体それが何に対して謝っているのかはよくわからなかった。
「謝ることはないだろ。…ま、いい。行こう。…ピザは昨日食べたんだったか」
「あ。聞いてましたか?……ええと…」
はい、と言って笑ったレオだったが、その時は露ほども知らなかったのだ。
――――これから起きることについて。



ただいま戻りました、と言いながら戻ってきた先輩を見て立ち上がった。「あ。なんだお前先戻ってたん、」最後まで聞き終える前に、ザップの腕を掴む。ザップが変な顔をした。
「なんだよ。金は返さねえぞ」
「………………。」
いつもだったらいやいやいつかは返して下さいよ、と言っているところだ。しかしながら今日はそんなことを言っていられる余裕もなかった。ザップの腕を掴むとずるずると部屋の奥に引っ張り込む。なんだよ、と言いながら面倒臭そうにザップがレオの後をついて来た。
「……おい流石にここじゃまずいだろ。いや俺は別にいーけどお前声押さえられんの?」
そうひそひそと、しかし半分以上楽しそうに言ってきたザップの言葉に動きを止める。ばたん、とドアを閉めた後も黙っているレオを流石に不審に思ったらしい先輩は、ん、ときょとんとした声を上げた。
「なんだよダーリン。甘えんならもーちょい分かり易く甘えてほしーね」
今度こそ九割がた楽しそうに言ったザップの声を聞いて、レオは彼に背中を向けたまま小さく呟いた。「……あー…ああ、…あーほんとだ。…こーいうとこだ……」だから何だって、というザップの声の後にかちんというライターの音が聞こえた。

「………バレました」

そう言ってぐるりとザップの方を振り向くと、ザップは呑気にもテーブルに寄り掛かって煙草を喫っていた。「?」何がだ、とでも言わんばかりの顔でレオを見つめてくる。その呑気そうな顔を見ると、益々自分の中に絶望感が湧いてきたことをレオは意識した。
しかし冷静になってみればこの段階でザップを責めるのはおかしい。なぜならザップはこの時何が起きたのか知らないからだ。だから本来ならそういう感情を抱くべきなのはこの後だった―――つまり。
「………俺達が付き合ってることがスティーブンさんにばれました」
こう言った後だ。
レオが一気にそう言った後、ザップは一瞬ぽかんとした顔になった。喫っていた煙草を手に取ると、煙と一緒にマジか、と少し間を空けてそう言う。「……まじっす…」そう呻くようにレオは言うとよろよろとザップに近付いて、彼の腕をがしりと掴んだ。ばれた。上司にばれた。つまりそれはクラウスにも、つまりはギルベルト・F・アルトシュタインにもいずれは伝わるということである―――下手をすればその他の構成員達にも一気に伝わる。プライベートだなんだと言ったところで、自分とザップは友だち兼同僚でもあるのだから、そういう面で皆に隠していては不都合があると言われればぐうの音もでない。どうしましょう、と言おうとしてレオは顔を上げた。

「よっしゃー!!!やっとか!!」

ぱあっと先輩が物凄く嬉しそうな顔をしてそう言ったのはその時だった。「……………はい?」当然レオはきょとんとした声を上げる。何を言っているんだ、とそう思った。


レオとザップは付き合っている。友達と言う意味ではなく、付き合っている。付き合っているの意味はともかくとして、つまりレオはザップが好きだったのだ。上にどういう偶然か、ザップもそうだったらしい。それが分かったので何となく、こうなった。お互いそういう話を改まってしたことは全くないのだが、どうもレオが見た限りでザップはレオとしか付き合っていない、らしい。ただザップが本気で隠していたらレオには知る由もないので、本当のところ彼に今愛人がいるかいないのか、真実は分からないが。
けれどたぶん、とレオは勝手に思っている。たぶん、あの人今は俺だけだ。
ある日ふとそう思って一人で真っ赤になり、寝ようと小さく呟いて布団に潜った。それに気が付いたら矢鱈と緊張して、矢鱈と顔が熱くなって、矢鱈と。
―――ザップさんの顔が見たいな。
そう思って益々顔が赤くなり、結局レオはその後二時間は毛布に潜って唸っていた。ソニックが煩そうに顔を顰めていた事は覚えている。

