Spring has come!
2016/05/04
「………それにしても」
仲が本当にいいですね、と肩を竦めてそう言ったツェッドのことを、先輩二人がきょとんとした顔で見つめてきた。「なにが?」「誰が?」同時にそう言われてツェッドは何を言っているんだ、と真顔で言いたくなる。…何って。誰ってそんなの言わなくても分かるだろう。普通。
「お二人のことですよ。お付き合いでもしてるんですか」
自分らしくないことを言ってしまった、と思いはしたのだ。何だかまるでそれは嫌味みたいだったからだ。一体何に対しての、誰に対しての嫌味なのかはツェッドにも分からなかったけれど。
しかし次の瞬間予想外のことが、起きた。
「……?そーだけど?」
……――――え?
肯定した本人である、ザップ・レンフロをぽかんとしてツェッドは見つめた。兄弟子でもあるその男は銀髪に褐色の肌、黙っていれば恐らく見目はいい。口を開いた途端に色々なことが台無しになるから、一生口を開かなきゃいーんだ、と同僚であるチェイン・皇なんぞは言う始末だった。
一方でザップの隣で一緒にゲームをしていたレオナルド・ウォッチという、やっぱりツェッドの先輩は、固まっていた。糸目のせいかいつも穏やかそうな顔が引き攣ったように硬直している。こちらはくしゃくしゃの黒髪に幼い顔立ちをしているから、ザップと並んでいると全然似ていないのに兄弟に見えることがある。とは言え精神年齢は真逆だ。レオは見た目の割に大人だし、ザップは見た目の割に子供だった。
「?何だそのカオ。付き合ってるって。だから」
ザップはそう、何でもないことみたいにそう言うとレオそっちどーなった、とまたさっきまでやっていたゲームに戻った。レオは明らかに狼狽えたような顔になると、何か言いたげにザップを見つめる。しかし何も言えないようだ。ザップは何だよ、と言いながらおかしそうに笑った。その顔を見てツェッドは驚いた。―――誰だこの人。びっくりするくらい穏やかな顔をして笑った兄弟子は、どうしたと言いながらレオの頭に手を置いた。そこでやっとレオは覚醒したらしい。泡を食ったような顔で、ツェッドの方を振り向いた。
「……あ、」
眼が合った。途端になぜか、レオではなくツェッドがぎくっとした。何しろレオは物凄く赤い顔をしていたからだ。照れていると誰が見ても分かる顔色である。つまり、それはザップが言ったことが真実であるということの肯定に他ならない。益々ツェッドは呆気に取られた。
「……ええと」
本当に、と言いながら二人の向かいにあるソファに座る。レオは真っ赤な顔をして俯いたが、ザップはそうだよとどうでも良さそうに肯定した。恐らくどうでもいいのは、返事をすることそのものに対してであって、話の内容のことではないのだろう。
「おいレオ。早よしねーとこのクエスト終わっちまうぞ」
「……あ、は、はあ…」
そうすね、と言いながらこくんとレオが頷いた。さっきからなぜかレオはツェッドと会話をしようとしない。少しだけ悲しくなった。別に拒否されているわけではなく、照れているだけだとは思うのだが、それにしても目が合ったのも一回きりだし。たかが5分もまともに口を利いていないというだけでこんなに悲しくなるものか、とツェッドは自分に少し呆れた。
「……おいなんだ。どーした」
顔あけーぞ、と明らかにおかしそうにザップは言うと、またツェッドが見たことない顔で笑い、レオの頬を軽く抓った。抓られた方のレオは真っ赤な顔をしたまま、慌てたような表情で狼狽え始める。ゲームを持った手まで赤くなるのが見えるようだった。
それを見てツェッドは溜息を吐いた。「……なんだよ」その溜息はよ、と言いながらもザップはレオの頬をぐいぐいと弄っている。「…ちょ、や、やめてくださいよ」そう言いながらレオはザップのことを押したが、あんまり意味はなさそうだった。何しろ顔はまだ真っ赤なままだ。
「……………えーと…」
