子供のココア
2019/10/13(re write+up)
好きだというそれに耳を疑った。酔ってるのかもしれないと思いながら、まじまじと先輩の顔を見つめたる。確かに酒は飲んでいるものの、酔ってはいなさそうだ。自分の先輩は、酒に強い。
「……俺が?」
怪訝な顔をしながら自分を指差したレオナルド・ウォッチを渋面で見ながら、そーだよと先輩のザップ・レンフロは告げた。「悪いか」「…悪かーないです」そりゃ、と言いながら頭を掻いた。自分は無言で缶を開ける。ぱかん、という綺麗な音がした。
コップにサワーを注いでから、半分飲みますとレオは首を傾げる。ザップは渋面のままレオを黙って見つめたが、要らないんですかと続けると、要るよと乱暴に返事をした。「…コップ入れます?」「缶ごと寄越せ」はい、と言いながら手渡した時に、手と手が触れた。途端にザップの方がおわ、となぜか声を上げて缶から手を離したので、勢い余ってテーブルの上に缶が転がる。しゅわしゅわと音を立ててサワーが零れだし、あーあとレオは慌ててタオルを手に取った。
無言でサワーを拭っているレオを半眼で見ながら、なあとザップはまた、少し間を空けて言った。
「なんすか」
「……何かねーの。今俺が言ったことについて」
「悪くはないですけど、って言ったじゃないですか」
そーいうことじゃなくてよ、とザップは面倒臭そうに言って溜息を吐いた。「…なんかさ。嫌だとかざけんなとかからかうなとか。そーいうこと」それを聞いて何を言ってるんだ、とレオは眉根を寄せて顔を上げた。
「…だってザップさん、からかってるんですか?」
「…からかってねーよ」
「でしょ。マジなんでしょ」
んじゃ茶化す訳にいかないでしょ、とレオはサワーを拭い終わったので、その辺にぽいとタオルを投げた。ばさばさとそのせいで洗濯物が崩れ落ちた音が聞こえたが、面倒だったので放置した。ザップも別段何も言わなかった。
「…気持ち悪くねーのか」
「それはぜんぜん。まったく」
皆無です、と言ったレオにザップは怪訝な顔を見せた。何でこの人がそんな顔をするんだろう、と思いながらレオはやっとサワーに手を伸ばす。その手をザップががし、と止めてしかもサワーは奪われた。「あ」何すんです、とレオは顔を顰める。
「もーオマエ飲むな。吐くぞ」
「ザップさんじゃあるまいし」
俺今日殆ど飲んでないでしょ、と言ったレオにそんでも酔うだろとザップは言って、ノンアルコールと書かれた缶を手渡してきた。つまりこれただのジュースと一緒なんだよね、と思いながら仕方なくそれを受け取って、缶を開ける。やっぱりこれもぱかんという、いい音がした。
こうやって飲むのが何度目になったかレオは覚えてない。ただそんなに回数はない、筈だ。なのに覚えていないのは、ザップがレオの家に来ること自体は、頻繁にあることだったからだ。来てもゲームするか、眠るか、もしくは夕飯を食べるか。どれかになるけれどたまに飲む。飲みたいけれど金がない、という場合は大抵レオの家で飲む。ザップに固定の家があるのかどうか、レオは知らなかった。ただ迎えに来いと言われた場合は殆ど愛人宅だったから、彼は自宅を持っていないのかも知れない。その辺は突っ込んで聞いたことがなかった。
今日も同じだ。夕飯を食べてからどっか飲み行こうぜ、とザップが珍しく、レオを誘った。大抵夕飯を食べた後は解散か、もしくはザップがレオの家に泊まるか、はたまた愛人の家にレオが送って行くかのどれかだったから、結構レオは驚いた。少し考えてから、いいですけど俺金ないすよ、と臆面もなくそう言うと、ザップは珍しく苦笑した。そういう笑い方をする人ではないとレオは勝手に思っていたので、かなり驚いた。そんな風に。
大人みたいな笑い方をする人だと思っていなかった。
考えてみれば酷い話だ。レオよりも年上で、しかも二十四歳という年齢の男をつかまえて大人みたい、とは。けれどレオにとってザップという男はそういう存在だった。子供みたいに喚くし、暴力は振るうし、理不尽だし、色々とだらしないしで散々だ。しかもそれを咎めるとキレるという開き直った態度で接してくるのだから、これはもう、どうしようもない。普通だったら付き合いを遠慮したい存在だった。