しかし。
付き合うとか付き合わないとか、そういうことを改まって話したことはない。けれども他に改まって話したことはある―――この関係を絶対に周囲にばれないようにする、というのがそれである。
当然のようにザップはそれを聞いて難色を示した。ぜってーヤダ、と端的に言って話を打ち切ろうとしたので、レオは慌てて待って待ってとザップを無理矢理起こした。その話をしたのはベッドの中だったのだ。
『あんだよ。ぜってーヤだよ俺は。てか隠すのめんどくせーよ』
『俺がそこは頑張りますから。お願いしますお願いします』
ばれたくないんです、と必死に言ったレオをザップは睨むと、何でだよと言いながら腕を組んだ。『いーだろバレても。てか隠すのも不自然だろ』『だ、だってそんな』嫌ですとレオは言うとザップを拝むようにして、頼んだ。ザップは益々不満そうにだから何でだって、とそう言った。
『だ、だって。…付き合ってるなんてそんなのなんか、………。』
―――好きだって言ってるようなものだ。
そう、言いたくなかったが言わないと拗れると分かっていたのでレオは渋々そう言って黙った。俯いてザップの返事を待っていたが、ザップから返事はない。怒ったのかな、と思いながらそろそろと顔を上げると、唐突に頭をぐしゃぐしゃと撫でられてわあとレオは声を上げた。
『な、なんですか?なに、いたたた』
『…………まあ』
許してしんぜよう、とふざけた口調でザップは言うとおかしそうに笑ってレオを抱き締めて、そのままベッドに引っ張り込んだ。『わあ!?』ぎょっとしてレオはそう叫んで何ですかと先輩に問いかけたが、ザップからは返事がなかった。代わりに再び嬉しそうに先輩は笑ってぐしゃぐしゃとレオの頭を撫でたので、レオは益々困惑した。よく分からない。なぜ突然機嫌がよくなったんだこの人。
ともかくそんな理由で付き合っている―――のかは曖昧だが―――ことをレオとザップはライブラに隠していた。勿論、それ以外の人たちにも。
それがバレたのだ。
というかバレていたのだ。
『…少年もザップもお互いが凄く好き合っているのは分かるんだけど』
もう少し節度を考えようか、と言われてレオは最初何を言われているのか分からなかった。ぽかんとしてサーモンを口に入れるのを止めたレオを、スティーブンは苦笑して見つめる。『…ええと、だからな?お前達』
付き合ってるんだろ、と言われてナイフを取り落すのに時間はそう要らなかった。

「……ちょ、ちょっと待って下さいよ。何でそんなに喜んでるんですか」
バレたんですよ、と言った後にはっとした。元々この先輩は別段隠したいとは言ってなかったのだ。それに思い至ってレオは益々絶望的な声で呻いた。つまりこうなって困るのは俺だけじゃねーか。そこに思い至ったのだ。
「何でっておまえなー。こんで堂々といちゃつけるじゃねーか」
「どーしてそうなるんですか!?いちゃつけねーから!」
てかそこですよそこ、と言いながらレオは本題に移る事にした。今までのことが本題と言われればそうなのだが、スティーブンから話されたのはそこではない。なんだよとザップは物凄い笑顔のままで腕を組み、テーブルに座った。
「……いや、あの。なんかわかんないけど。節度を大事にってスティーブンさんが」
「セツド」
片仮名発音ですよ、とレオは言うとザップを見上げる。「…そ、その。俺もよくわかんねーんすよ。でもなんか、あの人曰く俺らちょっとくっ付き過ぎだって」「はあ?」仕事中で、と端的に聞かれてそーですとレオは肯定する。
「…………そーか?」
そーでもねえだろとザップは言うと首を傾げた。「…と、俺も思うんですけど…」言いながらレオは頬を掻く。だって今まで必死に隠してたんだからそんなことあるわけないじゃん。スティーブンにそう言われた時普通にレオはそう思った。と、いうわけでそういうことを、やんわりと、丁寧に、それから僅か否定を交えた言い方でレオはスティーブンに言った。
『………当時者はそう言うんだよな』
まるで被害者のような顔でそう言うと、スティーブンはもぐもぐと人参のソテーを食べていた。どういうことなんだ、とレオは怪訝に思いつつも、ひょいとブロッコリーを口に放り込んだのだ。美味しかった。
「…と、とりあえずでもまだスティーブンさんにしかバレてません…!あとは俺達次第という訳ですよ…」
「おまえ楽しそうだな」
楽しいわけないでしょ、と言いながらザップの腕を掴んだ。「節度云々はぶっちゃけどうでもいいんすよ。たぶんそれは大丈夫でしょこれまで隠してたんだし。それより俺はスティーブンさんにバレたことのがヤなんすよ」「嫌ってオイ…」そこまで言うこたねーだろ、とザップにデコピンされた。イテ、と小さくレオは呻いて、ともかくとザップの顔を見上げる。
「…気を付けましょう。ツェッドさんとかチェインさんにまでバレないように」
「旦那はいーのか」
「や、なんか…スティーブンさんにバレてるってクラウスさんにも伝わってるような気がして…」
それもそうか、とザップはまた嬉しそうに笑うとレオのことをいつかみたいにぐしゃぐしゃと撫でた。何でそんな嬉しそうなんだろう、とまじまじとザップを見上げると、なんだよと先輩は笑ってレオの前髪をかき上げた。
「わ、」
びくっと目を瞑った途端にちゅっと言う音がした。額にキスをされたなんてことは音を聞くまでもない。感覚で分かる。「………あの」何でそんな嬉しそうなんです、と言いながら額を押さえたレオのことを見て、またザップは嬉しそうに笑った。返事はなかった。