いつから、と首を傾げたツェッドのそれに、レオはうぐ、とでも言いたげに高速で俯いた。一方ザップはレオの頬を抓りながら一週間くれー前だけど、とやっぱりどうでもよさそうに言ってツェッドの方に顔を向ける。「…てゆかそれが何だよ。何か文句あんのかコラ」どうしてそうケンカ腰なんだろう、と思いながらありませんよとツェッドはすぐさま否定する。文句はない。文句はないのだが。
「…疑問はあります」
「あ?」
「……、…ざ、」
ザップさんいい加減手を離してください、とレオがもごもごと言ったので、そこでやっとザップは手をレオの頬から引っ込める。レオやザップの手から離れたゲーム機は、テーブルの上で既にスリープ状態になっていた。
レオは未だ真っ赤な顔のまま俯いている。ただし手はザップの服の袖をしっかりと掴んでいた。無意識なのか、それとも何らかの拠り所なのかは分からない。ザップはそれに無論気が付いているだろうが、文句の一言もなかった。ツェッドの知っているザップは、あんなことをされたらすぐにうぜーとか離せとか文句ばかり言っているのに。
「疑問って……、……あ、そーいや飯どーする?」
はたと思い出したようにザップは言うと、ツェッドの方を見ていた視線をレオに戻した。びく、とレオはそれを聞いて無意味に反応したが、俯いたままもごもごと返事をした。
「…いーじゃないすか。ビビアンさんとこで」
「夕飯だって。夕飯」
「…び、ビビアンさんとこでいいじゃないすか」
「?オメー昨日肉買ってたじゃん」
「…だ、だって俺の飯別に美味くない、……」
そう言ってレオが顔を上げた途端、またしても固まった。ザップがレオのことをじっと見ていたせいで目が合ったのだろう。物凄く狼狽えたレオを見て、ザップがまたおかしそうに笑ってひょいとレオのくしゃくしゃの前髪を軽く掴んだ。くるくると指でそれを弄られているのにレオは何も言わない。というか言えないらしい。真っ赤なまま硬直しているのを見て、ツェッドは何となく目を逸らした。……自分の目の前にだけ、春が来てる。
昼を食べたあと厨房に行くと、レオが棚からコップを取り出しているところだった。さっきのこともあるし、恐らく今声をかけたらびっくりするだろうな、と思ってツェッドは黙っていた。しかしレオはよいしょ、と言いながら降りていた踏み台から面白い程綺麗に足を踏み外した。「おわっ!?」悲鳴が上がったと同時に足を踏み出す。どさ、とそのままレオを背中から受け止めた。そもそもそんなに高い台ではない。
「……っ!……、…び、びっくりした…!!っ……、…」
「……大丈夫ですか?」
危ないですよ、と言いながら見下ろすと、逆様にレオがツェッドを見返す。「つぇ、ツェッドさん……すいません」ありがとうございます、と言ったレオのことを大丈夫ですか、ともう一度ツェッドは見つめながら、聞いた。
「あ、ハイ。だいじょぶっす。ツェッドさん受け止めてくれたから」
よかった、とレオは苦笑いした。「気を付けて下さいよ」はい、と言いながら手をそっと離すと、レオは有難うございますとまた礼を言って頭を掻いた。けれど正面からツェッドのことを見た途端、レオは一瞬で狼狽えたような顔になった。
「……見当は付くんですが」
「な、あ、あのっ、……っや、え、あ、…あー……」
すいません、となぜかレオは謝ると困った顔をして自分の頬をぺちんと叩いた。「…や、あ、あのですね。俺も好きでこうなってる訳じゃなくて」泡を食ったようにレオはそう言うと手を無意味にぶんぶんと振りまわした。危ない。その様子を見ながら、お茶ですかとツェッドは首を傾げた。え、とレオがぽかんとした声を上げる。
「コップを持っているので。僕はインスタント・コーヒーを入れに来たのですが」
ギルベルトさんが出かけていますからね、と言ったツェッドのことを見上げて、レオはやっといつもみたいに、笑った。照れたような笑顔だった。
「…うちの兄弟子ですか。先に好きになったのは」
「………えーと、…ま、まあ…たぶん………」
分かりませんけど、とレオは言いながらコーヒーに牛乳を入れている。どぼどぼという音にツェッドはそっと目を向ける。明らかにレオのカップはコーヒーより牛乳の量の方が多そうだった。