――普通じゃないのかなあ。
とりとめもなく、そんなことを考えることもある。
たとえばココアだって、安いココアと砂糖を入れなきゃいけない高いココアがあったけど(レオはそう思っている)、それと同じで、普通だったら甘いココアがいいのに、苦いココアでもいいみたいな。…意味が分からない。そこまで思ってレオは考えるのをやめた。結果は出せないだろうし、大体結果を出したところでザップとの付き合いを止める気は毛頭なかったからだ。
実際のところ普通じゃなかったのはレオではなく、ザップの方だったらしい。渡されたノンアルコールカクテルを一口飲んで、それで、とレオは首を傾げる。
「…あの、ザップさんどーしたいんですか?俺と付き合いたいとか」
そういう感じすか、とレオは努めて動揺を押し殺しながらそう言った。実は言われた直後だって結構動揺したのだ。コップを取り落さなかったことは奇跡だった。余りに驚き過ぎて、そのリアクションすら顔に出せなくなってしまった、というのが本当のところで、だからレオは今も動揺している。―――好きなんだ。この人。
俺のこと。
ザップは胡乱な眼差しでレオを見ていたが、いや、と首を振った。「…だってよー、オメーと付き合ったとして」俺が浮気したら怒るだろ、とザップは信じがたいことを言った。聞きながら呆れてしまう。
「…当たり前じゃないですか。てゆか、それは俺じゃなくても怒るでしょ」
「エリザは怒んなかったぞ」
「誰だよエリザ。…や、まあそーいう人もいるでしょうけど。俺はそーいう人じゃないですから、嫌ですよ。付き合って浮気されるんじゃ付き合わない方がいいです」
だよな、とザップは納得した様子で言うと缶をテーブルに置いた。かん、と音がする。「…だから何か、そーいうんじゃねえ。付き合いたいとか、そういう」めんどくせーことはいいよ、とザップは言いながら煙草を手に取る。禁煙ですとレオが顔を顰めると、ザップも顔を顰めた。仕方なさそうにまたポケットに煙草を突っ込む。これも何度目のやりとりかレオは覚えていなかった。
「…んじゃなんでさっき俺に言ったんですか。好きだとか」
「……そりゃーなんか、…わかんねーけど」
今言っとかないと一生言わねえ気がした、とザップは言うとテーブルに置いてあるサラミを手に取った。かさかさと袋が擦れる音がして、サラミがテーブルに零れ落ちる。「…一生すか」「そーそー。俺のことだから一生言わねえよ。こんなん」大体何でオメーなんだ、とサラミを突き付けてきたザップを見て、レオは呆気に取られる。それはこっちの台詞だ。動揺は少しずつ和らいでいる。
「俺に分かる訳ないでしょ。…てゆかザップさん、男もいけるんですか」
そう言った瞬間頭を叩かれた。いて、と呻いたレオのことをザップは物凄く剣呑な視線で睨みつけ、んなわけねえだろと吐き捨てるように、言った。「な、殴ることないでしょ。てゆかフツーにそう思うでしょこの流れ」「るせーよ。ねえよそんなん。オメーだけだよ」そうザップが言った後、また間が空いた。ザップはやべ、とでも言いたげな顔になり、レオは頭を押さえたまままた動揺が戻ってきたことに気が付く。それは戻らなくてもいいんだって、と自分を何とか落ち着かせようとしながら、口を開いた。
「…ええと、…それは分かりました。…あの、ザップさんってそれ、女の人にも言うんですか?」
「あ?」
何じゃそりゃ、と言いながら今度はチーズをザップが手に取った。「や、だから。女の人口説く時も、浮気するけどどーする、とか言うんですか?」「アホかオメーは。言う訳ねーだろ」呆れた顔でザップはそう言うと、またチーズの銀紙を器用にひょいひょいと剥き取った。まるでCMで見るような手つきでレオは一瞬感心してしまった。この人、手先は本当に器用だなあ。
そんなレオをザップは怪訝な眼差しで見つめると、何だよと笑って銀紙をテーブルの上にぽいと投げ捨てて、チーズを手に取る。「食いてーのか」「…あ、はい。ください」思わずそう言ったあと、ザップはきょとんとして黙った。ありゃ、と自分でも変に思う。食べたいなら勝手に食えと言われるところだ。普段だったら絶対そう言う。