ドアが開いたのはその時である。

「…………午後から会議に使うんだが」

その声にレオだけがぎゃあと声を上げた。「す、すすす」スティーブンさん、と言った自分の横ですんませんとザップがどうでもよさそうに口を利いた。「…………少年。あのなー僕はザップに言っても仕方ないなと思ったから君を呼んだんだけど」「は。え、な、何を」引き攣った顔をしているレオのことを呆れたように見つめながら、スティーブンが部屋に入ってきた。
「…ザップに言ったところで話を聞く訳ないだろう。だから君に言ったんだ。節度を大切に、と」
「セツドセツドってスターフェイズさん」
いーでしょ仕事に影響ないんだから、と言いながらザップに腕を引っ張られた。「わわっ」どさ、とそのまま後ろから先輩に抱きしめられてレオはひええ、と声を上げた。恥ずかしい。こんなことを人前でしたことはない。
「確かにどーいうわけか影響はないけどな。………あー、そうか…そーなるんだなお前は…」
「?何がすか」
そう不思議そうな顔でザップが言った。「…いや、何でもない。ともかく二人ともそーやって事務所であんまりいちゃつかないように」「い、」いちゃついてないです、と真っ赤な顔をしてレオは言い返したがこの状況で言っても説得力は一切無かった。ザップはわかりましたと棒読みで言ったので、聞いているかどうかすら怪しかった。


そして午後の仕事は聞き取り調査だった。「…なんか探偵みたいですよね」偶に思うけど、と言いながら地図を見ているレオの上にザップが腕を乗せた。「うお」重い、と呟いたレオの上から、いーからちゃっちゃと道を探せとザップが言った。煙草の匂いがする、と顔を顰めながらもはいはいとレオは返事をする。
「えーと。そしたらこっちこー行って回った方が多分早いっす。昨日そこの道大破してたから」
「毎日地図が変わるなこの街」
「今更っすよ」
肩を竦めた後、んじゃ行きましょ、と言って顔を上げる。「んー」そうザップは言うと自棄に機嫌良くぺたぺたとレオの頬を触った。「な、なんですか?」そう言って地図を握りしめたレオの上からやっとザップが退く。
「…オラさっさと行って仕事終わらせて帰ろーぜ」
アホみたいに嬉しそうな顔でザップはそう言った。「…なー」聞いてて恥ずかしくなるくらい柔らかい声だった。酔っている時と似ている、とレオは思いながらザップを見上げた。ん、とアホみたいな顔のままザップは瞬きした。
「なんだ。キスしてほしーか」
「ど、どどどどーしてそうなるんすか!?仕事中なんだからやめ、」
抵抗をしても無意味に近い。腰から引き寄せられてわあと声を上げる間もなかった。思わず目を瞑ったが予想していた動きは無かった。あれ、と思ってそろそろと目を開ける。
途端にぐいと顔を上げられた。「…っ、ざ、」ざっぷさん、と言った自分の声が震えてしまった。いやいや仕事中、仕事中なんすけど!そう言おうとしたのに目を瞑ってしまった。レオ、という声がいつもよりもやっぱり、柔らかく聞こえてくる。