「…レオくんはあの人のどこがいいんですか?」
「え。……え、なんでそんなこと」
「…そうですね。……興味があるだけだと思います」
深い意味はありません、と言いながら自分もレオから牛乳を受け取ってカップに入れた。こちらはレオと違って普通の量を注ぎ、注ぎ終わったあとは蓋を閉めて冷蔵庫にしまう。ぱたん、と綺麗な音が聞こえた。
レオはちょっと困惑した様子ではあったが、結局カップの中に入っているコーヒーを見つめながら、そっと口を開いた。
「……最初は顔が綺麗だなーって」
「……………カオ?」
「はい」
だってカオ綺麗でしょザップさん、とレオは淡々と言った。…それはそうだけど。改めてそんなこと思ったことないし、何よりそれを損なう程度には性格に問題があったから、そう真っ直ぐに言われるとちょっとだけ考えてしまう。
「…別にそんだけじゃないですけど。なんかほら、面倒見いいしかっこいいし、…口は悪いけど助ける時は助けてくれるし。あと」
優しいから、と言われて耳を疑った。やさしい?え?ま、待って?今僕が聞いているのは僕の兄弟子のことであって、待って下さいレオくん。それは一体誰のことなんですか。
そう言いたかったが言えなかった。脳がついていかないせいだ。レオはレオでガステーブルに寄りかかりながら、そんなツェッドを察したのかちょっと苦笑して、カップを傾けた。
「……優しいですよ。あの人。俺なんかよりずっと」
端的に、しかしはっきりと言ってレオは今度は普通に笑った。それを見てツェッドははっとした。さっきザップを見た時にも何度も思ったが、今しているようなレオの顔も、ツェッドは見たことがなかったせいだ。いつも穏やかに笑っている先輩だが、今もそれはそうだ。なのに、どうしてかツェッドはそのレオの顔を初めて見る気がした。
「…………レオくんはそういうのを…ええと、人に言われるの嫌な方だと思ってました」
勝手に、と付け加えたそれを聞いてレオがきょとんとする。「…えっと…それは、あの。俺らが付き合ってるとかそういうことを他人に、って意味ですか」そう聞かれてちょっと話題が飛んだな、と自分でも思った。それがわざとなのかそうでないのか、その時のツェッドにはわからなかったが、恐らく無意識下での故意だ。どうしてそうしたのかはわからなかったが。
見たこと無い顔をした先輩に戸惑ったのかも知れない。
彼がそんな風に笑うということを、ツェッドは初めて知った。
「……そりゃ俺も時と場所は選んで欲しいですけど。…でも隠すの嫌だってザップさんが言うから」
まあいいかなって、とぼそぼそと言う小さな先輩を見下ろした。耳が赤い。まあいいかなってレベルなんだ、とちょっとだけ驚いた。何で勝手に言うんですか、とばかりに怒るような話かと思っていたせいだ。
「…もっと…何というか、レオくんは怒るかと思ってました。僕は」
勝手に、とまた同じことを付け加えて言ったツェッドのことを見上げて、まあ怒りたいときは散々ありますけどね、とレオが苦笑する。「別に付き合ったところであの人性根変わんないですから。借金増えてるしカツアゲはするし集りは止めないし」アホですよ、とレオは言いながらそっとカップを持ち直した。コーヒーにしては白い液体がカップの中には満たされている。
「…マジでヤだったら俺もヤだって言うでしょうから…なんか、自分のことなのに何だかよく分かんないことばっかりですけど」ヤじゃないんでしょうね、とレオは自分に呆れたように言うとまた笑った。苦笑だったけれど。
やっぱりその顔も見たことがなかったからツェッドは戸惑った。
いつも自分に向けてくる笑顔と同じ筈なのに。
―――初めて見る。
優しい、という言葉を辞書でぱらぱらと捲っているツェッドの前に、おう魚類と言いながら件の兄弟子がやって来た。「はあ。何ですか」「なんだその気の抜けた返事は。レオ知らねえ?」「…あなたが知らないんじゃ誰も知らないと思いますが」言った直後少し自己嫌悪に襲われた。なんだかこれも嫌味みたいに聞こえる。