けれどザップは苦笑して、口開けろよとそう言った。慌ててぱかっと口を開けるとぽんとチーズが思い切り突っ込まれて少し咽る。げほ、と言ったレオにぐいと何かが突きつけられたので慌てて受け取って飲んだ。水かと思いきや、恐ろしいことにそれはビールだった。げほげほ、と余計に咳き込んだレオを見てザップが爆笑する。空き缶が転がる音が聞こえた。
「ちょ、も、な、何すんすかもー。…俺ビール、あんまし、得意じゃない、…」
「だからだっつーの。…オマエサンタみてーな顔になってんぞ」
アンタがサンタを信じてるとは意外でした、とレオは言いながら仏頂面でごしごしと口を拭う。泡が口の周りを白いひげのように覆っているところが容易に想像できた。
「誰が信じてるっつった」そもそも俺サンタの存在知ったの最近だぞ、とザップは嫌そうに言った。幼い頃から修業をしていたとレオは聞いたことがあるから、そうかと今更気が付いた。にしてもサンタとはなんだか可愛らしい言い方だ、とレオは思った。もしかしてザップも少しは酔っているのかも知れない。
――それともそーいうところも子供なんだろうか。
酷いことを思いながら、レオはその辺にあったミネラルウォーターを飲んだ。本当なら翌朝の為に買った分だったが、すぐそこにある水道まで歩くのすら億劫だった。
「…てゆか、言わないんすか。フツーは」
「え?なにが」
「だから、女の人口説く時。浮気するけどいい?って言わないんですね」
言って上手くいくわけねえだろ、とザップは呆れた様子で言うと、レオの方に手を伸ばしてきた。手を伸ばされた方のレオはきょとんとする。なんだ、と思っていたらザップはレオに手が届こうか届かないかといった辺りで手を止めた。
「…あんなーオマエ。警戒心っつーのはねーのか」
「?何に対して」
「俺だよ」
何を言っているんだ、とレオは怪訝な顔をする。「そんなのあったら生きてけないですよ。毎日顔合わせてるのに」「事務所と今はちげーべ」「違くないっすよ。ザップさんは」いつも俺に対して同じでしょ、とレオが言うとザップは黙った。そのまま、止めていた手をひょいとレオの前髪に伸ばしてぐい、と髪を引っ張ったから堪らない。いてて、と小さく言ったレオの髪から、ザップはどうもビールの泡を取ったらしい。何かの拍子でついたのだ。
「あ。…どーもです」
「…いーんだけどよ」
そう、全然よくなさそうにザップは言うとベッドシーツで泡を拭った。それは俺のシーツなんですけど、と思ったけれどレオは何も言わなかった。
少しだけまた無言が起きる。その後、ザップはまた胡乱げな眼差しをレオに向けてきた。「…さっき俺が何かしてたらどーすんだ」
―――それを聞いてちょっと驚いた。
「……しようとしてたんすか?」
多分少しだけ、顔を引き攣らせた。その可能性は全然考えてなかった。
ザップはまた黙る。その沈黙は少し怖い。何しろ今ザップがそのつもりになったとしたら、レオに拒むだけの力はない。「…まあ」―――まあ?まあって何だ。そうレオが問い質す前に、ザップはもしも論はねえときっぱりと言って、レオに渡したビールをひょいと取った。そのまま飲む。
…それ俺の飲みかけなんだけど。
そう思ったが、そう言うのも自分だけ子供みたいで嫌だったから言うのをやめた。幾ら何でもその思考は中学生、いやさ高校生までで終わりでいい。回し飲みなんて飲み会じゃ当たり前のように行われる。そう思いながら、それでザップさん、とレオは戸惑ったまま、言った。
ただしその戸惑いが自分に対してなのかザップに対してなのかは分からなかった。
もしかして全然違うことなのかも知れない。
「…何で俺には言ったんです。浮気するけどいいか、とか」
「あ?そりゃーおまえ、それ以前の問題だろ」
はい?とレオは首を傾げる。それ以前?「…だってオメー、付き合う付き合わないの前に、俺のこと別に好きじゃねーだろ」そう言ってザップは溜息を吐いてまたビールを飲んだ。ビールはいざ知らず、溜息がこんなに先輩に似合わないとはレオは知らなかった。
「…や、好きですけど」
「そーいう意味じゃねえって分かってて言ってんだ」