「あのう」

そこでレオだけが固まった。「…あちらの道が今丁度大破したみたいです。別ルート探した方がいいですね」その声と一緒に現れたのはツェッド・オブライエンだった。彼も同時に調査に当たっていたのである。
あのう、という声と同時に固まってはいたがレオは反射的にザップから身を離して路地裏の壁にくっついていた。背中がざらざらと音を立てているのは、恐らくコンクリートに服が擦れているせいだ。
「マジか。んじゃしゃーねーな」
そうザップは平気そうに言うと頭を掻いた。さっきまでしていたことなどどこ吹く風といった様子にレオは絶句する。一方自分の顔は真っ赤だった。
「……つぇ、つぇ、つぇ、ツェッドさん。い、いいいいつから」
「?今さっきです。どうしたんですかレオくん」
「……………………、な、」
なんでも、ともそもそと言ったレオの腕ががし、と掴まれた。「え」「行くぞバカ。さっさとしねえと終わるもんも終わんねえ」「は」はあ、と言いながら引っ張られるようにして路地裏を出た。それにしてもときょとんとした様子でツェッドが首を傾げる。
「何であんなところで地図を見ていたんですか?暗いのに」
「え。ザップさんが………、………ん?」
そういえば何であんなとこで、と言ってやっと手を離されたレオはザップを見上げる。「………。」無言でザップは歩き始めていたが、一瞬だけレオの方を見下ろした。目が笑っている、ということに気が付いてレオは真っ赤になった。
「し、ししし仕事中だってば!!アホかあんたは!」
「知ってるっつの」
そう言った後レオの額が小突かれた。小突くというよりも軽く叩かれたというか、触れられたと言うか、つまり全く痛くはなかった。けれど思わずレオは額を押さえてしまい、何も言えなくなる。顔が赤いということくらいは自分でも分かった。
「…………。」
そんな二人の横でやれやれと言った様子でツェッドは地図を見返している。けれどレオはそんな同僚に気を回す程余裕がなかった。