けれどザップはそーだな、と全く何も気にしてない様子でそう言うと、どこ行ったんだアイツ、と言いながらすたすたとソファの方に歩いて行った。「……………。」果たして自分が一体何に戸惑っているのかよく分からない、とツェッドは思う。親しい友人が突然付き合い出したら皆こうなるものなのだろうか。そう思ったが、ライブラにやって来るまでそういう存在が全くいなかったのでツェッドには分からなかった。
―――それとも。
何か別の理由だったら困る、と少し自分に苛立ちながら辞書を閉じる。ぱたん、という音と同時にザップがくるりとソファから自分の方を振り返ったのが目の端に映った。「オイ魚類」「…なんですか」蔑称とも取れるそれに珍しく苛立ったのにも自分で自分に戸惑った。それが言葉の端に表れでもしたのだろうか、ザップがきょとんとした顔をした。成人しているのに、なぜか彼はそういう顔が思いの外似合う。
「何イラついてんだオメーは」
「……そんなつもりはないんですが」
途方に暮れるという表現がぴったりだったのかも知れない。ザップは益々怪訝な顔になると、何だおまえどーした、とまた似たようなことを言った。「なんだ?……、……あ」やっぱそーなんかとザップはツェッドからすればさっぱり意味が分からないことを言った。何だ、と怪訝に思いながらツェッドはのこのことソファの方に足を向ける。
「お前レオが好きだったんだろ」
そう言われて固まった。
「やっぱそーだろ。ははは残念だったな。もー俺のだからな」
一生オマエのモンにはなんねえよ、と憎らしい口調で言うとザップは煙草を口に咥えて笑った。別段嘲笑の類ではなかったので、まずツェッドはそれに驚いた。そして五秒後、待って下さいと言いながらソファに座る。
「そ――、ち、違います。別に僕は彼のことをそういう目で見てません」
「嘘吐け。んじゃ何で現在進行形なんだよ」
見たことありません、なら分かるけどな、とザップは重箱の隅を突く様なことを言った。らしくもない、と自分のことも兄弟子のことも評しながらツェッドは顔を顰める。「…それは言葉の綾です。あ、あのですね。違いますよ。僕は彼のことをそんな風に見たことはありません」「嘘吐け」ふんと鼻を鳴らしてザップは煙草を口から離すと、ツェッドのことを疑わしげに睨んだ。
「あんな奴好きにならねえ奴がいるか?いねーだろ」
「…………………。」
思わず黙ってしまった。言いたいことは物凄く分かる。分かるけれどそれは。
「………あの、惚気るついでに僕は苛められているんですか?それとも僕を苛めるついでに惚気ているんですか?」
「……は、」
どっちだろーな、とザップは笑って煙を吐き出した。悪い冗談だ、とまたツェッドは顔を顰めて溜息を吐く。――――本当に冗談じゃない。心臓がどきどきと早鐘を打っている理由なんか、考えたくもなかった。
―――本当にレオのことをそういう意味で見たことがあるわけではない。まったくない。好きか嫌いかと言われたら好きだと言えるし、たぶん友達と言われてすぐに思い浮かべるのはレオだろう。―――だから、とツェッドは改めて思った。だからだ。だから自分はそういう意味でレオを見たことはない。
ザップは僅か疑わしげな視線をツェッドに向けていた。「……なんですか」本当にそんなこと思ったことありませんよ、と言ったツェッドのことを、まあいいとザップは不遜な態度で評して煙草を咥えた。どうしてそんなに偉そうなんだろう、と考えないでもなかったが、これはいつものことだ。聞いたら先輩で兄弟子だからだと言われるに決まっている。
本当に一体彼のどこが優しいんだろう。
厨房でのレオの言葉を回想してそう思った。全然優しくない。いや、これはまあ自分が相手だからなのかも知れないが、それにしたって全然優しくない。一週間前から付き合いだしたということだったが、それより前と今のザップで変わったところなんか全然無いように見える。付き合い出したらちょっとは変わるものじゃないんだろうか。いや、レオもレオで性根は変わらない、とは言っていたけれど。