俺に言われちゃおしめーだって、とザップは珍しく自虐的なことを言うとちょっと笑った。どうも酔いが回って来たらしい。レオはザップに止められたので、本当に余り飲んではいなかったが、ザップはもうそれなりに飲んでいたのだ。レオの金で買った分もほとんど彼が飲み尽くしている。いつもはもっと暴れるような酔い方をする癖に、今日はやけに大人しい酔い方だった。静かだ。呂律も徐々に回らなくなっている。
「…そーいう意味じゃないって。どーいう意味です」
「だからさ、キスとかセックスとかしたいって意味だって。分かってんのに聞くなよ。好きだっつったって色々あんだろ。…触りたいとか抱き締めたいとか」
そういう意味だよ、とザップはなぜか笑いながら言うと、また別のビールを手に取った。もうやめた方がいい、とレオは思ったが、止めたところで言うことを聞く様な男ではないと知っていたので、何もしなかった。
「…ただ好きなだけじゃ駄目なんですか?」
「だめっつーことはねーけど」
だってオメーさ、とザップは眠そうな声になりながら空き缶を手に取る。「魚類とか、旦那とか…あー、あとはまあ犬女とかスターフェイズさんとか…そのへん好きだろ」「え。あ、はあ。好きです」そうすぐに言ったレオに、それだってとザップは空き缶をレオに突き付けながら、言った。
「好きだけど、キスしたいとかそーいうのはねーべ。俺はオメーに対してそーいうのはあんだよ。オメーはないだろ。俺のこと好きかもしんねーけど」
キスとかそーいうのはねーだろ、とふわふわした口調で、分かり難いことをザップは言った。けれど何となくレオは分かった。ああ、そういうことか。――そんなことを。
…そんなこと気にする人だったのか。
もっと勝手な人だと思ってた。
そう思って、さっきのビールを飲み終わってもないのに、別のビールを開けようとしているザップの腕を止める。半端になることもそうだし、これ以上は止めて欲しいと思ったのだ。何しろ酩酊して酔い潰れた彼をベッドに乗せるのは、レオだ。
「…んじゃ、いーですよ。一回キスしてみましょうよ」
「…………あ?」
「や、だから。キスしてみましょうって。そんで嫌じゃなかったら」
さっきの問題に戻れます、とレオは真顔で言った。「………。」やっぱ酔ってんだろ、とザップはそこで笑った。普段だったら仏頂面か、顔を顰めているのだから酔っているのはレオじゃなくてザップだ。第一声がもう、いつもより明るいしへらへらしている。
「…んー、まあいーけど。してやっても」
「何でアンタが上からなんですか」
うるせえな、と笑ったザップがレオの頬に手を添える。肩がぐい、と引っ張られた時慌てて目を瞑った。元々瞑っているような目ではあるけれど。ともかく先輩としたキスは酒とビールの味がして、レオには少し苦かった。ちゅっという音と一緒に唇が離れたあと、ザップがぼーっとした目でレオを見下ろしてきた。酔っている。「……、…な、」なんですかとレオは言う。顔が熱くなってきた気がする。言いながら口を袖で拭うと、拭うな、とザップは怒った様子で言うとぐいとその手を退け、そのままもう一回レオにキスしてきた。え、と思う間もない。止める間もない。そのままぱたんと床に押し倒された。
「…っん、…っんむ…っ」
息が苦しい。息継ぎの方法は水泳でしか知らない。そう思いながらばたばたともがいていると、やっと唇が解放された。ほっと息を吐く。やっぱり口の中はアルコールの香りとビールの苦いそれで埋まっていた。
「……、……んー」
オメーが飲んでた酒あめーよ、とザップは言って笑うと、レオをひょいと起き上がらせる。「……、……あ、はあ…」そう言って思わず俯くと、なんだよとザップは笑った。酔っている顔だった。
「…どーだ。気持ちよかったか」
「え。あ、…や、まあ。はあ…それは」
流石百戦錬磨、と思いながらこくんと頷くとそーかとザップは笑った。何がおかしいのか、それともこの人こんなに笑い上戸だったっけ、と思いながらあのうとレオは首を傾げる。「…その、俺、ヤじゃなかったすけど。今の」「あ?…なにが」「いや、なにがって」キスですよとレオが言うとザップはぽかんとした顔になったあと、また爆笑した。
「…っわはははは!男にキスされてヤじゃねーとか!ば、…っバッカじゃねーの…!」
「て、てめーが言うな!アンタがしてきたんじゃねーか!」