んじゃ帰るかと言いながらザップが欠伸をした。「ねみー…」「永眠したらいいのに」「オイ」聞こえてんぞと言いながらザップが憎々しげにチェイン・皇を睨んだ。チェインはそれを完全に無視すると、レオの方を振り向く。ちょっとどきりとした。やっぱり綺麗だよなあと今更のように思う。ぞっとするくらいの美人と言うのは、彼女の為にあるような言葉だ。
「…レオ今夜暇?」
「……………え。お、俺?」
「ちょお待てコラ」
ぎょっとしたレオとは対照的に、ザップはそう言って顔を顰め、ソファから立ち上がった。「犬、おまえよく考えろ。こんな奴逆ナンするとかどんだけ切羽詰まってんだ」そう真剣な顔で言ったザップにレオが文句を言う前に、チェインが動いた。ごす、という音と一緒に先輩の呻き声が聞こえる。
床に寝転がっているザップの上に載ったまま、映画のチケットが余っててさ、とチェインはポケットから二枚チケットを取り出した。「え。お、俺?」同じ事を言ってしまった。チェインはそんなレオをちょっとおかしそうに見つめると、私行けないんだよねと淡々と言った。
「え。あ。…、…そ、そーですか」
「おい陰毛頭…なんだその声は…………何がっかりしてんだコラ…」
床からはそう聞こえてきたが、レオはさっきのことがあったのでそれを無視した。そしていつもの如く、チェインも無反応のまま足をぐりぐりとザップの上で動かしたので、再度悲鳴が上がる。
「……あ、今日までなんすね」
「うん。だから暇だったら行って」
好きな相手と、と言われて思わず顔を上げた。「?」どうしたの、とチェインはきょとんとして大きな目をぱちぱちと瞬かせた。「?フツー好きな相手と行くでしょ?」「え?あ、…あー、ああまあ…そりゃあ嫌な相手はわざわざさそいませんね…」「でしょ」カオ赤いよ、とチェインはおかしそうに言った。
「………や、てゆかオマエいい加減退け」
ザップのその声に舌打ちをしてチェインはひょいとその場から動いた。舌打ちすんなと文句を言ってザップが立ち上がる。レオが持っている映画のチケットを見て、うへえとでも言いたげな顔になった。
「おま…何似合わねえモン持ってんだよ。すっげえベタベタな恋愛モンじゃん」
普段だったら殴ったり蹴ったり踏んだりするものの、チェインはちょっと頬を膨らませてプイとそっぽを向いた。どうも自分でもそうだと思っていたらしい。「…煩いな。貰ったんだよ私だって。自分で買った訳じゃないから」「そーなんですか」いいんですか、と言ったレオにだから私行けないんだってとチェインは肩を竦めた。
「あ、そっか。んじゃ貰います。あざます」
うえー、とそこでザップが声を上げた。「マジか。俺多分途中で寝るぞ」「いーすよ別に。毎度そうだし」「悪かったな」悪いと思ってないでしょ、と言ったレオに、またしてもチェインがぽかんとした顔を向けてきた。
「…え。猿と行くの?」
そう言われてはたとその事実に気が付いた。自分ですら、余りにも自然にその考えに行きついていたことに気が付かなかったのだ。無意識でザップとそうやって、一緒に映画に行こうと喋っていたことに慌てた。「あ、や、……えー、えーと」その、とばたばた手を振りながら言った自分の顔が赤くなっていく。チェインが益々怪訝な顔になった。あああ。あああどうしようどうしよう。泡を食うとはこのことだった。
「………………いや、別にそんっな赤くなることはないんだけどさ」
そうチェインは言うと苦笑した。「…でもアンタマジで行くの?チケットが無駄になるんだけど」「悪かったな」「いや、だから悪いと思ってませんよねソレ。てかアンタ映画好きじゃないすよね」そう言ったレオを見てザップはまあなと言いながらひょいとチケットを一枚手に取った。
「まーな。しかもこの手のやつは見る気もしねえ」
「…………………。」
思わず無言になったレオだったが、ザップはいつものように怠そうに腕を組んだ後、煙草を咥えた。「…でもレオは好きなんだろ。んじゃいいよ」「………はあ」そうですか、と言ってレオはチケットをザップの手から奪い返す。失くされる可能性が高かった。
「…………………。」
チェインはふむ、と言った様子で二人を眺めていたが、まあいいんだけどさと言って頭を掻いた。「…なんかアレだよね。ごちそうさまってやつだよね」「?はい?」なにが、と言ったレオではなく、隣に突っ立っているザップを見て、幸せそーで何よりとチェインは言うとぱっといなくなった。希釈だ。おお、とレオは声を上げる。いつ見ても慣れない。
一方ザップはと見れば、なぜかドヤ顔をしていた。なぜに。レオはそう思ったが、ともかくそれじゃとザップの袖を引く。「映画行きましょ。時間的にその後飯っすね」「ポップコーン買おうぜポップコーン」それ目当てでしょ、と笑って言うとレオはザップと一緒に執務室に向かう。帰りの挨拶だ。
「スティーブンさんクラウスさんK・Kさん。俺ら上がります。お疲れ様っした」
「おつかれっしたー」
そう言い合った二人に、ねえねえとK・Kが自棄に楽しそうにに言った。彼女の眼がきらきらと輝いている。「どっちがどっちに先に告白したの?」それを聞いて何も飲んでないのにげほ、とレオは咽た。―――お、おお!?
「な、ななな、なんでそれを!」
「レオっすね。レオが俺に付き合ってくれないと死んじゃうんですとこう」
「言ってねーよ!?」
それじゃザップっちなの、と爆笑しながらK・Kが言ってきたので、レオは益々顔を引き攣らせた。なぜ言ったんですかという意味でスティーブンの方に視線を向けたが、スティーブンは無言で首を振った。………え?言ってない?怪訝な顔をしたレオに、こくんとスティーブンは頷いた。僕は言ってません、という顔をしてコーヒーを飲んでいる。
―――じゃあなんで知ってるんだ?
そうレオは思ったけれど、よくよく考えると絶望的なそれに至りそうだったから考えるのはやめた。
「や、も、もーやめてください!帰る!帰りますよザップさん!」
そう言って真っ赤な顔のままザップの腕を掴み、執務室からぐるりと踵を返す。しかしザップが動かないせいで変なかたちで身体ががくんと止まった。まだ先輩は顔を半分執務室の中に入れていた。
「……そーいうのって」
人に言うもんじゃないでしょ、というちょっと嬉しそうな先輩の声が聞こえてきて死にたくなった。いや、いやいやそれを言うなら今のアンタのそれもそーだからね、とレオは言いたかったがそんな余裕もない。慌ててぐいぐいと更にザップの腕を引っ張った。「は、早よ行きますよザップさん!ポップコーン売り場が混むでしょ!」「あーあー分かったよクソガキ。…そいじゃ」お疲れ様でした、と二度目のそれを先輩が言ったのと同時にばたん、とドアを閉める。「…………アホすか」そう言ったレオのことを、誰がだよ、とけれどザップは嬉しそうに笑って見つめた。ぐしゃぐしゃと頭を乱暴に撫でられたが、なんだかレオは何も言えなくなってしまった。


「…………おっかしいなあ…?」
なんか酷くなってるよな、と言いながら執務室で腕を組んでいるスティーブンの横ではクラウス・V・ラインヘルツが書類をまとめている。「センセーが余計なこと言うからじゃない」「…僕のせいか?」そう顔を顰めて言ったスティーブンを見て、K・Kはおかしそうに笑った。
「あの子達ってサー、やめろって言われたら絶対その逆行っちゃうでしょ。そんな感じよ」
「そんな感じって………いや、ザップはともかくとして少年もそうか?」
そう話している二人の後ろで、やっぱりクラウスは書類を纏めている。『お付き合いおめでとう祝賀会』と書いてあるそれを見つめて、スティーブンは頭を抱えた。「………なんかこう…僕がやることは全部裏目か…?」そう呟いた彼に、K.K.がまた笑った。