そうぼーっと考えていたツェッドを見て、何だとザップが怪訝な顔をした。「…あ、おい。お前まさか俺が好きだったんじゃねえだろうな」「や、」やめてくださいとぞっとして吐きそうな顔をしたので、ザップが爆笑した。普通にムカついた。
「あ、あのですね。僕は結構真剣に悩んでいるんですよ。何ですかその態度は」
「な、悩むってオメー、何っ……、……っははは、俺だってテメーなんざお断りだって…っ!わはははは!」
「………………………。」
何なんだ、と腕を組んで顔を顰めた。そりゃ兄弟子のことが好きか嫌いかと言われたら物凄く悩んだ後、嫌いではありませんとツェッドは答えるだろう。だろうけれど、こちらはレオ以上にそんな目で見たことはない。冗談ではない。
「………僕だって戸惑いますよ。この間まで友人だと思っていた方々が突然付き合い出したら」
そうぽつりと呟いたツェッドのことを、ザップはまだ腹を抱えながら見返した。何がそんなにおかしいんだとツェッドは勿論むくれる。全然笑えない。
別に世界の全てを知っていたいと思う訳じゃない。
けれど自分の世界のことくらいはきちんと知っておきたいのだ。
だから戸惑う。
自分の手の届かないところで何かが起きるのはいい。起きたことによって自分が上手く制御できない。それに何となく、憤りを覚えている。
自分のことなのに。
そこまで思って気が付いた。レオと一緒だ。
―――自分のことなのに何だかよく分かんないことばっかりですけど。
「…………………………レオくんは」
僕にとって友達ですよ、とツェッドはぽつりと言った。「あ?…そーだな」漸く笑いを収めたザップがそう相槌を打つ。「それが何だよ」「……ですからその、………」大事にしてあげてくださいよ、と言ったツェッドのことをザップが呆気に取られたように見返してきた。
「……何でオマエにそんなん言われなきゃなんねんだよ」
「だから今言ったでしょう。友達なんですよ」
友達の幸せを願うのは悪いことじゃないでしょう、と言ったツェッドのことを見て、ザップはまあ、と言いながら頭を掻いた。「そら、悪かねえけどな」「…ならいいでしょう。別にあなたが思っているような意味じゃありません」そう言うとザップは決まり悪そうな顔をした。…やっぱり少しは疑っていたな、とツェッドは思う。自分がレオを好きじゃないかということをだ。
さっきはふざけた様子で言ってきていた兄弟子だが、恐らく本当にツェッドがレオを好きだったらふざけるどころの話ではないのだろう。レオといる時は物凄く余裕があるように見えたが、多分その実そうでもない。さっきザップが言った通り、レオを好きにならない人なんかいないと言うのは決して大仰ではない。そうなのだ。―――あんなに格好良くて優しい人を。
レオみたいな人をツェッドは知らないし、たぶんそれは兄弟子もそうだ。
だからある意味さっきのやり取りはザップからの牽制とも言える。馬鹿馬鹿しい、と呆れつつも気持ちは僅か、分かった。多分自分がザップの立場でも似たようなことはしてしまったかも知れない。そう思って慌てて首を振った。だから違う。そうじゃない。そんな風に見ている訳じゃない。
そんなツェッドを微妙に不審な眼差しでザップは見ると、煙を吐いてから口を開いた。
「…マジで違うよな」
「だから言ったでしょう。違います。友達です」
そうきっぱりと言ったツェッドのことを見ながら、ザップはやっとほっとしたように煙を吐いた。「…あの、一体何をそんなに焦ることがあるんですか」「あ?」矢鱈とザップがほっとしたように見えたので、思わずツェッドはそう聞いてしまった。
自分がレオをたとえば好きだったとして。
レオは明らかにザップが好きだ。午前中一緒にゲームをしている時にそう思ったし、厨房でのやり取りをザップは知らないだろうが、どう聞いても見ても彼はザップのことが好きだ。分かり易い。笑顔もそうだったし、言葉だって、口調だって、全身がそうだと叫んでいるみたいに。
春が来たら草が芽生える。
花が咲くみたいな顔をしていた。
だからどうと言う事はないと思う。そんなことをツェッドは掻い摘んでザップに言った。厨房での会話はレオに悪いと思ったので割愛して、そう言うとザップは変な顔をした後、そーかよと言いながらプイとそっぽを向いた。照れているらしい。