んじゃもっかいしようぜ、とレオの反論を聞いていただろうにザップはそう言って笑った。へ、とレオが身構える暇もない。がぶ、と噛み付かれるようにキスされて今度はベッドに押し付けられる。「んっ」むぐむぐと呻いていたら今度は口の中に舌が入って来てわわ、と慌てた。キス自体、遠い昔にしたようなしなかったような。ともかくしていたとしても記憶に残るか残らないくらいの遠い昔だ。
「…っぷは!…っ、び、っくりした…!」
舌が引っこ抜かれた後唾液が伝ったのでひえ、と狼狽えた。身体が何だか変な感じがするし、上手く呂律が回らない。べえ、とザップは舌を出したまま、レオの頬を舐めてきたのでぎゃあと声を上げた。猫か。いや、猫ならいいけど。目の前にいるのは猫ではない。
猫どころかライオンみたいだった。
――ライオンどころか怪物みたいな。
「…あ、あのー。気は済みました?」
「……………、…んー…」
ぼちぼち、とザップは言ってそのままレオの隣に移動して、ベッドに寄りかかった。眠そうに欠伸をすると、血を伸ばしてびゅんと酒を引っ張って来たからレオは呆れた。まだ飲むのか。
「…まーキスなんざほら、俺らいま酔ってるし。…いつでもできんだろ」
「いや、できませんよ。何言ってんすか。酔っててもしたくない人とはしません」
「…………?」
んじゃお前俺とキスすんのはヤじゃねーのか、とザップは怪訝な顔で言った。「だからそう言ったでしょ。そーですよ」そう、ちょっとだけ拗ねてそう言うとザップは黙った。少し間が空いたあと、ぽんと頭に手が置かれる。ぐしゃぐしゃと無言で頭を撫でられた。
それが何を意味するのかレオはよく分からない。同情だとか憐みだとか、そういう風に思われていたら嫌だな、とそう思った。――そういう。
そういうわけじゃない。ここでそういう感情を出せる程、レオは幼くなかったし、ザップの気持ちが汲めない訳じゃない。
「…ともかくほら、これでさっきの話できるでしょ。何で俺にしか言わないんです」
「あー?…ああ、なんだっけ。…付き合っても浮気するけどいーか的な」
「そーすよ」
何でって、とザップは言いながらぱかんと栓抜きで瓶の蓋を外し、そのままラッパ飲みした。ごくんと喉が鳴る。「…口説きたい女はたくさんいるけど」レオはひとりじゃん、とザップはぼーっとした口調で言った。
「はい?」
当たり前じゃないか。そう思ってそう言うと、当たり前だよな、とザップは言った。「…なんか、たぶんそーいう意味じゃねえ…なんだ?…オメーとさ、…愛人は違うんだって。よくわかんねえけど」「…違うって?」何が、とレオが怪訝な顔で言うと、んー、とザップはぼーっとしたまま悩むように言った。
「…なんか、…こう……オマエと一緒にいるのが俺、」
一番好きだし、と眠そうにザップは言って欠伸をした。「…あー…あーあクソ何でオメーなんだ…。ミランダでもキャシーでもアイカでもロウファでもなくて」
ちょっと言葉が切れる。レオはぼんやりしながらザップの言葉を待った。心臓が煩く喚きだした。身体が、脳が上手く動かない。手に持っているグラスが震えている。氷が少しだけ、揺れていた。
「…俺はレオがいーんだよ……」
そう言った直後、沈黙が起きる。ザップは酔っているせいか、ほんと何でテメーなんだバカ、とレオを無意味に罵りつつ笑った。笑えない。レオは笑えなかった。
代わりに顔が更に物凄く熱くなってきた事に気が付く。ヤベ、と思って慌ててグラスを口につける。酔っているせいだと思われますように、と祈りながらごくんとカクテルを飲む。やっぱりノンアルコールだから、ジュースだ。酔えない。
「……そ、あの。それじゃザップさん。れ、冷静になってください」
「あ?…なにが」
「……だ、だからその。…俺がいいなら」
浮気する必要なくないすか、とレオはもそもそと言った。視線はザップではなく、手の中のグラスを見つめている。「……んー?」ザップはきょとんとしてそう言ったかと思うと、それもそーかと直後爆笑した。どうもいつもよりふわっとした酔い方で、レオはついていけていない。そもそも殆ど自分は素面なのだ。
「…え、ええとそれで。あとなんか問題あります?浮気するかも問題は解決、キスできるできない問題は解決しましたけど」
「問題ってな。…んー…あー、あとはアレだ。オメーが俺を、」
好きになりゃいーじゃん、とザップが言った時。