「……そりゃまあ、そーだっつうことくれー俺だって分かるわ」
「はあ」
でしょうね、と言ったツェッドに目だけを向けて、ザップは黙った。「……なんですか?」そう、何度目とも知らぬ疑問を言ったツェッドのことをやっと真面に見ると、ザップは煙草を口から離した。
「…………アイツな」
オメーのこと好きだもん、と投げやりに言われてぎょっとした。「………え?」「あ、オメーが思ってるような意味じゃねーぞ」慌てたようにそう言ったザップを見ながら、ツェッドも慌てた。
「そ、…お、思ってませんよ」
「嘘吐け何だその態度は。あいつは俺のだかんな。やんねーぞ」
「もうその下りはいいです。何ですか一体」
「………だから」
レオはオメーが好きなんだよ、と憎々しげにザップは言うと溜息を吐いた。「…信用とか信頼とか、そういう意味だったら俺より手前の方だ。…レオは俺のことを好きだろうけど信じてはいねーし」
「……………。」
何を言っているんだ、と言いたくなった。信じてるって。いやいやいや、全然信じてるじゃありませんか。任務の時も、普段の生活も、どんな時だってレオくんはあなたのことを信頼してるじゃありませんか。そう言わんとするツェッドを察してか、オメーの言いたい事は分かるとザップは言った。
「…そうだけどそーじゃねえんだ。…そこじゃねえんだよ」
分かり難いことをザップは言うと、そこはまあどうでもいい、と全然どうでもよくはなさそうに続けた。顔が拗ねている。ツェッドからすればさっぱり意味が分からなかったが、そう言われてしまっては蒸し返すのも悪いと思ったので言及するのは止めた。蒸し返したところで彼が真実を言うとは思えない。
「…なんか………、…おまえだからさ…」
「はい?」
「…………あー、だからさー…俺にとってテメーはアレだ、全然どーしようもねえしうるせーし堅物だしっつか好きじゃねえんだけど」
「はあ。それはどうも」
そう言われたところで全く動じなかった。その通りだし、と思ってそう頷いたツェッドを見て、お前ホント可愛げねえな、とザップは呆れたように言った。あっても困るだろうに。そう思う。
「…なんだ。…何で俺がこんなこと言わなきゃなんねんだかさっぱわかんねえけどよ」
「………………。」
ツェッドからすれば一体彼が何を言っているかすら分からないので、その発言の真意も掴みかねた。何が言いたいのだ。
そう思っているとは露知らないであろう、ザップはじろりとなぜかツェッドを睨んで煙草をこちらに突きつけるようにして向けてきた。距離があるから別段危ないわけではないが、いい気分はしない。
「…なんか、たぶん。…お前が一番怖いんだわ」
「は?」
ぎょっとした顔をしたツェッドからぱっと目を逸らして、何でもねえよとザップは言うと煙草をぐしゃぐしゃと灰皿に押し付けた。「…忘れろ」そう不貞腐れたように続けると、立ち上がってすたすたとポケットに手を突っ込んだままドアの方に歩いて行ってしまった。「…………怖いって」どういう意味だ、と思ったが聞きそびれたし、大体忘れろと言われたのだから聞いたところでしらばっくれられる筈だ。
ザップがドアノブに手をかけようとした時だ。反対にドアが開いてあ、とザップが声を上げる。「あ」ザップさん、と言いながらドアの向こう側からレオが顔を出した。後ろにスティーブンとクラウスがいる。
「なんだ。どこか行くのか」
「ただいまザップ」
そう言う上司二人に適当な挨拶をして、ザップは無言でレオを見ていた。「?ただいまっす。ちょっと雑用しに行ってました」そう言ってレオは不思議そうにザップを見上げている。
「…………………………ん。よく帰った」
「何でそんな偉そうなんですか」
フツーにお帰りでいいでしょ、と言ってレオは苦笑した。その顔は、やっぱり見たことがあるようでないようで、けれどそこでやっとツェッドは気が付いた。
今までだって、レオはそうやってザップに笑っていた。