レオは決めた。
そのままレオはぐい、と先輩の腕を両手で掴む。へ、ときょとんとしたザップがこちらを見下ろした。酔っている割に、意識がはっきりとしていることが分かる。灰色の目がびっくりした様子でぱちぱちと瞬かれていた。
たぶん自分の顔は今真っ赤だ。緊張しているし、口がうまく動くかどうか分からない。話せるかな。言えるかな。このまま。
「……俺は、て、てゆか俺も、ずっと前からザップさんが好きです」
きっぱりとそう言ったレオのことを、ザップは表情を変えることなく見下ろしていた。「……………。」無言が続く。レオがごくんと一回唾を飲み込んだ後、やっと驚いた様子で目が見開かれる。「…え?」嘘だろ、と言ったザップに何でですかとレオは真っ赤な顔のまま言った。
「だ、だってオイ。何だそりゃ。どーなってそーなんだ」
「だ、そ、そんなの俺が知りてーっすよ。俺だって何でアンタのことが好きになったかなんて知らねーし。…でも、その」
前から好きですとレオは早口で言った。動揺の正体は、これだと言ってしまってもいいかも知れない。レオはレオでずっと前から先輩が好きだった。だから。
突然好きだと言われたのでぎょっとしたのだ。そんな都合がいいことあるわけがない。そう思った。そんなに都合よく人生が運ぶわけない。そんなに簡単に。
―――この人が手に入る訳ない。
「………マジで?」
「…ま、マジっすよ。てゆかじゃなきゃ幾ら俺でもキスまでしないです」
「…だってオメー流されやすいし」
俺じゃなくて魚類に言われてもそーしただろ、と訝しげに言われて変な顔になった。何でそこでツェッドさんなんだ。首をひねりつつ、ツェッドさんは好きだけど友達だからそーいうことしたいとは思ったことない、とレオは言った。ザップは微妙に納得し難い顔をしていたが、そーかと最終的にそっぽを向いたものの、納得したように言った。何に拘っているのだ。
「…あ、あの。なので俺、……つ、付き合いたいです。ザップさんと」
「………あ。え、あ、うん。…そ、そんじゃ」
付き合うか、とザップはそこでやっと照れたように俯いて頭を掻いた。「…あの、俺だけとか言うなら浮気しないで下さいよ。俺で充分でしょ」「あ?あー…ああうん…まあ…努力はする」「浮気したら別れます」「………………。」何でそこで無言なんです、とレオが怒ってそう言った直後だった。突然ぐいと肩を引っ張られて抱きしめられた。
「わっ!?え?え!?な、なななっ、なんですか!」
「………うん………………」
しねえよ、とザップは矢鱈とおかしそうに笑ってそう言うとレオの頬に一回だけ、ちゅっとキスをしてきたのでレオはまたぎょっとする。酔ってるのかな。や、酔ってはいるけど半分は真面みたいだし。ええと。
混乱する頭のまま、そっと顔を上げる。物凄く嬉しそうな顔をしたザップがレオのことを抱き締めている。「………。」やっぱり酔ってるな、とそう思いつつちょっとだけ、呆れた。俺だって相当だけど、ザップさんだってそうだ。てゆか俺たちどっちもどうかしてるんだ。そう思ったけれど自分も、笑った。
だからやっぱりココアは最初から甘い方がいい。砂糖を入れたら苦いココアだって甘くなるかもしれないが、砂糖の適切な量がレオには分からない。だったら。だったら最初から甘いココアを用意して貰った方がいい。
そう、次の日レオがザップにそう言うと、ザップは何だそりゃと訳が分からなさそうな顔になった。そりゃそうだ。レオもよく分かっていない。
「…てゆか俺ココア自体あんま飲まねえんだけど。甘いし」
「苦いやつあるじゃないすか。あれは?」
「それはコーヒーだろ」
「違いますよ。ココアですって。さっき言ったでしょ。砂糖入れるやつ」
そんなもんねえよ、ありますって、と言い合いながらレオは思った。だから砂糖の適切量はこれから量っていくしかない。自分たちで、どのくらいが丁度善いのか、どのくらいがぴったりなのか。甘すぎないか苦すぎないか。丁度いい量を。
既製品の方が楽だけど。
「…そんじゃ成長しませんしね」
「あ?さっきからテメーは何を言ってんだ」
何でもねえす、と言いながら買い物袋を片手で持ちつつ先輩の後を追う。袋の中には、甘くないココアと砂糖が入っていた。
終