たぶんツェッドがライブラに来る前からだろう。けれど、自分がそれに気が付かなかっただけだ。そう思いながらそっと兄弟子のことを見遣る。
ザップは再度無言でレオのことを見下ろしていたが、やっと笑ってくしゃくしゃとレオの頭を撫で始めた。「わ、わわっ。な、何すかもう」危ないです、と文句を言ったレオの顔も、ザップの顔も前と一緒だった。ずっとツェッドが見ているそれと同じだ。
「………………。」
世界は何でも起こるらしいから、と思いながらツェッドは窓の外を見る。全然関係ない。関係ないけれど、多分そういうものだ。霧の街はいつもと同じで少し白い。空にはなぜか魚が泳いでいるし、街は毎日喧騒に溢れているし、悪漢はその辺にごろごろしている。
「あ、ツェッドさん」
その声にはっと顔を上げる。「お土産です。ドーナツっす」そう言いながらレオが紙袋を手にやって来た。「……ありがとうございます」「クラウスさんからです」俺は車で食いました、とレオは笑ってドーナツが入っているらしい紙袋を開けて、ツェッドの隣に座る。当然の如くザップもすたすたとやって来てレオの横に座った。おわ、とレオが声を上げるがザップは何も言わなかった。少しだけ拗ねた顔をしているのを見て、笑いそうになってしまった。
「はい。どれがいいですか」
そう言ってレオがツェッドを見上げた。「?あれ」どうしましたかと途端にレオは不思議そうな顔をして首を傾げる。「え」何が、とツェッドが反対に不思議に思った。何がどうしたんだ、なんだろう。そんな顔を見て、レオは首を傾げながら口を開いた。なんか、と。
「春が来たみたいなカオしてますけど」
「………え」
「何言ってんだオメーは」
そう言ったのはザップで、そのままレオの頭の上に腕が乗せられた。「おわっ。お、重いっすよちょっと」「うるせえ」いいから魚類は早よ選べよとザップはツェッドにドーナツのことを言ってきたので、はあ、とツェッドはそっと紙袋の中を見つめた。
「……………。」
―――春が来たみたいな。
そうなのかな。
レオの言った意味はさっぱり自分には分からないし、鏡があるわけでもないし、たぶん窓ガラスに映った自分を見たところで分かりはしないだろう。
でもレオには分かったのだ。
―――春が。
「…………春が来たら」
花が咲きますよね、とツェッドは言いながらオールドファッションを手に取った。「え。…はあ、そーですね。あったかくなるし」春はいいですね、とレオは言いながらはいザップさんと紙袋をそのまま振り向かずにザップの方に手渡す。頭の上にザップがいるから振り向けないのだ。頭上でそれを受け取ったザップは、花が何だよと言いながらやっとレオの上から退いた。
「……レオくんもあなたも、…春みたいですね」
「え」
「はあ?何じゃそりゃおめでたいってことか?」
馬鹿にしてんだろ、とむっとしたように言ったザップとは裏腹に、レオは狼狽えた顔をしてツェッドを見上げた。「…そうじゃないですよ」今レオくんが言った意味と一緒です、と続けたツェッドに、今度は二人がきょとんとした。
「…?俺が?」
「…………………そりゃ」
どーも、とザップは珍しく素直に笑って紙袋に手を突っ込んだ。対してレオは困惑したような顔をしている。「え。な、何が?」「いーからレオも選べよ。これ」「俺さっき車内で食べましたし」「言わなきゃわかんねえよ」「そーいう訳には」そう会話に戻った二人を見てツェッドは肩を竦める。手にあるオールドファッションを一口齧ると、ドーナツだからそりゃあ甘い。もぐもぐとそれを咀嚼する。
隣からははしゃいでるような、楽しそうな声が聞こえてくるけれどよくよく考えればそれだっていつものことなのだ。毎度の如くいつもの如く聞こえてくる会話で、ツェッドがよく知っている先輩たちの会話。
「………春みたいだなあ」
そう言ってドーナツをまた齧ったツェッドのことを見て、レオが怪訝な顔をする。ザップはだから礼言ってやっただろ、とおかしそうに笑ってドーナツを手に取った。
手にあるオールドファッションを見て、やっとツェッドは笑った。
春になったら花が咲くのだ。
どこにだって。
終